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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『2016年ボスの旅』⑭ 4月13日「旅の終わり― アムステルダムの一日」 5/28

『2016年ボスの旅』⑭ 4月13日 「旅の終わり―アムステルダムの一日」 5/28

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「ボスの旅」の最終日。アムステルダムでの自由行動日だ。僕は2つの美術館と運河ツアー、夜はオランダ家庭料理のレストランでの会食の予定を組んだ。

「ゴッホ美術館」が混んでいて入場に並ぶと言う噂が広まっていた。添乗員がホテルの「コンシエルジュ」からゴッホ美の優先入場券を調達してきた。ところが実際に「ゴッホ美術館」に来てみると、かなりの混雑!一般とは別々だが優先券でも小一時間並んだ。障害者は最優先、それは徹底していた。(一行の中の杖を突いていた人はすぐ入場)

A「国立ミュージアム」(ライクス・ミュージアムと呼ばれる)

美術館」DSC_9154

1800年にハーグで開いた展覧会が基礎になって、1885年にアムステルダムに移転した。2004年から10年がかりの大改修を行って、2013年に開館。17世紀のオランダ絵画が充実している。ここではレンブラントの大作・フェルメールが4点も揃っている。

*レンブラント<夜警>1642年

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<夜警>の前に立った時、中央の2人の男と後ろの女が浮き出ていた。うわっ!凄い画力!画が訴える力の凄さ!ベラスケスの「ラスメニナース」時に味わった感動と同じだ。画家の渾身を込めた思いの並々ならぬエネルギーを感じた!これがこの旅の一番だなと。画集では感じられない絵の醍醐味を味わった。
調査官DSC_9157

「集団肖像画」、確か中学の時美術の授業で習った。20名の肖像画の注文主たちの希望通りに描かなかった。絵の中心は二人の男と後ろの女。そこに力を絞って後の人は盛り立てやく、と教わったことを思い出す。その他大勢に描かれた人々は不満、だが絵画が芸術に進むためには通らなければならない道。
*17世紀のオランダ絵画の巨匠、「光の魔術師」と言われた。又、自己表現としての「肖像画」を完成させた。

「ユダヤの花嫁(イサクとリベカ)」(1660年代)
花嫁DSC_9158

「聖パウロに扮した自画像」(1661年)
自画像DSC_9156

*フェルメール
今や大人気のフェルメール。「国立ミュージアム」には4点もある。

「牛乳を注ぐ女」
①DSC_9155

室内での女性を主題としたいわゆる「風俗画」。女は家事に従事する女中(メイド)で、日常生活のひとこまをスケッチ。ポワンティエと言われる技法で外部からの光が、室内の窓の前の壁に掛かっているヤカンを輝かせ、テーブルの上のパンに注がれる。白い牛乳が鮮やかだ。黄色なシャツ、青のスカート、赤茶けた牛乳入れと土鍋、黄金のようなパン、背後の白壁と様々な色のコンストラクションが絶妙である。画面を包む静謐な雰囲気はフェルメールならではと思う。

「手紙を読む青衣の女」
「小路」
「恋文」

*他に
ヤン・ステーンの「陽気な家族」「身づくろいをする女」「聖ニコラウスのお祭り」

フランス・ハルスの「陽気な酒飲み」
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ピーテル・デ・ホーホの「家の裏庭にいる3人の女と1人の男」
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「配膳室の女と子ども」

ヘンドリック・アーフェルカンプ「スケートをする人々のいる冬景色」
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B 「ゴッホ美術館」
フィセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)の作品を中心とした美術館。弟テオが所蔵していたゴッホの作品を基に、オランダ政府、アムステルダム市らが資金を出し合い、1962年ゴッホ財団を設立した。財団は作品の寄付・購入を行い、現在の美術館は財団が国立美術館に永久寄託する形で運営がなされている。ここも凄い人気!世界中からゴッホを見ようと集まって来ている。
『馬鈴薯を食べる人々』1885
『黄色い家』1888
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『ゴッホの寝室』1888
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『ひまわり』1889
『自画像』1888

『カラスのいる麦畑』1890
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この『カラスのいる麦畑』は高校生の時、小林秀雄の「ゴッホの手紙」を読んで以来、何10年と待ち焦がれた作品である。確か氏は死の面影を見ていたが、やはり異様な風景である。


*ゴッホ美術館内のカフェでランチ
混んでいたけど、セルフの手頃なカフェだった。

*鉄道のアムステルダム中央駅からダム広場まで、メインストリートを歩く。

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*運河ツアー
DSC_9144.運河

アムステルダムは運河の町である。水面から町を見てみたいと思ったことと、
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アムステルダム港を外洋から見てみたいと思ったが、時間的に不可能。鉄道の中央駅の後ろから見渡して、街中を一周して回るコースに乗った。

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「アンネ・フランクの家」の前は凄い混みよう。

C 『ボスの旅』について

* 美術三昧の旅であった。贅沢な旅を与えてくれた方々に感謝申し上げます。
ベルギーのテロで一時中止かと思ったが、二度とあり得ないボス展なので参加出来てうれしい!だが、世界の各地から集められたボスの作品を前にして、ぼーとして、どのくらい見たか不安である。

* オランダの有名な美術館を巡ったが、有名な作品しか紹介出来なかった。イタリアルネサンス美術を見ていて、15世紀からのネーデル絵画が気になった。ファン・アイク兄弟、ペトルス・クリストゥス、ロヒール・ウエイデン、ハンス・メムリンク、そしてヒエロニムス・ボス、と宝の山を素通りしてきた感がある。だが、それを語るには勉強不足を痛感した。余命いくばくもない(笑・大げさな)時がない!と逃げて終わりにする。

* オランダはイタリアのような古代・中世・ルネサンスの文化が集積している地と違って16・17世紀頃から独立戦争を戦って建国した国だ。中世の記憶よりも近代の、商工業の盛んな土地だ。町もきれいで清潔である。だが、始末屋というかケチというか?ホテルで余計なものが一切無い、石鹸がバスタブと洗面台に備え付けられているだけであった。他の化粧品など一切無い。枕銭を1日目にベットの脇の小テーブルに置いた所、そのままであった。枕元に置かなければ私物と見て手を振れないルールが確立していると!堅実な国民性ではないか?

このあたりでひとまず「ボスの旅」を終わりにします。有難うございました。




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  1. 2016/05/28(土) 18:01:59|
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『2016年ボスの旅』⑬4月12日「ロッテルダムの一日」 5/24

『2016年ボスの旅』⑬4月12日「ロッテルダムの一日」 5/24

橋DSCN0284

「ロッテルダムの一日」
*ファン・ネレ工場(世界遺産)
1931年「理想の工場」として建てられる。タバコ、コーヒー、紅茶の製造工場として1995年まで稼働。鉄筋コンクリート造りでガラスを多用し、創業当時は画期的な建築だった。工場としての役割を終えた今、ショップやホールの複合施設として残っている。

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キューブハウス
建築を勉強する若者はロッテルダムに来る。デルフ・サポートビルとかキューブハウスとか既成の建築概念をぶっ壊したようなモダン建築がロッテルダムにはある。キューブとはサイコロ型の集合住宅だそうだ。その隣のビルはエンピツ(鉛筆)みたいなビルでブラーク・タワーという。

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マーケット・ホールはカラフルな絵本の様な市場でそこでチーズ試食をさしていた。何でもある市場だった。
会社のビルや集合住宅、市場が奇想天外な建築物として建っているのだ。発想の自由は、ボスにも通じ、ネーデルラント精神の地層深く蠢いているのだろうか?

スペインのバルセロナはご存知のように、ガウディの建築で有名だ。彼が生きていた時代は理解されなかったが、今では世界中から観光客が押しかけて来ている。トンボや虫のような建築物がバルセロナの町にとけ込んでいた。オランダでも同じような感じだった。

*<ボイスマンス・ファン・ベーニンゲン美術館>

ユトレヒトの富豪による収集作品を中心に1958年「美術館」となった。中世ヨーロッパ美術から近代美術まで12万6千点を所蔵している。

+ボイマンス美所蔵の三点「放蕩息子」・「大洪水後の世界」と「悪の世界」・「聖クリストファー」はスヘルトーヘンボスのボス展に出品している。

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+<放蕩息子>(ボス、1486年以降、)
画面中央には初老の放浪者が荷を背負い、杖と帽子を持って歩いてきたが、ふと後ろを振り返っている。後方には誘惑に満ちた居酒屋・売春宿があって、窓から顔を出した女が彼を誘っている。一方、彼の前には閉じられた扉の向こうには懐かしき「父の家」が待っているのだ。X年前、彼は父の家を飛び出した。何ものかを求めて、青春の赴くまま世界を放浪した。何かは見つかったか、否か?
西欧哲学の基本に「放蕩息子の帰還」のひとつのテーマがある。若者は父=伝統から飛び立ち、何かを求めて放浪する。放浪の旅は危険で誘惑に満ちたもので――それが人生だ、と言わんばかりだ。
(新約ルカ福音書からの出典。デューラー、レンブラントにも同様の作品あり)

+「バベルの塔」(ピーター・ブリューゲル)
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(同じ作品がウィーンの美術史美術館にもある。)

ボスに入る前はブリューゲル(老)をやっていた人が多い。ブリューゲル家はバッハと同じように画家として一族が枝分かれしてゆく。ピーター(老)の子は長男が同じくピーター(子)、次男がヤン。ヤン(父)の子がヤン(子)と分けられている。ブリューゲル(老)についてはいつか挑戦したいと思う。

エマオの

+「エマオの食事」(ウィキペディアによる)
ハン・ファン・メーへレン。(1889~1947)20世紀で最も独創的で巧妙な贋作者と言われている。特にフェルメールの贋作で有名である。オランダのデーフエンテルの出身。画家を志したが成功せず、自分を認めないオランダ美術界を復讐すると言う目的で贋作ビジネスに手を染めていった。没落した貴族から極秘に仕入れた絵画を売却しているという触れ込みで、多数の贋作を制作・販売した。
メッヘレンは17世紀のオランダ絵画、特にフェルメールの贋作を好んでした。「エマオの食事」(1936年)はフェルメールの研究家たちから本物と認められて54万ギルダーで<ボイマンス美術館>が買い上げた。
1945年メッヘレンはナチスの高官からフェルメールの贋作の疑いで逮捕起訴された。戦後もナチ協力者・オランダ文化財掠奪者として起訴された。彼はナチ高官に売った一連の絵画、特に「エマオの食事」を自ら描いたことを告白し、フェルメール風の絵画を描いてみせ、X線などの最新の鑑定が行われた結果、贋作が認められ一躍売国奴からナチ抵抗の英雄になった。ナチへの絵画販売は無罪、フェルメールの署名の偽造で軽い罪に問われたが、酒と麻薬に蝕まれていた彼は心臓発作でまもなく亡くなった。

+「机の前のティトゥス」(レンブラント)

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+「自画像」(カレル・ファブリティウス)
レンブラントの最も才能ある弟子。1654年のデルフトの爆発で死亡。彼の作品も大半が失われ10点ほどしか残っていない。悲劇の夭折の画家であった。

+その他、ゴッホ、モネ、セザンヌ、ゴーギャン,ティチアーノ、ムンク、ピカソ、ダリ(室内改装で見られず)


<クレラー・ミュラー国立美術館>

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オランダの大きな自然保護区のデ・ホーへ・フェルウェ国立公園の真ん中に<クレラー・ミュラー美術館>がある。近代的な建物と美術品の一大コレクションを国に寄贈したクレラー夫妻の名を遺した美術館である。特にゴッホのコレクションで有名である。「アルルのハネ橋」「糸杉」「ひまわり」「夜のカフェテラス」「郵便配達夫」「自画像」などの有名な作品を所蔵。アムステルダムの<ゴッホ美術館>と並んで、ゴッホコレクションの双璧。
他に、スーラ、ブラック、ピカソ、モンドリアン、さらに、ミレー、セザンヌなどの印象派の作品。
美しい庭園にはロダン、ブールデル、マリーニ、ムーアなどの彫刻が展示されている。

+ゴッホの名作が集まっている。以下ゴッホコレクションの幾つかを展示する。

「ジャガイモを食べる人」
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「アルルの跳ね橋」


「糸杉」
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「夜のカフェテラス
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  1. 2016/05/24(火) 20:10:14|
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『2016年ボスの旅』 ⑫4月11日 「キューケン公園からマウリッハウス美術館へ」5/21

『2016年ボスの旅』⑫4/11「キューケン公園からマウリッへ美術館」5/21

キューケンホフ公園
 
*「キューケンホフ公園」
15世紀ヤコバ伯爵夫人のハーブ栽培場だった。1949年リッセ市の市長と球根花の生産者と輸出業者が発起人となって、球根の展示会が行われた。敷地面積32万K㎡(東京ドームの7倍)の広大な土地に700万株の花が植えられている。
オランダの花輸出は世界のシェア60%、バラ、菊、カーネーション、ユリ、チューリップなど。球根では、チューリップ、ヒャシンス、グラジオラス。

キュ公園

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珍しい青い蘭を見た。名も知らぬ花々に囲まれて、昨日のボス展を思っていた。ボスの絵17点、見ている時は夢中だったがもっと落ち着いて見たかった。出来れば何日も通って、、、非現実の空想に陥るのであった。しかし、ボスは何故地獄絵に拘るのか?もっともっとボスの心像に入らなければつかめないだろう。
公園内で各自ランチ・フリー。絵ばかりの日々で眼の疲れを癒すのにはよかったもかも知れないか? 4時間の休息を何故かもったいないという感情が一方にあり、心は昨日のボス展にゆきがちである。
チューリップはまだ花を咲かせていなかったがヒャシンスが咲いていた。

*「デン・ハーグ」

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国会議事堂を始めとして政府機関、各国の大使館が集まっており、オランダの政治の中心。宮殿もあり、ロイヤルシティだ。

*「ビネンホフ」
「騎士の館」と言われてオランダの近代政治史の舞台。現在は「国会議事堂」「政府機関」として機能している。

*「マウリッハウス美術館」

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王立美術館、オランダ総督ウィレム5世とその子の初代オランダ国王ウィレム1世の収集が中核となって、1822年王立美術館として開館した。最近大規模な拡張工事が行われ、2014年に完成した。オランダ絵画特に世界で30数点しかないフェルメールが3点もあることが注目されている。
・カメラはノー・フラッシュなら許可されている。
・作品
+レンブラント「テュルプ博士の解剖学講義」(レンブラントの出世作。集団肖像画の傑作。)「自画像」
+フェルメール「デルフトの眺望」「真珠の耳飾り」「ディアナとニンフたち」
+ファン・デ・ウエイデン「キリストの降架」
+ルーベンス「聖母マリアの被昇天」
+花の画家ヤン・ブリューゲルとルーベンスの合作「地上の楽園」
+動物画の巨匠パウルス・ポッター「雄牛」

*フェルメール「デルフトの眺望」

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運河と市壁に囲まれた町デルフト。現在でも運河クルーズが盛業だ。デルフトか
ら運河は外せない。市の南端のスヒー川の対岸からの眺め、中央にスヒーダム門、
右にロッテルダム門、スヒーダム門の時計から朝の七時過ぎだという。二つの門
の間から新教会の塔が明るく照らされている。画面の上の半分を大空にあて、白
い雲がたなびいている。対岸の前をスヒー川が静かに流れている。川表には対岸
の門や家々の影が映っている。手前の河岸には六人ほどの人影が見える。
フェルメールは実際の情景を描写したのではあるまい。これは「デルフトの町」
へのフェルメールのオマージュである。これが描かれたのが1660年頃、その少
し前の1654年にデルフト町の弾薬庫が大爆発して、市の4分の1が破壊され
死者100人以上、数千人が負傷する大惨事があった。フェルメールはこれを踏
まえて、祈りとして我が愛する町デルフトへのオマージュとして描いたものだ
ろう。現在の「眺望」の場所探しに付き合っているうちに、「デルフトの眺望」
がフェルメールの最大の傑作ではないかと思えてきた。



  1. 2016/05/21(土) 16:01:45|
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『2016年ボスの旅』⑪ 4/10「スヘルトーヘンボス=ボス展」 5/18

『2016年ボスの旅』⑪「4/10スヘルトーヘンボス=ボス展」5/18

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(ボスの銅像とマルクト広場)

4月10日、ヒエロニムス・ボスの生誕の地「スヘルトーヘンボス」にとうとう着いた。ボス没後500年忌ということで、ここで盛大な「ボス展」が開催されている。

「スヘルトーヘンボス」はオランダ南部・北ブラバント州の州都。アンリ―1世の猟場であったから、「伯爵の森」と呼ばれた。中世には周辺の侵攻を防ぐための城塞都市として知られ、毛織物工業の盛んな一帯であった。
又、芸術・工芸の盛んな地域でもあり、15世紀中頃から16世紀にかけて活躍した画家ヒエロニムス・ボス(本名イエール・ファン・アーケン)の生誕地でもある。記録は乏しいが、祖父・父・叔父の画家一族に生まれた。裕福な娘と結婚し、カトリックの「聖母マリア兄弟会」に所属、画家として活躍した。
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(アートセンター)

*「ボス展」(北ブラバント博物館)
没後5百年忌祭に合わせて、2007年から記念祭実行委員会(ボス研究保存プロジェクト)を立ち上げ、事前リサーチに300万ドル、展覧会に700万ドルの資金が投下され、ボス展の会期は2016年2月8日~5月8日まで。予約はネットのみで全会期売り切れ、当日券は僅かですぐ売れてしまうらしい。
会場に入って、予想を上回る作品数に興奮した。全世界から集められた作品は20とも17とも言われている。私が数えた数は下記の17である。もっとあったという情報もある。

*展示作品
マドリード <プラド美術館>「干し草車」(裏が「放蕩息子」)
同  <ラザロ・ガルディアーノ美>「荒野の洗礼者聖ヨハネ」
ロッテルダムの<ベーニンゲン美>「放蕩息子」「大洪水」「聖クリストファロス」
ベルリン<国立絵画館>    「パトモス島の福音書記者聖ヨハネ」
ヴェネツィア<グリマーニ美>「来世のヴィジョン」「隠者たち」「聖女の殉教」
ウィーン<美術アカデミー>   「最後の審判」
 同  <美術史美術館>    「十字架を担うキリスト」
ワシントン<ナショナルギャラリー>「守銭奴の死」
ニューヨーク <メトロポリタン> 「三賢者の訪問」
ロンドン <ナショナルギャラリー> 「茨の冠のキリスト」
パリ  <ルーヴル美>      「愚者の船」
ニューヘヴン<エール大学美>「快楽と大食の寓意」
他に素描10点。

*次のニュースがある。
実行委員会では「真作審議」をボスの全作25点に掛けた。その結果、プラドの「愚者の石の切除」「七つの大罪と四終」「聖アントニウスの有力の3点が工房作、今回真作としたのはブルージュの<グルーニング美の「最後の審判」とネルソン・アトキンス「聖アントニウスの誘惑」(部分)。怒ったプラドは愚者とアントニウスを拒否(七つの大罪は元々出さない)、プラド自らドガ展をやると言っているとか、、、

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(聖ヤン大聖堂)
*「聖ヤン大聖堂」
1370~1529年造、ブラバント地方のゴシック様式。外観も内装も豪華な装飾。オランダで最も美しい大聖堂の一つとされる。ボスは大聖堂の外庭に埋葬された。墓石は不明。市民は当時共同墓地。

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(ボス・アートセンター)
*「ボス・アートセンター」
元の聖ヤコブ教会を改装して、ボスの絵に登場する怪物や動物を人形にして天井から吊り下げている。コピーの作品で絵の解説をしたり、楽しめる所となっている。

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( 町中の小運河)

ボシュ.ボーㇾ
(ボッシュ・ボーレン=ここの名物)



  1. 2016/05/18(水) 22:52:16|
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『2016年ボスの旅』⑩ 「4月9日、キンデルダイク~デルフト」 5/14

『2016年ボスの旅』⑩「4.月9日、キンデルダイク~デルフト.」5/14

4/8(金)、「ロストバゲージ」
夜19時50分マドリードを飛び、22時0分オランダのアムステルダムに着いた。ロストバゲージ(スーツケースが乗った便に無いこと)という言葉を聞いたことがあったが、本当にあるんだと思った。一行のA夫妻がロストバゲージにあった。他の修学旅行の一団にもロストがあったみたいだ。A夫妻の荷物は3日後行く先のホテルに届いた。又、この便は最終便で満員。その為か?5名の席が無いと言われて、添乗員が粘ってやっと席を確保。旅行会社は当然予約を取っている。航空会社の予約の在り方に問題があるみたいだ?

(19基の風車が今も活躍するキンデルダイク)
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4/9(土) 「キンデルダイク」
 9時、空港近くのホテルを出発。オランダは国土の5分の2が海面より低く、川の水が溢れ出るのを防ぐため運河や風車で排水に活用した。ロッテルダムの南東、2つの川に挟まれたキンデルダイクには19基の風車がある。1740年代に建てられ今でも全土に1000基も活躍している。川の水面の上昇を排水によって洪水を防ぐのだそうだ。スペイン・ドン・キホーテの風車は粉ひきだった。各地色々な利用があるんだね。

「オランダの國」
自転車がもの凄いスピードで走ってきた。オランダは世界一自転車先進国だそうです。何より自転車は優先、「オランダ人は自転車に乗って生まれてくる」と言われるほど自転車が使われている。日本人にはその感覚がないので意識して歩かないと事故にあう。
ネーデルラント(オランダ・ベルギー)は16世紀後半、ハプスブルク家・スペイン王の支配に苦しみ、宗教改革(カトリック対プロテスタント)も加わって、独立戦争を戦った。1581年独立を宣言。オランダ共和国を作った。ネーデルラントを支えたのは毛織物などの工業、東インド会社による世界の貿易であった。17世紀から王政や諸侯の支配から自由な町を作ってきたが、その後幾多の戦争を挟んで、ナポレオン後のオランダを支配したオラニエ家の王国となった。豪勢な建築物と異なった小振りな市民の街々であり勤勉で有名な国民である。
日本にとって長崎の出島、鎖国の江戸時代西洋の玄関はオランダだった。

(フェルメールの「デルフトの眺望」の現場はどこか?350年の時間でも変わらぬものは教会の屋根と川)
町現在の
「デルフト」
世界の港ロッテルダムとネーデルラント政治の中心デン・ハーグに挟まれた町。焼き物とフェルメールで有名である。まず、「フェルメール眺望」の場所探しから始まった。350年前と現在を同一出来るものは新教会の塔と川のみ。「眺望」探しに夢中になっている内にフェルメールの最高傑作はこの「デルフトの眺望」ではないかと思えてきた。旅情の不思議さである。
(フェルメールの名作「デルフトの眺望」これが一番だと思い込む)
眺望フェルメール


「昼食・Ðe SⅽhaaPskOOi」
公園の中にあり孔雀を飼っている邸宅レストラン。白アスパラガスのスープとバターソース、苺のバニラアイスとホイップクリーム添え。私は白ワイン。とても美味しかった。旅行中ベスト・ワン。

(デルフト焼きの気品溢れる陶器)
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「王立デルフト焼き工房」見学
1653年創設の「ロイヤルデルフト陶器」。16世紀からこの地方一帯で製作されていた。17世紀に東インド会社によって中国の景徳鎮や日本の古伊万里や柿右衛門などが入ってくる。それらを学んで「デルフトブルー」と呼ばれるブランド名を獲得するようになった。絵付けの実演を見せてもらった。

(人気のフェルメール・センター」)
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「フェルメール・センター」
現在のデルフトはフェルメールの町だ。フェルメール人気は後日行く「マウリッハウス美術館」の混雑でも知られた。又、フェルメール1・2点の展覧会が日本で成立すると言う驚きの人気だ! デルフトの中心「マルクト広場」の近くに彼が画家として認められた聖ルカ組合(画家・職人のギルド)を再現して、彼の全作品の37点のレプリカを展示した「フェルメール・センター」が大盛況だ。彼のオリジナルは1点もないのだ。*「マルクト広場」あちらこちらの町にあるが、独語・蘭語でマルクト=市場。だから日本でいう「銀座」と同じようにあちらこちらにあるわけだ。

「新教会」
14世紀建造。町の中心マルクト広場に面する。フェルメールが洗礼を受けた教会。地下には建国の覇者ウエレム1世始めオラニエ家代々の墓がある。100mの鐘楼からデルフトからハーグ・ロッテルダムまで一望だと言うけれど、時間が無くて断念。

「旧教会」
1240年頃建造。デルフト最古の教会。1675年フェルメールここに埋葬。墓石は無いから生存時の世間の扱いが知れる。スペインからの独立戦争を指揮したオラニエ公ウエレム1世が居住した建物。運河沿いの旧教会の風景は美しい。


「市庁舎」
17世紀初めの火災後に再建。1654年の英蘭戦争最中に武器弾薬庫のあったデルフトは、弾薬庫が爆発して町の1/3が焼失。赤い窓枠が印象的だった。

*ベルギーのテロが無ければ、ゲント市内で「聖バーフ大聖堂」「ゲント美術館」「王立美術館」と回っていたはずだ。フェルメールが代行というわけだ。
  1. 2016/05/14(土) 12:57:53|
  2. 『2016年ヒエロニムス・ボスの旅』
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『2016年ボスの旅』 ⑨「悦楽の園」その㈡ 「右翼パネル」 地獄 5/6

『2016年ボスの旅』⑨「悦楽の園」その㈡「右翼パネル=地獄] 5/6


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(ベリー公のいとも豪華なる時祷書)

① 左翼・中央両パネルのような詩的な楽園とは断絶した死と破滅のイメージが
現れてくる。当時使われた楽器やナイフなどの日常の小道具が描き込まれているからだと言われた。それにしても、右翼パネルの断絶は際立っている。フレンガ―という学者は「中央パネルでの性の秘儀に参加しなかった者こそが堕ちる罪」だという。この文章を見た時「えっ!」と驚嘆した。「性の楽園」の積極的な賛成者の言だからだ。だが、ボスの「地獄」のイメージは多様である。<七つの大罪>と関連づけている。前景の博打打ちのグループを「怒り」、多数の楽器は「肉欲」、中景の犬に襲われる男は「妬み」、胸にヒキガエルを張り付けた女は「高慢」。「ペリー公の時禱書」などの「地獄」図なども参照されているようだ。
それにしても、左翼・中央パネルと右翼パネルとの断絶は際立つ。

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② まず上部、戦災・大火災の絵。燃えさかる街を背景に、血の海に落とさる人々
逃げ惑う人々を描いている。橋を戦場に赴く騎士たちの姿。中世の世界では戦争は当たり前の現実だった。しかし、大火災の中、シルエットのような人影。幻想的な風景でもあるが大火災の恐怖感も感じる。上部の火災の風景はボスが少年時代に体験した大火災の記憶をもとにしている。

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③中景=樹木人間が右翼パネルの中心である。青白い顔はボスの自画像ともいう。オランダ語でボスは「森・木々」という意味で、樹木人間=ボスを連想させる。胴体は卵の殻、足は樹木、足には船を履かせている。優れたボス研究家神原正明さんの説だと、当時のヨーロッパでは、アントニウス病(麦角病)などの奇病で壊疽を起して手足を失う人が多かった。街中でもよく見かけたという。怪物ではなく実在の人間だと考えると、地獄の様相が現実味を増してくる。今まで見てきたボスの絵が空想空間であるのに対して、後者はボスが日常目にしていた現実の光景だということだ。恐怖感とは違った感じになってくる。空理空想のイメージとは違って現実的な姿なのだ。

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③ 赤い大きなバグパイプ(リード式西洋の楽器)を頭に乗せている。(バグパイプ
は女性の生殖器の暗喩)、その周りをペアーの男女が何組か手をつないで行進している。裸の男に貴婦人や白いベールの女が相手をしている。バグパイプが強烈な性的イメージだ。バグパイプの左上では大きな耳を二つ大きな包丁で切り裂いている。包丁の下に多数の人が殺されている。耳を切り裂くとは何の寓意か?耳は「聞くこと」だから、忠告を聞かないで快楽に走る者への警告だろうか?
ボスと思われる男はこちらを見ている。男の目は何を見ているのか?この世で行われていることを全て見ているのかも知れない。胴体の中は居酒屋風で人々が楽しんでいる。梯子を登っていく男、下では怪物に導かれて順番を待つ人々。

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④ 切り裂かれた大きな耳、拷問具と化した鍵、解らぬ寓意がたくさんある。特
にこの場面を「音楽地獄」と呼ぶように、拷問具と化した楽器の数々。前景に散らばる楽器や賭博の道具は本来悦楽をむさぼるものなのに、ここでは拷問具に変えられている。神原さんは面白いことを言っている。「ボスの地獄責めは、快楽を否定するのではない。快楽を苦痛に至るまで肯定し尽くすのだ」と。快楽に耽りすぎて苦痛になるほどやり過ぎたことか?

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ボスは音楽を二つに描き分けているという。一つは数学と密接に関係した魂を高める音楽。他方は肉欲に関連して、官能的な情熱を刺激する音楽。この場面で出てくるのが、リュート、ハープ、ハーディ・ガーディ(手回し琴)、トライアングル、ドラム、フルートである。リュートは演奏と恋が同義語でエロティックな楽器。ハーブとリュートが奇妙な交わり方をしている。ふたつは寄り添い淫らな曲を演奏していた。ハープの弦につながれた男がY字をなぞりながら、腰を前に突き出して反り返り、リュートの胴の下敷きになった男の手が怪物に誘われて、サウンド・ボードの暗黒の秘所に延ばされてゆくと性愛の連想が続くそうだ。

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⑤ ハーディ・ガーディ(手回し琴)という見慣れぬ楽器だが、盲人が台の上で回
している。大きさからリュート・ハーブと三点セットで官能的な曲を演奏していた。10世紀~14世紀に西洋で流行った。演奏が簡単なのでだんだんと農民や物乞いの持つ楽器になって人々から軽蔑されていった。ボスの時代は物乞いの道具になっていたそうだ。高音部はハーディ・ガーディ、中音部はハープとリュート、低音部はボンバルドンという木管吹奏楽器によって怪物たちの演奏に合わせて、聖歌隊が画面に出ている楽譜を歌い賑やかに行進したのかも知れない。
しかし、音楽地獄何故か優雅ではないか?ユーモラスではないか?

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⑥<便器に座るサタン>
鳥の頭を持つサタンが、玉座に着き、人間を頭から食っては尻から吐き出し、暗黒の穴に落としてゆく。暗黒の穴には人間だけでなく、人間の尻から出た硬貨や反吐が落ちてゆく。玉座に着く怪物は、世界の創造者の対極に立つサタン(悪魔)である。地獄の魔王として中世末の文学・絵画のモチーフとなった。しかし、地獄の陰惨さはなく、ユーモラスで面白いではないか!

⑦賭博の罪
倒されたテーブルの上で賭博師の悪の手は矢で射貫かれている。この場面に現れるテーブル、トランプ、サイコロ、ダイス台などは居酒屋の必需品であり、大きなサイコロを頭に乗せた女は、手にロウソクと酒壺を持っているところから、この宿の売春婦と思われる。

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⑧豚の口づけ
右下最後のシーンで、尼僧の頭巾をかぶった豚が男に口づけをする。横に切断された足を吊り下げて、長い口ばしにはインク壺をぶら下げた男が迫っている。豚は男にサインを求めている。何のサインか?神原さんは「堕落した人間が悪魔との間に契約を結ぶ姿ではないか」といっている。それゆえ、このトリプティック(三連祭壇画)の最後を飾り終章に向かう。何の契約か?元々、神との契約で始まった人類の歴史だ。それを悪魔に売り渡そうというのか?人類史を終わりにしようと言うのか?

⑨終わりに
*何度も言うように、2013年のスペイン旅行でボスの「悦楽の園」を見て以来、ボスが忘れぬ画家となった。今回の没後500年「ボスの旅」にも、テロの危険にも拘らず出かけてしまった。今ではツアー旅行に参加して良かったと思う。
僕にとってボスの原点は「悦楽の園」である。いろいろな評価があるだろうが、最初に見た時の衝撃を思い出し、いつもそこに帰ることにしている。

*ボスの傑作はネーデルラントで生まれて、スペインに来て400年以上たった。ボス研究史もそれだけの実績があるわけだ。大きく二つに分かれるそうだ。一つは自由な性的悦楽の楽園を描いた、異端の派だという評価。他は16世紀正統派のネーデラント絵画だとする説。正統派の論拠では「悦楽の園」の自由な性的悦楽の世界が読み取れないと感じる。が、異端派である物証はない。

*ボスの魅力は「性的悦楽」の謳歌である。しかもリアリズムではなく高度に抽象化された解読の難しい図像である。アダムとエヴァがエデンを追われる前の世界を暗示しているのではないか?いや、アダムとエヴァが楽園を追われないで、築いたであろう悦楽の世界の展開があるのではないか?人間にとって「性」の問題は奥が深い。男と女、同性にとって「性」「愛」「欲望」は凄いエネルギーになれば、逆の場合にもなる。人類史をつくってきた元であるから単純ではない。

* 神原正明さんの著作に教えられました。感謝申し上げます。

* 旅行記もやっとスペインを脱出して、オランダへ向かいます。記憶が曖昧になってきました。




  1. 2016/05/06(金) 09:53:54|
  2. 『2016年ヒエロニムス・ボスの旅』
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『2016年ボスの旅』 ⑧「悦楽の園」その㈠ 4/30・5/4

『2016年ボスの旅』⑧「悦楽の園」その㈠ 4/30・5/4

悦楽の園 全体図

どうも私の考えていたことが違うのではないかと思ってきた。「エスコリアル」の「枯れ草車」での貪欲な快楽の追求は、その果てに「最後の審判」が下され、大火災と怪物と悪魔が横行する恐怖の地獄で人間は責めたてられる、と思っていた。欲望の赴くまま生きると地獄で恐ろしい目に遭うぞという警告の画だと思っていた。ボスはそんな単純な画家ではないのだ!? 「悦楽の園」は真逆の世界の探求ではないか!性の楽園・性の謳歌を呆気からんと歌いあげているではないか!エデンの楽園を高らかに歌いあげているではないか!

僕なりに作品を見ていく。

①トリプティック(三連画.祭壇画)=外翼パネル・天地創造

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カトリック美術において、祭壇の背後を飾る絵画を祭壇画といい、中央と左右をつなぎ、開閉式で普段は閉じて絵を保護していた。閉じた外翼パネルにも図像を描いたものもあった。
ネーデルラントの祭壇画は、トリプティック(三連画祭壇画)が多く、ボスの「悦楽の園」はまさしくそれで、外翼パネルにも「天地創造―ノアの箱舟と洪水」が描かれていた。「天地創造」の世界である。暗黒のガラス玉の中に≪世界≫がある。旧約の「創世記」の世界だ。
1日目・暗闇の中、神は光を作り、昼と夜が出来た。
2日目・神は空(天)を作った。
3日目・神は大地を作り、海が生まれ、地に植物を生えさせた。
4日目・神は太陽と月と星を作った。
5日目・神は魚と鳥を作った。
6日目・神は獣と家畜を作り、神に似せた人を作った。
7日目・神は休んだ。
ボスの外翼パネルは何日目だろうか?多くの研究書では4日目とされている。問題は「ノアの洪水」の前後だそうだ。後か?前か?「ノアの洪水」(全てが無くなり最初からやり直し)の問題は絵全体の評価に関わってくる?

しかし、これがカトリックの祭壇に掲げられ、人々は祈りを捧げたのだろうか?ともかく、祭壇画の形式をとっている。

外翼を開くと、左翼・中央パネル・右翼と三連画の世界が展開されている。

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② 左翼パネル=エデンの園
<エデンの園>を表し、あらゆる生物、人類の誕生を描く。
*絵の中央の赤い奇妙なものは<生命の木>で、丸い大きな円形を介して<生命の泉>とつながっている。円形の中に<フクロウ>がこちらを見ている。<フクロウ>は何の象徴か?ボスは色々場面でよく使う。ここでは外翼パネルの中心にて世界を見る目となっている。世界で起ること、人類が起すこと見ている。

*上部は原始の山々を鳥たちが群れを成して飛んでいる楽園。地上にも無数の鳥がおり、鹿や猪、兎などもいる。山や森の木々には葉や実が実り、春の健やかな息吹きを感じる。また、生きとし生きる者が生き、弱肉強食の世界でもある。

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*画面下部では神がイブの右手をもってアダムに引き合わせている。優雅な金髪のイブの美しさに心奪われて、アダムの目はイブに心奪われている。誘惑とそれに伴う罪の始まりが暗示されている。イブの後ろの兎は好色と繁殖のシンボルで、人類の好色と多産の歴史を暗示している。ここでは神がアダムとイヴを結婚させたのであり、楽園から追放したのではないことを明記しておきたい。
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③ 中央パネル=テーマの展開

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まずテーマから
500名を超える裸体の男女の、性の楽園・性の謳歌ではないか!それぞれの構図や人の動作や形、動物・植物などの寓意や意味は解らぬものが多いが、まさしく楽園幻想である。性の祭典・カーニバルである。画面は後・中・前景に分かれる。
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*中景=真ん中に楕円形の池があって、裸婦が水浴を楽しんでいる。池の周りを裸体の男たちが馬や大鹿や熊や訳の分からぬ動物たちに乗ってメリーゴーランドのように巡っている。男たちは10人近くの束になって楽しく騒ぎ立てるように巡っている。池の裸婦たちを挑発しているのだ。池の裸婦たち(黒人もいる)―頭の上にサクランボやカラスや白鷺が乗っかっている。サクランボ等はどういう意味を持つのか?ある研究書に「女陰」とあった。女たちは自身の象徴で男共を誘っていることになる。(絵の図表の意味を解くのは大変だなあー)

*遠景=上部真ん中に大きな池が四方に広がっている。池の真ん中に左翼と同じように青い球体だが<生命の元>があって、男女が戯れ愛し合っている。
池の四方の端に奇妙な立方体があり、中央から湧き出た水が流れて行って、それぞれの立方体の穴から世界に向かって流れていく。四方の立方体は天に向かって様々な花を咲かせている。立方体にも男女の睦み合う姿。性の愉楽の謳歌!

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*前景=下部は裸体の男女が、100人以上幾つかのグループに分かれて思い思いのことをしている。カップルもいるが、よく見ると三人一組が多い。
・下部左・手を差し伸べる男、視線は左翼パネルの神に向かっている。差し伸べた手はどういう意味を持つか?右手の先に左翼のエデンから来た鳥がいる。男の隣は黒人女が頭の上に真っ赤なリンゴを乗せている。このグループと対になるのが右下・穴の入り口のところで、肘をついている大きなリンゴを持っている女を指さしてこちらを見ている男。こちらのリンゴは腐っている。左下のリンゴから右下のリンゴ、時間の経過を表すという。長い快楽の果てに地獄に向かうというのか。この二人をアダムとエヴァと推理する説もある。

部分DSC_8961

・リンゴ、いちご、サクランボ、ぶどう、ザクロなどの果実が、人物群や魚や鳥などの関係を持って描かれている。果実は肉体の喜びであり、又、滅びゆくものだという。
・果実の皮の住居=いろいろな意味があるそうだ。人間が入る容器になるという事は果実が食いつくされたことを意味する。中世ドイツ語で「争い」意味し、皮の中では激しい恋の争いがなされているという。
・足が逆さにY字型になって水に頭を突っ込む=自由意志を表すという。
・貝を運ぶ男=二枚貝は女性の生殖器、貝殻の中で交わって精液が真珠となっているのが描かれている。
・魚=貝が女性の生殖器であるのに対して、魚は男性の生殖器だという。
・フクロウ=ボスは好きだったようで色々な場面で使っている。①ミネルヴァのアトリビュート(知恵の属性) ②知恵 ③死 ④眠り ⑤夜など多様な意味を持つ。場面によって判断すしかない。

ボスが絵画の世界で描いている構図・寓意・象徴・意味は到底解るものではない。
さくらんぼうDSC_8960

「悦楽の園」では外翼・左翼・中央とここまで来て、「悦楽の園」が性の大胆な肯定と悦楽の楽園を描いたものと確信する。ボスを異端のアダム派の画家と見て否定する論調がある。欲望のあるがままに生きてゆけば罰として地獄が待っている。といった論調ではボスの世界を包括出来ないし、人間はそんな単純なものではない。「中央パネル」の世界を読み切れない言が多いのではないか?一体、これは祭壇画として使われたのか?形は三連想祭壇画だが、絵画鑑賞用の作品だったのではないだろうか?ボスは「聖母マリア教会」の有力な会員だし、葬式も教会が出した記録がある。ボスの絵を愛したスペインのフェリペ2世もカトリックの総本山みたいなものだ。今では奇怪と思えるグロテスも当時は受け入れたと解釈するしかないだろう。いや、奇怪・グロテスクと思う現代人が甘いのではないか?






  1. 2016/05/04(水) 19:56:42|
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