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『2016年映画』「ホロコーストの”リハーサル”」障害者虐殺70年目の真実         10/06

『2016年映画』「ホロコーストの”リハーサル“?!」             10/06
       障害者虐殺70年目の真実/ ETV特集(再放送)・相模原事件によせて。

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(1)2016年7月26日未明に起きた相模原事件で、容疑者は「障害者を冒涜する」ヒトラーの思想に共感していたと伝えられている。ヒトラーの思想に拠って19人の障害者を虐殺・20数名に重軽傷を負わしたヘイトクライム*は世の中を震撼させた。
(*ヘイトクライム=人種・民族・宗教・性などによって、偏見や憎悪が起こされる犯罪)

価値が無いから殺してもいいのか!戦後日本で初めて起った、障害者虐殺事件だった。人間は生まれた時から≪平等」ではないのか? 一人一人の人間の生きる価値を深く問われる事件だった。

ETV特集・「ホロコーストのリハーサル」(2015.11.17の再放送)を最近見た。相模原事件の原型ともいうべきものがドイツナチスにあった。ユダヤ人虐殺の前触れとしての障害者虐殺、T4作戦の恐るべき実体。ドイツの恐るべき負の遺産は綿密に学ぶべき。我が国の根っ子に異端を差別する記憶がないかどうかを検証すべき、、、

(2)ユダヤ人虐殺の前に、障害者虐殺
* 数百万人のユダヤ人の命を奪ったナチス政権下のホロコースト。ナチスは強制収容所のガス室で大量のユダヤ人を殺した。しかし、ガス室は最初ユダヤ人殺害ための物では無かった。最初に、精神病院にガス室が作られ、回復の見込みのない病人や障害者を殺した。彼らは生きる価値がないとされ、彼らの世話で施設や人件費に多大な経費が掛かるからという理由だった。殺害に多くの医療関係者が関与した。

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医師たちの殺害の動機、それを利用した時の権力者(ヒトラー)、気付きながら見逃した国民、町の人々は毎日病院から出る黒い煙に不思議に思いながら声を上げることが出来なかった。問題は、人々に止めるチャンスが本当に無かったか?ナチスのような政権でも国民の感情をとても気にしていた。虐殺された障害者は20万人以上、何故悲劇は起きたか?

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(3)障害者の人権問題に取り組む藤井さんのドイツ訪問 
このドキュメンタリーは、障害者のつらい過去と直に向き合いたい、ガス室の現場を見たいと訪れた一人の日本人=藤井克徳さん(66)のドイツ訪問のドキュメントの映像である。(日本障害者協議会代表・障害者の人権問題に取り組んできた第一人者。藤井さん自身目が見えない。障害者差別を乗り越えて障害者団体の活動を築いてきた。)
「ハダマー精神病院」(ドイツ中西部)の地下のガス室を案内される藤井さん。シャワー室 に見せかけた12㎡ほどの部屋に一度に50人が押し込められ殺された。その殆どが自分の意思を表明出来ない知的障害者か精神障害者だった。タイルの壁のガス管の跡を触る。

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(藤井さん)「最後まで生きようとあがいた人もいたでしょう。亡くなる瞬間悔しい思いをしたでしょう」

*ドイツ南部のギーンゲンで遺族ヘルムート・バーデルさん(81)と会う。靴職人の父マーティンさんが戦時中殺された。父はパーキンソン病、治療のために入院中、ガス室に送られ殺された。父とは手紙のやり取りをしていた。父は「治療が終われば家に帰って自分の仕事に戻れると思っていた」第2次大戦が始まった。マーティンさんは家に帰れない悔しさを手紙に記していた。

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「男たちは皆戦争に行き、やらなければならないことが山程あるのに、私はここでじっとしているしかない。私の一番の心配事はあなたたちを養えないこと、この手紙を知人のところへ持っていって何か仕事がないか聞いてみて下さい」*医師の注釈「うまくいくわけがない」がついていた。
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涙の跡がみえる最後になった手紙「私はどうしても40歳の誕生日を家で祝いたかった。」3ゕ月後別の施設から死亡通知が届く。死因は「脳卒中」。あの日(死亡通知が届いた日)のことは覚えている。急に母の大きな叫びが聞こえた。「お父さんが亡くなった」と。母は「突然亡くなるのはおかしい、何が起きたのか?」市長に会いに行く。市長「そんなことは言わない方がいい。あなたの身が危険にさらされますよ」と言った。
藤井さん「お手紙を読ませてもらって、とても家族思いの方だったことが伝わってきました。死に追いやる本当の理由がますます分かりづらくなった」

(4)2011年11月『ドイツ精神医学会』の謝罪
日本より積極的に過去の歴史に向き合ってきたドイツでも、障害者殺害については最近まで注目されてこなかった。理由の一つに、殺害に加担した医療者が沈黙してきたことが挙げられる。

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*2011年11月にドイツ精神医学会が障害者殺害について組織的に殺害に関与していたことを認め、謝罪した。
以下謝罪の内容。独・精神医学・神経学会会長フランク・シュナイダー博士(当時)

「この学会の歴史の重要な部門がこんなにも長く闇に葬られていました。これはとても恥ずべきことだと思います。障害者たちの世話の負担を(社会から)解放することや、良い遺伝子だけを残すことを目指しました。人類を苦しみから救うことを医学の進歩とし多くの人を虐殺したのです」
「私たち精神科医はナチスの時代に人間を悔辱し、自分たちに信頼を寄せていた患者や家族を裏切り、自らも殺しました。」
学会は歴史家たちに調査を依頼、真実の究明を約束した。
学会は移動展覧会を行って、世界中を巡回してこのことを伝えた。

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<大阪の展示会場>
*第三者委員会の報告
(委員・歴史家ハンス=ヴァルター・シュムール教授)
医師たちがナチスに強制されたわけではなかった。患者殺害の動機は政治側からのものではなく、医師や学者からのものだった。何故、命を救うはずの医師たちが殺害を実行してしまったのか?
≪ダーウィン=「種の起源」≫
(強いものが生き残り弱いものが消えてゆく、自然界の摂理の論)
これを人間にも当てはめて、劣等な人間を淘汰されるべきとしたのが≪社会ダーウィニズム≫論、「優秀な遺伝的素質だけを持つ人間だけを残そう」という優生学に結びつき、世界中に広がった。

(5)20世紀初頭のドイツ精神医学会
1920年代のドイツ精神医学で治る患者も出てきたので喜びに包まれた。だが、精神病院の実情は大混乱。根本的に何の治療も出来ない患者で溢れていた。医師たちはジレンマに陥る。そういう患者が邪魔になった。
1917年、「精神医学研究所」ではドイツ人の家系図を調べ、一人一人の遺伝的価値を明らかにしょうとした。何を狙うのか?
1920年、「生きるに値しない命を終わらせる行為の解禁」と言う恐るべき本の発行。
「生きるに値しない者の排除・殺害は犯罪ではない。社会にとって有益だ。国民全体をよくするために患者は殺してもいいという考え!」
これに目を付けたのがヒトラー。
≪我が闘争≫
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「肉体的にも精神的にも不健康で無価値な者は子孫の体にその苦悩を引き継がせてはならない」
1933年、ヒトラー念願の政権を取る。国民は熱烈に歓迎した。
政権を取ったヒトラーはユダヤ人排斥を堂々と行う。遺伝病の子孫を予防する=断種法を制定する。*当時、遺伝すると思われていた知的障害者や精神障害者は断種を強制させられた。断種とは手術で子供を産めなくすること。これをリードしたのが20世紀ドイツ精神医学会のトップ=エルンスト・リュ―ディンだった。「ヒトラーのおかげで30年間私たちが夢見た優生学思想が実現された」と。医学界のトップの発言、何のための医学か!

(6)断種の悲劇
藤井さんはミュンヘンに弁護士ヘルベルト・デムメルさん(視覚障害者で戦後多くの断種被害者を支援してきた。)を訪ねる。
*妊娠していた視覚障害者が中絶させられ、その後断種させられた。
*警察に連行、強制的に手術を受けさせる悲劇がたくさんあった。
断種法が出来てから3ヶ月、当事者は苛立っていた。
*施設の外に出ないと手続きすれば、断種は免れた、が、一生塀の中の生活。ある例、外に出ないと家族との再会を諦めたが、後に断種を受け家族に会いに行った。「生殖能力か・家族との再会か」ー悲しい選択を迫られる。強制的に断種を受けた人、40万人。
*1936年のベルリン・オリンピックはドイツ民族の優秀さの祭典。一方福祉や社会保障にかかる費用は大幅に削減、障害者は生きているだけで金ばかりかかる、価値のない存在だと国民にすり込んでいく。(全ての映画館でナチスのプロパガンダ=障害者に掛かる費用で健康な人の家が何軒建つか!とのキャンペーン)

(7)T4作戦
*そして、ついに障害者殺害計画が動き出す。第2次大戦の前年、ヒトラーは権威ある精神科医を召集、「殺害の対象者は誰か?苦しまずに殺害出来る方法とは何か」の協議を重ねる。
*1939年9月1日ポーランド侵攻、第2次大戦勃発。その時、ヒトラーは≪極秘命令書≫(病気の状態が深刻で治癒出来ない患者を安楽死させる権限を与える)にサインする。実行本部の通り名から、≪T4作戦≫と名付けた。
殺害の対象者を選ぶために、全国の病院に患者調査票を送る。「病名・症状・退院の見込み・労働者として使えるか?」この結果を元に、本部の医師たちが生きる価値があるかを判断。殺していいと思った者には判定蘭に「+」マークを書く。

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T4作戦の殺害施設は辺鄙な場所に作られた。パーキンソン病だったマーティンさんはグラーフェネックだった。施設には医師の他、看護師、運転手、遺体を焼却する人、100人位働いていた。彼らは事前に仕事の説明を受けていた。ナチスのプロパガンダの連続射撃を受け、対象の患者は他の人より価値の低い人間だと教え込まれ、自己の行為を正当化していた。精神病患者に「安楽死計画」によって≪神の恵み≫を与えるのだと思っていた!ガス室の栓を開けたのは医師たちで、≪最終的医学措置≫と呼んでいた。
T4作戦が始まって1年、毎日殺害が続いていた。別の施設がドイツ国内に6ゕ所も作られていった。
*藤井さんは当時の情況を覚えている人に会いにいった。「小高い丘の上の病院からいつも煙が出ていて何だろうかと噂していた。嫌な匂いがしていた。戦場から帰って来た人が<死体を焼く匂い>と同じだと言ったので、その後声を潜めて話すようになった。
藤井「住民の良心としてそれを止める動きは無かったのでしょうか?」「もう遅すぎました。ナチスの管視システムは出来上がり徹底していました」
*ハダマーでもう一人の遺族ギーゼラ・プッシュマンさん(62歳)に出会うのだが、後に登場する。

(8)声を上げた人
こうして人々が沈黙する中で、障害者の虐殺は毎日行われていたが、ついにある人が声を上げる。1941年の夏、ミュンスターの司教クレメンス・アウグスト・フォン・ガーレンが説教の中で「障害者の死は≪恵みの死≫ではなく単なる殺害だ」と明言した。秘密警察は説教の原稿を没収しょうとしたが、書き写しが早く作られ何処までも流れていった。コピー機など無い時代に信者たちの心に響いた説教は手書きで何枚も書かれて拡散していった。フォン・ガーレンの説教はとても上手で率直で攻撃的で、人々を感電させるような力があった。
ミニュヘン司教ガーレン
説教した教会の一つ・ランべルティ教会には今でも大切に残されている。
「貧しい人、病人、非生産的な人がいて当たり前だ。私たちは他者から生産的だと認められた人だけが生きる権利があると言うのか。非生産的な市民を殺してもいいならば、我々が老いて弱った時に我々も殺されるであろう。」激しくT4作戦の非論理性・非人間性を突く言葉は続くが、手書きでコピーされた説教は全国の教会・団体に発信され、さらに空爆で避難していた防空壕の市民へ伝わっていった。
*司教の説教から20日後、1941年8月24日、T4作戦中止命令。

(9)強制収容所に於けるユダヤ人大虐殺
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*ヨーロッパ中のユダヤ人の根絶を目指して、「最終的解決」方針の決定。ユダヤ人を強制収容所に移送して絶滅させる途方もない作戦が実行された。この作戦でT4作戦のノウ・ハウが利用された。ガス室での医者やスッタフを収容所に送り込み彼らに活躍させた。障害者絶滅のT4作戦を、強制収容所に於けるユダヤ人絶滅作戦への応用である。
*「野生化した殺害」
T4作戦の中止後でも、精神病院・施設では、薬の過剰投与・計画的な餓死等の障害者虐殺は続いていた。殺害の対象は、トラウマを負った兵士、ユダヤ人との間に生まれた子どもなどに広がった。「野生化した殺害」と言われた殺害の被害者は最終的には20万人以上といわれた。医師たちはT4作戦の中止で不満を感じていた。どうしたら、人目を引かずに、政治的に振り回されずにやり通せるか。悲劇的なその態勢はすでに出来上がっていた。断種から始まって、誰も止めることなくエスカレートしていった虐殺の歴史・70年以上の時を経て、今私たちに何を問いかけているのか?
藤井さんは「どんな問題にも、戦争にも、最初がある。前触れがある。その段階で気付く力を問われている。社会的にも弱い障害者に問題が現れやすい。これを前触れの警鐘であると捉えることが大事だ。命の価値を尊重しなくなると人を殺せてしまう。人間を改良すべきではない。社会の中に、病、障害、苦悩,死が存在することを受け入れる――こういった意見が少なすぎる。

(10)姪のギーゼラが叔母ヘルガの尊厳回復・人々の記憶に留める
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ハダマー精神病院のところでもう一人の遺族ギーゼラ・プッシュマンさん(62歳)を触れるはずだった。彼女は数ヶ月に一回ガス室に花を手向けに来る。父の妹彼女にとっての叔母ヘルガがてんかん病のために17歳の時に殺された。ギーゼラさんは叔母ヘルガの存在を知らなかった。父は一度も話したことは無かった。ギーゼラさんの話

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「私は5~6歳の時祖母のところでこの写真を見た。その後写真は無くなっていた。父の従兄が80歳を過ぎてから、ハザマ―の施設に問い合わせるように言ってきた。叔母ヘルガは77名と共に1941年1月30日に殺害された。ヘルガはよく犬小屋に閉じ込められていたと聞いた。父は犬の話はよくしたが、妹の話しは一度もしなかった。兄妹が自分の妹を忘れるなんて、又は忘れるふりをするなんて私には理解できない。『障害者の死は恵みの死であり家族の負担を減らすものだ』というヒトラーの考えを家族までもがそう考えるようになっていたのかと疑っていた。」
藤井「家族に差別意識が増長されたのがとても悲しい。家庭内差別の背景には戦争が一層これを助長し増幅した。問題の本質がある。」
*叔母ヘルガを知らずに育ったギーゼラさん、彼女は言う。「叔母が殺されたことは私にとっても悲しいことです。でも、私が本当に悲しいのは、叔母の死ではなく家族がずっと沈黙を続けたことなんです。それが今でも私は悲しくて仕方がないのです。」
ギーゼラさんが拘ったことは、このままではヘルガ叔母がこの世に存在しないままに消えてしまうことだ。生きた証が欲しい!彼女の尊厳を取り戻し、人々の記憶に残すにはどうしたらよいか?
彼女は新聞広告にあるメッセージを載せた。

ギーゼラさんの

ヘルガ・オルトレップ

あなたはナチスのいいなりになった協力者によって殺された。
家族によっても黙殺された。
わたしは あなたを 忘れない
あなたの姪  ギーゼラより


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  1. 2016/10/06(木) 18:18:05|
  2. 『2016年映画』
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