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『2016年ボスの旅』 ⑨「悦楽の園」その㈡ 「右翼パネル」 地獄 5/6

『2016年ボスの旅』⑨「悦楽の園」その㈡「右翼パネル=地獄] 5/6


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(ベリー公のいとも豪華なる時祷書)

① 左翼・中央両パネルのような詩的な楽園とは断絶した死と破滅のイメージが
現れてくる。当時使われた楽器やナイフなどの日常の小道具が描き込まれているからだと言われた。それにしても、右翼パネルの断絶は際立っている。フレンガ―という学者は「中央パネルでの性の秘儀に参加しなかった者こそが堕ちる罪」だという。この文章を見た時「えっ!」と驚嘆した。「性の楽園」の積極的な賛成者の言だからだ。だが、ボスの「地獄」のイメージは多様である。<七つの大罪>と関連づけている。前景の博打打ちのグループを「怒り」、多数の楽器は「肉欲」、中景の犬に襲われる男は「妬み」、胸にヒキガエルを張り付けた女は「高慢」。「ペリー公の時禱書」などの「地獄」図なども参照されているようだ。
それにしても、左翼・中央パネルと右翼パネルとの断絶は際立つ。

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② まず上部、戦災・大火災の絵。燃えさかる街を背景に、血の海に落とさる人々
逃げ惑う人々を描いている。橋を戦場に赴く騎士たちの姿。中世の世界では戦争は当たり前の現実だった。しかし、大火災の中、シルエットのような人影。幻想的な風景でもあるが大火災の恐怖感も感じる。上部の火災の風景はボスが少年時代に体験した大火災の記憶をもとにしている。

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③中景=樹木人間が右翼パネルの中心である。青白い顔はボスの自画像ともいう。オランダ語でボスは「森・木々」という意味で、樹木人間=ボスを連想させる。胴体は卵の殻、足は樹木、足には船を履かせている。優れたボス研究家神原正明さんの説だと、当時のヨーロッパでは、アントニウス病(麦角病)などの奇病で壊疽を起して手足を失う人が多かった。街中でもよく見かけたという。怪物ではなく実在の人間だと考えると、地獄の様相が現実味を増してくる。今まで見てきたボスの絵が空想空間であるのに対して、後者はボスが日常目にしていた現実の光景だということだ。恐怖感とは違った感じになってくる。空理空想のイメージとは違って現実的な姿なのだ。

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③ 赤い大きなバグパイプ(リード式西洋の楽器)を頭に乗せている。(バグパイプ
は女性の生殖器の暗喩)、その周りをペアーの男女が何組か手をつないで行進している。裸の男に貴婦人や白いベールの女が相手をしている。バグパイプが強烈な性的イメージだ。バグパイプの左上では大きな耳を二つ大きな包丁で切り裂いている。包丁の下に多数の人が殺されている。耳を切り裂くとは何の寓意か?耳は「聞くこと」だから、忠告を聞かないで快楽に走る者への警告だろうか?
ボスと思われる男はこちらを見ている。男の目は何を見ているのか?この世で行われていることを全て見ているのかも知れない。胴体の中は居酒屋風で人々が楽しんでいる。梯子を登っていく男、下では怪物に導かれて順番を待つ人々。

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④ 切り裂かれた大きな耳、拷問具と化した鍵、解らぬ寓意がたくさんある。特
にこの場面を「音楽地獄」と呼ぶように、拷問具と化した楽器の数々。前景に散らばる楽器や賭博の道具は本来悦楽をむさぼるものなのに、ここでは拷問具に変えられている。神原さんは面白いことを言っている。「ボスの地獄責めは、快楽を否定するのではない。快楽を苦痛に至るまで肯定し尽くすのだ」と。快楽に耽りすぎて苦痛になるほどやり過ぎたことか?

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ボスは音楽を二つに描き分けているという。一つは数学と密接に関係した魂を高める音楽。他方は肉欲に関連して、官能的な情熱を刺激する音楽。この場面で出てくるのが、リュート、ハープ、ハーディ・ガーディ(手回し琴)、トライアングル、ドラム、フルートである。リュートは演奏と恋が同義語でエロティックな楽器。ハーブとリュートが奇妙な交わり方をしている。ふたつは寄り添い淫らな曲を演奏していた。ハープの弦につながれた男がY字をなぞりながら、腰を前に突き出して反り返り、リュートの胴の下敷きになった男の手が怪物に誘われて、サウンド・ボードの暗黒の秘所に延ばされてゆくと性愛の連想が続くそうだ。

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⑤ ハーディ・ガーディ(手回し琴)という見慣れぬ楽器だが、盲人が台の上で回
している。大きさからリュート・ハーブと三点セットで官能的な曲を演奏していた。10世紀~14世紀に西洋で流行った。演奏が簡単なのでだんだんと農民や物乞いの持つ楽器になって人々から軽蔑されていった。ボスの時代は物乞いの道具になっていたそうだ。高音部はハーディ・ガーディ、中音部はハープとリュート、低音部はボンバルドンという木管吹奏楽器によって怪物たちの演奏に合わせて、聖歌隊が画面に出ている楽譜を歌い賑やかに行進したのかも知れない。
しかし、音楽地獄何故か優雅ではないか?ユーモラスではないか?

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⑥<便器に座るサタン>
鳥の頭を持つサタンが、玉座に着き、人間を頭から食っては尻から吐き出し、暗黒の穴に落としてゆく。暗黒の穴には人間だけでなく、人間の尻から出た硬貨や反吐が落ちてゆく。玉座に着く怪物は、世界の創造者の対極に立つサタン(悪魔)である。地獄の魔王として中世末の文学・絵画のモチーフとなった。しかし、地獄の陰惨さはなく、ユーモラスで面白いではないか!

⑦賭博の罪
倒されたテーブルの上で賭博師の悪の手は矢で射貫かれている。この場面に現れるテーブル、トランプ、サイコロ、ダイス台などは居酒屋の必需品であり、大きなサイコロを頭に乗せた女は、手にロウソクと酒壺を持っているところから、この宿の売春婦と思われる。

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⑧豚の口づけ
右下最後のシーンで、尼僧の頭巾をかぶった豚が男に口づけをする。横に切断された足を吊り下げて、長い口ばしにはインク壺をぶら下げた男が迫っている。豚は男にサインを求めている。何のサインか?神原さんは「堕落した人間が悪魔との間に契約を結ぶ姿ではないか」といっている。それゆえ、このトリプティック(三連祭壇画)の最後を飾り終章に向かう。何の契約か?元々、神との契約で始まった人類の歴史だ。それを悪魔に売り渡そうというのか?人類史を終わりにしようと言うのか?

⑨終わりに
*何度も言うように、2013年のスペイン旅行でボスの「悦楽の園」を見て以来、ボスが忘れぬ画家となった。今回の没後500年「ボスの旅」にも、テロの危険にも拘らず出かけてしまった。今ではツアー旅行に参加して良かったと思う。
僕にとってボスの原点は「悦楽の園」である。いろいろな評価があるだろうが、最初に見た時の衝撃を思い出し、いつもそこに帰ることにしている。

*ボスの傑作はネーデルラントで生まれて、スペインに来て400年以上たった。ボス研究史もそれだけの実績があるわけだ。大きく二つに分かれるそうだ。一つは自由な性的悦楽の楽園を描いた、異端の派だという評価。他は16世紀正統派のネーデラント絵画だとする説。正統派の論拠では「悦楽の園」の自由な性的悦楽の世界が読み取れないと感じる。が、異端派である物証はない。

*ボスの魅力は「性的悦楽」の謳歌である。しかもリアリズムではなく高度に抽象化された解読の難しい図像である。アダムとエヴァがエデンを追われる前の世界を暗示しているのではないか?いや、アダムとエヴァが楽園を追われないで、築いたであろう悦楽の世界の展開があるのではないか?人間にとって「性」の問題は奥が深い。男と女、同性にとって「性」「愛」「欲望」は凄いエネルギーになれば、逆の場合にもなる。人類史をつくってきた元であるから単純ではない。

* 神原正明さんの著作に教えられました。感謝申し上げます。

* 旅行記もやっとスペインを脱出して、オランダへ向かいます。記憶が曖昧になってきました。




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  1. 2016/05/06(金) 09:53:54|
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