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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『日記』「2015年の回想」 ③ 12/27

『日記』「2015年の回想」 ③ 12/27

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① 「フィオナ・タン・まなざしの詩学」
コレクション展でフィオナ・タンを知った。中原さん所有の作品は「海上に浮かんだ城?艀(はしけ)みたいなもの?」の写真だった。強烈なイメージとして私の心に焼きついた。
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調べるとタンの「まなざしの詩学」は2014年夏に東京都写真美術館、現在大阪の「国立国際美術館」で行われている。私はすぐに見に行きたいと思った。用件がない平日の早朝、新幹線に乗った。9時半には会場の「国立国際美術館」に入った。閉館の17時までフィオナ・タンに釘付けになった。(昼食は館内のカフェで済ます)

②コレク展で見たタンの写真のイメージとは違った、総合的・構造的・体系的な映像作品だった。彼女自身、中国系インドネシア人の父とオーストラリア人の母の間に生まれ、ドイツとオランダで美術を学んだ。タンが初めて作品を世に問うたのは<興味深い時代を生きますように1997年>で己のルーツを訪ねる旅の作品化であった。

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解説にあるように、「フィルムの中でタンは、自分が一体何者なのかを必死に追い求め、親類縁者が生活する様々な土地に赴くが、どの土地でも『外国人である自分を』再認識するばかりであったという」。

タンの初期の作品はルーツを探しての旅で、西洋列国の植民地支配を受けた国々の諸問題を写しながら、その土地の文化的多元性も写すという複層的なダイナミックな作品になっていた。(専門的には「ポストコロニアル」という)
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③2009年の<ディスオリエント>では、冒険家マルコ・ポーロの東方見聞録」を取り上げた。マルコ・ポーロが歩んだ道を、その時代と現在の姿の両面をアーカイブの映像から収集して作品化した。面白い!面白いのだ!夢が無限に広がっていく。タンは自己の―アジアと西洋にまたがる―位置を逆手にとって、豊満で様々な歴史と文化の可能性を持つアジアと西洋の世界を出現させたのである。

(時間の余裕がないので以下簡単にまとめる。)

*作品メモ(今までのほぼ全作品)
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A「興味深い時代を生きますように」1997年
タンが自分のルーツを訪ねる旅の作品化。中国人の父とオーストラリア人の母の間でインドネシアに生まれた。ドイツとオランダで美術を学ぶ。「何処でも外国人である自分」が原点か?
B 「影の王国」2000年
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影の王国の中に出てくる映像。たった1人の男の子を幼い時に亡くして年をとった今も嘆いている老夫婦。
C「リフト」2000年
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子供の頃の夢。赤い風船に乗って空を飛びたい!飛べたらどうだろうか?何を見たか?見たかった?
D「取り替えっ子」06年
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一つの部屋に女学生が向き合っている。一方は1人に固定した写真。もう一方は多くの画像に変わる。ナレターが女学生の個人史を語る。
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語りは老女になった女学生が写真の頃を回想したり、写真の頃の娘の心を母親として推し量ったりする。「取り替えっ子」とは西欧伝承で子どもが妖精とすり替えられる意味を持つという。タンは個人の成長過程の普遍的テーマとして、自己のアイデンティティーを問うている。面白い!

E「プロヴァナンス」08年
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オランダにはレンブラントなどの「肖像画」の伝統又は記憶がある。子どもから老女までの6人の肖像写真を展示する。1人の女性の移り変わる話ではない。あくまで老女は老女のままだ。ただ、微妙に映像が動くのだ。移り変わりではなく、動くことによって何をねらうか?
F「ライズ・アンド・フォール」09年

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会場に2つの縦長のスクリーン。一方では滝の瀑布の凄まじい水の流れるシーン。
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もう一方では老女と若い女性が交互に表れる日常の風景。2つの場面が一つになることはあるのか?瀑布の水の流れるシーンに促されて一人の女性の人生を考えた。人はどこから来て何処へ行くのか。人生論?

G「ディスオリエント」09年
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マルコ・ポーロ(1254-1324伊の商人・冒険家)の「東方見聞録」から発想。会場には2つの巨大なスクリーンがある。2つを同時に見ることは出来ない。一方では彼が辿った旅路の、現代アジアの風景や伝承されている記録写真を写し、「東方見聞録」のナレーションが語られる。一方では、彼が様々な文物を持ち帰ったと空想して、「オリエント&アジア文化博物館」を想定して、内部に飾られるであろうエキゾチックな遺物や文物の映像を流す。13世紀の大航海時代を夢見る。壮大な夢物語ではないか!
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H「イヴェントリー」12年 <目録>
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「ジョン・ソーン博物館」は200年前に出来たヨーロッパで最も古い博物館。ソーン卿(1753-1837)が蒐集したローマ時代の彫像や骨董品が所狭しと並んでいる。偉大な遺物もイメージを創出するのに大変な宝の山となる。


へとへとになりながらフィオナ・タンの作品を見た。大阪の国際美術館の広いスペースを使っての展示。タンの壮大で思いがけない展開をする作品は大変面白かった。大阪まで行った甲斐があった。

私のブログに訪れて下さった皆さん!有難うございました。
2015年よ、さようなら!





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  1. 2015/12/27(日) 22:33:06|
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『日記』 「2015年の回想」 ② 12/26

『日記』「2015年の回想」② 12/26

ⓐ戦後前衛絵画の中で抽象性に秀でた作家として

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・「オノサトシノブ」(1912-1986)を挙げたい。円を図形の基本として、朱・黄・緑・紺のカラーのモザイク模様の画面。日本国際美術展で最優秀賞、グッケンハイムで買い上げとなった。彼は「純粋な幾何学模様を模索したが、外に求めず、自己の内なる感情だけを表現したい」と言った。

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画廊の入り口に飾ってあって、中原夫妻は「これが初めてのコレクション。我々も若くて収入も少なかった。どうしても欲しくて、月賦で買ったのですよ」と作品をジーと見つめた。

*イタリア人の「マルコ・ティレッリ」(1956~)は派手な表面的な色を消し去り、内側底深くに沈んでいくような絵画だ。静かで気品のある空間を表出している。

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* フランス人の「クロード・ヴィアラ」(1936~)パリ5月革命の波の影響を受けて出発した。ヴィアラはキャンパスの木枠から布を解放して、自由な形で布が風に漂うに任せた。布のデザイン・模様・色彩の震えるような美しさ!フランス人の自由とエスプリを感じる。

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ⓑ 畠山直哉、<3.11と「気仙川」>
畠山さんは筑波大で写真を学び、炭鉱のボタ山、石灰工場、大都会に流れている小さな川など、都市に対するユニークな反抒情のアプローチが面白かった。

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3.11で故郷陸前高田の母を亡くす。「気仙川」は3.11直後、安否がわからぬ母と2人の姉を探しての、バイクでの道中記。東京から太平洋側の陸前高田に行くのに、日本海側の雪の酒田を経由するのは福島の放射能汚染のため。東京で故郷の津波の恐ろしさを知ったのだろう、身内の安否が気がかりの切迫した文章だ。道中での畠山さんの、その時々の感情や思いが綴られていて私は感動した。これは亡くなった母への鎮魂の書だと思った。

「気仙川」は考え抜かれて作られた本である。初めに、以下の文章。

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「何かが起こっている。いまここではない遠いところ、ほら懐かしいあの場所で、何かとてつもないことが起こっている。その様子がいま僕のいるところからでは、よく見えない。」

次に写真が2点、右が緑の松林の中の道と左が海の中後ろ向きに立っている水着姿の女性。2枚とも美しい写真だ。ページを捲ると、上半分余白で、畠山さんのこのエッセーと震災前の故郷の写真が交互に続く。先程、「鎮魂の書」だといった。3.11前に何気ない気持ちで撮った母のスナップや故郷の山や川。陸前高田を知る者にとって涙が出てくる写真だろう。

それともう一つ、東京に住んでいた私にとって、「気仙川」は3.11直後の自分を想い出す切っ掛けになった。あの時の自分はどうしていたか、あの時何を考えていたのか?何に悩んでいたのか?あの日の、あの時の思いや考えを、「気仙川」は想い出させた。
東京は大丈夫だろうか?放射能汚染で住めるだろうか?関東平野の別々の所に住む孫をどうしょうか?不安だったし、海外からは「何故早く日本から避難しないのだ!」という勧告。

震災後の翌週の新幹線、成田・羽田は避難の人々でごった返したと聞く。

震災後の東日本の住民にとっても「気仙川」は心に届いた貴重なルポルタージュになったのだ。。
 
 
















  1. 2015/12/26(土) 18:39:12|
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『日記』 「2015年の回想」 ① 12/25

『日記』「2015年の回想」①  12/25

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① 「カマキン」(神奈川県立近代美術館鎌倉館)が無くなる。2016年1月末閉館。
未だ東京に美術館が無かった頃、高校時代先輩に連れられてここに来た。美術館という空間に入ったのは初めてで、静かな美的環境は夢のような心地にさせた。鶴が丘八幡宮の境内にあって、池に囲まれた美術館は私にとって贅沢なご馳走になった。東京から1日がかりの小旅行で、帰りに海岸に出て好きな海を見るのが定番となった。その後、東京にも「国立西洋」や「ブリヂストン美術館」が出来て足が遠くなったが、「葉山分館」が出来てから何となく裏さびれて、寂しい感じになっていた。最近では「松田正平展」(2013年夏)が最後だった。

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② 今年1年を振り返って考えてみると、政治的には「安保法案」闘争である。70年間の「國の形」が変わる私にとっては大事件である。私事においての白眉(はくび)は「中原コレクション」である。戦後の前衛芸術はアナグロ派の小生にとって未知な世界であった。わくわくして夢中で見た。作品に接するのが初めてのアーティストが多かった。私は簡単なリストを作り、アーティストについてパソコンで調べてブログに載せた。
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A <写真・映像>

「ゴールズワージー」
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・アンディ・ゴールズワージー。フィオナ・タン。藤塚光政。杉本博司。宮本隆司。田原桂一。畠山直哉。山崎博。佐藤時敬。オノデラユキ。松江泰治。杉浦邦恵。イスマイル・ハシム。

B <美術・絵画>
・オノサトシノブ。マルコ・ディレッリ。松本陽子。高松次郎。河鐘賢。尹錫男。金晶烈。富山妙子。草間彌生。ロージャー・アックリング。クロード・ヴィアラ。

C <デザイン>
・小森誠。仲條正義。立石大河亜。

D <彫刻・立体・もの派>
・篠田守男。秋山陽。デゥィッド・ナッシュ。ルイーズ・ニーベルソン。原口典之。

E <版画>
・浜口陽三。菅井汲。山本容子。

* 中原洋さんは大手広告代理店のディレクター。道子夫人は早大教授。コレクションは趣味の道楽というより、仕事の延長上の同時代作品のコレクションという意味を持っていたのではないか。戦後前衛芸術の同伴者の意味合いが強いとお見受けした。写真・映像作品が多いことからもそれは伺える。

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コレクション展に登場するアーティストは1940~50年代の世代で70年代~80年代に作品を問うて世に出てきた人たち。ご夫妻のそれと同時期ではないか。同時代の粒ぞろいの作家の作品をよく集めたものだ!
(一部を回想してみる)
*藤塚光政(1939~)「空撮」、空から地上を撮ることによって視点を変える。独自の映像を撮っていったが、藤塚の仕事でもう一つの大事なこと。天才インテリアデザイナー「倉俣史郎」の作品の写真を撮ることであった。

「倉俣史郎」の作品」
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天才「倉俣史郎」を私も知ることになる。「ミス・ブランチ」などの倉俣史郎の仕事を見て、ぶるぶる体が震えてしまった。世の中には凄い天才がいるものだと感心した。(ここで私は倉俣史郎を追うべきなのに、次から次へと出てくる現象に振り回されて、通り過ぎてしまった。一事が万事である。コレクション展は私に多様の可能性を提示してくれたのだったのだが。)

・もう一つこの時代の面白さとして、美術、音楽、写真、建築、演劇など様々な分野の自由な交流とダイナミックなアートの創造の実験である。新宿のバアー「カッサドール」の内装を倉俣、壁画を高松知次郎、写真を藤塚が撮ることによって総合芸術を目指した実験!ダイナミックな出会いと壮大な構築、時代が要求している。

「ゴールズワージー」
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他に写真・映像では英国の「ゴールズワージー」。心の奥深くに訴えてくるような夢のような作品。それとフィオナ・タン。(後で触れる)
畠山直哉については、3・11東日本大震災で再度評価することになる。







  1. 2015/12/25(金) 19:29:48|
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『2015年映画』「アンジェリカの微笑」(101歳のオリヴェイラ監督の幻想譚、ポルトガルが舞台)12/22

『2015年映画』「アンジェリカの微笑み」(101歳のオリヴェイラ監督幻想譚、ポルトガルが舞台) 12/22

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ポルトガルのドウロ河がどくどくと流れている流域の、古く小さな町でのこと。カメラ趣味のユダヤの青年イザクが、ポルトガルでも有数の富豪の邸宅に招かれた。若くして亡くなった美しい令嬢の写真を撮るためであった。

家族に囲まれて美しい令嬢が、純白の死に装束で着飾り花束を抱えて横たわっていた。

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彼がカメラのピントを合わせようとすると、死んだはずの美女が瞳を開いて彼に微笑みかける。呆気にとられて、遺体を囲む家族たちを見るが、哀悼にくれたまま彼らの表情には変化はなかった。イザクは慌ててシャッターを切ってその場を後にした。
次の日、イザクは写真を現像していた。その中の1枚、アンジェリカが微笑みかけている写真だった。
イザクはそれ以来アンジェリカの虜になった。死んだ女を愛する幻想譚は日本でも、映画「雨月物語」や最近の「岸辺の旅」は死んだ男を愛するドラマがある。冥界とこの世は境界が近かったか?逆に、対極だからこそ純愛・悲恋の物語が生まれるのだろうか?
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106歳で2015年4月に他界したマノエル・ド・オリヴェイラ監督が、101歳の時撮影した幻想譚。100歳の感性と思えないみずみずしい映像。死と生、カトリック教とユダヤ文化、機械に頼らず昔ながらの鍬(くわ)で葡萄畑を耕す農夫たち、水(みず)暈(かさ)の多いドウロ河畔の葡萄の段々畑の素晴らしい情景。ポルトガルの昔の風景の中での幻想的な純愛物語とでも言うのだろうか?
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マリア・ジョアン・ピリスが弾く、後期のショパン作品のピアノ演奏が素晴らしかった。映画では出だしからピアノが鳴って、映画全体を引っ張る感じで演奏していた。
ピリスはポルトガル出身の女性の世界的ピアニスト。何度か聴いたことがある。感情を削ぎ落した、深い音を創っていた。パートナーがヴァイオリニストのオーギュスタン・デュメイ。大男のデュメイと背の低いピリスとでは大人と子供のような感じだが、情熱的な弦楽器とそぎ落としたようなピアノ、素晴らしい演奏だった!

100歳の感性、芸術は年に関係がないのか?年々衰えていく我が体力、長生きも才能か?

<監督> マノエル・デ・オリヴェイラ(1908~2015)
ポルトガルのペルト出身。1920年代から映画界に身を置いていたが、サラザール独裁
体制下では企画が通らなかった。独裁が倒れた後、70年代に頭角を現した。「クレーヴ
の奥方」(99)でカンヌ・審査員賞、「家族の灯り」(12年)を監督。106歳で15年4
月死去。








  1. 2015/12/22(火) 22:11:31|
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『美術/音楽/舞台/読書』 「読書ノート」 2015/12/16

『美術/音楽/舞台/読書』 「読書ノート」             2015/12/16

① 「在特会壊滅への道」(山口裕二郎) 週間金曜日ルポ大賞26回佳作入選
 
最近、去るブログに上記のルポが転載されていたので、面白く一気に読んだ。拝外主義のヘイトスピーチ「在特会」の壊滅への道を、体を張って実践した記録である。昔の東映ヤクザ映画「仁義なき戦い」を見ているような感じだった。

在特会は在日韓国人に「特別な特権」があると言い立て、ヘイトスピーチで有名になった人種差別団体である。実は在日韓国人に「特別な特権」などあろうはずはなく、逆に旧植民地時代から厳しい差別を我々日本人はしてきた。一時のヘイトスピーチの流行は、まさに差別感に上乗りした現象だった。

在特会のヘイトスピーチを為す術もなく見ていた日本人。体を張って立ち向かっていった人たち。筆者の青春の生き様を見ていて感心した。ヘイトスピーチの暴言・暴力に毅然と立ち向かうためには、精神的に強い心を持っていなければだめだろう。

それともう一つ、筆者の非暴力性だ。2014年8月15日在特会と居酒屋で鉢合わせて、言い合いの果て、彼らにかなりの暴力を振るわれた事件のことだ。筆者は非暴力を通して重傷を負う。この件で在特会は有罪になり、会長の桜井誠は引退、3名起訴でその後在特会は衰退に向かった。

筆者たち武闘派反差別団体は「しばき隊」とか「カウンター」とか言って、ヘイトスピーチに敢然と立ち向かう民族派団体である。筆者の文章によると、はじめはヘイトへ行ったりカウンターに来たりしていたという。ヘイトの差別があまりにもひどいのでカウンターとして立場を確立していった。ヘイトスピーチを「人種差別」だと批判する骨のある「民族派団体」の誕生か?


② 「明治維新という過ち」(原田伊織)   -日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト

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私は大河ドラマを今まで見てきた「ポピュリスト」?である。それが今年に限って、一切見ない。長州が嫌いになったからだ。極右内閣を許せないからだ。そういう私にぴったりの本が出た。嘘か誠か読んでみた。文科省の歴史教科書とは反対の近代史の展開である。こういう見解もあるという事で紹介する。

明治維新の実態は、長州の狂信的なテロリストが尊王攘夷というカルト的思想を元に、幕府を倒した内乱だった。尊王攘夷思想は「水戸学」に依る。吉田松陰は藤田東湖を尊敬していた。昔、山川菊栄の「幕末の水戸藩」を読んだことがある。尊王攘夷の先駆的な存在の「水戸藩」が何故幕末に活躍しなかったか?の問いに、水戸藩の内部抗争の激しさから殆ど人材を抹殺してしまったと答えていた。
日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト!学生時代に読んだ「私の歴史学」の常識をひっくり返す仮説である。「勤皇志士」とはテロリストの別名か?ヤクザの抗争以上の虐殺を繰り返した。戊辰戦争の時、会津などで官軍兵士が行った強姦・掠奪・殺戮は凄まじいものだ。その残虐性は昭和の中国での日本兵の非道な行為をも想像させる。

長州テロリストは明治政府を打ち建て、山形有朋らを通してテロリズムの伝統は日本陸軍に流れ、先の侵略戦争にまでつながった。そして、敗戦。70年の平和の眠りから冷めて、又長州テロリストの復活か、、、?冗談だと思うでしょう。冗談で済めばいいと思います。

「水戸学」が狂乱のテロリストたちの理念的拠り所となった。ところが歴代の当主たちは凡庸で、2代光圀(いわゆる黄門様)観念論を振りかざし、背伸びして御三家の名目を保つために実高10万石にも満たないのに35万国の見栄を張った。水戸藩は江戸期を通して貧乏であった。だが右翼イデオロギーの観念的拠り所となる。

会津藩の悲劇は痛ましいが、二本松藩少年隊のことは知らなかった。戦闘員不足を理由に、数え歳一三歳今でいえば中学生の少年が「二本松少年隊」として組織された。二本松戦争当日一日だけで藩全体で208名の戦死、少年兵の戦死16名、負傷6名。藩まるごと討ち死にした。私はこのところを読みながら涙が込み上げて堪らなかった。

木更津の林家1万石、林忠崇(タダタカ)。慶応四年戊辰戦争に殿様自ら家臣59名と共に脱藩し参陣した。殿様自ら脱藩は他に例がない。忠崇率いる一団は箱根戦争、館山戦争,伊豆戦争と薩長相手に奮戦したが、奥羽越列藩同盟が崩壊した時点で、徳川家の駿府で存続を知らされ「戦の大義名分が果たされた」といって降伏した。明治5年まで幽閉、赦免後は旧陣屋跡で百姓、その後下級公務員や商店の番頭、昭和16年の日米戦争開戦まで生きたのである。全く愚痴を言わず、薩長政府の明治・大正・昭和の世を見つめ続けたのである。彼の一句、

琴となり 下駄となるのも 桐の運

臨終の時、家来たちが「殿様! 御辞世は? 」忠崇は「辞世は明治元年に詠んだ、今はない」

ここに総てがある。自分の人生は江戸戊辰戦争で終わった。あとは余生だ。薩長のやり様を見てやる。
「己のアイデンティティを失うことなく生き切ったその生涯は見事である。」著者原田伊織さんの言葉である。

戊辰戦争に佐幕として参加、敗れて近代日本を余生として過ごした人生があったのだ。又、薩長は佐幕を許さなかったのである。
特に会津の明治・大正・昭和は苦難の時代だった。東京で過ごした小生にとってよくわかる話である。東京=上野は東北の玄関だったから、北の人の話はよく入ってきたのである。












  1. 2015/12/16(水) 18:03:23|
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『2015年映画』「さようなら」(アンドロイドの映画化) 12/10

『2015年映画』「さようなら」(アンドロイドの映画化) (ブライアリ―・ロング、ジェミノイドF 12/10
                   監督:深田晃司、原作:平田オリザ(アンドロイドアドバイザー石黒浩)

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3・11後の世界、同時多発の原発事故によって全土が放射能に汚染された、近未来の日本という設定。政府は国を棄て、全国民が海外への避難を余儀なくされた。国民は出国の順番を待っている。

海の向こうで原子力発電所が炎に包まれて燃えている。人気(ひとけ)が完全に途絶えた街。日本が終末期を迎えている。

ターニャとレオナ②

政府が決める出国の順番も弱者は見捨てられている。病人や独身や前科者、難民や移民も順位が低い。この映画の主人公・南アフリカからの難民で家族が無く、病に伏せるターニャ(ブライアリ―・ロング)は諦めている。病弱の彼女を幼い頃よりサポートしているアンドロイドのレオナが世話をやく。

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二人の対話がいい。実際のロボットと日常の会話を行うのだ。初め俳優が演じていると思った。実は深田監督が所属する、平田オリザ主宰の劇団青年団の演劇でアンドロイドは大活躍(大阪大の石黒浩教授指導)、本物のアンドロイドは世界で注目されていたのだ。
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街々から人々が消えていき、汚染された世界が終末を迎えつつある状況で、主人公のターニャとアンドロイドのレオナだけの世界になっていく。死を知らないアンドロイドと誰もが最後は死んでいく人間。終末の世界でのターニャの孤独。難民の子ターニャ、家族もなく故郷もない。アンドロイドのレオナに見守られながら、死んで朽ちていくターニャ。
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終末期の世界というとロシアの名監督タルコフスキーを思い浮かぶが、自然の風景が極めて日本的なので、ぼくが思い浮かべたのが「九相図」。
(江戸時代の仏教絵画。美女が死んで屋外に打ち捨てられ、死体が朽ちていく様子を九段階に分けて描かれた。)
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アンドロイドはロボットであるが、僅かな表情の変化と顔の角度で、生きている人間であるかのように錯覚させる。映画の場面でいくつかのシーンがあった。

アンドロイドが若山牧水やカール・ブッセ、谷川俊太郎、ランボオの詩を読み続けるなかで、ターニャは裸で毛布にまとって、詩を聴きながら眠るように死んでいくシーンは感動的だ。
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監督・「深田晃司」(1980年~東京都出身。映画美学校卒業)
2005年平田オリザ主宰の劇団「青年団」に演出部として入団、「歓待」(2010)「ほとりの朔子」(2013)













  1. 2015/12/10(木) 18:33:57|
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『2015年映画』「放浪の画家ピロスマニ」(ギオルギ・シェンゲラヤ監督グルジア映画) 12/3

『2015年映画』「放浪の画家ピロスマニ」(ギオルギ・シェンゲラヤ監督、
                         1969年グルジア映画) デジタル・グルジア語版. ,
                         岩波ホール37年振りの再映 12/18まで  12/3


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「ピロスマニ」を観終わって思ったこと、こういうものを大切にしなければならない。心の奥底に忘れていた夢の童話みたいなものを想い出したような気がする。それは心の宝石みたいなものだと感じた。
舞台は19世紀後半のグルジア。

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ロシアでもなければヨーロッパでもない、又、中東でもなければアジアでもないコーカサスの大地。カスピ海と黒海に挟まれ、ロシアとトルコという大国に挟まれ、歴史上苦難も多くあった大地。訪れたこともなく、風景も写真で見たことはないけれど、懐かしさを感じ忘れ難い風景となった。

ピロスマニは居酒屋の看板や壁に掛ける絵を描いて暮らした。人から家庭を持ったらどうかと勧められたが、「鎖で縛られるのは嫌だ」と言って断ったそうだ。

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一か所に定住することなく、放浪の人生を送り、貧窮の果てに亡くなった。
生きている内はロシア美術界から相手にされなかったが、死後(1918年)グルジアでは国民的画家として愛された。

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映画に登場する彼の絵を見ると、決してプロの巧い絵ではないが、心に残る不思議な世界を造形していた。グルジア農村の原風景、街や家や山の風景、キリンや狼や犬などの動物、食卓を囲むグルジア人、又彼らの民族衣装など独特なものがあって、心に焼きついてくる。

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フランスから来た女優に恋をして、彼女の泊まるホテルの広場を多くのバラで飾ったエピソードを残した。女優の絵もある。ロシアの属国ラトビアの有名な歌謡曲のメロディーに、ピロスマニのフランス女優への恋の伝説をからめて、ロシアの詩人が歌詞をつけた。「百万本のバラ」である。日本語訳はいろいろあるが、松山善三訳をぼくは選ぶ。作詩によって単なる恋の歌か、少数民族の祖国愛の歌になるか、大きく違ってくる。

ピロスマニの「女優マルガリータ」(1909年)がグルジア国立美術館に現存する。
 
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松山善三訳(一部)
バラをバラをバラを下さい 百万本のバラを下さい
ボクのボクのボクのこの命 貴方に貴方に貴方に捧げたい

(貴方=ラトビア ボクの命=ラトビア国民 百万本のバラ=祖国愛
 大国ロシアの圧政に苦しむ周辺の小国ラトビアの魂の歌。)

監督 ギオルギ・シェンゲラヤ            ピロスマニ: アヴタンディル・ヴァラジ
撮影 コンスタンティン・アプリャティン他      ヴァノ :   ダヴィト・ アバシゼ
美術 アヴタンディル・ヴァラジ            ベゴ:     ティムラズ・ベリゼ
音楽 ノダル・ガブ二ア                マルガリータ: ロザリア・ミンチン
                               許嫁 :    ニノ・セトゥリゼ

1969年グルジア映画




  1. 2015/12/03(木) 15:23:16|
  2. 2015年『映画』
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