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『美術/音楽/舞台/録画』「父を捜してー日系オランダ人ー終わらない戦争「2」」 11/7

『美術/音楽/舞台/録画』「父を捜してー日系オランダ人=終わらない戦争「2」11/7
         (BSスペシャル10/8(日)再映11/4(土) 語り大竹しのぶ
                  ディレクター撮影・編集=金本麻里子(椿プロ) 

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*録画は長いので2部に分けた。二つの物語は直接関係がない。だが、広い意味で戦争の悲劇である。アジアへの侵略戦争の結果起こった、日系オランダ人の戦後史である。太平洋戦争のインドネシアでは泰緬鉄道問題が日本軍による過酷な捕虜虐待として、負の歴史として刻み込まれた。日系オランダ人の戦後史にも暗く重くのしかかる。
(主人公ナニー)
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第2部「ナニーとマリアンヌ母娘の場合」
 太平洋戦争中、オランダの植民地インドネシアで日本軍と戦ったオランダ。戦後インドネシアから多くの日系オランダ人が引き揚げてきた。インドネシアに駐留した日本軍の兵士や軍属と蘭系オランダ人女性との間に生まれたこどもたちである。彼らは日本人であることを子どもたちに黙っていた。オランダでは戦後日本に対して反日感情があったからだという。又、日本人の父親を見つけても家族との間に深い亀裂を生むことがあった。泰緬鉄道の捕虜虐待が深くかかわりあった。

父親が日本人だと分かったことで、家族が引き裂かれ苦境に立たされた女性がいる。本件の主人公ナニー・ゲレッセン72歳である。
(若い頃のナニー)
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① <ナニー>
心が動揺している時は、庭は安らぎを与えてくれる。日本人の子と知り多くの疑問が湧いて様々なことが明らかになった。ナニーは3人の子に恵まれ幸福な家庭を築いていた。42歳の時、長男のデイヴが学校の課題で家族の歴史を調べた時、親戚に問い合わせをして祖父が日本人だということが分かった。「祖母ヨハンナが日本軍の抑留所で看護師として働いていた。そこで日本人警察官の祖父と出会い、ナニーと弟のエリックを生んだ。ナニーは戦後結婚したアルベルトが父だと教えられてきた。ナニーは5人兄妹の長女だった。アルベルトが実の父親でないことを知り、なぜ自分が妹たちと差別されていたのかを知った。家に帰るのが遅くなるといつも鞭で打たれスワットもさせられた。他の兄妹たちは罰を受けたことがない。継父はナニーと弟のエリックだけを憎んでいた。

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<弟のエリック>
(エリック・ディルフィン71歳)庭の木に縛られ僕が悪いんだと思って体罰を受け入れてきた。(彼は話している途中で息が詰まった)脇で姉のナニーが「炎天下で木に括りつけられて立たされたのよね」と助ける。弟「母は継母を失うことを恐れていたのでしょう」
ナニーとエリックは父のことを問いただそうと母ヨハネスを訪れた。「私たちのお父さんは誰なの?」母「インドネシア人よ」弟「違うだろう、そんなはずがない」「何言っているの、日本人なんて嘘よ」母は否定する。叔父に聞くと、日本人の父親の子のことは知っていた。ナニーにつけた日本名を「ナミコ」だという。彼女は常に父親の愛を求めていたから、この名前を聞いて温かい気持ちになった。父の名が分かったので父捜しをしょうと決意をした。父親捜しを弟エリックが支えた。

➁ 父親捜しー日本へ
「父へ。貴方を捜しています。貴方は誰か?どんな人なのか?知りたいからです。ただ、自分たちのルーツを知りたいのです。オランダには日本の父を捜している多くの子どもたちがいます。お返事が届くのを心待ちにしています。オランダより愛をこめて」
(日本の父への墓参)
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<そんなナニーに日本を訪れる機会がやって来る。1990年に始まった「日蘭平和交流事業」である。(日本政府が、戦争中過酷な体験をしたオランダ人を招いて心の和解をしたいというものだった。)2002年11月ナニー57歳の時、日本を訪れた空港で父親の名前が判明したこと、2年前に亡くなっていたことを知らされる。もっと早く父捜しをしていたら父に会えたのにと悔やむ。日本の息子さんに父のお墓に参りたいと頼むと「姉たちが嫌がるかも知れないが、あなたには権利があるからね、」と念願の墓参を叶えてくれた。父は生前に2回インドネシアを訪れた。そのたびに「俺には果たすべき使命がある」と言っていた。息子さんは「その使命がわかりました」といった。
(少女ナニー)
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3 <ナニーの告白>
私は何時も本当の父を求めていた。日本の父を捜しあてた今、心の底に封印してきた忌まわしい体験が蘇ってくる。それは10代の頃の耐え難い体験だった。10代の時誰かに別室に連れていかれ、目を覚ました時、私の上にのしかかっていたのは継父だった。繰り返し性的虐待がされた。ナニー15歳の時だった。吐き気がして具合が悪くなった。妊娠した。すべての秘密が明らかになった時にナニーはエリックと共に母ヨハンナに疑問をぶつけた。母「なぜすべて継父の思うままにしていたの?」「私はもうたくさん。もう二度と会わない」母とは絶縁した。アルベルトの子である妹や弟たちは激しく反発。「なぜお母さんを見限ったか」「ナニーも結局父を受け入れたのだから悪い。」「何を言っているんだ。まだ14.5歳の子どもだったんだよ」それ以来、弟妹たちとの縁が切れた。
(引き揚げてきて住んだ家)
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④ 鬱病との闘い
それからのナニーは鬱病に悩まされた。夫のピートは看護のために仕事を減らした。ある時、ナニーが寝ている子どもの上に包丁を持っていた。「何するんだ!」というと彼女はびっくりした。その時は子どもたちを起して家中の刃物を処分した。又、彼女が夜、下着のまま裸足で川へ行った。その度に彼は走って追いかけた。それが一週間毎晩続いたことがある。夫ピートは「僕はポジティブに捉える方です。」「結婚して愛しています。冗談を言って大笑いさせたり、そうやって乗り越えてきました」ナニーは自分の子どもを傷つけたいという衝動に駆られる。そういう時、すぐ火を止めて家を出た。夫や子どものために必死で治療を受けようと決意する。ナチスに迫害されたユダヤ人の治療に当たっていた医療施設に通った。医師が「あなたの心にはまだ封印された深い問題がある。過去と向き合うことで問題が整理できる。とてもつらくて何度も泣くかも知れないが、苦しみは薄らぎます。自分の心に置き場所を与えることが大切です。」ナニーは「あえてつらい記憶の残る場所を訪れ、心の傷を克服するという治療」(実戦的な方法)を繰り返した。これは想像を絶する治療だ。ナニーたちがインドネシアから引き揚げてきた時、一家が暮らしたドールウェル村。
(忌まわしい階段)
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「この家だ。あの二階だ。」オランダ政府が引揚者のために用意したアパート。二階の階段から妊娠した時、継父は流産させようとして、突き落とした。ここに来る度に痛みは感じるけれど、最初より痛みが減って泣くことも少なくなった。心理療法は厳しかったけれど夫や子どもたちの為にがんばった。
 *鬱病の何たるかを知らなかった。我が子への自損行為はどうして出て来るのか?
 
(ナニーの娘マリアン)
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⑤ ナニーの娘=マリアン・ウィルヘルム(57歳)1960年生まれ
1960年3月、ナニーは学校を退学して出産。女の子だった。すぐに養子に出された。「今、15歳の時に産んだ娘に会いたい!過去と向き合いたい」との思いが強くなった。娘を生んだ時は顔も見たくなかったが、長い時間と共に「なぜそのままにしていたのか」という自責の念が生まれていた。ナニーの長男デイヴは母の経歴を暴いたことに責任を感じ、母の力になりたいと思っていた。(僕が日本人の祖父を発見したことで、親戚がバラバラになってしまい大きな自責の念にかられた)デイヴは支援団体を通じてナニーの娘を見つけた。マリアンはオランダ人夫婦の養女になっていた。顔形から実の親子ではないことが分かっていたが、幸福な少女時代を過ごしひとりの自立した女性として成長した。幸せな生活を送っていたマリアンの元に突然見知らぬ男から(デイヴ)の素敵な手紙、

 僕はあなたを知りません。あなたは僕を知りません。でも、お互いに聞くべきこと、話すべきことがたくさんあります。だから、ぜひ連絡をとりたいのです。
 
ナニーは「会ってどうなるか、全く予想がつかなかった。マリアンが私のことをどう思うか。私が自分の親に対して抱いたように、マリアンも私に怒りを感じているのではないかと恐れていた。マリアンはデイヴに連れられ母ナニーの元にやってきた。マリアン=心臓の鼓動が喉まで伝わってきた。どうしょう、本当に母に会うのだ。椅子に座っている彼女が見えてきた。握手したことを覚えています。こんな感じで距離をおいて「マリアン・ウィルヘルムです」と。母ナニー=マリアンが窓から見えてきた。なんて継父に似ていることか、部屋に入ってきた時は、間違いなく私の子だと確信した。お互い何を言えばいいのかわからなかった。彼女が「どういうことか教えて下さい」と言った。私は彼女には真実を知る権利があると思った。だからすべてを話しました。マリアン=その時、恐ろしい話を聞かされ、私は理解することが出来ませんでした。受け入れまいと遮断しました。私には関係がないこと、私には家族がいる。出会ったばかりのこの人達とは関係のないこと、、、出生の秘密に衝撃を受けた彼女はナニーとの接触を避けるようになった。

(オランダ人養父母兄)
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15年前、マリアンの養父が亡くなる直前に「ナニーとの絆を手放してはいけない」とマリアンを説得する。それ以来、マリアンはデイヴ姉弟と交流を続けてきた。マリアンは27歳の時結婚し、一人息子を儲けるがほどなく離婚、眼鏡店を経営しながら女手一つで子を育ててきた。今、彼女は二人目の孫の誕生を待っている。彼女は自身の出生・父のことを考えるようになった。
「私は近親相姦によって生まれた。強姦によって生まれた。しかし、その男性を知らないので憎むことが出来ない。会ったことがない人を憎むことは不可能だ。一方で時々彼を憐れに思うこともある。その行動はどこから来たのか?理由があるはずだ。かばうように聞こえるかもしれないが、きっと原因があるはずです。」
*父アルベルトの行動の底に何があったか?マリアンの意識は「自己肯定」への必死な行為だ。このままでは自己がダメになる。父を肯定し、それに繋がる自己を肯定したい。
(テーゼ・アンチテーゼ・そのまたアンチテーゼと論理同士の決闘の素晴らしさよ)

弟のデイヴを訪ねる。彼はアルベルトの孫として過ごした時がある。デイヴは家族がバラバラになる前の集合写真を見せて、この時はみんな屈託なく笑っていた。子どもの頃は普通のお祖母ちゃんお祖父ちゃんと思っていた、と。マリアンは言う。「私は目で人間の良し悪しが分かるの。彼にも良いところがあるはずだ。」
デイヴ「なぜ彼が若かった母にあんな暴行を加えたか、どんな理由であれ少女の性的虐待は正当化できない。
マリアン「あなたは彼に良いところなどないと思っているのね。」
デイヴ「そうだ。」
マリアン「私はどうしても、他の解釈を求めずにはいられない。私はこのことに関して家族の感情を理解しているが、(泣き声になっている)でも心置きなく扉を閉じたいの。」
デイヴ「これは君の「父親捜し」だね。
マリアン「彼は生まれつきの悪人だったのかしら?」
デイヴ「とにかく、心から日本を毛嫌いしていた。日本に関することはすべて悪だった。戦争中、泰緬鉄道で働いたと聞いたことがある。
アルベルト、オランダ軍歩兵兵長。マリアンは戦争中の彼の行動を追う。<オランダ国防省蘭印軍ブロンベーク博物館>で泰緬鉄道慰霊財団会長と会う。日本軍が作成した捕虜の記録を読み解く。アルベルトは29歳の時タイに送られる。到着までの日数、少人数での移動だったことから、彼は移動困難なほどの重い病気だったことが分かる。鉄道の土台を造る過酷な作業をしていた。しかも、叩かれたり殴られたり一日が終わると足の裏が裂けているような毎日だった。アルベルトが送られた先はタイとビルマ(ミャンマー)を結ぶ泰緬鉄道建設現場だった。過酷さで有名なヒントクという地点。捕虜が巨大な岩石を手作業で砕くという過酷極まりない虐待!インパール作戦に物資を送るために日本軍は突貫工事をさせていた。重労働以外に雨季のためマラリヤ・コレラが蔓延し、死者が続出した。
*「泰緬鉄道の捕虜虐待」に行き着いた。父の行為の根底に日本軍による捕虜虐待事件があった!

(泰緬鉄道の捕虜)
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泰緬鉄道の数少ない生存者の話しを聞いた。元捕虜のフェーリックス・バッカー(91歳)「良い日本人は死んだ日本人だけが我々のスローガン」。捕虜たちの合言葉「とにかく生き延びろ!」「憎しみが総てに打ち勝つ」「憎しみで生き延びることが出来る。」憎しみはくすぶる火の上のようにいつか火事をおこす。
*泰緬鉄道の蘭軍の捕虜は「憎しみで生き延びた」何たることか!日本軍の捕虜虐待が凄まじかったのだ。

元捕虜の多くが精神的ストレスを抱えていることが明らかになる。戦争年金申請中の元インドネシアの捕虜の55・8%がPTSD(心的外傷後ストレス障害)に罹っている。元捕虜の二人に一人が罹っている。蘭印系の引き揚げ者は同じ引き揚げ者同士で結婚するケースが多く、日本人の子どもを生んだ女性もいた。

* PTSD(心的外傷後ストレス障害)
命の安全が脅かされるような出来事(戦争・天災・事故・犯罪・虐待)によって強い精神的衝撃を受けることが原因で、著しい苦痛や生活機能の障害をもたらしているストレス障害である。次のような症状がある。
・精神的不安定による不安・不眠などの過覚醒症状。
・トラウマの原因になった障害、関連する事物に対しての回避傾向。
・事故・事件・犯罪の目撃体験の一部や、全体に関わる追体験(フラッシュバック)

しかし、アルベルトはなぜ日本の少女に性的虐待を加えたか?トラウマ研究の第一人者ヘンリック・ウェプスター医師の話し。(捕虜や日系人の治療に当たっている)「9歳の女の子は継父に頭を配管に打ち付けられた。継父はその子の目を見て”日本人の目だ“と言った。目の中に何かを見て引き金になることがよくある。「無意識に過去を再現しているのだ。」(屈辱を受けた強烈な記憶が浮かび上がる。)
*アルベルトのナニーに向かう時は過去の過酷な幻想に突き動かされたものか?
本年行われたSOO(日系オランダ人支援団体)の調査によれば、日系オランダ人の継父による(身体的な暴力・言葉による苦痛・性的虐待)が行われたのが44%- こうした暴力による連鎖が続いていることに目が向けられていなかった。戦争のトラウマは次世代に継承されていく可能性が高い。戦争体験者の多くの子どもが苦しんでいる。アルベルトは精神的な治療を受けることがなかった。2000年7月85歳の人生を終えた。墓石に「ようやく安らかに」

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(母と娘)
マリアンは「真実を知り、心置き無く扉を閉じたい」と思った。ナニーの元を訪れた。
マリアン=何年も過去と向き合って来なかったけれど。
ナニー =逃げていたのね。
マリアン=そう、逃げていた。あなたに(ナニーに)どうして性的な虐待をしたのか。問題は何だったのか、知りたいと思った。戦争のトラウマか、幼少期のトラウマなのか、根底に何かあるはずだと思う。私たちが日本人の子だからあんなことがあったのだと思う。父のしたことは絶対に認められないけれど、彼の体験を聞いて、彼のせいだけでない戦争の影響もあったと思うの。彼はインドネシアで過酷な体験をした。
母・ナニー=あなたを生んで家に戻された時、継父が又、私を同じことをしょうとした、、、忘れられるものではない。だけど、私も日本人の父を捜した経験があるからあなたの気持ちがわかるの。あんな行為をした男性を捜しているのではない。”父親“というものを捜している。戦争をした兵士を捜しているのではない。”自分の父さんを捜しているとね“
*「あんな行為をした男を捜しているのではない。自分の父さんを捜している」これは素晴らしい言葉だ!
マリアン=思春期には“お母さんは誰かを調べていたわ。
(従弟たち)
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ナニー =あなたが義父母に温かく迎えられたのが何よりうれしいの。立派に育てて貰えていつも感謝している。あなたの義父が亡くなる時のことを覚えている?あなたの面倒をよく見てくれたことに、お義父さんにお礼を言ったの。あなたのことが心配だった。お義父さんが悪くなった時、ずっと傍にいてくれたわね。臨終の時、「娘さんを返す。マリアンにはあなたが必要だ。」その時からあなたは私の娘になったと思った。継父に犯されてあなたの存在があるのだけれど、あなたを憎むことが出来なかった。不思議ね。あなたは悪くないし、
マリアン=あなたも悪くないし、その過去がなければ私はここにいなかった。あなたが私との関係を築いてくれたことを感謝したいの。私たちは経験したことで本当に強くなった。
私にとってこの間の時間は感情のジェットコースターに乗っているようなものでした。沢山のことを聞き、知りました。実の父もナニーのこともよく理解できました。それは先へ進むための挑戦でもありました。皆のゆかりの地を訪ねるつもりです。
(マリアンの4代)
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6月、マリアンの孫が生まれたという知らせが届いた。孫ロイスを抱くマリアン。日本の遺伝子の4代目だよ。私たちは続いているのね。日本からインドネシア、そしてオランダへ、そして今。マリアンは息子にも知ったことを語った。

森を歩くニナー。日本人の子と生まれ、苦難の戦後を生きてきたナニー。いつも彼女を癒すのは森だった。様々な怒りや思いを森に置いてくるの。
私の父が日本人であることで人生はとても困難なものになった。過去を直視して向き合わなければならない。容易ではなかったけれど、私は打ち勝てたと思う。日本のお父さんは強い精神力の持ち主だったと叔父(父の弟)から聞いた。だから、父に感謝している。お父さんの精神力を受け継いだお陰で辛かった過去を生きて来られた。子どもたちの世代に憎しみの連鎖を断ち切った。戦争の憎しみを次の世代に残さない。

*ここに登場するオランダ人の論理的で妥協しない生き方 敬意を表する。日本人は最後に情感へ持っていってしまう。
*憎しみの連鎖を断ち切る。自分たちの課題を次の世代に残さない。うーんと唸ってしまった。日本と朝鮮、日本と中国との、歴史認識問題も両者の間にここで見たような論理のダイナミズムがない。今のようなぐちゃぐちゃした空気が漂っている所からは何も生まれない。
(全員揃う)
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語り 大竹 しのぶ
撮影・編集 金本真理子(椿プロ)
 (懸命に、ただ 懸命に、誰かの心に届くものを 自らの心も動かすものを)

*有益な物語と映像をありがとう。




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  1. 2017/11/07(火) 20:34:09|
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