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映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『美術/音楽/舞台/読書』「おらでひとりいぐも」(若竹千佐子) 3/28

『美術/音楽/舞台/読書』「おらおらでひとりいぐも」(若竹千佐子)     3/28

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小説の題名は、宮沢賢治の「永訣の朝」に出てくる妹トシが臨終の時に云う言葉。「私は私で一人あの世に逝きます」。賢治、最愛の妹の死を看取った、妹としの別れの言葉である。親密な兄妹の、別れの今わの際の、せつない言葉だ。賢治のことが書かれたものだと思った。ところが老婆の東北弁の独白の綴りであった。
「おらおらでひとりいぐも」は孤独な老婆の心境の独白である。賢治と同郷の遠野地方の方言で書かれた文章は、通り一片の読み方を拒絶して、作者独特の内蔵している孤高の世界の語りの開示であった。

オリンピックの頃集団就職で東京に出て来た。同郷の周造と結婚したが息子娘の二人の子どもを残して旦那は先に逝った。今では子育ても終わり子供たちも家を出て、主人公の桃子さん一人の生活である。

今頃になって何故東北弁なのか。24の時に故郷を離れて五十年、日常会話も内なる思考の言葉も標準語で通してきたのに、なのに今、いつの間にか東北弁でものを考えている。おらの内側で誰かがおらに話しかけてくる。(おらのなかに)大勢の人がいる。おらの思考は、今やその大勢の人がたの会話で成り立っている。それを「おらの内側に住み込んだ小腸の柔毛突起のようだ」と言っている。

あのどぎにおらは重々分がったのさ。この世にはどうにも仕方がない、どうしょうもねごどがあるんだ、その前では、どんな努力も下手なあがきも一切通用しねってごどがわかった。人間の無力を思い知らされたわげで、絶望という壁を認めてしまえば、あとは楽だと思った。

山姥がいる。現代の山姥はかっての新興住宅にひっそりと住んでいる。子供を大事に育てたのに、子供の命を呑み込んでしまったのではと恐れる母親のことである。母さんが息子の見も知らずの男に大金を渡してしまったのは贖罪だと言ったら驚くだろうか。母さんは息子の生きる喜びを横合いから奪ったような気がして仕方がない。大勢の母親がむざむざと金を差し出すのは、息子の生に密着したあまり、息子の生の空虚を自分の責任と嘆くからだ。
「オレオレ詐欺」の解説みたいな文章ではないか。都会に生きる息子の空虚な生への母親の贖罪だと、、、

この頃飼い馴らし自在に操れるはずの孤独が暴れる。一体何が変わったのか。一体何をきっかけにそうなるのか。コドクの正体は何なのか、ある日、、、突然、地面に押し込められ身動きが取れないような圧迫感に襲われて、声にならない声をあげて、さみしいじゃい、おらさみしいじゃいとのど元から突き上げるのを感じるのである。

陸奥の方言という鎧で防御した作者の内的な孤独な心情、「さみしい、おらさみしいじゃい」のど元を突き破るように泣き叫ぶ。薄ぺらなことばかり続く浮き世を突き破るように、響いてくるのである。






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  1. 2019/03/28(木) 22:50:00|
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『2019年映画』「金子文子と朴烈」(韓国映画、監督イ・ジュンイク出演チェ・ヒソ)3/12

大きい文字;">『2019年映画』「金子文子と朴烈」(韓国映画、監督、イ・ジュンイク。 3/12)
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「犬ころ」 1992年大正11年  朴烈
私は犬ころである / 空を見てほえる / 月を見てほえる / しがない私は犬ころである 
位の高い両班の股から / 熱いものがこぼれ落ちて / 私の体を濡らせば / 私は彼の足に / 勢いよく熱い小便を垂れる

私は犬ころである

大正11年 東京
 社会主義おでん屋と呼ばれる居酒屋で働く金子ふみ子は「犬ころ」の作者に心を奪われた。朴烈に会いに行って「あなたは伴侶がいますか?決まった相手がいるなら同志になるだけでいい。」朴烈が「伴侶はいない」と答えると「同居しましょう。私はアナキストです。」二人はたちまち心が一致して同居しました。

 朴烈が率いる結社は親日派(日本帝国と仲良くやろうという朝鮮人)に抗議していたが、日本人と朝鮮人による「不逞社」を新たにつくって活動することになった。

大正12年9月1日、関東大震災発生。

東京は大被害を受け、二人の運命は大きな渦に巻き込まれてゆく。朝鮮人が井戸に毒を投げ入れたというデマが飛び交い多くの朝鮮人が殺された。政府は「戒厳令」を発令するが、流言が事実かのように受け止められて、自警団の朝鮮人殺しは激化する。
 内務大臣は朝鮮人殺しの隠蔽のスケープゴートとして、「大逆事件」をデッチ上げようとした。朴烈と金子文子が皇太子暗殺未遂事件の容疑者として逮捕された。(大正12年10月)布施達治弁護士が弁護に立った。(人権派弁護士として有名)同年、亀戸事件(10人の活動家を軍隊が殺害)同年、甘粕事件(アナキストの大杉栄、伊藤野枝、等が甘粕憲兵大尉に殺害される。)大正12年の関東大震災前後は虐殺事件等が頻発した。

布施弁護士は朴烈に言う。「大逆罪の量刑は死刑のみだ」(大逆罪は有罪になると死刑のみだ)
朴烈は「朝鮮人としてするべきことをするのが大逆なら、喜んで罪人になる。」と。(朝鮮人の正当性のある裁判であるなら、死を覚悟してもやる。)

朴は裁判で
帝国主義の支配の不当性、朝鮮人が、国が奪われ、氏名がはく奪され、言語も奪われた、植民地朝鮮の貧困・民族の誇りの剥奪を切々と裁判で訴えた。

裁判が面白い!

朴烈は文子との交信を立松判事に頼んだ。「離れていても君と同居していると感じる。契約を守っている。君も僕と同じだと信じる」文子は涙がにじんできて、自伝「何が私をこうさせたか」を書き始めた。

破天荒な二人の精神がオカシイと、判事は精神鑑定をやろうとするが逆に一本取られてしまう。二人の交信の邪魔をして怒った朴烈が断食をはじめたので、裁判を早く終わらせたい政府側は慌ててご機嫌をとる逆転です! 朴烈たちが裁判を楽しんでいるみたいだ! 裁判を受けるにあたって二人は要求を突きつけた。

① 裁判が両民族の争いの場なので、こちらも韓服、彼女はチマチョゴリ。
② 通訳を入れて欲しい。
③ 裁判は対等なので、椅子の目線を同じに。
④ 二人の記念写真を撮る。(撮る時、朴烈が座っている椅子に文子も座り、朴烈の手が膨らみに!)

公判は二人の弁論の主張=国家権力の批判の展開。会場からのヤジ、反対のヤジ、、、文子は傍聴席のヤジに「静かにしろ!」と啖呵をきった。その凄みの鋭いこと!騒然となり傍聴禁止に。

文子は公判で言った。
「私は朴を知っている。朴を愛して居る。彼に於ける凡ての過失と凡ての欠点とを越えて、私は朴を愛する。そしてお役人に云おう。どうか二人を一緒にギロチンに放り投げてくれ。朴と共に死ぬるなら、私は満足しよう。して朴には云おう。よしんばお役人の宣告が二人を引き分けても、私は決してあなたを一人死なせては置かないつもりです。」

判決が下りた。 二人とも「死刑」。文子は万歳!バンザイ!と三唱。

死刑反対の世論が沸き起こった。衆議院から死刑反対の声があがった。天皇から「恩赦による減刑」が出た。二人とも恩赦状を破り捨てた。

朴烈、千葉刑務所に、金子文子、宇都宮刑務所に移送された。
文子はこのように言った。
「生きるとはただ動くということだけではない。私の意志で動いた時、死に向かうものに動いたとしても、それは生の否定ではない。肯定である。彼と闘った三年こそ私は私自身を生きた。

昭和元年 7月 金子文子、宇都宮刑務所にて自死

布施弁護士は、朴烈に文子が死んだことを告げた後、「君は生きていけー」と言った。
朴烈 昭和20年まで獄中、その後民団の結成に参加、1974年北朝鮮で死去(享年71)

 *威勢のいい、豪快な朴烈(パクヨル)。金子文子の荒野に咲く一輪の野花のような可憐さ。
  表向きの強さの裏に傷ついた内面性を持っている。チェ・ヒソの情熱的で肉感的な魅力。
 *「犬ころ」の詩にあるように韓国アナキストの驚くべき自由な精神!
 *獄中記を読んで、文子を見る目を変える看守、尋問で変わってゆく立松判事、作品をぶ厚いものに。
 *反日的にならぬように、配慮した作り方。
 * 文子はなぜ自死したか?死因は何か?
  
  1. 2019/03/12(火) 11:33:26|
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