私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『2017年映画』「ノスタルジア1983年」(アンドレイ・タルコフスキー)5/19

『2017年映画』「ノスタルジア1983年」 5/19

先日の「サクリファイス」に続いて渋谷の「UPLINK]にての鑑賞。感動しました!

①DSC_0453

監督アンドレイ・タルコフスキー。1983年イタリアで製作、カンヌ映画祭大賞。
出演、アンドレイ・ゴルチャコフ(オレーグ・ヤンコフスキー)ドメニコ(エルランド・
 ヨセフソン)エウジェニア(ドミツィアナ・ジョルダーノ)ゴルチャコフの妻(パトリツィア・テレーノ) 撮影ジュゼッペ・ランチ
関連:音楽、ヴェルディの「レクイム」、ベートーヴェン第九交響曲、ロシア民謡 
  :絵画、ピエロ・デッラ・フランチェスカ「出産の聖母」
  :教会、シエナ郊外「サン・ガルガーノ修道院跡」。トスカーナのサン・ピエトロ教会
  :湯治場 シエナ郊外「バーニョ・ヴィニョーニ村」

DSC_0478.jpg

うら悲しいロシア民謡、さらにヴェルディの「レクイエム」が流れて、美しい緑色の風景。森と沼。朝霧が煙る中、なだらかな丘を女たちと子どもが犬と一緒に降りてくる。映画の冒頭のロシア田舎のシーンはこの映画の原点であり、監督タルコフスキーの原イメージでもある。
「ノスタルジア」とはロシア人が海外を旅行すると、必ずや襲いかかる母国ロシアへの郷愁ともいうべき独特な感情を指す、という。

朝霧がかかる緑の草原を一台の自動車が行く。イタリアはトスカーナの田園地帯の濃白色の霧に覆われた風景。髪が長く背の高い美しい女が下車する。ロシア語で「素晴らしい風景よ」と言うと、男が「イタリア語で話せ」と。「光の具合がモスクワの公園と似ているわ」、だが男は「美しい光景はもう飽きた」とロシア語でつぶやく。
男はアンドレイ・ゴルチャコフ(オレーグ・ヤンコフスキー)。18世紀ロシアの音楽家サスノフスキー(イタリアを放浪し、ロシアへの郷愁に駆られ、帰国すれば皇帝(ツアー)によって農奴の身に戻されるのを覚悟の上でロシアに帰り自殺したという)を調べてイタリアを旅して二年になる。旅に疲れた様子。

DSC_0472.jpg

女はイタリア人の通訳エウジェニア(ドミツィアナ・ジョルダーノ)。

①DSC_0422

*映画ではこの教会のピエロ・デッラ・フランチェスカの「出産の聖母」に、近在の女性信者たちが深い信仰を持って祈りを捧げている。エウジェニアが教会に入って行くと「出産の聖母」の絵、横にシエナの聖人「聖カタリーナ」が、蝋燭を灯した女性たちに祝意を与えていた。「出産の聖母」の腹部にナイフを入れると小鳥が飛び立ち、後から後からと飛び立つ、息を呑むシーンが続く。多産のシンボルか?お産の聖母として女性たちの信仰を集めた。

(*昔、フランチェスカの絵画を巡る旅の時、モンテルキの「出産の聖母」を見にいった。素朴な村のお堂に等身大のピエロの絵は飾られて、村の若者が管理していた。村人たちが聖母像を守ってきた歴史が感じられ、近在の村の女たちの熱い信仰で支えられていることがよくわかった。尚、所有権を巡って教会と村と文化財省が争っていたが、その後どうなったか?)

DSC_0451_20170519235151b91.jpg

(*イタリア在住の美術家に、タルコフスキーの撮影現場だとして連れて行ってもらったところが映画の「サン・ピエトロ寺院」であった。本当の名前は違っていたと記憶する。古い素朴な教会で撮影現場は教会の地下で蝋燭が一杯に灯されたシーンを思い出す。が、ここに「出産の聖母」もってきたのか!)

映画の主人公アンドレイ・ゴルチャコフはイタリアの旅も二年になり、しかも心臓病が悪化しているようであり、ノスタルジアに駆られてか時々夢や幻想にふける。アンドレイの心情はいかなるものか?彼が見た夢や幻想から分析するしかないが、、、

田舎DSC_0457

アンドレイDSC_0455

夢に度々現れる妻とイタリア人のエウジェニアがハグをする、トスカーナの寺院で見た聖母像が出てきて、三者互いに抱きしめ合う。その場所は映画冒頭のロシアの懐かしき田舎の風景なのだ。つまり、アンドレイが幼少期を送った場所と思われるのだ。彼が帰りたいところはどこか?決して現実のソ連ではなく、幼少期のあの夢幻の田舎なのだ、、、結局帰るところは今の彼にとって何処にもない、、、既に失われた世界なのだと。

主人公は湯治場として知られる、シエナの南東小さな村バーニョ・ヴィニョーニにいる。
詩人ドメニコ(ベルイマン映画の名優エルランド・ヨセフソン)がシェパード犬を連れて散歩している。シエナの聖人カテリーナと話したとか、世界の終末を思い、家族を七年間も家に閉じ込めて精神病院に監禁されていたとか、狂信者と噂される。彼が街中に出て来るのは珍しい。

ドメニコが住んでいる廃屋をアンドレイは訪ねる。天井からの水が床や瓶に滴っており、廃壁には1+1=1´が記されており、ベートーヴェンの第9をかけながら、1+1=2ではなくより大きな1になると説くドメニコ。「村の広場にある温泉で蝋燭を灯して端から端まで渡りきれれば世界は救済される」とドメニコは説く。心臓病を患って死の影が漂うアンドレイはドメニコの話しに共感し、世界救済の苦行を託される。アンドレイにとっての1+1=大きな1は何か?その筋道を掴めた。より大きな1に辿りつくにはどうすればよいか?

ドミニコDSC_0432

ローマの階段状の広場で大衆に向かって三日間にわたって演説する詩人ドメニコ。ドメニコはカンピドリオ広場のマルクス・アウレリウス像に上り人々が固唾を飲んで見守る中で演説を続けた。「我々の心は影に囚われている、、、願いを持続しなければ、、、」「私たちの耳と目に大いなる夢の始まりを満たすのだ」人々は無感心。そしてドメニコは狂乱の中で頭からガソリンをかぶり、大音量で第九シンフォニーを流し焼身自殺を図るのだった。第九の合唱は「すべての人は兄弟となり、、、」のところで彼の死ともに途切れた。
ドミニコは大音響の音楽と火を自らに灯すことで、人々に世界の救済を訴えたのだ!

消さないDSC_0433

ヴィニョーニ温泉ではアンドレイが蝋燭を手にして温泉を渡ろうとしていた。しかし、炎は消えてしまいなかなか進むことが出来ない。何度目かにやっと炎を絶やすことなく渡りきったアンドレイは体調が急変して急死してしまう。彼は死に際に世界が覚醒したような感じを受け――あの懐かしいロシアの田舎の風景の中にいた。

DSC_0415.jpg

彼が見た死後の世界は、、、カメラがゆっくりと引いてゆくと、彼の背後を田舎のロシアの小さな家と家族の姿、さらにカメラは引いて、荒廃したイタリアの寺院の中に彼らの世界が包まれていることがわかって行く。アンドレイの原点ともいうべきロシアの田舎の風景、それを取り巻く彼が旅したイタリアの廃墟の教会、二重性のー夢の融合のなかにいた。

①DSC_0440

いつしか、雨が降り始め、雪に変わり、世界を洗っているかのようだ。

* 私は最後の映像に、感動で体が震え、あとからあとから止めどもなく流れてくるのを止めようもなかった。と同時に何故か幸福感みたいなものを感じた。

「ノスタルジア」の詩人ドメニコといい、「サクリファイス」の主人公に共通している世界救済論は、宇宙論的に「みんなに代わって贖罪する」という観念。ドストエフスキーなど19世紀の文学にはその課題があった。タルコフスキーの重要な主題でもあった。

*タルコフスキーの映画を考えた時、言葉では言い尽くせない事柄の表現として、音楽・映像がある。「マタイ受難曲」など先程のテーマには最適な音楽ではないか。また、「水」のイメージは何を意味するのだろうか?詩人ドメニコの廃屋は水が重要だ。水と共にあるといえそうだ。また、「火」のイメージもいえるのだが。





スポンサーサイト
  1. 2017/05/19(金) 23:47:03|
  2. 『2017年映画』
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<『2017年映画』「鏡 」(監督アンドレイ・タルコフスキー1975年公開) 5/25 | ホーム | タイトルなし>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://sinema652.blog.fc2.com/tb.php/441-b591b0d6
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)