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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『日記』 「8.30国会10万人デモ・大成功!」 8/30

『日記』「8・30国会10万人デモ・大成功!」8/30

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人、人、人 でした。国会正門に向かって右側にいましたが、国会に押し寄せる民衆で、とうとう車道を人々で埋め尽くしました!60年安保以来です。それまでの歩道も半分規制されていたのと格段の違いです!
国会周辺に入り切れない人々が、外側のいくつかの公園にも集まっていたそうです。とにかくすごい人です。主催者は12万人と言っています。しかも、全国の市町村でもデモが行われた。8・30の巨大デモは安倍政権に量り知れないインパクトを与えたと思います。(闘う側にも新しい価値を与え、その評価は後に意味づけられるでしょう)
民衆を目覚めさせた!変革の=静かな革命のイメージを与えた。政権はこれを敵にまわして、どうする?



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  1. 2015/08/30(日) 22:15:34|
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『日記』 「戦争させない・10万人デモ8/30(日)14.00~国会包囲 8/29

『日記』 「明日8/30(日)14:00~国会正門前」 戦争させない・10万デモ 8/29

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皆さん!!
明日8/30(日)14:00~国会周辺で10万人のデモを行います。ぜひ、参加してください。

* 安保法案は、7/16日(木)衆院で強行採決され、参院で審議しています。70年軍隊を持たなかった・戦争をしなかった日本を、戦争が出来る国に変える法案です。
*衆院の強行採決によって、安倍内閣の支持・不支持が初めて逆転した。時事通信を例にとれば、8/7~10の調査、
支持率 39.7%(前比-0.4) 不支持率 40.9( +1.4)
安保法制賛成 30.6   反対 53.4
世論調査は各社によってまちまちで、強行採決の結果を10%近くの支持率ダウンとした新聞社もあった。

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* 参院審議で「法的安定性」とか自衛隊内部の「工程表」の暴露、自民の代議士の「利己的詐欺事件」とか安倍内閣の支持率が下がる事件が続出です。

* これは皆さんの反対の声が広がったからだと思います。始めの頃の暗澹たる思いから比べれば大きな違いです。
違憲の声は広がり、学者・(特に法学は殆どの人が違憲だと)学会・弁護士、元判事、各大学と広がる。反対の広がりで何より凄かったのが学生の「SEALDLs」です。今や毎週金曜の夜の数千人の反対デモをやっています。高校生にも、子ども連れのママさんにも広がり、さらにそれぞれ全国展開です。(闘いの広がりは近来ない事であり、闘いの優れたエネルギーになると思います)最近、学生が参院議面前でハンガーストに突入しました。已むに已まれぬ気持からだと言っていました。うれしくなりました。負ける気がしなくなってきました。

* 法案の会期末は9月末ですが、参院での「60日」が9/10だそうで、衆院で強行「再議決」を9/10以降する予想がたてられます。ちょうど、自民党総裁選の時期(9/8告示―20(日)投票)と重なるが、対立候補がいないという珍現象(執行部の操作)です!又、自民の「劣化現象」を物語るといえます。
今の安倍首相には健康問題・力量から2つの大きなことは出来ないと言われています。最近安保法案以外は先送りか中断か戦う前に撤退の例から言えることです。

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* 30日(日)の全国百万デモ・国会包囲10万を成功させましょう!続いて、9/10の前にもっと大きなデモを!せめて、  継続審議でも引き出したい!

*  みなさん、頑張りましょう!


  1. 2015/08/29(土) 22:05:35|
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『2015年映画』「あの日のように抱きしめて」(「東ベルリンから来た女」の監督・主演コンビ8/26

『2015年映画 』「あの日のように抱きしめて」(「東ベルリンから来た女」の監督・主演トリオが描く・
                               第2弾)    8/26
                              監督クリスティアン・ペンツォルト。
                              主演ニーナ・ホス。ロナルト・ツェアフェルト。
                                 ニーナ・クンツェンドルフ
   
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「東ベルリンから来た女」でベルリンの壁崩壊前の社会主義の東ドイツ。秘密警察の恐怖政治が市民の日常生活を支配する社会に敢然と戦った女医を描いてから、さらに、ナチス時代のドイツ社会の深層に切り込んだこの映画はドイツ映画史上・明日の課題を担う作品!

ナチスからの亡命作曲家クルト・ヴァイルの名曲≪スピーク・ロウ≫が全編に流れ、作品の感動のキー・ポイントになる美しい調べに酔いしれる。

≪ものがたり≫

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ドイツ降伏直後の45年のベルリン。*顔を撃たれたユダヤ人声楽家のネリー(ニーナ・ホス)が弁護士のレネ(ニーナ・クンツェンドルフ)に伴われてアウシュヴィッツ強制収容所から帰ってくる。顔の再整手術を受けるがレネの反対を押し切って元の顔にしてもらう。彼女の願いはピアニストだった夫ジョニ―(ロナルト)との再会・ナチスに破壊された幸福な人生を取りもどす事だった。だが親友のレネは反対だった。

* ナチスによってアウシュヴィッツに送られ、からくも生還したものの、顔を無くし、夫を無くし、自身のアイデンティティーを無くしたユダヤ人女性が自分自身を取り戻せるか?破壊が無惨で過酷であればあるほど、修復は困難だ。
ユダヤ機関で働く親友の弁護士のレネは、富裕のユダヤ人であるネリ―の一族は全員アウシュヴィッツで殺され、彼女は莫大な遺産相続人になっていると告げ、ここドイツはユダヤ人にとって危険だからパレスチナに移住しょうと告げる。そしてジョ二―はあなたの検挙前に離婚届けを出しているし、遺産目当てなのか最近その書類を盗み出そうとした。彼を信用出来ないと警告する。ネリ―は聞き流している。

顔の傷がまだ治らないネリ―は夜になると、人目を忍んで夫ジョ二―を探して巷を彷徨した。45年のベルリンの街、夜は暗闇で、物騒で金を巻き上げられたり、娼婦に間違えられたりした。瓦礫の中の僅かに残った建物が米兵相手のクラブ、ピアニストだった夫のジョ二―はそこで掃除夫として働いていた。彼に声を掛けても彼女を妻のネリ―だと認識しない。ネリ―はアウシュヴィッツで虐殺されたと思い込んでいるのか?私娼だと勘違いされて店を追い出され時、彼から声を掛けられた。

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「金儲けをしょう。妻に似ているんだ。収容所で死んだ。一族も全滅した。妻を演じてくれれば、妻の財産を山分けしょう」

彼女は彼が本当に自分を愛していたか、裏切ってナチスに売ったかを確かめるつもりで引き受ける。

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*列車で旧友の前に帰還しなければならない、とジョニ―は言う。皆に見破られないように訓練しなければならない。
暗く粗末な地下の自分のアパートに連れて行き、歩き方やしぐさを指導、筆跡を真似させ、かつてパリで買った靴を履かせ、赤いドレスを着せる。
* 「男によって生命を吹き込まれる女性」というギリシャ神話のピグマリオン効果か?ネリ―はネリーを演じることで生命が吹き込まれたか?

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彼女は「本当の私に気づいて」という思いと、一方彼の正体にうすうす気づいていく心理が交錯する。
彼はどんなに彼女が妻に似ていようが、「収容所で死んだ」と思い込んで観念みたいになっている。又は妻への罪悪感からネリ―をまともに見ようとしないのか?

ある夜、ネリ―はジョ二―の家から抜け出して、レネの暗がりの寝室で告げる。「彼は私を見てもわからなかったわ。辛かった。私は一度死んだの。その私を彼はネリ―に戻してくれたの。彼と一緒にいると、昔の私に戻れる気がするの。だから、パレスチナには行かないわ。」

43年の冬、ジョニ―はユダヤ人の妻ネリ―を友人夫婦のボートハウスに隠した。今その友人宅にネリ―を行かせ、ジョニ―は木陰で様子を見る。庭にいた夫人はすぐにネリ―だとわかる。ネリ―が逮捕された時、夫婦は家の窓からただ見ていただけだった。「助けようがなかったの」と泣く夫人。続けて、逮捕直後にジョニ―が来訪したことを告げる。それはレニの言う「ジョニ―の裏切り」を裏付けるものだが、ネリ―は別のシナリオを考える。妻が心配でボートハウスに来たのを当局に尾行されてしまったのだ、と。ジョニ―は何とも言わなかった。

いよいよ来週、列車でベルリンに行き、旧友たちの元に「生還」しなければならない。ネリ―はレネの家に行き、家政婦から知らされる。数日前にレネが銃で自殺をし、手紙を託されていることを。
「私たちは過去には戻れない。私には前進もない。生きている人より死者に惹かれるの」手紙とジョニ―が出した離婚届の写しが入っていた。

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ベルリン駅に降り立ったネリ―を、旧友たちとジョニ―が出迎える。ユダヤ人のネリ―に対してドイツ人の旧友たちはぎこちない感じで迎える。みんなで食事をしているとき、ネリ―は席を立ち、ジョニ―にピアノを弾かせ、レネとの約束の曲ジャズの名曲「スピーク・ロウ」を歌い始める。この歌のように「優しく/愛を語れる」だろうか?

愛を語るときは、/ 優しくしゃべって
二人の夏の日は / とっても はかない
愛を語るときは、/ 優しく しゃべって
二人の時間は / 漂う船のように早い
とっても早く過ぎ去ってしまう / 運命なの

はじめ、ささやくように。次第に力をこめてネリ―は歌う。ジョニ―が凍りついてゆく。表情が変わり、人格が崩壊してゆくようだ、、、
映画をみている我々は魂が鷲掴みされたかのように熱くなり、光り輝く窓の外の世界に、弾むように消える去るネリ―の姿を追っていた。

* この作品はいろいろな象徴性をもっている。妻ネリーだが、事の真相は夫の愛は本当か?裏切りなのか?探っている。夫(ドイ ツ国民)に拘泥する彼女は、過去や歴史に囚われ自由になれない当時のドイツ一般国民の象徴ともとれる。
* 夫ジョニ―はネリ―を妻と認めない。その頑なさと孤独さ=過去を認めない、正面から受け止められない、当時も今もいる人々 をさしている。ドイツにおいても日本においても。
* ナチス崩壊後のドイツ国民、過去の過ちを後悔しながらやったことの重大さ、失われた過ちの多さに愕然とした。戦後支配した  瓦礫の山、ナチスへの怨念、引きずる重苦しさが象徴している。
* 一番安易なやり方は、全てナチスのせいにして自己責任を取らないこと。ナチスを生み出し支えたのは他ならぬドイツ国民だと  いうこと。それは日本においても同じ。南京虐殺も旧日本軍慰安婦も日本人がやったこと。歴史の真実からは逃げられない。

* ベッツォルト監督とニーナ・ホスのコンビに喝采を贈る。戦後のドイツ内部の深層に向き合うことは意味のあることだ。私はドイ ツ映画史上記念的作品になると確信している。「ハンナ・アーレント」(13年)の延長線上につながっていると思う。



  1. 2015/08/26(水) 22:01:20|
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『2015年映画』「この国の空」(監・脚、荒井晴彦、主、二階堂ふみ、長谷川博己,工藤夕貴)8/15

『2015年映画』「この国の空」 (監・脚=荒井晴彦、原作=高井有一
                  出・二階堂ふみ、長谷川博己、富田靖子、工藤夕貴 8/15

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1945年、終戦間近の東京。19歳の里子(二階堂ふみ)は父親を結核で亡くし、母親(工藤夕貴)と2人で杉並の住宅地で暮らしている。繰り返される空襲に怯え、途切れがちの粗末な配給に耐えて、そんな中でも里子は健気に生きようという少女だった。若い男性は兵隊にとられ、子供たちは疎開に行き、都会に残ったのは老人と女達だけであった。

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3月10日の東京大空襲で家と家族を失った母親の姉(富田靖子)が着の身着のままで身を寄せてきた。余りの突然の惨事で気が触れた母親の姉妹は、普段では考えられないほど言い争う。<さびしんぼう>の富田靖子が好演。姉妹の言い争いに戦争の切迫感を表している。

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垣根を隔てた隣家では、妻子を疎開させ、兵隊検査で丙種合格の徴兵逃れの銀行員の市毛(長谷川博己)が1人で住んでいる。里子の周りにいる若い男性は38歳の市毛のみであった。宿直が増えて家に帰らない日が多くなった市毛から、家の鍵を預けられて「暇な時戸を開けて風を通してくれませんか」と里子は頼まれる。里子は時々市毛の家の掃除などをするようになる。独り身の市毛の世話を焼く内に彼を次第に慕うようになった。19歳の少女の心の内に「このまま、死んでしまうのか」という焦りと女の本性が疼いていたともいえる。

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母親は「市毛さんに気を許しては駄目、女は溺れやすいの」里子「母さんは溺れたことがあるの?」母親(工藤夕貴)は若い男不在のまま虚しい青春を過ごしている娘里子を思いやっていたかも知れない。川で上半身裸の後ろ姿を見せるシーンから、かつて男に溺れた気配を感じさせ、市毛への交友を里子の自由にさせていたのか?
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掃除のために市毛の寝床の部屋に入った里子は髪で汚れた枕カバーに異様な関心を寄せ、廊下の板の間に肢体を反転させ身悶える姿はこの機の少女の危うい官能性を漂わせる。

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1945年も深まって戦局ますます厳しくなると、市毛「よかったら今夜来て下さいませんか」と里子を誘う。里子は家庭菜園の大ぶりなトマトを幾つかもぎ取って市毛に差し出す。赤く爛熟したトマト(里子の処女の象徴)を市毛はがぶりと頬張る、、、
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体を拭いている後ろ姿の裸身の里子。成熟した官能的な姿態は茨木のり子の詩にあるように「わたしが一番きれいだったとき」かも知れない。

沖縄玉砕、戦局ますます激しく、空襲の毎日。市毛は自分に赤紙が何時来るか、又、九十九里浜から米軍が上陸して男は皆殺しに会うと怯えて「病気で死ぬのと戦争で死ぬのと、どっちが嫌だろう?」と里子に言って、「どちらも嫌ですわ」と突き返されてしまう。

8月15日。戦争が終わった。

市毛は生き延びたことが何より嬉しい。戦争が終わったことを何より喜んでいる。そして妻子が帰ってくるだろう。
里子はこの愛がどうなるか不安だった。戦争が終わらなければよかったと思った。そうすれば私たちの愛が続く、、、戦争が終わることを告げに来た市毛のゲートルを丁寧に畳む里子(里子の心は自然に市毛に向かっている) 
「私の戦争はこれから始まる」と心の中で誓う。里子の振り向いた横顔の、黒い大きな眼がこちらを見ているラストカット。そのスットプモーションのクローズアップ。

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里子(二階堂ふみ)が茨木のり子の詩を朗読する。

茨木のり子 『わたしが一番きれいだったとき』 (一部)

わたしが一番きれいだったとき/街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから/青空なんか見えたりした

わたしが一番きれいだったとき/まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で/わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき/だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて/きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき/わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで/手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき/私の國は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか/ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

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*茨木のり子の「わたしが一番きれいだったとき」はまさしく映画の主人公里子を歌いあげたと錯覚してしまう。詩人茨木のり子さんも当時20歳。現代語の平明な表現で若き女性の鋭い感受性が世界に向かって開かれていく世界を歌った。教科書にも載っている有名な詩が、映画の主人公を通して初めて現実化され、カラーで色付けされた。
茨木のり子の詩は人が生きていく精神の断面や感情を平明な言葉でうたって人々に愛された。「ぱさぱさに乾いてゆく心を/ひとのせいにはするな」とか「自分の感受性くらい/自分で守れ」など、心に響いてくる詩である。

*毎年8月15日がやってくると、戦争・敗戦にちなんだ映画がつくられる。今年もこの映画と「日本のいちばん長い日」である。僕には「終戦責任」の問題意識がある。45年になっても、3/10の東京大空襲以下全国の都市空襲、4/1からの沖縄全滅戦、7/26ポッダム宣言、8/6.9二つの原爆、8/8ソ連参戦によるシベリア抑留、8/14ポッダム宣言受諾の戦争終結。国体(天皇制護持)を優先したために、先延ばしになった終戦。1年でも1ゕ月でも早く戦争が終わっていたら何十万人の・何百万人の命が救われていたのだ!日本中枢部の終戦責任は重い。故に「日本の一番長い日」は見て論じる気になれない。

*二階堂ふみの独特な東京語は、ある解説によれば「浮雲」の高峰秀子だという。戦時下仏印で燃え上がった男女が戦後出口のない腐れ縁と終焉を描いた成瀬己喜男の名作。監督荒井晴彦の演出だという。「この国の空」も戦中・空洞のような東京で燃え上がった男女の物語だ。それからの里子はどうなるのか?




  1. 2015/08/15(土) 15:33:13|
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『日記』 「安倍首相 70年談話について 」 8/15

『日記』 「70年談話について」 8/15

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聞いていてイライラした。主語・主体がないダラダラした文章だ。「侵略」「植民地支配」「痛切な反省」「心からのお詫び」とかのキーワードは散らばっているが、「侵略」したから悪いと謝っていない。安倍さん!いつもの巧妙な逃げの手口だ。国会答弁などで絶対に自分の非を認めない、あれと同じだ。自分の言葉として言っていない。誰か他人の文章を引用して並べた文章のようだ。従って心はここに無い。
過去の日本が韓国・台湾を植民地支配し、両国の民を蹂躙したことへの謝罪がない。特に、韓国に対して殆ど触れていない。特に旧見本軍「慰安婦」への言及がなく、彼女たちへの謝罪と償いは人間として当然のことなのだ。
「未来の子どもたちに謝罪を背負わせてはならない」と言っているが、どこの国の子どもたちのことを言っているのだ。世界各国の民はその国の歴史を背負って生きているのだ。歴史から逃げることは出来ない。
むしろ、今回のように首相が謝罪から逃げているようでは、ますます日本の未来の子どもたちに謝罪を背負わせることになるだろう!
個々の所では言いたいことがたくさんあるが、最後の「積極的平和主義」の旗で「世界の平和と繁栄に貢献」することが、何故「戦争法案」なのか?70年戦争をしなかった日本を、世界の何処へでも行って戦争する国に何故変えようとするのか。
「戦争法案」を廃案にすることこそ、今すぐやることなのだ。

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  1. 2015/08/15(土) 15:15:31|
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『日記』 「軍事クーデターか? と一瞬思った!」 8/13

『日記』「軍事クーデターか?と一瞬思った!」8/13

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8/11深夜、PCを終えようとしていたら、あるブログに次のようなニュースがあった。冗談かと目を疑った。
「戦争法案、米軍と自衛隊一体化の計画先行、8月法案決定・来年2月施行と明記」 旧日本軍だったら「クーデター」ものではないか!今、国会で論議している「戦争法案」を、5月に国会に上程した段階で自衛隊の「統合幕僚監部」が計画の実施案の検討に入っていた。8月に法案を決定すると、既定の事実だったのか。やってられないよ!

『8月法案成立、来年2月施行まで想定して、
①南スーダン・PKO ② 来年7月からの「駆けつけ警護」の具体的内容の検討・計画案』

防衛省の内部極秘資料を共産党の小池議員が国会で政府を追及し防衛大臣の曖昧な答弁のため、国会が途中散会となった、ニュースだった。

「戦争法案」は米軍と予め事が決まっていて、後追いの国会議決をするだけだった、ということか?日本の国会は何のためにある?日本は立憲主義の國でなかったか?自衛隊は米軍の付属機関か?
逆に、旧日本軍の場合現場の軍が先行してドン・パチやって、(立法を無視して既成事実を積みあげ)後から中央政府が追認していった。(日中事変や中国での戦中の忌まわしき悪例)

その夜、悩ましくて寝つかれなかった。  

しばらく お休みを頂きましたが 再開します。よろしくお願いします。

*当方の事情によりブログの記事・回数が前より少なくなるかも知れません。



  1. 2015/08/13(木) 11:03:27|
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『2015年映画』 「アリスのままで」(ジュリアン・ムーア主演。リチャード・グラッツァー監督)8/3

『2015年映画』「アリスのままで」 (ジュリアン・ムーア主演..アカデミー・主演女優賞に輝く) 8/3
                 リチャード・グラッツァー監督 .出演K・スチュワート。A・ボールドウィン


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数々の主演女優賞に輝く、米国女優ジュリアン・ムーアが「若年性アルツハイマー病」を演じた、映画「アリスのままで」。アルツハイマーは今や米国でも日本でも深刻な国民病で、身近な身内・友人・親せきに発症した経験を持った方が多い。

コロンビア大学教授のアリスは50歳の誕生日を迎えていた。結婚して子どもを生み育てながら、名門大学の言語学の名教授として地位を築きあげた。人一倍の記憶力と理解力に優れ、又、彼女自身専門の言語学の研究に努力した。
理解のある医者の夫(A・ボールドイン)と不妊治療で双子を生むことになる長女(K・ボスワ―ス)、医学性の長男、演劇をやっている次女(K・スチャワート)と良き家族に恵まれ、人生最良の日になるかと思われた。

皆が集まった50歳のバースデイで歯車が狂い出す。長男のガールフレンドの名前を何度も聞き一瞬周囲に戸惑いが広がる。招かれた名門大学の講演中、言葉が出なくなり困惑する。ジョギング中に走り慣れた大学のキャンパスで迷って方向が分からなくなる。

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アリスの困惑、そして恐怖に歪む表情。単なる物忘れではないのか?アリスに何が起っているのか?

アリスは神経科を訪ね脳の検査を受ける。症状にアルツハイマー病に合致する疑いが出て、再検査になる。不安に駆られて夜も眠れないアリスは、夫を起し「今まで築きあげて来たものが、何もかも消えてしまう」と泣きながら訴えた。夫は「何があっても、僕がついている」とアリスを励ます。

夫と病院を訪れたアリスは「若年性アルツハイマー病」で子どもたちにも遺伝すると告げられ愕然とする。翌日、家族を全員集めてアリスは告白する。子どもたちの愕然とした様子。

専門医の見解
「現代の医学では治すことはおろか、進行も防げない。アリスの場合、若年性アルツハイマー病であり、認知機能の低下・人格崩壊が進む。意識世界が崩れていく」
その後、それ程進行してない段階で、「認知症介護会議」に出て、<体験談と希望>をスピーチした。

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アリスのスピーチ、
「苦しんではいません。闘っているのです。」
「かけがえのない瞬間を、私は生きています。」
このスピーチのシーンは映画で彼女が最も輝いていた頂点だ。
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もうひとつ、次女リディア(クリステン・スチャワート)は演劇をやりたいと優秀な家庭のなかで唯一大学へ行かず、自己の人生に拘った生き方をして母親のアリスと衝突していた。病気の発症後、親身にアリスのことを心配した。

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海辺でのリディアとのシーン。リディアが話したあるエピソードのテーマを、アリスは「愛についてだ」と答えて、二人が抱き合う感動的なシーン。

好きな食べ物なんかも忘れて、自分が何をしたかも忘れて、おしっこなんかも漏らしてしまう、人間としての尊厳も傷つけられていく。そんな状態になっても生きてゆかなければいけないのか?、、、

彼女は未来の自分に、ビデオで手紙を書く。その時プログラムは「その引き出しのビンの中の薬を全部飲んでベツトに横たわりなさい。そしてそのことを誰にも言ってはいけない」
ビデオレータ、どういうものか想像がつくと思うが、、、(実際には家政婦が帰ってきて失敗する)

映画では、カメラがアリスのアップを長回しで撮っている。医師との面談を貫く緊張感。矢継ぎ早の質問に困惑・不安・恐怖のアリスの表情。見慣れたはずの大学構内で迷った時のアリスの動揺と不安の表情。
又、何と言うのか?家族のアルバム写真で、幼い子どもたちと戯れるショットの果てに、アリス自身の少女期の戯れるシーンを滑り込ませた? 、、、時間は空に展開し、アリス自身の原形=原風景は何処にあるか?、、、

大学教授としてのアリスが本当のアリス? 
アルツハイマ‐で意識世界が崩壊したアリスが本当の、、、?
少女期の聡明な彼女が本当の、、、?
アリスのアイデンティティーを根源から問う。又、それは人間の存在自体を問うことでもある。
上記の問いは全部「Yes」なのだ。全部アリスなのだ。輝ける大学教授としてのアリスも、意識世界が崩壊したアリスも、みんなアリスなのだ。人間の存在をそのように捉えかえした優れた視点がある。

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* 監督のリチャード・グラッツアーはALS(筋委縮性側索硬化症)で闘病中にこの映画を撮り、完成後亡くなった。映画の主人公が不意に訪れた難病に苦しみ、生きている日々に喜びを見出そうという姿が切実に描かれているのは、監督の思いが込められているからだ、という。
(監督のリチャード・グラッツァー)
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  1. 2015/08/03(月) 10:41:04|
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暑中お見舞い申し上げます      2015年8月1日  ジュリアンの夢

暑中お見舞い申し上げます

連日の猛暑が続きます。皆様にはおかわりありませんか?お見舞い申し上げます。
昨夜、通り雨の後僅かな微風、本日も少しは微風が吹いています。
皆様にはもう少しの辛抱です。お互いに健康に留意して頑張りましょう。

2015年8月1日
                    ジュリアンの夢


 *  しばらく休みます。


  1. 2015/08/03(月) 09:44:08|
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