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『2016年ボスの旅』⑩ 「4月9日、キンデルダイク~デルフト」 5/14

『2016年ボスの旅』⑩「4.月9日、キンデルダイク~デルフト.」5/14

4/8(金)、「ロストバゲージ」
夜19時50分マドリードを飛び、22時0分オランダのアムステルダムに着いた。ロストバゲージ(スーツケースが乗った便に無いこと)という言葉を聞いたことがあったが、本当にあるんだと思った。一行のA夫妻がロストバゲージにあった。他の修学旅行の一団にもロストがあったみたいだ。A夫妻の荷物は3日後行く先のホテルに届いた。又、この便は最終便で満員。その為か?5名の席が無いと言われて、添乗員が粘ってやっと席を確保。旅行会社は当然予約を取っている。航空会社の予約の在り方に問題があるみたいだ?

(19基の風車が今も活躍するキンデルダイク)
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4/9(土) 「キンデルダイク」
 9時、空港近くのホテルを出発。オランダは国土の5分の2が海面より低く、川の水が溢れ出るのを防ぐため運河や風車で排水に活用した。ロッテルダムの南東、2つの川に挟まれたキンデルダイクには19基の風車がある。1740年代に建てられ今でも全土に1000基も活躍している。川の水面の上昇を排水によって洪水を防ぐのだそうだ。スペイン・ドン・キホーテの風車は粉ひきだった。各地色々な利用があるんだね。

「オランダの國」
自転車がもの凄いスピードで走ってきた。オランダは世界一自転車先進国だそうです。何より自転車は優先、「オランダ人は自転車に乗って生まれてくる」と言われるほど自転車が使われている。日本人にはその感覚がないので意識して歩かないと事故にあう。
ネーデルラント(オランダ・ベルギー)は16世紀後半、ハプスブルク家・スペイン王の支配に苦しみ、宗教改革(カトリック対プロテスタント)も加わって、独立戦争を戦った。1581年独立を宣言。オランダ共和国を作った。ネーデルラントを支えたのは毛織物などの工業、東インド会社による世界の貿易であった。17世紀から王政や諸侯の支配から自由な町を作ってきたが、その後幾多の戦争を挟んで、ナポレオン後のオランダを支配したオラニエ家の王国となった。豪勢な建築物と異なった小振りな市民の街々であり勤勉で有名な国民である。
日本にとって長崎の出島、鎖国の江戸時代西洋の玄関はオランダだった。

(フェルメールの「デルフトの眺望」の現場はどこか?350年の時間でも変わらぬものは教会の屋根と川)
町現在の
「デルフト」
世界の港ロッテルダムとネーデルラント政治の中心デン・ハーグに挟まれた町。焼き物とフェルメールで有名である。まず、「フェルメール眺望」の場所探しから始まった。350年前と現在を同一出来るものは新教会の塔と川のみ。「眺望」探しに夢中になっている内にフェルメールの最高傑作はこの「デルフトの眺望」ではないかと思えてきた。旅情の不思議さである。
(フェルメールの名作「デルフトの眺望」これが一番だと思い込む)
眺望フェルメール


「昼食・Ðe SⅽhaaPskOOi」
公園の中にあり孔雀を飼っている邸宅レストラン。白アスパラガスのスープとバターソース、苺のバニラアイスとホイップクリーム添え。私は白ワイン。とても美味しかった。旅行中ベスト・ワン。

(デルフト焼きの気品溢れる陶器)
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「王立デルフト焼き工房」見学
1653年創設の「ロイヤルデルフト陶器」。16世紀からこの地方一帯で製作されていた。17世紀に東インド会社によって中国の景徳鎮や日本の古伊万里や柿右衛門などが入ってくる。それらを学んで「デルフトブルー」と呼ばれるブランド名を獲得するようになった。絵付けの実演を見せてもらった。

(人気のフェルメール・センター」)
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「フェルメール・センター」
現在のデルフトはフェルメールの町だ。フェルメール人気は後日行く「マウリッハウス美術館」の混雑でも知られた。又、フェルメール1・2点の展覧会が日本で成立すると言う驚きの人気だ! デルフトの中心「マルクト広場」の近くに彼が画家として認められた聖ルカ組合(画家・職人のギルド)を再現して、彼の全作品の37点のレプリカを展示した「フェルメール・センター」が大盛況だ。彼のオリジナルは1点もないのだ。*「マルクト広場」あちらこちらの町にあるが、独語・蘭語でマルクト=市場。だから日本でいう「銀座」と同じようにあちらこちらにあるわけだ。

「新教会」
14世紀建造。町の中心マルクト広場に面する。フェルメールが洗礼を受けた教会。地下には建国の覇者ウエレム1世始めオラニエ家代々の墓がある。100mの鐘楼からデルフトからハーグ・ロッテルダムまで一望だと言うけれど、時間が無くて断念。

「旧教会」
1240年頃建造。デルフト最古の教会。1675年フェルメールここに埋葬。墓石は無いから生存時の世間の扱いが知れる。スペインからの独立戦争を指揮したオラニエ公ウエレム1世が居住した建物。運河沿いの旧教会の風景は美しい。


「市庁舎」
17世紀初めの火災後に再建。1654年の英蘭戦争最中に武器弾薬庫のあったデルフトは、弾薬庫が爆発して町の1/3が焼失。赤い窓枠が印象的だった。

*ベルギーのテロが無ければ、ゲント市内で「聖バーフ大聖堂」「ゲント美術館」「王立美術館」と回っていたはずだ。フェルメールが代行というわけだ。
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  1. 2016/05/14(土) 12:57:53|
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