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映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『2016年映画』 「ME キャサリン・ヘップバーン自伝」  9/25

「ME キャサリン・ヘップバーン自伝」  9/25    

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<1940年>

『トランボ――ハリウッドに最も嫌われた男』でハリウッドの「赤狩り」を調べていたら、赤狩りに反発した女優がいた。キャサリン・ヘップバーンとローレン・バッコールが印象に残った。キャサリンの自伝を読む内に、キャサリンの魅力が以前にも増して強く感じた。キャサリンはオスカーノミネート12回、主演女優賞4回に輝く。これは誰にも破られていない。黒のシンプルなパンツ・スタイル、茶目っけのあるユーモアと朗々たるスピーチで拍手喝采を受けた。又、私生活を晒さず謎に包まれていたためか、91年に発表した自伝は全米で数百万部を売り上げる大ベストセラーになった。

自伝

キャサリン・ヘップバーンは1907年に、コネティカット州ハートフォードで生まれた。父は医師、祖父は牧師。母マーサは婦人参政権論者で産児制限運動に携わり、特に女性問題・参政権・売春について真剣に考えていた女性だった。キャサリンはそのような知的かつリベラルな家庭環境で育った。弟に劇作家や医師がいる6人兄妹の長女で、活発聡明な環境で育った。キャサリンは自伝で、育ったコネティカットを次のように回想している。

『野に咲く美しい花々、公園、丘、昔ながらのきれいな家、そこには好ましい生活のペースがあった。ある時はゆっくり、ある時は速く、河があり、貯水池があり、ロングアイランド海峡があった。気候もすばらしく、林があり、庭園があった。雪が舞い、雨が降った。広さも大きすぎず、小さすぎるわけでもない。      
そう、コネティは私の故郷だ。雪に閉じ込められ、ハリケーンで家を失った。私はテニスをし、ゴルフをした。私はこの土地に生きた。そしてこの土地に眠ることになるだろう。』

自伝にあるように、キャサリンは、良き風土の環境・自由な家庭で、のびのびと腕白な少女時代を過ごす。コネティカットの風景や風物の的確な描写はイメージを喚起し、その舞台で彼女が生き生きと飛び回り成長したことを想像させる。だが、キャサリン14歳の時2歳上の兄が突然死んでしまう。最愛の兄の死はショックでそれまで幸福だった一家に暗い影を宿し、キャサリンの人生に多くの影響を与えた。

彼女は幼い頃から映画や演劇に興味を持ち、アマチュア劇団や学生演劇にも熱中する。大学で心理学を学んだが、卒業後ニューヨークに移り、劇団に入り10本以上の舞台を経て、1932年映画デビューした。その間、ダフという女性の先生から「発声」仕方を教わった。横隔膜を使っての「発声」は、その後のキャサリンの映画人生に多いに役立った。3回目の映画(勝利の朝)でオスカー主演女優賞に輝いてしまうのだ!            
                            
自伝の「駆け出し時代」(1930年代)の文章は興味あるものだった。新人としての売り出しは誰にもあるように色々な体験・失敗・苦労があった。しかし、その経験が大女優キャサリンを準備するのである。有力だと思っていたオーデションを何度も落ちたり、契約していた劇団をクビになったり、公演が終わったとたん興行主が有り金を持ってどろんしたり、と彼女は先輩俳優から学んでいる。発声の仕方や歩き方、その俳優の流儀を取り入れて自分の個性をつくりあげた。そういう努力は大きな役者を育てる。

『どんな役でも獲ることが出来た。役を理解出来たからではない。ひらめきがあった。役に対するひらめき、その人物に対するひらめきがあった。生命のひらめき、、、といったものが』

②DSC_9616
その例として、ローレット・テイラー*という女優を挙げていた。

*(テネシー・ウィリアムズの「ガラスの動物園」初演の成功(1940年)を支えた、壊れやすいガラス細工のような姉ローラを演じたローレット・テイラーのこと。)
『舞台の袖に立つと、ローレットは軽くひと呼吸する。準備に苦しんだりはしない。自分の経験を活かしてその役になりきる。ひっかかったり、もたついたりすることはなかった。生まれついての役者だった。人前に身をさらし、語りかけ、その気にさせ、心をとらえ、注目させる。それが彼らの人生だった。』           
  
1933年「勝利の朝」(オスカー主・女)、1940年「フィラデルフィア物語」が大ヒットし、大スターとしての地位を確立した。

主な生涯作品は以下の通り
1907  生誕
32  「愛の嗚咽」(映画デビュー)*この頃の宣伝写真
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33  「勝利の朝」(オスカー・女優賞・3作目でオスカー受賞)
33  「若草物語」(原作R.オルコット、監ジョ―ジ・キューカー、
               主、キャサリン・ヘップバーン、)
35 「男装」(監G.キューカー主キャサリンとケリー・グラント
38  「赤ちゃん教育」(監ハワード・ホックス、主キャサリンと
K・グラントとの掛け合い。スクリュー
ボール・コメディと言われた。  

40 「フィラデルフィア物語」*(監J・キューカー、主キャサリン、ケリー・グラント、ジェームズ・スチャート
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(*「フィラデルフィア物語」が大ヒットし、キャサリンは大スターとなる。
*30年代のハリウッド映画は全然見ていない。戦後殆ど日本では見られなかった。今では可能らしいが、コメディが多いという。キャサリンの20代から30代にかけての若く美しい時代の結晶が30年代の映画に詰まっている。)

51 「アフリカの女王」(監ジョン・ヒューストン、主ハンフリー・
           ボガート(オスカー男優賞)、キャサリン

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55 「旅情」(監デヴィッド・リーン、音A・チコニーニ
           主キャサリン、ロッサノ・ブラッツィ
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           音楽「サマー・タイム・イン・ベニス」
59 「去年の夏突然に」(監J・マンキーウイッツ、主エリザベス・
       テイラー、キャサリン、モンゴメリー・クリフト
67 「招かれざる客」(監スタンリー・クレイマー、主S・トレイシー、キャサリン女優賞

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           シドニー・ポアチエ
68「冬のライオン」(監A・ハーヴェィ、キャサリン・女優賞
ピーター・オートゥル、アンソニー・ホプキンス
  英国王ヘンリー2世の後継を巡る3人の王子と妃が絡むドラマ
81「黄昏」(監マーク・ライデル、ヘンリー・フオンダ男優賞
        キャサリン女優賞、ジェーン・フォンダ・ノミネート

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    人生の黄昏を迎えた老夫婦の愛情と父親と娘(フオンダ 親子の和解を描く)ジェーンが父にオスカーを取らせるためにキャサリンの協力を仰ぐ。

*キャサリン・ヘップバーンというと55年の「旅情」からである。
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30年代の若い時代を知るよしもない戦後派はベニスの旅情を見事に引き出した、キャサリンの情感・ユーモアに感動した。知的・華麗・洗練という言葉が真に当てはまる大女優であることを知るのである。実用性のあるパンツ・スタイルは彼女のトレンドになり、男性に寄りかからない自立した女性のライフ・スタイルのベースに。
    
キャサリンのDSC_9625

*仕事上でパートナー(キャサリンとは9本共演)であった、スペンサー・トレイシー(1900-1967)とは実生活上でもパートナー

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であった。妻とは宗教上、かつ重い障害を持った子どもを育てていた為離婚出来なかった。マスコミは知っていたけれど、2人の名優に敬意を表して報道しなかった。それまで乱暴でアル中のスペンサーが、重厚で人望の厚い性格俳優に変わってゆく。傲慢で気が強く自我の塊のような女であったキャサリンが「彼に出会って、初めて自分以外の人を愛した。人生が変わった。」と自伝で言っている。2人の愛はかくのごときであった。20年に及ぶ愛を支え合ったがスペンサーの死を看取ったのはキャサリンであった。彼に永遠の別れを告げて、連絡を入れてキャサリンは家を出る。米国中が敬意を払った葬儀の列をキャサリンは遠くから見送った。棺に寄りそったのは妻であった。

*81年の「黄昏」はヘンリーとジェーンのフォンダ父娘の確執と和解の映画である。
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ジェーンの母フランセスは夫ヘンリーの浮気を苦に自殺した。しかも死後わずかで新妻を迎えた父ヘンリーへの反感から、屈折した青春を過ごしたジェーン・フォンダ。父ヘンリーとは長年確執のまま。女優として「ジュリア」「コールガール」(女優賞)「帰郷」(女優賞)などの活躍。反戦活動は有名。
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 81年の「黄昏」、ジェーン・フォンダは父ヘンリーが病気で先がない事、ヘンリーが本心はオスカーを欲しがっていたのを知った
彼女は、キャサリンに相談。「黄昏」の妻役を引き受けて貰い、自分は娘役、テーマは「父と娘の確執と和解、老夫婦の愛」ジェー
ンは実生活では絶対に言えない、父に「友達になって下さい」という台詞を、キャサリンの影の助けを借りてやっと映画の中で言
えた。「黄昏」はヘンリー・フォンダとキャサリンの2人にオスカー男優主演賞、女優主演賞を与えた。へンリー・フォンダは半年後に
亡くなった。
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後日、キャサリンの4度目の「女優主演賞」お祝いの電話をしたら、彼女から開口一番にかえってきたのが≪これで追いつけないわよ≫ ジェーンもノミネートされていたのだ。


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  1. 2016/09/25(日) 18:02:05|
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『2016年映画』「トランボ―<ローマの休日>の脚本家・ハリウッドに最も嫌われた男」9/15

『2016年映画』「トランボ――<ローマの休日>の脚本家」ーハリウッドに最も嫌われた男 9/15


トランボ.ポスター

戦後ハリウッドで「赤狩り」というレッドパージの嵐が吹き荒れた。東西冷戦の1950年代の前半、米国を襲った共産主義者や良心的リベラル派の追放の嵐である。「マッカシー旋風」で知られる反共・反動の推進者は後に大統領になったリチャード・ニクソンやロナルド・レーガン。ハリウッドでの反共の手先はジョン・ウェインや女性コラムニストのヘッダ・ホッパー(オスカー女優のヘレン・ミレンが毒を振りまいている!)反共の闘士と化したホッパーのトランボを追い詰める凄まじさ!

ホッパ.ヘレン

最初の犠牲になった、当時「ハリウッド・テン」*と言われた10人の映画関係者がいた。その代表が本作の主人公脚本家ダルトン・トランボ(1905-1975)である。名作「ローマの休日」のシナリオで、友人の名を借りてのオスカー脚本賞を取る名脚本家だ。

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彼は言論の自由のために闘った。後に「スパルタカス」「パピヨン」といった傑作を手掛けた名脚本家の生涯を通して戦後のハリウッドの裏面を描く問題作だ。

(*「ハリウッド・テン」10人の名を挙げても現代では殆ど知られていない。当時共産主義の同調者と言われ狙われた最初の映画人10名、としておこう)

狙われた映画人を議会の非米活動委員会に呼びつけて審問、露骨に「あなたは共産主義者か」FIBのフーヴァー長官の調査の裏付けのもとに追求、議会侮蔑罪で有罪・業界から追放。仕事を失い喰うにも困る者も出てきた。

当時、狙われた者は皆優れた映画人だ。
チャップリン(亡命)、ブレヒト(米国に亡命していた)、オーソン・ウェルズ、ジョセフ・ロージー(亡命)、ジュールズ・ダッシン(亡命)、ダシール・ハメット、リリアン・ヘルマン*、アーサー・ミラー、エイブラハム・ポロンスキー、ハリー・ベラフォンテ、グレゴリー・ペック、ジュディ・ガーランド、ハンフリー・ボガード、ローレン・バッコール、約80名の映画人が赤狩りに対する公開抗議を行っている。

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(*フレッド・ジンネマンの名作「ジュリア」で大冨豪の娘として生まれたジュリア(ヴァネッサ・レッドグレイブ)が、思想的に目覚めて20世紀の最高の知性を身に着け、ファシズムと闘う様子を、友人のリリアン・ヘルマン(ジェーン・フォンダ)との友情と、ダシール・ハメット(ジェイソン・ロバーツ)との愛を描いている。劇中、ヘルマンとハメットが海岸の別荘で同棲して創作に向かうシーン、創作で行き詰まったヘルマンがタイプライターを投げつけるシーンが印象的だった。)

「赤狩り」は疑いのある者は片っ端から呼びつけて審問にかけ業界から追放した。皆怯えていた。3つの生き方に分かれた。
①本編の主人公トランボのように抵抗して追放されて生活に困るか、亡命する者
②エリア・カザンの様にかつての仲間を証言で名指して、ハリウッドで逆に成功した者。*(後に触れる)
③怯えていた者・消極的な転向した者。

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映画は1947年、ハリウッドの名脚本家ダルトン・トランボ(ブライアン・クランストン)は、妻クレオ(ダイアン・レイン)と3人の子どもと共に幸せな日々を送っていた。冷戦状況から理不尽な弾圧が襲ってきた。弾圧側は組織の議長ジョン・ウェインと女性コラムニストヘッダ・ホッパー(ヘレン・ミレン)。ホッパーはトランボに執拗に牙を向けてくる。議会に召喚されたトランボは侮蔑的な審問を拒否して、議会侮辱罪に問われ有罪とされ仲間と共に下獄になる。破壊分子とされ、仕事を失い家族の生活は困窮していく。

獄中のトランボは恐怖と不安に駆られ、唯一の心のよりどころの家族に宛てて手紙をしたためる。51年、出所して家族のもとに帰った彼を温かく迎えたのが最愛の妻クレオ(ダイアン・レイン)や3人の子どもだった。美しく成長した長女二コラ(エル・ファニング)に大喜びのトランボ。

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再出発を図ろうとする彼だが、ブラックリストに載っている彼に仕事はない。一家は餓死するしかないか?

トランボ取ったレジスタンスは
以下の通りだった。

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B級映画専門のK社の社長は政治に関心がなく、破格の安値で量産する脚本を求めていた。トランボはK社と契約、幾つもの偽名を使い分けて低予算のB級映画の脚本を書きまくった。仕事を失った仲間たちも巻き込み、家族にも電話の応対や脚本の配達の手伝いをさせる忙しさ!その間、彼が書いた「ローマの休日」がオスカーを獲る!勿論、友人の名前で。トランボの戦術は①生活の為 ②レットパージを無効にさせる為に有効だった。

家に籠って偽名で脚本を書きまくるトランボ、時には苛立ちが募り、長女のバースディを忘れて、多感の二コラを傷つける。二コラは遊びもデートも犠牲にしてトランボの手伝いをさせられる。性格の似た者同士の二人はよく衝突した。


そのような時、家族の平和を守ったのは妻のクレオだった。トランボが娘の二コラに、自分の立場、家族を守るために仕事をしなければならないこと、何よりも家族が大切だと訴えるシーンは感動的だ。

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トランボの特異さを表すシーンは風呂場のバスタブに入ってタイプを打つシーン。バスタブの彼の周りには必要なものが全部揃っている。酒・珈琲、、、何しろ書きまくった!バスタブから吠えまくった!

57年、偽名で書いた「黒い牡牛」が再びオスカー受賞。社会の風向きが変わるか?ハリウッドでも「赤狩り」に異を唱える者も出てきた。
政治的圧力を撥ね退けて、人気スター・カーク・ダグラスがキューブリック監督と組んで歴史大作「スパルタカス」をトランボのシナリオで撮ろうという動き。ポール・ニューマン主演で「栄光への脱出」をトランボのシナリオで撮ろうというオットー・プレミンジャー監督。
トランボの苦難が報われる日が近いか?
1960年業界復活後の或る集会での演説で「何より苦難の時代の私を支えたのは、妻と家族だった」と感謝の弁を述べる。

(*1952年、「赤狩り」の嫌疑をかけられたエリア・カザンは、否定するために証言でかつての11名の仲間の名を具体的に挙げた。その後のハリウッドでの活躍を保障させた。この裏切りは後のカザンの影を暗いものにする。
47年「欲望という名の電車」(T・ウィリアムズ)演出。49年「セールスマンの死」(アーサー・ミラー)演出。51年「欲望という名の電車」の映画化。オスカー4部門受賞。52年「革命児サパタ」

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54年「波止場」オスカー8部門受賞。55年「エデンの東」ジェームズ・ディーンを発掘。エリア・カザンは映画職人としては才能があった。だが、「赤狩り」時代の裏切りの汚名は一生ついてまわった。)
*私は高校生の時、エリア・カザンの裏切りを先輩から教わった。映画通の少年なら皆承知の事実だった。

(<有名なオスカー「名誉賞」受賞式での出来事>

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1998年カザンのオスカーの「名誉賞」受賞式の時のこと、プレゼンテターはスコッセシ監督とデ・ニーロ。リチャード・ドレィファスは事前に反対声明。ニック・ノルティ、エド・ハリス、イアン・マッケランは固い表情で無言の抗議をした。スピルバーク、ジム・キャリーは拍手したが座ったまま、起立して拍手したのは、ウォレン・ビーティやヘレン・ハントやメリル・ストリープだった。「名誉賞」の授与式は全員起立のスタンデイングオベーションが慣例だったから、異様な雰囲気になった。しかも、会場の外では支持派と反対派のデモがあった。反対派のデモのプラカードには「密告者カザン」と書かれていた。)

*ダントン・トランボ(1905-1976)の作品
40年「恋愛手帳」53年「ローマの休日」60年「スパルタカス」60年「栄光への脱出」61年「ガン・ファイター」62年「脱獄」65年「いそしぎ」68年「フィクサー」71年「ジョニ―は戦場にいった」73年「ダラスの熱い日」73年「パピヨン」56年「黒い牡牛」

キャスト
ダルトン・トランボ(ブライアン・クランストン)、妻クレオ(ダイアン・レイン)、ヘッダ・ホッパー(ヘレン・ミレン)二コラ(エル・ファニング)

スタッフ
監督(ジェイ・ローチ) 脚本(ジョン・マクナマラ) 原作(ブルース・クック) 衣装デザイン(ダニエル・オーランティ)



  1. 2016/09/15(木) 18:55:21|
  2. 『2016年映画』
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『日記』「しばらくお休みを頂きまして有難うございました。」 9/3

『日記』「しばらくお休みを頂きまして有難うございました。」 9/3

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① しばらくお休みを頂いていましたが、再開します。ただ、私の事情によりゆっくりとした歩みになりますことを、ご了承ください。

➁自民党広報部が「学校教育における政治的中立性の調査」の名目で、高校生たちに「政治的中立性を保てない教師を通報して下さい」という戦前の「密告制度」の「反戦教師狩り」記事はすでに報告しました。その続報です。横浜の青葉区の警察が、参院選で投票率が70%を超えた区内の3つの高校に、電話で「特別な取り組みをしたのか」という調査をした。18歳に選挙権を引き下げたが、青葉区の18~20歳の投票率が70%を超える高率だったからという。ローカルニュースにしか乗らない記事だが、「9条改憲社会」への動きがどんどん進行している 。変な動き・ニュースは毎日転がっている。

② 夏の「参院選」は日本列島を「東日本」と「西日本」に分断した。東日本は、与党に決して負けていない。問題は西日本だ。まるで、幕末の薩長土肥対佐幕の争いの再現か?この政治構図を考えてみると、戦後かなりの間、逆だったではないか!西は野党が強かったと記憶している。やはり、3・11=東日本大震災が大きく関係しているのではないか。大震災が東日本人の心の重し・引き締めとなっているのではないか。

③ ある新聞記事に、「安倍が改憲にかける意気込みは命を張ったものだ。なぜなら、自公の衆参・絶対多数、高い内閣支持率は改憲にとってこんな絶好なチャンスはない!これを外して何時やるのか!」「みなさん!命を張って闘ってますか?敵は張っていますよ!」高齢の女性の投稿だったと思う。心が震撼として息を飲んだ。
「衆参3分の2」の闘いはまだ終わっていない。

④ 『別府葉子・2016・9・2コンサート』 9/2 ルーテル市ヶ谷ホール

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一昨年から3回目である。簡単に感想を述べる。
別府さんはソプラノの見事な美声である。高潔な歌唱力は魅力である。聴く者を歌の世界に引っ張り込まずにはいない。今回思いがけない発見をした。「私のリサイタルのプログラムにはお酒の歌が入っている。演奏会中は好きなお酒が飲めないからです」歌っている別府さんは神がかりの独特な世界の渦中に入っているかのようだ。巫女のような、酔っているような、、、自己の集中力の世界に籠って目は夢見るようだ。
今回の幾つかの曲は別府ワールドを飾るでしょう。

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ゲスト演奏、ヴァイオリニストの会田桃子さんの作曲・リードによって演奏された曲。ウルグアイの太鼓のリズムをベースに、会田さんのヴァイオリン、中村尚美さんのベース、鶴岡雅子のピアノと順番に演奏された曲の素晴らしさ!お三方の実力がうかがえる!

別府さんを「高潔な美声」といったが、多少不安が残るのはシャンソンは「歌う」だけではなく「語る」側面があることだ。切々と人生の悲哀や恋の苦しみ、レジスタンスの秘話や抵抗の神話などを語る歌でもあるのです。その意味でも、私は別府ワールドの中心は「アムステルダム」と「百万本のバラ」だと思っている。今回も最も感動した。

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  1. 2016/09/03(土) 14:34:22|
  2. 『日記』
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