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美術/音楽/舞台「2つの公演」②辺見庸「死刑と新しいファシズム」8.31 10.02記

美術/音楽/舞台「2つの公演」②「辺見庸―死刑と新しいファシズム」(8月31日、四谷区民ホール)10.02記

辺見庸1
講演会の切り出しは次のような話で始まった。確定死刑囚の俳人大道寺将司からの手紙のなかに、8行からの黒く塗りつぶされた部分があった。黒いマジックで執拗に塗り潰された手紙。

「これは何なんだ!」
黒塗りの手紙を受け取った時、「肉が割れて骨も見えるような、肉体の裂け目を見ているような」ただ事でない思いがした。

戦前・戦中特高なるものが存在して私信の塗り潰しをした事は知っている。小林多喜二が特高に虐殺されたことも知っている。何処かに特高がいるのか?かつての特高であるならば、<共産主義者>を言いがかりに塗りつぶしや抹消・差し押さえをやる。それとはどうも違うようだ。

辺見庸は確定死刑囚の大道寺将司と文通・交流がある。俳句を通しての交流らしい。 
大道寺将司(1948年~新左翼活動家、俳人、確定死刑囚、東アジア武装戦線“狼”部隊のリーダー。三菱重工爆破事件など9件の企業爆破事件で起訴された。
 確定死刑囚として38年獄中にいる。俳句という自己表現を獲得してからは
 事件への悔悟、謝罪、苦悩、慙愧のことばで溢れ全部自分に向けられている。
  * 棺(かん)一基(いっき)四顧(しこ)茫々(ぼうぼう)と霞けり

彼が昨年、俳句集[棺一基 大道寺将司全句集]を出し、第6回「一行詩大賞」を受賞した。(選考委員=角川春樹、福島泰樹、辻原登、後援、読売新聞)主催者からの要請を受けて、自選句を何句か書いた。それを当局が塗りつぶした。

確定死刑囚は面会・手紙が制限されていて、あらかじめ決めた相手としか許可されない。許可していない者だから抹消削除した。又、賞の主催者の「受賞のことば」依頼も不許可になった。昨日彼から手紙が来て、黒塗りの手紙を送って申し訳ないと謝っている。当局がやったことをやられた本人が謝ってくる。辺見さんはヒヤリとする。何かおかしい。

当然のことながら、憲法21条 [集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密]の条項があって保障されているはずだ。ところが例外規定があって、刑務所や拘置所などの刑事施設では検閲や塗りつぶしが認められているんだと!再犯や犯罪の指示の防止のためだと!この例外規定が黒塗りの犯人か?

大道寺将司に面会に行くとホッとする、気分が和む、と言う。彼には獄外に充満している「すさみ」が無いからだと言う。彼の表現には、38年前の罪を牢の中で日夜激しく悔いて恥じてわびている人間のたましいがあると言う。言葉が言葉として通用する。大きな齟齬をきたさないという。
獄外の我々は目に見えない腐乱、言葉が文字通り届かない無力感にさいなまれている。CMのような迫真の嘘。そうした言葉たちに包囲され、悪性腫瘍のように浸潤されているのが獄外の我々だという。

黒塗りの手紙の真犯人はわからぬが、死刑囚は勝手なことをするな、俳句や詩など詠むな、獄外の者は妙な協力をするなという脅しである。
 詩人辺見庸の感性は、死刑という観念と天皇制とが底で同じようなイメージで結ばれていると大胆な仮説を立てる。死刑執行場面は天皇制と同じくタブーであり、誰も公開せよと迫らない。

今、日本の毎日の一刻一刻が「歴史的な瞬間」だと感じている。
東電福島原発の汚染水拡大。日本史の教科書の問題、君が代、日の丸問題など
大きな問題がゴロゴロと転がっている。時代が大きく変わろうとしている。それに異議を唱え戦う人がいない。

最近職場で怒鳴り合いをしたか?と人々に問う?ヒーローもアンチ・ヒーローも敵もよくわから無くなっているのではないか。詩人石原吉郎が言ったように「自分の声は何処へも届かないのに、ひとの声ばかり聞こえる時代」だそうだ。辺見さんは声が届かない、言葉に見放されているというのは「原ファシズム」の特徴の一つだという。人間の内面への切実な関心を無くしてゆくこと、モノ・テクノロジー・金と引き換えに人の言葉への無関心、無感動が広がってゆくことは「原ファシズム」だという。我々の身近の情況はそうではないかと辺見庸は問う?

昨今あちこちで起きている在日韓国人いじめに怒りを禁じえない。在日の友人にその危害が迫ってきたら、必ず守る。力によって他人を従わせる耐え難い局面はすでに訪れている。個としても戦わざるを得ない時がきたのだ。
今問題なのは「これが歴史的瞬間ですよ!」という人間がいないだけではなく、歴史が崩壊している、転覆されているという実感が何者かに奪われている。我々の内面が崩れていることが一番怖い。

安倍が考えやろうとしている事は9・11以降のアメリカがやった法制度の改革に似ている。日本版愛国者法。法律に非常事態下の「例外事項」を作ってゆく。先ほどの黒塗りの手紙と同じですね。今問題となっている「秘密保全法」。思想弾圧が可能となり一気にファッショ化が進む。

安倍に自国の姿が他国にどう写っているかがわかっていない。平和的か好戦的か?中国や韓国にどう写っているか。彼らは歴史的経験があるから痛いほどわかっている。今の日本が怖い。復古主義・事大主義の安倍が「民族・国家の危難を除去するために」海兵隊的機動部隊をつくる恐れがある。彼には戦争を可能にする国家にしてゆこうという発想が歴然とある。それを中国、韓国は恐れている。

最後に彼は戦後の左翼、知識人に鋭く切り込む。
戦後の左翼・知識人に、民主主義とは何かと命を賭けて戦ったことがなかった。
戦うべき「敵」はいなかった。そこを彼は「天皇制と戦後左翼のエートスとの関わりがある」と指摘する。
戦後思想の代表者吉本隆明の言「昭和天皇に対する<絶対感情>」をあげる。吉本は共同幻想を言いながら、あの人自身は、自分の心のなかのヒロヒトを乗り越えることができなかった。
戦後の日本国家・社会は民主主義、天皇制、その延長線上の「死刑制度」も絡まり合って、「日本文化」を形成している。より正確に言えば「恥ずべき国民文化」を形成している。(*この民主主義、天皇制、死刑制度がひとつの環になって「恥ずべき国民文化」を形成している、との論はもっと説明あるべき)

惨憺たる敗戦を経験しながら、周辺諸国の人間を2千万以上も殺しながら、なぜまた、同じ道を歩もうとしているのか。ドイツのように、ナチの完全な否定、戦後補償の徹底、歴史の反省ということがどうして出来なかったのか。そして、今の歴史の転覆と全面的な塗り替えがすすんでいる現実をどうするのか。

どうしたら国家と国民の幻想から脱することが出来るか?彼は「個」の力の集合しかないという。

昭和天皇の「大喪の儀」の時、棺を殯の宮に移動する。1ヵ月灯りを1つ灯して誰かが付き添う。この殯の宮を誰も見ない。タブー。薄明かりの曖昧さ、日本文化のあらゆるところにこれがあるという。写真を撮らせてくれと欧米の記者ならありえても日本にはいない。彼はそれがファシズムとして培養され立ち上がってくるという。
 
知識人よ! 己の内部の、この「恥ずべき国民文化の環」に戦いを挑むべきだというのが、彼のミッションです。

吉本さんのような特攻世代には<絶対感情>がありえることは頷けるが、僕にとって昭和の天皇は直接の関係がない。戦中は幼く、戦後は視野に入っていなかったからだ。だが辺見さんが言う、ものをいう気がしない情況、敵が見えない情況は「恥ずべき国民文化の環」に取り込まれていることらしい。よくよく考えてみる必要があるだろう。

辺見庸(1944年、宮城県石巻市出身。早稲田大学出身、共同通信、中国特派員、外信
  部長、1991年「自動起床装置」で芥川賞。「もの食う人々」2004年、脳出血。2005年、
  大腸癌。2011年詩集「生首」中原中也賞。執筆・公演と精力的な活動を続けている。
吉本隆明(1924~2012年、東京都出身。日本を代表する思想家、詩人、評論家。
  60年安保で学生運動の精神的支えになり、その後戦後を代表する思想家となった。
  「芸術的抵抗と挫折」「共同幻想論」「言語にとって美とはなにか」他多数。
石原吉郎(1915~1,977年、詩人。シベリヤ抑留を文学的テーマにした詩を書いた。詩集
  「サンチョ・パンサの帰郷」評論集「望郷と海」





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  1. 2013/10/02(水) 11:39:54|
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