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美術/音楽/舞台/読書』「詩歌と戦争――中野敏男」について  11/24

『美術/音楽/舞台/読書』「詩歌と戦争―中野敏男」について

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*先日都内で、社会思想史の研究者・中野敏男(東京外大名誉教授)さんの、「詩歌と戦争」という講演を聞きました。「北原白秋の童謡と総力戦への道」というテーマです。「文学者の戦争責任論」は昔の学生時代にかじっていたテーマで、テーマだけ頭に残っていたので興味深く聞きました。

(*中野さんは大学の講義のようにパワーポイントを使って説明した。パソコンから文字や写真を会場の画面にスライドさせる。童謡などの音源の録音なども講義に挟んで、具体的で明解な講演だった。)

昭和に入ってみんなに愛された童謡―-北原白秋を研究の素材として取り上げ、<抒情>から<翼賛>へと向かった日本人の感性にメスを入れた。著書「詩歌と戦争」の内容の意外性は私の驚嘆と好奇心を誘った。中野敏男さんの視点は、≪総力戦体制≫は上からだけでなく、下からの戦争を支える民衆の心情があったという点です。感慨をもって聞いた覚書です。

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*2016年は2011年の「東日本大震災」の、震災後5年になる。大地震と津波、そして原発災害という過酷で大変な経験を我々はしてきた。人々を慰め励ましたのは、多くのボランティア活動や音楽など文化の力だ。追悼のトランペットの記事が涙を誘い、金子みすゞの「こだまでしょうか」が愛唱され、「花は咲く」がよく歌われた。そしていつの間にか、「絆」が叫ばれ「がんばろう日本!」、、、≪日本≫という枠組みにまとめられてしまった。

*政治的には2013年「秘密保護法」の強行。悪質なヘイトスピーチの蛮行。2015年「安保法」改定は、戦争が可能という憲法否定の道をつけた。
それに対して2012年「反原発」意識の高揚。安保法に反対するSEALDsなどの新しいリズム、2015年8月30日国会包囲・10万の民衆の怒り!最近稀に見る大デモ!しかし、法案は強行された。

*中野さんは「震災後」を考える時、今回の「東日本大震災」2011年と「関東大震災」1923年(大正12)を比較して考察しょうとする。これは歴史学の、先例のパターンと対比して現代を分析しようとする優れた方法です。

*1923年の「関東大震災」10万5千の死者、家屋全壊10.5万、焼失21万2千の未曾有の大災害。この大災害の中で流言飛語による6千人余の朝鮮人虐殺。(1910年の「韓国植民地化」、19年の「三・一独立運動」=韓国民衆の怒り、それへの日本側の報復か)日本は30年代の15年戦争=アジア・太平洋戦争へとまっしぐらに進んだ。

ところが、1920年代は童謡の名作がいっぱい出揃った時代だった。北原白秋、野口雨情、山田耕作、中山晋平の優れた詩人・音楽家によるこれらの歌は、現在でも多くの人々に愛され続けている優れた抒情歌である。

1920年「叱られて」「十五夜お月さん」
1921年「赤とんぼ」「七つの子」「どんぐりころころ」「青い目の人形」
   「雀の学校」「ちんちん千鳥」「揺籠のうた」
1922年「砂山」「赤い靴」「シャボン玉」「黄金虫」
1923年「春よ来い」「月の砂漠」「おもちゃのマーチ」「肩たたき」
1924年「からたちの花」「あの町この町」「兎のダンス」「花嫁人形」
1925年「ペチカ」「雨降りお月さん」
1926年「この道」

*関東大震災後の1920年代の民衆はこのような優しい童謡で心が癒された。それは2010年代の東日本大震災後の民衆が音楽に癒されたのと同じだ。
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未曾有の状況に見舞われた時、人々の感性は心の底からの癒しを求めるのである。とにかく、日本童謡の名作が関東大震災後の時期・1920年代に集中していると中野さんは言う。

*ところが、30年代の<総力戦>時代の入ると、20年代に心優しい童謡を作っていた北原白秋が「建国歌」26年で尖鋭的な皇国主義の歌を歌うのだ。これはどういうことか?

白秋の26年の「建国歌」
1 そのかみ、天つちひらけし初め/ げに萌えあがる葦禾(あしかび)なして
立たしし神こそ、国の常(とこ)立(たち)。
いざ、いざ仰げ、起ち復(かへ)り、かの若々し神の業を
4 爾(ここ)にぞ、明治の大き帝、げに晴れわたる、青高空と、
 更にし照らさす、四方の八隅に。
 いざ、いざ仰げ、立ち復り、わが弥栄(いやさか)の日の出る国を。

先鋭な皇国主義の主張である。42年に亡くなるまで白秋は戦争翼賛の愛国詩人として活躍した。膨大な作品量だという。
我々の目には①20年代の童謡の抒情詩人②30年代の戦争翼賛・愛国詩人が重なっている。白秋をもっと深く追求してみる必要がある。
*日本近代の抒情歌を貫くモチーフとして「郷愁」という心情が繰り返し歌われている。人々の傷ついた心情を癒すのが「郷愁」の心情である。「東日本大震災」でも「関東大震災」でも同じように歌われた。20年代の「赤とんぼ」や「砂山」「からたちの花」「この道」が皆そうです。遠い故郷や過ぎ去った日々を思う心情の歌です。白秋がどの様にして「郷愁」の心情を歌い上げることが出来たかを、中野さんは詳細に分析しています。

*1918年の鈴木三重吉の「赤い鳥」に参加して、「子供のありのままの自由な感情や表現を尊重しょう」と白秋は*「童心主義」を唱える。
*白秋の「童心主義」は大正デモクラシーの中で育った。(略)

「郷愁」が生まれ故郷を思う大人の心情
「童心」が生みの母を慕う子どもの心情

この二つは同じだと捉えます。二つの心情とも人間に内在する感情で白秋はこの感情を表現しょうとした。
「からたちの花」1,924年で

① からたちの花が咲いたよ。白い白い花が咲いたよ。
⑤からたちのそばで泣いたよ。みんなみんなやさしかったよ。

5連の「みんなやさしかったよ」と失われた過去の事実を思い出し、それを思慕する現在の心情「泣いたよ」と歌う。時間の次元で「郷愁」が歌われている。中野さんの優れた鋭い視点です。時間次元で「郷愁」を捉えたことは「人間本来の未生以前に連なるものとして郷愁が語られる」(P65)中野さんは「故郷を離れた大人たちの追憶や、特定の個人の特別な思い出だけに縛られない普遍的な意味を与えられて、痛みはより切実なものになっている」(P65)と言っています。つまり時間的に過ぎてしまったものは「取り返しがつかない」痛切な心情となって普遍性を持つと言っています。(素晴らしい指摘)

*1917年「さすらひの唄」(島村抱月の芸術座・松井須磨子唄・白秋作詩・中山晋平作曲。
 行こか、戻ろか、オーロラの下を、/ ロシアは北国、はてしらず。
1921年「流浪の旅」(演歌師による)
 流れ流れて落ち行く先は / 北はシベリア南はジヤバよ

日清・日露1894年・1904年二つの戦争、1910年「韓国の植民地化」日本がアジアに向かって進出してゆき、多くの国民が移民や出稼ぎとして海外に出てゆく。この二つ歌はその不安の心情や郷愁をかき立てる歌に慰めを求めた。レコードが爆発的に売れ、白秋は国民的詩人となった。

*さらに白秋は童謡の中で「日本人」であることを意識化してゆく。1922年の「砂山」で、

暮れりや、砂山、汐鳴りばかり、
すずめちりぢり。また風荒れる。みんなちりぢり。もう誰も見えぬ。
かへろかへろよ、茱萸(ぐみ)原わけて。
すずめ。さよなら。さよなら。あした。
うみよ。さよなら。さよなら。あした。

子どもたちはどこへ帰るのでしょうか?家族の住む家?中野さんは次のように読む。この歌が日本各地に残る童謡を集めた連載の中の新作として作られた。発掘されている童謡の「かつての日本」に「かへろよ」といっている。かつて自分たちが生きていた日本への回帰を呼びかけていると読んでいます。白秋は元々愛国詩人です。子どもが本来持っている母や自然への優しい思慕を、もともと日本人は持っていたのだと確信すること。外の世界と接して傷ついた心を、改めて癒す場を見出すのです。白秋は民謡にも広げていったそうですが、以上のような内実から、下からの<翼賛>を作り出したのだ、と中野さんの鋭い視点です。「古き良き日本」を原点として、白秋は愛国日本の<15年戦争>を下から支えたのです。

*11月22日早朝、福島県沖を震源とするM7・4の地震が起きた。各地に津波が押し寄せた。テレビが午前中、地震情報一色になった。福島の地震と聞くと「原発は大丈夫か」と不安になる。第2原発で冷却設備が停止したと聞き、不安はさらに高まる。
新聞で精神科医の香山リカさんが
「多くの国民が3・11の不安をトラウマとして抱えている。原発の冷却が出来ないのニュースは当時をフラッシュバックさせ、原発の爆発や食べ物の放射能汚染などの先を見越した<予知不安>が心の中で起きている」と分析している。
その通りだ。熊本の群発地震、各地で起きるM4の地震が心の中の疼きとなって不安が離れない。



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  1. 2016/11/24(木) 21:44:46|
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