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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『2014年映画』 「0・5 ミリ」(監督・脚本、安藤桃子。出演、安藤サクラ、柄本明、坂田利夫、津川雅彦、草笛光子 11/27

『2014年映画』 「0・5ミリ」(監督・脚本、安藤桃子、出演・安藤サクラ、柄本明、坂田利夫、
                 津川雅彦、草笛光子、  上映時間=3時間半   11/27

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俳優奥田瑛二の長女・安藤桃子監督が妹・安藤サクラを主人公に製作した介護をテーマにした映画「0・5ミリ」。「かぞくのくに」で注目していたが、安藤サクラは期待を裏切らない大器だ! 面白かった!3時間半の長尺が苦にならなかった。
俳優の安藤家・柄本家総出の支援、アホの坂田利夫(吉本興業)の爺さんぶりは傑作!

高知が舞台。介護士のサワ(安藤サクラ)は、派遣先で火事に巻き込まれ派遣会社を失職、寮からも追い出され、貯金もなく・家もなし・職なしの、流浪の身になった。全てを失った主人公のロードムービーの始まりである。


見知らぬ町でサワちゃんは孤独なお爺ちゃんを見つけては、その生活に入り込み食・住を確保する。その食らい付き振りは強引だ。相手の弱みにつけ込んで半ば脅迫的に入っていく。あくどい詐欺師かと思わせるが、引き換えに家事や介護を立派にこなしていきお金を取るとかの悪事はしない。完璧な介護・家事の出前サービスみたいだ!お爺ちゃんの心に寄り添った心憎いばかりの介護・行動はまるで天から舞い降りた<天女>のように思えてくるから不思議だ。映画最初のシーンで喉からの痰の吸引のシーンも専門的に優れたものだという。(介護の専門性からの優れた視点)

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自転車泥棒の現場を目撃した茂(坂田利夫)の家まで押しかけ強引に住み込む。親身になって作った手料理、投資詐欺から守り、清潔な部屋、母親のような叱咤激励はやがてお爺ちゃんの心を解きほぐしていく。やがて老人ホームに入っていく茂がサワに冬物のだぶだぶのコートと年代物の「いすゞ117クーペ」をあげる。茂役のアホの坂田(吉本興業)が抜群に巧い!演じるお爺ちゃんのボケ振り・笑い・悲哀は何とも言えない。せっせと貯めた大金を土産に、たくさんの人々が拍手喝采で迎える老人ホームの階段を上っていく茂。そのシーンは天国への階段かと皮肉にも錯覚してしまうばかりのキラキラ輝く雅(みやび)な世界だ!

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セーラー服本万引きの真壁先生(津川雅彦)の現場を押さえ、「私がセ―ラ―服を着ます」と半ば脅して家に入り込む。先生は昔教師の堅物で毎日講義と称して家を出る。どこへ行くのか?本に囲まれた家には昔オペラ歌手の夫人(草笛光子)が痴呆で寝たきりになって家政婦が週何度か来る。
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家政婦が「家を乗っ取る」ではないかと心配するほど、サワちゃんは家事・介護をよくやる。真壁の偽善性はセーラー服本への興味や、することがないのに講義と称して毎日家を出ることからも暴露されるが、むしろ先生が戦争体験の話を長々と繰り返すシーンに、監督の本音「戦争は恐い、戦争は嫌だ」が反映されており、と同時に先生の痴呆性も暗示されている。サワちゃんが先生を指導して寝たきりの夫人を車椅子に移し替える作業など本格的な介護を見せる。

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元気にオペラを歌う夫人と寝たきり・痴呆の夫人が交互に幻想的に映し出されて、映画の深みを出している。

高知の穏やかな地方都市や田園風景を舞台に繰り広げられる寓話的な物語は楽しい。映画は舞台の土地が人間的に良い風土だと思わせる魔力を持っているかのようだ。

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主人公のロードムービーの背景に、介護の現実や現場、投資詐欺など老人を巡る問題を伺わせるが、映画は天使のようなバイタリティー溢れたサワちゃんの不思議な物語である。画面をはみ出すような安藤サクラの八面六臂の活躍ぶりに私はゲラゲラ笑い爽快な気分になった
映画はどうやら「最初のエピソードの場面の奇妙な家族」が問題であって、最後にその家族の問題に戻っていく不可思議な展開になって、サワちゃんのロードムービーは続いていく。

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安藤姉妹の不思議な活力あふれた映画に圧倒された、3時間半だった。
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  1. 2014/11/27(木) 10:23:57|
  2. 2014年『映画』
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『美術/音楽/舞台/展覧会』 「ウフィツィ美術館展」(都美術館~12/14) 11/22

『美術/音楽/舞台/展覧会』「ウフィツィ美術館展」(都美術館~12/14) 11/22

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「ウフィツィ美術館」はイタリア・ルネサンス美術の宝庫である。4回行ったが堪能したという実感が沸かない。粒揃いの名作が揃っている。しかも殆どの作品が門外不出で、例えばボッティチェリの<プリマ―ヴェーラ(春)>や<ヴィーナスの誕生>を見たければフィレンツェの「ウフィツィ美術館」に直接行かなければならない。だから、来日した昨年の「ラファエロ展」や嘗(かつ)ての「カラヴァッジョ展」は外せないのだ。

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今回の都美術館での「ウフィツィ美術館展」は、一つはボッティチェリと「マニエラ・モデルナ」と言われた16世紀のブロンヅィーノやサルトの作品が中心である。以下展覧会の内容。

(1)「工房時代」のフィレンツェ
15世紀のフィレンツェでは目覚ましく政治的・経済的に発展し、担い手の富裕層の商人によるパトロネージ(芸術擁護活動)によって、芸術運動が支えられた。他のヨーロッパ諸国のような王侯貴族ではなく、教皇や富裕層の有力市民がパトロンとなった。特にメディチ家の功績が偉大である。
芸術家は組合(アルテ)に属し、親方、助手、徒弟からなる「工房」で作品を制作した。

① フィリッポ・リッピ(1406~1469)
フラ・アンジェリコと肩を並ぶべる15世紀前半の、フィレンツェを代表する画家。幼くして孤児になり修道会で育てられる。敬虔のアンジェリコに比べて自由奔放女性に目がなかった。絵画においてはマザッチョの影響・リアリティーを学ぶ。彼が描く女性の甘美な美しさは独特なものがあった。

<受胎告知のマリア、大修道院長聖アントニウス>1450~
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<大天使ガブリエル、洗礼者聖ヨハネ>1450~
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1452年、プラート大聖堂の壁画制作=聖ヨハネ伝と聖ステファノ伝は代表作になる。
1456年、同聖堂のサンタ・マルゲリータ修道院の司祭に任じられる。同修道女ルクレツィア・ブーテを誘惑、57年には息子フィリピ―ノが生まれる。さあー大変! しかし、パトロンのコジモ・デ・メディチが救い、教皇から還俗=正式の夫婦になることが許された。(画家の才能を何より優先!メディチ家当主の美への要求・権力の凄いこと!)
フィリッポの描く聖母像やサロメはルクレツィアを原像にしたと言われている。
彼の描く甘美な細面の鼻筋の通ったマリア像は、やがて弟子のボッティチェリによって完成されていく。ボッティチェリの工房で学んだフィリッポの子フィリッピーノが又それを受け継いでいく。

②  ドメニコ・ギルランダイオ(1449~1494)
<聖ヤコブス、聖ステファヌス、聖ペテロ>(1492~、テンペラ画、「アカデミア美術館」)
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衣装が鮮やか、修復後初めての出品だそうだ。テンペラ画は発色がいいので豪華な作品に仕上がった。モデルになった人がいて、その人がどういう人間なのかが絵画においてわかる。人間性まで描くのがルネサンス美術の特色だそうだ。15世紀後半の人気画家。当時のフィレンツェの日常生活や実際の人物が宗教的画面の中に描かれ、厳粛さより世俗性が持てはやされて人気の大工房になった。「花飾りのドメニコ」(彫金家の父が若い女性に流行していた花の髪飾りを作ることに長けていた)と呼ばれた。若きミケランジェロが最初に師事した工房。

*フィレンツェのノヴェッラ聖堂の<マリア伝のー≪マリアの誕生≫>(1485~)が有名で私も見たが、大作で上手な絵だ。ただ、主題の<マリアの誕生>より、絵の注文主のトルナブオー二家(メディチ家の親戚)の5人の令嬢を中心に描いている。聖堂の主祭壇の中央を飾る絵なのにーあからさまなパトロンへの阿り!一時が万事!巧い絵だが世俗的でだんだん飽きてくる。

③ ペルジーノ(1448~1528)
イタリア・ネサンスの「ウンブリア派」を代表する画家。フィレンツェのヴェロキオの工房で修業。人気の高い画家になり大工房を抱えてたくさんの作品を描いた。業績であげられることにボッティチェリ等と共にヴァチカン・システィーナ礼拝堂の壁画制作に携わったことである。ラファエロの師でもあった。
代表作
<マグダラのマリア>(ピッティ美術館1496~)
<ピエタ> ( ウフィツィ美術館 1495)
<少年の肖像>( ウフィツィ美術館 1495)
<悲しみの聖母>(工房作、ウフィツィ美術館 1500)

(2)激動のフィレンツェ、美術の黄金期の到来
15世紀のフィレンツェは
メディチ家繁栄の基礎を築いたコジモ・メディチ(1389~1464)の孫ロレンツォ(1442~1492)
の時代は派手に政治・外交と展開し、ボッティチェリやミケランジェロのパトロンとしても知られている。が、パツッイ家の陰謀に対しては情け容赦のない弾圧を加える残忍性を持っていた。(ボッティチェリは磔の実景の描写を命じられる)彼の死後、フランス軍の侵入で1494年メディチ家は追放。そこに現れた修道士サヴォナローラは教会やメディチ家の腐敗堕落を非難した。ボッティチェリやバルトロメオが彼に帰依し信仰心に凝り固まった作品を作るようになる。しかし、サヴォナローラは余りに過激だったので1498年処刑されてしまった。
16世紀に入ってフィレンツェは安定した共和政の下で、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、アルヴェルティネッリらが活躍する。

①  サンドロ・ボッティチェリ(1445~1510)

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<パラスとケンタウロス>(1480~85 テンペラ画/カンバス ウフィツィ美術館)
以前にも来日したことがあるが、今回の展覧会の目玉となっている。この作品は<プリマヴェーラ>や<ヴィーナスの誕生>と一緒にメディチ家の邸宅に飾られていた。
パラス(女性)=ギリシヤ神話の知恵の神。
ケンタウロス=下半身が獣、人間の動物的な欲望の象徴。
パラス(知恵、理性)がケンタウロス(欲望)を抑え付けている。「欲望を理性でコントロールしなければいけない」というキリスト教の道徳を訴えている。
イタリア・ルネサンスの担い手が富裕な市民層(その最たるものがメディチ家)とキリスト教会であった。市民層の台頭でルネサンスのパトロネージになって、古代ギリシヤ・ローマ文化の復活が起こり、ギリシヤ神話の神々を描くようになる。ギリシヤ神話の場面を描きながら教会の道徳を訴えるという作品。教会の強権下で古代ギリシヤ文化の復権を意味する。

「サンドロ・ボッティチェリ」<聖母子と天使>(1465 テンペラ画 捨て子養育院美術館。初期の作品)
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「   同   」<ロッジャの聖母>(1466~ 油彩/板 ウフィツィ美術館。初期の作品)
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初期の作品は、あの甘美で優雅な線の美しさが出ていない。リッピに学び玲瓏さが生まれてくる。

「  同    」<聖母子と洗礼者聖ヨハネ> (1485~ 油彩/板 パラティーナ美術館)
   
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初めてボッティチェリの作品の前に立った時、こんな美しい絵があるのか!と興奮した。美形の聖母像は師のフイリッピ・リッピの影響からきている。今回初期の作品もあって彼の成長過程がわかるようになっている。

②  フラ・バルトロメオ(バッチョ・デラ・ポルタ1439~1507)
<ポルキア> (1490~テンペラ画/板 ウフィツィ美術館)
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15世紀後半、フィレンツェで活躍した画家。彼はラファエロやダ・ヴィンチやミケランジェロなど多方面な画家と交流があった。衣装の色の繊細な描き方、人物の内面の掘り下げ方などに特色がある。絵画に精神性が感じられる。

(3)「マニエラ・モデルナ(新時代様式)」の誕生
16世紀のフィレンツェは、サヴォナローラ時代の過激な宗教的厳格主義を潜り抜けて、「開かれた共和政」の時代が始まる。その中で感性を磨いた画家たちが活躍する。ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロら偉大な花のルネサンスの画家
たちの伝統の上に開いていった。
「ルネサンス画人伝」の作者で画家・建築家・作家であるジョルジョ・ヴァザーリは、16世紀の芸術を「マニエラ・モデルナ」と名付けた。彼によれば16世紀のこれらの芸術は優美で一段と昇華した新しい芸術だとした。
フィレンツェの「マニエラ・モデルナ」はサンティッシマ・アヌンティアータ聖堂の「請願の小回廊」の壁画(1509~1515)に参加した芸術家だ。アンドレア・デル・サルトやポントルモやロッソ・フィオレンティーノら若き芸術家の一団の出現。ラファエロらの優美な作風を継承しながら、より複雑な形態と構図を追求した。

① アンドレア・デル・サルト <ピエタのキリスト>1525壁画から剥がされたフレスコ画。アカデミア美術館。
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② ロッソ・フィオレンティーノ <女性の肖像>1515油彩/板 ウフィツィ美術館
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(4)フィレンツェ美術とメディチ家
16世紀のフィレンツェではメディチ家は復帰・追放を繰り返していた。1569年当主のコジモ(1519~1574)は大公・コジモ1世としてフィレンツェを支配した。ブロンヅィーノを宮廷画家に任じ歴代の当主の肖像を描かせた。点在していた行政機関を統合し、ヴァザーリに巨大な総合庁舎として「ウフィツィ」を建設させた。後継者フランチェスコ1世(1541~1587)は1581年にウフィツィの最上階に代々のコレクションを陳列した。
メディチ家最後の相続者アンナ・マリア・ルイーザ(1667~1743)は、「メディチ家の遺産は国家と市民のもの、フィレンツェから持ち出してはならない」ことを条件に、全ての美術品を寄付した。彼女の賢明な判断によって全世界の人々が楽しんでいる。

① アーニョロ・ブロンヅィーノ(1503~1572)
マニエリスム期のフィレンツェの画家。メディチ家のコジモ1世の宮廷画家として活躍する。代表作「愛の勝利の寓意」(1545年ロンドン・ナショナル・ギャラリー)知的で洗練された技法に満ちた作品が多い。下記の作品など好感が持てる絵ではないか。
<公共の幸福の寓意>(1567~、油彩/錫板 ウフィツィ美術館)
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シエナのプッブリコ宮の「アンブロージョ・ロレンツェッティ」作<善き政府の寓意>(1338~40)を想い出した。市民社会の理想を描いたものか?200年以上前のロレンツェッティがどのように影響を与えているか定かでないが、市民社会の理念が脈打つているのを感じる。

コジモ1世に命じられてメディチ家の代々の当主の肖像画を描いた。
<ロレンツォ・イル・マニフィコの肖像>1555-65油彩/錫板 ウフィツィ美術館
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<ジュリア―ノ・デ・メディチの肖像> 1555-65 油彩/錫板 ウフィツィ美術館
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<コジモ1世・デ・メディチの肖像> 1555-65 油彩/錫板 ウフィツィ美術館

② ジョルジョ・ヴァザーリ (1511=1574)
イタリア・マニエリスム期の画家、建築家、著作家。アレッオに生まれ、ローマに出てラファエロの作品に学ぶ。後にトスカーナ大公メディチ家コジモ1世のお抱え芸術家となり、ウフィツィ宮殿を手掛ける。彼は絵画より手がけた「ルネサンス画人伝」は他に類書がなく貴重で、ルネサンスの画家の伝記を後世に残してくれたことに感謝する。又、建築家としてメディチ家の巨大な総合庁舎としての「ウフィツィ」を建てたことも彼の功績である。

* 来日した作品は膨大なウフィツィ美術館の僅かでしかない。門外不出を誇っているのである。フィレンツェには他に多くの美術館に名作があり、それらを全部見尽くすには多くの時間が必要だ。他にイタリアにはシエナ・ローマ・ミラノ・ヴェネツィアとフィレンツェと同様に多くの美術館・名作があり、見尽くすことは大変な時間がかかる。


  1. 2014/11/22(土) 20:00:00|
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『美術/音楽/舞台/読書/展覧会』 「須賀敦子の世界展」(神奈川近代文学館~11/24)11/14

『美術/音楽/舞台/読書/展覧会』「須賀敦子の世界展」(神奈川近代文学館~11/24) 11/14

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横浜の「近代文学館」で「須賀敦子の世界展」をやっている。須賀敦子とは久し振りである。一時集中して読んだが、細部は忘れたが須賀の文章は我が血となり肉となっている。
須賀さんは98年に亡くなったが、その後多くの読者に読まれているし、テレビでも放映された。
湯川豊(展覧会の編集委員)・松山巌・岡本太郎など彼女の教え子・編集者などが、案内書を出している。
展覧会は
① イタリア以前(幼少期から聖心・慶応・パリ留学まで)
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② コルシア書店の仲間たち(ミラノの「コルシア書店」との出会い、結婚、別れ、日本文学の翻訳・紹介)
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③ 作家の誕生(帰国、エマウス運動、イタリア文学の紹介・翻訳、「ミラノ 霧の風景」でデビュー、「コルシア書店の仲間たち」「ヴェネツィアの宿」「トリエストの坂道」の相次ぐ出版、病により98年没、(69歳)
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④ 須賀敦子が愛したもの(愛した本、イタリア、品々、)
* 写真や彼女の文章で飾った展示。懐かしさの余り立ち止り想いに沈むこと暫(しば)し。

須賀敦子を読みだしたのは2000年代に入ってからで、彼女の生前は「コルシア書店の仲間たち」など本屋さんの話だろうと思っていた。海外旅行をするようになって―確か2006年の「ポーランド・チェコ旅行」をした頃―テレビで「須賀敦子―静かなる魂の旅」を見た。
きらめく海のトリエステ、アドリア海の碧い空や海の色、白い帆のヨットの映像と重ねての須賀敦子のイメージは素晴らしくたちまち魅力の虜になった。

イタリアを旅するようになって、彼女の本が離せなくなった。私の旅は観光パック旅行にすぎなかったが、須賀の文章のイタリアはもっと次元を異にする世界だった。

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イタリア人と結婚しミラノで生活した、ヨーロッパ内側からの視点があった。また、イタリアの文化の深部に辿りついた者だけが持つ独特の世界を持っていた。文化・言語の異質な遠きヨーロッパへ行って、その内側に入り込んだ者の文章であった。それは他に例がない。
ヨーロッパ社会の基底にある、自由と孤独、庶民の貧困、絶対宗教であるキリスト教への深い洞察など深いものがある。
しかも平安朝以来女性が担った、日本文学の伝統である<随筆>の瑞々(みずみず)しい文体で語っていく。

例えば私なんかヴェネツィアで、昔から憧れていたグランドカナル(大運河)と中世の豪奢な商館の風景に見とれていると、彼女の「ザッテレの河岸で」では<リオ・デリ・インクラビリ>(治る見込みのない人たち)という名の病院の跡を見つけ、娼婦の、それも梅毒に罹って死を待つだけの者の病院だとわかって胸を痛める。

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それはヴェネツィア派のカルパッチョの「2人の貴婦人」に、当時の高級娼婦ではないかと疑問を投げかけ、貴族令嬢説に疑義をはさんだことにも関連する。女性特有の視点なのか?しかし、ローマやヴェネツィアのゲットーに関心を持って訪ねたりするから、問題意識は普遍的だ。

須賀さんの文章のどこに魅かれるかと言えば、例えば「地図のない道」で展開されるトルチェッロ島の聖母像のことだ。
トルチェッロの聖母

「金で埋められた空間の中央と思われるあたりに、しぶい青の衣をまとった長身の聖母が、イコンの表情の幼な子を抱いて立っている。聖母も、イコン独特のきびしい表情につくられていた。その瞬間、それまでに自分が美しいとした多くの聖母像が、しずかな行列をつくって、すっと消えていって、あとに、この金色にかこまれた聖母がひとり、残った。これだけでいい。そう思うと、ねむくなるほどの安心感が私を包んだ。」
この聖母像が世界で一番素晴らしく癒されると表現するのに、それまで見た聖母像が「しずかな行列をつくって、すっと消えて」「金色にかこまれた聖母がひとり残った。」「ねむくなるほどの安心感に包まれる」という表現の素晴らしさ!
それまで、私は幸田文や白洲正子の文章に親しんできた。平安朝の頃よりの女性が得意としてきた随筆である。須賀敦子の文章もその延長線上に並ぶ文学である。詩的な心を秘めた散文、イメージを喚起させる文章!

ローマにしても、アッシジ・ シェナ・ ペルージャ・ アレッツォ・ フィレンツェの各名所を、私は須賀さんの本を拠り所にして歩いた。合わせてルネサンス絵画に興味を持っていた私は、イタリアはますます興味の尽きないところになった。

聖心のお嬢さんでカトリックの洗礼を受けた須賀さんは、西欧文化への関心と自己の生き方を探して(自分に合った靴を探して)フランスからイタリアへ行き着く。
「自分に合った靴探し」の旅は、須賀さんが日本で青春期に抱えた問題だったかも知れない。状況に対する危機感。これから何をするか?どう生きて行くか? そして、ヨーロッパに何しにきたのか? その課題と探求の果てに、戦中のレジスタンスの伝統を持つカトリック左派の、ミラノ・コルシア書店の仕事(カトリック左派としての出版・啓蒙運動)に参加する。
そこの中心的存在ペッピーノと結婚するが、6年後に彼、肋膜炎で急逝。13年にも及ぶイタリア生活から帰国。61歳の時、「ミラノ霧の風景」を刊行、翌年女流文学賞を受け称賛される。1998年、心不全により永眠。

作家としての出発は遅かったが、それまでに溜めていたものを一気に爆発させた感がある。しかし、神よ、もう少し生かせて欲しかった!
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  1. 2014/11/14(金) 22:00:00|
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『日記』 「いくつかの補遺」 11/10

『日記』 「いくつかの補遺」 11/10

その<1>
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せっかく立ち寄った京都だが忙しかった。何を求めたか?1泊2日の短い期間に何をしょうというのか?秋の京都は修学旅行生や観光客で慌ただしいのは解っていたはずだ。忙しくしたのは私自身の問題ではないか?
原点に帰って、「何を求めていたか」。
訪れたのは、三十三間堂、国立博物館の知新館、東寺。美的好奇心を刺激する作品に出合った。だが、もうひとつ納得がいかないのだ。心に食い込んでくるものがないのだ。
仏像の面白さ・美しさから、もうひとつ、心の渇きを満たすものは何か?
イメージとして、広隆寺の「弥勒菩薩」か、奈良興福寺の「阿修羅像」か、湖北の「十一面観音像」か。心は精神性をもつものでなければ満たされないかも知れない。

その<2>

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旅行に行く前に映画「シャトーブリアンからの手紙」を見てブログに書いた。70年前のナチのフランス人への大量虐殺を、ドイツ人のシュレンドルフ監督が描いた作品だ。
実は、その前にテレビでポランスキーの「戦場のピアニスト」と、パソコンのユーチューブで「南京!南京!」を見た。

* 「戦場のピアニスト」はゲットー体験を持つポーランド出身・ユダヤ人監督ポランスキーの作品。
原作はユダヤ人でポーランドの国民的音楽家シュピルマンの自伝。ナチの残虐性を今まで多くの映画で見てきたが、改めてその凄さを思い知った。ナチの兵は感情の赴くままユダヤ人を殺す。ただ、最後にシュピルマンを救ったのがナチの将校だったのは皮肉。

* 「南京!南京!」(中国人の陸川監督作品で南京虐殺を描いている。日本の劇場非公開)
 日本軍が南京を攻撃・占領し、その後日本軍による虐殺・強奪・強姦が行われたという史実を描いている。日本軍の残 虐性だけを描くだけではなく、日本兵の日常性だとか、残虐行為に苦悩する日本兵だとかも描かれている。又、戦闘・殺 戮のシーンもあるが、難民の女性への強姦・慰安所のシーンも多かった。
 「戦場のピアニスト」を見た直後だったので、ショックが強烈で気分が悪くなった。映画の殺戮シーンでは、ナチも日本兵もかわりがないと思った。これが悪名高い南京虐殺か!70年後の日本の若者はその史実を殆ど知らない。教えられていない。中国人や韓国人と日本人が根本的に深い断絶があるのは、戦前の史実があるからだ。侵略と略奪と植民地化の史実があるからだ。

* 「シャトーブリアンからの手紙」はその後に見た。ドイツ人がナチの残虐を描くのだ。しかも「ブリキの太鼓」の監督だ。これはもし私が「南京!南京!」を描く場合は同じ条件に立つことになる。シュレンドルフ監督によれば、「ドイツ占領時代」をテーマにしたドイツ人の手による映画はひとつもないそうだ。日本ではどうか?
映画で、ヒトラーは現れず強権的な命令だけが飛び交い、命令を受けたドイツ将校もジレンマを感じながらも拒否せず遂行する。占領されたフランス側の役人も同じで、初めは命令を拒否するが、では他の善良なフランス人を犠牲にせよと言われるとしぶしぶ遂行に加担する。劇中の神父に言わせている 「あなたは何に従う?命令の奴隷になるな」。極限状況下での人間の行動を決めるものは何か?
フランス人の処刑は、彼らの手紙に彼らの声を重ね合わせるというヒューマンなシーンだ。手紙に託して様々な生の人間の声を託す。レジスタンスの人間としての誇り・抵抗・不服従を見事に描いている。

シュレンドルフ監督はドイツの恥部から逃げていない。史実をしっかり見つめることで、人間がどのように生きるべきかを暗示している。そして、独・仏の連帯の未来を暗示している。
人間の弱さ・愚かさ・恐ろしさから逃げては駄目だと言っているかのようだ。そのことは日本においても同じなのだ。
南京で残虐行為をした日本兵が、日本に帰れば「いいお父さん」「いいお兄さん」になるという。何故なんだ?もし、日本に帰って「残虐なお父さん、残虐なお兄さん」になっていたら、問題は違ったことになるだろう。この「いいお父さん」が「残虐な兵士」になることが問題の深刻さを表している。

その<3>

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映画「シャトーブリアンからの手紙」の監督・フォルカー・シュレンドルフ監督は、「ハンナ・アーレント」のトロッタ監督と1971年に結婚している。年表を見ると結婚期間は(1971-91)とある。2人とも1940年前後の生まれの同世代、しかも結婚期間が30代~40代の20年。
トロッタは最初女優として活躍したが、71年シュレンドルフ監督と結婚、75年「カタリーナ・ブルームの失われた名誉」で共同監督、79年シュレンドルフ監督が「ブリキの太鼓」でカンヌ・パルムドール、トロッタ監督が81年「鉛の時代」でヴェネツィア国際映画祭でグランプリ、86年「ローザ・ルクセンブルク」、91年に結婚解消。2012年に「ハンナ・アーレント」を発表。
外見だけの俗っぽい感想だが、2人の共同生活・人生の熟年期を想像しても震えてくる。2人とも凄い映画を作っているからだ。
「ハンナ・アーレント」初日の第1回目を見た時、2回目もすぐ売り切れ、連日満員の盛況は、その後の政治のファッショ化・大衆の危機感を予感するものではなかったか?

  1. 2014/11/10(月) 09:00:02|
  2. 『日記』
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『日記』 「京都に立ち寄る11/3~11/4」 11/7

『日記』「京都に立ち寄る」11/3~11/4

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11/3(月)文化の日
親戚の法事が2件終わって東京へ帰る途中、京都に寄った。宿泊予定のホテルに荷物を預けて京都国立博物館へ急ぐ。「国宝・鳥獣戯画」の修理・修復後の一挙全巻公開と本年開館した「平成知新館」のオープン記念展を見るためである。
京阪電車の7条口あたりから人で溢れている。「鳥獣戯画」は館外で90分、加えて館内50分の計140分待ちだ。明日は休館のためか人の勢いは止まらない。

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取りあえず近くの三十三間堂に行く。1001体の「十一面千手観音像」と「風神と雷神」の鎌倉期の彫刻(国宝)、観音像を守る28体の「仏像」(国宝)。又、通し矢で有名な120ⅿの長いお堂。
三十三間堂の「風神雷神」像の彫刻
<雷神像>
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<風神像>
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*「風神雷神」は以下たくさんの画家が挑戦している。
・俵屋宗達の屛風画「風神雷神図」
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・尾形光琳の屛風図「風神雷神図」
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・百年後の酒井抱一の屛風画「風神雷神図」
本来、怖いものが(三十三間堂は怖い)宗達になるとユーモアたっぷりの「風神雷神」に変わる。私は宗達ファンだから断然彼の屏風絵を1番とする。だからオリジナルを見たい。後の博物館での係員とのやりとり。
「先日テレビで宗達の<風神雷神>を見たが、今後何時見られますか?」
「映像でお見せしたが、金箔が落ちてしまい今後の予定が立たない」
作品の保存と公開との問題は難しい!

博物館に戻ったが混雑は相変わらず。係員に聞いてみて、「平成知新館」の<京へのいざない>を見ることにした。東京の国立博物館本館の常設展示が古く暗いイメージを持つのに比べて、ここの常設館は新しく、12000の館蔵品・寄託品の中から展示できる。テーマによっては所有する寺などから借りてきて展示できるという。
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3F-考古(男子の埴輪、銅鐸が面白い)
  -陶磁(仁清、頴川の呉州赤絵、木米、道八、)中国(漢・唐・宋・元・明)朝鮮
<粉河寺縁起絵巻>
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雪舟の <四季花鳥図>
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2Fー絵画(絵巻物―「粉河寺縁起絵巻」。絵画―雪舟「四季花鳥図」長谷川等伯「枯木猿猴」
   海北友松「飲中八仙」明・清の絵画。
1F-彫刻(宝誌和尚立像。大阪・金剛寺の大日如来と脇侍の不動明王。

<宝誌和尚立像>
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* 「宝誌」中国南朝の神異・風狂の僧。歴代に亘って伝説の僧、何も食べず、人の心を読んだりした。日本では帝の命で3人の絵師が肖像を描こうとしたが、額の皮を裂き金色の菩薩像を現した。ひとりの絵師には十一面観音、もう一人には聖観音に見え、帝に献上した。帝は驚いて別の使者を遣わしたが、宝誌は姿をくらました。
他に漆工、金工、染織、書跡がある。
足が棒のようになってホテルに帰った。

11/4(火)今回の目的は博物館と三十三間堂と東寺、清水三年坂美術館を訪ねてみたい。夕方東京に帰る。

東寺の <五重塔>
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東寺はホテルから10分。朝訪ねる。ここも仏像が目当てである。國宝、重文がザクザクあり、京都駅付近でいい仏像を見るには手頃である。仏像は信仰の対象ではなく、美の対象として関心がある。最近仏像を見ていないなぁー。

講堂の中心 <大日如来像>
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「講堂」中央の「大日如来」を中心に、多聞天・梵天・持国天・広目天・帝釈天・増長天・
<不動明王>
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  ・軍荼利など=国宝16、重文5。仏の表情・雰囲気・姿が面白い。
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「五重塔」京都の象徴的存在、新幹線からまず見える古都の風景。

イノダコーヒー本店
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朝食を食べにイノダコーヒー本店へ行った。京都へ行くとよく寄っていた。最近、観光客がタクシーで乗り付けるほど有名になって席が取れないと聞いた。平日の午前なので席はあった。ハムサンドとコーヒー、挟んであるハムの美味なること!

ご存知 <清水寺>
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賑やかさと壮大な舞台造りの「清水寺」はやはり俗の古都の象徴だ!「三年坂美術館」に寄る前に清水へ。修学旅行生と外国人観光客でいっぱいだ!

「清水三年坂美術館」を探しあてたが、本日休館。残念!
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本年7月にブログに書いた「白山松哉の漆工芸―明治工芸の粋・村田コレクション」(三井記念館)
あの展覧会を主宰した美術館なのである。明治の工芸への感動!江戸時代から培ってきた工芸美術に驚嘆した!
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又の機会に。

祇園を通って南座へ、菊水で早めの夕食を。
  1. 2014/11/07(金) 20:30:43|
  2. 『日記』
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