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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『美術/音楽/舞台/読書』「別府葉子東京ライブ」4/25(土)ANOANO 4/26

『美術/音楽/舞台/読書』「別府葉子東京ライブ」4/25(土)音楽堂ANOANO4
          4/26    VS・ギター別府葉子、P鶴岡雅子、B中村尚美


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*昨日別府さんの「東京ライブ」へ行ってきた。予定の全席売り切れという盛況だ。
ブログを通してのご縁で彼女のライブは2回目、前回同様の濃厚なコンサートだった。

今回のテーマは「男と女のいる風景」
*プログラム
1
「海は果てしなく」
「オー・シャンゼリゼ」
「声のない恋」
「コーヒー・カラー」
「花の季節」
「リリー・マルレーン」
「さよならの誓い」
「シネマ」

2
「小さなカンタータ」
「百万本のバラ」
「音楽あふれるカフェにて」
「愛の追憶」
「愛の讃歌」
「哀しみのソレアード」

*いくつか曲を拾ってみる。
「声のない恋」アズナブールの曲。
一生声が閉ざして(ろうあ者)「モナムール」と言えない人の恋。その相手に「私の命賭けた私の声が聞こえますか?」と語りかける、せつない愛の歌。アズナブールは我が青春の歌だ。トリュフォーの映画「ピアニストを撃て」を想い出す。アルメニアからの移民で散々苦労した彼はこういう歌を歌わせたら絶品だった。まだ生きていたんですね。

「花の季節」ジプシー民謡?
有名な曲。「古い路地裏のカフェ/外国人街の奥」「輝く笑い声がこだましていた」とささやくように歌い出し、「あれは遠い花の季節/愛をささやいた頃」と続いてゆく。手拍子を入れさせる。有名なこの曲にはいろいろの歌詞を付けて歌われる。賑やかに会場を盛り上げ効果抜群の曲。

(東京の人は冷ややかで澄ましている!笑ったら自分の沽券に係わると思っているのか!と感じたかどうか?観客は常連のお客さんもいないし壮年の男性がほとんどで、地縁のない東京は愛想のいい関西人と違い、乗ってこない、、、)
東京人の私もそんな気取り屋決していいとは思わない。

ふと、歌い手の側に立っていた。ご本人が本当にどう思ったか関係なく、私の創作です。どうしたと思いますか?
私は感動した!持ち前の歌唱力で勝負したんです。熱演でお客さんの心をつかんでいった。改めて彼女を、音楽というものを見直した。

「リリー・マルレーン」
第2次大戦下ナチスのドイツで歌謡曲として作られ、多くの独兵が戦場でこの曲を聴いて故郷を思い泣いたという。敵対する英国でも兵士が歌った。米国に亡命していたディートリヒが連合軍の慰問で歌った。戦場の兵士が故郷の恋人への思いを歌ったこの歌はしみじみと聞くと泣けてくる。味方・敵を超えて深い意味での反戦歌だということがわかってくる。

「百万本のバラ」
加藤登紀子の訳と松山善三訳とあげて、松山訳のラトビア独立悲願の歌として歌っている。前回2014年9月5日のブログに触れた。

「音楽あふれるカフェにて」
パリには多くの移民がやってくる。夜、バルと呼ばれたカフェに集まって故郷の音楽を楽しんだ。ハーモニカ、アコーデオン、ピアノといった思い思いの楽器を鳴らした。この歌の面白さは民族楽器?の奏でる「奇声」「奇音」ともいうべきバルの描写である。移民たちの悲哀がかぶさってくる。

「愛の追憶」
1940年~44年までフランスはドイツに負けて、パリはナチスに占領された。その間マドモマゼルが独軍兵士と恋に陥った例もあった。悲劇は連合軍のパリ解放後。敵と愛したフランス女をフランス人は赦さなかった。民衆の面前で髪を坊主にして糾弾したのである。「年寄り女」という言葉にその意味が込められている。

「愛の讃歌」
エディット・ピアフの原曲にある「恋のためなら、宝石を盗み空の月さえ盗むでしょう」と、日本訳にある毒気を抜いた曲とは違った恋の破天荒の歌にしている。今回この曲が何故ラストに歌われるのかが分かった。ベースの音もよかった。別府さんのドラマチックな熱唱で最高に盛り上がったからである。この後は無いと言わんばかりに!

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  1. 2015/04/26(日) 22:40:51|
  2. 美術/ 音楽/舞台/読書/文学
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『2015年映画』「パプーシャの黒い瞳」(監ヨアンナ&クシュトフ.クラウゼ夫妻)4/20

『2015年映画』「パプ―シャの黒い瞳」(ポーランド映画。監・脚ヨアンナ&クシュトフ・クラウゼ
                                出、ヨビタ・ブドニク。ズビグニェフ・バレリシ

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映画冒頭のシーン、はるか上空から捉えたモノクロームのロングショットの映像、ヨーロッパの中世のような詩情あふれた情景。高台にそそり立つ城塞と川辺の村の家々。弾んだ弦の響きのジプシー音楽が鳴る。よく見ると静止画像ではなく画は微妙に動いて、森や田園を走る馬車の列の風景になってゆく。いわゆるジプシー(ロマ)がキャラバンを組んで旅する様子である。西欧絵画の名画のような幻想的な映像に心が奪われてしまった。
彼らは移動型の非定住民族で20世紀中頃までヨーロッパの各地を旅していた。彼らは何故森や田園を旅する非定住の人生を送っていたのか?何をして生活を立て、日々どの様に暮らし、どのような集団であったのか?彼らは文字を持たず(話し言葉しか持たない)詳しいことはわからないそうだが、、、
21世紀の現在、定住化政策によってジプシーは変わってしまった。だがヨーロッパの周縁に位置し貧困層を形成することは現代でもあまり変わりがないと言われている。

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<ものがたり>
17世紀に大国だったポーランドは1800年代に周辺3大国(露・独・墺)に分割され1910年パプーシャが産まれた時には国家が消滅していた。1910年、そこでジプシーに女の子が産まれた。パプーシャ(人形)と名付けられた。(第一次大戦後の1918年ポーランド共和国として復活した。)ジプシーは文字(書きことば)を持たない流浪の民であった。

パプーシャは成長するに連れ文字に興味を持ち、商店主の女主人から文字を教わる。ジプシーとして初めて文字を覚え、心の内を表現するような人間が登場した。多感なジプシーの少女は心豊かな女性として成長した。パプーシャはロマニ語をポーランド語のABCに置き換えることを独自に工夫し、感じた森や川の情景、ジプシーの暮らしと哀しみを歌いあげた。

1925年、彼女が15歳の時、ジプシーの風習として歳の離れた義父の一族の音楽家ディオニズィと結婚させられた。当時のジプシーの風習でもあったが彼女は夫を拒んで詩に歌い泣く泣く結婚する。
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「父なる森よ/大いなる森よ/私を憐れみ/子宮を塞いで下さい/」 
 
1939年、独軍ポーランドに侵攻。戦争中ナチスはユダヤ人に加えて「ツゴイナー」(ジプシー)根絶を掲げて東欧・ソ連・バルカン地方一帯で50万人のジプシーを虐殺した。パプーシャ達はウクライナの森に逃げた。虐殺現場から泣き叫ぶ赤子を命がけで救出、我が子(タジャ)として育てる。
(ナチスによる50万人以上の虐殺も頼りになる資料がないため詳細はわからないという。戦前のユダヤ文化、ホロコーストに対する巨大な研究母体と比較するとジプシーは大きな悲劇だ、と監督のヨアンナさんは言っている。)

1949年、パプーシャの一族の下に、ポーランド人の詩人フィツォフスキが逃げてきた。警官を殴って秘密警察から追われていた。パプーシャは彼の持っているたくさんの文学書に魅かれた。彼はジプシーの生活に馴染んだ。

 「緑の草は風にそよぎ/ 樫の若木は老木にお辞儀する/ 」
 「木の葉はささやく/ 放浪の人が逝ったと/ カラスが悼んで鳴く/ 」
 パプーシャの口からこぼれた詩にフィツォフスキは驚く。「君は詩人だ!」「歌を作るのは人形よ」

1952年、フィツォフスキの逮捕状が取り下げられた。彼女にとって彼との別れを意味した。詩を書いて送るようにと万年筆を渡され、彼女は自分のお守りを渡し強烈なキスで返す。

ワルシャワでフィツォフスキは彼女の詩集を出版した。パプーシャの詩はポーランド社会で大当たり!彼女は一躍「初めてのジプシー詩人」として有名になった。
(映画ではパプーシャの彼への愛を押さえて表現していたが、ポーランド詩人である彼への愛は、詩や文学に憧れていた彼女の激情を燃焼したであろうと想像させる。)

1952年、第2次大戦後各国は、ジプシーを極貧の生活と差別から解放し人間らしい生活を保障することが課題だった。特に「統制」を基本とする東欧社会主義にとって、「非定住の移動型生活」許せなかった。ポーランドでも「定住化のための大停止作戦」が行われた。
(住宅の提供、職業の紹介、子供の就学援助、興行・宿泊の取り締まり強化)

*パプーシャの詩集が評判になったのが、ちょうど「定住化政策」の時期だった。ジプシーにとって「定住化」の強制は、己の<レーゾンデートル>を揺るがす問題だった。パプーシャの好奇心の為に、彼らの秘事として護ってきた習慣が外部社会に晒されることは耐え難かった。

パプーシャ夫婦は一族や長老から糾弾される。そしてジプシー社会を追放される。夫からも彼女は責め立てられる。詩集を燃やして貰うとワルシャワに行くが、倉庫の大量の本に呆然とする。彼女は苦悩の余り錯乱して精神病院に入る。夫は彼女を世話する。フィツォフスキが見舞うが、夫「詩は医者に禁じられた」と言って面会を拒否する。

1971年、ハプーシャと夫ディオニズイ2人だけの孤独な生活。夫死ぬ。葬儀後、フィツォフスキが訪ねてくる。ハプーシャには彼がわからない素振りだ。
「ワルシャワで暮らしたらどうか?」/「無理ね、知った人がいないもの」
「まだ詩は生まれているかい?」/ 「詩を書いたことなど一度もない」
立ち去るフィツォフスキの後ろ姿に、パプーシャが小さく手を振るのを、彼は見なかった。

*主人公は憧れ愛した言葉によってジプシー初の詩人となったが、逆に言葉によって一族の秘密と風習を外部に晒した裏切り者として、彼らの社会から追放される。解説に当時のポーランド社会主義の「同化政策」に利用されたとある。ともあれ、彼女の詩は美しい。放浪の民の哀しみと苦悩を歌っている。

*<ものがたり>で私は便宜上年代順に整理したが、映画は1920年代に遡ったり現在に帰ったりと自由に時空を超えた展開をするのだ。詩人の生涯を詩的に描こうという意図なのか、カットの切り方も映像から映像へ続くというより、一つ一つの映像がそれ自体で画面に消えてゆく感じで、次の映像につながらない映写方法は面白いと思った。

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*ラストシーンで、雪で凍りついた広大な大平原を、ジプシーのキャラバン隊が走って行く。モノクロームの広大なロングカットの情景にパプーシャの詩が重なってゆく。ジプシー音楽の弦が響き渡る。

いつだって飢えて/ いつだって貧しくて  /  旅する道は/悲しみに満ちている
とがった石ころが/ はだしの足を刺す/    弾が飛び交い/耳元を銃声がかすめる
すべてのジプシーよ/ 私のもとへおいで/  走っておいで/ 大きな焚き火が輝く森へ
すべてのものに/ 陽の光が降り注ぐ森へ/  そして私の歌を歌おう/ 
あらゆる場所から/ ジプシーが集ってくる/  私の言葉を聴き/ 私の言葉にこたえるために

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*ジプシー詩人の生涯を描きながら近代ポーランド史が透けて見えて面白かった。ジプシーというと、ヴァイオリンの名曲「ツゴィネルワイゼン」「ハンガリー狂詩曲」とかフラメンコの原型やカルメンなどを連想する。東欧社会主義の「定住化政策」は彼らの生活の安定に役立ったのかというと、納得行かないものがある。彼らが持っていたジプシー独特の文化・風習を壊してしまった面を考えるのである。

ある日本のヴァイオリニストが演奏旅行の途中でヨーロッパの或る町に立ち寄った。街の酒場で「ツゴィネルワイゼン」を聴いた。魂が張り裂けるような感動をした。ジプシーの奏者だった。彼から実際に聞いた話だ。

*「ジプシー」は差別用語だが「ロマ」と言い換えても彼ら全部を包括出来ない。映画では止むを得ず「ジプシー」という呼称を使っている。

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*監督・脚本
・クシシュトフ・クラウゼ(1953~2014、ワルシャワ生まれ。)
79年、「語形変化」が高く評価された。88年「ニューヨーク、朝4時」で新人監督賞。「借金」(99)「救世主広場」(06)それぞれグランプリ。日本公開の「ニキフォル知られざる天才画家の肖像」(04)外国の有名な賞に輝く。癌のため14年永眠61歳。本作が遺作となった。
・ヨアンナ・コス=クラウゼ(1972~、オルシュティン生まれ。)
テレビでスタート、脚本家として売り出す。「借金」「ニキフォル~」の脚本、「救世主広場」から共同制作、クシシュトフを失ったが二人で企画した次回作、ポーランドとルワンダで、ジェノサイドの後にいかに生きるかを見つめた心理的な映画を製作中。


  1. 2015/04/20(月) 21:54:55|
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『2015年映画』「ジヌよさらば~かむろば村へ~」(監、松尾すずき。出、松田龍平)4/15

『2015年映画』「ジヌよさらば~かむろば村へ~」(監、松尾スズキ、出、松田龍平、
                              阿部サダヲ、西田敏行、松たか子、
                         二階堂ふみ、片桐はいり、荒川良々、4/15
 
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「ジヌ」とは銭即ち金のこと、題名は「お金が支配する社会よ、さようなら。お金と無縁のかむろば村へようこそ!」というぐらいの意味。映画は「銭社会」に対する痛烈な皮肉を込めた、現代社会の風刺を狙った作品。

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いがらし・みきおの漫画「かむろば村へ」が原作、「大人計画」の松尾すずきが監督、個性的な俳優が出演。

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主人公のタケ(松田龍平)は東京の銀行で働くうちにお金を「触れない、使えない、欲しくない」の三拍子揃った「金アレルギー」に罹って銀行を首になってしまった。お金のために醜い争いをしたり、倒産や借金苦で首を括ったりする世相を余りにも見過ぎてしまったからだ。

農業をやって一円も使わない生活をしようと決心した彼は、東北の限界集落寸前の村に移住し、自給自足の生活をしょうとした。

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だがその村は異常なまでに世話焼きで何かウラがありそうな村長(阿部サダオ)と美人の奥さん(松たか子)。

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やたらに写真を撮る自称「神さま」の老人(西田敏行)と子供なのにザリガニを操り異常な力を見せる孫。

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嘘つきの女子高校生(二階堂ふみ)とヒモみたいなヤクザ(荒川良々)。レザー服でハーレーに乗っているスーパー店員(片桐はいり)など、異次元の一癖ありそうな世界だ。

無鉄砲なタケの「0円生活」は村に大波乱を巻き起こし、様々なトラブルを起こす。だが彼の憎めない性格と無鉄砲さが、村人たちに呆れられながらも助けられて何とか「0円生活」をおくってゆく。
村長の過去の因縁のヤクザが登場すると、村の空気は一変し、村長選挙や隣の市による合併問題が起こり、主人公がこれからどうなるかよりも怪演の阿部サダヲや荒川良々のドタバタが映画の主軸になってゆく。

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物語が後半バタバタしてゆくが、もっと壊してよかったのではないか。異次元の舞台を設定し、怪優を揃えたのだからもっと奇想天外の展開になってもよかったのではないかと思えてくる。とにかく、ここに出演した俳優たちは何かしてくれそうな期待を抱かせるからである。

* 松尾すずき劇団「大人計画」主宰。1962~演出・俳優
  「大人計画」には宮藤官九郎、阿部サダオ、荒川良々など怪優、売れっ子の脚本家が結集している。




  1. 2015/04/15(水) 05:00:01|
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『2015年映画』「妻への家路」(監督T・イーモウ、主演コン・リー、T・ダオミン4/10

『2015年映画』「妻への家路」(監督チャン・イーモウ、出演、妻コン・リー、
                   夫チェン・ダオミン、娘チャン・ホエウェン  4/10
  
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*北京オリンピックの演出・中国映画界の巨匠のチャン・イーモウ監督が、20年振りに国際的大女優コン・リーとのコンビを組んだ「夫婦の愛の物語」である。

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<ものがたり>
1970年代の中国、「文革」真っ盛りの北部の町。大学教授の夫は「右派の反革命分子」として収容所に送られ、妻は娘と夫の帰りをひたすら待っていた。
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夫が収容所に送られた時、3歳だった娘の丹丹も成長しバレリーナを志して、一流のバレー団で将来有望な踊り子である。父の脱走に絡む事件があって、丹丹がバレーを止めることや母親との仲たがいがおこる。

それから数年後、文革が終結し父が収容所から解放されて帰ってくる。妻とは20年振りだ。変わりないかと帰ってゆくと妻は夫を認識出来ない。他の人は認識出来るのに夫だけダメだ!
 
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ある日、夫の荷物が収容所から届く。中に手紙がたくさん入っている。粗末な紙や切れ端に書いたものだ。収容所で送る当てもないのに妻恋しさに綴ったものだ。中に「5日に帰る」という文言があった。妻カレンダーの5にマルを付ける。

妻大きな白紙に夫の名前「陸焉識(ルー・イエンシー)」と書いてプラカードを作る。5日になるとプラカードを持って駅に行って立っている。夫全てを見ていて堪らなくなって「僕だよ!」と言うが妻の反応はない。

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夫と娘は医師に相談する。「帰ってきたのは何年ぶりか?」/「20年」。「あなたの(夫)姿・顔の表情は昔と変わりがないか?」/「歳をとったから大分老けた」。
そこに原因がありそうだ。「昔一緒に共有した場所・映画・音楽・手紙などを一緒に体験するといい」医師はそのように言った。
(流れた歳月と心因性の問題として娘の行為・文革の過酷さがあるように思うのだが)
古いアルバムを見ると夫の顔が全部破られていた。プラカードが雨にぬれて文字が消えたので書き直そうとすると、夫の名前が書けない。(痴呆の始まり?)

妻の留守にピアノを弾く。昔よく弾いた曲だ。帰って来た妻が階段を思い詰めた表情で上がってきてそっと夫の肩に手を添える。夫、耐え切れず泣き出して妻を抱きしめる。「あなた、どうしてこの曲を知っているの?」夫の手を振り払う。

夫、手紙を読みに行く。「砂漠で砂運びをさせられている。もの凄い竜巻に襲われた。お前達に会いたい!丹丹の夢をよく見るよ!会いたい!」妻、ぼっーと聞いている。終わると次の手紙を読んでくれという。

手紙を読む人になって毎日通うが、空しくなって行かなくなる。丹丹が励ます。

何年か時が流れる。

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雪が降る5日、車椅子に乗せて駅に通う夫婦。プラカードを持つ夫と車椅子の妻、大勢の乗客が降りてくる。妻「あの人かしら?」と探す。誰もいなくなった駅。あゝ、今日も帰って来なかった。」「あなた、何時になったら帰ってくるんですか?」

<感想>
妻の記憶はいつ戻るのだろうか。妻は夫の帰りをひたすら待っている。夫はそういう妻を見ながら、介助しながら見ているだけ。切ないですね。切なさを描きながら無償の、至上の愛を表現したものですね。
コン・リーもダオミンも巧いですね。丹丹役のホエウェン、文革最中のバレーの時と父が帰ってきてからとは違うように演じていましたね。彼女のバレーもキッとしてよかったよ。「アジアワールド」という所の新人賞に輝いたそうです。

* 『監督』チャン・イーモウ(1951年~、陜西省西安出身、北京電影学院)
中国映画界の巨匠。66年「文革」で農村3年工場7年下放。87年「紅いコーリャン」でベルリン金熊賞、コン・リーのデビュー作にもなった。
90「菊豆」91「紅夢」92「秋菊の物語」94「活きる」99「あの子を探して」99「初恋のきた道」外国の有名な賞を総なめする。06コン・リー主演の「王妃の紋章」08北京オリンピックの演出、南京事件に取材した11「金陵十三釵」

* コン・リー(1965年~瀋陽市出身、シンガポール国籍)
87年チャン・イーモウに見いだされ「紅いコーリャン」デビュー。95年までイーモウの公私共にパートナーを務め、彼の殆どの作品の主役を務めた。外国の女優賞に輝く。93年陳凱歌監督の「さらば、わが愛、覇王別姫」さらに評価が高まる。99「きれいなおかあさん」06年10年ぶりにイーモウの「王妃の紋章」に主演、最優秀主演女優賞に輝く国際的な女優である。

* チェン・ダオミン(1955年~天津出身、演劇関係の賞に輝き代表的俳優)
多くのテレビ・ドラマに出演し、「末代皇帝」「中国式離婚」「HERO」03年にトニー・レオンと共演した「インファナル・アフェアⅢ終曲無間」が高く評価。

* 『文革』
中国で1966~77年まで続いた政治・社会的騒乱。数千万人の餓死者を出したといわれる「大躍進政策」の失敗によって政権の中枢から退いた毛沢東が自身の復権を画策した。腹心の林彪らに命じ実権派を追い出し、10代の少年少女を「紅衛兵」として組織して実権派や修正主義者を「反革命分子」として吊し上げ糾弾をおこした。共産党の幹部、知識人、旧地主などが対象になった。紅衛兵の熱狂は収まりがつかず農村・工場で実務に就くという「下放」に放った。林彪事件、四人組事件を経て76年の毛沢東の死で終結。文革中の死者は40万人、被害者1億人と言われている。
監督のイーモウは「下放」の体験者、映画で「家族の悲劇&夫婦の愛の物語」として描いている。現実はもっと過酷・惨劇だったと思う。



  1. 2015/04/10(金) 17:07:40|
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『2015年映画』「神々のたそがれ」(ロシア映画監督アレクセイ・ゲルマン)4/5

『2015年映画』 「神々のたそがれ」(原作ストルガツキー兄第。
                     監督アレクセイ・ゲルマン 4/5
                 出演レオニード・ヤルモニク、アレクサンドル・チユトウコ 

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野卑と愚昧、汚物と猥雑、圧政と暴虐に満ちたモノクロの世界が延々と展開する。ここはどこの世界か?はるか遠く昔の時代の話か?どこかの違う惑星の話だろうか?

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ロシア映画・アレクセイ・ゲルマンの遺作「神々のたそがれ」は、汚泥と野卑・圧政と暴虐に満ち溢れた世界だ。豪雨に見舞われ地面は常に泥でびちゃびちゃになっている。人々は汚物にまみれ権力の恐怖にさらされるシーンが3時間も続くのだ!
いや、これはソ連スタリーン主義の圧性の精神的な風景なのだ!首つりの処刑人と泥だらけの農村風景。「神々のたそがれ」全編がスタリーン主義の、それを生み出したロシアの(ドストエフスキーの世界でもある)ネガティヴな風景なのだ!

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原作はソ連のストルガツキー兄弟のSF小説「神様はつらい」の映画化。地球より800年歴史が遅れた或る惑星に科学者が派遣された。その惑星は中世末期。絶対的権力を持つ君主の恐怖政治が知識人や芸術家の拷問・処刑を行われていた。大学がまず破壊され、書はことごとく燃やされる「焚書」、知的なものを一切この世から抹殺しようとしていた。クシス大佐率いる、グレイの制服を着た「灰色隊」が破壊・処刑を担っていた。

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地球から来た学者の中のドン・ルマータは、惑星の異教神ゴランの私生児と間違えられ人々に恐れられた。彼は「灰色隊」から追われている知識人たちを匿った。ルマータは「灰色隊」の急襲を受け、絞首刑を言い渡される。すると、どこからか修道僧の一隊が表れドン・ルマータを救う。ドン・ルマータと「灰色隊」との壮絶な闘いが繰り広げられる。

兵士が乗った馬の群団が雪原を走って通り過ぎ、一匹の野良犬が絞首台に吊るされた。そして誰もいなくなった。
(世界の終末の暗示か?)

氷雨降る泥だらけの中で争う男たち。魚や鳥・刑死体があちらこちらに吊るされている。鳥、獣、魚がひしめき、全裸の狂人が道を横切る。気味よな音が聞こえてくる。この奇怪な世界は何だろうか?

あのボスやブリューゲルの世界ではないか!500年前にボスやブリューゲルが描いたネーデルランドの庶民の祝祭と地獄の世界。あの再現としたらあまりにも汚泥すぎる。汚すぎる!ボスの色彩は遥かに美しいぞ!

スターリン時代を生き延びて、ソ連崩壊、スタリーンの秘密警察、反体制知識人への弾圧、ロシア精神病院の実態、チェコへの戦車での弾圧と、スタリーン主義の、ソ連史のどす黒い暗い影が投影されている。監督A・ゲルマンのつくり上げた映像世界がその全てを語っているのだ。


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*原作、ストロガッキー兄弟「神様はつらい」
  監督、アレクセイ・ゲルマン
1938年レニングラード出身、父親は有名な作家のユーリー・ゲルマン。60年レニングラード演劇・音楽・映画大学卒。舞台助手を経て71年、父の「道中の点検」を監督するも、「歴史を歪曲している」と上映禁止。77年「戦争のない20日間」はフランスでJ・サドゥール賞受賞。84年父の「わが友イワン・ラプシン」を制作するが、ロシアで3年間お蔵入りになる。が、86年ロカルノ映画祭で銀豹賞受賞。90年代「フルスタリョフ、車を!」に取りかかり、98年ロシアで多くの賞に輝く。00年「神々のたそがれ」に取りかかり13年全精力を傾けるが、13年心不全で死去。享年74。ゲルマンの遺志をついだ妻子の手により完成。

71年の「道中の点検」から80年代末のペレストロイカまで全ての監督作品が上映禁止の処分を受けている。検閲に引っかかって映画をまともに撮れなかった。「フルスタリョフ、車を!」糞尿に塗れるかのような孤独な独裁者が、死の床でさえも粛清の陰謀を企んだ事件の映画化。「医師団陰謀事件」。クレムリンに勤めるユダヤ人医師追放事件=反ユダヤ主義の風潮の煽り。ゲルマンはタルコフスキーと並ぶロシア映画界の巨匠。器の大きい映画監督である。


  1. 2015/04/05(日) 18:17:58|
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