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『2017年映画』「沈黙ーサイレンスー」(原作遠藤周作、監督マーティン・スコセッシ)2/2

『2017年映画』 「沈黙―サイレンスー」(原作、遠藤周作。監督マーティン・スコセッシ) 2/2
              アンドリュー・ガーフィ―ルド、アダム・ドライバー、リアーム・ニーソン
              浅野忠信、窪塚洋介イッセー尾形、塚本晋也、加瀬亮、笈田ヨシ

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「沈黙」は作家遠藤周作のキリスタン弾圧下の、神と信仰を描いた大作である。「タクシードライバー」や「デバーデット」のアカデミ監督マーティン・スコセッシが27年あたためて映画化した問題作。

島原の乱後の日本、イエスズ会の高名な神父フェレイラが江戸幕府の過酷な弾圧に屈して棄教したという報告がローマにもたらされた。
(長く広い階段を話しながら歩むロドリゴたち。空撮による面白さを出した写真)
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フェレイラの弟子S・ロドリゴとF・ガルベは日本に潜入すべくに澳門(マカオ)に立ちより、本国に帰りたがっている日本人キチジローに逢う。キチジローの案内で五島列島に潜入したロドリゴたちは隠れキリシタンの歓迎を受けるが、長崎奉行に追われる。
(ガルベ神父)
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役人に処刑され殉教する信者たちを目の前にして、ガルベ神父は思わず駆け寄って命を落とす。ロドリゴはひたすら神の加護と奇跡を祈った。しかし、神は沈黙した。何も答えなかった。
(ロドリゴ神父)
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キリシタンが何故日本の民衆の心を掴んだのか?あのような過酷な殉教が多く発生したのか?

村の信者たちの歌
「参ろうや 参ろうや パライソ(天国)の寺に 参ろうや パライソの寺とは  申すれど  遠い寺とは   申すれど」
(パライソには厳しい年貢の取り立ても無ければ、飢餓も無い。病の心配もなければ、苦役もない。天国だ。)
村人にとって現世は地獄だ。いや、信仰によってパライソ(天国)を知り、この世が地獄だという事が分かった。日本にキリスト教が広がったのは、庶民が生まれて初めて「人の心の温かさ」にふれたから、という見解がある。過酷な税で牛馬の如く働かされ、庶民の心を揺さぶる宗教も身近になかった。(仏教は身分の高い者の宗教)彼らにとってキリスト教にすがりつくことは救いだった。弾圧にも耐えて天国の神のもとにゆくことが理想の念願成就になった。この世の地獄から神のいる天国へ。

(神父ロドリゴと信徒モキチ<塚本晋也>)
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逃亡するロドリゴはキチジローの密告によって捕まった。連行されるロドリゴの後を泣きながら言い訳しながら必死に追いかけるキチジローの姿があった。

長崎に連行される旅の途中、牢屋のロドリゴの前に来てキチジローは訴える。
「(殉教したモキチやイチゾウのようには)俺は強かありません。踏み絵を踏んだ足は痛か、弱か者に生まれさせておきながら、強か者の真似をさせるなんて無理無法だ!俺の様な弱き人間が救われる方法はないのか?」
(キチジローの訴えはロドリゴの心の隅に残る。物語の展開に連れてますます意味を持ってゆく。)

(ロドリゴ神父とキチジロー<窪塚洋介>)
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踏み絵が始まった。役人が単なる形式だからといって村人たちに踏み絵を強制していく。片目の男と役人がのんびりと話していた。一匹の蠅が周りを周り始めた。突然誰かが走った。高い女の叫び声が起こった!役人が鋭く光った刀を収めた。首のない片目の男の死体が地面に倒れていた。片目の男だ。キチジローが役人に何度も頭を下げ踏み絵を踏むと、転げるように姿を消した

キリシタン弾圧の過酷なシーン!モキチとキチゾウが波責めを受けている。
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長崎奉行井上筑後守。元信者で「穴吊り」という棄教に有効な方法を生み出し恐れられている。幕府の切支丹政策の中心にいる。
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井上筑後守から、「キリスト教は日本に根付かない。日本には仏教という昔からの宗教がある。日本にとってキリスト教は何故必要なのか」という命題を突きつけられた。奉行はロドリゴに肉体的な拷問は行わなかった。1度の食事が2度になった。(ぬるま湯のような安易さがロドリゴを支配した。殉教は近いか?)

*弾圧する幕府側には、キリスト教の布教という宗教的進出に危機感を持っている。が、貿易による利益がある。植民地的な支配の野望が透けて見えるー政治的危機感からの「耶蘇禁止」。
*キリスト教の内部要因(オランダ・イギリスは新教。スペイン・ポルトガルは旧教)当時の旧教は植民地獲得に向かって膨張的だった。メキシコのアステカ王国・ペルーのインカ帝国、アジアのマカオ・マカオへの進出を脅威を持った。秀吉・家康の警戒。

奉行所でフェレイラ師に会った。何年振りだろう。師は卑屈な笑いと羞恥心で彼を見た。ロドリゴは懐かしさ、怒り,哀しみ、恨み、複雑な感情が交差した。
(フェレイラ宣教師<リーアム・ニ―ソン>)
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フェレイア師は「私はこの国で役に立っている。」と言った。天文学や医学の本を翻案している、と。通辞が「もうひとつ、デウスの教えとキリシタンの誤りと不正を暴く書物を書いている。顕偽録という。」辛辣に言い放った。
ロドリゴは「酷い、どんな拷問よりもこれほど酷い仕打ちはない!」フェレイラ師の眼に白い涙が光った。そして「お前が転ぶように 勧めろと言われた。20年布教して思ったことはキリスト教がこの国には根を下ろさぬということだ。沼地だ、どんな苗も根が腐り始める」
「日本人は神の概念を持たぬ民族だ。人間を超えた存在を考える力を持っていない。」

ロドリゴは自問自答する。
*私が生き残ることは日本にキリストの灯が灯っていることだ。
*前の時代、宣教師は貿易のために保護され、また、それを利用して布教した。
*今、日本人の信者の生死は宣教師が転ぶかどうかにかかっている。宣教師の転びに幕府は何故熱心なのか?お前は彼らの為に死のうと日本に来たのに、逆にお前のためにあの者が死んでゆく。
*この国の人間は自分の為に死ぬことはなかった。彼らが自分を守るために死を選んだのは信仰を得たからだ。
*神は何故この様な時に黙っているのか?
*キチジローの言う「弱い者」の救いはないのか?
(イエスは裏切るユダを何故弟子にしたのか?ユダの役割は何だ?)

―転ぶシーン―
ロドリゴ    「鼾(いびき)が聞こえる。腹立たしくなる」
フェレイラ師 「鼾ではない。穴吊りにされた信徒の苦痛の呻(うめ)きだ。私が転んだのは「穴吊りにされた信徒の苦悩に、神は何もしなかったからだ。お前も、私も何もしてやれない」
ロドリゴ    「主よ、今こそ沈黙を破る時だ。あなたが正であり、善であり、愛の存在であることを証明しなければならない。」
フェレイラ師 「お前は彼らより自分が大事なのだ。お前が転ぶと言えば、あの人々は救われる。それなのにお前は何もしない。教会を裏切ることが怖いからだ。もし、ここにキリストがいたら、彼らのために転んだだろう。さあ!大きな愛の行為をするのだ!」
踏み絵は彼の前にあった。茨の冠を被ったキリストの醜い顔。ロドリゴはその顔を自分の顔に押しあてたかった。悲しげな眼差しで彼を見ている。一滴の涙がこぼれそうだった。「ああ、痛い」ロドリゴは呻(うめ)いた。足を挙げた。鈍い重い痛さ、形だけではなかった。自分は今、生涯で一番清いと思っていたものを踏む。その時、「踏めばよい」とキリストは言った。「お前の足の痛さは私が一番よく知っている。踏むがいい。お前たちに踏まれるために、この世に生まれ、お前たちの痛さを分かつために十字架を背負ったのだ」
ロドリゴが足を掛けた時、朝が来た。

踏み絵を踏み、敗北に打ちひしがれたロドリゴに、キチジローが許しを求めにやってくる。イエスはキチジローの顔を通して、ロドリゴに語りかける。「私は沈黙していたのではない。お前と共に苦難を引き受けていたのだ。一緒に苦しんでいたのだ。この世に強い者も弱い者もないのだ。どうして弱い者が強い者より苦しまなかったと言えるだろうか。」

転びの宣教師岡田三右衛門が江戸切支丹屋敷で生涯を閉じた。火葬にされる直前にひそかに木彫りの十字架が手に隠された。

この小説の醍醐味は「転びー棄教」である。人間を救済するための宗教が殉教を呼んでいる。キリストを信仰したために過酷な苦痛をこうむる。どんなに残酷な殉教であっても、神は沈黙したままだ。(宗教は実利的なものではない)
生死を賭けて信仰したものを棄教することは大変なことである。ドラマが生まれる。逆に、過酷な運命・存在・人生だからこそ、神が必要だったのではないか?キリストという救世主を創造して過酷な運命から民を救う。

キチジロ―は作者であり人間である。弱い存在、裏切り、臆病,欲張り、小心、、ネガティブなイメージ総てがキチジロ―である。

隠れキリシタンという世界に例のない宗教・信者が江戸3百年を通して信仰の灯を守り続けたのである。

若い頃、偏見のためか遠藤周作を本気で読まなかった。今になって読んでみて面白かった。

原作、遠藤周作(1,966年書き下ろし。谷崎潤一郎賞受賞)
監督、マーティン・スコセッシ(オスカー監督、1942年、イタリア系米国人の映画監督。
    「タクシードライバー」(76年)「ディパーテッド」(06年アカデミ監督)
出演、アンドリュー・ガーフィールド、アダム・ドライバー、リーアム・ニーソン、
  浅野忠信、窪塚洋介、イッセー尾形、塚本晋也、笈田ヨシ、加瀬亮




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  1. 2017/02/02(木) 17:01:10|
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