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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『美術/音楽/舞台/読書』「白山雅成生誕100年展・第Ⅱ期ージャンとアマガ」 9/29

『美術/音楽/舞台/読書』「白山雅成生誕100年展・第Ⅱ期―ジャンとアマガ」 9/29
                                    白山雅成作品展示室(0297-78-0274)
                                    茨木県取手市戸頭7-4-5
                               2015年 9/17~12/14 & 2016年 1/14~7/11   
                               ㊡=火・水。   毎月最終/ 土・日・月 

  <椅子に座る ジャン>
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「白山雅成生誕100年展」のⅡ期は「ジャンとアマガ展」である。白山さんは1973年、教職を辞めてパリに渡り絵一筋の生活に入った。モンマルトル等のパリの古い建物や小路を描いた。又、20区・ベルヴィルのカフェの人々を描いた。
1974年頃、まだ鄙びた昔の風情が残っていた20区のベルヴィルでアマガ(79歳)とジャン(58歳)親子と出会った。彼らが亡くなる1989年頃まで二人の日常をテーマとした作品を描いた。今回の展示はその中の約50点の作品が中心である。

 <パリ20区 ヴィラン通り > 当時のベルヴィルをよく伝えている
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今の20区は移民の町で治安も決して良い方ではないが、70年代のベルヴィルは昔の風情の残った、「赤い風船」の舞台になった街であり、エディット・ピアフやジョルジュ・ルオーの生まれた町であり、佐伯祐三やユトリロの絵画に描かれたあの良き下町なのである。80年代以降にはパリ大改造計画で古き良き建物は全部解体され今は昔の面影は残っていない。

 <当時のベルヴィルの丘>
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昔、ベルヴィルは葡萄畑があり、ワイン製造の労働者や繊維労働者の街だったという。そのためか坂の多い街で、白山さんが愛した「ベルヴィルの丘」や「ヴィラン通り」もその中のひとつだ。ジャンとアマガ親子とはそこでよく会った。遠慮がちに遠くから眺めて、一言「トレビアン」と言って通り過ぎる。親子の一般の人達とは違った独特な、物事に囚われない雰囲気が白山さんの心を捉え、この人達を描きたいと思った。ある時、思い切って、ジャンの顔をスケッチしたいと申し出た。ジャンは快く申し出を受けてくれ、母親のアマガも「画家の役に立つことはうれしい」と喜んでくれた。
10分も描かない内に、彼はデッサンを急いで終わりにした。「この自由人を束縛することに耐えられなかった」という。多くのジャンのスケッチは瞬時に描かれたものだ。何が白山さんを惹き付けたか?何故沢山の作品が残ったか?

<ベルヴィルの丘からーパリ遠望> 傑作である!

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白山さんはベルヴィルの丘の上からその日によって色々な表情を見せる空を取り入れて多くの風景を描いた。遠くにかすむパリの屋根やノートルダム寺院やパンテオン。又ポンピドゥ・センターの、赤や青の親しい建物が建設中だった。中央にエッフェル塔がよいアクセントとなっていた。下方にヴィラン通りの坂道をアマガとジャン親子が上ってくる。彼が画架を立てているのに気が付いて、手を振って「ボンジュール、マサナリ!」とあいさつをする。

<アマガの肖像画>
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アマガは1895年フランス西南部ドルドーニュ県のベルジュラックで生まれた。2歳の時に母親とパリに来る。アマガが語る。「私はアクロバットダンサーとなり、ヨーロッパ中を巡った。その間にジャンが生まれた。父親は分からない。この様に各地を巡る生活の為ジャンは学校にも行かず、社会に適合した生活が出来ないのです。」
< 今回の主役ージャンの3点 >
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白山さんは思った。「ジャンの表情と動作は自ら会得したものだった。その目は何者にも犯されない美しいものを持っていた。」
 
<3点の内、向かって右側のバックが鮮やかな緑色のジャン>写真がボケている。もっと鮮やかである! 
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<真ん中の赤い服を着たジャン>
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アマガは折に触れて、ジャンにフランスの歴史を語り、文学や芸術について話したという。ジャンは私の為にポーズをしてくれている間に、ポッリポッリと詩を口ずさみ、パリコミューンについて美しいフランス語で語っていた。
先生が僅かな額をお礼として渡そうとしたら、母親は返して「ジャンを美しいと感じてくれた人にこそ、お礼をしなければ」と言って受け取らなかった。白山さんはジャンの肖像画を何枚描いただろうか。絵が描き終わってジャンの好きなゴロワーズを差し出すと、母親は喜んで受け取って「ジャンにはタバコ、私には猫、マサナリには絵がある」と笑った。

< 珍しい元気な若々しいジャン>
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型にはまらなく自由で、しかし社会に適合した生き方が出来ないジャンを、母親のアマガは常に見守り人々の蔑みと戦った。親子は一部の写真家の間では有名になっていた。展示室のオーナーの友人が古本市で偶然見つけた「パリの写真集」に親子の写真が載っていた。

<古本市で偶然に見つけた、アマガとジャン親子の写真>=パリの写真集
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アマガは物質に拘らない生き方をしてきた。パリ近郊のマルヌ河沿いのLAGNYに昔造った家を持っていたが、ベルヴィルに住み着いてから空き巣に入られ、ジャンの幼い頃の肖像画やアマガの長い人生の記念品などごっそり無くなっていた。アマガは「私の心にあるものは消えない」と平然としていた。
彼女は整ったきれいなものより、少々汚れていてもその中に光るものを見つけることを好んだ。白山さんのスケッチブックに書いてくれた。「un bean désordre est un effet de ℓ`Art 」
(よき混乱の中の美しさが芸術を生む)

<カフェ・アルティザン=職人のカフェ>
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ヴィラン通りにあるカフェ「ア・ラルティザン」(職人のカフェ)は白山さんがよく通ったカフェだった。白山さんの言葉によると、
 「女主人のアンナはしっかり者で友人のジォルジュと小さなホテルも経営していた。カフェは床に黒と白の碁盤の目のついたタイルが張られ、それが波打っていた。一番低く落ち込んだ所に陶製の石炭ストーブがあった。私は仕事が終わるとこのカフェの一角に座って新聞を読み、ここに集まる連中をスケッチしたり、簡単な食事をしたりした。
常連の一人「ムシュ・シャポー」の席は決まっていて本を極端に目に近づけて読む。ヌードリという犬を連れた老いたマダム・イエイエット。主人のアンナは隙を見つけては編み物をする。孫のザビエとダビッドは玩具の自動車を走らせた。時には私の横に座ってデッサンをする。それをジォルジュに見せると「ブラボー!ザビエ」と言ってピカソと書き込まれ、ザビエは私にそれを見せる。」

< これも カフェの内部の風景>
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アマガはそれまでこのカフェに入らなかった。先生が中にいるのを見ると手を振って行きすぎた。ある時、彼が中でデッサンをしているのを見て入って来た。それ以来このカフェが取り壊しになるまでここの常連になった。ジャンとアマガが現れると、舞台に役者が揃った時のようにここが別の世界に変わってしまう。そして白山さんの創作欲を掻き立てた。きれい好きの女主人も先生の友人という事で、この異様な2人を迎え入れてくれた。カフェによってはあまり良い顔をしないところがあったのである。

1982年2月、先生は二人に会いたくなり、いつも昼の食事を取る老人センターを訪ねた。二人は食後の昼寝をしていたので、そっと二人をデッサンした。それが最後の別れとなり、最後のデッサンとなった。
ベルヴィルのカフェ「ミストラル」の人の話では、1989年94歳でアマガが亡くなってから、ジャンは時々このカフェに来て「母が呼んでいる、私は行く。」と言っていた。母の死の数ヶ月後、ジャンも母の元に旅立った。74歳の生涯だった。

  <1983年5月、白山さんのパリでの個展のポスター=セーヌ河のギャラリー・カティア・グラノフで。
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1999年の夏、私たちはパリに先生を訪れた。一週間程滞在したが、一日パリ近郊の「シャルトル」に出かけた。あと気晴らしにモンマルトルやサクレ・クール寺院、ギュスターブ・モロ―美術館に出かけたが、それ以外の多くは先生のアトリエで絵を見せて貰いながらお話を伺った。朝に出かけて夜の10時過ぎまで、時が過ぎるのを忘れた夢のような一週間だった。パリは夜の8時過ぎても日が落ちない。先生も今はこの世にいないのだが、人生で稀な至福の時だったと思う。先生の絵を全部見るにはどのくらいかかるのか?酒を飲まない先生は昼も夜も描いていたのだから、膨大な作品が存在していた。

<パリで一番狭い小路。横にならないと通らない>

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「ベルヴィル、パリの街と小路、サカース、ベニス、モロッコ、ナザレ、人物画、静物画、花の絵、ジャンとアマガ」
等が束に包まわれて整理棚に詰め込まれていた。ジャンとアマガについては思いれが深いようで散逸させたくない・売りたくない、と言っていたのを記憶している。

さて、「ジャンとアマガ」の絵は何だろう?

< 展覧会のハガキに使われた「ジャンとアマガ」>
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99年の夏、先生のアトリエで初めてゆっくりと多くの「ジャンとアマガ」を拝見して独特の風貌・雰囲気が忘れないものとなった。日本人にはない西欧独特の風貌?ボヘミア風のさすらい人?70年代まで残っていた昔のパリ下町の古き良き「ベルヴィル」の象徴?或いは「純粋無垢」の、永遠の自由人の象徴、、、?答えはすべて「ウイ」であるし「ノン」なのだ。

<ジャンのエンピツによるデッサン>写真にはっきりと撮れている。
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今回この文章をまとめてみて思ったことは、「ジャン」に惹かれていく白山さんの存在なのだ。
初めてジャンのデッサンを描いた時、「10分も描かない内に小さなデッサンを終わりにした。この自由人を束縛することに耐えられなかった」と言って描くのをやめた。これは何を意味するか?
天性の自由人、純粋無垢のさすらい人に、自分を重ねていたのではないか?その後、「ジャンとアマガ」を何十、何百と描いた。白山雅成の自己表現になっていった。自分を描くこと、自己を探求することになる。つまり自画像の役割を果たしていったと思う。

<リュクサンブール公園>
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<ソール運河>
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一般的に画家の美術館はその身内や深く関わり合いを持った人が故人の遺志を尊重して美術館を作るものなのだ。(故人の作品を持っているがゆえに)白山さんの場合、必ずしもそうではなかった。弟子の松永和子さんの無償の行為によって、白山さんの作品の一部を散逸することなく、美術館を作って展示し続けたのである。これは稀有のことである。こうやって貴重な芸術・文化が守られていく。




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  1. 2015/09/29(火) 11:09:45|
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『2015年映画』「夏をゆく人々」(伊・瑞・独合作。監督アリーチェ・ロルヴァケル)9/23

『2015年映画』「夏をゆく人々」(女性監督・アリーチェ・ロルヴァケル 9/23、
                    67回カンヌ・グランプリ受賞、岩波ホール 8/22~

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思春期の少女ジェルソミ―ナ(マリア・アレクサンドラ・ルング)の口から蜜蜂が1匹2匹と出てくる。少女は含羞(はにか)むように笑う。この普通ならあり得ないシーンは我々に何を語るか?

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イタリア・トスカーナの田舎で、文明に背を向けて自給自足の生活を送る家族のひと夏の物語である。70年代の政治の季節が終わり、自然の生活、自然の恩恵を受けた簡素な生活をすることが理想の生き方だと考える家族の物語。夫婦は昔ながらの製法の養蜂業によって家族による理想郷を打ち立てようとした。この世の中あらゆるものが荒廃し、崩壊し、腐敗していると捉えた。田舎こそ救いの場で、家族との共同生活が人間的な解放をもたらすと言っている。

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ドイツ人の父親(サム・ルーウィック)、イタリア人の母親(アルバ・ロルヴァケル=監督の実姉)
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思春期の長女ジェルソミーナと三人の妹、同居人ココの7人の家族だ。父親以外は女なので長女ジェルソミーナが頼りにされる。又、彼女もそれに応えて蜂蜜のことや家事を一生懸命にやっている。

彼らの原始的ともいうべき理想郷に外部から2つの侵入者ともいうべき事件が起こる。

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一つは、テレビ番組の収録だ。この地に今も根付く「エトルリア文化」の紹介と、その伝統に沿った生活をする家族の募集とコンテストをやるというのだ。きらびやかなドレスを纏った司会者ミリ―(モニカ・ベルッチ)の魅力や華やかなテレビの世界に、一瞬の内に心を奪われた長女のジェルソミーナはコンテストに応募してしまった。思春期の彼女にとって今までの素朴な閉塞状況とは別な世界が輝かしく見えたのだ。 

*「エトルリア文化」古代(紀元前8世紀~1世紀)イタリア半島中部にあった都市国家群。農産物や鉱物資源を基に古代地中海で海上交易を行った。独自な文化を形成したがローマ文化の繁栄に併合されていった。 

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もう一つは、「少年更生プラン」で盗みと放火の罪で捕らえられた少年を預かるというのであった。ジェルソミーナと同年代の少年は身体に触れられることを極端に恐れていて、言葉を発しない。代わりに歌うように口笛吹く。その音色は世界を包み込むように美しく、物悲しい。その音色にジェルソミーナが惹かれていく。恋とはいえない淡いものだが、、、

蜜蜂の飼育は隣家の畑で噴霧された除草剤のために壊滅状態になり、食品衛生の条件を満たさない作業所は閉鎖に追い込まれようとしていた。家族は宝石を扱うように蜂蜜作りに励んでいたが。

両親の留守中、蜂蜜作りをしていて次女が遠心分離器で手を怪我してしまう。慌てて彼女を病院に連れていくが、留守中に蜂蜜が作業所に溢れてしまう。慌てふためく中、テレビの担当者が番組への出場の知らせと蜂蜜を見にきた。混乱の中、両親が帰って来る。
父はテレビへの出演を拒み応募したジェルソミーナをなじる。母は次女の怪我に動揺するばかり。

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父はその日、娘に最高のお土産を買ってきたのだ。財産を殆ど叩き、妻の反対を押し切って買った「らくだ」だった! 娘たちが昔から欲しがっていたものだ。だが、今のジェルソミーナにとって虚しく切ない感じだった。

テレビのコンテストがエトルリアの古代墓地のある島の洞窟の中で行われた。コンテストの場で、父は自分の信念を語り「いま世界は終わりつつある、、、」と言葉を発した瞬間、司会者のミリーが別の話題に変えた。ジェルソミーナと少年が口笛で蜜蜂を操る芸を披露するが、優勝は除草剤を撒いた隣家に与えられた。

その夜、ココがジェルソミーナと少年を讃え、ふたりの感情を察してキスを無理強いする。人との接触を極度に恐れる少年は驚き、島の奥深くへ逃げていく。皆で探しても見つからなかった。ジェルソミーナは独りで探しに行き、洞窟で彼を見つける。二人が眠る洞窟の天井や壁に、いくつもの影が現れる。美しく、楽しい。不思議な戯れ、夢となり、幻となり、泡のように儚く消えていく。

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翌朝、ジェルソミーナはひとり家族のもとに帰っていった。家族は外の庭にベットを出して皆固まって寝ていた。夏はしばしば外で寝ていた。母は「戻ったのね」、父は「場所はある」と声をかける。ジェルソミーナはもぐり込む。彼女は口笛を吹けるようになっていた。

静かに流れる口笛の調べ。やがてラクダが歩みだす。もうベットには家族はいない。家族が住んでいた古い大きな家、そこにも、誰もいない。あの家族は何処へ行ったのだろうか?不思議な家族だ。リアルと幻想が交差して、フェリーニの「道」や「甘い生活」がだぶってくる。フェリーニへのオマージュではないのか?

.ポスターDSC_6857

初めに触れたように、家族が消えていったということは、この世が汚濁にまみれていて荒廃し腐敗していることを語っている。リアルに物語が展開してゆくが、作品全体としての象徴性・幻想性は見事だ。監督のみずみずしい感性を感じた。




  1. 2015/09/23(水) 21:50:47|
  2. 2015年『映画』
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『日記』 「安保法案成立を迎えて」 9/20

『日記』「安保法案成立を迎えて」9/20

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* 17日(木)特別委員会で強行採決。与党のクーデターだ!
「安保法案委員会」委員長の不信任案を否決後、委員長が席に戻ってきた直後、与党の議員が入ってきて委員長を囲んで「かまくら」を作り法案の採決に入ろうとした。慌てて野党議員が取り巻いているうちに、与党側が挙手して安保法案は「決まった」という。

< 髭の隊長の民主中西議員への強烈なパンチ!元自衛隊のパンチ、拳闘選手と同じく殴れば犯罪!>
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委員長の法案の発議も聞こえず、議事録に何も記載されていない。しかも、「かまくら」を作ったのは安保委員会の委員ではなく、他の委員会の委員と議員秘書の自民の屈強の「防衛隊」だった。当該委員以外の議員・秘書の介入は犯罪である!ナチスのSS≪親衛隊)と同じではないか!本当にナチス張りになってきた。19日(土)未明、参院本会議で可決成立。
* 「かまくら」(人間が肩でやぐらを組んで委員長の採決を守り、野党の妨害をすること)

* これで、立法上、日本は戦争が出来る普通の国になった。外国に行って戦争をする国になった。IS(イスラム国)のテロの対象になった。先日、ISから名指しのテロ予告があった。70年の平和は一気に崩壊か?

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* 15日(火)中央公聴会でのシールズの奥田安基さんの意見陳述の全文を新聞で読み感動した。「誰かに頼まれたわけでもなく、個人として声をあげた。主権者たる私たちの当たり前の行為が民主主義だと思う。」「安保法案に立憲主義や民主主義の危機を感じた。70年間の平和主義の歩みを、先の大戦の犠牲になった方々の思いを、引き継ぎ守りたい」「私は学び、働き、食べて、寝て、そしてまた路上で声を上げる。政治のことを考えるのは仕事ではない。個人として不断の、当たり前の努力だ。」
自分で考えて、自分の表現で語っている。この間、ネットで全国の若者、若きママさんの言動を見てきたが、自分の思い・危機感を自分の言葉で語っていた。そして、思ったことを行動に表している。目を見張った。そして勇気をもらった。

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* 16日(水)横浜での地方公聴会が終わった後、国会に帰って強行採決しようという議員の車の前に抗議のデモ隊が立ちふさがり、路上に寝て非暴力の抗議をした。夜遅く帰ってテレビで見てショックを受けた。反対運動は国会正門前や全国各地での人々の非暴力のデモ・シュピレヒコールだ。議員の車を囲んで路上に寝転んで抗議の声を上げた。機動隊に排除されるという非暴力だが強烈なデモ!かなりの人数が参加して、議員の車を1時間以上立ち往生させ、特別委員会の開催を遅らせた。これはショックであり、捨て身の姿勢に感動した。この行為はその後の国会に於ける野党議員の行動に勇気を与えたという。

* 14日(月)からは連日国会に行った。このところ雨模様の日が続き、17日(木)は激しい雨の為下半身ずぶ濡れ、体温を奪われる目にあい、やや体調不良になった。

*毎日国会前での座り込み・集会で、午後に名を聞き漏らしたがプロのトランペット奏者が2.・3曲演奏した。ある日パブロ・カザルスの「鳥の歌」を演奏してくれた。涙ぐんで胸がいっぱいになった。

* 「うたごえ」サークルが回ってきて、台詞を配ってみんなで歌を歌った。その中の「ノー・パサラン」(奴らを通すな)というスペイン人民戦線の歌の歌詞にグーときた。
愛しい人/泣かないで   小さな胸/震わせ
忍び寄る/戦のかげに/  おびえる/あどけない瞳よ
孫の顔が浮かび、目を開けていられなくなった。

* 唯一の牛歩戦術=山本太郎議員のお焼香スタイルー自民党の死への念仏か?

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* 語りたいことは一杯あるが、今日はこの辺で、、、シールズや若きママたちは「一種の文化」だと思う。これからどういうものを築いていくか楽しみだ。

* 安倍の攻撃はえげつないものと聞く。戦死者の出現を待っていて、9条のせいにして憲法改正・核武装をも企むと聞く。報道・言論・思想の弾圧がやってくる?

次の闘いに備えよう!

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  1. 2015/09/20(日) 20:39:08|
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『日記』 「いよいよ、決戦です! = 戦争法案 」 9/9

『日記』 「いよいよ、決戦!=戦争法案」 9/9

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*  野田聖子さん、残念でした。自民400人以上の議員がいるのに、20名も集められないなんて、信じられない!
異常です。党内がファツショ化しているか、保守党の劣化です。今の自民は本当に独裁の恐怖政党になったのか?それにしても、彼女の正常な感性と勇気を評価します。

* さあー,決戦です。
9(水)   18.30~日比谷野外音楽堂で大集会
10(木)  13.00~17.00国会正門前座り込み。    18.30~国会正門前大集会
11(金)  13.00~17.00国会正門前座り込み     18.30~ 国会正門前大集会
12(土)  14.00~  国会包囲大デモ (沖縄・辺野古埋め立て抗議+戦争法案反対)
14(月)  13.00~国会正門前座り込み        18.30~国会包囲大集会(5万人デモ)
15日   以降は強行採決に備えての迅速な行動・ 連日18.30~ 国会正門前大集会

* 「戦争法案」反対運動は当初よりより大きく・深く広がりを見せています。ここ何十年なかったー60年安保以来だと言われています。8.30デモは東京で12万(延べ36万人という説もある)全国百万人でした。新聞社の当日の空撮(ヘリによる空から の撮影)が凄い。又、日比谷公園の中や公園から国会に向けて大勢の人々が、これを総計すると述べ36万も考えられる。
*  3・11以降の「反原発」のデモが、『反安保法案』デモの基礎になっていると指摘されている。毎週金曜日、首相官邸前 で座り込みを欠かさずやっているのです。それが良い意味での伝統になったという。
*  『反安保デモ』の 一番の驚異は『SEALDLLs』の台頭です。学生・高校生・若者たちの『戦争法案』反対の行動ですす。「戦争するのはいつも俺たち若者だ」「人殺しはいやだ!」「民主主義って何だ? これだ!」と叫び声をあげました。全国に広がった。若きママたちも立ち上がった。「せっかく生んだのに、この子を戦争に奪われては嫌です」切実な声です。彼ら・彼女たちのスピーチを聞いていると、「自分の考えを持ち・しっかりとした生き方をしょうとしている」ことを感じます。
* 8・30の国会包囲12万・全国百万のデモは日本の政治に大きな意味を持ちました。参加した者も、政権側にもショックを与えた と思います。法案の決着がどうなろうと、燃え上がる炎は簡単には消せないのです。

* 10(木)13.00~の国会正門前座り込みは台風のために中止になった模様。

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  1. 2015/09/09(水) 13:58:48|
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『日記』「緊急ニュース・政府与党は16日(水)に強行採決!」9/7

『日記』「緊急ニュース・新聞情報によれば、政府与党は「戦争法案」について、以下の予定をたてた。 9/7 ・15時30分

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15日(火)中央公聴会
16日(水) 参院特別委員会で採決。同日中に緊急上程、本会議で可決。
そのため、8日(火)の特別委員会と
     9日(水) 議院運営委員会で決定すれば、最速
15日(火)に中央公聴会が開催できる、とされている。(地方公聴会は省略!)
*  防相、河野統幕議長の米軍首脳との会談文書について7日(月)まで回答予定。
* 8日(火)の委員会(参考人質疑)までに、安倍首相のテレビ出演の経緯を説明。納得できる説明がなければ、野党は9日以降の審議には応じられないと表明。
* 8日(火)午後4人の参考人招致。その後、維新の党が追加提出した2法案の趣旨説明

8日(火)自民党総裁選が告示(20日投票)
*野党はもし、総裁選が行われた場合、「首相が交代する可能性があるのに、法案を成立させるべきではない」として、参院の審   議に応じないことも検討。
* 実は水面下で自民総裁選に「野田聖子議員」が立候補の準備を進めています。古賀元幹事長らが前から推していました。野田氏は「開かれた党、多様性を訴えて」います。唯、安倍サイドからの攻撃が凄く、20名の推薦人の確保に苦労していると言われています。
* もし、野田議員が立候補して選挙戦が行われると、全国遊説を行います。地方の自民は今の「1極支配」を支持しているでしょうか?「戦争法案」がそれほど支持されているでしょうか?法案と総裁選、2つの大きなことは今の安倍首相にとって、無事に乗り切れるでしょうか?
* 8・30デモが政界を大きく揺さぶっています。7・8・9は極めて重要な日程となりました。

皆さん!がんばりましょう!

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  1. 2015/09/07(月) 15:11:15|
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『美術/音楽/舞台/読書』「別府葉子シャンソンコンサート/東京」(9/4ルーテル市ヶ谷ホール)

『美術/音楽/舞台/読書』「別府葉子シャンソンコンサート/東京」(ルーテル市ヶ谷ホール) 9/4 
                                              
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                                                              ボーカル&ギター 別府葉子。
                       9/7 ピアノ上田裕司ベース中村新太郎ヴァイオリン会田桃子
 
別府葉子さんはブログでの知り合い、精力的に毎日発信している。人生で一番エネルギーが発揮できる時期で、私はいっぱい頂いている。
東京での4回目のリサイタルとか、私は昨年に続く2回目、いや大塚を入れて3回目である。別府さんのシャンソンにはポリシーがある。恋の歌や人生を歌っても、歴史や政治の秘められた現実に裏打ちされている。別府さんは意欲的にそういう歴史に裏打ちされた「名歌」を発掘してリサイタルで披露する。

≪プログラム≫
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今回の白眉は、
*『コム・トワ』(きみのように)曲ジャン・ジャック・ゴールドマン(1951年~)82年にヒットした曲。両親がポーランド系ユダヤ人、フランスポップス界のスーパースターだそうだ。

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1枚の古い写真―7歳の自分の娘と同年代の少女の写真を眺めながらの歌。ベットには彼の娘が眠っている。写真の少女はお前と同じ7つで、夢溢れ、輝く未来が待ち構えていたはずなのに、収容所に送られ、、、40年代のユダヤの少女の運命(ゴールドマン自身の父母の世代の=アウシュヴィッツ強制収容所に象徴される)と80年代の我が娘とを重ね合わせて、世紀の迫害に対する深い哀しみを込めてプロテストを歌う。別府さんの熱誠を込めた絶唱が素晴らしかった!魂の熱唱!拍手!拍手!

*『死んだ男の残したものは』(詞、谷川俊太郎。曲、武満徹)
ベトナム反戦歌だという。音楽と詩の世界の御両所の最高の「日本歌曲」ではないか。戦後前衛音楽の巨匠と現代を代表する詩人との合作。

「死んだ男の残したものは / ひとりの妻と ひとりの子ども
他には何も残せなかった / 墓石ひとつ 残さなかった
、、、、、
死んだ兵士の残したものは / 壊れた銃とゆがんだ地球
他には何も残せなかった / 平和ひとつ残せなかった」

*『検察側の証人』(作詩、作曲、さだまさし)
会田桃子さんの素晴らしいヴァイオリンの音色が響く。

「あいつを捨てた女は / 今頃は別な男の部屋で
おそらく可愛い涙交じりに/ 鮮やかな嘘で見にまとっている」
一篇のドラマを語っているかのようだ。曲全体がドラマチックな構造をもっている。別れがテーマだそうだ。

『百万本のバラ』(松山善三訳詞)
会場の方は皆さん常連で歌に通じている方なんですね。松山善三訳が、バルト三国・ラトビアの熱い民族愛の歌だということがわかっているのですね。

「バラを バラを バラを 下さい/ 百万本のバラを ください
ぼくの ぼくの ぼくのこの命 / あなたに あなたに あなたに捧げましょう」
あなた=ラトビア ぼく=ラトビア国民 百万本のバラ=祖国愛
大国ロシアの抑圧に苦しんだラトビアの民族独立の悲願を歌った。

有名な「花の季節」で始まると、会場から手拍子が入って良いムードになった。バックのピアノ・ベース・ヴァイオリンも別府さんをどうやって盛り上げようかを考えていた。良いバックでしたね。別府さん1年1年成長して、スケールが一段と大きくなったようです!

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  1. 2015/09/07(月) 10:10:58|
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『2015年映画』「ふたつの名前を持つ少年」(ぺぺ・ダンカート監督、独映画 9/3

『2015年映画』「ふたつの名前を持つ少年」(独映画、ペペ・ダンカート監督、9/3

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ナチス占領下のポーランド、ユダヤ少年の逃避行と信仰を描いた。原作が自身も強制収容所体験を持つ児童文学者ウーリー・オルㇾブの「走れ、走って逃げろ」、実話をもとにドイツのドキュメンタリ監督でアカデミー賞受賞者ダンカート監督の映画化。

42年、8歳の少年スルリックは父親から「絶対に生き抜け、ユダヤ教徒であることを忘れるな」と言い残され、ポーランド・ワルシャワのゲットーを脱出、
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逃亡する少年たちと森に逃げ込む。やがて取り残されて一人になり、凍死寸前のところを親切なヤンチック夫人に助けられる。夫人の夫や息子が実は森でパルチザンに参加していた。彼女はスルリックの愛らしさと賢さを知り、生き延びる為に、キリスト教徒「ユレク」というポーランド名を考えて、孤児になった理由を作りあげ、食べ物と宿を求めて農村を旅することを教えた。

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それからのスルリックは農家を回って仕事と食と宿を求めた苦難の旅が始まる。

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美しいポーランドの森と小川、素朴な村や広大に広がる麦畑で、ナチスに追われたユダヤ少年の苦闘の旅が展開する。スルリックの逃避行で出会うポーランド人は様々である。ユダヤ人への偏見を持つ人、冷酷な人、ナチスに密告する人。そうかと思うとスルリックに親切にする人。温かいスープを与える人。命を救う人。厳しく過酷な運命を耐え抜くユダヤの少年の苦闘は感動を与える。

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実は主人公スルリックを一卵性双生児の、アンジェイとカミルのトカチ兄弟が好演。場面によって性格の違いを生かした使い方をした。それが映画の厚みを一層増した。

ソ連軍の進攻によってナチスは敗れ戦争は終わった。生き延びたユダヤの少年はその後、どういう人生を辿ったか?

神は少年に過酷な試練を与えて、最後は救うという宗教映画にならなかったのは、ポーランドの森の風景の素晴らしさ、ヒューマンに少年の過酷な日々を描いたからだろうか?とにかく宗教臭くなれば魅力は半減する。映画は充分に見ごたえがある。
ドイツ人が70年前のナチスの残虐な加害を描くことは勇気のあることだ。日本人が南京虐殺や朝鮮半島への植民地支配を描くのと同じなのだ。歴史の真実は避けて通れないのだ。
この映画でも、いろいろなポーランド人を描いている。それはドイツにおいてもあまり変わらない情景ではないだろうか?

「原作」、ウーリー・オリレブ 「走れ、走って逃げろ」
「監督」、ペペ・ダンカート。1955年、ドイツ生まれ。78年からドキュメタリ映画に関わり多くの賞を得る。93年の「黒人のドライバー」でアカデミー「短編実写賞」に輝く。ドイツの監督でありながらナチスの残虐性に向き合う姿勢を評価する。
「出演」トカチ兄弟(アンジェイ&カミル)タフな眼差しのシーンをアンジェイが、無邪気に笑ったり泣くシーンをカミルがと使い分けた。

アウシュ⑨
* 私が『アウシュヴィッツ』に拘るわけ。
 ナチスのユダヤ人虐殺=その象徴としての『アウシュヴィッツ強制収容所』は、戦後思想の原点と捉えた。戦後思想はそこから出発していると考えた。五百万人の人間を殺した事実・ユダヤ人を絶滅させようと図った事実は、人類史の最悪の負の行為である。旧日本軍の『南京虐殺』も又、それに類する行為である。加害の歴史に連なる民族の一員として、残念だ!胸裂ける思いだといっても、そこから逃げることはできない。
私は美しいもの・ヒューマンなもの・真・善・美の芸術が好きだ。イタリアルネサンスの絵画・ドイツの古典・ロマン派音楽・フランスの文学が好きだ。と同時に、思想を組み立てていくとき人類の負の遺産を忘れることはできない。『アウシュヴィッツ』を訪れた時、そのことを深く実感した。
最近、加害の歴史に立つ者が過去の自国の加害性にどう向き合っているかに関心をもっている。最近のドイツ映画、アンジェイ・ワイダのユダヤ人を扱った映画、、、ここでも『アウシュヴィッツ』が原点になってくるのである。





  1. 2015/09/03(木) 15:42:49|
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