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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『2014年映画』「シャトーブリアンからの手紙」(「ブリキの太鼓」のシュレンドルフ監督)    10/29

『2014年映画』「シャトーブリアンからの手紙」(「ブリキの太鼓」のシュレンドルフ監督)
                   監督・脚本フォルカー・シュレンドルフ 10/29
                   出演(仏)レオ=ポール・サルマン、マルタン・ロワズィヨン、
                   オデット・ネリス、マルク・バルべ、ジャン=ピエール・ダルサン、  
                   (独)ウルリッヒ・マテス、アンドレ・ユング、ヤコブ・マッチェンツ

「ブリキの太鼓」の名匠ドイツのシュレンドルフ監督の久々の作品である。

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3歳で成長を止め、ブリキの太鼓を叩き奇声を発しガラスを叩き割るというオスカル。奇異なキャラクターとグロテスクな描写でヨーロッパの戦前から終戦までの激動の時代を描き、ナチに飲み込まれていくポーランドの姿を鮮やかに浮かびあがらせた名作であった。見た者を忘れさせない映画だ。

ドイツとフランスの和解がなければヨーロッパはない、という信念の下にドイツ人「ブリキの太鼓」のシュレンドルフ監督が挑んだ大作。占領下のフランスでドイツ軍によって罪なき人質のフランス人が大量虐殺された史実―17歳の少年ギィ・モケ、レジスタンスの象徴となった―に独・仏の和解を賭けて挑んだ。

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1941年10月20日、フランスのナントの町でドイツ軍地区司令官が暗殺された。ヒトラーは即座にその報復として、フランス人150名の銃殺を要求。そしてシャトーブリアンの収容所から選ばれた27名の中に、17歳の少年ギィ・モケがいた。

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彼の殉教はレジスタンスの英雄になり戦後、パリの地下鉄のある駅の名に命名されたほどだった。
2007年、フランスの大統領に就任したサルコジが、ギイの手紙を「愛国心の発露」として全国の高校生に読ませることを決定した。共産主義者であったことを伏せてである。地下鉄の駅名になったほど戦後共産党がギイを殉教者として神話化させたが、今度は民族の英雄として祭り上げた。
ドイツ人シュレンドルフ監督はそのどちらにも加担せず、銃殺された27名の一員として生き生きと描いた。英雄化しなかった。

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監督はこの映画のどこに力点を置いたか?事件から70年後の現在、どこに問題点を据えたか?

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パリの独軍駐仏総司令官のオットー将軍は典型的な伝統あるプロイセン将校でナチと対立している。シュパイデル参謀長も反ナチである。参謀長の友人で軍令部付のエルンスト・ユンガー大尉(ドイツの代表的作家)等は集まって「犯人を早く逮捕しないとベルリンが過度の報復を言ってくる」と危惧した。パリの独軍首脳陣の苦悩と動揺を捉えている。駐仏ドイツ大使が来て「総統は正午までに報復を求めておられる。フランス人150人の処刑だ」。
パリの独軍首脳陣は何とかヒトラーの命令を阻止しょうとがんばるが、初めに50人、1日ごとに50人と少し先延ばしにするのがやっとだった。ベルリンから人質のリストを作れ、早く処刑しろという命令が矢継ぎ早にくる。やむを得ず各地に人質のリストを作れという指示を出す。
オットー将軍が作家のユンガーに、この一件を記録することを依頼した。しかも軍事報告書ではなく、文学的なものをというリクエストだった。(「パリ日記」)

処刑を実行する地方ではどうか?
シャトーブリアン群庁舎では、フランス人の副知事のルコルヌが人質リスト作りを拒否するが、独軍の隊長から「良いフランス人」を犠牲にするのかと迫られ、しぶしぶ、政治犯が多い「ショワゼル収容所」から選択することを受け入れる。
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人質リストが各地で作成されて、噂が広がり事態を知ったフランス人の間で動揺が起きる。「報復のリスト」がパリからシャトーブリアンに戻ってきた。見るとリダーのタンボや明日釈放予定のラレ(ソルボンヌ大学の共産主義学生のリーダー)や少年ギィが入っていた。副知事は「恐ろしいミスだ」と隊長に修正を要求したが、隊長に「では代わりを選べ」と突き返される。代わりに誰か、善良なフランス国民を選ばなければならないのだ!
副知事に代表されるように、良心的フランス人の消極的な抵抗は様々な場面で行われたが、状況が非情過酷であり流れに流されていく悲劇。

収容所では、所長が「名前を呼ばれた者は、6号棟へ」と名を呼んでいく、、、釈放予定のラレが抗議するが「リストにある」と取り合わない。ギィが呼ばれた時、医師のモリスが「この子は若い、まだ子供だ!」と抗議するが、所長によって「リストにある」で却下される。
人質たちに副知事が告げる。「君たちは1時間後に銃殺される。私は何ひとつできない」家族への手紙を預かることを約束した。

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「最期の時」のため、モヨン神父が呼ばれる。人質たちが共産主義者で無神論者であることを踏まえつつ、彼らの最期に寄り添うのである。(その役割を他の所ではドイツ人神父が担った。その神父は死を前にした人が最後に心を開いた人として、戦後・仏独和解の象徴的存在になったという)
リストを作成した副知事に「君も加担していることに何故気づかない?」と迫り、「銃殺は暗殺を、暗殺はさらなる銃殺を生み、報復の連鎖にしかならない」と語る。銃で脅すドイツ兵に「あなたは何に従う?」「命令の奴隷になるな」「良心の声に従いなさい」と諭す。
神父を通して普遍的な永遠のテーマを問題にしている。官僚主義である。極限状況において「上からの命令」が絶対か?ひとりの人間として何に基づいて行動するのか?これは極限状況だけでなく、一般的に組織や社会のいたる所にある問題ではないか!

ラレは最後の10分間だけ、妻との面会を許された。ギィは家族に手紙を書いた。

パリの司令部にヴィシー政府(ナチの傀儡(かいらい)政権)のペタン元帥から「人質にかわって自分をドイツに差し出す」という申し出が届く。ベルリンに拒否され、反対にペタンは暗殺を非難し、対独協力を呼びかける演説をすることになった!!

パリの総司令官の将軍は、辞職の決意をユンガーに伝える。ユンガーは人質たちの最期の潔さに触れ、この事件をきっかけに変革が現れるだろうと予言した。

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太平洋の海岸線で銃殺の準備が行われている。独軍の新兵ハインリッヒは体を震わせ辞退を願いでるが却下される。
人質たちが、トラックに乗せられ収容所を出る。残る者や女性たちが一斉に叫びながら見送る。ギィは急いで好きだったオデットに手紙を書いて託す。

銃殺が始まる。殆どの者が目隠しを拒んだ。銃殺は行われていく。最期の言葉「自由万歳!」「フランス共産主義万歳!」中には「ドイツ共産主義万歳!」と叫んで倒れて行く者も、、、
ギィの最期の手紙の言葉「17歳と半年。あまりにも短い人生。皆と別れるけど後悔はしない」

銃殺のシーンの人質たちは凛々しい。ドイツ人の監督として一人残らず勇気ある正義の男として描いた。派手な英雄視ではなく、人質たちはひとりの人間として死んでいった。独仏の架け橋となることを祈っているシュレンドルフ監督は、フランス人の人質の立派さも、命令されて加担せざるを得なかったフランス人の苦悩も描いた。プロイセンの伝統を感じさせる反ナチのドイツの将校の苦悩も描いた。冷酷非情の歴史を変えられなかった悲劇であったとしても。

新兵のハインリッヒはパニックで倒れるが非情なシーンを見た者としてドイツの戦後を生きなければならない。この冷酷非情な責任をどう取るか。

* フォルカー・シュレンドルフ監督(1939年ドイツのウィスバーデン生まれ)は
  1966年「テルレスの青春」で注目された。1979年「ブリキの太鼓」1984年「スワンの恋」
  1971年、後に「ハンナ・アーレント」を撮るマルガレ―テ・フォン・トロッタと結婚。(1971-91)
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* 後半部分をのちほど訂正するかも知れません。

* 私用によりしばらく休みます。





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  1. 2014/10/29(水) 21:28:36|
  2. 2014年『映画』
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『美術/音楽/舞台/読書』「アゴタ・クリストフの3部作についてー「悪童日記」他)10/25

『美術/音楽/舞台/読書』「アゴタ・クリストフ3部作についてー「悪童日記」「ふたりの証拠」「第3の嘘」」
                             堀茂樹訳/ハンガリー出身/フランス語)10/25

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映画「悪童日記」は衝撃的だった。第2次大戦から戦後にかけての動乱期のハンガリー。
双子の男の子を巡る残酷非情な物語。親元から離れて首都から田舎の祖母の元に疎開。厳しい労働、村での大人たちの貪欲・搾取・欺瞞・暴行・戦火の脅威を次々と体験していく。それを、主観や感情過多の文章を排したシンプルな削ぎ落した文体で綴った。悲惨さを感じさせないで残虐が淡々と語られていく、不思議な小説。

お婆さん
「魔女」と言われ、夫殺しと噂されている祖母の下で、「牝犬の子」と呼ばれた双子の闘いが始まる。
「働かざる者食うべからず」で畑や家畜の世話をしなければ食わせてもらえない、いや家の中に置いて貰えない。10歳の子どもには厳しい体験だ。双子はお婆ちゃんからよく打(ぶ)たれた。他の人から平手打ちや足蹴りを喰(く)らった。初めよく泣いた。「僕らは体を鍛えることを決意する。」裸になってベルトで打ち合う。「痛くないぞ!」自身の腕、胸にナイフを突き立て、「平気だ!」

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一時が万事だ。こうして、弱虫克服の精神の鍛練。空腹に耐える訓練=断食。盲目・聾唖の練習、残酷に耐える訓練。普通へこたれるところだが、双子は困難にぶつかると「自虐的」行為というか逆に立ち向かう態度で対処し克服していく。
作品では父から貰った大きなノートに「あるがままの事実、見たこと、聞いたこと、実行したこと」だけを、秘密のノートに書くことが使命(ミッション)なのだ。学校には行かず、祖母の家にあった唯一つの本、聖書で文字を独学で学習した。

文章は淡々としているが双子に降りかかる残虐は決して軽いものではない。人間は想像を超えた残虐を受けると残虐性を忘れようと正反対のことをすると、確かドストエフスキーの文学にあったかな? 心理学の分析で何というのか? 心の底に残るトラウマに襲われた時の主人公の対処の仕方がこの作品の特長である。

作者<アゴタ・クリストフ>は1935年ハンガリー生まれの女性作家である。1956年のハンガリー動乱の時に亡命してスイスに在住。1986年フランス語で書かれた「悪童日記」によって一躍脚光を浴びる。続いて「ふたりの証拠」(88)「第3の嘘」(91)と3部作を完成させた。2011年7月27日没。

作者が少女時代、第2次大戦が勃発、ハンガリーはナチのドイツに占領される。ユダヤ人や政治犯などが強制収容所に入れられた。親たちが空襲・飢餓にさらされ、密告に怯(おび)えていた時代、子どもたちは逆にほっとかれ、比較的自由な一面もあった。1945年終戦、ソ連の占領。ヒットラーに代わってスタリーンが来た。進駐のソ連軍はハンガリーで残虐行為を行い、女性の半数以上が強姦されたという。一党独裁のスタリーン主義の教条が押し付けられ、自由と家族を失う。1956年、ソ連でスタリーン批判が出ると、ハンガリーでも自由と民主化の要求の運動が起きる。ハンガリー動乱である。ソ連の軍事介入で市民2万人が殺され、政治指導者のナジを始めとする幹部が多数処刑された。20万人が国外に亡命した。
(ハンガリーもポーランドも大国に挟まった小国の悲劇というか悲惨と動乱の半世紀である。救いがない。こういう時代を人々は如何に生きるか、この作品のテーマである。)

作者の少女・青春時代は以上見てきたような圧政と動乱の時代だった。しかも、彼女は動乱の1956年活動家の夫と一緒に亡命している。作者が語っているところによると、少女時代、大好きな兄と「森や野原や街路で自由奔放に遊びまわった」。詩で歌われる「青春の王国」「夢のメリーゴーランド」だった。圧政がそれをズタズタにした。作品の3部作は「夢のメリーゴーランド」の再現・再構築ではないか?彼女は表現世界で少年に変身し、兄や他の兄弟たちのイメージを混ぜて、双子のクラウスとリュカを作りあげた。孤児の双子の兄弟が戦時のハンガリーを生きるとどういうことを体験するか?
双子の魂はクリストフのそれである。彼女が見たハンガリーの過酷な現実であり、非情な目である。

日記には、ハンガリーの半世紀の非情な現実が炙(あぶ)り出される。
戦争による爆撃死、安楽死、性行為、性倒錯、近親相姦、貧困、飢餓、過酷な労働、虐(いじ)め、暴力、憎悪、エゴイズム、妬(ねた)み、ユダヤ人への差別と迫害、強制収容所、ジェノサイド、進駐軍による強姦、性的トラウマ、教会の實相、

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3部作の
「悪童日記」(1986)  田舎の祖母に預けられた双子が生き延びる為に何をしたか!
「ふたりの証拠」(88)   クラウスは地雷原の国境を越えて他国に行ったが、残されたリュカはどうしたか?やさしいとこ   ろがあるリュカは隣家の貧しい障害者の母娘を助ける。兎唇の娘は村の性的慰みの対象、進駐してきたソ連軍の輪姦  によって殺される。リュカは赤ん坊を川に沈めようとした少女を救い、身体障害と行動障害の子どもを育てることに人   生の生きがいを見だそうとするが、、、
「第3の嘘」(91) <物語の発端>。「双子の母は夫の不倫を怒り、衝撃的に夫を射殺しその流れ玉がリュカの脊柱に当   たる。母は精神病院へ、リュカはリハビリセンターへ、クラウスは父の愛人アントニアに育てられる。アントニアは娘サラ  を生む。少女に成長したサラを愛するクラウス。(近親愛)クラウスが生涯で愛した唯一の女性。アントニアによって引き  裂かれる。新聞社の植字工の見習いとなり、植字工として大成する。精神病院から母を引き取る。リュカの事ばかり    言ってクラウスに冷たい態度をとる。リュカから40年振りに便りがあった。クラウスは何故か冷たい。40年振りの再会
  なのに、、、

「第3の嘘」は第1部の「悪童日記」と違うが、どちらが真実なのか? 
  真実はどうなのか?物語を錯綜とさせて読者を迷宮に引きずり込むのが作者の狙いなのか?元々、リュカが一人で暮  らしながら、双子の兄弟が存在するかのように日記に書いたかも知れない。3部作のリアリズム的な統一性はない。し  かし、「過酷な状況で生きるとはどういうことか?」。「ハンガリーの戦中・戦後・動乱という非情で過酷な状況を少年は   どうやって生きるか、或いは生きたか」。「当時の非情な現実の情景」が見事に描かれていて、作品のテーマ・主張は   貫かれている。それを強烈に表現することこそ作者の狙いではないのか?



  1. 2014/10/25(土) 21:22:08|
  2. 美術/ 音楽/舞台/読書/文学
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『2014年映画』「誰よりも狙われた男」(原作ジョン・ル・カレ、監督アントン・コービン主演フィリップ・シーモア・ホフマン)10/20

『2014年映画』「誰よりも狙われた男」(原作ジョン・ル・カレ、監督アントン・コービン 10/20
                      主演フィリップ・シーモア・ホフマン、レイチェル・
                      マクアダムス、ウィレム・デフォー、ロビン・ライト、
                    グレゴリドブロギン、ニーナ・ホス、ダニエル・ブリュール

 題名②

スパイ小説の巨匠ジョン・ル・カレの「誰よりも狙われた男」をアントン・コービン監督が映画化、その主役を、本年2月に急逝した名優フィリップ・シーモア・ホフマンが演じた。遺作となった。

ホフマンは昨年の夏にブログでも触れた「25年目の弦楽四重奏」に出演した名優である。第2ヴァイオリンで世代交代の時、第1ヴァイオリンをやりたいと野望の心情をむき出しにする役柄だった。腹の出た平凡そうな中年の男。役によって脇役でも主役を食うといわれる名優振りを発揮する。ホフマン最期の映画になってしまった。ホフマンに逢うためにだけにこの映画を見た、とも言える。

米ソの冷戦が終わって、3・11で世界の政治構造は欧米対イスラムに変わった。
ドイツのハンブルクは9・11テロの時、実行犯たちが根城にして計画を練ったところとして知られ、自由都市の港にはアラブ社会からの難民や亡命者が流入し、又、世界の防諜機関が暗躍していると言われている。

DSC_4320.ホフマン ①
ここを根拠地として非合法の対テロ対策チームを率いるバッハマン(ホフマン)は叩き上げのボスだ。以前の手痛い失敗のせいか(CIAによるとされる)精悍さの風貌に孤独の影を漂わせる。煙草とスコッチを手放さず、
昔からの助手のイルナ(ニーナ・ホス)を使いながら、巨体をせかせかしながらスマホを常にいじり回して連絡・指示・情報と忙しい。

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密入国した青年イッサ(グリゴリー・ドブリギン)をイスラム過激派として追う。

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イッサは人権団体の女性弁護士アナベル(レイチェル・マクアダムス)を通して、

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英国人銀行家ブルー(ウィレム・デフォー)と接触。ブルーの経営する銀行の秘密口座が狙いだという。さてその秘密口座はどういう存在か?イスラム教徒のイッサは何者か? 何をしょうとしているのか?

主人公バッハマンは彼を泳がしてテロ援助資金のもっと大物を釣ろうと目指すが、ドイツの合法防諜機関や

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米のCIAがテロ容疑で逮捕に動こうとする。防諜組織の熾烈なせめぎ合い、獲物の争奪戦、灰色に淀んだ憂鬱な古い港湾都市ハンブルクの街で繰り広げられる。

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曇天の運河、貧民街の薄汚れた街路、誰もいない工場地帯、毒々しいネオンの繁華街、はっと驚くような緑の公園や紅葉。
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熾烈な防諜が繰り広げる舞台として役者が揃っている。
彼を支援する美しい弁護士アナベルの純粋さ、容疑者イッサはチェチェンのイスラム教徒らしいこと、ロシアの防諜から迫害されてきたことが分かってくる。バッハマンは彼らを援助することで大きな獲物を得ようとするが、、、

ジョン・ル・カレの原作はスパイの熾烈な闘いよりスパイの苦悩や人間性を描いてきた。ここでもバッハマンの絶えず煙草とアルコールを手放さない日常、日常漂う非情な孤独感、山場にかかって興奮を冷ますためにピアノでソナタを弾くシーン。最後に見せた巨大組織に振り回される無念といった激情を、
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名優フィリップ・シーモア・ホフマンが見事に演じる。映画ファンは2月に急逝したホフマンを忍んで思いを馳せるだろう。

* チェチェン問題は一般的にはロシアにおける過激派のテロと片付けられるが、もっと根深くチェチェン独立の長い歴史がある。大国ロシアに挟まれた小国の、長年にわたっての独立への闘いの歴史である。



  1. 2014/10/20(月) 14:50:36|
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『美術/音楽/舞台』 「生誕100年展ー1期」(白山雅成作品展示室) 10/14

『美術/音楽/舞台』「生誕100年展―1期―」<白山雅成作品展示室>10/14
                      1期  2014年9月18日~12月15日
                       同   2015年1月15日~7月13日 
                  ( 2期予定 「ジャンとアマガ」ーパリ20区 )
         茨城県取手市戸頭7-4-5  0297-78-0274 火・水=休

「サン・マルコ寺院」
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1916年生まれの白山雅成先生(2000年没)は2016年に、生誕100年を迎える。ここ取手の「白山雅成作品展示室」は開館15年を迎えた。感無量である。オーナーの松永夫妻の人知れぬ労苦と情熱に心を打たれる。
想えば、個人が美術館を造るとは夢また夢の話である。白山先生に相談しながら、あれよあれよと思う間もなく作ってしまった。電話で、連れ合いに設計図のこと、大工のことを話していたと思ったら、次の電話は螺旋階段のことにまで進行してといった具合で、僕ら夫婦はその当時松永和子さんからもの凄いエネルギーをもらった!
とにかく、美術館は完成してしまった。有り余る財産家の道楽ではなく、白山先生を敬愛し先生の絵が好きだという事と、自身絵が好きだという理由からである。これは又、松永和子さんにとっては人生の一大事業になる。
「展示室」が出来て15年が経過した。先生の生誕100年をめでたく迎えることになる。今まで一つのテーマをたっぷりと2年位味わった。記念のモニメントとして、先生の全業績の展覧を企画した。あのベニスに逢える!モロッコに!そして、第2期では「ジャンとアマガ」である!
ひとりの画家が100年経っても忘れられないで、心ある人から称賛されることは、その画家が本物であることの証である。

<若き日の白山雅成先生>
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* 以前取り上げた、このブログの以下のページを参照して頂けると有難いのですが。
2014年7月13日 「白山松哉の漆工芸」(明治工芸の粋―村田コレクション)
2013年10月24日 「冬のパリとサーカス Ⅱ」
2013年2月3日  「或る美術館のこと」 

① 『ベニス』
「朝焼けのサルーテ寺院」
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「ベニスの魚市場」
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私のヴェネツィアのイメージは白山さんの絵によって出来上がったと言っても過言でない。当地を旅行する時、彼の絵の視点に立ってヴェネツィアを見てみたい。優れた画家の切り取り方が解るだろう。ヴェネツィアが違った様相を見せるだろう。
会場を一通り見てから、カフェの入り口のヴェネツィア3点の前に立った。2010年のイタリア旅行の時、アカデミア橋から見た「サルーテ」が強烈な姿を見せていた。連れ合いがいつも見ているばかりで入ったことが無いから入ろうよ、と引っ張って教会へ入っていった。教会の中のティツアーノやティントレットの絵は忘れたが、大きなクーポラのサルーテの風貌は心に焼き付いた。今、先生の朝焼けの「サルーテ寺院」を見ていると、色々な事が頭の中を巡ってくる。ヴェネツィアの景色や白山先生のこと、取手の展示室のこと、来し方の歳月のこと、、、感迫るものがあった。

「カ・ダ・モスト」
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ここでの主役は水面である。水面に浮かんだ建物の様相である。

*「小運河」「花市場」

② 『モロッコ』
*「麦畑」

「ロバと山の女」
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モロッコと言えば映画「カサブランカ」や今は観光でブームになっている青の町「シャウエン」だが、先生は絵の題材として現地の「山の女」を選ぶ。民俗的な衣装と風貌が面白い。民俗衣装の縞模様のスカートをはいた「山の女」をたくさん描いた。
パリのアトリエで、先生が「これが現地の女が着る衣装だよ」と言って縦の縞模様のスカートを出してきた。この山の女が巻いているスカートだ。独特の雰囲気だ。同行の女性たちが面白がって代わる代わるに巻いてみたファッション・ショー(!)を想い出す。

③ 『ナザレ』
*「ナザレの舟」
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ポルトガルの「ナザレ海岸」今では夏のリゾートとして賑合うそうだが、昔は辺鄙だが海岸が綺麗だったと聞く。海岸の鮮やかな色のボートを描いた。

④ 『パリ』
*「パリのサーカス」「サーカスの馬乗り」
パリのサーカスは広場なんかでやる小さな規模のものか。パリっ子の夢をかき立てただろう。真紅の赤を使って鮮やかな色合いが巧いと思った。

「パリのオークション」
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オークション会場の情景、右側に英国の首相サッチャーらしき人物(金持ち)を配したのはジョークなの?

「シルビア」
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* 人物画「シルビア」ヌード。シンプルでいいです。

「プロバンス通りのアトリエ」
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この絵から我々は勝手にイマジネーションを働かせた。前に住んでいたプロバンス通りのアトリエ。窓からサクレ・ク―ルが見え、廊下にキャンバスと道具が置いてある。朝描きに出て、夕方帰ってきた。キャンバスと道具を廊下に置いてホッとしているところか。先生の充実した日常が伺える。画家の日常空間の見事なキャッチ!

*「モンマルトルのノルヴァン通り」

「人物画<アンジェル>」
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アフリカ系の女性像か?しっかりとした人物の存在感がよく出ている。

「パリ遠望」
パリ遠望
前回にも出品。パリを描いた風景画として逸品!

*「モンマルトルのぶどう畑」

「パリ20区・ヴィラン通り」
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私の好きな絵だ。ひと昔の前のパリのヴィラン通り。移民と労働者の町。典型的な下町だ。ここで白山さんはジャンとアマガ親子に出会う。オーナーの松永さんがいつも言うのだが、20区の内側に入ってそこからの視点でパリを描いた日本人画家は佐伯祐三と先生以外にいない、と。

*「ジャンと母アマガ」「マダム・アマガ」「ジャン」
2期でやります。

⑤ 『コリウール』
*「麦畑」
*「草原と海を望む」

「コリウールの朝」
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コリウールはスペイン国境に近いフランスの地中海に面した海岸。スペイン内戦の終結の時、敗れた数十万の共和国軍兵士がフランスに逃げ収容所に送られたところ。20世紀になって、マチスやドランやシニャックが絵を描きに来たところ。画家たちが絵の題材を求めて来るところで有名になった。

⑥ 「静物・その他」

「全員集合」
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アトリエにあった小物を全部集めて描いたかのようで、我々は全員集合と呼んでいた。

「ダリア」
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見事なダリア!色彩の饗宴!

*「リラの花」
*「赤い魚」

# 途中で展示替えはすると言っていました。久しぶりのヴェネツィアはいいですよ!
   白亜の「カ・ドーロ」も見たいし、人物画の「メロディ」も見たいなぁー。


  1. 2014/10/14(火) 21:30:21|
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『2014年映画』「悪童日記」(原作アゴタ・クリストフ監督ヤーノシュ・サース)独・ハンガリー、10/8

『2014年映画』「悪童日記」(原作アゴタ・クリストフ。監督ヤーノシュ・サース。
                 出演:アンドラ―シュ・ラースロー<ジェーマント・
                 双子>ピロシュカ・モルナール<祖母> 
                 2013年独・ハンガリー合作   10/8

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ハンガリーの亡命作家アゴタ・クリストフの作品「悪童日記」は1986年、フランス語で刊行・40カ国以上で翻訳されベストセラーになったが、なかなか映画化されなかった。出版後30年を経て、同郷のヤーノシュ監督によって昨年映画化され、2013年カルロヴィ・ヴァリ国際映画祭でグランプリを取った。

映画の舞台は第2次大戦下のハンガリー。
映画は双子の一家の、<大きな町>の幸福な生活から始まる。明るい色調の部屋で若き父母の愛情に包まれた家庭だった。(明るい色調の画面は殆ど無く、あと素晴らしい緑の林の1シーンのみ)

一転、戦争が始まり、パパは大きなノートを「その日にあった本当の事だけを書きなさい」と双子に与えて前線に出発した。残されたママとの3人の生活も日を追って切羽詰ってくる、、、
或る日、ママは<小さな町>の町端に住む実母に双子を預けた。

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<魔女>と呼ばれる双子の祖母は吝嗇(りんしょく)、「働かざる者食うべからず」の信条。祖母は都会の青白きお坊ちゃんではこの世を生き抜けられずとみたか、「敷布に毛布じゃと!真っ白いシャツに磨き上げた靴じゃと!わしゃ、これからお前たちに、生きるっていうのはどういうことか教えてやるわい!」
<魔女>の下での双子のたたかいが始まった。

祖母の手助けをしないと、食べ物を貰えない上、家の中に入れて貰えない。初め双子は拒否したが、6日目の朝、手伝うことにした。(降参したのではないことが後でわかる)
大人たちはよく打(ぶ)つ。平手打ちや足蹴り食らわせる。双子は痛くてすぐ泣いてしまう。「泣かずに痛みに耐えることが出来るよう体を鍛えることにした。裸になってベルトで打ち合った。腕や胸にナイフを突き立て、傷口にアルコールを塗る。ぼくらはもう泣かない!

「牝犬の子!」「魔女の子!」、、、これらの言葉を聞くと、顔が赤くなり、膝ががくがくと震える。何事にも動じないために精神の鍛練をした。しかし、「私の愛しい子!」という優しいママの思い出の言葉は想い出されて、切ないので別な鍛練をしなくてはならない。その言葉を繰り返して意味を感じなくしたり、母親の写真を焼いたりして忘れようとした。

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こうして双子は家の中にあった唯一の本「聖書」で読み書きを覚え、2人で互いに協力し合って、時には盗みや強請り・生き物を殺すことや虐(いじ)めから身を守る方法も覚えた。森に逃げてきた脱走兵が飢えて死ぬと、空腹に耐える鍛練=断食を行った。又。脱走兵が持っていた武器弾薬を家の中に隠した。

又、隣家の兎口の少女と母親が飢え死にしそうになると助けたり、ユダヤ人の靴屋のお爺さんの親切で温かいゴム長靴を貰ったりする。
この様な日常の出来事をノートに綴った。つまり少年の成長物語である。

ナチスの独軍がハンガリーを占領していた。
或る日、独軍の兵士に引っ張られた、家畜のように牽かれて行く人間たちの群れを見た。幼い子どもを抱いた母親、老人たちの群れ。皆収容所に連れて行くのだ。人々は口汚く罵っていた。司祭館の女中が「靴屋の爺もユダヤだ!犬畜生だ!」大声で叫ぶ。後で靴屋へ行ってみると、家の中はめちゃめちゃに荒らされ、お爺さんは殺されていた。双子は隠していた弾薬を司祭館のストーブに入れ、その爆発で女中は大やけどを負う。その事件の嫌疑で警察の拷問を受ける。

やがてナチスが敗北し、この国は又他の国に占領される。そのソ連軍が進駐して来る。赤子を連れたママが他国へ逃げようと双子を連れにくるが、双子は「ここがいい」と拒否。言い争っている内に爆撃でママと赤子は死んでしまう。

ナチスが敗北した日、大勢の敗残兵が逃げって行った。

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双子は収容所に行ってみた。がらんとしてまるで廃墟のようだ。燃えている建物もあった。誰もいない。黒焦げになった死体の山があった。大きいのも小さいのもあった。子どももいたのだ、、、僕らは嘔吐した。一目散に走って出る。

双子は学校に行かず祖母と共に暮らし続けたが、祖母が脳卒中をおこすと祖母の願い通り毒を飲ませて死なせる。
そして、パパがやってくる。この国から迫害を受けているパパはどうしても亡命したいと言う。国境辺には地雷が埋まっていて危険だ。彼らは手引きをするがパパは地雷原にかかって爆死してしまう。
ひとりはパパの死を利用して他国へ、もう一人は祖母の家に帰っていった。

* ハンガリー史
ハンガリーは13世紀のモンゴル、14・15世紀のオスマンの侵入で大打撃を受け、16・17世紀はオスマンとハプスブルク家との係争地となった。19世紀にオーストリア・ハンガリー帝国が成立。
第1次大戦ではドイツ側に立ったが敗北、戦後の政権はナチスの軍事力を頼りに、独軍のユーゴ―侵攻・独ソ戦等ではナチス側についた。1945年ソ連軍が侵攻でハンガリーはソ連の占領になった。侵攻時ソ連軍はハンガリーで徹底的な暴虐行為を行い、女性の半数が強姦された。
第2次大戦後は、スターリンの指導で一党独裁国家が続く。

* <ハンガリー動乱>。1956年
ソ連の「スターリン批判」、ハンガリーでも共産党が失脚。民衆はデモに参加、ナジ・イムレを担ぎだした。事態を重く見たソ連は軍事介入、市民約2万人が殺害された。ナジ以下多数の幹部が処刑され、20万人の市民が難民として亡命した。
「悪童日記」の作者アゴタ・クリストフもこの時スイスに亡命している。
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1989年、「鉄のカーテン」撤去の冷戦終結まで、動乱の傷は修復しなかった。

* 作品の舞台及び時間は、第2次大戦下の1940年代のハンガリー。ナチスからスターリンへと支配が変わる恐怖時代。こういう動乱を人はどう生きたらいいか。日本でも70年余前が同じ状況だった。何度も見た映画「飢餓海峡」(水上勉原作、内田吐夢監督)、最近テレビで放映していた。昔評論家が、「嵐の飢餓海峡」を渡ってやっと帰ってきた主人公を敗戦で海外から引き揚げてきた日本人だと言ったことがある。海外でいろんなことをやって、嵐の海峡を渡って、やっと帰ってきた。今、「悪童日記」を見てそれを想い出した。戦争・敗戦・引き揚げ・戦後の飢えた時代、、、
ハンガリー史は殆ど知らない。アジアの血が入ったヨーロッパ人。ハブスブルク家との二重国家。2つの大戦もドイツについて敗者だ。ナチの支配からスターリンの支配。ハンガリー動乱の先駆性(東欧革命の先駆)。多くの犠牲と流された血!
激動の地・流動の時間を生きるには、「悪童」のやり方が有効か?ひ弱なら吹き飛ばされていただろう。

それにしても、双子の生き方は妙にリアリティーがある。状況が動乱であればあるほどリアリティーがある。

双子②







  1. 2014/10/08(水) 21:41:36|
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