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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『美術/音楽/舞台/録画』「父を捜してー日系オランダ人=終わらない戦争 ⑴」 11/1

『美術/音楽/舞台/録画』「父を捜してー日系オランダ人=終わらない戦争 ⑴」11/1

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*第1部「マライケとテレーゼ」
今年の2月、一組の姉妹がオランダから日本を訪れました。二人は日本人の父親を持つ日系オランダ人です。姉マライケ、妹テレーゼ。姉妹は太平洋戦争の時代、インドネシアに生まれました。インドネシアは300年以上オランダの植民地支配を受けていた。1942年日本軍はジャワ島に上陸オランダ軍は降伏、植民地支配に苦しんでいたインドネシア人は初め日本軍を歓迎しました。石油を始めとした資源豊富なインドネシアに日本軍は目をつけ軍政を敷いて資源の収奪をしました。
日本軍属とオランダ人との間に多くの子どもが生まれました。終戦後、父親は日本に帰国し残された母親は子どもを連れてオランダに渡った。そのなかの一組のマライケ・テレーゼ姉妹は戦後70年を過ぎて、やっと父の身元を突き止めた。特に妹のテレーゼは父への思慕を募らせていた。しかし、姉のマライケは妹と異なる思いを抱いていた。お父さんと再会したら?という問いに、「殴る!」と答えていた。

(姉のマライケと妹のテレーゼ)
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「ナイス・ミツチュウ! はじめまして!」「ちょっと緊張しています。日本は私にとって未知の国です。」妹のテレーゼの嬉しそうな表情。

*「姉妹の父親捜しの旅」(BS・NHKスぺシャル10月8日放送)を見つめて、終わらない戦争を考える。70年前のアジア各地で展開された日本軍の戦争が厳密な意味で終わっていません。ここでは「歴史認識」を問われます。戦後70年日本人は歴史に向き合い加害者に償ってきたでしょうか?最近の録画「姉妹の父捜しの旅」で考えてみようと思います。

(母シルヴィアを挟んで、幼い左に姉マライケと右に妹テレーゼ )
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第1部「マライケとテレーゼ」
オランダ東部の町エンスヘーデ。ここに70代のマライケ・テレーゼ姉妹は居住する。テレーゼが<日本人の子>と知ったのが17歳の時、母からはインドネシア人ヨハネスが父だと言われていたのが、親戚の人から「あなたの父はジャップだ」と言われて私の世界が崩壊した。ショックだった。誰も本当のことを話してくれないのだ。

(美しい母シルヴィア)
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調べると、母シルヴィアはインドネシアで生まれたオランダ系の女性。戦時中日本軍属の日本人男性と出会い、マライケとテレーゼを身ごもる。終戦で父は日本へ帰され、母は姉妹を連れてオランダへ渡った。

(キャリアウーマン妹テレーゼ)
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テレーゼは70を過ぎた今でも英語とインドネシア語の教師をして自立している。彼女は体を壊して子ども産めなかった。2000年に夫が亡くなった後、父を捜したいとしきりに思うようになる。テレーゼは母にインドネシアの記憶を繰り返し聞いた。「もり」という名と警察関係の仕事をしていたことがわかった。彼女は姉に一緒に父捜しをしょうと申し出るが拒否される。姉マライケには少女時代から辛い体験をしてきたのだ。親戚に「お前は敵の子」と何度も言われた。或る晩、窓に寄りかかっていると母が「お前は父さんに似ている」と言われた。なぜ嫌われたかと言えば、私が日本人の顔に似ているからよ。日本の軍政下を知っているオランダ人たちは日本人を嫌った。とりわけ祖母のユージェニーは厳しかった。祖母は箒で叩いたり食べ物をくれなかったりした。祖母を思い出すと泣けてしまう。「テレーゼはよくて、私はなぜダメなの?父親の顔形に似ていることで恨んだの?」と思いつめていた。
(後で祖母ユージェニーのマライケを憎む理由がわかる)

(新婚のマライケ)
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結婚の時、日本への厳しい感情を知った。夫の親戚の多くが戦争中、日本軍によって過酷な体験を強いられていた。夫の祖父は*泰緬鉄道で命を落とし、二人の叔父もそのせいで大きな衝撃を受けて精神の異常を来した。叔父は夜寝ている妻をベットから引きずり下ろした。敵と間違えたそうだ。だから、結婚しても出自を言わなかった。日本軍の占領期にオランダ軍の捕虜は鉄道の建設や炭鉱で多くの命を落とした。戦後BC戦犯に問われた。

*「泰緬鉄道」
第2次大戦中、タイとビルマ(ミャンマー)を結ぶ鉄道を旧日本軍が建設。その際、過酷な強制労働で多くの人が亡くなった。日本軍が強制的に作業させたのは連合軍の捕虜6万2千人(英・米・豪州・蘭)、強制連行の労務者(タイ・ビルマ・インドネシア・マレーシアー華僑を含む)35万などが使役され、多くの者が殺され「死の鉄道」と言われた。なお、戦犯裁判は、連合国の捕虜に対する虐待・虐待致死の裁判であり、アジア人労働者への虐待に対する裁判は、どこの国によっても行われていないという。

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1951年のサンフランシスコ講和会議で連合国であったオランダは日本への請求権を放棄し、その後日本政府から見舞金として1千万弗(1人当たり数万円)が支払られた。しかし、今でもオランダの日本大使館前には元捕虜や抑留者などが毎月補償を求めてデモをしている。彼らは「我々に与えた痛みに対して、日本がしたことは少なすぎる」という。戦後オランダ社会の中に根強く残る反日感情の中に身を置いていたマライケにとって、テレーズの申し出に応える気にはなれなかった。同じ父を持ち姉妹なのに距離が生じたことが悲しかった。

テレーゼに手を差し伸べたのが「日系オランダ人・支援・SOO」であった。SOOは日系オランダ人の生き別れの日本人父親の調査を行い支援している組織である。
*<SOOの見解>
*戦後補償の中でも、一番後ろの方に見えたのではないか。日本・オランダ・インドネシアという三つの国の狭間にあって最も苦しんできた人々。忘れ去られるように社会から見えないようにされてきた歴史の狭間にある人たちです。狭間にさせてしまったのは日本の戦争であった。
*「戦後補償」
   日本が20世紀前半の戦争によって諸外国に与えた戦争賠償と戦後補償のこと。

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2014年SOOはテレーゼに父の身元を知らせてきた。「森正・陸軍警部」占領地の治安維持のために軍属の警官として派遣された。2016年日本の親族から送られてきた父森正の写真、初めて見る父の写真。日本からの手紙。喜んだテレーズは姉に日本に行こうと誘うが拒否される。
そんなマライケを説得したのが娘のデボラだった。デボラは母が日本人であることでずっと悩み続けてきたことを見てきた。この機会に母が変わる切っ掛けになればと思った。

(母マライケを説得する娘デボラ)

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*「母はいつも自分には魅力が無い・頭も悪いと否定的だった。理由もわからず自分を責め続けてしまう。」デボラは日本を興味深い国だと思った。「母が穏やかな気持ちになって思い込みから解放して欲しかった。」
*「自己の解放・存在証明」
自分を束縛するものからの解放。自分が確かに存在すること。

マライケは迷った末日本に行くことを同意した。「私は母が強姦されたのではないかと思っていた。」とマライケ。

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2017年2月、東京。都内のレストランで会った。日本から送られてきた森家の家系図。父森正の姪・森晴野(91歳)が「お会いする日をあと何日と待っていました。」と歓迎した。マライケがどんな気持ちですか?と問うと、晴野は「ポジティブ!ハッピーです」と答えた。両家は出会いを祝した。「すばらしい!」とテレーゼ、感にむせんで涙ぐむ。

(記念写真)
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森正は1893年佐賀に生まれる。1943年妻を残してインドネシアに警察官として派遣。ジャワ島に駐留中、一人息子が戦死。終戦の翌年帰国した。正のことを覚えているのが姪の春野さん91歳。故郷に身寄りがなく、兄を頼りに東京神田の春野さんの家にきた。無口で孤立していた。兄の電気屋を手伝っていたが警察官だった正には合わず、家を出て10年以上音信が途絶えた。死んだという連絡が入った。1961年、正は67歳で死去した。周囲にインドネシアのことを語ることはなかった。

日本から帰って、
姉のマライケの心に変化があった。娘のデボラとよく話す。デボラ母マライケに「晴野さんが又来て下さいって」マライケ「本当によかったわ。海の向こうに家族がいるんだから」
妹のテレーゼはインドネシアの地図を見ながら「両親が出会ったところはどこだろうか?」「私が生まれた所へ行ってみたい。そこは私と姉の存在の始まりだから。インドネシアの旅で姉は心の平和を見いだせるかも知れない。」

(美しいインドネシア)
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7月下旬、姉妹はインドネシアを訪れた。ジャワ島のクディリである。母シルビアの父はこの地でインドネシア人を雇い農園を経営していた。当時は300年以上にわたりオランダの植民地だった。シルビアは19歳の時、銀行員のヨハネスという、蘭印系*の男性と恋に陥り結婚。
*蘭印系(インドネシアとオランダとの間に何代に渡って混血した人々)

結婚したが戦争が始まって彼はオランダ海軍に召集された。1942年3月日本軍ジャワ島に上陸。オランダ軍降伏。故郷のオランダはナチスの占領にあっていた。オランダからの独立が悲願だったインドネシアは、日本軍を歓迎した。しかし、石油を始めとする天然資源豊かなインドネシアを、日本軍は軍政を敷き資源を収奪した。

  (悲劇に見舞われる祖父と祖母ユージェニー)
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母シルビアの一家は悲劇が襲う。シルビアの父が乗っていたバスに日本軍の手榴弾が投げ込まれ父は死ぬ。姉妹の祖父母ユージェニーはこのことから(日本軍に夫が殺されたこと)日本軍を憎むようになり、日本的な顔形をしていたマライケを憎むようになった。父を失い夫も戦地に獲られたシルヴィアと母は牛乳工場を営む親戚に身を寄せる。

  (オランダ兵捕虜に対する虐待の嫌疑)
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日本軍はジャワ島で7万人のオランダ民間人やインドネシア人を徴用して、鉄道建設や炭鉱におくりこむ。日本軍の悪口を言った嫌疑で多くの民間人も連行された。祖母ユージェニーも日本軍に連行された。シルヴィアが経営に当たっていた工場のインドネシア人が不満を訴える。日本軍が抑留所のオランダ人の美しい女を慰安婦にしょうとして連行した。そんな時、シルヴィアを救ったの

(警察官 森 正)
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が日本人警察官の警部森正だった。警察官として工場を視察にきて、シルヴィアを心配して毎日のように工場に来た。森の保護がなければ慰安婦にされていたかもしれない。*森はシルヴィアと共に2年間暮らした。シルヴィアはマライケとテレーゼの二人の女子を身ごもる。

*(姉妹の一行は、戦時中両親(森とシルヴィア)が住んだ家を訪れる。)
1945年8月日本軍敗戦。日本軍及び軍属は日本に帰国。その後を再び支配しょうとしたオランダ軍とインドネシア軍との間で「インドネシア独立戦争」(1945-1949)が始まる。連合軍はオランダ人やオランダ系蘭系の民間人に安全な所へ避難の勧告。シルヴィアたちはスレマナン収容所に収容される。
シルヴィアの夫が帰ってくる。夫は日本人の二人の娘を見つめる。シルヴィア謝る。夫は「この子たちを受け入れることは僕には出来ない」と言って去る。母は彼が去って世界が崩壊してしまった。それでも私たちを育てるために持ちこたえた。

(この地に来て、母の本当のつらさを思う姉妹たち。ママはなぜ私たちを養子に出さなかったか?その問いに亡きママは生前、あなたたちを手放すことは絶対にできなかった)
旅先のホテルで姉妹は両親の写真を飾ってお線香をあげる。姉妹は絆を強く感じ抱擁し合う。

(抱き合い赦しあうマライケとテレーゼ)
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妹テレーゼ(私にとって父親捜しの旅は、誰かを捜し父親の姿を知るだけでなく、姉マライケの愛情を取り戻すことが出来た。だから、この幕は閉じられる。心の安らぎを得ることが出来た。
姉マライケ*(私には父さんが存在したと思えた。意味なく生まれてきたわけじゃない。私は存在していいんだと、父のお陰で思えた。)
*自己の存在が証明された。父を肯定することで、自分の人生を肯定できた。

太平洋戦争中、日本人とオランダ系女性との間に、5千から2万人の子どもが生まれた。今もなお父親捜しは行われている。






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  1. 2017/10/31(火) 14:02:02|
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『日記』「終わってみたけれど、、」 10/23

『日記』「終わってみたけれど、、」 10/23

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選挙最終日のアキバにおけるアベ・ジミンの街頭演説会。実はサンケイ記事で写真をエダノの新宿街宣の写真をすり替えて使ったフェイクニュース!実物のアキバの写真は、君が代を歌い・日の丸とポリスが林立する、戦争中の大日本帝国と錯覚するかのような恐い写真!(ネットで有名になった)

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とにかく終わりました。「民進」が解体した時、(オレノ居場所はどこだ?と身震いした人が少なからずいたのですね=リベラリスト体験!)このリベラリスト体験の経験者を同胞だと懐かしんだり。(ふざけてはいけない!深刻だったんです)

10/23(月)の朝刊では兼ねての宣伝通り「自公300に迫るー改憲勢力3/2超」の見出し。
選挙結果は自公対野党が一本化したところがいい戦いをし、野党が顔見世のように出揃ったところは皆戦死。解り切った答えにウンザリだ!その仕掛け人の戦犯はみなさんご存知でしょう。12月までに政党助成金の関係で、又、政界再編があるのでしょうか?

さぁ、次のページに進みます。アベ氏が22日の開票日の自民勝利の花飾りの時、なぜ鬱な顔して笑っていなかったのか?選挙の遊説で全国の自分の評判が解ったからでしょうか?
――厭きた!ゲップが出る!ウンザリだ!もう結構だ!




  1. 2017/10/23(月) 22:22:04|
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『日記』「それでも憲法9条改正に反対する」 10/19

『日記』「それでも憲法(9条)を守る」 10/19
 
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 改憲勢力が3/2以上の大勝とマスコミに囃し立てられて、10/16(月)自民は臨時国会で「9条改正案」を提示するという。いよいよ、改憲だ!戦後70年の終幕の始まりか!
 10月22日の投票日まで3日だ。以下各政党の憲法に対する立ち位置を示す。
・「9条改正」を積極的に推進しているのが    =自民・維新・こころ=(307)
・他の項目で改憲といっているのが        =公明・希望・=  (90)
・憲法改正―特に9条絶対に反対         =共産・社民 =  (20弱)
・安保法制(集団的自衛権の行使)下の9条反対  =立憲民主   =  (33)
 自公で3分の2(310)を獲ると言っている。改憲に反対と言っているのは、立憲・共・社・無所属の元民進で3分1=156に遠く及ばないだろう。

 なぜこんな事態に陥ったか?自公に対して、野党が立憲・共・希と乱立しては勝てないのだ。小選挙区では自公に対して野党が共闘して一本化して戦わなければ勝てないのは自明の理と言われた。ましてや、希望が与党と野党の間に立って曖昧な態度では勝利はない。そこに共産と連合の対立が絡めば共闘は覚束ない。選挙直前の民進の解体と希望への吸収、立憲の創立、民進大物たちの無所属への流れでは「共闘」を構築する余裕がなかった。北海道とか新潟とか宮城など「野党共闘」の実績のあるところでは、共闘が進んでいるが。全国の自公・希・立・共・社・維が全部出揃っている選挙区を見て、ため息をつく。

 憲法改正のかかった今回の選挙では改憲に「ノー」の立憲民主・共産・社民に投票をお願いしたい。選挙後は政界再編が行われると予測されるが、(希望からの憲法問題への不満)何しろ「野党共闘」の地道な構築が課題だ。強力な自民に勝つためには野党が乱立していてはダメだ!

 憲法9条の平和主義・基本的人権・民主主義は、第2次大戦で日本国民が多大な犠牲を払って勝ち取った貴重な財産だ。9条のお陰で戦後70年は戦争が無かったし、戦死もいなかった。私は少年時に戦争の悲劇・アジアの人々への非道な加害を聞いて育った。みなさん!阿部自民が勝てば、日本は一変します。反改憲派の立権か共産か社民に入れて下さい。
2017.10.19

2017.10.20
民進党の解体の中ーリベラルの混乱の中で、枝野が立ち上げた「立憲民主党」を応援したのは共産だった。一番すごいことは立憲の主要メンバーの立候補に対して、立候補を取り下げたことだ。共産は「野党共闘」・将来の野党再編を睨んでの布陣を考えていた。その為、共産の当選者が減少する恐れが出てきた。「民主」側がお返しをする番だ。

  「小選挙区は立憲・比例は共産」

 こういう心づかいが明日の「野党共闘」の無限の可能性の展開を示している。。



  1. 2017/10/19(木) 04:37:13|
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『美術/音楽/舞台/読書』「河瀬曻展ー目と手のちょっと先へ」 ~10/15まで 10/12

『美術/音楽/舞台/読書』「河瀬曻 展」(目と手のちょっと先へ)せんびゃく堂画廊10/15まで。10/12

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*前回(2015年10月「今、人はどこへ向かうのか」)おさらいしておく。

「状況の混沌・世界の流動化――そういう中で自分はどう生きるのか」
氏はそれぞれの問いをイメージ化して作品として見事に形象化した。
① 「白い傘の少女」見知らぬ街に迷い込んだ少女はボスやブリューゲルの16世紀のネーデルラント絵画の世界であった。
➁「ある日曜日の朝」の現代都会の交差点のシュールな風景であった。
③ 「歩む人々―1.2.3」④ 「海に引き寄せられた人々」⑤ 「川を歩む人々」

私には面白かった。氏の作品化・形象力に舌をまいた。スケールの大きい構想で河瀬ワールドが組み立てられていた。なお氏は自己の内面の動きを常に探っていた。
今回の展覧会では自身の想い出の記憶に遡(さかのぼ)った素描が中心である。故郷・滋賀県「長浜曳山祭り」の「子供歌舞伎」である。「長浜曳山祭り」は初めて聞く祭りであった。氏がこれをどう取りあげているのか、作品の世界とトークでの見解を紹介しよう。
(*「曳山祭り」については、頂いた曳山博物館のパンフを参考にした。)

ユネスコ無形文化遺産の登録を記念して、「滋賀県長浜の曳山(ひきやま)祭」が2017年4月15日に行われた。長浜八幡宮の春季大祭の多彩な行事である。
① 長浜城主であった羽柴秀吉が長年待ちわびた男子の誕生を喜んで、町に砂金を与えた。町
ではその資金を基に「動く美術館」と言われた12台の山車(だし)を作って八幡宮に奉納した「十二基(き)の山車の行列
➁ 秀吉は戦乱で荒廃した長浜八幡宮を再興し、八幡宮ゆかりの源義家の前九年・後三年の役の凱旋の様子を偲んだ長刀(なぎなた)組の行列=「太刀(たち)渡り」(武者行列)で祖先を偲んだ。
③ 「子供歌舞伎」の奉納。
④ 「太刀渡り」の山車や「長刀組」も「子ども歌舞伎」も10歳~4歳の子供が主役。「子供・若衆・中老の三世代がお互いの立場を尊重し、永きに渡り引き継がれてきたのが長浜曳山祭りの真骨頂だ」とパンフにある。奥が深い言葉だ。子供狂言の担い手は4歳~12歳までの男子。(歌舞伎は男子が女形(おやま)として演じるのが伝統。)町場の男子が4~5歳になった春休みの3月20日頃から朝・昼・晩と、4月12日まで毎日厳しい稽古が繰り返される。狂言の役者は子供。振付・太夫・三味線を三役と言い県外から招聘していたが、地元での三役修業塾が出来て子どもたちに教えるようになった。「無邪気な子どもたちが山組の若衆に見守られる中、1ゕ月足らずの間に、多くの観客を魅了する歌舞伎役者に育っていく。
⑤ <演目・脚本>歌舞伎台本の内容と同じ。
「本朝弐四孝」「紅葉狩」「伊勢音頭」「モーツァルトの「フィガロの結婚」を歌舞伎化した喜劇」⑥ 曳山祭りが秀吉の長浜城主時代から続いていたそうだが、京都の豊国神社は秀吉が死ぬと家康によって取り壊され明治になって復元とある。曳山祭りは江戸時代に弾圧されなかったか?歴史を探りたい。

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河瀬さんは毎年故郷の曳山祭りに出かけて少年時の記憶の中に漂った。町中に残った「昔の街並みや無心に遊ぶ子供、日常の一隅に己の原風景」を捉えようと素描を試みた。
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(視点を変えて、ある画家の独白?)
絵が画けなくなった。何だろう?、、、体を動かしてみる、筋トレの心算(つもり)で素描に向かう。素描も昔少年時に無心で遊んだように、対象を写し取ろうと手を動かした。頭の中で作ったものをこねますより、素描の方が体にぴったりしている感じだ、、、少年時の記憶が蘇ってくる。過去は否定しないで積み上げてゆく。ひたすら素描を重ねる。それは生きる感覚につながるようだ。

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曳山祭りの「子ども歌舞伎」にであった。毎年春には長浜曳山祭りに通っている。昔懐かしい情感が沸いてきた。今回歌舞伎狂言の舞台を描かせてもらって、私は昔これほど身近に狂言に没入しただろうか?昔は素通りして東京に行くことばかり考えていたのではないか?素通りした故郷、街中の風景、寂れた小路の風景に今立っている。

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写真を撮って描かせてもらうと、描くのも大変なことだと解ってくる。歌舞伎の衣装を着て化粧した少年が立派な色気のある腰元になっているのだ。舞台での主人公の腰元の目の位置・手の動きの意味を考えるようになった。

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着物や帯の柄や色合いも考え抜かれていて深い味あいを出している。背景の柱や襖絵も、職人が一生ものの仕事をしている事が分かってくる。こちらもそれをしっかりと描かないと叱られそうだ。



  1. 2017/10/12(木) 13:01:27|
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『日記』「陰謀・裏切り・非情な闘い=現代政治政争史」 10/4

『日記』「陰謀・裏切・非情な闘い=現代政治政争史」10/4

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<前原氏、民進分裂「全て想定内」!>
民進党の前原代表は、枝野元官房長官が「立憲民主党」を旗揚げし、結果的には民進党が「希望の党」と「立憲民主党」に分裂したことについて、「全て想定内だ。政権交代可能な状態を作らないといけない。自分の判断は正しかったと思っている」と強調した!これは何だ!  
27日前原代表は新党「希望」に事実上の合流を目指し、安倍1強を倒すためにあらゆることやると宣言した。*これに民進のかなりの部分が乗った。ところが[希望]は「民進」を選別・振るいにかけた。(リベラル狩りである)踏絵を踏んだ旧民進出身の「希望」と枝野の「立憲民主党」と選挙に強い「無所属」(保守系の民進の大物たち)に分かれた。前原のやったことは「民進」の解体である。確信犯である。阿部の姑息な解散から小池劇場の開幕、さらに民進の解体と、日本の政治は激動期に入った。
 前原と小池の共同作戦による「リベラル狩り」「レットパージ」は安保法制などの市民運動に対するパージであり弾圧である。(市民運動の政治的依拠の一つだったから)憲法9条・自由・民主主義の危機がそこまで来ているのだ。反動に抗して出来ることをしょうではないか!

 *前原提案に乗った「民進」はどういう精神状態にあったか?もっと波乱があると外からは思えた。「アベⅠ強を倒すためなら何でもやる」という悪魔の神託に乗るほど切羽詰っていたのか?民進党の議員さんに語ってもらいたい。

 政治家が選挙になると異常な心理状態になることが痛切に分かった。議員で無くなれば
「ただの人」と言われるが、その意味がよく解った。

しばらく政治のドラマを見ていよう。


  1. 2017/10/04(水) 22:42:59|
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『日記』「リベラル派の結集なるか――<立憲民主党>の創立」 10/3

2017年『日記』「リベラル派の結集なるか――<立憲民主党>の創立」 10/3

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10月2日(月)、民進党の枝野幸男代表代行が新党「立憲民主党」の立ち上げを表明した。参加者は民進前職、元職、新人で、リベラル系の受け皿となる。参加を表明しているのは民進党から長妻昭氏、赤松広隆氏、菅直人氏、辻元清美氏、海江田万里氏などである。ひとまずほっとした感がある。「リベラル派の排除」はレットパージであり、「踏絵」を踏ませるに等しい行為である。これは多くの人々の心に傷(ルサンチマン)として残った。師匠格の細川元首相さえ「選別、こざかしい」と批判的だ。

 「立憲民主党」の立ち上げは、リベラル派の拠り所になるとほっとした。一昨年の安保法制反対闘争の担い手で重要な役割を果たしたのが市民運動だった。「総がかり行動」「1000人委員会」「SEALD s」「ママの会」「学者の会」その他数人のグールプを入れると無数の市民の運動だった。民進のおかしな発言にヤジが飛ぶ自由な雰囲気があった。「前原民進」の非共産=非野党共闘路線に対して、「野党は共闘」「野党は市民と共闘」のコールが叫ばれた。枝野氏の「立憲民主党」の立ち上げに市民運動が一役担っているといえる。又、これから担わなくてはならない。候補者全員の当選に力を出してゆこう。それにしてもSEALDsのような若手の運動が欲しい。彼らの行動力・発信力が欲しい。

 自民の衆院選での重点項目が2日発表された。①北朝鮮対応➁アベノミクスの加速③生産性の向上④保育・教育の無償化⑤地方創生と災害復興加速⑥憲法改正―の六本柱である。自民が改憲を重点項目として前面に掲げたのは初めてである。そこまで歴史は迫ってきているのだ。いよいよ闘いが始まる。決して負けられない。70年、戦争の遺産で保たれた「平和」を守れるかどうかの戦が始まるのだ!



  1. 2017/10/03(火) 18:03:21|
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