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[ 2017年映画』「人生はシネマティック」(監督ロネ・シェルフィグ、出演ジェマ・アータ―トンビル・ナイ11/15

『2017年映画』「人生はシネマティック!」(監督ロネ・シェルフィグ、 出演ジェマ・アータートン、11/15
サム・クリフリン、ビル・ナイ、ジャック・ヒューストン

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1940年、ドイツ軍の空爆が激化するロンドン。女秘書として働いていた主人公カトリン
は、たまたま書いた広告コピーが情報省映画局の目に留まり、製作する国策映画の脚本家に採用される。当時の国策宣伝映画は子供騙しの単純な「戦意高揚」映画だった。カトリンが担当することになったのが、同年6月に起きた*「ダンケルクの戦い」。独軍に包囲された英仏軍の救出作戦に、市民有志として加わった勇敢な姉妹のドラマの映画化であった。

(ダンケルクの戦場)
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*「ダンケルクの奇跡」第2次大戦の初期、1940年6月火力と機動力の独軍80万が英仏
連合軍40万をフランスの港町ダンケルクまで追い詰めた。英首相チャーチルは「闘い」で
はなく真逆の「撤退」で全員を救おうとした。その命令をうけ、ドーバー海峡に浮かぶ軍艦・
民間船・はしけに至る900艘ものの船が緊急徴用された。それも強制ではなく今でいうボ
ランティア活動だった。敵の攻撃に脅えながらの史上最大の撤退作戦を決行。33万の兵士
を救い、後の「ノルマンディー上陸作戦」につながったという。
 但し、これは英軍のこと。仏軍にとっては負の遺産。助かった兵士もいるが、撤退を擁
護するために犠牲になった兵士もいる。仏軍の殆どは敗退して捕虜になってしまう事態になってしまう。連合軍でも英仏によって「ダンケルク」に対する感情が違うという。

カトリンは実際に映画製作に関係してみると、姉妹の救出船が故障するのは英国の威信
を傷つけるとか、米国の参戦を促すためにダンケルクにいるはずのない米国人を登場させろとか、政府や軍の横ヤリがいちいち入る。

(ジェマとビル・ナイ)
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アイドル的な人気役者役の(ビル・ナイ、名演)ヒリアードは姉妹の酔いどれ叔父役だったが出演を嫌だと言い出す。無声映画しか出たことがない役者を出演させなければならなかった。そのたびに脚本の書き直しやセットの組み換えや説得で映画の進行が遅れる様子をユーモラスに皮肉に描く。
 
 映画の撮影が遅れ、カトリンは夫の個展に遅れたが、浮気の現場を目撃する。夫と別れた彼女を慰めたのが、脚本家のバクリーだった。彼との共同執筆が進行するなかで愛を悟る。彼に愛を告白したが、そんな中バクリーは爆撃で死んでしまう。

(ロンドンの空襲)
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 カトリンのアイデアが生かされ映画は成功を収めたが、彼女はショックで完成された映画を見ようとしない。悲しみの余り映画から身を引こうとする。人気役者のヒリアードが訪ねてきて、「二枚目俳優だけではダメだと悟った。」と彼女に脚本を書いてくれと言うのだった。映画製作で苦労した仲間たちに勧められて、製作した映画を見る。映画のシーン・シーンがバクリーとの想い出を誘った。涙を流しながら、再び映画を撮ろうと決意するのだった。

*映画の冒頭で戦中の戦意高揚映画、俗悪なプロパガンダ映画から始まり、映画に素人の女性の登場で、どれだけ心を打つ映画が作られるだろうかと見ていたら、だんだんそれらしく引きこまれていった。ドタバタ感があるが、映画製作の舞台裏が面白く展開していった。監督のロネ・シェルフィグが女性監督、映画は女性の視点が貫かれている。カトリンの登場も戦争によって男性が戦地に取られ、後を継いだ女性も空襲で死に、彼女はその穴埋めで採用という登場なのだ。この映画の縦糸は一人の女性の自立・成長物語なのだ。

(撮影現場)
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*監督―ロネ・シェルフィグ(デンマーク出身の女性監督。1959年~
           「幸せになるためのイタリア語講座」2000年ベルリン映画祭銀熊賞、
           「17歳の肖像」2009年 サンダス映画祭観客賞




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  1. 2017/11/15(水) 14:10:24|
  2. 『2017年映画』
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