FC2ブログ

私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『日記』 「民主主義を求めてー丸山眞男 その1」<日本人は何をめざしてきたのか>第3回7/19放送、7/30

『日記』「民主主義を求めてー丸山眞男 その1」(<日本人は何をめざしてきたのか>
                  知の巨人たち 第3回 7/19放送 7/30

DSC_3342.jpg

丸山眞男と言えば戦後思想のオピニオンリーダーである。戦後思想の代表的論者として、
彼の著書「日本の思想」などは学生の必読書だった。

7月19日(土)放送の<日本人は何をめざしてきたのか> 第3回「民主主義を求めてー丸山眞男」を見て、
① 巨人・丸山眞男の全体像が俯瞰フカンされて、日本の現代(戦中・戦後・現代)の思想状況の中での丸山氏の業績と論点がまとめられていた。氏に遅れて同時代を生きてきた私自身どうだったか?考えさせられた。私自身が半生を整理しきれるか?いまだ途中である。どうなるか。
② 日本人が生きてきた、戦中・戦後・現代の状況史が展開されている。我々はどのような状況にいたのかがよく分かった。これから何処へ行くのか?幕末から明治開国へ近代国家形成期と比べてどうか。
( 放送の内容の復元で終わるかもしれないが、我々にとって重要な論点なのでしっかり纏めてみたい。理屈ぽさを恐れないで、、、)

<*昭和20年8月15日、「日本敗戦」マッカーサーによる日本の非軍事化と民主化>
DSC_3345.jpg

政治学者・山口二郎(法大教授)の次の言葉から始めたい。「戦争が終わったから、戦後が来たんじゃなくて、丸山さんたちが戦争をきっちり総括して敗戦の構図を明らかにしたから、やっと戦後が始まった」。この名言「戦争の総括と敗戦の構図」は以下の事を指す。
DSC_3346.jpg

*昭和21年5月号の雑誌・世界の巻頭論文「超国家主義の論理と心理」(丸山眞男)
敗戦のすぐ後に出た、日本ファシズム(超国家主義)の分析は大きな反響を呼んだ。ここで、丸山は次のように展開する。
「日本の超国家主義が総力戦という形で全ての国民の自由を縛っていた。日本型ファシズムは一体、どういう構造を持ち、どういう機能を果たしていたのか?

① <抑圧の移譲>と名付ける。(上からの抑圧を下の者を抑圧することで順々に移譲して、組織のバランスをとること)
それは、戦中の学徒出陣体験を思い出させた。内務班(兵舎での躾教育とリンチで兵を養成する)で学徒兵や初年兵は上等兵からことごとく殴られたーあれこそ「抑圧移譲」の体系だった。それは軍隊だけでなく、日本の国家秩序の至るところにあったという。
② <無責任の体系>(誰もが主体的責任意識の無いまま、戦争をしていた。我こそ戦争を起こしたという意識がどこにも見当たらない。だから戦争責任は誰だ!といっても誰もとらない。先の大戦で戦争責任を誰もとっていないのだ)
戦後すぐに、日本の軍国主義の構造を分析し、国民を縛っていたものがどういうものだったかを解明した丸山の文章はすごかった。戦中に用意されていたかと錯覚を抱かせるほどである。

*丸山眞男(1914/3・22~1996/8.15)
大正3年、丸山眞男は新聞記者の次男として大阪に生まれたが、下町の雰囲気が漂う新宿区で育つ。父の仕事柄様々な思想を生み出す人々に囲まれて成長した。
一中・一高・東大の超エリートを歩む。

*昭和6年、「満州事変」。 *昭和9年、東大法学部入学。 
*昭和12年、卒業と同時に教授・南原繁(ヨーロッパ政治哲学の研究者)の助手になる。 
*昭和16年12月、太平洋戦争開戦
*昭和19年、30歳の助教授丸山は陸軍2等兵として召集、朝鮮ピョンヤンへ送られる。
内務班で酷い体験をする。頭ごなしに殴られる。2ヶ月後栄養失調で入院、召集解除。
*敗戦の5ヶ月前、再召集、広島の宇品・船舶師団司令部の情報部に配属。敵国の短波を傍受するのが任務。
敗戦したドイツの処理問題など生々しい国際情勢に接する。
7月、「ポツダム宣言」を米国の国営放送で内容を知る。「軍国主義を排除した後に、言論の自由を認め、基本的人権の尊重の確立を図る。」それを見た時、体の中がジーンと熱くなった。

@ 丸山のテーマは「日本政治思想史」であった。彼の学問が優れていたのは「近代の政治意識が江戸時代の儒学の中に生まれていたことを、文献の中に読み解いていったことだ。(戦時中に執筆した「日本政治思想史研究」に結実する。)後に「丸山学派」と言われた政治思想史学の確立である。日本の学問は明治の開国・文明開化で始まった。西洋学問の輸入・翻訳から始まった。多くが西洋科学の輸入レベル・翻訳レベルだったが、丸山政治思想史や大塚史学(大塚久雄の西洋資本主義発達史研究)のようにオリジナルな構想と思想の学問を打ち立てたことは誇るべきことである。
東大法学部の彼の教室からは毎年優れた弟子が育ち、僕らが学生の頃はほとんどの東京の私大で弟子たちが活躍していた。僕は法学を選択しなかったが、高校の同窓生たちが何人かが私大の丸山さんの弟子のゼミに入った。孫弟子だったのでその間のことはよく覚えている。

*昭和20年8月15日、「敗戦」。 「極東裁判」。 マッカサーは「日本の非軍事化と民主化を推し進める」
             
陸軍1等兵で迎えた敗戦、丸山の戦後は始まった。
DSC_3340.jpg

「焼け跡で目を見張ったのは、民衆の姿だった。沸騰するようなエネルギーが満ちて、自発的集団が至る所に出来、広く他と連帯しょう、新しい日本を建設するのだ、再びファシズムの時代を繰り返してはならないという決意に満ち満ちていた。」すきっ腹を抱えながら漲ミナギっていた。そういう原点が僕らにとって「戦後民主主義」です。

丸山は戦後論壇のオピニオンリーダーとして活躍しながら、東大教授としての授業の傍ら、地方を歩き人々に語りかけた。(各地に呼ばれた講演や学習会の録音テープが残っている)
地方へ講演や勉強会で飛び回っていたことは知らなかった。

三島の「庶民大学」の渡辺さん。
DSC_3372.jpg
*その1つ、静岡県三島の「庶民大学」
人々は飢餓の中、新たな指針を求めて三島大社に集まった。証言者、当時20歳だった渡辺さんと山口さん。
山口さんは陸軍士官学校の天皇第一主義だったから、新しい考えに反発した。否定するのに反発しながら勉強して変わっていった。
民主主義という言葉も分からなかった。新しい世の中がどんな世の中になるか、期待です。それを聞きたくて来た。
酒井喜代子さん(85歳)、中心メンバーだった夫と共に「庶民大学」を支えた。
「皆さん、熱心だった。活字に飢えていた。話に飢えていた。少しでも話を聞いて自分が大きくなればいいという気持ちだった。」
丸山教授
「質問では、もっぱら民主主義とは何かという事に集中した。その時の民衆の真剣な表情ね、質問ね、想像を絶しますね。つまり、今までの価値体系が一挙に崩れて、全くの精神的な空虚なんです。飢餓の中の民主主義の原点」
「民主主義の原点を明治維新にまでさかのぼろうと考えようとする。(押し付けられたものではない)福沢諭吉を持ってきて、明治の精神にあったのだ」と。「学問のすすめ」に注目。
「一身独立して一国独立する。主体性をもった個人があってはじめて国家も独立する。」

(三島庶民大学は後に、この時勉強した人々が、昭和38年の石油コンビナート計画反対闘争の中核を支えた)

三島だけではなく、各地で講義が続けられた。東京女子大に「丸山眞男文庫室」がある。
DSC_3352.jpg

講演緑を始め、4万点を超える資料を管理している。昭和20年代前半のものが圧倒的に多い。北陸や長野などに向かい彼は語りかけた。

*昭和25年、「朝鮮戦争」米国は日本を反共の防波堤と位置づけた。警察予備隊の創設。

日本の進路を大きく変えようとしていた。敗戦から5年間の自由の空気、何と短い春だったか。社会的雰囲気が平和と反対になってくる。

「日本の思想」(岩波新書、1961年刊)この書は学生たちの必読書と言われ、100万部以上発行された。『「である」ことと「する」こと』あまりにも有名だ。
「である」=出来上がった状態と見なすか、「する」=運動や過程に重点をおくかに切り分けて考えるか?民主主義を完成したものとして守るのではなく、日々作る・民主化のプロセスによって始めて生きたものとなる。

昭和35年 「岸・日米安保改定、安保反対闘争」

同年、5・19岸は国会に機動隊を導入して新安保を強行採決。
新安保の強行
(岸・安倍は祖父・孫の関係だが、非情な政治手法は似ている。今回の「秘密保護法」で祖父の60年の手法と同じだと強く感じた。)

丸山、議会制民主主義の破壊だと捉えた。反安保闘争が盛り上がる。
同年、6・15全学連国会突入、樺美智子死す。

DSC_3364.jpg

同年、6・19「新安保自然承認。岸退陣」

「日米安保改定」は日本のこれからを決める分かれ道だった。世界の番犬を目指すアメリカの同盟国として、舵を切るか、アメリカの戦争に巻き込まれるかという不安。
「平和問題談話会」の中心人物として、安保闘争を支持する知識人として、アカデミズムを超えて丸山は活躍した。5・19の国会への機動隊導入は議会制民主主義を破壊するものとして捉えた。丸山は発言する。
「(機動隊導入で強行)認めるならば、権力がもし欲すれば何事でも強行出来ることになる!」
「多数者支配という日本の民主主義の伝統を、新たな視点から見直していく必要がある。少数者の権利というところから、民主主義というものを組み替えていく。」
強行採決を批判し、民主主義を守れと主張した丸山は多くの市民の支持を受ける。

5・19以降反対運動は盛り上がり、市民団体、婦人団体の様々な層に広がっていく。

(後日、再考する)
* この文章が丸山眞男を軸にした文章なので、その風味というか流れになる。無党派の全学連の野次馬としていろいろの思いはあった。いささか痴呆?が罹っているのか記憶が薄くなっている。
* 反対闘争は「安保阻止国民会議」が主導していた。社会党と共産党と労働組合の総評、平和的文化人などが主体だった。学生運動の非共産系「全学連」は国民会議の外にいて独自の行動をとっていた。というか弾かれていたのか?国民会議は野音に大衆を集めて国会請願を繰り返す。全学連は国会突入しょうとして機動隊と対峙する。5.19以降盛り上がった。6・15国会突入!
煽っていた野党の幹部は、実際に国会に入ってしまったら、血相を変えて「出ていけ!」と必死に外に追い出そうとする。
この時国会周辺に二つの大きな流れがあった。国会請願から首相官邸の坂を流れていくデモ隊と国会南通用門で機動隊とぶっかっていた大衆。この2つの流れは絶対ひとつにならなかった!
入ってみたものの、なぜか空白なのだ。これからどうするか?燃焼しないまま安保は終わった。
* 昭和20年~30年代まで学生運動は全世界にあった。ヨーロッパ、中国、韓国で燃えていた。韓国で激しい闘争が起きると日本にもエネルギーが伝播した。韓国で学生が機動隊にやられるとオモニが前面に出て守ったなんて感動した。
* 60年安保闘争は戦後の総決算だった。戦後的な遺産(民主主義、労働運動や学生運動、市民運動や平和運動が作った遺産)を食いつぶした?そして負けたのだ。幕末の時、明治の自由民権運動の時、戦後革命の時、それらに比較してどうだろう?
* 闘争の条件、リーダー、大衆のエネルギー、ヴィジョンそれらを考えてどうだろうか?何が足らなかったか。
とにかく安保が終わって政治がつまらなくなった。あの時、死ねなかった。いや、死をかけてのことなどどこにあるのか?
学生というのは通りすぎるものである。旅に出た者もいたが、自分の居場所を探して、生活の場に入っていく。


スポンサーサイト
  1. 2014/07/30(水) 22:40:41|
  2. 『日記』
  3. | トラックバック:1
  4. | コメント:0

『2014年映画』「大いなる沈黙へーグランド・シャルトルーズ修道院」(監督・撮影フィリップ・グレーニング、2005年、仏・独・瑞西)岩波ホール、7.12~8.22まで。7.24

『2014年映画』「大いなる沈黙へーグランド・シャルトルーズ修道院」
                     (監督・撮影フィリップ・グレーニング。2005年、
                     仏・独・瑞。岩波ホール、169分) 
                     7.12~8.22まで、  7.24

DSC_3247.jpg

このところ大長編作品が続いた。「収容病棟」237分。今回の「シャルトルーズ修道院」169分。従来の作品の2倍ないし3倍の長さ、それだけ集中力を要求される。

DSC_3295.jpg

創設以来千年を超えるとされるグランド・シャルトル―ズ修道院は、フランスアルプス山脈に建つ。カトリック教会の中でも厳しい戒律で知られるカルトジオ会の男子修道院である。

DSC_3290.JPG全員が揃う

修道士たちは、毎日祈りに捧げ、自給自足の一生を清貧のうちに生きる。会話は日曜の昼食後の散歩の時間のみ、院内では一切沈黙、祈りと務めの修業の一生であった。
DSC_3253.jpg

修道士は60年間の歳月を、来る日も来る日も同じ儀式をくり返して、深い静寂の中で瞑想と祈りの生活をする。

DSC_3278.jpg
ドイツ人監督、フィリップ・グレーニングは構想から21年、シャルトル―ズの修道士の暮らしをカメラに撮った。撮影申し込み1984年、16年後の2000年許可。準備後の2002年から6ヶ月間、監督は単独でカメラを携えて修道士と共に暮らした。礼拝のグレゴリ聖歌の他、音楽・ナレーションなどの音は使用せず、院内は一切沈黙、自然光のみで他に加えることなく、あるがままの状態を映すことになった。監督は1年かけて編集し2005年公開した。公開後世界で大きな反響を呼び、2006年サンダンス国際映画祭で審査員特別賞を受賞に輝いた。

DSC_3293.jpg

修道士は「クビクルム」という、机と祈祷用スペースとベットの小部屋で過ごす。大部屋を仕切って使うのと違って完全に外界と遮断され、個の独立・孤独が保障される。
修道士の一日
23.30 起床、房での祈り。 0.15~3.00  朝課、賛課(礼拝堂) 3.15 就寝
6.30  起床  7.00 お告げの祈りを唱える、霊的読書(ミサ準備のため) 
8.00 ミサ(礼拝堂) 9.00 聖書による霊的読書 10.00 3時課の祈り、学習・労働
12.00 お告げの祈り、6時課の祈り、昼食、自由時間 14.00 9時課の祈り、労働・学習
16.00 聖母と共に神を讃える祈り、 16.15 晩課(暁の祈り)(礼拝堂) 17.00 霊的読
書、軽い夕食、 18.45 お告げの祈り、終課(就寝前の祈り)
19.30 就寝、遅くとも20.00まで

DSC_3263.jpg

修道士たちは鐘の鳴る音で日課の区切りをつけていく。1日、9時間の祈り、8時間の休息(睡眠)7時間の労働・学問。自分の身の回りこと(洗濯、皿洗い、庭仕事)はどこで行うのか。自分のための時間はない。余計なものを削ぎ落して、生きるための最小限だけをして、それ以外は神・信仰に捧げる。
人間のコミュニケ―ション手段として使われる言葉が、ここでは<沈黙>。心は内に向けられる。深い静寂の中、「音が無いからこそ、聞こえてくるもの」とは?「言葉が無いからこそ、見えてくるもの」とは?、、、内省的な深い世界、内なる声を、、、
DSC_3275.jpg盲目の長老

映画の最後の方で唯一の質問形式の場面がある。(修道士が喋る唯一の場面)盲目の長老とも言うべき老修道士が答えている。作品のクライマックスと思われる場面だ!
* 「何が起ころうとも、心配することは何もないんだよ。起こることはすべて、私たちの幸せのためなんだ。盲目になったことを神様に感謝する。」(目が見えないからこそ、見えてくるものがある)
* 「最高の喜びが<死>である。なぜなら、死ぬことによって<神>に近づくという最高の状態になれるからだ。」死は苦しみ多い人生のなかから、苦しみを取ってくれる。このような最高の贈り物をもらえるから、修道院にいることは楽しいのだ。と本当に楽しそうに笑いかけてくる。

私は信仰を持っていない。まあ、典型的な日本人だ。しかし、祈りと思索に半生をかけて修業している人に驚嘆する。この映画の字幕監修者・佐藤研氏(新約聖書学)の批評にあるように、1970年代から90年代にかけてヨーロッパで<座禅>を筆頭に沈黙・瞑想の運動が広がった。それはキリスト教会への失望であり、根は深く、2つの大戦の傷を抱えたヨーロッパの物質文明・知的文化への根源的な絶望があった。人々は己の救いを精神的・神秘主義的方向に求めた。内なる心の世界との対話、静寂の世界の中に光を見出そうとした。この映画もそのような「求道の世代」の作品だという。

では、日本ではどうか?ドイツと同様な手酷い敗戦とそこから奇跡的な物質的復興を遂げた、我がジャパン!その復興の根幹にあったのは<経済>であり、物質文明であった。沈黙・瞑想の<座禅>が元々東洋・日本から発したのに関わらず、日本や東南アジアの世界では無縁に<経済・物質>の列車を走らせた。それだけでなく、過去の大戦のイデオロギー<民族主義>の復活が跋扈しょうとしている!
日本では復活の根幹を担った<経済・物質>=物質主義への根源的懐疑は生まれてくる兆しがない?
では、内なる心の世界との対話は必要ないのか?ここに展開するような根源的な沈黙・瞑想の世界は日本人にとって無縁なものか?
残念ながら〝Yes”と言わざるを得ない!

<グランド・シャルトルーズ修道院全景>
DSC_3283_201407241137586cd.jpg

<フィリップ・グレーニング>
1959年4月7日、西ドイツ・デュッセルドルフ出身。デュッセルドルフとアメリカで育つ。映画に入る前に南米を旅しながら、医学と心理学を学んだ。(チェ・ゲバラが同じような体験をした)1982年ミュヘン・フィルム・スクールに入学。俳優、助監督などのキャリアを積む。1988年、「Sommer」で監督デビュー。最新作、「警察官の妻」で2013年ヴェネチア国際映画賞で審査員特別賞を受賞した。




  1. 2014/07/24(木) 13:30:20|
  2. 2014年『映画』
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

『2014年映画』 「収容病棟」(ワン・ビン<王兵>監督作品。原題<瘋愛>)7.19

『2014年映画』「収容病棟」(ワン・ビン<王兵>監督、原題<瘋愛=精神が狂った人同士の愛>) 7.19

DSC_3110.jpg

2003年、ワン・ビン(王兵)監督は北京のいくつかの精神病院を訪ねた時不思議な感覚を受けた。鉄格子の向こうに患者らしき人が見え、十数年も病院に収容されている人もいた。中には一生ここで生きる人もいるとのことだった。監督は強烈な何かを感じ、映画を作りたいと思った。が、病院からは撮影を拒否された。
2012年、雲南の精神病院(公立)が撮影を許可してくれたので、翌年の1月ワン・ビン監督ら2人のクールが3ヶ月にわたって病院に入って撮影した。
精神病院の隔離病棟は閉ざされていて、どういう状態かを普通は知ることが出来ない。中国で初めてカメラが入った。これはフィクションではない。ドキュメンタリー作品である。

「収容病棟」は前後の間に15分の休憩を挟んで、計4時間に渡る長編映画だ。普段見る映画はこれの半分以下である。これが耐え難いとは、精神が虚弱になっていたか!

DSC_3099.jpg

病院の内部は」3階が男子棟。中庭を高い鉄格子を張り巡らした四角い回廊が取り囲み、粗末な寝台だけが置かれた殺風景な部屋には他に何もない。各部屋には6~8人の患者が寝ている。閉鎖病棟である。

DSC_3105.jpg

* めくられた布団の下から身を寄せ合う2人の男の姿が見えた。誰かと一緒に眠りたがる唖者の男。(なぜなのか?性的?と思ったが、幼児体験の深層に根差しているらしい。)部屋の中に「蚊」がいるのかスリッパでやたらに壁を叩く。
* 家に帰りたいと言って、ベッドを蹴とばして壊したり、突然上半身裸になって廊下を走る背の高い青年。
* 何度も騒ぎを起こした罰として手錠をかけられた男。
* 部屋で放尿する男。暗澹たる風景である。

(ワン・ビン監督は撮影許可が出るや病院にカメラを持ち込んで、患者の日常生活を撮ることから始めた。許可は2人のみ、主に監督がカメラを回した。)
監督は脚本を用意しない。まず病院内の様子を捉えていった。患者の日常の過ごし方・生き方を捉えていった。
何しろ大長編なので、こういう調子で4時間は堪らないと思った。

ところが後編に入って面白くなった。(創作的シナリオは最後まで無いらしいが、病院内でドラマが起こり、又、編集の巧みさによるのだろう。)

後編の始まりが夜の病棟に「ここは嫌だ!」「家に帰りたい!」という叫びが響き渡り、もめている様子で始まった。異様な緊張感が走る。
* 昼間になって、入院させられたばかりの父親を娘が訪ねてくる。「母さんを恨まないで」と娘が懇願して父親を慰める。昨夜暴れた父は「いいから早く帰れ」と言うしかない。「母さんを恨まないで」という娘の甲高い声が響きわたる。胸にジーンとくるシーンだ。

DSC_3100.jpg
* 下の階の女性患者と恋仲になり、暇さえあれば互いの姿を見つめ合い、声を掛け合う恋人たち。女が下の階から階段を上がってきて鉄格子越しにデートする。鉄格子越しの抱擁をカメラは撮った。微妙なカットである。

夫婦

* 夫婦が登場。夫が12年収容されている。2人の息子がいるが最後に生まれた息子が大脳の障害を持って生まれた。その時、夫は精神がおかしくなった。又、息子の世話が大変なので妻は夫を病院に入れた。夫は何度か帰宅したが度々暴力を振るうため病院にいて貰いたい。夫、家に帰りたいと妻と言い争う。

* 作品の中で、カメラは一度だけ外に出る。帰宅措置になった青年患者にカメラは同行する。洞窟のような貧しい住処に父母が住んでいる。カメラを意識したのか父はすぐ奥に引っ込んでしまう。母は青年に「夜中に叫ばないでくれ」と言う。青年と父母とは視線を交わすことなく、しばらく居たが居場所がなく、家を出て行く。荒涼たる街路、荒れた野原を歩く。殺伐たる風景の中に消えていった。

青年にとって、病院の中と外の荒涼たる風景や貧しい家とどのくらい違いがあるだろうか?と問うてみたくなる。ワン・ビン監督が切り取った外の世界はあまりにも荒涼たる風景だった。病院の中とあまり違わなかった。いや、前提として、病院=束縛。外の世界=解放という図式が考えられている。
もし、外の世界が解放的では無いとすると、内の病院は束縛的世界ではないという考察が出てくる。内も外も同じか?ワン・ビン監督は精神病院を、束縛=解放の図式を超えた世界として捉えているのではないか? つまり、あの病院そのものが現実世界の集約ということか?現代中国の縮図といいたいのか。そう想うと映画の中の登場人物たちが愛おしくなってきた。

DSC_3106.jpg

一歩踏み込んで、「収容病棟」は現代中国の縮図を描いたものか。貧富の格差や社会の変動、価値観の喪失や混乱に渦巻く中国、世界的驚異の発展を遂げる現代中国の深層を描いたものか。

映画が展開していって、患者たちがカメラを殆ど意識しないのはどういうことか?に気が付いた。患者たちは役者ではない。シナリオを演じているわけではない。カメラの前で普通に生きている。不思議さが意識に残った。それだけワン・ビン監督が彼らの中にとけ込んだということか?

ここでは被写体の、よく言われる「プライバシー」はどうなのか。もちろんみんなの撮影の同意は得ていたそうだ。撮られた人が「自分がどのように撮られるか」を想像していただろうか。人権とかプライバシーは?そんなことを考えてしまう。
そうかといって作品を否定するものではない。長さに困ったが超大作の大変な作品だ。考えさせられたがいっぱいある。

ワン・ビン <王兵>
1967年11月17日、中国陜西省西安生まれ。街で生まれたが飢饉のために農村に移る。父は出稼ぎに行き、母、妹、弟と暮らす。14歳で父を亡くし、父の職場「建設設計院」で24歳まで働く。職場で知り合った建築士らの影響で学問と写真に興味を持つ。魯迅美術学院、北京電影学院で写真・映像を学ぶ。1999年、長編劇映画「偏差」の撮影を担当、2003年の山形国際ドキュメンタリーでグランプリを獲得。「鳳鳴―中国の記憶」(2007)、「無言歌」(2010)「三姉妹~雲南の子」(2012)と国際賞に輝く作品を撮り続けている。

(中国では精神病院は公安の管轄で、治療ではなく収容・隔離が目的だ。この病院も強制入院。患者たちも多種多様で、暴力的な患者、法的に精神異常というレッテルを貼られた者、薬物中毒やアルコール中毒、政治的問題者や「一人っ子政策」に違反した者までが入っていった。)

  1. 2014/07/19(土) 11:01:55|
  2. 2014年『映画』
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

『日記』「ちょっと、安心」 7/15

『日記』 「ちょっと、安心」 7/15

* 「自公敗れる」

DSC_3026_20140717081910be2.jpg

昨日(7/13日)に行われた滋賀県知事選挙で、嘉田県政の継承を旗印に戦った三日月氏が自公の候補を破って当選した。
集団的自衛権を巡っての閣議決定で内閣支持率が低下する中、東京自民の女性蔑視の野次問題も加わって政権への批判が集中して、自公が敗れた。
このニュースに「ちょっと、ほっとした」。何しろ2次安倍内閣の登場以来・選挙で圧勝以来、あれよあれよという間に解釈改憲で「平和憲法」の旗を降ろしてしまった!日本を戦争が出来る国にしてしまった。首相の説明・答弁は詭弁を並べて根本問題のはぐらかし!このままではどうなるか、と暗澹たる気持ちになっていた。そこでの「自公敗れる」のニュース。ちょっとほっとしたというのが今の気持ちです。

* 「クローズアップ現代問題」(NHK7月3日放送)ー「集団的自衛権・菅官房長官に問う」
菅官房長官のお決まりの説明に、国谷キャスターは「しかし、一内閣が解釈を変えるだけで集団的自衛権が行使できるようにしていいのかという疑問が国民の間にある」と食い下がり問題の核心を掘り下げようとした。最後は時間が足りなくなって、官房長官の答弁途中の番組が終わってしまった。
週刊誌「フライデー」によれば、「官邸は激怒、NHK上層部を叱責、NHKは平身低頭誤った。国谷キャスターは涙した。」
クローズアップ現代の国谷キャスターはおかしくなったNHKでも最後に残った希望の星。視聴者は心配していた。
15日の「クローズアップ」で元気な姿を見て安心した、、、

* 13日の「池上彰の菅官房長官に問う」、を見ていて感じたこと。池上は7月3日の「クローズアップ」を見ていた。(フライデーも見ていた)池上のつこみが甘いと感じたのは私だけだったろうか?


  1. 2014/07/15(火) 22:00:00|
  2. 『日記』
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

『美術/音楽/舞台』「白山松哉の漆工芸」(明治工芸の粋ー村田コレクション)7.13

<>『美術/音楽/舞台』「白山松哉の漆工芸」(明治工芸の粋ー村田コレクション)三井記念美術館~7.13 7.13

DSC_3228.jpg
 
7月11日に取手の「白山雅成作品展示室」久しぶりにお邪魔した。そこで伺ったのが白山さんの祖父・白山松哉の漆工芸品の素晴らしいのが今、展示されているというニュース。(「明治工芸の粋」三井記念美術館~7.13まで)
さっそく、翌12日(土)に見にいった。会期末に土曜日が重なって10時半に満員の盛況だった。
(普段工芸品は見ない。趣向の範囲を広げないために目をつぶっている。ただ、白山さんの絵画や松永さんが開設した白山雅成作品展示室を応援してきた。その関係で白山さんの祖父・明治の漆工芸の大家白山松哉、父日本画家白山春邦、戦後の洋画家孫の白山雅成の3代続いた芸術家の家系といったものに興味を示してきた。)

白山松哉(1853~1923) 明治39(1906)帝室技芸員に任命。又、東京美術学校(現東京芸大)漆工芸科の教授になり、多くの優秀な弟子を育てた。
展示作品

*白山松哉
「渦文蒔絵香合」
渦文蒔絵きせる

「忍草蒔絵香合」
DSC_3207.jpg

「日月鳥鶯蒔絵額」
DSC_3205_201407131250599f6.jpg

コレクターの村田氏(清水三年坂美術館館長)によれば、「一切駄作がなく、気品があって美しいという。独創性に富み、図柄・技法・感性が他と次元が違う」という。
私には解説は無理だ。蒔絵そのもの技法がわかっていないので松哉の作品の高さがわからない。専門家の解説に頷くばかり。唯見ていて美しいと感じるのだ。


* 他に際立つ作家・作品
並河靖之の七宝
「花文飾り壺」
DSC_3208.jpg

「桜蝶図平皿」
DSC_3217_2014071312505760c.jpg
並河靖之の七宝は色彩といい、図案といい、まるで西洋絵画を見ているようだ。壺は鳥肌が立ってきた! 

濤川惣助の七宝「藤図花瓶」 左上の壺である。薄紫の地に紫と白の藤が幻想的に描かれている。これもいい!

薩摩 精巧山の「雀蝶尽し茶碗」 朝鮮半島の陶工によって作られた「薩摩焼」。解説によれば超細密に描き分けられた作品。絢爛豪華さが海外の万博に受け、輸出の花形になったとか。
DSC_3223.jpg


石川光明の牙彫(象牙を彫って置物を作る)「老人二童」
DSC_3225.jpg

安藤緑山の牙彫「茄子」「竹の子」
DSC_3226.jpg

これらの作品を見たのが昨日、今日で展示は終わりなのだから発表はあきらめていた。ところが、私のブログに「肥前陶磁器あれこれ~」という海外からの投稿が12日深夜あり、その方は海外で日本の陶磁器に関心を持たれて研究なさっているらしい。「明治工芸」の素晴らしさを知った者として黙っていることに責任を感じた。展覧会の期日には間に合わないかもしれないが、、、急いで準備したのです。工芸について教養の無さを恥じるばかりです。

これらの工芸品は、江戸時代幕藩体制下、武士社会に依存した刀剣・武具に伴って技術が蓄積されてきた。ご一新で失職、政府・産業会主導のもと、輸出用や外国人のお土産用として造られた。万博に出品好評で優れたものは外国人に買われ、めぼしいものは日本には残っていないという。オクションに出ても殆ど外国人が買ってしまうという。

巡回先
佐野美術館(静岡県三島)2014年10月4日~12月23日

白山さんの「芸術の血筋」ー3代続いた。バッハなどで知っていましたが、凄いものだなぁーと感じました。


  1. 2014/07/13(日) 15:00:00|
  2. 美術/ 音楽/舞台/読書/文学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

『2014年映画』「グランド・ブダペスト・ホテル」(ウェス・アンダーソン監督。レイフ・ファインズ出演)

2014年『映画』「グランド・ブダペスト・ホテル」(ウェス・アンダーソン監督レイフ・ ファインズ主演) 7.9

DSC_3083.jpg

天蓋奇抜な映画である。映画は第2次大戦前夜の30年代と60年代と現代2013年の3つの時代を舞台に繰り広げられる、ウェス・アンダーソン流の一大叙事詩。
物語の舞台となるのが、30年代の東ヨーロッパの架空の国「ズブロフカ共和国」。美しい山々をバックに優雅に聳え立つのが、ヨーロッパの最高峰と称される「グランド・ブダペスト・ホテル」。

DSC_3092.jpg

世紀末から第1次大戦までの“ベル・エポック”と呼ばれた古き良き時代には、温泉リゾートとしてヨーロッパ中から多くの人々が集まった。とりわけケーブルカーを使わなければたどり着けない山上にある当ホテルは、絵画のような・砂糖菓子のような夢のお城で、椰子の庭やアラビア風呂は当時の流行の最先端だった。

DSC_3084.jpg

当ホテルには伝説の“コンシェルジュ”と言われていた<ムッシュ・グスタヴ・H>(レイフ・ファインズ)がいた。彼の“サービス”をお目当てにヨーロッパ中から裕福な貴婦人たちが集まっていた。彼は究極の“おもてなし”をモットーとし、お客様の望みとあればベッドのお供も厭わないと噂された。

DSC_3096.jpg

そんなホテルの上顧客の一人、大富豪の<伯爵夫人マダムD>(ティルダ・スウィントン)が何者かに殺されたことで、相続争いが勃発。遺産として秘蔵の名画「少年と林檎」をグスタヴに譲られたことから、マダムの息子<ドミトリー>(エイドリアン・ブロディ)はグスタヴを母親殺害容疑で告発。自身の運命だけでなく、愛するホテルの存立の危機にまで立たされてしまった彼は、ベルボーイの<ゼロ>(トニー・レヴォロリ)、その婚約者<アガサ>(シアーシャ・ローナン)、そしてコンシェルジュの秘密結社キーズ協会の力を借りて、殺人事件をめぐる陰謀と謎に挑戦していく。

しかし、30年代末戦争の時代、ホテルはファシストに占領され、独立国家ズブロフカは消滅、その後共産国家になった。圧政に泣く人々をさらにプロイセン風邪が襲い何百万人の死者をだし、現在地図から消えた国やホテルを忍ぶことが出来るのは、旧ズブロフカ共和国の国民的作家が残した本「グランド・ブタペスト・ホテル」が唯一の手がかりである。

現代、旧帝国の中心地であったオールド・ルッツ墓地を、一人の若い女性が愛読の「グランド・ブダペスト・ホテル」の本を抱えて通り過ぎっていった、という出だしで映画は始まる。
1985年、その本の作者である国民的作家(トム・ウィルキンソン)が絵のように美しいホテルに泊まった。作家は青年時代(ジュード・ロウ)の1968年に、ホテルのオーナーの大富豪ゼロ・ムスタファ(F・マーレイ・エイブラハム)から、ゼロがホテルのベルボーイとして働き始めた1930年代の出来事を聞いた。

DSC_3097.jpg

1930年代、伝説のコンシェルジェ<ムッシュ・グスタヴ>がホテルを主宰していた。若きベルボーイのゼロがムッシュ・グスタヴの弟子となり、後に後継者となって巨万の富を継承した。
現代―1985年―1963年―1932年、と映画は入れ子構造(物語の中に又物語が入っていること)になっている。

マダムDの殺害、遺産相続の争い、グスタヴへの夫人殺害の嫌疑、続いて投獄、コンシュルジュ秘密結社の援助による脱獄劇、2通目の遺書の2通目の存在、、、、ほとんどドタバタ劇の展開である。

町一番の菓子店「メンドル」のピンクの菓子箱、店の看板菓子「コーティザン・オウ・ショコラ」、蠱惑的な魅力!店内の華麗な装飾的!
DSC_3087.jpg

映画はウェス・アンダーソン監督特有の、砂糖菓子を口に含んだ時のようなワクワク感・子ども時代に帰ったような幸福感に包まれる。子どもたちを集めたパーティか?
奇想天外の展開がスーピーディに続く。監督特有の世界だ。
DSC_3093.jpg

さて、これはどういう映画なのだ?
「グランド・ブダペスト・ホテル」とは何か?伝説のコンシェルジュ・ムシュ<グスタヴ>とは誰か?そもそも映画で展開される“お話”は何なのか!
アンダーソン監督が言っているように、重要なモーチフとなっているのが、オーストリアの文豪シュテファン・ツヴァイク。
ツヴァイクについては昔、彼の「スタンダール」を読んだことがある。伝記作家として知られていたがいつの間にか忘れ去れた。調べてみると意外な事実が分かってきた。

「シュテファン・ツヴァイク」(1881~1942)ウーイン生まれ。ユダヤ系オーストリア人。
評論家、伝記作者として1930年代~40年代にかけて世界的に高名な活躍をした。ナチの台頭、ナチ支配下のオーストリアで彼の本が発禁になり(後に焚書となった)英国に亡命。米国、ブラジルへ渡った。世界の未来を悲観してブラジルで1942年自殺した。

ウィーン体制から第一次大戦までのオーストリア・ハンガリー帝国はドイツ人以外にマジャール人、スラブ人、ラテン系住民の多民族国家であった。差別が撤廃されていたのでユダヤ系がヨーロッパ中から集まった。(フロイト、マーラー、ヘルツル、ヨハン・シュトラウス、シュニッツラー、ホフマンスタール、ヴィトゲンシュタインなど多彩の知識人・文化人・芸術家)
首都ウィーンは音楽、劇場、文学の繁栄を誇り世界文化的様相を呈した。いわゆる「世紀末のウィーン」である。ヒューマニスト・ツヴァイクは「世界市民」として、又、平和主義者として活動したが、ナチ台頭・反ユダヤ主義の猛威の前にその夢は挫折し、亡命先のブラジルで失意の自殺をした。

DSC_3094.jpg

映画に戻って、監督のアンダーソンの言や作品のモチーフがツヴァイクであることから、こう読み取るべきだろう。
「グランド・ブダペスト・ホテル」は「世紀末のウィーン」だと。伝説のコンシュルジュ・ムシュ<グスタブ>はユダヤ人の「ツヴァイク」自身だと。
途中で消滅してしまう「ズブロフカ共和国」は第一次大戦で無くなった「オーストリア・ハンガリー帝国」だろうし、貴婦人に「モテモテ」のグスタブはツヴァイク自身或いは作品の投影だろうし、秘密結社はロマン・ローランがスイスで全世界に呼びかけた「平和主義」の旗を支持し活躍したこと。アイシュタインやゴーリキーらと親交を深め反戦平和のためのネットワークを築こうとしていたことと関係する。
ともあれ、戦争のない、差別のない恒久平和国家を夢見ていたツヴァイクは、夢破れて散っていった。監督アンダーソンのオーマジュを読み取ることが出来ないだろうか?
と同時に、ツヴァイクの夢は戦後我々が抱いていた夢が幻影だったことを暗示するのだろうか?はかなく切ないことではないか!







  1. 2014/07/09(水) 10:16:06|
  2. 2014年『映画』
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

美術/音楽/舞台「夏川りみ、という歌手」 (コロッケ千夜一夜 6/20放送)7.05

美術/音楽/舞台「夏川りみという歌手」(コロッケ千夜一夜6/20放送) 7.05

「コロッケ千夜一夜」を先日の「葛城ユキ」以来、番組を覗いてみることにした。今回の「夏川りみ」も面白そうだ。
沖縄の石垣の出身。今では沖縄の代表的歌手といえる。夏川りみのヒット曲「涙そうそう」誕生秘話が明らかにされる。
DSC_2708.jpg

「涙(ナダ)そうそう」作詩、森山良子。作曲、beginビギン。
2000年の沖縄サミットの時、beginが「涙そうそう」を歌ったのを、夏川りみが聴いて、「こういう歌こそ、私は歌いたかったのだ!」
とbeginのコンサートの時に会いに行き、
「この歌を私に下さい」とお願いした。Beginの比嘉さんが「そうあせらずに」といって別の新しい曲を書いてあげた。
しかし、どうしてもこれが歌いたかった、夏川りみはレコーデングするが、これを聞いた比嘉さんが「りみちゃん、今の歌じゃ、お客さんに全然伝わらないよ」「<涙そうそう>とは<涙ぼろぼろ>という意味だよ。」といった。
涙そうそう ②

作詩をした森山良子は、<涙そうそう>の意味を知って、急病で突然亡くなった兄の事を想って一晩で書き上げたそうだ。そんなに大切な歌なのだ、と知った夏川りみは歌詞に込められた森山良子さんの思いを噛みしめて歌った。

森山良子作詩 「涙そうそう」

古いアルバムめくり  ありがとうってつぶやいた
いつもいつも胸の中  励ましてくれる人よ
晴れ渡る日も雨の日も 浮かぶあの笑顔
想い出遠くあせても
おもかげ探して  よみがえる日は 涙そうそう
(略)
さみしくて恋しくて  君への想い 涙そうそう
会いたくて会いたくて 君への想い 涙そうそう

この日夏川りみが歌ったのは
①  中森明菜の「スローモーション」
② Beginの「島人ぬ宝」(コロッケとデュエット)コロッケ=桑田佳佑と松山千春のものまね
③ 涙そうそう
④ 虹のかけら
島宝

夏川りみの歌は、初めはそうでもないがだんだんと水がしみ込むように目が潤んできて、涙で一杯になる。このじわじわと効いてくる感動は何だろう?人の心を癒し感動を与える不思議な声質だ!
沖縄の女性のおおらかで哀しみを秘めた独特の声は、人々の心を癒し沈ませ浄化する。



  1. 2014/07/05(土) 08:30:00|
  2. 美術/ 音楽/舞台/読書/文学
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

『日記』 「絶望に同化しない」 7.02(水)

『日記』 「絶望に同化しない」 07.02.(水)

DSC_3055_20140702233408fc7.jpg

<6.30月夜>、首相官邸前にいた。ポリスによって行動は規制され、一見柔順のようだが人々は心の底では火のように燃えていた。地下鉄出口から官邸の方は詰めかけた人々で一杯で、已むをえず坂を下った南通用門?(昔デモ隊が突入したところ?)の向かい側に知り人がいて入れてもらう。まわりはお母さんばっかりだ。皆、市民・個々の人々が已むに已まれず来た!という感じ、その中の「肝っ玉お母さん」といった感じの人、「何でこうなっちゃったの?」「戦争しないことがいいことだったじゃない。何で戦争が出来る国にしちゃうの?」真剣である。少し前までこれが日本の常識だったのに、突然憲法がハイジャックされた!感じだ。

DSC_3028_201407022334123b9.jpg

「解釈改憲反対!」「戦争するな!」「若者をまもれ!」「命を守れ!」「安倍はやめろ!」「直ちに辞めろ!」

仕事が終わって掛けつけた人々の叫び声!若者も増えだした。面白いプラカードがあった。

DSC_3049_201407022334097a8.jpg

<7.01火午後~夜>、与党協議が成って、今日の内に閣議決定をやるというニュースが流れている。いよいよである!
昨夜に続いて人が一杯で、同じところに座りこんだ。

(このデモは大江健三郎さんなどが主催する「戦争をさせない1000人委員会」ともう一つの団体が呼び掛けたもの。ポリスに名前と場所と日時を届け、官邸前の通路での集会、時間が終われば解散、デモはないという。)
これがご時世の抗議スタイルか。前からいろいろな団体の反対行動はあったが、直前になって大集会になった。デモはない、官邸に向けて怒りの声をぶっけるしかない。1000人委員会の人がマイクを持ってきて「これ皆さんでお願いします」と置いていった。順番にシュピレヒコールの音頭をとることになった。
これは予想以上の効果を上げた。中高年の女性たちが当番みたいに声を張り上げた。次に会社帰りの若い女性たちにマイクをまわした。若い声はいい。初め戸惑っていた人も慣れてくると立派なものだ。自身がついただろう。憂さ晴らし!にも!声を張り上げることが行動だ。日頃の思いをこめて!

「閣議決定するな!」「公明党は考えろ!」「戦争するな!」「子どもを守れ!」「命を守れ!」「安倍はやめろ!」

DSC_3054_20140702233411622.jpg

家族連れの参加、子どもを連れたお母さん、赤ちゃんを連れた若いお母さんが何組もいた。私の前にバギーに赤ちゃんを乗せた若いお母さんが座った。代わりばんこに記者がインタビューにくる。「なぜデモに来たか?」「憲法を変えることをどう思いますか?」「お子さんが大きくなったらどうなると思いますか?」
母親たちは真剣に答えていた。半端ではないものを感じた。やはりみんな「この子を戦場に行かせたくない」が一番多かった。

閣議決定がなされた、というニュースが流れた。とうとう、、、

<7.2水昼> 膝や足の筋肉痛に悩む。不完全燃焼だ。なぜか私自身怒りっぽくなっていた。ムカムカしてくるのをどう発散するか。病気か?、、、
来し方を走馬灯のように想いめぐらす。今度のことで一番思ったのが孫の<たっくん>や<ゆうき>のことだった。彼らが成人した時どうなるか?それを思うと暗澹たる思いがする。
角田さんじゃないけれど「絶望に同化しない」だ。魯迅の「絶望の虚妄なるは希望の虚妄なるに等しい」だ。たっくんたちのためにも、ここは踏ん張りどころだぞ!と思うことにした。

気になるニュースがあった。
6.29(日) 午後新宿南口の横断歩道橋で、男が拡声器で話かけていた。「集団的自衛権反対」や「安倍政権反対」を言って、焼身自殺を図った。警察に保護され未遂に終わった。新聞テレビではほとんど無視された。焼身自殺、とうとう犠牲が出た。(命は助かったという)
海外メデアは報道したのに、日本のメデアは無視した。特に最近おかしいのがNHK。政治の鋭角の部分を意図的にずらしている。おかしな会長の元、報道がおかしい。
DSC_3023_20140702233407649.jpg


  1. 2014/07/02(水) 23:13:23|
  2. 『日記』
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

『日記』 「歴史の岐路に立っています!」2014.07.01

『日記』 「歴史の岐路に立っています!」 2014.07.01
  
DSC_3026.jpg

昨夜、首相官邸前の集会に行ってきました。溢れんばかりの人々と熱気でした。「解釈改憲反対」の初めての中央集会です。ある組織からの動員というより、個々の市民が已むに已まれず集ったという感じです。
官邸前はぎっしりで、ずーと後方の道路にいました。まわりは女性ーお母さん・おばさんばかりです。みなさん、「戦争反対!」「憲法守れ!」「子どもを守れ!」「命を守れ!」とシュピレヒコールを繰り返しています。
「何が何だかわからぬ内にこうなってしまった」「戦争をしない国がほこりだったのに、なぜこううなったのか!」
まわりを見渡すと、圧倒的に中高年が多い。若い人になぜ浸透しないのか?
私は解釈改憲のことを聞いた時、まず子ども・孫のことを思った。孫が戦争に行って戦死する悪夢を見た。大げさという無かれ!この「集団的自衛権の行使を認める」という憲法解釈改憲は、自衛隊が他国で戦争を行うことを可能とする。徴兵制の危険性が出てきた。(自民OBの発言です。戦争を知っている世代はここまで予想をする。)又、戦闘員確保のために米国のように貧困層が標的になる。イラクやアフガンで死んだ米兵の多くが貧困層なのです。軍隊しか仕事がなかったと言えます。

一番関係する子どもたちの世代に危機が浸透しないもどかしさを感じつつ、この現状の危機を訴えます。

安倍内閣の解釈改憲・絶対反対!9条を守れ!命を守れ!子どもを守れ!平和を守れ!

  1. 2014/07/01(火) 09:00:00|
  2. 『日記』
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0