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『2017年映画』「沈黙ーそのⅡ、殉教と転び 」  2/25

『2017年映画』「沈黙―そのⅡ、殉教と転び」      2/25

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本年2月2日に遠藤周作原作M・スコセッシ監督『沈黙』のブログを書き終えたが、心がしっくりしなかった。主人公ロドリゴ(A・ガーフィールド)の苦悩と転びを本当に捉えていないのではないか、という悔しさみたいなものが付きまとった。ロドリゴの心中の劇的ドラマを捉えて表現する言語を自分は発見していないのではないかと、ブログの訪問者山村さんにため息をもらした。

「転び」は悪いことだという観念が邪魔した。戦中の「転向」のイメージが去来した。小林多喜二の虐殺と中野重治の転向が頭の中で交差して決断できなかった。「転び」しか生きる方法がない極限の情況で、人間は何が出来ようか?
殉教を美化し転びを否定するのは、いずれも時の教会権力や政治権力だが、文学作品・映画演劇の芸術虚構世界ではもっと自由であっていい。
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『沈黙』は島原の乱が鎮圧されて間もない、キリシタン禁制下の日本に潜入するポルトガル宣教師ロドリゴの生涯を描いたものである。崇拝するイエスズ会の宣教師フェレイラ(リアーム・ニーソン)が24年間の布教活動中捕えられ、拷問のすえ転んだ。日本名を与えられ弾圧側に与して背教者となっている、、、噂を確かめようと西の彼方からはるばる日本にやってきた。日本では切支丹弾圧の嵐が荒れ狂う。
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ロドリゴは幕府の過酷なキリスト教弾圧に苦しむ信者を見て、神よ何故あなたは黙っているのですかと問い、神は存在するのかと自問自答した。が、ロドリゴは神の栄光に満ちた殉教を願っていた。幻影か?その師フェレイラの声を通して、ロドリゴは自問自答する。お前は彼らのために教会を裏切ることが怖ろしいから=保身のために踏絵を踏めないのだ。もしキリストがここにいられたら、主は転んだだろう。ロドリゴは思わず生涯で最も美しいと思ってきたものに足を掛けようとする。その時、≪踏むがいい≫と銅板の人は言った。私はお前たちに踏まれるために、この世に生まれ、十字架を背負ったのだと耳元でささやいた。
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ロドリゴは信者のために転ぶのだが、映画では(スコセッシ監督は)棄教と描いていない。彼は日本人となり幕府から屋敷や妻を与えられて老齢になって病没するのだが、樽の中の遺体は手に粗末なキリスト像を握っている。切支丹として処刑された農民モキチ(塚本晋也)が形見にロドリゴに渡した木彫りのキリスト像である。ロドリゴは教会からは破門されたが貧しい農民たちの神を信じようとした。江戸期の隠れキリシタンとは関係は資料的には定かではないが、、、*
*転んだ者側の記録は残っていないそうです。恥じと捉えたからか。ローマの総本山では棄教は許されない。
*「隠れキリシタン」についてはキリスト教とは別の存在だと主張。

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何度もロドリゴを裏切るキチジロー(窪塚洋介)の存在が気になる。ユダである。彼はロドリコの牢屋前で訴える。「(殉教したモキチやイチゾウのようには」俺は強かありません。踏絵を踏んだ足は痛か、弱か者に生まれさせておきながら、強か者の真似をさせるなんて無理無法だ!俺のような弱か人間を救う手立てはないんか?)転ぶ前のロドリコはキチジローの存在は眼中になかった。上か見下す視線だ。転んで初めて「この世に強い者も弱い者もないのだ。どうして弱い者が強い者より苦しまなかったといえるだろうか。」と言える視点に立てた。キチジロ―のような弱い存在、それが人間なのだ。我(が)のためなら何度も裏切る、輝かしい殉教者になれないのが人間なのだ。(キチジロ―は自分だと作者は思いを込める)

ロドリゴの内面の劇的ドラマが面白い。キリスト誕生の、創世記のキリスト教生誕史のドラマを見ているようだ。
ロドリゴの転びで展開される内的ドラマを、西欧の父権的裁きの<神>から日本の母性的な赦しの<神>への転換と捉える、魅力的な論は面白い。

ブログに最近訪問される「神秘主義哲学の立場から」(Okanoさん)が、2/5に「遠藤周作『沈黙』~スコセッシ監督の映画に描かれなかったもの」続いて「遠藤周作『沈黙』評論あれこれ①」を掲載された。大変に参考になった。詳細に論を進めておられ、精緻な論の立て方に感心しました。映画では原作にある「ロドリゴの心中の劇的ドラマがほとんど取り上げていない」ことがご不満でした。原作を読み映画と比べればそういう批判が出て来るのでしょう。
「『沈黙』評論あれこれ」も1966年の大岡昇平の絶賛、江藤淳の「成熟と喪失―母の“崩壊”」。父権的な裁きの神から母性的な赦しの神への転換―日本的なるものの発見という評論。それからの『沈黙』評論史をざーと拝見して、もう50年経ってしまったのかと感慨深かったです。
有難うございました。



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  1. 2017/02/25(土) 15:51:49|
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コメント

こんにちは。
拙ブログへ言及して頂き、ありがとうございます。
『沈黙』という作品には宗教的な論点が満載で、いくら論じても、論じ尽くせないところがありますね。
私もまだまだ言い足りません。
小説発表当初からの論評に目を通しながら、観点が多様であることにも驚きましたが、それだけこの作品に奥行きがあるということだと思います。
それにしても、もう50年経っているんですよね。
人々が受け取る感覚も、どうも昔と違ってきているようです。
たぶん、現代の多くの人たちには、殉教が素晴らしいとか、「転び」が悪いとかいう感覚が、そんなにないのだと思います。
  1. 2017/02/26(日) 21:22:12 |
  2. URL |
  3. Okano #EW/CXf8k
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