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『2017年映画』「残像」(アンジェイ・ワイダ監督遺作・2016年)その 1 6/24

『2017年映画』「残像」(アンジェイ・ワイダ監督遺作2016年)その1  6/24
              監督アンジェイ・ワイダ撮影パヴェウ・エデルマン
              出演ボグスワフ・リンダ。ゾフィア・ヴィフワチ。
                 クシシュトフ・ピェチンスキ。ブロニスワヴァ・ザマホフスカ

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*2016年10月9日に急逝したアンジェイ・ワイダ監督の最後の作品。遺作となった。
ポーランドの画家ヴワディスワフ・ストゥシェミンスキ(1893-1952)の晩年の4年間―圧政からの芸術家の抵抗を描いた。

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映画の主人公ストゥシェミンスキはパートナーの彫刻家カタジナ・コブロ(1898-1950)(映画では彼女は登場しない)共に、ロシアの前衛芸術の影響の下、1930年代から50年代にかけて、ポーランド前衛美術の基礎を築いた、と芸術史に書かれているが私には全貌は把握できない。

ロシア(ソ連)やポーランドの前衛芸術は、革命政府の<社会主義リアリズム>によって弾圧・抹殺されたことは承前の事実である。リアリズムによる社会主義のプロパガンダ以外の芸術を一切認めないというスターリン主義の圧政は、今回映画を見ていて治安維持法下のわが国の軍国主義と同じ何だと思った。繰り返すが、時の政治の宣伝以外には敵性芸術と見なされて激しい弾圧をするのだ。

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*映画の冒頭、なだらかな草原でウッチ造形大学の学生たちが写生をしている。教授のストゥシェミンスキは笑いながら横になって地面に直に傾斜を転げ落ちると、学生たちも一斉にゴロゴロと回転してくる。牧歌的な若々しい雰囲気の風景。教授を始め皆笑っている。しかし、その後は笑いが消えた。

教授は「残像はものを見た時に目の中に残る色なのだ。人は認識したものしか見ていない」と説いている。アパートの自宅のアトリエで片脚のない教授が絵を描いていると、キャンバスが一瞬の内に真っ赤に染まる。スターリンの肖像が描かれた巨大な真っ赤な垂れが、窓という窓を覆いつくしてしまったのだ。激怒した教授は松葉杖で垂れ幕を切り裂いてしまう。当局によって教授は拘束されてしまう。

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戦後、ポーランドはソ連圏に組み込まれ、1948年にスターリン主義の一党独裁体制が確立された。社会主義リアリズムでない芸術はことごとく弾圧、ストゥシェミンスキの前衛絵画も例外ではなかった。映画は教授が弾圧によって追い詰められてゆく様子を描いている。大学の職を追われ、美術館やギャラリーに飾られた作品は廃棄される。食うために匿名で看板描きまで、当局によって弾圧されてしまう。毎日の食にも困ってゆく。
しかし、ワイダ監督は主人公を高潔でヒロイックな芸術家の受難として描いていない。彫刻家妻カタジナ・コブロとは別れ、彼女が病死しても葬儀には呼ばれない。

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行き場を失った一人娘ニカ(ブロニスワヴァ・ザマホフスカ)を引き取るものの、

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愛人の女子学生ハンナ(ゾフィア・ヴィフワチ)がアトリエに頻繁にやって来るので、耐えられず女子寮に戻ってしまう。泣き泣き父の元を去ってゆくニカの姿は悲痛である。
困窮の果てに、病魔に侵された彼は、ショーウィンドーの中の裸体のマネキンを抱え込む様にして壮絶な死を遂げる。このラストシーンに何かを叫び続けているような思いを感じる。

この死のシーンは、ワイダ監督の出発点の作品「灰とダイヤモンド」の、ごみ溜めの中で悶え苦しみながら死んでいった主人公マチェックと重なる。映画全体が最も才能ある芸術家が独裁政権のために弾圧されるが、一人の威厳ある生き方をした証を描いている。見ていて、ワイダ監督は自分のことを描いているのだと感じた。



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  1. 2017/06/24(土) 14:23:19|
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