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『日記』「アンジェイ・ワイダ死す」 10/13

『日記』「アンジェイ・ワイダ死す」 10/13

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アンジェイ・ワイダが10/9に亡くなった。90歳。ポーランド映画監督。ワイダは僕にとって映画監督以上の存在だった。彼が生きた戦中・戦後・現代を、僕は追っかけてきたようなものだ。勿論、国も世代も違うし、ポーランドの戦中・戦後の情況と日本の戦後のそれとは違う。ただ、僕は同時代性を言いたいのだ。政治青年の行動情念みたいなものを学んだのだ。

50年代に製作、日本でもすぐ上映された「地下水道」「灰とダイヤモンド」は衝撃だった。特に「灰とダイヤモンド」は何回見ただろう。
初めは全然分からなかった。ポーランドの歴史や戦中・戦後の政治情況も分からなかった。当時の映画雑誌「映画芸術」?や何紙かの書評新聞等で展開された「灰とダイヤモンド」論争。学生運動や革命運動からの体験や挫折した何人かの批評家の文章。学生運動に関わっていた高校の先輩たちの話。それらが混然となって、僕のなかで「ポーランド映画像」みたいなものが形成されていった。

有名なシーン、例えばバーのカンターで主人公マチェクが、亡くなった同志の名を叫びながら、酒の入ったコップに火を点けて兄貴分のアンジェイに向かってテーブルの上を投げつけるように滑らして、何人かの犠牲者の名を言いながら。「俺たちは正しかったか?」「正しいか?」と責めるように言う。

(抗独レジスタンスに集った若い愛国の仲間たち、多くが犠牲になり、戦後の今、いつしか進駐している抗ソ・テロルと化している。)

マチェクの問いは、日本の戦後運動・己の運動・闘争への問いに重なり、白い布を干したゴミ焼き場のような中で、苦悩しながら虚しく死んでゆく主人公に、自分たちを重ねたのだ。

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*アンジェイ・ワイダ(1926年~2016年)は50年代の「抵抗3部作」から、60年代「20歳の恋」、70年代「白樺の林」「約束の土地」「大理石の男」、80年代連帯に呼応する形で「鉄の男」。反体制的な動きに戒厳令がひかれ公職から追われた。2007年父親がポーランド軍将校として虐殺された「カティンの森」の映画化。2013年「ワレサ連帯の男」60年以上の長き監督人生、情況に一歩も引かない作品を撮り続けた稀な芸術家。

<連帯の男ワレサ>
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  1. 2016/10/13(木) 14:28:53|
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