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映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『2015年映画』「あの日のように抱きしめて」(「東ベルリンから来た女」の監督・主演コンビ8/26

『2015年映画 』「あの日のように抱きしめて」(「東ベルリンから来た女」の監督・主演トリオが描く・
                               第2弾)    8/26
                              監督クリスティアン・ペンツォルト。
                              主演ニーナ・ホス。ロナルト・ツェアフェルト。
                                 ニーナ・クンツェンドルフ
   
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「東ベルリンから来た女」でベルリンの壁崩壊前の社会主義の東ドイツ。秘密警察の恐怖政治が市民の日常生活を支配する社会に敢然と戦った女医を描いてから、さらに、ナチス時代のドイツ社会の深層に切り込んだこの映画はドイツ映画史上・明日の課題を担う作品!

ナチスからの亡命作曲家クルト・ヴァイルの名曲≪スピーク・ロウ≫が全編に流れ、作品の感動のキー・ポイントになる美しい調べに酔いしれる。

≪ものがたり≫

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ドイツ降伏直後の45年のベルリン。*顔を撃たれたユダヤ人声楽家のネリー(ニーナ・ホス)が弁護士のレネ(ニーナ・クンツェンドルフ)に伴われてアウシュヴィッツ強制収容所から帰ってくる。顔の再整手術を受けるがレネの反対を押し切って元の顔にしてもらう。彼女の願いはピアニストだった夫ジョニ―(ロナルト)との再会・ナチスに破壊された幸福な人生を取りもどす事だった。だが親友のレネは反対だった。

* ナチスによってアウシュヴィッツに送られ、からくも生還したものの、顔を無くし、夫を無くし、自身のアイデンティティーを無くしたユダヤ人女性が自分自身を取り戻せるか?破壊が無惨で過酷であればあるほど、修復は困難だ。
ユダヤ機関で働く親友の弁護士のレネは、富裕のユダヤ人であるネリ―の一族は全員アウシュヴィッツで殺され、彼女は莫大な遺産相続人になっていると告げ、ここドイツはユダヤ人にとって危険だからパレスチナに移住しょうと告げる。そしてジョ二―はあなたの検挙前に離婚届けを出しているし、遺産目当てなのか最近その書類を盗み出そうとした。彼を信用出来ないと警告する。ネリ―は聞き流している。

顔の傷がまだ治らないネリ―は夜になると、人目を忍んで夫ジョ二―を探して巷を彷徨した。45年のベルリンの街、夜は暗闇で、物騒で金を巻き上げられたり、娼婦に間違えられたりした。瓦礫の中の僅かに残った建物が米兵相手のクラブ、ピアニストだった夫のジョ二―はそこで掃除夫として働いていた。彼に声を掛けても彼女を妻のネリ―だと認識しない。ネリ―はアウシュヴィッツで虐殺されたと思い込んでいるのか?私娼だと勘違いされて店を追い出され時、彼から声を掛けられた。

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「金儲けをしょう。妻に似ているんだ。収容所で死んだ。一族も全滅した。妻を演じてくれれば、妻の財産を山分けしょう」

彼女は彼が本当に自分を愛していたか、裏切ってナチスに売ったかを確かめるつもりで引き受ける。

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*列車で旧友の前に帰還しなければならない、とジョニ―は言う。皆に見破られないように訓練しなければならない。
暗く粗末な地下の自分のアパートに連れて行き、歩き方やしぐさを指導、筆跡を真似させ、かつてパリで買った靴を履かせ、赤いドレスを着せる。
* 「男によって生命を吹き込まれる女性」というギリシャ神話のピグマリオン効果か?ネリ―はネリーを演じることで生命が吹き込まれたか?

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彼女は「本当の私に気づいて」という思いと、一方彼の正体にうすうす気づいていく心理が交錯する。
彼はどんなに彼女が妻に似ていようが、「収容所で死んだ」と思い込んで観念みたいになっている。又は妻への罪悪感からネリ―をまともに見ようとしないのか?

ある夜、ネリ―はジョ二―の家から抜け出して、レネの暗がりの寝室で告げる。「彼は私を見てもわからなかったわ。辛かった。私は一度死んだの。その私を彼はネリ―に戻してくれたの。彼と一緒にいると、昔の私に戻れる気がするの。だから、パレスチナには行かないわ。」

43年の冬、ジョニ―はユダヤ人の妻ネリ―を友人夫婦のボートハウスに隠した。今その友人宅にネリ―を行かせ、ジョニ―は木陰で様子を見る。庭にいた夫人はすぐにネリ―だとわかる。ネリ―が逮捕された時、夫婦は家の窓からただ見ていただけだった。「助けようがなかったの」と泣く夫人。続けて、逮捕直後にジョニ―が来訪したことを告げる。それはレニの言う「ジョニ―の裏切り」を裏付けるものだが、ネリ―は別のシナリオを考える。妻が心配でボートハウスに来たのを当局に尾行されてしまったのだ、と。ジョニ―は何とも言わなかった。

いよいよ来週、列車でベルリンに行き、旧友たちの元に「生還」しなければならない。ネリ―はレネの家に行き、家政婦から知らされる。数日前にレネが銃で自殺をし、手紙を託されていることを。
「私たちは過去には戻れない。私には前進もない。生きている人より死者に惹かれるの」手紙とジョニ―が出した離婚届の写しが入っていた。

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ベルリン駅に降り立ったネリ―を、旧友たちとジョニ―が出迎える。ユダヤ人のネリ―に対してドイツ人の旧友たちはぎこちない感じで迎える。みんなで食事をしているとき、ネリ―は席を立ち、ジョニ―にピアノを弾かせ、レネとの約束の曲ジャズの名曲「スピーク・ロウ」を歌い始める。この歌のように「優しく/愛を語れる」だろうか?

愛を語るときは、/ 優しくしゃべって
二人の夏の日は / とっても はかない
愛を語るときは、/ 優しく しゃべって
二人の時間は / 漂う船のように早い
とっても早く過ぎ去ってしまう / 運命なの

はじめ、ささやくように。次第に力をこめてネリ―は歌う。ジョニ―が凍りついてゆく。表情が変わり、人格が崩壊してゆくようだ、、、
映画をみている我々は魂が鷲掴みされたかのように熱くなり、光り輝く窓の外の世界に、弾むように消える去るネリ―の姿を追っていた。

* この作品はいろいろな象徴性をもっている。妻ネリーだが、事の真相は夫の愛は本当か?裏切りなのか?探っている。夫(ドイ ツ国民)に拘泥する彼女は、過去や歴史に囚われ自由になれない当時のドイツ一般国民の象徴ともとれる。
* 夫ジョニ―はネリ―を妻と認めない。その頑なさと孤独さ=過去を認めない、正面から受け止められない、当時も今もいる人々 をさしている。ドイツにおいても日本においても。
* ナチス崩壊後のドイツ国民、過去の過ちを後悔しながらやったことの重大さ、失われた過ちの多さに愕然とした。戦後支配した  瓦礫の山、ナチスへの怨念、引きずる重苦しさが象徴している。
* 一番安易なやり方は、全てナチスのせいにして自己責任を取らないこと。ナチスを生み出し支えたのは他ならぬドイツ国民だと  いうこと。それは日本においても同じ。南京虐殺も旧日本軍慰安婦も日本人がやったこと。歴史の真実からは逃げられない。

* ベッツォルト監督とニーナ・ホスのコンビに喝采を贈る。戦後のドイツ内部の深層に向き合うことは意味のあることだ。私はドイ ツ映画史上記念的作品になると確信している。「ハンナ・アーレント」(13年)の延長線上につながっていると思う。



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  1. 2015/08/26(水) 22:01:20|
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