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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『日記』「リベラリズムの危機ー憲法9条はどうなる?」 9/30

2017年『日記』「リベラリズムの危機―憲法9条はどうなる?」    9/30

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 この一週間小池ドラマによって舞台は2転3転して、リベラリズムの危機という最悪な時を迎えた。9月27日(水)ご存知のように「民進」は新党「希望」への事実上の合流を目指すことを決断した。代表前原の提案を両院協議会で彼に一任した。ところが希望側(小池)では①元総理経験者はダメ➁安保法制に賛成しない人はダメ③改憲論議に賛成でない人はダメと言いだした。リベラル派には高いハードルで待ったを掛けた。2015年の安保法制では民進は党を挙げて反対闘争を組んだ。左派魔女狩りは民進の当事者たちに大きな衝撃と苦渋を与えた。小池という政治家は安倍と同じ極右ではないか?リベラル派は議員であることの存在意義を問われた。
 事は簡単ではない。小池は維新とも組もうとしている。例えば同じ選挙区で長年維新と争ってきた民進候補を希望側がどうするか?希望を断ったら維新候補は小池の勢いを得て民進を潰しにかかるだろう。政治家にとって「議員」が生命線なのだ。リベラル派で鳴らした議員にとって苦渋の選択を迫れている。

 希望との合流を受け入れた民進政治家に疑問を持つ。色々な政治家がいるのに、と。解散間近で党全体が喪失状態に陥っているのか?だからマジックにかかってしまったか?なぜ「リベラル派」で野党共闘をして頑張れないのか。私にとって「9条=命」であり、戦後民主主義・平和・平等は生命線だ。今、この国において大切な時期にきている。阿部と小池の時代に信念を貫こうとすれば―命を取られる情況に在るのだということを、大げさではないのだと言いたい!



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  1. 2017/09/30(土) 22:45:03|
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『日記』「衆院選 28日臨時国会冒頭解散!」 9/20

『日記』「衆院選 28日臨時国会・冒頭解散!」 9/20

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首相は、28日の臨時国会冒頭にも衆院解散の意向を固め、与党の幹部に伝えた。「10月10日公示―22日投開票」を軸に、国連総会(18-22)帰国後、衆院解散を表明する。
挑発行為を続ける北朝鮮への対応で政治的空白を生むことや、「森友・加計疑惑」隠しで批判が高まるのは必死だ。それを見越した上で解散に踏み切るのは、「今なら勝てる」という政治的判断による。民進がごたごたし離党ドミノが続き、小池新党がどうなるか分からぬ今だと決断。内閣支持率の回復も大きい。臨時国会で「森友・加計」問題を野党に追求され続ければ、支持率は再び下落する懸念。

9月19日(火)「安保法案強行2年・戦争法・共謀罪廃止と安倍内閣退陣大集会」が国会正門前で夜6時半から開かれた。総選挙が濃厚になったので危機感が切迫してきた。野党の議員さんの演説に「野党共闘」や「野党は市民と共闘」を訴える声が多かった。「あー市民」!2年前と違って老齢の市民が多い。国会正門前に集った1万5百人の市民は戦争の記憶がある。生まれ育った時代は「戦争の記憶」が残っていた。戦後の民主化闘争の後、60年安保闘争や70年全共闘などの学生運動。労働運動や市民運動(基地闘争や反原発)に参加した市民たち。「戦争の記憶」を引っ提げて「戦争反対」に参加する。2年前はSEALDsの若者がいた。運動が花やいだ。コールもリズミカルで活気があった。

阿部の狙いは「憲法改正」だ。選挙のボーダーラインは3分の2。自公と維新と小池新党を入れて「憲法改正」を発議出来る3分の2。「憲法9条改正」が彼の悲願だ。戦後70年9条のお陰で「戦死」がなかった。「戦争」が無かった!北朝鮮の挑発行為で危機を煽られている現状でも「対話外交」だ。

皆さん!「憲法9条」は宝です。「戦争は嫌です」「野党は市民と共闘」です。必ず共闘を実現します。共闘候補を支持して下さい!

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 1時間の立ちん坊で足の血流が固まってしまった。これからデモへの参加が出来るだろうか?


  1. 2017/09/20(水) 22:10:43|
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『2017年映画』「三度目の殺人」(監是枝裕和、出福山雅治、別所広司、広瀬すず 9/17

『2017年映画』「三度目の殺人」(○監是枝裕和、○出福山雅治、役所広司、広瀬すず、
                吉田鋼太郎、斎藤由貴、満島真之介)9/17

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 事件の概要は被告人三隅高司(58)(役所広司)、容疑は強盗殺人と遺体損壊。被害者は三隅を解雇した食品会社の社長山中、河川敷で頭をスパナで打たれ絞殺され死亡。数十万円が入った財布が盗まれガソリンで死体は焼かれた。三隅はギャンブルで借金を作り金に困っていた。三隅は三十年前、故郷の北海道で借金取り二人を殺し無期懲役を受け三十年服役して仮釈放の身、今度は間違いなく死刑だろう。
 弁護を引き受けたのがやり手の弁護士重森(48)(福山雅治)、死刑を回避して無期懲役を狙う。真実はどうであれ法廷で減刑を勝ち取ればいいという冷徹クールな仕事人間。ところが三隅の証言が接見の度に二転三転して翻弄されてゆく。恐るべき役所広司の怪優振り!弁護士(福山雅治)対犯人(役所広司)との対決が、まるで怪優役所広司の掌(たなごころ)の上で玩(もてあそ)ばれるような錯覚を感じるのだ。いや、福山だけでなく監督も他の演技者も作品全体が巻き込まれてゆく感じなのだ。

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この殺人事件の裁判劇のキーポイントは法廷ではなく、接見室である。福山雅治と役所広司との人間対決である。7回の接見室のシーンの中で3回目の時、三隅が重森に「手を見せて下さい」という。福山が嫌そうな顔になるような不気味な雰囲気で迫る役所広司。ガラス越しの手合わせシーンによって役所広司なる存在がドラマ全体の守護神のような位置になるのだ。犯人は重森をのみ込む。重森は悩み惑い揺らいでゆく。「本当に殺したのか?どんな気持ちで殺したのか?」事件の根本的なところが揺らいでいく。作品を見ている我々もこいつは本当にやったのか?彼は死刑に値するのか?と半信半疑になってゆく。最後の接見の時、犯人と弁護士のふたりの顔がガラスの反射で重なって見えるのは何の象徴か?

 犯人が週刊誌のインタビューで「保険金目当てで命を奪った。社長の妻美津江(斉藤由貴)から頼まれた」という衝撃的なリークが告げられる。妻との男女関係も匂わせている。もしそれが事実なら主犯は妻山中美津江(斉藤由貴)という事になり、彼の罪は軽くなるかもしれない。問題はその証拠だ。事実関係の調査のために犯人のアパートに重森弁護士は行く。大家の証言が衝撃的だった。「足に障害のある女子高校生咲江(広瀬すず)がよく遊びに来ていた。」足に障害のある女子高校生といえば映画に登場している者では被害者の娘が考えられる。これはどういうことか?

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 公判に入った時、咲江が弁護士を訪ねてきた。「三隅が父を殺したのは自分のためだ」それを法廷で証言したいという衝撃的な発言!しかも、咲江は実の父親から性的暴行を受けていた!もしそれが事実なら、三隅は咲江を救うために山中を殺したのか?「金目当て」という動機を怪しんでいた重森は、本当の動機のように思えてきた。しかも三隅には犯行当時六歳の娘がいたのだ。咲江に自分の娘を重ねて義憤にかられたのかも知れない。 「裁いたのか、救ったのか、、、」 同時に重森は「咲江が本当の真犯人かも知れない」という可能性を思い浮かべた。咲江の気持ちを忖度して犯行に及んだのか?

 弁護側でもうひとつ問題になっていたことは、解雇した人間の呼び出しで山中が何故夜間河川敷に行ったのか?という問題。(自分の娘からの連絡ならば可能だが)呼び出しに何故山中が応じたのかの追求に三隅は「食品偽装」の問題をいう。会社が赤字続きであり、経営維持のために安い食品の「偽造」をやった。その連絡のためだという。保険金目当ての殺人ではないことになる?話しは二転三転する。重森に閃くものがあった。「裁こうとしたのですか?あの母親を。夫と娘の事を見て見ないふりをしていたから。」、、、長い沈黙の末、三隅は口を開いた。
「重森さん」
「いや、どうせ信じてもらえない」
「話して下さいよ、何なのですか?」
「嘘だったんですよ」
「嘘?」
「私は河川敷には行っていません。本当は私、殺していないんです。
きっぱりと断言する三隅。
「いや、どうして今頃。何故最初に言わなかったのですか」
「言いましたよ。刑事さんにも検事さんにも前の弁護士さんにも」
「でも嘘をつくなって。認めれば死刑にならないって」

 重森はパニックになった。何が真実で、何が嘘なのか?三隅に強い意志みたいなものを感じた。咲江を守ろうとしている。咲江が疑われないように、咲江が法廷で暴行されたことを暴かれて傷つかないように、三隅は全力尽している。自分のせいで不幸になった娘のことを想い守れなかった娘の代わりに咲江を守ろうとしているんだ。同じく娘を持つ重森にもわかる気がした。もし、自白を覆して犯人であることを否認すれば死刑になる。恐ろしく重大な決断を三隅はしているのだ。身体が震える。「いいんですね?本当に」「はい」と三隅はうなずいて笑みを浮かべた。

 三隅は犯人ではないという証拠はない。仲間の弁護士たちは皆反対したが、重森は三隅の主張を押し通した。「真実はどうであれ裁判に勝てればいい」というかつての信条の姿はどこにもなかった。
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 是枝裕和監督が福山雅治を主演にした映画では、福山がエリートの仕事人間として登場する。最も女性にもてるイケメンの外観の影に隠れたエゴイズムや非人間性が映画で暴かれ、ひとりの人間として成長する姿に観客は感動する。「そして父になる」(13)この度の「三度目の殺人」(17)がそうだ。是枝作品を見て作品創造の核となっていると思った。
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 「三度目」とは何か?難しい。作品が回答を出さず、いかようにも解釈出来るようになっている。「三度目の殺人」とは誤審や冤罪の司法システムのことだというのも一つの回答ではないか。



  1. 2017/09/17(日) 21:53:48|
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「神尾和由展 2017年9/4~9/10   9/9

『美術/音楽/舞台/読書』「神尾和由展」(銀座ギャラリーあずま9/4-9/10) 9/9

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イタリアに23年在住、イタリア現代美術に関わり合った神尾和由さんの個展が「銀座 ギャラリー あずま」で開かれている。彼がイタリアから帰国して、国展や個展の招待券を頂いていた。2006年頃に帰国したとすれば、彼の絵を10年見たことになる。2004年の「シロッコ吹く早春の暖かな日に」を最後に具象に移っていった。モランディから出発したと聞く神尾さん、モランディにだんだん近づいてゆくのか。

➁「私的情景」シリーズ(2007~
2000年代の絵は萌葱(もえぎ)色の淡い色彩を主調として、もっぱら人物の立像の確立に主眼を置いたと思われる。画面の中央に立つ人物(男)が年毎に単一化してゆく。2007年の「私的情景」シリーズは08年09年10年と続いて、作者の内部で何らかの造形の確立があったと思える。1人の男が画面中央に立ち、背景にローマ時代から延々と続く石の建造物或いは欠片(かけら)。犬が一匹。(背景の構図はモランディ的作図ではないのか?)余計なものは捨象されて、私は「私的情景シリーズ」の前に立つと変に懐かしさを感じた。ゆったりとした気分に浸った。私自身ルネサンス美術に魅かれてイタリアへ何回か行くこともあって、神尾さんの絵は古いイタリアの小さな街や村の雰囲気に浸るような気分を味わった。

*1985年に逝去した有元利夫という夭折の画家が、イタリア旅行でピエロ・ディ・フランチェスカに魅かれ創作の原点になったこともイメージとしてあった。イタリアは面白い、と。

③ 「ある情景」シリーズ(2011~
2011年から色彩が加わる。今までの淡い色調からはっきりとした土色になる。2011年の個展の時、彼は言っている。「初めて海外-ローマに着いた時、懐かしさを感じた。」瀬戸出身の彼にとって、ローマの土ぽっさが故郷瀬戸(愛知県瀬戸市)の土の匂いと同じものに感じた。「ローマ帝国時代の廃墟の欠片が転がっている古代建築の遺跡や、各地の村や町の建造物の壁の土に懐かしさを感じた。又、彫刻に古代ギリシアから続く何千年の伝統が息づいている息吹きを感じた。土への思い=自然への回帰が古代ギリシア・ローマ芸術の表現の根底にあった」と彼は言う。
2011年の「ある情景」シリーズはまさしく<土>への回帰ではなかったか。彼にとって故郷「瀬戸」への回帰となる、<土>に回帰した作品はひとつの到達点を示すのではないか。
<地球の大地で男と女が誕生し、自己確立・結婚・住む家を造る。土を耕し、絵を描く>
 人間のこの世の営みを描くことになる。人生の謳歌を描くことになる。

④ 帰国後の歳月
神尾さんは帰国後、日本とイタリアとの空気や情景の違いに戸惑ったという。2つの国の段差は他人には計り知れない壁であった。恐らく彼の内面では大変なドラマがあったと思う。しかし「色への回帰」(自然への回帰)を成し遂げた今、画家は一つの到達点に立ったと、私は思う。彼は画布に向かうと、自由自在に広大な宇宙を飛び回っている。合わせて彼に寄り添い、互いに支え合った、お連れ合い方の献身に敬意を表したい。

* 神尾さんはイタリアへ渡る前1979年に「現代画廊」で個展を開いている。「気まぐれ美術館」の洲之内徹に認められていた。82年にイタリアに渡る。モランディの強い影響を受けた新進気鋭の画家だった。深い西洋美術への理解も23年も現地に住んだ強味がある。専門が異なるが須賀敦子をイメージする。これからが面白い!


*参考 「国展ホームページ」より――神尾和由作品展

2004年「シロッコ吹く早春の暖かな日に」)
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(2007年「私的情景 1」)
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(2009年「私的情景.男」

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(2010年「私的情景」)
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(2011年「ある情景A」)
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(2012年「ある情景男と女」)
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(2013年「遠い日.時の向こう」)
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(2014年四季<春.夏>)
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(2015年夜の情景)
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(2016年土の風景)
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(2017年土の風景)
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*この文章は小生の独断であって、神尾さんの預かり知れぬことです。ご迷惑をお掛けしたとあればお許し下さい。


  1. 2017/09/09(土) 14:04:45|
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『2017年映画』「幼子われらに生まれ」(原、重松清。脚、荒井晴彦。監、三島有紀子。出、浅野忠信

『2017年映画』「幼な子われらに生まれ」 9/7
                         原作、重松清。脚本、荒井晴彦、監督、三島有紀子。
             出演、浅野忠信、田中麗奈、宮藤官九郎、寺島しのぶ、南沙良、鎌田らい樹、

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*「パッチワークファミリィー」又は「ステップファミリー」という言葉がある。「子連れ再婚家庭」をさすようだ。それに同居してなくても過去の離婚で別れたパートナーの元にいる子との面会交流がある場合も含めるという。日本の結婚の4組に1組が再婚。120万世帯を超えるひとり親の再婚は皆ステップファミリーの予備軍である。この家族の抱える問題点に世間の関心が低く認知も低いという。

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*<幼な子われらに生まれ>
はステップファミリーの問題をテーマにした映画である。主人公は子持ちのバツイチと四年前に再婚した田中信(浅野忠信)40歳。妻の奈苗(田中麗奈)は前夫沢田(宮藤官九郎)の間の子薫(南沙良)10歳、恵理子(新井美羽)5歳を連れての再婚だった。信も別れた妻友佳(寺島しのぶ)との間に娘沙織(鎌田らい樹)がいて、年4回の面会を楽しみにしている。沙織は最愛の娘だ。

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*、大学準教授としてキャリア志向の寺島しのぶ演じる友佳と、大企業のエリート信とは若い男女のギリギリの確執の果てに一人娘をもうけながらも離婚。研究の邪魔だと友佳が独断で中絶したことが別れの契機になった。信はエリートコースを外れ、奈苗との再婚生活では妻の連れ子に気を使った生活をしている。同僚と飲みに行くわけではなく、誕生日にはケーキを買って帰るホームパパになっていた。友佳はその後再婚したが、今や再婚相手の教授は末期ガン。娘の沙織は義父の事を心から心配出来なくて悩んでいた。

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 *妻奈苗が妊娠したことから物語は始まる。新しい子が生まれることで家庭にどのようなことが起こるか?幼い5歳の恵理子は無邪気に姉になることを喜んでいたが、10歳の長女薫は露骨な反抗的態度を取るようになった。長女の反抗は実父のイメージがあって、田中は「父親ではなく」「赤の他人」なのだろう。又、思春期特有の深層心理で男親の匂いがするだけで身震いがして反撥する心理状態なのかも知れない。又、子どもが出来たら自分は捨てられるという深層心理に根ざした不安から来たものか?家庭内にギスギスした空気が漂うようになってきた。妻奈苗の前夫はDVであり、薫の幼い頃のDVの記憶が田中を受けつけない理由だったかも知れない。
 薫の反抗はますます激しくなり、追い詰められた信イライラしながらも人口中絶を考えていった。が、奈苗は「産むもんだ」と決め込んでいる。
 家族とは血縁の繋がりという頑固な固定観念がある。「パッチワークファミリー」とはその固定観念に縛られていては始まらない。血縁を超えた何かで結ばれなくてはならないか?大いなる実験である。

*大雨の降る嵐の夜、沙織が義父の事で相談に来ていた。沙織の携帯に義父の危篤の知らせがあった。豪雨で電車は止まっていた。信は妻奈苗に連絡して車を持って来させ沙織を病院へ送った。車中で幼い恵理子と沙織は仲良しになり、「恵理ちゃんのパパと私はお友達なの」と沙織は言う。
病院に着いた。沙織が降りると「一緒に行ってあげなさいよ」と奈苗が下を向いたまま言う。信「、、、え?」奈苗「友達なんでしょ、いいから早く。ここで待っているから。」そして、「赤ちゃん、絶対に産むからね」信は振りむいて、小さくうなずいた。足早に追いつくと、沙織が「みんな仲良しなんだよね。ウチもそうだし、パパのところもそうだよね。本当の親子じゃなくても好きになれるよね。」「なれるよ」と信は言った。

*病院の廊下で今かと待っている信たち。しばらくして赤ん坊の元気な泣き声!元気な男の子の誕生、この家族の絆となるか。

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*主演の浅野忠信がいい。マーティン・スコセッシ監督と映画「沈黙」での出会いなどで俳優として一段上を登ったように思う。血のつながらない家族に新たな子が生まれる。物心ついた長女薫の反抗が、家族の繋がりとは何かを問いかける。大事なのは「血縁か、愛か」。
ドラマの組み立てが巧い。さすが荒井晴彦の脚色。

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以下の無機質なシーン――電車の線路のカーブの曲線、駅から家のマンションを繋ぐ斜行エレベーター、遠くの薄明りのマンションが立ち並ぶシーン。作品の内容の表出でもあるが、豪雨のシーンでの転換でマンションの灯りが明るくなる。ポジティブへの希望なのか。




  1. 2017/09/07(木) 17:39:51|
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『2017年映画』「ハイドリヒを撃て!」(チェコのレジスタンス。チェコ、英、仏合作)9/1

『2017年映画』「ハイドリヒを撃て!」(チェコのレジスタンス。チェコ・英・仏作)9/1

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20世紀のチェコスロバキアは、隣国のドイツ、オーストリア、ハンガリー、ポーランド、ルーマニアらと祖国の存立をかけての争いの末、やがてナチス・ドイツによって国そのものが地図から無くなるという悲劇の結末になった。(ドイツ傀儡の「チェコスロバキア共和国」をナチスは作ったが、戦後正当性をもたなかった。)
祖国が消滅したチェコスロバキアは亡命政府(1939-1945)をパリ後にロンドンに作ったが、初めはどこも存在を認めなかった。ドイツがスロヴァキアを分離独立させチェコをドイツが併合した時、亡命政府の大統領エドヴァルト・ベネシュだけが抗議し、やがて抗議は在外公使に広がり戦局の悪化でやっと亡命政府の存在が認められた。
 
 亡命政府は、チェコ内残存レジスタンスと連絡を取り援助したが、ナチスの弾圧で組織はガタガタになった。ナチスの野獣といわれた「ハイドリヒ暗殺作戦」。(映画では「ハイドリヒを撃て!」)1942年にプラハで起きた。映画はヒトラーの片腕でユダヤ人虐殺の責任者の一人、ラインハルト・ハイドリヒの暗殺を描いたものである。

 ロンドンのチェコ亡命政府と英政府がハイドリヒ暗殺を決めた。チェコの工業がナチスの武器弾薬兵器を支えていたからだ。ナチスの軍需工業の責任者が、ラインハルト・ハイドリヒであった。ハイドリヒ暗殺は英政府及びチェコ亡命政府の必死の課題だった。ロンドンから暗殺者が送り込まれる。しかし、プラハのレジスタンスが反対する。冷酷なナチスの暴力組織がどんな過酷な報復を行うかは分からない。しかし、暗殺作戦は必死の至上命令だ。暗殺者を迎えて揺れ動くチェコのレジスタンス内部。が、決行された。果たして、、、
 
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 レジスタンスでは闘士たちは「青酸カリ」を所持する。逮捕後の凄まじい拷問に耐え切れず組織の大事を吐いてしまうから、それを恐れて自殺する。闘士たちを匿った夫人はゲシュタポの踏み込みに、一瞬の隙に「青酸カリ」を呑んで自殺する。ヴァイオリンニスト目指していた息子は囚われて過酷な拷問を受け秘密を漏らしてしまう。その彼が弾いていたバッハの無伴奏の痛切な響き。

 暗殺を決行すれば過酷な報復が待っているのに、何故やったのか?「神風・特攻の無惨な悲劇」「自爆テロ」を思い浮かべて疑問を自問自答した私が「甘い」のか?戦争の厳しさに襟を正すべきか?!しかし、ナチの野獣ラインハルト・ハイドリヒを暗殺し、この暗殺の成功でチェコは「連合国」の一員として認められたのである。

監督ショーン・エリス。
出演キリアン・マーフィ。ジェイミー・ドーナン




  1. 2017/09/01(金) 06:46:55|
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