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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『美術/音楽/舞台/読書』「カーネーション」(ピナ・バウシュ:ヴッパタール舞踊団)3/21

『美術/音楽/舞台/読書』「カーネーション」(ピナ・バウシュ:ヴッパタール舞踊団)3/21
                              3/16~彩の国さいたま芸術劇場)

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ピナ・バウシュという現代舞踊の第一者が率いていたドイツの「ヴッパタール舞踊団」の公演を久しぶりに見た。ピナ・バウシュは2009年にガンの宣告を受けて5日後に68歳で死去という運命に世界のファンは衝撃を受けた。ピナは1973年ドイツの「ヴッパタール舞踊団」の芸術監督に就任し、表現主義ダンスの伝統を受け継ぎ、新たにダンスと演劇との融合を図る「タンツ・テアター」というコンテンポラリーダンスを創造した。ピナは33年間の監督時代に40余の作品、日本でも1986年から11回来日、20作品の公演を行った。
私は1993年の3回目の来日から彼女の「追っかけ」をやった。*演劇評論家・渡辺保ではないが、嫌いだと言いながら「ピナ・バウシュが東京へ来るたびに欠かさず見に行った」

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*渡辺保がピナの舞踊を玉三郎や歌右衛門の舞踊とは異なるものとして、日本的舞踊概念の枠外と批判していたからである。その著「日本の舞踊」で、「舞踊とは踊り手の身体から発するー深いところからくる動きに感動するものだ」とカンニングハムなどに触れながら言っている。そうなんだ。玉三郎の「鷺娘」の感動は、彼の身体から発する一種官能的な「匂い」に魅惑されるのだ。ところが、ピナ・バウシュの舞踊は違うのだ。暴力的であり、美を壊すのだ。それまでの舞踊にあった抒情性・型・物語性を壊そうとする、、、新しい現代舞踊―コンテンポラリーダンスの創造だったのだ。戦後ニューヨークで展開したマーサ・グレアムやアルヴィン・エイリーやマース・カニングハムなどのモダンダンス。ヨーロッパのプティやベジャールなどのコリオグラファーなどの芸術の、ピナはその頂点に立つ。

ピナが亡くなった翌2010年、弟子たちによって「私と踊って」の来日公演、私は見に行った。満員だった。弟子たちが志を引き継ぐと宣言していたが、今回7年ぶりの「カーネーション」を引っ提げての来日公演、全席満員、キャンセルチケットを求めて客が押し寄せた。

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「カーネーション」(1982年初演、89年来日公演)
舞台全面にカーネーションが咲揃う。一人の男性ダンサーが現れ、ガーシュウィンの名曲「私の愛する人」を手話で語る。「何故ダンサーになったのか」とか「愛について」とかのピナの問いかけに導かれ、紡がれるダンサーたちの数々のシーン。驚いたのは高いところからダイヴィングするスタントマンたちと舞台の動きをじっと見ている何匹かのシェパード。驚愕と恐れのシーンだった。やたらにパスポートを求められるシーン。行動と監視、調査管理される現代世界の象徴。
又、ネガティヴなシーン。暴力・威嚇・命令・強要などのシーン。いずれも舞台でのパァフォーマンスかタンツテアター(独特なダンスによる表現方法)が交互に展開される。春夏秋冬のシーン、春が来て草が芽生え、、、と春夏秋冬と季節が巡る様子が繰り返される。シューベルトの<死と乙女>の音楽が流れ、ダンサーたちが椅子を掲げながら舞台を狭しと全速力で走りぬく。最後の呼吸、死を前にした最後の望み、ダンサーたちは客席に向かって走っていって「愛」について叫ぶ。美しく咲き競っていたカーネーションの園はすっかり荒らされ、庭園の荒廃は世界の荒廃の象徴か!
ピナが生きていた時のように舞台は展開した。
しかし、、、

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ピナは言う。
「私たちは何を感じるか、/何が大切か、/何を伝えたいか、/何を表現したいか、」

「ピナは踊るために/ 絶望的だと思われるような努力を続けている/
踊りには身体的な意識が必要であり/ 何かを形づくるにはどのようにするか/
何かを表現しなくてはならないと感じ/ 以前と同じではない新しいものを/
作り上げようと/ 奇妙なことに/ それ以上進むことが出来るのか/ いつも自分自身に問いかけている/
新しいものを作り始めることは/ 噴出のようなものであり/ 流れていく水のようなもの
何を表現するかは/ 概念から生まれるものだはなく/ 内なるものであり/
ピナ・バウシュはそれを求め続けている」

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やはり舞台は立派だが、感動が薄い、と。私の方に問題があるのかも知れない。私の感性が鈍って感じ取れないのかも知れない。が、ピナのみずみずしさが懐かしいのだ。

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*『ピナ・バウシュ』(1940~2009年)ドイツのコンテポラリー・ダンスの振付家。

1973年からヴッパタール舞踊団の芸術監督に就任。33年間の活動期間に40余の作品を世に問う。2009年ガンの宣告後5日で死去。
<主な作品>、
「春の祭典」「7つの大罪」「私と踊って」「カフェ・ミュラー」「バンドネオン」「カーネーション」
「ヴィクトール」「パレルモ、パレルモ」「船と共に」「ダンソン」「炎のマズルカ」「緑の大地」
「過去と現在と未来の子共たちのために」「ネフェス」「天地」「フルムーン」



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  1. 2017/03/21(火) 18:15:13|
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『2017年映画』 「愚行録 ・補遺 」 3/17

『2017年映画』「<愚行録>補遺」 3/17

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*「愚行録」補遺
3月7日に取り上げた映画「愚行録」は新人監督石川慶の意欲作である。<補遺>として解説を整理します。

若手俳優たち――妻夫木聡、満島ひかり、小出恵介、臼田あさ美、市川由衣、松本若菜、中村倫也、真島秀和らによる青春群像劇の一面。それは有名私立大学を舞台に繰り広げられる、華やかな学園生活や交友関係。そして、もう一つは10年後に起きた卒業生(田向)一家殺人事件と同じ卒業生田中光子の育児放棄・愛児衰弱死事件。この二つの事件はどう絡み合っているか?
*田中光子(満島ひかり)兄、田中武志(妻夫木聡)田向浩樹(小出恵介)田向夫人友希恵(松本若菜)宮村淳子(臼田あさ美)

雑誌社記者である光子の兄田中が、迷宮入りになった一家殺人事件の取材に乗り出す。(雑誌社内では反対の空気が支配的だったが強引に)田中は田向夫妻の近所の評判から取材を進め、大学時代にゆきつく。物語は田中の取材(インタビュー)のシーンとある女性の独白とで映画は進行していく。取材を進めると田向夫妻の評判が人によって異なっていた。

例えば殺された田向武志は大手デベロッパーのエリートで人当たりも良く仕事が出来る人間だが、交際相手の親が自分の就職に有利になるかを計算しているところがある。女性関係も醜い噂やライバルの左遷についての闇のうわさもある。
田向夫人については美人で気品があるが、学生時代彼氏を盗られた今ではカフェのオーナーの宮村淳子は彼女を性格が悪いという。光子が利用されていた或ることを打ち明ける。(光子が田中の妹とは知らない)*

*名門私立大学のK大では、付属からの進学者(内部生)と大学に入学してきた(外部生)との間に隠然たる差別の壁があった。内部生は2代も3代も続くエリート層であり、外部生は簡単には入れない。悲惨な幼少期を送った光子は金持ちの男と結婚して幸福になりたいと夢みてK大に入学した。外部生だった田向夫人は光子を内部生に紹介した。美貌と気品で田向夫人は内部生の男に取り入り、光子を紹介することで君臨したのである。光子は体だけもてあそばれ捨てられた。田向夫人は次々に男を紹介した。光子は散々な目にあって果ては大学を中退した。

田向夫妻や淳子・光子たちのK大での青春は一見華やかなものだったが、羨望・嫉妬・駆け引き・欲望・見栄が渦巻き、恋・失恋・相手を捨てる等、青春期特有のドラマがあった。根底には、内部生対外部生の対立の壁が企業の学閥のように厳然とあった。

田中光子は少女時代から性的虐待を受け、家庭的にも暗く不幸な少女時代を過ごし、名門K大での青春も願っていた方向とは逆のネガティブな方向、、、大学を中退した。シングルマザーとなって、育児放棄・愛児衰弱死で鑑別所に留置されている。大学を中退した後の光子の10年間は何だったのか?彼女はどう生きたか?子どもの父は誰か?
兄の武志は何故事件を調べるのか?いや、何を調べているのか?

最初にバスのシーンで、兄の癖の悪さを見せて、兄妹の刑務所内での対面。ロマン・ポランスキー張りのポーランド国立映画大学の演出・撮影方法(監督、石川慶はポーランド国立映画大学出身)が面白い。無機質の乾いた映像美―刑務所の四方の白い壁が際立っている。映画のセットのような壁と、鉄格子が兄と妹を隔て対面している。「私、秘密大好き!」と満島の妹が怪しげに呟く。妹嬉しそうだ。近親相姦の匂いがする。田中光子は余りに可哀そうだ。悲惨な少女時代、K大学の学園生活で夢の青春を掴もうとして挫折。光子を軸とした物語が見え隠れする。そして、兄武志の存在、彼の記者としての行動はどう光子に関わってくるか?

映画の画像美が既存のものと全然違うのだ。それと、30代青年俳優の演出に今までと違った映画・ドラマの可能性を見た。


  1. 2017/03/16(木) 22:50:40|
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『日記』 「余禄 ① 3/12」 3/12

『日記』「余禄  ① 3/12 」 
 
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*3月11日、東日本大震災から6年。テレビは1日中地震特集だ。わが国の東半分の人は、少なくても何らかの傷を心に負っている。直接関係が無くても親戚・友人の係累に被災者がいる。3月11日の傷痕は心の奥深くに留まり、私たちが再出発した日でもある。6年間の思いは人々の中でいろいろな意味でうずもれている。その一端を知りえただけでも涙腺が緩んでくる。
しかし、各地で起っている「原発差別」は何だ?6年間の総決算がこれか!6年前の恐怖・悲しみ・喪失感はどこへ行ったか。

*3月10日昼頃、テレビのテロップに「朴大統領罷免」が流れ、テレビ局のコメンテーターがこれについて論評しだした。弁護士の常連コメンテーターが韓国を「恐ろしい国」(非近代国家というイメージ)だと言った。私ははっと思った。友人崔被告の国政介入・権限乱用などで憲法裁判所が朴大統領を弾劾罷免の判決。それまでの韓国全土に亘る民衆の大規模な反朴デモが繰り返してきた事実を、見ていれば「恐ろしい国」という言葉は出てこないはずだ。隣のチャンネルに替えると在日韓国人の女性コメンテーターが手際よく解説していた。その後12時のNHKニュースで大々的に取り上げていた。昨年から繰り返されてきた大規模デモ・世論のうねりが憲法裁判所の判決にも影響を与えたか?―法と世論とは独立して関係無いという、机上の近代法理論?で片付けて欲しくない。わが国では裁判官が権力の横やりにより一方的な判決に傾いている事実、法に対する解釈が権力の意向に沿ってねじ曲げられている事実が多多あるではないか? むしろ、百万のデモで国が変わることが出来るのであれば、真の民主革命が成功するのではないか。

*最近のオゾマシイ映像
1 塚本幼稚園児の「教育勅語」を合唱しながらの行進!」」
2 マレーシアのクアンランプール空港での白昼堂々たる毒殺テロ。
(みなさん!オゾマシイことではありませんか?感性的に体が震えました。「幼稚園園児に教育勅語」とはナチスのヒットラー・ユーゲントの行進を想像し、「毒殺テロ」の「毒殺」に中世的な野蛮さを感じてしまうのです。)

*3月11日「南スーダンPKO撤収」政府は自衛隊のPKO派遣を5月末めどに撤収することを決めた。驚きの撤収だ!
 国連が「ジェノサイド(民族大量虐殺)の恐れ」などの警告、国内の反対にも関わらず、派遣を強行した。この撤収は自衛隊に死者が出たのではないかと疑った。現地はジェノサイドの危険が迫っている。万が一の事態になれば内閣はもたない、それを恐れたのか? 
この日、話題の「森友学園」籠池理事長は、小学校認可取り下げと理事長退任を表明した。PKO撤収は「森友隠し」ではないかとの別の見方も。自衛隊の隊員から家族の元に現場の危険な状況が手紙などで知らせてくる。「隊員が日報に戦闘と記してSOSを発信したのに防衛省の幹部や大臣が握り潰した。このまま何かが起これれば政権が持たないと判断したのではないか」と新聞の記事。(日経読者アンケート3/4締め切り。「森友学園」関係者の国会参考人招致70.8%の賛成、安倍内閣支持率/支持36.1%しない63.9%)アベの支持率が逆転したケースは初めてだ。安倍内閣の内部で何が起こっているか?



  1. 2017/03/12(日) 11:54:55|
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『2017年映画』 「愚行録」(原作、貫井徳郎。監督、石川慶。出演妻夫木聡。満島ひかり。3/7

『2017年映画』「愚行録」(原作、貫井徳郎。監督、石川慶。撮監、ピオトル・ニエミイスキ
               (出、妻夫木聡。満島ひかり。小出恵介。臼田あさ美。
                  市川由衣。松本若菜。濱田マリ。平田満  3/7

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最近小説界や映画界で「イヤミス」と呼ばれる作品が話題を呼んでいる。読んで(見て)後味が悪いミステリーの作品。渚かなえ「告白」桐野夏生「グロテスク」佐野真一「東電OL殺人事件」などがある。この貫井徳郎監督の「愚行録」もその一つといえる。

日本中を震え上がらせた一家殺人事件。エリートの夫と美しい妻、可愛い子どもという理想的と思われて一家の想像を絶する殺人事件。いまだ未解決。週刊誌記者の田中(妻夫木聡)が調べてゆくと、エリート一家の理想的な人間像とはかけ離れた実像が浮かび上がる。

日常交わす何気ない会話や人のうわさ話、人間関係における秘められた羨望や嫉妬・見栄や駆け引き、、、原作者が「愚行」と名付けた人間性の闇が、ミステリアスなドラマと共に登場、人物たちの青春を彩っていた。殺人事件の背景に、映画の中心舞台を成す名門大学生たちの青春の陰影があった。

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映画の冒頭、バスの中座席で眠りこけている雑誌社記者田中(妻夫木聡)。車中の中年の男に立っている老婆を座らせるように注意され、田中立つ。バス停で降りた田中、足を引きずって歩く。車中の中年男気まずそう、、、バスが行ってから田中足が何でもなさそうに歩く。演技だったのだ。冒頭のワンカットで主人公の性分を見せ、映画の方向を暗示している。
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3歳の女児を育児放棄で衰弱死させ逮捕された妹光子(満島ひかり)に面会している兄の田中。周囲の壁が灰色の石で囲まれた留置所、異様な無機質な様子は作品全体の主調トーンで*あり、抒情とは無縁な作品であることを暗示している。一家殺人の犯人は誰か?記者田中が関係者のインタビューをしてゆく過程と、誰かわからない女が「お兄ちゃん」向かって語る話とが交互に散りばめられて映画は構成されてゆく。田中は殆ど喋らず相手に語らせる。

*(撮影監督=ピオトル・ニエミイスキ。監督=石川慶はポーランドの国立映画学校で学び、ニエミイスキは同窓。ポーランドコンビの演出・撮影は日本の映画レベルを超えた優れた映像美と構図を表している。)

殺害された夫・田向浩樹(小出恵介)は名門W大卒の大手ゼネコン・デベロッパーのエリート。男の中では仕事が出来る「頼れる男」と評判はいい。
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妻・(旧姓夏原)友希恵(松本若菜)は名門K大卒の美貌の才媛。気品があり優雅な貴婦人と言われていた。しかし、、、今は洒落たカフェのオーナー同級生宮村淳子(臼田あさ美)が、友希恵は「性格が悪い」と言う。夫田向についても醜い女性関係や同期の左遷にからむ暗い影をほのめかす。田向夫婦の表面の評判とは反対の実相を語る。華やかな大学時代何があったのか?
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田向夫人の出身名門大学K大では付属から進学してきた学生(内部生)と、大学に外部から入ってきた(外部生)者と隠微な差別があった。内部生は親子2代或いは3代~K大を卒業し、資産家のエリートが占めていた。外部生は内部生の固い結束に弾かれ、グループには入れなかったのだ。

田中光子は少女時代に父から性的虐待を受けていた。ある日の夜、妹の叫び声が聞こえた。気がついた時田中は父親に馬乗りになって殴りかかっていた。翌日から田中は家を出た。
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名門K大に入学した光子は家柄の良い金持ちの男と結婚して幸福になろうと胸を膨らませていた。内部生ではないけれど美貌と優雅な雰囲気から周りの期待を集めていた田向夫人は、「内部生」と付き合いたがっていた光子を次々と内部生の男に紹介した。しかし、光子は体だけもてあそばれ次々と捨てられてしまう。田向夫人は己の地位を保つ為に光子を貢物として利用していたと語るのは宮村(臼田あさ美)。
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付き合っていた男を田向夫人に盗られ、田向浩樹の元カレだった。それぞれ関係や利害が絡まり合い嫉妬、羨望がうごめいている。

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さて、それぞれの青年男女は青春の門を通過し人生という航路に旅立ったが、一家殺人殺しの犯人はだれだろうか?

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満島ひかりの演ずる「田中光子」、「私、秘密大好き!」と妖精のように駆け寄ってくるが、悲惨な少女期と夢見た青春とその裏側、愛児虐待と育児放棄で逮捕鑑別所の中、考えてみればもの凄い女の一生!これからどうなるのだろうか?
タイトルの「愚行録」とは何をさすのか?「愚かな行い」とは誰のどういう行為をさすのか?
登場人物たちそれぞれの行為を意味するのか?人間やっていることが「愚行なのだ」と。

監督、石川慶
ロマン・ポランスキーらを輩出したポーランド・国立映画大学で演出を学ぶ。
短編映画を作ってきたが、「愚行録」は長編デビュー作である。
同大学出身のP・二エミイスキを撮影監督に起用、映像美あふれる構図を作った。
満島ひかり、臼田あさ美、小出恵介などの演技力の可能性を引き出した。

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  1. 2017/03/07(火) 16:31:20|
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