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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『2014年映画』「物語る私たち」(監督・脚本サラ・ポーリー。カナダ映画。ドキュメンタリー)9/30

 『2014年映画』「物語る私たち」(監督、脚本サラ・ポーリー。カナダ映画)9/
  父、マイケル・ポーリー。姉スージー・バカン。兄ジョン・バカン。
  兄マーク・ポ―リー。姉ジョアンナ・ポーリー。母の友人ハーリー
                     ・ガルキン。母の友人ジェフ・ボウズ

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昨年の10月に取り上げた「死ぬまでにしたい10のこと」のサラ・ポーリーが、脚本・監督で「物語る私たち」を作った。「死ぬまで~」(主演)にしても「アウェイ・フロム・ハー君を想う」(監督)にしても、サラのように人間の死や家族の愛に真面目に向き合った作品は好きだ。ひと昔前のアメリカ映画(ここではカナダだが)みたいだ。とにかく、俳優・監督・脚本と多彩な才能に敬服する。彼女が自分の出生を調べていて、母の生き様及び家族史・家族の愛を描いたドキュメンタリ風の映画。秀作である。

サラは幼い頃より自分が、4人の兄姉と容貌が似ていないことを、ジョークでからかわれていた。11歳の時母親のダイアンは癌で亡くなった。余り覚えていない母親はどんな人だったか?どのような人生を歩んだか?自分の家族やその友人から聞き出そうとインタビューを試みる。
自分や父や兄姉たちに語らせ、父が趣味で撮った8ミリの、母や家族の映像で映画を作った。

<母、ダイアン・ポーリー>
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インタビューで浮かびあがって行く母ダイアンは自由奔放な明るく美しい女性である。現在の父マイケルの前に結婚に失敗して、親権を失うが2人の子どもを愛する。マイケルとの間に3人の子どもを産み、舞台女優としても活躍した。しかし、家庭に収まる存在ではなく、自己に忠実で舞台や愛に生きたチャーミングな女であった。映画の前半は美しく魅力溢れた母ダイアンの発見である。姉たちが、自分の愛に生きた母を非難ではなくむしろ涙ぐみながら絶賛していることに驚く。父マイケルが撮ったダイアンは、お茶目で奔放な魅力溢れた映像だ。

監督のサラは兄弟の中で彼女だけが赤毛だった。ジョークに「お父さん違うじゃない!」と言われた。
調べていく内に、自分の父は他にいる事が分かってくる。当時の母の友人が「いたわよ」とぽろっと言う。
結婚してから、マイケルは真面目になって保険会社に勤め普通の家庭を築こうとした。ダイアンは舞台に立つ為に家族を置いて家を離れた。その舞台の「3人の俳優のひとりがあなたのお父さんよ」と言う。
映画はサラが3人に会いに行って確かめていく、、、

<少女時代のサラ>
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ダイアンが亡くなったのはサラが11歳の時、年が離れた兄姉たちは家から独立していて、マイケルは家にいた幼いサラを愛した。妻が亡くなってどん底にいたからマイケルの愛情は計り知れないものがあった。今でもサラを本当の娘と思っている。
(掛け替えの無い人を亡くした者にとって、残された子どもへの愛おしさは格別なものがある。)
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本当の父を探す旅で、サラ自身も心が張り裂けてくる。マイケルは自分を愛情一杯に育ててくれた父だ。映画作りなんかも教えてくれた。自分にとって父とは何であるか、誰かではなくて、何であるかが大切だとしみじみと分かってくる。
全体が軽妙でウイットに富んだ、溢れんばかりの父母への愛に包まれた作品に感動する。

<アウェイ・フロム・ハー君を想う>
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≪サラ・ポーリー≫ (1979年~、カナダの女優・映画監督・脚本家)
 カナダのトロントで俳優の両親の下に生まれる。4歳の時から子役として活躍し、1997年の
 アトム・エゴヤンの「スウィート・ヒアアフター」で注目される。
 2003年、「死ぬまでにしたい10のこと」 2005年「あなたになら言える秘密のこと」の主演。
 2006年、「アウェイ・フロム・ハー君を想う」 2012年、「物語る私たち」の監督・脚本。
 政治に強い関心を示し、数々の武勇伝もあり、女優だけではなく、脚本・監督としても将来が
 期待される。



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  1. 2014/09/30(火) 20:43:01|
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『2014年映画』 「郊游<ピクニック>」台湾映画、(監督、蔡明亮。出演、李康生)9/25

『2014年映画』「郊游<ピクニック>」(監督ツァイ・ミンリャン、出演リー・カン
                    ション、台湾映画、ヴェネツィア審査員大賞。
                    出演ヤン・クイメイ。ルー・イーチン。チェン・
                    シャーチン 9/25

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繁栄誇る大都会、現代の台北の片隅で暮らす男と幼い少年と幼女の3人の家族。男は高級マンションの看板を持ち、幹線道路に1日中立ち尽くす「人間立て看板」で僅かな日銭を得る。ビルのトイレで体を洗い、スーパーで残った弁当のおこぼれが食事だ。子どもたちは学校へは行かず、デパートやスーパーや河原が遊び場所だ。副題に「ピクニック」とあるように、毎日がピクニックのように楽しいのか?廃墟になったビルや空き家を転々とする毎日。

長回しの映像が半端じゃない。台詞は最小限、全編そぎ落としたギリギリの映像で何を狙っているのか?
余りの長回しのため眠気・苛立ちに襲われる。そうか、ドラマ性の究極のアンチに立とうする映画か?)
繁栄する大都会と対極にある親子の壮絶な貧困を描くことで、監督は何を訴えようとしたのか?
人々に見捨てられた無残な廃屋や廃墟のビルは大都会の孤絶・非情さの格好の舞台なのだろうか? 

<意味不明のシーンが続く中で、3人の女が絡んでくる。>
 (3人の女優が登場。1人の女を演じているのかも?)
* 嵐の中で男は船出しょうとする。その時子どもたちを連れ去る女。
* 廃墟のビルに犬が何匹も集まってくる。懐中電灯を持った女が来て放尿して去って行く。
* 幻想の世界の出来事か? 女が子どもの勉強を見ている。男の誕生日、バースデイ・
   ケーキを皆で食べようとする。

子どもたちがいなくなった布団に、幼女が描いた大きなキャベツの人形が寝ている。男が突然そのキャベツを食べ出す。いつしか男は涙を流しながら食べている。結局全部食べてしまう。それを長回しの映像で見ていると、奇妙な感情から何故か哀しみの感情になっていた。 これは何だろう? 

ラストシーンが圧巻!
「女が絵を見ている。後ろに男が立っている。男は酒を飲んでいるようだ。少し経つと女の目に大粒の涙が溢れてくる。又少し経っと男が女に持たれて泣きだす。暫くして涙が乾いた女は去って行く。男取り残される。」
これもかなりの長回しのシーンであり、男と女との関係性を想像させる。男と女との間に流れた無限の時間! 
私は感動した。ぞくぞくとした。
昔見た、太田省吾の「転形劇場」の無言劇を想い出した。

長回しのシーンがこの映画のキーポイントだ。それによって深遠な時間と空間が表現される。 
蔡監督が捉えた映像が重い意味を持っているのだと改めて思い知らされる。これだけのスケールの大きくかつ深い映画を撮る監督がいるのだ。しかし、興行的には厳しいだろうなぁーと感じた。

<キャスト>
* 蔡明亮<ツァイ・ミンリャン>(1957年マレーシアで生まれ、台湾で映画監督として活躍。
   1992年「青春神話」で賞に輝く。94年「愛情萬歳」ヴェネツィア金獅子賞。97年「河」
  ベルリン国際映画祭審査委員グランプリ。98年「Hole―洞」カンヌ批評家連盟賞。
  2013年「郊游」でヴェネツィア審査委員大賞と19年ぶりの金馬奨監督賞を受賞、引退
  (商業映画)を表明。台湾映画の巨匠。
* 李康生<リー・カンション> (1968年台北生まれ。父親役。 小康<シャオ・カン>の名
    で蔡の全作品に出ている蔡の作品の顔。2003年の「迷子」以降監督も務めている。
    今後他の監督に出演の予定。
* 楊貴媚<ヤン・クイメイ>(髪を梳く女)歌手としてデビュー、「愛情萬歳」で蔡作品に出演、
    ミュージカル、国際的な演技派として知られる。
* 陸弈静<ルー・イーチン>(子どもを連れ去る女)「青春神話」から出演。台湾映画の脇役
    として有名。
* 陳湘琪<チェン・シャーンチー>(涙を流す女) 台湾のヘップバーンと言われる。NYで演技
    を学び、『河』以降全作品に出演。大学で教鞭をとる一方、映画や舞台に活躍。



  1. 2014/09/25(木) 09:10:26|
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『2014年映画』「リスボンに誘われて」(監督ビレ・アグスト出演ジェレミー・アィアンズ、マルティナ・ゲッデック)

『2014年映画』「リスボンに誘われて」(原作パスカル・メルシエ監督ビレ・
                       アウグスト、2012年)出演>ライムント
                       (ジェレミー・アイアンズ)アマデウ
                       (ジャック・ヒューストン)エステファニア
                       (メラニー・ロラン/ レナ・オリン)ジョルジェ
                       (アウグスト・ディール/ ブルーノ・ガンツ)
                       眼科医マリアナ(マルティナゲッデック)
                       アドリア―ナ(S・ランプリング) 9/20
              

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スイスのベルンの高校で古典文献学を教える初老のライムントは、知性と教養に溢れた人物で、5年前に妻と別れてから孤独な独り暮らしをしていた。離婚の理由を自分は退屈で平凡な人間だからと言っている。
そんな或る日、吊り橋の上から飛び降りようとする一人の女性を助ける。彼女は1冊の本(「言葉の金細工師」)を残して彼の前から姿を消す。本に挟まれたリスボン行の切符を届けようとベルン駅に走り、衝動的に夜行列車に飛び乗る。
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車中でその本を読んだ彼は、ずっと自分が考えてきたことが書かれていたことに心を奪われ、その世界に没入していった。
(ライムントの人生が動き始めた。)

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リスボンに着くと著者のアマデウを探し訪ねる。彼の妹アドリアーナが蔵書の一杯揃った部屋に招き入れる。アマデウが医者であること、その本は100冊しか発行しなかったと言う。兄は留守だと告げる。アドリア―ナの様子も部屋の様子も何か変だが、老家政婦が帰ろうとする彼に教えてくれた墓地に行ってみると、本の著者アマデウは若くして亡くなったことを知る。何故アドリア―ナは嘘をついたのか?本の著者を取り巻く不思議な謎にいつしかライムントは引き込まれていった。

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彼は街中で自転車にぶつかって眼鏡を割ってしまい、女性の眼科医マリアナに診て貰う。彼女はスイスから来たライムントに興味を示す。何故ポルトガルに来たかと尋ねるマリアナ。
「言葉の金細工師」という本に書かれていることの素晴らしさ」「アマデウに何があったか知りたくて」
マリアナは介護施設に入っている偏屈者の伯父のジヨアンを紹介する。伯父は嘗てアマデウたちの仲間であった。
ライムントはジヨアンを訪ね、40年前の非合法の闘争のこと、アマデウやその親友ジョルジェの事を聞く。

神父と
彼はジョルジェやアマデウの教師で埋葬したバルトロメオ神父に会いに行く。だんだんとアマデウの真相が掴めて来た。

こうして、この映画はライムントのリスボンでの「人探し」「真実を探る旅」であるのだ。彼が歩くリスボンの町の映像が素晴らしい。
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ラインムントが真相を求めて歩きまわるリスボンの街の美しさ。ポルトガルの先は太平洋の大海原が果てしなく広がる。ここはヨーロッパ最西端、最果ての地なのだ。中世の或いは昔のヨーロッパが残っている。
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古い教会、石畳の道、坂道、古ぼけた路面電車、昔風の街並み。映画「ローマの休日」と同じ手法だが、映画の持つ映像力がなせる技、主人公が歩きまわるリスボンの魅力をたっぷり見せる!

彼が探り出した40年前の意外な真実
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「アマデウたちは1970年代、ポルトガルを独裁政治から解放した「カーネーション革命」の担い手だった。独裁に抗する若者たちの自由への闘い、生死を賭けて政治活動へ参加する危険な行為、親友を裏切るほどの情熱的な恋、、、彼らにはポルトガルの青春があった。」

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マリアンナと食事した時、彼はこれまでの事を話す。
「40年前のリスボンで何があったかを知りたかった。」「自分が平凡な人間であるから、アマデウたちみたいに能動的に目の前の不正腐敗に立ち向かっていく青春のエネルギーに憧憬を覚えた。」
ライムントのリスボンの旅は、彼自身の再生の行動でもあったのだ。駅まで見送りにきたマリアナの目にはどのように映っていただろうか? 

*スペインの1930年代の「人民戦線と内戦」と「フランコの独裁」(1939~1974)は有名であるが、ポルトガルの独裁政治(1926~1973)と1970年代の「カーネーション革命」はあまり知られていない。映画に登場したのもこれが初めてではないか?僕も知らなかった。
*僕にとってポルトガルが舞台の映画といえば、昔のフランス映画「過去を持つ愛情」である。裏切った妻を殺してしまった男と英国の貴族の夫を殺した女がリスボンに流れてきて恋に陥る。アマリア・ロドリゲスの歌うファド「暗いはしけ」がふたりの恋の行末を暗示している。フランソワーズ・アルヌールという女優の魅惑的な美しさと、ロドリゲスの歌うファド「暗いはしけ」の、太鼓のリズムに乗って心の底に届くような歌は忘れられない。映画の舞台となったポルトガルのナザレの町は「暗いはしけ」の流行と共に世界の観光地になった。

映画「過去を持つ愛情」歌う、アマリア・ロドリゲスのファド「暗いはしけ」
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キャストについて
* <ジェレミー・アイアンズ>英国の俳優。「運命の逆転」でアカデミー主演男優、「エリザベス1世~愛と陰謀の王宮」など主演映画多数。
* <ブルーノ・ガンツ>スイス出身の俳優、ドイツで活躍。「ベルリン・天使の詩」「永遠の一  日」「エレナの帰郷」ギリシャの巨匠アンゲロポリスの作品に出演。
* <マルティナ・ゲッデック>ドイツの女優。「マーサの幸わせレシピ」「善き人のためのソナタ」
* <レナ・オリン>スェーデンの女優。「存在の耐えられない軽さ」「蜘蛛女」
* <シャーロット・ランプリング>英国の女優。「愛の嵐」「地獄に堕ちた勇者ども」「評決」「まぼろし」出演多数。

* 監督<ビレ・アウグスト>「ペレ」「愛の風景」カンヌのパルムドールを2度受賞。


  1. 2014/09/20(土) 14:20:07|
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『2014年映画』 「私の中のあなた」(監督ニック・カサヴェテス主演キャメロン・ディアス、アビゲール・プレスリン)9/13

『2014年映画』 「私の中のあなた」(原作ジョディ・ピコー、監督ニック・カサヴェテス
            出演キャメロン・ディアス、アビゲール・プレスリン,ソフィア・ヴァジリーヴァ,ジェイソン・パトリ                     アレック・ボールドイン、2009年公開 9/13

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8月下旬テレビで放映。かつての話題作であり録画して見た。感動した。家族の在り方、生と死、少女の成長物語、癌という難病、などいろいろと考えさせられた。
米の人気作家ジョディ・ピコ―のベストセラー小説をニック・カサヴェテスが映画化した。
白血病の姉のドナーとなるべく遺伝子操作によって生まれた妹が、姉への臓器提供を拒んで、両親を提訴する姿を通し、家族の在り方や命の尊厳を問いかけた作品。

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<キャスト>
母サラ(キャメロン・ディアス)父ブライアン(ジェイソン・パトリック)姉ケイト(ソフィア・ヴァジリ―ヴァ)妹アナ(アビゲイル・ブレスリン)弁護士キャンベル(アレック・ボールドイン)判事(ジョーン・キューザック)
人気のベストセラー小説の映画化、キャメロン・ディアスは当時人気の売れっ子女優、アナ役のアビゲイル・ブレスリンは評判の少女スター。何人かの名脇役で固めて感動的な作品に仕上げた。

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娘のケイトが白血病になる。何としても助けたいと思う母サラは弁護士を辞め看護に専念する。しかし家族にドナーに適合する者がいない。ケイトの病気は時間を待ってくれない。悩んだ末に法にオフレコだが、ケイトに適合し臓器提供できるドナーの為に、遺伝子操作によって生んだ妹のアナ。アナはこれまで何度も姉の治療のために犠牲を強いられてきたが、母のサラは愛する家族のためなら当然と信じてきた。ケイトの病気の為に自分のキャリアを捨て行動的に家族を引っ張ってきた。

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例えば、ケイトの調子が悪くて内に引きこもり、「皆がジロジロ見て<醜い>というの!」と訴えると、
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サラはすぐさまバリカンで坊主になって見せる! 家族皆で明るく遊園地で遊ぶシーン。

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そんな或る日、アナは姉への臓器提供を拒否し、両親を相手に弁護士を通して訴訟を起こした。
信じられないことが起こった!アナが臓器提供を止めればケイトは死んでしまう!とアナへ詰め寄る母サラ。夜、家族全員集まって家族会議だ。

アナ
アナは主張する、「私はサッカーとかチアリーダーをしたい!」「私はパーティーやビーチに行きたい!」「一生無理出来ない体になりたくない」アナの主張はひとりの女の子として当然の言い分だ。

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裁判。女性判事のデ・サルヴォーは12歳の娘が酔っ払い運転の犠牲になって、痛手の為に半年間の休職の後の復職だ。名脇役のジョーン・キュザックが良い雰囲気の法廷の味を出していた。(11歳の少女の訴え、白血病の姉への臓器提供という問題、12歳の娘を喪っている判事にとって色々な思いが去来、、、)
法廷では、アナの提訴理由の弁護を弁護士が言い立てる。母サラの主張、判事のアナへの尋問と進んでいった。

一方、ケイトの病状は一段と進んで行った。もう先がないところまで来ていた。医師はホスピスの介護士をサラに紹介する。「余命のない娘さんといい時間を過ごされたら?」サラは拒否してあくまで「手術だ!」と言い張る。

その頃、ケイトは同じ白血病の青年テイラーと知り合いデイトに誘われる。家に帰ってアナに話すケイト。普通の娘らしい話題。目を輝かせながらデイトの話を迫るアナ。ダンスパーティに誘われるケイト。
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正装して美しくなったケイト! サラと叔母は嬉々として写真を撮る。複雑な感動で見つめる父と弟。
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踊る2人、テイラーが言う。「癌になったから、君に会えた。癌になって良かった!」会場を抜け出し2人だけの居場所に行く。結ばれる2人。

「3日も電話を掛けて来ない!」――怒るケイト!「やったのよ!だから、電話を掛けて来ないのよ!」
サラが看護師に確かめると、テイラーは病状悪化で死んでいた。

打撃を受けるケイト!

2人の思い出のアルバムを見るケイト、、、死を自覚する。

ある時、サラと妹ケリー(姪のケイトの為に献身的に看護を手伝っている)が話している。ケリーが「裁判で勝てると思うの?」サラ「判例がある」ケリー「最後まで諦めない母親。姉さんはそういう母でありたいと必死で闘っている。それ以外何も目に入らない、しかし、何時か受け入れるのよ。」サラ「出来ない」。

<法廷のシーン>
「弁護士」、今までのアナへの処置を追求。「臓器提供はアナが生後すぐ始まった。リンパ球の提供、顆粒球の提供、骨髄穿刹(この時アナは6日間合併症の為に入院)」
「サラの弁論」― 「一方の娘に注射を打ち続けてことは、鬼のような母親と思うかも知れないが、子どもを死なせる母親は?」

* 休憩中、裁判所の外で、アナがケイトに電話している。
アナ「もう、もたないよ」ケイト「大丈夫よ」
(アナの提訴はケイトの指図だったのか!)

「アナへの尋問」-- アナの目的は「処置の拒否」。
「サラのアナへの尋問」―-「ケイトを愛しているんでしょ。命を助けたくないの?」
(サラの回想=ケイトが自棄になって酒を飲んで「バイバイ、ママ!バイバイ、病院!テイラーの所へ行くんだ!」と暴れたシーン)
サラのアナへの追求が厳しくなっていく。
法廷内にいた兄のジェシーが、アナを助けるように「アナ!全部話せ!」そして「ケイトは死にたいのだ!手術はムダとわかっている!覚悟は出来ている」
サラ「それなら私に話してくれたはずよ」
ジェシー「ケイトは話したよ」父のブライアン「何百回言っても、君は聞こうとしなかった」

<ビーチのシーン> (いいシーンである。天地の素晴らしさを再認識する!)
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死の床でケイトはビーチへ行きたい、と言う。医者は許可する。父のブライアンは望みを叶えてあげようと思う。弟・アナと3人で支度をしていた時サラに見つかり大喧嘩!振り切ってビーチへ。後からサラも来る。
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<ケイトとの別れの夜>
親戚・家族が集まってケイトと別れる。最後の夜、ケイトはママと2人だけにしてくれと言う。
サラと2人だけになって、自分で作ったアルバムをサラに見せる。
「私の家族」――ママやパパ、アナやジェシー、そして愛しのテイラー。幼い頃からの成長アルバム、皆のアルバム。切り貼りした写真、ここで待っている、サラは見ている。
ケイト「いい人生だったわ」サマーキャンプのこと、「バスに乗る時、左側の席に座りなさい、振り向くとママが見えるからと言ったわね、今度もその席に座るわ、悲しまないで」サラ嗚咽して泣き出す。ケイトサラを抱きしめる。
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その夜、ケイトは死んだ。
裁判はアナが勝っていた。

あれから数年、ママは弁護士に戻って、いい収入を得ている。パパは早期退職して問題を抱える若者の指導をしている。
ジェシーはケイトの死後、生き方を変えて学校に戻りNYのアート・スクールへ。

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それぞれの道を歩んでも、毎年ケイトの誕生日には家族揃って休暇を取り同じ場所に集まる。
姉を救うために生まれた私、でも救うことが出来なかった。今となってはそれは重要ではない。重要なのは素晴らしい姉がいたこと、いつかまた逢える、その日まで私と姉の心はつながっている。

* 映画の中の誰かが、もし自分だったらどうなるか?と思うだけで胸が一杯になってしまう。あの家族は考えられること   以上の行動をしてますね。
  独身で子供がいないキャメロンの母親役の演技に賭ける情熱は半端ではない。アナ役のアビゲイルは有名な子役ス   ターだが、評判通りですね。感度のいい少女です。ケイト役のソフイアも難しい役柄をこなした素晴らしい演技でした。
  原作もいいし、よく練られた脚本です。いい映画でした。


  1. 2014/09/13(土) 21:52:55|
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『美術/音楽/舞台』「別府葉子シャンソンコンサート」(2014.9.5ルーテル市ヶ谷ホール)9/8

『美術/音楽/舞台』「別府葉子シャンソンコンサート」(2014.9.5ルーテル市ヶ谷ホール)
                      P.上田裕司B.神崎薫V.会田桃子    9/8

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別府葉子さんは私のブログに時々訪れてくれるので、彼女の文章や歌はブログ上で聴いて馴染みになっていた。(私が勝手に思っているだけだが)
いつもは四国や関西で活躍の別府さんが、久し振りに東京で9月5日にリサイタルを開くので楽しみにしていた。ところが直前になって一寸した病院騒ぎ?があったらしい。心配していたが大丈夫だとブログに書いてあったのでひと安心。よかった。
9月5日市ヶ谷ルーテルホールへ聴きにいった。ほぼ満員の盛況で熱狂に包まれていた。

聴いた何曲かの感想をまとめてみたい。
(音楽はクラシックが好きだったが、最近生のコンサートに行かなくなった。シャンソンは越路吹雪くらいしか聴いたことがなく、ド素人である。失礼なことがあればお許し願いたい。)

<プログラムの中から>
* 「月虹」/作詩・作曲 /別府葉子
コンサート第1曲目、元気いっぱい精力的に歌う。熱く溌剌としたアッピールである。別府さんは、こういう人かと一瞬にしてイメージが出来上がった。
 夜間に光る月の光によって生じた<虹>を歌ったもの。「月虹」のイメージからインスピレーションを受けて、自ら作詞・作曲したものだという。高い声、鼻音がいい。オリジナル曲を全力投球しているという感じだ。

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* 「6月の雨」/ 作詩・作曲 / 別府葉子
これもオリジナル曲。愛する者が亡くなっても、残された者は生きていかねばならない。残された者の人生を歌ったもの。亡父が逝った後の母のことだという。
「6月の雨に濡れ、紫陽花が泣いている/ 青い花びらに露を受け止めて/ 
思い起こせば、夏の思い出は いつもあなた/  いつもあなたを いつも思っている」
普段の日常の生活のひとこま、さりげなく生きていく母を歌った。(淡々とかさりげなくと言ったか? ここに大事な日常の実感がある)花影に亡き人との面影・生活・愛を忍んでいる。いい歌である。両親へのオマージュか?

* 「クライ・ミー・ア・リヴァ―」1950年代に流行ったアメリカのブルーバラード。
昔、裏切った男が会いに来て「昨夜君のことを思って、川のように泣いたよ」と口説いた。「今さら遅いよ」と女は冷ややかにあしらう歌。

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音楽の遊びだと言って、「男女のかけあい」を別府さんの歌とベースの神崎薫さんとの掛け合い。別府さんのリリカルな歌と神崎さんのベースの腹の底に響く音の掛け合い!こういう複数の楽器による掛け合いは面白いが、言葉や意志を音で表現するのは高度化するし意外に難しいのではないか?

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* 「ゲッティンゲン」バルバラ作詩・作曲。別府葉子・訳詞。
フランスの天才的歌手・作詞・作曲家バルバラ(1930~1997)は、1964年ドイツのゲッティンゲン大学に招かれて大歓迎を受けた。ゲッティンゲンの若者との交流で感動してその時に作った曲。
「もちろんセーヌはない/ ヴァンセヌの森もない/ それでもやはり/ そこには多くの喜びがある/ゲッティンゲンでは、ゲッティンゲンでは」
で始まり、途中次のフレーズを挟む。
「流血と憎悪の時代に/ 二度と決して戻りませんように/ あそこには私の好きだった人たちがいるのだから/ あそこ ゲッティンゲンには 」

ユダヤ人とロシア人との両親に生まれ、戦中ナチのユダヤ人狩りにあい、転々と逃げ回った辛い体験を味わった彼女。フランスとドイツとの和解のための反戦歌を作った。
別府さんは語るように歌った。(シャンソンの真骨頂!)しみじみと心に響いてくる。私はしみじみと心の底に訴えかけてくるようなシャンソンが好きだ。

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「百万本のバラ」(ラトビア独立の歌、松山善三訳)
普通この歌は以下のように思われている。
「貧しい絵描きが女優に恋をした。キャンバスと小さな家しかない彼は、小さな家を売って町中のバラを贈った。だけど、女優は去っていった。赤いバラは女優の華やかな人生を象徴している。」
ところが別府さんの歌った松山善三訳の「百万本のバラ」はラトビアの独立を願う祖国愛の歌だそうです。大国ロシアの支配に長年屈していたバルト3国の一つ、ラトビア。ラトビアの悲願が込められている。「母は娘に命を与えたが、幸せをあげ忘れた」「母は息子に命を与えたが自由をあげなかった」と言われた。そう聴くと単なる恋歌ではなく祖国愛の歌だとわかり、最後のフレーズは感動的だ。
「誰も知らない/ 心の囁きを/
花びらにそえて/ あなたに贈りたい」
最後のところで
「バラを バラを バラをください 
百万本のバラを ください
ぼくの ぼくの ぼくのこの命
あなたに あなたに あなたに 捧げましょう」

( あなた=祖国ラトビア  ぼく= ラトビア国民  バラ= 祖国の自由と独立 )
何度も何度も、バラを バラを バラを、と繰り返していくとジーンとくるものがあります。

* 「愛の賛歌」(エデット・ピアフ)
岩谷時子訳詩の越路吹雪で長い間親しんできた。原曲の毒気を抜いた、結婚式などでも歌われる甘い歌が「愛の賛歌」だと思ってきた。ピアフの原曲には「愛のためなら宝物も盗み、空の月さえも盗みましょう」と成り行きかまわぬ恋を歌っている。別府さんは、初めに
「大空が落ちてくるかも知れない。/地球なんかひっくり返るかも知れない/
大したことじゃない/あなたが愛してくれれば/世の中のことはどうでもいい/
宝物を盗み、空の月さえ盗みましょう。」
と日本語で語り、フランス語で歌った。

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この曲の初めにヴァイオリンの会田桃子さんの素晴らしい独奏?があった。会場いっぱいに響き渡る弦の音色に聞き惚れた。

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* 「アムステルダム」(アンコール曲。1964年ベルギーのジャック・ブレルの名曲。宇藤カザン訳)
別府さんの解説のことば
「ヨーロッパの場末の、けだるい暑さともの憂さの風景。
金貨1枚で買われた娼婦と、酒と血と生魚の匂いにまみれた男たちが
大声で罵り合い、踊り狂っている。」
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ヨーロッパの場末の、腐った生魚の匂いのするような風景は、逃れようとしても何故か魅かれる。宇藤カザン訳の全文を読むと、汚い庶民の場末の情景が浮かんでくる。男たちの喧嘩、娼婦の罵り合い、どろどろとした世界。そうした苦界の人生には骨太の声が要求されるのではないか?

有難うございました。よかったです!
録音で聴いているのと異なる、生の歌の良さが伝わりました。別府さんのリリカルで高い音、甘い声、エネルギッシュな声量はすばらしい!
私はしみじみとした、心に響く歌が好きですが、しっかりとしたエネルギッシュな歌に圧倒されました。

わがままなお願いかも知れませんが、当日、歌の歌詞(日本語訳)を配って下さるとありがたいのですが。

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  1. 2014/09/08(月) 20:51:21|
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『2014年映画』「グレート・ビュ―ティー(追憶のローマ)」監督パオロ・ソレンティーノ.主演トニ・セルヴィッロ9/6

『2014年映画』「グレート・ビューティー(追憶のローマ)」監督・脚本パオロ・ソレンティーノ
                                  出演トニ・セルヴィッロ
                                  8/23公開。  9/6

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冒頭、狂乱ともいうべき人々が溢れ返るパーティー、乱痴気騒ぎのシーン。ローマで夜な夜な繰り広げられるセレブたちの社交界、一瞬この映像は何だろう?戸惑いを感じた。ヌードの女、欲望むき出しのシーン。

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その渦の中心にいるのが主人公ジェップ(トニ・セルヴィッロ)、今日は65歳の誕生日である。40年前に書いた小説が高い評価を受け社交界にデビューしたが、その後筆を折ってインタビューなどの雑文でしのぎ、毎晩ローマの社交界やクラブを徘徊する享楽的な日々を送っていた。

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すぐフェリーニの「甘い生活」を想い浮かべる。はるか昔の映画ですっかり忘れてしまったが、幾つか鮮明に覚えているシーンがある。冒頭、大空をヘリコプターに吊るされたキリスト像が運ばれるシーン。

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作家の夢破れ、今はしがないゴシップ記者役のマストロヤンニが、女優(アニタ・エグバーク)とトレビの泉で水浴びをしたり、貴族の娘(アーヌーク・エーメ)を誘惑したり、古城で乱交パーティーを開いたりと滅茶苦茶な行動をしている。

又、尊敬する友人(アラン・キューニ)の家に画家や詩人や作家たちが集って高尚な論議に耽っていた――
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そこにモランディの静物画が掛かっていて話題にする。(モランディの絵だけが私の記憶に強烈に残っている)――ある時その友人は突然あどけない幼子を殺して自殺をするという衝撃的な惨劇が突発する。自己を襲う虚無意識に耐えられなくて自己破壊という作品のテーマの象徴としての事件。
マストロヤンニがローマを毎晩彷徨っている間、ローマの名所旧跡がスケッチされる。この「グレート・ビュ―ティ」でも束の間に見せるローマの風景が見せ所だ。
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「ビューティー」のジェップは老いを感じ、近づいてくる女に性的な結びつきを感じなくなっていた。ジェップは束の間の享楽に身を任せているが、己自身をどう思っているか?自分が一作だけで作家として大成出来なかった存在だと認識しているようだ。挫折者として自覚している。「甘い生活」に比べて作品全体が薄いものになっている。
ある時初恋の女性の訃報を聞き、心に大きな穴が開いたようなショックを受けてローマの街を彷徨う。
ジェップの自己再生の旅であり、又、死の予感を感じさせる旅でもあるのだ。
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後半の断片的なローマの街の映像がいい。
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コロッセオ(ジェップの豪邸のベランダはコロッセオの目の前だ。)、フォロ・ロマーノ、サンタンジェロ城、水道橋、アルノ川沿い、名前のわからぬ遺跡や建造物や通り、、、
ただ、「甘い生活」のような爛熟期の(高度成長期の)退廃が掴まえたかというと疑問である。京都と同じように古都であることだけで売っている向きもあるのだ。ローマも、、、


  1. 2014/09/06(土) 16:36:20|
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