FC2ブログ

私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『美術/音楽/舞台/読書』「コレクションの作家たち(3) 写真 ③」 2/26

『美術/音楽/舞台/読書』「コレクションの作家たち(3)写真 ③」  2/26

私はここで「フィオナ・タン」について書いた。ところが、彼女の作品「まなざしの詩学」が昨年東京都写真美術館で、今大阪の国立国際美術館で開催されているのを知った。(~3月22日まで)私は先日まで不明にも知らなかった。当然見に行きたいという気持ちでいっぱいになった。せっかく日本で展覧会をやっているのに見逃すことはあるまい。この2~3日迷っていたが思い切って来週にも大阪に行くことにした。

*「フィオナ・タン=まなざしの詩学」国立国際美術館

実際に見た上で、再考して掲載したいと思う。

    
『9』「松江泰治」(1963年東京都出身、87年東大地理学科卒、写真家。)

DSC_5172_20150226153048a45.jpg

DSC_5173.jpg

2002年、木村伊兵衛賞。空撮による都市や自然の風景を撮った。
DSC_5192_20150226153047072.jpg

世界各地の「風景」を「地表」として捉え、「地球の表面のサンプルを収集する」というテーマのもと、一貫したスタイルで撮影を続けてきた。
DSC_5191_201502261530445ed.jpg

それは世界の地表ー山岳、砂漠、森、都市を俯瞰的な視点でとらえることでもあるという。画面から影や陰影を無くし情緒性を削ぎ落したフォートが出来上がる。


『10』「杉浦邦恵」(1942年名古屋出身。63年シカゴ美術大学。国内外で活躍の写真家)

杉浦①

杉浦の方法は野外で光を基にした写真ではなく、カメラを用いず、暗室で印画紙の上に直接にモノを置いて感光させて生み出す「フォト」である。
マン・レイが編み出した技法。日常のモチーフを白黒のフォトグラムで、少しのブレが時間の流れと風の感覚を運んでくる。

花、葉、枝、など、日常生活のモチーフをフォトにした彼女の作品は、微かなブレが時の流れといずれより吹いてくる繊細な風の感覚を呼びおこす。

DSC_5177.jpg

60年代、シカゴ美大に在籍、コンセプチュアル・アートの影響を受けた。60年代カラ―。70年代キャンパス上に写真とアクリルを塗付した作品。80年代日常のモチーフを定着させたフォトを発表。


『11』「アンディ・ゴールズワージー」(1956年英国生まれ。スコットランド在住の芸術家で写真家。)


「樹木の上の幼子」
DSC_5187.jpg


「アース・アート」または「ランド・アート」といわれる芸術潮流が1960年代の米国で流行した。石や土など自然物を素材として、砂漠や森などに作品を構築する。米国の商業主義への反発から生まれたと言われたが、根底には米英の先住民文明やケルトなどの自然信仰を偲ぶといった発想や行き詰った物質文明からの解放という願いも込められていた。

DSC_5182.jpg

英国の芸術家・A・ゴールズワージーは、野の草花や木の枝を編んだり、石を組み合わせたり、雪や氷を使ったりして作品を制作したりした。それを写真に撮ったり、美術館で再現したりした。

DSC_5188.jpg

「アース・アート」の潮流に乗りながら、彼の柔らかな感性がいい!物質文明に縛られて干からびた感性を解放してくれるに違いない。ネットを調べてゆくと「ゴールズワージーの写真集が見たい」という記事を目にする。乾いた日常からの痛切な叫びなのだろうか。

「ノートのスケッチ」
DSC_5183.jpg




続きを読む
スポンサーサイト



  1. 2015/02/26(木) 15:41:58|
  2. 美術/ 音楽/舞台/読書/文学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

『美術/音楽/舞台/読書』「コレクションの作家たち⑵ 写真②」2/23

『美術/音楽/舞台/読書』「コレクションの作家たち ⑵写真②」 2/23

『4』「田原桂一」 1951年、京都府の生まれ。

写真家の祖父の影響で中学の時に写真の技術はマスターした。高校卒業後ある劇団の照明
と映像を担当して、72年劇団のヨーロッパ公演に同行して渡仏。そこで出会った日本の柔
らかい光とは違うヨーロッパの刺すような鋭い光に衝撃を受け、パリにとどまり写真家と
して活動を始める。
*田原桂一の出発点で「うーん」と参ってしまった。初めてのパリで日本の柔らかな光とは違う「刺すような鋭い光」に衝撃を受け、そこに留まって活動を始めた彼の精神の行動に強く同感したのだ。まるで小説の冒頭のシーンのようだ。どのような展開が待っているだろうか。

「都市」(73~76)
彼が始めた仕事はパリの街をモノクロームで捉えることだった。石造りの道や建物の暗い色彩・質感・明暗を白と黒の世界に捉えることだった。浮かびあがったパリの街並みは、、、DSC_5107_20150223142828740.jpg

「窓」(74~83)
DSC_5103.jpg
屋根裏部屋の窓越しに捉えた風景。単調なイメージの繰り返しに、刻々と移ろってゆく光を捉えた。

「トルソー」(87~95)
DSC_5104.jpg
トルソーの各部分を光の微妙な明暗を描き分けた作品。明と暗の底知れぬ深さを探っているかのように。

*フランスで大賞を取り日本より外国で国際的な地位を確立。「木村伊平衛賞」「フランス文化勲章」などの数えきれない賞に輝く。
この後、田原桂一は様々な実験の末、写真の枠組みを超えた造形的・空間的作品へと展開してゆく。が、私にとって初期の彼の生き方、自己の感性にむきあった行動,初々しい感性に共感するのである。


『5』畠山直哉 (1958~陸前高田の出身。筑波大芸術研究科。写真家)

生家の近くに大規模の石灰石鉱山があったことから、子どもの頃から出入りしていた鉱山の現場や発破の瞬間、都会の建築群や地下水路などを多く撮影するようになった。
DSC_5108.jpg

*都市への関わり方がネガティヴから(悪い意味ではなく)である。石灰工場、炭鉱のボタ山、パリ地下の石の採掘跡、高所から見た都市の俯瞰図、都市の解体(大阪球場の解体)、
DSC_5111.JPG鉱山工場

都市の裏側(ビルの谷間を流れる渋谷川)などユニークなことから発想する。多角的な都市像の発見である。
DSC_5112.jpg

*故郷・陸前高田、東日本大震災で実家は流され母を失った。以来激変する故郷を撮り続けている。
DSC_5115.jpg


『6』山崎博 (1946年長野県生まれ、日大芸術科中退。武蔵野美術大教授。写真家)
コンセプチュアルアート。観念的、概念的、記号や文字などによる表現。


『7』 佐藤時啓 (1957年,酒田生まれる。芸大彫刻科卒、芸大教授。彫刻より写真に転じる。
 

大型カメラによる夜の風景の長時間露光の写真
DSC_5123.jpg

駅の夜景。
長時間露光による駅の夜景。流れた時間やその間の動きが記録される。一瞬では写すことが出来ない暗いシーンや、被写体の動きの軌跡などが記録できる。

DSC_5122.jpg

ピンホールの原理 
DSC_5121.jpg

代表作「光―呼吸」ではレンズの前に広がる風景の中を、作者自身が鏡をもって自由に動き回り、鏡に反射する光と移動の軌跡をカメラに収めた。夜の風景で光が点在する不思議な世界を捉えた。
DSC_5130.jpg


『8』「オノデラユキ」(1962~、パリを拠点に活動する写真家。東京出身、桑沢デザイン卒、)

92年、キャノン「新世紀優秀賞」受賞。93年からパリに拠点を移して活躍、イメージを重ねた幻想的な写真が評価された。フランスの権威ある「ニエプス賞」を田原桂一以来2人目の受賞。
*「古着のポートレート」空を背景に古着を写す。
DSC_5133.jpg

DSC_5135.jpg

2010年の「オノデラユキ写真の迷宮」のポスターだが、作品の意図がよくわからない。



  1. 2015/02/23(月) 14:17:16|
  2. 美術/ 音楽/舞台/読書/文学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

『2015年映画』「愛して飲んで歌って」(アラン・レネ監督遺作)岩波ホール2/14~2/21

『2015年映画』「愛して飲んで歌って」(岩波ホール2/14~
                       監督アラン・レネ原作アラン・エイクボーン
                       出演ザビーヌ・アズマ。イボリット・ジラルド
                       カロリーヌ・シオル。  2/21

DSC_5116.jpg

昨年91歳で逝ったフランス映画の巨匠、アラン・レネの遺作。イギリスのアラン・エイボーンの戯曲の映画化。
田舎道から一転して英国の地方都市の書割セット(芝居の大道具、木枠に布や紙を張り付け、建物や風景などの舞台の背景を描いたもの)から3組の夫婦が出たり入ったり、これがお伽噺のような非現実の寓話性たっぷりなお話だと匂わせている。

ジョルジュという旧友が余命幾ばくも無いと知った3組の夫婦が、彼の残りの人生を有意義なものにしょうと一致団結。実は彼と過去を持つ3人の妻たちが、誰がジョルジュとの最後の時を持つかを巡り、火花を散らす駆け引き。夫たちは妻のジョルジョへの思いに翻弄されて右往左往する。

フランスの演劇はアクションより台詞劇である。格調高い言葉の闘いのドラマである。エスプリとユーモーア、辛辣な皮肉とジョーク、高尚な台詞の裏に隠されたエゴの毒、と華々しい台詞の舞台である。映画も然り!

ジョルジュというカリスマ性を持つ旧友が画面に一度も姿を見せず、見ている我々の想像の世界で活躍するが、監督アラン・レネを重ね合わせて見てしまう。スタンダールの有名な墓誌銘「書いた、愛した、生きた」ではないが、「愛して、飲んで、歌って」のように人生を大いに謳歌せよ」とアラン・レネは言っているかのようだ。遺言になった。

* <アラン・レネ>(1922~2014.フランスの映画監督)
48年、ドキュメント「夜と霧」
66年、「戦争は終わった」
59年、「二十四時間の情事」
61年、「去年マリエンバードで」=ヴェネツィア・金獅子賞
74年、「プロビデンス」
80年、「アメリカの伯父さん」=カンヌ・審査委員特別

「夜と霧」はアウシュヴィッツ強制収容所の真相を最初に知らせてくれた貴重な作品。衝撃的だった。ナチの悪業を知ることになる。
「二十四時間の情事」は美しいフランス人の女優(エマニュエル・リヴァ)と岡田栄次との情事を憧憬のまなざしで見た記憶がある。かつて独軍の将校の情婦の体験を持つフランスの女と原爆体験の男、互いの意識の深層に残った傷が浮かびあがってくる。
「去年マリエンバートで」ヨーロッパのどこかの高級ホテル。ある男が美しい婦人に近づき、「去年マリエンバートでお会いし、お話し、ここで会う約束をしました」と語りかける。女訝しげにしている。男執拗に問いかける、、、
人間の過去と現在との意識の交錯を描く。説得の、コミュニケ―ションの可能性を問う映画。
チェコを旅行していた時、マリエンバートのモデルになった「マリアーンスケ―・ラーズニェ」という町を通った。ドイツ国境のカルロヴィ・ヴァリ(映画祭の開催地)に近く、温泉が湧くので有名な一帯であった。



  1. 2015/02/21(土) 21:00:10|
  2. 2015年『映画』
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

『美術/音楽/舞台/読書』 「コレクションの作家たち ⑴ 写真①」 2/19

『美術/音楽/舞台/読書』 「コレクションの作家たち⑴写真① 」 2/19

中原コレクションを見てから、せっかく戦後前衛芸術の作品を見たのだから私の中で整理をしておこうと思った。だが、抽象絵画も写真も殆ど知らないことに気が付いた。私の勉強のためのメモ程度のものになった。

DSC_5049_201502191915095f3.jpg

 ① 写真・映像 その ㈠

<写真史>
「ピクトリアリズム」(写真は初め絵画的な風景・静物・肖像を製作した)から、
「モダニズム」(写真本来に帰って、写真にしか出来ない作品の追求)と展開し、
「ストレート」か(出来るだけ生の現実を撮る、写真技法を加えず撮る)、
「前衛的」(写真独自の技法を積極的に用いて前衛的な作品を撮る。未来派・ダダ・シュールと連動した)かに分かれた。
1920年代、「報道写真」(フォートジャーナリズム)が流行になる。写真は真実を写す、「やらせ」「うそ」はダメ。真実の追求が「報道写真」のバックボーンになった。しかし、真実は見方を変えれば1つだけではない。複数の中から選択できる。写真家の選択による「真実」が問題になる。切り取った画像の視点・感性が問われる。
1960年代、報道写真の神話が崩れていく。「コンセプト主義」(全体を貫く基本的概念に基づいて制作する)その至上主義のためか、薄っぺらな写真が増産される。デジタル時代に入りカメラ付き携帯など安くて誰にも写真を制作出来る時代になった。
* コレクション展に登場した写真家たちは以上のアート史の流れの中にいた。殆どの人が1940年代から50年代の世代である。活躍したのが70年代か80年代から今まで。コレクター中原夫妻の活躍時期でもあった。

『1』 「藤塚光政」(1939~東京。61年、写真短大。)建築写真。写真でどのような挑戦をしたか?
*「視点を変える」=空撮、空から地上を撮る。 

DSC_5093.jpg
・アリゾナの空軍基地。
・メスカルティタン(メキシコ、ペドロ川の三角州―乾期は地続き、雨期は島。)
・エジプシャン・バザール(インスタンブール、L字型のバザール。左奥にガラタ橋とボスポラス海峡)などを空撮して独自の映像を製作した。

1 空撮によって、地上からは分からないものが見える。街の様子・建築が作られることで起きる街の変化がわかる。建築からの(高層など)風景は地上からとは違うもの。
2 空撮の欠点。 高度差がわからない。フラットに見えてしまう。

*「インテリアデザイナーの大家・倉俣史郎を追う」=倉俣史郎と高松次郎の合作空間を藤塚光政が撮る。グループ展の面白さである。
DSC_5095_20150219191506767.jpg

(60年代末~70年代初、美術・音楽・建築・写真・演劇などで、様々な分野が交流し、
表現の在り方とその根拠となるものについての根源的な問い直しが行われた。)
新宿のバアー「カッサドール」の内装を倉俣が請負、壁画を高松に依頼その写真を藤塚が撮った。「描かれた人の影と実際に訪れた客の影が交差する」実在と不在の併存の視覚化、、、幻想的で現実的作品になったのではないか。
高松=影を既存の美術の枠組みから解放するー純粋なコンセプトの実現。
倉俣=インテリアを超えた新たな空間の在り方と概念の提示。
藤塚=それらを撮ることによって総合的世界を提示。

* 天才的インテリアデザイナー「倉俣史郎」の作品を写真に撮ることも藤塚の仕事だった。「ミス・ブランチ」
DSC_5088.jpg
「倉俣史郎」(1934~1991)インテリアデザインの大家。国際的にも評価が高かった。
56年、桑沢デザイン卒。三愛宣伝課。
67年、高松次郎、横尾忠則らとコラボレーション。
70年、万博、変形家具。
90年、フランスの文化勲章を受章。
91年、急死、享年56歳。
上の作品、「ミス・ブランチ」は造花のバラを1つ1つピンセットで固定し、アクリル内部に配置するというハンドメイドに近い手法。
* 素晴らし!この感覚!、、、どこからわいてくるのか。


『2』「杉本博司」(1948~東京、御徒町。ニューヨークを拠点の総合的芸術家。立大卒。)

70年、ロスのアートカレッジ写真を学ぶ。74年、ニューヨークへ移る。
76年、 自然史博物館の「ジオラマ」を撮影。ニューヨーク近・美が買い上げ。
   全米の映画館で撮影した「劇場」シリーズ。
*彼が渡米した70年代の米国では写真が問い直され、映像が氾濫していた。
*杉本はモダニズムの立場にたって、人為的な嘘の「ジオラマ」や「蝋人形」を撮影する。

DSC_5099.jpg

「マダム・タッソー蝋人形館」の偉人たちの人形を16世紀の絵画のようにまるで本人を撮影したかのように、しかし蝋人形故に偽物だと提示した。99年からの「ポートレイト」に収められた。
79年、ニューヨークで古美術商。
80年、 世界の海を同じ手法で撮影した「海景」シリーズ。

DSC_5098.jpg

*杉本は表象不可能な「時間」を撮影しょうとして「海景」を制作。(人類が最初に見た風景はどのような海か?)大型カメラで水平線が中央にくる様に撮る。太平洋・大西洋・インド洋でもない。海は生命の原点。
01年、 ハッセルブラッド国際写真賞。
10年、紫綬褒章。作品の所蔵は世界各地の代表的な美術館。
11年、杉本博司密着取材したドキュメンタリー「はじまりの記憶」(監督中村裕子。音楽谷慶一郎。出演杉本博司)(オリジナルサウンド=渋谷のピアノ、カバー写真に杉本の「ル・コルビュジェの建築」が使われている。
DSC_5096.jpg

* 彼の写真は市場で高価だ。○が2桁も3桁も違う?!

『3』「宮本隆司」(1,947年 東京世田谷生まれ。多摩美卒、写真家。神戸芸術工科大教授。)

廃墟や近代建築の取り壊しの写真が多い。
DSC_5100.jpg

86年、「建築の黙示録」

DSC_5101.jpg

88年、「九龍城砦」
90年、 阪神・淡路大震災後の「神戸」を撮り、ヴェネツィア・ビエンナーレ建築展で金獅子賞
建築の建設過程も題材とする。
04年、 回顧展「壊れゆくもの、生まれいずるもの」(世田谷美)
*宮本隆司が廃墟や建築取り壊しの写真が多いと聞いて、ネガティブな発想に興味を持った。ネガティブこそ、近代芸術の基盤だと思うからだ。又、彼の建築写真から構成のダイナミズムに関心を持った。



  1. 2015/02/19(木) 18:33:26|
  2. 美術/ 音楽/舞台/読書/文学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

『美術/音楽/舞台/読書』「中原洋と道子のアートコレクション展」(鎌倉画廊)2/15

『美術/音楽/舞台/読書』「中原洋と道子のアート・コレクション展」
                        (鎌倉画廊2/6~2/15)2/15



これは個人のコレクションです。大手広告代理店で活躍した中原洋さんと夫人の早稲田名誉教授中原道子さんご夫妻が、長年にわたって収集したコレクションです。

DSC_5051.jpg

道楽で集めたというよりも、作家と生きた同時代性の証です。お二人が美と知と情で生きてきた人生に附随して生まれた産物という感があります。戦後から現代の前衛芸術と共に生きてきた者ならではの視点を感じます。特別の愛着があると想像します。作品は美術・絵画・写真・デザイン・版画・彫刻・アジアの布と多岐にわたります。

<館内の様子>
DSC_5077_20150215142720321.jpg

<クロード・ヴィアラの作品>
DSC_5076.jpg

<美術・絵画>
オノサトトシブ、マルコ・ティレッリ、富山妙子、草間彌生、高松次郎、松本陽子、河鐘賢、尹錫男、金晶烈、クロード・ヴィアラ、ロジャー・アックリング、

<松本陽子の作品>
DSC_5057.jpg

<草間彌生の作品>
DSC_5060.jpg

<写真・映像作品>
藤塚光政、杉本博司、宮本隆司、田原桂一、畠山直哉、山崎博、佐藤時敬、オノデラユキ、松江泰冶、杉浦邦恵、アンディ・ゴールズワージー、イスマイル・ハシム、フィオナ・タン、

<フィオナ・タンの「海上の廃墟」>
DSC_5086_201502151613495bf.jpg

目を奪われ、心を奪われた!私の魂を鷲掴みにした。
「フィオナ・タン」中国系インドネシア人の父、オーストラリア人の母との間にスマトラで生まれた。現アムステルダムに拠点。映像作家。「まなざしの詩学」が現在注目。「人間の存在が時間や場所とどのような関わりがあるか?」「アイデンティをつくり上げた記憶とは何か」などのテーマを追ってきました。

フィオナ・タンの<まなざしの詩学>
DSC_5081_20150215161348ad9.jpg

<デザイン>
小森誠、仲條正義、立石大河亜、

<版画>
浜口陽三、菅井汲、山本容子、

<彫刻>
原口典之、篠田守男、秋山陽、デゥィッド・ナッシュ、ルイージ・ニーベルソン。

<アジアの布>
「東南アジア史」が専門の道子先生がアジアへ度々出張した都度買い求めた<布>多数展示。
<昔の朝鮮のジャケット>
昔の朝鮮上着

<道子先生が関わっているフェミニズムの作家、韓国のオモニの原像を描く、 「尹錫男ユン・スクナム」の作品「999」他
 DSC_5085.jpg
 

*私は前衛芸術、抽象芸術に疎くほとんど知らなかった。調べていく内にご夫妻のコレクションが優れたものだと感心しました。収集した作家が時代のテーマに関わり、突き抜けていったアーチストであったと思いました。個人史に関わり個人史を超えた優れたコレクションです。有難うございました。
*鎌倉画廊は現代芸術に特化したギャラリーだそうです。風光明媚な鎌倉山ロータリの目の前にあります。展覧会は2/6~2/15の期日なのですが、見に行ったのが2/14、本日15日で終了で申し訳ありませんが簡単に概略だけをお知らせします。


  1. 2015/02/15(日) 17:22:21|
  2. 美術/ 音楽/舞台/読書/文学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

『日記』 「イスラム国(IS)日本人人質テロ事件ーその後」 2/12

 『日記』  「イスラム国(IS)日本人人質テロ事件ーその後」 2/12


 2/1(日)
早朝、とうとう後藤さんを殺害したとの映像声明が、インターネット上で公開された。昨年から始まった人質事件が最悪の事態で終わった。
日本人を殺害し、今後も日本及び日本人をテロの対象にするぞ、という脅迫で終わったことは、今後の日本の在り方に 重要な転機を迎えることになる。今までの日本とは違うところへ、否応なしに引きずり込まれた。海外で働いている日本 人はどうなるのだろう、、、海外旅行なども心配になる。

*事件のメモ
2014年
 昨年の夏から日本人2名が(後藤さん・湯川さん)ISに拘束されて、政府は現地(ヨルダン?)に対策本部を設置。12月後  藤さんの妻に20億円の身代金要求メール。
  ・(昨年までに政府は救出に向けて何をしたかを問う)
2015年
 1/7  フランスの週間紙にイスラム過激派のテロ事件(12名死亡、8名重傷)全仏で抗議の「表現の自由を守れ」のデモ   370万人
 1/17  安倍首相、中東歴訪の旅・エジプトで演説。
  ・(演説で「イスラム国と戦う周辺の国に2億ドルの援助」という表現がテロの誘因になったという疑い。)
 1/20 IS、後藤さん、湯川さんの映像付殺害警告2億ドルの身代金要求。
  (映像声明は1/23日付当ブログ「日本人人質事件」に掲載。)
  政府はヨルダンに現地対策本部を設置。・(なぜヨルダンか?人質交換の実績のあるトルコではどうか。)
 1/24  IS、湯川さん殺害、後藤さんとヨルダン拘束の女死刑囚との交換を要求。27日に「24時間」と時間を区切る。
 1/28  ヨルダン政府「自国のパイロットと死刑囚の交換が優先だ」と発言。
 1/29  IS、後藤さんの声で「現地時間29日日没までに死刑囚をトルコ国境に移さないとパイロットは処刑」
    後藤さん妻、日本とヨルダン政府に「解放を求める」声明。
 2/1  後藤さん殺害の映像。映像声明(英文)

「 日本政府へ。おまえたちは邪悪な有志国連合の愚かな参加国と同じよう、われわれがアラー(神)の恵みによって権威と力を備え、おまえたちの血に飢えた軍隊を持つ「イスラム国」だということを理解していない。
 アベよ、勝ち目のない戦いに参加するというおまえの無謀な決断のために、このナイフはケンジを殺すだけでなく、おまえの国民を場所を問わずに殺りくする。日本にとっての悪夢が始まるのだ。」

 2/3  IS、ヨルダン軍パイロット殺害映像。 
 2/5 有志連合、IS への空爆再開、報復の連鎖。

問題点
* 国家は自国民の生命・安全を守るために何をすべきか、が問われる。近代国家概念の基本的な問題だ。
 ・(ISとは人質解放の交渉・身代金交渉はしなかったと誇らしげに言う政府高官!背筋が寒くなる。政府の態度は「ISとは身代金交渉はしない」という米国の意向に沿ったものだから自慢するのか。)
* 米の「テロに屈するな」「身代金を払うな」の表明下で、安倍首相・政府首脳閣僚・読売新聞などの「テロに屈すな」の大合唱は、1月中旬の時点ではこれと「人命尊重」とが対峙する。
* 安倍首相がしきりに「積極的平和外交」とか「人質救出に自衛隊を使えるための法整備」とか言っている。今度の中東  訪問に隠された首相の意図は何か?明らかに今までの中東外交から一歩踏み出した危険水域に入っている。事件が  起こったあとで「憲法改正」に向けてしきりに誘導しょうとしている様子がミエミエ!
* 「日本人人質テロ事件」の検証は、政府・国会・マスコミ・では本当の検証にはならない。形式的なもの・陳腐なもので  終わってしまう。
*(恐怖を感じることがあった。自民党から年末の総選挙の時、マスコミに「番組の公正化」いう言論への政治介入があっ  た。次に今度の件で、或る番組の首相のカイロでの「イスラム国と戦う周辺国に2億ドルの援助」発言が問題の発端に  なった。又、「I am not Abe」のバッチをつけるべきだいう発言者に、ネットでの凄まじい攻撃。「朝日バッシング」やヘ  イトスピーチの態をなすかのようなネット攻撃だったという。
  テレビが政府擁護か批判かの構図、読売・産経対朝日・毎日という対抗図になっていった。
* 国会が始まったが野党の批判力も弱い。「秘密保護法」がかかっているためか?問題点を突込めない。「人質の人命  がかかっているから、マスコミ・ジャーナリストは政府を批判してはいけない、という空気が広がる。共産党の女性議員  の「安倍政権への批判のツイッター」を党の委員長から注意を受けて削除!ここまで時代はきたか!
  (何故共産党が問題になるかといえば、1933年国会放火事件を起こしたヒットラーが共産党壊滅させた歴史事実があ  るからだ)
* 2月1日、「翼賛体制に抗する言論人・報道人・表現者の声明」の署名運動がネットで起こる。政府批判を控えるムード  に危機感を感じた者の行動。 2/10の時点で賛同者を含めて2700人の署名が集まる。

* 1/12の世論調査 (時事世論調査)
  内閣支持率 47・2(+1.89)  不支持率 33・7(-1・6)
  世論はあまり動いていない。米国の<9・11テロ>の時、ブッシュの対テロ戦争宣言は米の世論を煽りに煽った。最も   その時現場の近くのビルに居て危うく命拾いした人に言わせると想像を絶せる風景にガタガタ震えて止まらなかった   と。そのテロへの恐怖をブッシュは対アフガン戦争・イラク戦争にもっていった。その時に比べれば日本の世論は沸
  いていない。

  これから、日本はどこへ行くか?





  1. 2015/02/12(木) 12:39:18|
  2. 『日記』
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

『2015年映画』 「6歳のボクが、大人になるまで」(監督りチャード・リンクレイター)2/8

『2015年映画』「6歳のボクが、大人になるまで」

(監督リャード・リンクレイター。出演、ママ=
パトリシア・アークエット。  ぼく=エラー・
コルトレーン。パパ=イーサン・ホーク。姉=
ローレライ・リンクレイター 2/8

DSC_5024.jpg

6歳の少年が18歳になり大学進学のため家を離れるまでの成長の物語を12年間にわたって撮影したフィクション・ドラマ。

パパが売れないロックミュージシャンなので生活の頼りにならなかった為、ママは身を粉にして姉とぼくを育ててくれた。アラスカ放浪の旅からパパが帰ってきた。優しくユーモアたっぷりで好きなパパだがママから離婚されてしまう。ぼくたちは母子家庭になった。6歳のぼくは姉によくいじめられていた。

DSC_5025.jpg

ママは奨学金に合格したのでキャリアアップして人生をやり直そうと,大学に入るためテキサス州からヒューストンに転居する。

ぼくや姉の多感な思春期――
ポルノ雑誌を隠れて見る。煙草や酒・薬の誘惑。趣味となった写真。初恋と失恋。姉は思春期真っ盛り、髪を染めたり、ロックに興味を持ったり反抗的だ。
ママの新しい恋人、しかし大学教師の彼はドメスティック・バイオレンス!ママと親子3人でのバイオレンス男からの必死の脱出!
ママに捨てられたミュージシャンのパパは時々顔を出し<ぼく>の人間としての成長に一役を買う。「何になりたい!」「何がしたい?」と人生の大事なところで問いかけを行う。

DSC_5026.jpg

さて、ママは成功して学生に人気の大学教授になったが、、、
パパは結婚して赤ちゃんが出来、会社員になり新居では良きお父さんになり,ぼくたちにも良きアドバイザーになってくれたが、、、
ぼくは趣味の写真が展覧会で銀賞を取り、その道に進もうかと、、、

映画のラストシーンでのママの台詞「愛して、出産、離婚、仕事、勉強、後、残っているのは葬式?」「私の人生は何だったの?」

私は見ていて、ぐっーときた。人生をパノラマのように俯瞰した。映画の登場人物のそれぞれの人生の歩みに感動した。人生と何だろうか、、、?

撮影はシナリオに沿って1年に数日撮影し、多くの俳優も同一の役を12年にわたって出演した。この演出方法の面白さは、主役のぼくが大きな澄んだ目の坊やからいつの間にか髪が伸びた悩める少年に成長したり、スマートで官能的なママ(パトリシア)がだんだんぽっちゃりのしわが増えた女性に成熟していったり、と映画の進行するにつれて自然に加齢も重ねていくことだ。映画での「時間の流れ」の表現方法がユニークなんだ。
普通、映画やドラマでは子役・少年役・青年役と俳優を代えていく。このような「作られた時間の流れ」では「加齢」の問題は起らないし、俳優はあらかじめ決められた役を演じ、終われば次の仕事に移るだけだ。ところが、この映画では同じ俳優が12年間間演技する。少年は成長し、ママとパパは人生の年輪を重ねる。10数年の人生を生きる。俳優はその役の人生を生きる。その面白さは――つまり俳優が2つの人生を生きることなのだ。

DSC_5027.jpg

この映画の脚本は予め決まっていたわけではない。6歳の主役と家庭環境を決めてから走りだした。製作・脚本・監督のリンクレイターと主要な出演たちが年に1回夏に集まって、1年間の出来事を出し合い、今後何をしたいかを話し合う。離婚・再婚・入学・卒業・何をしたか・何をしたいか?・・・
その顔合わせの時が台本作りだそうだ。<ぼく>役のエラー君が物心ついてから加わり、彼の出来事・何がしたいかが重要になっていく。
この映画の成功はエラー君がまともに「何をしたいか」「何が出来るか」を考える青年に成長したこと。エラー君がこの1年間実生活で何をしたか?これから何をしたいか?それを基に脚本を組み立てていく。彼の自主性に任せて大人の希望を押し付けなかったこと。主要な俳優が健康であったこと、などだろう。
日本では、倉本聡の「北の国から」というテレビ脚本がそれに当たる。

昨年の11月14日公開なのに、2月に入っても東京では2館で上映のロングラン、小屋が小さいこともあるけれど連日満員だそうである。



  1. 2015/02/08(日) 11:09:45|
  2. 2015年『映画』
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

『美術/音楽/舞台/読書』 「神尾和由展」(2/2~2/8、銀座・ギャラリーあづま)2/7

『美術/音楽/舞台/読書』 「神尾和由展」(2/2~2/8、銀座・ ギャラリーあづま)2/7


「神尾和由展」が今、銀座の「ギャラリーあづま」で開かれています。期日は2/2~2/8です。

DSC_5042.jpg

今日(7日・土)見に行き今、帰ってきたところです。

DSC_5037.jpg

久しぶりに油絵の匂いがしました。神尾さんの絵をこんなにたくさん見たのは初めてです。ギャラリー中、油の香りが漂っています。

DSC_5043.jpg

神尾和由さんはイタリアのローマ在住20年、10年前に帰国して東京で作家活動をしている画家です。若い時、モランディに魅かれ、連れ合いさん(画家です)とイタリアに渡り、ローマを拠点に現代美術の作家活動をしてこられた。
私が彼を知ったのは、イタリア旅行の時ローマ郊外の古い教会と村を案内してもらい、いろいろと話を聞いた時からです。

DSC_5031.jpg

神尾さんの話で印象が強く残っているのが、イタリアの小さな村の教会と広場のことです。村には必ず教会と広場があるとの話は僕の心に強く残りました。彼に案内してもらったタルコフスキー(露)の映画の舞台に使われた、古ぼけた教会と小さな村の広場は忘れることが出来ない。

DSC_5032.jpg
DSC_5030.jpg

最初の3枚が最近の画風。後半の3枚がイタリアに渡った頃の画風だそうです。勿論全部最近の作品です。



  1. 2015/02/07(土) 18:02:18|
  2. 美術/ 音楽/舞台/読書/文学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

『日記』 「二月のある日―季節のかたみ」 2/5

『日記』 「二月の或る日―季節のかたみ」 2/5

東京の冬は北國のような大雪に悩まされることはないが、乾燥した寒さが続く。2月頃になると、気持ちまでもが屈折してやりきれなくなる。風が収まったそんな或る日、ぼくはやらなければいけないことから逃げ出して、海を見に行く。東京から1時間ちょっとの湘南の海辺だ。

冬の海辺をぶらぶら歩くと、屈折した心はどこかに吹き飛んで、違うことを想ったり空想に耽ったりするのだ。何かふんぎりをつけたか歩き疲れたか、ぼくは又東京に帰って行くのだ。

DSC_5020.jpg

幸田文の随筆に「季節のかたみ」という作品がある。
<雫>
 若いひとがベッドの窓から雫を見ていた。雨は降りつづけている。雨が裸の枝に降って、まるい玉に結ぶとき、一瞬光って枝をはなれる。雫は多数、あちこちから落ちて光ったり光らなかったり。
 「寒くて、陰気で、嫌な雨だとついさっきまでかなしく思っていたんだけれども――あの雫、あんなに綺麗だわ」
 高校を出て、就職して、快活なひとがさらに晴々とした、と思うまもなくまるでうそのような入院。夏が過ぎ秋が過ぎ、もう正月もすぎていた。将来への不安、健康な友人への羨望、恋愛や結婚をおもう苛立ち、病床のかなしい孤独、若い感情はいたまないわけにはいかなかったろうに――。
 「おばさま、あたしこのごろ、気を静めるコツみたいなこと、おぼえたの」

 コツとは何だろうか。雫の美しさを借りて、嫌な天候への不平を静める―
二月は二月の特徴を知ろう。秋の紅葉、菊の行楽から急にきた冬の風、つづいて歳末、新年のせわしさ、楽しくあったが、身も心もざわつき通し。

 「二月はしいんと打ち静めて、身を休め、こころを深くする月である。」

平安朝の女流作家のような澄み切った感性と、和文を生かした柔らかできりっとした文章、ぼくにとってもお手本である。





  1. 2015/02/05(木) 17:37:38|
  2. 『日記』
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0