FC2ブログ

私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『2018年映画』「THE PROMISE君への誓い」(アルメニア大量虐殺を描く) 2/26

『2018年映画』「THE PROMISE 君への誓い」(「ホテル・ルワンダ」のテリー・ジョージ監督が
                     2/26         「アルメニア大量虐殺」を語り継ぐ
                 出演オスカー・アイザック。シャルロット・ルボン。クリスチャン・ベイル。
⓶DSC_1592

ナチスのユダヤ人大量虐殺の前に、20世紀最初のジェノサイドがあった。150万人犠牲となった、アルメニア人大量虐殺事件。噂では耳に入っていた。しかし、この「THE PROMISE」でほぼ全体像がつかめた。19世紀末のオスマントルコ帝国の少数民族であったアルメニア人が「強制移住・大量虐殺のジェノサイド」があった。特に第1次大戦に入ってのオスマン帝国が組織的虐殺を行った。その数150万人(諸説がある)。しかし、オスマンの後継国家であるトルコは認めていない。

DSC_1597.jpg
オスマン帝国におけるアルメニア人共同体は、東部の農村社会とインスタンブールなど
の都市部商業地域から成り立っていた。特に後者は貿易や金融で成功して富裕な商人層を形成していた。しかし、19世紀に入るとアルメニア人の中からカトリックへの改宗を通じて、西ヨーロッパの庇護を受け特権を享受する者が現れ、ムスリム住民との間に軋轢を生じるようになった。又、富裕層の中から西ヨーロッパとの交流を通じて民族主義に目覚める者も現れた。

1877年の「露土(ろと)戦争」(バルカン半島のスラブ系民族がトルコの支配に反対して起こし反乱。ロシアが支援に動き勝利)ロシアは南カフカスとアルメニア居住地帯の北東部を占領し、オスマン帝国内のアルメニア人を保護するようになった。これを契機にオスマン帝国内外でアルメニア民族主義が勃興し、秘密のアルメニア独立党が生まれ、オスマン官僚を狙うテロが勃発するようになった。と同時に、先の露土戦争の時にロシアの占領地からオスマンに逃れてきたムスリムたちが、キリスト教徒であるアルメニア人との敵対感情を露わにするようになった。

1894年「ハミディイェ虐殺」アナトリア東部でムスリムとアルメニア人との大規模な衝突、オスマン政府が軍隊を出して鎮圧、アルメニア人が2万人の犠牲を出した。度重なる襲劇にアルメニア政党は国際世論に訴えた。
大量虐殺DSC_1595

1895年に英・仏・露が共同してアナトリア東部の行政改革案を出した。オスマン帝国が改革案を受諾しながら全然実行しないこと怒ったアルメニア人の大規模なデモがインスタンブールで起きるが、これが外圧を傘に着た横暴だと激怒したムスリムが首都のアルメニア人を襲撃する。さらに翌年アルメニアの革命組織がオスマン銀行を襲撃・占拠する事件が起こり、ムスリムとアルメニア人との衝突が繰り返された。アルメニア人の一連の衝突の犠牲者は数万に上り、一部富裕層はオスマン帝国を見限って欧米への移住が相次いだ。 
 
20世紀に入って、「ユルドゥズ暗殺未遂事件」を経て、青年トルコ人革命軍がスルタンを倒して、トルコは憲政を復活した。1909年4月に起こった「アダナの虐殺」でアルメニア人キリスト教徒1万5千人~3万人がムスリムに殺された。この時現地の米大使館に数千のアルメニア人が避難し、寄港中の仏の軍艦3隻にも殺到した。(このような対立を繰り返し)
DSC_1582.jpg

 第1次大戦に入ると、トルコは民族主義に傾斜し次第にアルメニアとの対立が強まった。大戦で「オスマン帝国」が同盟国側につくと、ロシアは連合国側について東部アナトリアを撃破してオスマン軍を破った。この時アルメニア人ゲリラがムスリムを殺害する事件が起きた。これらの行動は露土戦争以来オスマン帝国内外に浸透していたムスリムのアルメニア人への敵意を確実なものにした。1915年4月のヴァン包囲戦で、アルメニア人防衛戦が突破され、戦闘地域での反国家・利敵行為を阻止するとの目的で、アナトリア東部のアルメニア人をシリアの砂漠地帯にある「デリゾール強制収容所」に移住させる方針を決定した。それは死の行進政策であった。*
①DSC_1586
 
*「死の行進」指令が実際に行われたか否かの事実は議論があるが、タラート・パシャ によって1945年4月24日行われたとする説が有力である。同日インスタンブールにいるアルメニア系の著名な知識人が多く逮捕・追放され虐殺された。この日を「ジェノサイド記念日」と記憶された。
  アルメニア人は徒歩で乾燥した山地を超えてシリアの砂漠を超えた強制収容所に駆り立てられた。多くのアルメニア人が命を落とした。虐殺を肯定する立場からは、村々から青年の男子は一か所に集められてまとめて殺されたという。
  ジェノサイドを否定する立場からは、戦時下の最前線の混乱によるといっている。

*宗教的にはイスラム教(トルコ)&キリスト教(アルメニア人)。宗教的敵対か?それと一帝国内に異教の少数民族の存在が邪魔になった?だが、それでジェノサイドが起こるのだろうか?
*移民として入ってきたアルメニア人。トルコの民族主義の高揚からの少数民族への排除の論理か?
*ヒットラーがアルメニア人虐殺を参考にしたという説がある。これは恐ろしいことだ!

ジャナーリストDSC_1590

<映画のストーリー>
 オスマン帝国の小さな村に生まれ育ったアルメニア青年ミカエル(オスカー・アイザック
は、医学を学ぶためにインスタンブールの大学に入学した。アルメニア人女性のアナ(シャ
ルロット・ルボン)と出会い互いに惹かれ合うが、アナには米国人ジャナーリストの恋人ク
リス(クリスチャン・ベイル)の存在があった。第1次大戦と共にアルメニア人への弾圧が
さらに強まる中、故郷の村に向かったミカエルはアルメニア人への虐殺を目にする。一方ク
リスはトルコの蛮行を世界に訴えるために奔走し、アナも行動を共にする。
第1次大戦下のトルコによるアルメニア人を縦軸に、3人のロマンスを横軸に物語は展
開する。「生き延びるが復讐」というテーマのように、ジェノサイドを主人公たちは必死に生き、フランス海軍救出までが描かれる
 
登場人物DSC_1594

全体のトーンが甘すぎる。往年のハリウッドの戦乱メロドラマと深刻なジェノサイドの組み合わせに無理があるのか?現在の視点ではいろいろと困難な難しいことが出てくる。アルメニア人側の視点だけが強調されているが、トルコ側の視点はどうか?イスラム教とキリスト教との対立。移民と先住者の対立。現在の中東を見ていると、これをどうするか?と重たい心を引きずっている。
多数民族と少数民族の問題といえば、「ミヤンマーのロヒンギャ」だろうか?少数者といかに仲良くするかということは簡単ではないことがわかる。

*「日記」2/26
先週の木曜に緊急な下痢に悩まされ少し往生しました。入ったものがすぐ出てしまい、やっとおさまったのが土曜日。まる2日食べ物が取れなかった。お蔭で2K痩せた。減量が苦しみと共にあるなんて!


スポンサーサイト
  1. 2018/02/26(月) 17:18:07|
  2. 『2018年映画』
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

『2018年映画(ドキュメント)』「ブラックリスト韓国ー録画2/4 ③」 2/22

『2018年映画(ドキュメント)』「ブラックリスト韓国―録画2/4 ③」 2/22

DSC_1522.jpg

時の政権が倒れると、韓国では前政権時代の汚職・不正が摘発されることがよくあった。民主的だといわれた大統領でも、一族の不正や汚職が摘発された。韓国社会の“血のつながり”の因習か?と思ってきた。

DSC_1524.jpg

前回第2章で「南北の分断は保守&革新の分断」それが文化・芸術の分野まで及んでいるという。ドキュメント「ブラックリスト」では、その問題を超えた詩人を挙げていた。

①DSC_1537

 民主主義を求めながらも、一貫して政権とは距離を取り続けた詩人がいる。“コ・ウン”詩人。84歳。韓国の代表的詩人。韓国の歴史を舞台に民衆の群像を描いた多くの作品が有名。韓国でノーベル賞に最も近い詩人と言われている。

DSC_1538_20180222163619fd1.jpg

 コ・ウンさんは軍事独裁政権の時代から、一貫して民主主義を求めてきた。弾圧を受け獄中に拘束されてこともある。民主主義のために身を賭して闘った詩人、政権から何度も力を貸してくれと言われても拒んできた。

コ・ウン氏
「保守と革新に分けて、どちらかにつくようなことはしたくありません。世の中には長年の伝統や今あるものを大切にする保守も必要です。昔の痛切な経験が忘れられないのです。隣人どうし、兄さん、姉さん、弟、妹と呼び合って暮らしていたのに、イデオロギーが入ると肉親同士が敵になってしまう。そんな悲惨な情況を目の当たりにしてきました。芸術は何度か弾圧されたくらいでは無くなりません。芸術は永遠なのです。政治や権力よりも長く生き続きます。だれも奪うことはできないのです。」

コ・ウン氏のような権力から離れたところに自分の位置を築いた人は敬服に値する。右であれ左であれ、イデオロギーで書かれたものは面白くない。党派の宣伝の道具でしかないからだ。戦前のプロレタリア文学と戦中の戦争文学が面白くないのと似ている。どちらも御用文学だからだ。中野重治の顔が浮かんでくるが、今ここでは触れない。彼は一級の文学者だ。

DSC_1539.jpg

韓国のブラックリスト問題が節目を迎えた。キム・ギチュン元秘書室長が表現の自由を侵害したとして、懲役4年の判決を受けた。

ソールの学生街のライブハウスで、キム・デジョンさんのトークショーが開かれていた。たくさんの年代の人が詰めかけていた。
勝利DSC_1542

「彼のどんなところが好きですか?」
「正直なところ、彼の言葉にいつも励まされている」

DSC_1550_20180222165001274.jpg

彼の登場!リストに載せられたことで仕方なく始めたトークショーも276回目となった。トークショーで早速取り上げたのが、前政権の幹部が次々と逮捕されるニュース。

「学歴が高いとか低いとか言いますが、学歴が低い人が国を破壊しますか?国を壊すのは大卒ですよ!だから子供がソール大に行くといったら、気をつけて!刑務所に行くと、その大卒の比率が高いから!勉強するな!ゲームをしろ!すると子供は勉強します。ああ!ソール大に合格しちゃった。どうしょう!(笑)」

抱きしめようDSC_1555

デジョンは「隣の人と抱きしめ合おう」と呼びかけた。厳しい日の暮らし。でも、辛いのは自分だけではない。諦めることなくお互いに理解する勇気を持とう。」キム・デジョンが辿りついたメッセージだ。

「私が寒い冬を耐えることが出来たのは、痛みを分かち合える人たちがいたからです。支えてくれた人たちのことを私は信じています。私はトークショーをやりながら問題なく生きています。それが重要です。」

メッセージDSC_1557

表現の場を奪う試みは絶対に成功しない。1万人の名を刻み込んだブラックリスト。実体を解明する中で浮かび上がった現実。それは南北分断の厳しい現実。だが、力では奪うことが出来なかった人々の強さが凄い。こういう悲劇を二度と繰り返さないために何が必要か?韓国社会の模索が続いている。

(NHKのアーカイブスのドキュメンタリーでした。2018年2月4日放送)

「ブラックリスト」は戦後アメリカのマッカーシズム、いわゆる「赤狩り」が有名だ。昨年取り上げた映画「ハリウッドに最も嫌われた男―トランボ」、アメリカの映画界の「赤狩り」の主要人物だったトランボ。主人公は優れた脚本家で、「ローマの休日」等が代表作。赤狩りの第一の標的になった映画人だ。ジョンウエンやエリア・カザンが権力に同調し、抵抗したのがハンフリー・ボガート、オーソン・ウェルズ、キャサリン・ヘップバーンなどである。
 1947年、第2次大戦後世界が共産主義体制と資本主義体制にわかれ、米国で共産主義者追放の嵐が吹き荒れ、米国の「赤狩り」は日本にも波及した。

 日本でも保守政権が長く続いている。革新政党によってひっくり返ったことがない。(民主党は中途半端だ)だから、「ブラックリスト」なるものの噂を聞かない。だが、「秘密保護法」みたいな恐い法律で政府は国民を監視している。その他われわれのわからぬ公安組織・情報機関があるのだ。予断を許さないのである。
  


  1. 2018/02/22(木) 16:01:53|
  2. 『2018年映画』
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

『2018年映画(ドキュメント)』「ブラックリストー韓国 ⓶ 2/4録画」 2/20

『2018年映画(ドキュメント)』「ブラックリスト―韓国⓶2/4録画」2/20

DSC_1458.jpg

(拘束されるキム・ギチュン元秘書室長)

8年に及ぶ保守政権の間に、政権に批判的だとしてリストアップされた1万を超える人々。その一人一人にどんな影響を与えたか?今、韓国では司法当局を巻き込んでその実態にメスが入っている。

DSC_1462.jpg

 拘束された元政府高官は7人。パク・クネ元大統領、キム・ギチュン元秘書室長等ブラックリスト作成に加わり実際に様々な圧力をかけていたとされる中心人物だ。

 リストに記載された1人、プサン国際映画祭元実行委員長のイ・ヨングァンさん。韓国映画を育てた人だ。事件が実際に起きたの
DSC_1470.jpg

は2014年10月、プサン映画祭の時。参加作品300本、世界各地から20万人の観客が集まった。問題は1本のドキュメントを巡って起きた。
DSC_1476.jpg

「ダイビングベル・ーセウォル号の真実」。セウォル号の沈没のドキュメンタリー映画を上映しないように上か圧力がかかった。沈没事故で高校生ら299人が亡くなり、未だ5人が不明だ。事故対策・救出の政府の無策を責める世論が巻き起こる。「ダイビングベル」が注目のドキュメントだった。
DSC_1480.jpg

 それに反応したのが青瓦台(大統領府)だった。秘書室長が残したメモ(2014年9/5)
DSC_1499.jpg
官邸内で「ダイビングベル」が話題に上っている。事故発生から5ヶ月=犠牲者遺族や市民のいらだちがピークに達した。捜索活動の遅れや政府の対応の不手際に対する怒りが高まった。この時、1本の電話が文化体育観光部に青瓦台からかかってきた。「ダイビングベル」上映の中止をプサン市長に命令するようにという伝達だった。青瓦台秘書室―文化体育観光部―プサン市長を何度も連絡した記録が残っている。当局はプサン市長に政府の立場を伝えている。9/20文化体育部の高官がプサン市長に面会、市長は映画の上映の中止を約束した。
DSC_1501.jpg

 問題が明るみに出ると市長は自らの関わりを否定した。当時の実行委員長イ・ヨングァンさんの記憶は異なる。

DSC_1493.jpg

「プサン市長が私と副委員長に<上映の中止を要請>。政治的な問題が多すぎる、という。
私「すでに発表しているので上映しなければならないと拒否。」後で、携帯にかかってきて、
「上の方はお怒りだ。こんな映画は上映する必要があるのか。映画祭のためにならないから中止の方向を探るべきだ。」何度も圧力がかかってきた。記者が委員長に「上の方とは?」と聞くと委員長「文化体育部と大統領府です」と答えた。
10/6映画祭5日目、「ダイビングベル」(イ・サンホ監督)が上映された。
10/6上映中止が出来なかった当日、キム・ギチュン秘書室長のメモに「文化芸術祭の左派の連中とは今後闘ってゆく。例えば<ダイビングベル>だ。」とあった。
 政府は権力を総動員して、映画祭に圧力をかけてきた。「映画祭には問題が多い」「政治的に左派だ」「内部に危険人物がいる」そんなレッテルを貼ってメディアや組織を使い映画祭を攻撃してきた。大きな圧力は映画祭の後にやってきた。全国200か所で上映が予定されていた「ダイビングベル」が30ヶ所でしか上映されなかった。翌年から映画祭に対する政府の援助が半分に削減された。

 ブラックリストは2代の8年の保守政権の中で作られた。民主化され先進国の仲間入りした、この国で何故必要とされたのか?その背景を自らの経験をもとに語ってくれる人物がいる。

DSC_1515.jpg

 昨年まで保守政党の国会議員を務めていたジョン・ドゥオンさん。イ・ミョンバク政権時代には、彼の腹心の1人だった。
「リストを作る背景にあったのは、元大統領の強い危機感でした。米産牛肉の自由化を進めていたが、狂牛病に対する市民の不安が広がり、政権を脅かす問題となってきた。健康への不安は政権そのものへの怒りにつながった。この時、政府が問題視したのはテレビー「ある報道番組」―MBC・2008/4月=「米国産牛肉―狂牛病の危険性は?」
 病気の牛を見て韓国人は、自分も病気に罹ると思い込む。/倒れた牛を食肉にされると宣伝された。『事実に基づかないもので虚偽だとわかった』この番組の後、文化人・言論人を中心に政権批判が広がり、SNSを通じて社会に広がった。「狂牛病の牛を食べるなら青酸カリを口にした方がましだ!」「政権を担う者は辞めるべきだ」と広がった。政権側は「誤った報道と文化芸能人が政府批判を煽った結果だと受けとめた。政権が発足して3ヶ月余り、7割を超えていた支持率が17%に急落した。あの時、政権は追い詰められていた。左派を倒さなければ持たないと思いました。文化芸能人による左派勢力の拡大を恐れた。それを食い止めるためにブラックリストがつくられたのです。
 
 もうひとつの背景として、韓国には「南北分断」という朝鮮半島の厳しい現実がある。韓国の政治社会は絶えず、北朝鮮とどう向き合うかが問われてきた。韓国は分断された国家です。北朝鮮と対峙している。北の存在が大きく影響している。北に批判的なら“保守”、好意的なら“革新”とみられる。冷戦時代に続いた韓国の保守政権。経済発展の基礎を作ったといわれるパク・チョンヒ政権は国を守るために「反共法」を制定した。民主主義者まで共産主義者として弾圧した。その後長く保守政権が続いた。流れを大きく変えたのがキム・デジュン政権の誕生。北との融和を進める一方で、国内では文化人の育成に力を注いだ。結果としては、文化芸術の分野まで巻き込んで”保守と革新“の構造が固定化してしまったといわれた。韓国では革新政権の時は左派に偏った政策を行い、保守政権の時は保守に偏った政策を行う。南北が統一するまでこの対立は続く。文化・芸術まで巻き込んだ、保守と革新の対立がリストを生んだ背景にあるという。

続く


  1. 2018/02/20(火) 16:11:06|
  2. 『2018年映画』
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

『2018年映画(ドキュメント)』「ブラックリスト 韓国ーその1」(2/4録画)2/19

『2018年映画(ドキュメント)』「ブラックリスト 韓国―その1」(2/4 録画)2/19 

DSC_1454.jpg
パク・クネ政権が倒れた韓国で文化芸・芸能人への「ブラックリスト」が発見され、真相調査委員会が発足し究明に乗り出した。衝撃的な内容は、文化人・映画人の個人だけでなく彼らが所属する企業まで及んでいた。大統領府・国家情報院・文化体育観光部の3課の機関が、それぞれデーターを集めブラックリストを作成していた。
調査委員会のメンバーは37人、弁護士や知識人、芸術協会の代表らで構成された。委員会のまとめ役の一人イ・ウォンジェさん。調査が始まって半年、驚きの連続だったと言っています。リストアップされた人は1万1千人。委員会は証言や内部資料を集め、捜査機関に協力して事実を明らかにしていった。

一番古いリストは2,008年8月イ・ミョンバク大統領が就任してまもなくのこと、初期にリスト作りの中心となったのは大統領直属の機関・国家情報院。リストアップされたのは82人、著名な文化人ばかりだった。それがパク・クネ前大統領のー文化体育観光部(文化芸術を司る機関)に引き継がれると1万1千人の大がかりなものになっていった。政府の補助金を絞る意図があったといわれている。

DSC_1453.jpg
国民的な人気があった芸能人キム・ジェドンさんはなぜリストに乗せられたか?調査によると、「トークショー」のことが書かれている。「キム・ジェドンは左派のイベントで司会を務めるなどの活動をしている」3種類のリスト――
① イ・ミョンバク政権下の「国家情報院」のリスト。
② パク・クネ政権の初期のリスト。
③ パク・クネ政権下の大統領秘書室のリスト。
きっかけになったのは「大学への補助金増額要求集会」(2011年6月)、政府に大学への補助金の増額を求めるものでした。
人気タレントだったキム・ジェドンさんはどのようにしてテレビから消されたか?
NBCいくつかの看板番組を持っていて絶大な人気を誇っていたジェドンさん!どうして消されたか?全国言論労働組合NBC支部長が当時の政権からの介入を調べている。
 「保守政権時代に局内にブラックリストが作られ、局内の特定番組を排除する動きがあった。<NBCの正常化>という建前でした。キム・ジェドンの<幻想の相棒>を中止するように、という指令が政府からきて番組は3ヶ月後に姿を消した。視聴率が13%という高い人気の番組が、編成局長の「コンプセプトが曖昧だ、良くない!」といって中止させてしまった。それまでは担当プロデューサーの意見が尊重されていた。2008年以降、第一戦のプロデューサーや制作スタッフの意見が無視され続けられてきました。」問い「ジェドンさんを起用するプロデューサーはいなかったのですか?」支部長「恐らく自主規制してしまったのだと思います。」
 ブラックリストに載せられたことでテレビ世界から消されたキム・ジェドンさんを記者は訪ねる。ジェドンさんは「このようなところに載らないと立派な人生とは言えないでしょう。」と冗談を言う。
「怖さはありますね。口を開くと怪我をするぞ!静かに生きろ!これは声をあげようとする多くの人たちへのメッセージなのです。お前もこうなるぞ!」という。「対象となった映画人は2600人、文化芸術人9700人です。この人たちは恥ずべきでしょうか?それともこのリストを作った人たちが恥ずべきでしょうか?私は恥ずかしくない生き方を選んだだけです。テレビ出演を諦めたわけではありません。でも、番組が一つ無くなることはそういうことなんだと思いました。テレビに出られないなら他のところで頑張ろうと思いました。
 
DSC_1451.jpg

「キム・ジェドン・トークショー」会場は100人も入れば一杯になるところでした。小さなライブ会場のマイクは人々の耳に、小さな声を届けるために作られたものです。自分の話をするためだけではない。声が届かない人々の声、誰にも聞いてもらえない人々の泣き声、子どもを失った親の悲しみ、職を失った母親や父親の嘆きの声、そんな小さな声がマイクを通して広く届けられなければならないのです。」
 全国各地を回るトークショーが、100人のライブが少しずつ広がりをみせた。プサンで2千、テグで4千、クアンジュで4千、、、これだけ多くの人たちが見にきてくれるようになりました。皆さんが聞きに来てくれるだけでも大きな支えになったという。「皆さんが勇気を出して来てくれたから、私はマイクで声を届けることが出来たのです。トークショーの企画者は誰かと聞かれれば、イ・ミョンバク元大統領と答えます」
                                
DSC_1550.jpg

 (続く)



  1. 2018/02/19(月) 14:32:08|
  2. 『2018年映画』
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

『2018年映画』「苦い銭」(仏・香港合作、ワン・ビン監督) 2/10

『2018年映画』「苦い銭」(仏・香港合作、監督ワン・ビン) 2/10

DSC_1450.jpg

ワン・ビン監督といえば「収容病棟」で中国の精神病棟(2014年)の内側にカメラを持ち込んで、現代中国の病理を抉り出した映画監督である。「収容病棟」の衝撃が忘れられず渋谷の映画館に出かけた。同じような期待で見に来た人が多く、ほぼ満員しかもほとんど中高年の男性映画ファンだった。
 
 列車に乗って出稼ぎに行くという少女15歳は遠い雲南省から来た。家が貧乏のため仕送りをしようとして働きに出た。彼女の行く先は上海近郊の浙江省湖州市という、住民の8割が出稼ぎ労働者の町。衣類加工や雑貨など日本の100円ショップなどの品物を作っている。カメラは彼女と同じ出稼ぎ労働者の実体を撮ってゆく。

 田舎に子どもを残して出てきて麻雀店を営む夫婦は喧嘩ばかりをしている。仲裁する工場の客たち。男の工員から遊びに誘われて勇気が出ない19歳の娘。長時間労働に耐えられず故郷に帰る青年。働く気力をなくして酒びたりの男。仕事は朝7時から夜12時まで。時給は272円。IT企業のエンジニアの年収1000万以上と大きな格差だ。巧みに視線をずらしてこの地に集う中国出稼ぎ労働者の人生を捉えてゆく。
 
 眠くって、眠くってたまらなかった。前作「収容病棟」のあの衝撃はどこへ行ったか?確かに銭(ぜに)に支配される人生!中国の膨大な庶民層の実体がある。だが、今の私にとって庶民層の実体に心が動かないのだ。このドキュメンタリーでは面白くないのだ。これを舞台・素材に何かドラマが生まれないと面白くないのだ。





  1. 2018/02/10(土) 15:40:08|
  2. 『2018年映画』
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

『日記』「寒々とした暗黒の夜に (1)」 2/7

『日記』「寒々とした暗黒の夜に(1)」 2/7

消さないDSC_0433

札幌「自立支援住宅災焼死・11人」/1月31日深夜の火災。11人死亡。
犠牲者は高齢の生活困窮者で、家族がおらず一人で食事ができない人もいた。入居者の大半が生活保護受給者で、40~80代の入居者16人のうち男性8人、女性3人の計11人が死亡した。身元確認が難航しているとい。運営に当たる「そしあるハイム」は生活困窮者自立支援に取り込む合同会社が運営。旅館だった建物を借りて下宿に用途を変更して、新たな住居や就職先が見つかるまで一時的に高齢者を受け入れていた。高齢の生活困窮者の救済を目指した合同会社が当たっていた。入居者は生活保護費から月3万6千円を払い、ぎりぎりに生きていた。スプリンクラーが未整備と咎める声もあるが(設置義務はない)貧しくぎりぎりのところで、運営者も入居者も生きていたのだと理解する。入居者たちは地域で友人らと支え合い、つましく生きてきた。80に近いSさんはハイムで調理助手をしていたAさんに盛り付けや刺身の切り方を教えた。Bさんはもくもくと雪かきをしたりして、頼まれたことを何でも引き受けていつもニコニコしていた人だという。入居者を知る者は「もう一度会いたい」という。北の果てに行き着いた人はどんな人生行路辿ったか、そして、逝ったか?じわじわとした哀しみにふと思いをはせるのである。

* 2018年1月21日、評論家西部邁(すすむ)氏自死。「朝までテレビ」などで保守派の論客と知られた経済学者。1939年生まれの元東大教授。病院での死を、ことの外、嫌っていた。「自分を保つことが出来ない状態で、延命することを是(ぜ)としなかった」。その意志通り寒空の多摩川に身を鎮めたのだ。意志・思想に巌と生きる思想家がいることが驚異である!病名を知らず、昔の大昔、彼のアジテーションを聞いたことがある。「xx安保」と言われた年だったか?




  1. 2018/02/08(木) 22:56:13|
  2. 『日記』
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

『2018年映画』ロングロングバケーション」(ヘレン・ミレン&サザーランド共演)2/1

『2018年映画』「ロング・ロング・バケーション」(監督パオロ・ヴィルズィ、2/1
                             共演ヘレン・ミレン&ドナルド・サザーランド)

DSC_1434.jpg

人生の終着点を見据えた、70代夫婦の終活の旅。アルツハイマーに罹った夫とガンで余命何年と宣告された妻との人生最後の旅を通して描かれるのは、過ぎ去った過去の時間への慈しみと人生への喜びを力強くユーモラスに歌い上げた作品である。普通、「家族のロード・ムービー」は失った家族の再生を目指すものが多いが、これは逆に今ある二人の(家族の)幸福を繋ぎとめよう、慈しみ合おうとする映画だ。ここがポイントである。

DSC_1435_2018020110245525f.jpg

 末期癌の妻エラ(ヘレン・ミレン)とアルツハイマーが進行中の元教授ジョン(サザーランド)は、子どもたちも自立して人生の責任を果たして、夫婦水入らずの二人だけの生活を送るようになった今が人生の絶頂!とでも言うがごとき病院や施設はごめんだとばかりに旅に出る。ジャニス・ジョプリンやキャロル・キングのミュージックと共に愛用のキャンピングカーで、ジョンが敬愛するヘミングウェイの家があるフロリダを目指す。名優ヘレン・ミレンとドナルド・サザーランドの最高のコンビ道中である。

<両親を心配する子どもたち>
DSC_1437.jpg

 二人は毎晩思い出の8ミリ映像で、かつて過ごした人生の1こま1こまの想い出に浸る。―互いの青春時代の写真や2人の子どものそれぞれの成長過程の映像に浸る。アメリカはキャンピングカーの素敵なホテルの公園が充実していて、毎晩8ミリ映像で想い出にふけった。しかし、ジョンの記憶の混乱でこれまで胡麻化してきたことや隠し事に向き合うことになる。そのことは、二人にとってどういう人生であったかを問い直す旅であり、人生の総括をすることでもあった。

 二人とも病状が深刻な状態が進行しているにも関わらず、昔のことで嫉妬して大喧嘩したり、素敵な性愛のシーンがあったりする。道中が楽しく素敵なシーンが続く。
さてどういう結末を見せるでしょうか?

DSC_1425.jpg

 久し振りに感動の映画に出合いました。二人の境遇・人生・病気などが遭遇する人生を経ると、老齢期の課題が実感をもって感じてくる。課題を自分は先送りしていると暗湛たる思いに捉われたりする。しかし、映画の主人公たちは人生に対して前向きで、深刻な状態を忘れさせるほど粋で行動的でコミカルなのだ。そこに救いがある。人生の終始の打ち方には人様々の方法がある。其々が自分の人生に決着をつけなければならないが。

DSC_1431.jpg

監督 イタリアの巨匠・パオロ・ヴィルズィ
 1964年生まれのイタリア映画の監督。「人間の値打ち」「歓びのトスカーナ」などがある。
主演
<ヘレン・ミレン>(英国の女優。「クィーン」(2006年)でアカデミ主演女優賞を受賞。エミ賞を4度、トニー賞を1度受賞。英国を代表する女優、2003年に「デイム」を受ける。
代表作「キャル」「第1容疑者」「英国万歳!」「エリザベス女王~愛と陰謀の王宮」「クィーン」

DSC_1439.jpg

<ドナルド・サザーランド>(カナダ出身の名脇役として知られる。多くの映画に出演。)
代表作「マッシュ」「1900年」「スペース・カウボーイ」「ハンガーゲーム」シリーズ

挟まれる名曲の数々
ジャニス・ジョプリン・キャロルキング・シカゴ・イギー・ポップ・ディヴィッド・クロスビー

  1. 2018/02/01(木) 10:15:52|
  2. 『2018年映画』
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0