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『日記』「欧州難民の危機ー欧州はどこへゆくか?」 4/21

『日記』「欧州難民の危機―欧州はどこへゆくか?」4/21

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① ヨーロッパ映画に見る移民・難民危機
ダルデンヌ兄弟の「午後8時の訪問者」を取り上げ、改めて欧州にとって「難民問題」が重くのしかかっていることを感じた。英国のEU離脱の国民投票や、移民排斥の自国第1主義のトランプ米大統領の出現などで、ポピュリズム旋風によって欧州の民主主義が揺らいでいる。2017年度は3月オランダ総選挙、4月フランス大統領、秋ドイツ連邦議会と2017年度は選挙年だ。極右の自国主義の台頭で難民排斥の声が欧州を席巻した。オランダは極右も勝てなかったが、中道も勝てなかった。むしろ中道左派が減少している。フランス大統領選は中道と極右が拮抗、それに急進左派が急速に追い上げているという。先が読めない。
「欧州難民危機」といわれた問題点をおさらいしておきたい。今後も難民問題は全世界にのしかかる重いテーマなのだ。問題はそれまでの「移民」と「難民」とは様相が違うということ。ドイツは旧ユーゴやトルコから自国の労働力として「移民」を受け入れてきた。映画でも暫(しば)しテーマになっていた。15年以降の「難民」は単なる「移民」ではない。量的にも質的にも異なるのである。

② 欧州難民危機―(UNHCR難民高等弁務官事務所による)
2015年、中東やアフリカ諸国から多くの難民が欧州に押しかけ、難民高等弁務官事務所は15年末に欧州に到達した難民は100万人を越えるだろうと発表した。主な出身地は、中東(シリア・イラク)南アジア(アフガニスタン・パキスタン)アフリカ(エリトリア・ナイジェリア・ソマリア・スーダン)バルカン半島西部(コソボ・アルバニア)であった。
「欧州難民危機」と言われたのは2015年4月、2000人の移民を乗せた5隻の船が地中海に沈み1200人の犠牲を出した頃からである。
その結果、う余曲折があったがEUが予算を3倍に増やして、地中海沿岸の難民対策に当たることになる。(アムネスティーなどの批判があったが)難民は独裁政治から国を追われること、戦場と化して国から命を守るために逃げてくること。しかも半端でない数なのだ。

③ 欧州の難民・移民に関する協定の歴史
#<シェンゲン協定> EUでは加盟国域内を自由に往来できる協定を作ってそれを保障してきた。<シェンゲン協定>という。
1985年6月、ベルギー・オランダ・ルクセンブルク・フランス・西ドイツの間で「国境検査」を撤廃する協定が結ばれ、2008年までにヨーロッパ25ヵ国に広がった。「ヒトの出入れの管理を共通化し、域内の自由な移動を保障するもの」。自由移動の対象には日本人も含む外国人の短期滞在者も含まれる。シェンゲン協定と言われている。欧州の「ヒトの交流」に関する協約になっていた。

④ <シェンゲン協定>の危機=EU の危機?
ところが、シェンゲン協定が崩壊の危機にさらされる。シリア難民の大量な流入である。シリア難民は2015年末までに460万人、その内90万人が欧州を目指した。当初EU各国は難民を受け入れた。徐々に受け入れを消極的に転換。それは、以下の要因による。
*難民の数がこれまでと違って異常に多いこと。
*欧州の各国は自国の経済が停滞しており、自国民の社会保障の削減に迫られていたこと。
*外国人排斥を叫ぶ極右政党が伸びてきたこと。
*難民による犯罪が目立ち始めたこと。
*2015年11月パリ連続テロ事件にシリア難民が含まれていたように、難民に紛れて過激派組織「イスラム国(IS)」のメンバーが流入する警戒が強まったこと。

*シェンゲン協定では、難民が「最初に到着した国が「難民認定」に責任を負う」ことになっている。地中海に面するギリシャやイタリアの負担が大きくなった。そこでEUでは加盟国に経済規模に応じた難民負担を提案したが、反対する国が続出した。特に2000年代に加入した中・東欧では反対が顕著だ。特に与党が移民反対のハンガリーでは国境を封鎖した。
ヒトの移動への制限が欧州各国に広がっているが、ヒトの移動自由の制限はEUの理念に反すことであり、求心力の低下につながってゆく。EU創設の意味が問われている。今回いろいろと考えてみたが、難民の問題は難しい。14年20万人、15年50万人弱、16年50万人弱と百万人を越えたドイツでも今難しくなっている。ヨーロッパ各国の選挙がどうなるかが鍵でもある。しかし、我々が「難民」を考える時に参考とすべき見本としてドイツの「難民政策」を忘れてはならないと思う。以下概略を載せる。

*ドイツにみる「難民政策」の可能性
反ナチス・反ファシズムで出発した戦後ドイツは、今までに旧ユーゴスラヴィアやトルコからの移民・難民を受け入れた経験を持っている。難民に対するメッセージが欧州の他の国より抜きん出て優れていることがわかる。

① 憲法に「政治的迫害を受けた難民を保護する規定を設けている」こと。戦後ドイツは、戦争中に労働力として連行され故国に帰らなかった元捕虜や元強制労働者などの戦争難民、海外のドイツ系植民の子孫など約1650万人を受け入れたこと。
② 難民受け入れは「恩恵」ではなく「投資」。
難民にドイツ語を習得させ、職業訓練の技能を受けさせる、教育を受けさせるなどはドイツの将来の労働力として有効である。日本と同じように少子高齢化・人口減少に悩むドイツにとっては、未来の「投資」と捉える。
③ 市民の強い「意思」と「包容力」がある。
ドイツ政治社会は「保守」と「リベラル」との「せめぎ合い」だった。その「せめぎ合い」の中で「移民労働者」をどう受け入れるかを練ってきた。社会の中で練れている。
④ ボランティア活動
ドイツはかつて徴兵制だったが、徴兵拒否者はボランティア活動で代替えする制度があった。そのボランティア活動の伝統が「難民受け入れ」を支えた。
⑤ 80年代~90年代の大量難民流入時代に、共に学び地域で交流のあった世代がドイツ社会を支える中核になっている。難民の人との共有体験の多いことが「受け入れの」核となっている。



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  1. 2017/04/21(金) 13:50:21|
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