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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『2014年映画』「ほとりの朔子」(深田晃司監督、二階堂ふみ、鶴田真由出演)1.29

『2014年映画』「ほとりの朔子」(深田晃司監督、二階堂ふみ、鶴田真由、出演)1.29

人気上昇中の若手女優二階堂ふみの若鮎のような、みずみずしい表情とまぶしい肢体の、清々しい青春映画の誕生!
新進映画監督・深田晃司が、思春期の繊細な心象風景とまぶしい肢体をキャッチした映画を作った。

ほとりの


大学受験に失敗した朔子(二階堂ふみ)は、叔母・海希江(鶴田真由)の誘いで海辺の町に晩夏のひと時を過ごすことになった。海外旅行中のもう1人の伯母(渡辺真起子)の家の留守番をかねてであった。美しく知的な海希江・叔母はインドネシア歴史文化の研究者。翻訳で缶詰めになるために来たのだった。
フランス映画のヴァカンスみたいな海辺のひと夏は、18歳の朔子にどのようなアヴァンチュールをもたらすか?

18歳の大学受験浪人とは、高校生でも大学生でもなく、子どもでも大人でもない、モラトリアム(猶予期間)の彼女。知的で美しい叔母はまぶしい遠い存在なのか?自分はどうしたらいいのか?女優二階堂ふみはそういう位置にいる主人公をあますところなく演じている。若い深田監督の感性はそれを見事にキャッチしている。

深田晃司監督の世界は、快い空気を作り、ぶつ壊すところからドラマは始まる。

朔子が海辺の町で出会った人々。
叔母の昔馴染みの兎吉(古舘寛治)は如何わしいホテルの支配人。
その娘辰子(杉野希妃)は海の家でバイトする溌剌とした女子大生。
高校生だが卯吉のホテルでバイトをする兎吉の甥の孝史(太賀)。
後から登場する大学の先生西田(大竹直)、叔母の恋人。

或る日、海希江と兎吉、朔子と孝史のペアーで自転車競走をすることになった。先に着いた朔子たちは孝史の身の上話を聞き、二人の距離はかなり縮まった。
朔子が孝史に寄せるそこはかとない疼きは、、、

辰子の誕生日会で海希江、西田、兎吉、朔子、辰子が顔を合わせる。誕生会は大人たちの嫉妬に絡んだからみでとんでもない展開に発展。

孝史は福島原発の疎開者であり、心にわだかまりを抱えていた。その屈託が反原発の集会でさらされてしまう。孝史は原発の犠牲者としての発言を求められ、
「自分は原発の下請けで働く父を持ち、原発の恩恵を受けている身であり、さらに、親から家庭内暴力を受けていたために、家から離れて清々している」
とヘイトスピーチ的発言をして逃げ出してしまい、会場は騒然となる。
この集会はネット中継されて、見ていた朔子は孝史の「スタンド・バイ・ミー」的逃避行に付き合う。廃線となった線路を歩きながら、朔子はこんな風景どこかで見たことがあるなーと思う。

孝史の反原発の集会でのヘイトスピーチ的発言は、自分に好意を寄せているかに見えたクラスメイトの女子が、実は彼氏がいて自分が福島の疎開者ゆえに利用された、それへの反発であった。
朔子は孝史の事情を察してつきあったのであった。

朔子は予備校に通うといって、東京に帰ってゆく。見送りの海希江と卯吉に晴れやかな表情を見せるのだった。彼女はある決意みたいなものを持って東京に帰っていった。

二階堂ふみの起用がよかった。素敵なドレスを幾つもかえて、ショートパンツの眩しい肢体。
それと対象的な鶴田真由の知的で成熟した美しさ。2人の美が映画を支えた。
深田監督は「快い青春の空気」を作りだそうとして、やや冗漫に流れたところがあった。快い空気はやがてぶっ壊すために作ろうとしたのだが、、、。


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  1. 2014/01/29(水) 21:13:11|
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『2014年映画』「ペコロスの母に会いに行く」(監督、森崎東。出演、岩松了、赤木春恵)1.26

『2014年映画』「ペコロスの母に会いに行く」(原作、岡野雄一、森崎東監督)出演、岩松了,
                              赤木春恵、原田喜和子、加瀬亮。2014・1・26

昨秋封切られたがロングランになったのを幸い、見落していたので先日見た。
これは誰かが言ったが「介護喜劇映画」である。いや、喜劇のベールを被せて人生の最終ステージ、それも認知症という多くの人が避けられない道のりを見事に描いた傑作である。ボケた母でも愛おしくてならない、禿げた息子でも可愛くてならない。見ていて涙ぽろぽろ、笑いもした。母親の人生―昭和が懐かしく描かれていて、何故かせつなかった。

ペコロス

長崎在住の漫画家岡野雄一の漫画「ペコロスの母に会いに行く」の映画化。
長崎で生まれ育ったバツイチのゆういち(岩松了)は玉ねぎのペコロスのようなハゲ頭を光らせながら、広告会社に勤め、音楽活動をしながら漫画を描いていた。母のみつえ(赤木春恵)が父のさとる(加瀬亮)の死から認知症になった。子(母にとっては孫のまさき)と2人で母の面倒を看ている。

題名の「ペコロス」とは料理で使う「玉ねぎ」のこと。頭がツルツルに禿げていること。認知症になった母がツルツルの禿げを叩いて自分の息子だと確認するように、「はげ」は蔑視ではなく認知症の母がわが子を認識するユーモアのポイントとして使い、「介護喜劇映画」として成功している。

認知症になった母に振り回される毎日を描いてゆく。昼間母一人で留守番していると「オレオレ詐欺」とか「下水管が詰まった」とかの勧誘の電話。その度に息子が注意するがすぐ忘れてしまう。下着を何枚も買ってあげるが無くなっていた。(箪笥の引き出しに押し込んではみだしてしていた)「お父ちゃんどこへ行った?」(10年前に亡くなった夫を問う)息子の帰りを駐車場で待っていて、もう少しで大事故になるところだった。
ゆういちは悩んだ末、母を介護施設に入れることにする。

介護施設「さくら館」に入所している認知症のお爺さん・お婆さんたち。
・ 花柄模様のパンツを穿いて会う人に「飴ちょうだい」とねだるお婆さん。(カシマシ娘の正司照江。意識は子ども時代に返っている)
・ やたら触りまくるエッチなお爺さん。
・ 「先生!花壇の花がまた盗まれました」リュックを背負って動き回るお婆さん(佐々木すみえ。級長だった女学校の時に意識はいっている。)
・ お人形を背負ってあやしているお婆さん。(原爆で娘を亡くしていた。赤ん坊が生きていた頃に意識は返っている)

母の昔の事に思いを耽る回想の場面がカットバックされて物語は展開してゆく。母みつえの回想の場面は彼女が生きた人生=昭和史であり、見ていた私は感慨深いものを感じた。

・ 女学生の合唱、『早春賦』を歌っているのを子ども時代のみつえとちえこ(ちいちゃん=成人後は原田知世)が窓から聴いている。懐かしい「早春賦」の合唱が聞えてくる。
・ みつえは天草の生まれで10人兄妹の長女だった。家から海が見え、子沢山で、すぐ下のたかよ(8歳で死ぬ)が姉妹たちの衣類を縫ったりしている。
・ 親友の「ちぃちゃん」が家に来て「わたし、人減らしで長崎に行くのよ」みつえ「ちぃちゃん、手紙を書いて。私も書くから」(貧乏で長崎に売られた)
・ (昭和20年8月9日)天草の家、長崎に原爆が落ちた。天草でも轟音が轟き、はるか長崎の方に大きなキノコ雲が天空に上がる。みつえは「ちぃちゃん!大丈夫かな」と親友を心配する。
・ みつえ(原田貴和子、知世の姉)結婚する。夫さとる(加瀬亮)とちぃちゃんを丸山遊郭に訪ねて行く。賑う遊郭の中でちぃちゃん(原田光世)とすれ違うが彼女逃げ出す。家に帰ってみつえは手紙をちぃちゃんに書く。何通も書くが返事は来ない。
・ みつえの夫「さとる」気は優しいが神経質で酒乱。気を紛らわすために酒を飲み、酒乱で妻に当たって暴れる。
・ ゆういちが6歳の時、岬の先端に母と2人で立っていた。その日は給料日で必ず家に持って帰るようにゆういちに行かせたが、全部呑んで使い果たしてしまった。母は思い余って死のうとしていた。ちぃちゃんの「何としても生きてゆかんばなるまい」で踏みとどまった。
・ 丸山遊郭に又、ちぃちゃんを探しに行った。女将に会う。ちぃちゃんは原爆症で10年前に死んでいた。あんたの手紙が何通もあった。こんな身分だから返事が書けんかった。返事は私が書いた。あの「何としても生きて行かんばならんばい」は!

長崎の「ランタン祭り」にゆういちは母を連れてゆく。みつえひとりではぐれてしまう。みつえ眼鏡橋の上に立っている。母の周りに10年前に死んだ夫・8歳で死んだ上の妹たかよ・親友のちぃちゃんが取り囲んでいる。
・ 10年前に死んだ夫のさとるが「みつえ、悪かったとば、お前に迷惑ばかけた」
・ 8歳で死んだたかよが「ねちゃん、どげんしているね」と言っている。
・ ちぃちゃんが「どげんしても、生きてゆかんとならんばい」と言う。
みつえ、皆に囲まれて嬉しい。

ゆういちが母を見つける。声をかけると母は「おお皆そろっているよ」という。
ゆういち「写真ば撮ろうか」母ひとりだけしか写っていない写真を撮る。
ゆういちは思う。
「ボケるとも 悪かことばかりじゃ なかかも知れん。」(長崎弁)
「ボケたから亡くなった人が次から次に現れて話かけてくる。ボケになることは、人として1つの幸せかもしれん。母ちゃん、子供になったよ。穏やかに・幸せにボケてゆく。人にとって悪かことばかりじゃなかとね」

どうどうたる「ボケ」肯定である。喜劇映画の今や巨匠85歳の森崎東監督にして出来た映画だ。
主人公みつえを演じた赤木春恵さん、89歳さすがだ!
自由人のやさしく穏やかでユーモアな人間を演じた岩松了、うまい!
原田知世、あなたの美しさは永遠なんですね。    


  1. 2014/01/26(日) 12:01:50|
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2014年『映画』「鉄くず拾いの物語」(ボスニア、ダニス・タノヴィッチ監督)2014.1.21

2014年『映画』「鉄くず拾いの物語」(監督ダニス・タノヴィチ、ボスニア映画)2014.1.21

貧困ということを深く考えさせられた映画だった。7万円のお金が無い為に人の命が危うくなる話は、経済が高度に発展し<アベノミクス>と浮かれている日本人にとっても無縁の話ではない。

ボスニア・ヘルツェゴビナで暮らすロマの家族に実際にあった話を、「ノー・マンズ・ランド」でアカデミー賞受賞監督のダニス・タノヴィッチが、当事者の家族を主役にしてその話を映画化した。ベルリン国際映画祭で銀熊賞ダブル受賞に輝いた。

鉄くず

ボスニア山中のロマの村に住む、ナジフ・ムジチは働き者の妻セナダと鉄くず拾いで何とか生計を立てていた。二人のまだ幼い二人の娘も元気で貧しいながらも幸せな暮らしだった。夫婦仲が良いナジフは優しい夫だ。「薪が無い」と言われれば山に木を伐りにいって薪にしてくる。困難なことがあっても愚痴も言わず黙々と行動する。隣近所のロマの住民たちも親切である。車を貸してと言えば快く応じるし、皆貧しいが温かく助け合って暮らして来た。

ある日、3人目を妊娠していた妻のセナダが激しい腹痛に襲われ、医師からすぐ手術しないと命に係わると言われる。しかし、保険証を持たない一家にとって7万円の手術代はとても用意出来る金額ではない。
一度断られた病院にもう一度「何とかして欲しい」と頼み込むナジフだが、医師からは「私は雇われ医師、院長がダメだと言うので何も出来ない」と素気無い拒絶にあってしまう。福祉の方に掛け合ってみるが助けようとはしない。
さて、この一家の運命はどうなるか?

タノビッチ監督はこれを新聞で読んで怒りがこみ上げ、ナジフ一家に会う。監督は人間の命が粗末に扱われる不条理を世に訴えるにはどうしたらいいのか考える。勝利者不在の「ボスニア紛争」が20年も前に終わったが、いまだ戦後復興が進まず経済不況のままのボスニアの現況を物語る「傷口」だと思う。ロマ系ボスニア人の90%が正規雇用についておらず、ロマだけではなくボスニア人の多くが映画の主人公のようにその日暮らしの状態だ、と来日した監督は語る。以下監督のインタビュー。
怒りを映画で訴えたかった。劇映画だと脚本・キャスティングに何年か掛かってしまうし、伝統的なドキュメンタリーにしたくなかった。ボスニアで映画を製作するには大変だという思いもあった。
当事者のナジフ・セナダ夫婦が出演して、体験したことをやってもらおう、と説得した。一家の日常生活の自然な流れをカメラ(映画用ではない普通のカメラ)を回そう。悲惨さを劇的に描いたり観客の感情を煽ったりしないこと。9日間で映画を仕上げた。脚本は用意せず、ナジフの仕事や一家の日常生活や会話を映画のシーンとして使った。

映画の中のナジフ・セナダ夫婦は凛として自分自身を演じた。映画を見て私はほっとした感想を持った。ナジフ夫婦の心情を思いやったからである。

町の病院への行き帰りの道中、巨大な発電所の脇を通る。大きなグロテスクな煙突から炎炎と煙が出ている不気味な光景だ。彼が家で薪を割るシーン、ふたつとも同じ暖・火=エネルギーを取る場面である。監督は意識的に2つのシーンを対比して描いている。人類は薪の世界から発展して巨大な発電所の世界に突入したがナジフたちの幸福を作り得たか?むしろ巨大な発電所はナジフたちに立ち塞がる壁・巨大な抑圧者となっているのではないか?
それと、巨大な発電所を経営する経済力がありながら、ナジフたち弱者を切り捨てるボスニア社会の構造が問題だ。それは日本でも、いや全世界的な問題である。

1990年代の内戦で旧ユーゴは解体し互いに争い、「民族浄化」という虐殺行為が行われた。戦前・戦中ナチスの大量虐殺に匹敵する戦後ヨーロッパの最大の虐殺行為であった。内戦は終息をみたようだが、20年たったボスニアの内実、今の実態を示しているのではないか?
2008年に旧ユーゴを旅した時、戦争の残骸が各地に見かけられたが、内実までは入れなかった。私の旅行が観光旅行の域を出ていないことを示すだろう。しかし、私にとって旧ユーゴ・ボスニアは忘れがたき地になったのだが。

作品に戻って、もし旧ユーゴ時代だったらナジフさん一家のような悲劇は無かったか?
「不完全だけど最低限の社会システィムはあったから、悲劇を防止することが出来たはずだと、今はシスティム自体が無い」と監督は言う。

人の命を守る社会のシスティム、人の生き死を守る最低限の保障だ。それが無いボスニア。ナジフさんがロマだから命が保障されなかったか?そうではあるまい。貧困で保険料が払えなかったからだ。ナジフさんのような勤勉な人を貧困に追いやっている社会とはなんだろう。これはボスニアだけではなく日本にも全世界にも当てはまる問題のようだ。



  1. 2014/01/21(火) 22:26:39|
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『日記』「正月のテレビから」その(3)「祈りの大地に立つー写真家、野町和嘉」1.4放映。1.17

『日記』「正月のテレビから」その(3)「祈りの大地に立つ」(写真家、野町和嘉)
         (こころの時代―「宗教・人生」―2014、1,4放送)1.17  

祈りの大地に立つ

40年にわたって世界を旅し、過酷な自然における人間の姿を撮り続けてきた写真家・野町和嘉さんをテレビが取り上げていた。アフリカ・サハラ砂漠・ナイル川流域・チベット・中東と80カ国の国や地域を取材、スケールの大きい写真家である。
写真も凄いが彼が語る内容も優れている。野町さんが世界を撮り続ける旅は、
・ 地球にはこんなにも面白いことがあるのだ。
・ 過酷な自然に張り付いて人間はどう生きているか。
・ 人間の極限の情況での宗教とはどういうものか。
自然や環境と折り合いをつけながら生きてきた人々の暮らし・祈りや宗教的な世界を写真に撮り続けてきた。
このような“問いと発見”―地球の夢幻と極限の世界の探検への、私のオマージュである。

1) エチオピア
 今のエチオピアは高度成長で経済が繁栄して景気が良い。都市は激変して、例えば携帯はどこでも通じるように発展した。だが、貧富の差が激しい。生活の隅々に宗教が行き渡っている。宗教者は聖書以来の質素な生活。物資的には大変だろうが、深い精神的な価値観が生き続けている。3千年、孤立の中で(回りはイスラム)育んできたキリスト教。ヨーロッパ経由ではないジバの女王時代の独自なキリスト教。モーセ十戒の世界が生き続けている。

ギオルギス

* 聖ギオルギス教会(ラリベラ・エチオピア。周りがイスラムだから孤立して外との付き合いが無いままに信仰が深められた。)
* クリスマス巡礼
  3千年前エルサレム神殿からアーク(聖櫃・モーゼが神から授かった十戒の石板を収めた箱)のレプリカを信者が担いでいる。

* アッバ・ヨハンニ教会(ティグレ・エチオピアの北部の洞窟。以前から洞窟信仰があった。天井から一日15分だけ日が射す。その時羊皮紙の聖書で祈る。)

* テイムカット(キリストの洗礼を祝う祭。ヨルダン川で歓喜の沐浴をする若者たち)

ティムカット

2) サハラとの出会いー1972年
 ヨーロッパ旅行の途中、スペインからモロッコ・アルジェリアへと旅をした。
アフリカを南下するに連れて草原―岩山―草が無くなり砂漠になっていった。
* カルザス(アルジェリア)学校に泊めてもらった。夜着いて朝起きたら、砂丘の麓にいた。――こんな所でも人は住めるんだ、これが私をサハラへ引っ張ってゆくきっかけになった。

砂丘の麓

* フェザン(リビア)
  キャラバンは砂漠の中を歩く。水は命の水である。神によって与えられた命の水(オアシス)が頼りである。余計なものはない。神に感謝する。
* キャラバンの中で一頭の駱駝が弱った。一行は直ちにその駱駝を屠って解体して必要なものを取り出した。弱った一頭に拘わっていると全体が危うい。過酷な自然での厳しいイスラムの戒律。
* タッシリ・ナジュールの壁画(アルジェリア)
サハラは大昔緑だった。牛がたくさん居て象も人間もいた。サハラを走っていると何千年前の「石臼」などを見つける。数千年前の遺跡が転がっている。
何も無い空間に引き付けられた。数千年の時間と何も無い空間に心は裸になる。

3) ナイル河の源流を旅する。
* サッド(南スーダン1981年)
 牛と共存している遊牧民と出会って1ヵ月キャンプに同行する。

牛の小便

リンカという遊牧民、生まれた時から牛と一緒に育っている。雌牛の性器に息を吹きかけてミルクを出させていた。牛のオシッコで頭を洗っていた。パイプを銜えた男、顔に白い物を塗っている。牛糞の灰を塗って虫よけにしている。汚いとか不衛生とかの意識はない。牛との共生が深い。過酷な自然に対してこうしなければ生きてゆけない。

この写真を撮ったのが1981年、83年のスーダンの内戦で皆殺された。
* 聖マリア教会(ラリベラ・エチオピア。1982年、世界遺産)
 エチオピアに11ある教会の一つ。巨岩を刳り抜いて残った物を教会にしている。紅海を隔ててアラブと接している。交流も多く混血も多い。文化の多様さ・深さを感じる。エキゾチズムを感じた。
* 1984年、74年にハイラシェラ皇帝を倒した革命10周年のお祭りに世界中から指導者が来た。84年当時エチオピアは旱魃・大飢饉・飢餓で100万人が餓死したといわれる。独裁政権は飢餓を無視して祭りを強行した。
  
難民キャンプ

飢餓の最中のマリア教会のクリスマスを見た。難民キャンプで見たエチオピアの子どもは目がくりっとして天使みたいだ。人間の生死をこんなにも身近で見られることに震撼した。命が透けて見える。飢餓でやせ細った、生の根源を見せられた。襤褸(ぼろ)を着て汚れて痩せて極限状況で何かと向き合っているという――もし救われるとしたら神によってしかないんではないか。

4)1988年「チベット」へ行く。

輪廻転生
文革でチベットの僧院がことごとく破壊された。「輪廻転生」(リンネテンセイ
=現世の業(ごう)を罪滅ぼし洗い清めて来世での成仏を願う。命はめぐりめ
ぐってゆく。徳を積んで来世で虫とかではなく人間として生まれ代わりたい)
という信仰のあり方に興味を持った。

* 「五体投地」で聖地を目指す(東チベット1989年)

五体
体を大地に投げ出して、お祈りして、又投げ出して向かって進むというように、5年とか10年とかをかけて聖地を目指す。我々の仕事と同じように、一生をかけて業を払う信仰をする。一代で終わらない信仰の深さがある。

* 「鳥葬」
3千も4千メートルもの高度に生きるチベット人。何千年もかけて高山植物の僅かな層が形成されて、その下に土の層・その下が砂、ここに芽生える僅かな草をヤクが食べて、その肉と毛皮と糞(大切な燃料)を人間が利用する。

鳥葬
 たまたま「鳥葬」を見た。14歳の少女が落馬して内臓破裂で死んだ。僧がお経をあげ肉を裂き鳥に食べさせていた。(土葬=分解しない。 火葬=燃やす薪がないので)
死んだら魂は抜けてがらんどうの肉体だけが残る。それを次世代のために役立てる。<捨身飼虎>しゃしんしこう=自己犠牲
* 輪廻転生の信仰
1匹の虫も前世は人であったかも知れない。蝿も殺さない。

モンラム

* チベット暦新年の大祈願会(モンラム1989年)

4) イスラムの聖地に行く。

DSC_1436モスク2

1994年、イスラムの聖地を撮影して欲しいという依頼がきた。
メッカとメディア=異教徒の立ち入りを禁じている。自らイスラム教徒になるという決断をした。
* ライラトル・カドル(召命の夜)の礼拝 1995年、
ラマダン月の27日目予言者ムハンマドが神の声を聞いた日朝まで礼拝をする。
これを見ていてイスラム教というものがわかった気がした。

世界中から14億の人々の祈りが集中する、ブラックホールみたいなもの。カーバの中はからっぽ、ここにある時間は永遠の現代。
・ メッカを巡礼者する場合は一個人にかえる。身分を明かすものはつけない。2枚の縫い目のない布を纏う。下着もつけない。神との距離は平等、裸の自分に帰って神と向き合う。

巡礼者たち

5) おわりに
山上での祈り


日本と海外(サハラ・エチオピア・イスラム・チベット)、二つの土地を振り子のように行ったり来たりしていた。日本にいると外が見えたり、外にいると日本が見えたりする。
宗教はそれぞれの風土との関わりの中で進化したもの。
チベットの「鳥葬」は凄まじい。<自分がどこから来て、どこへ行くか。>を考えさせる。他の宗教から見ればとんでもない物に見えるかもしれない。イスラムでは火葬は「地獄の業火」=最後の審判を経て悪をした者が放り込まれる地獄の業火である。

「生きてゆく知恵」「宗教に対する愛」「死をどう克服するか」
どの宗教も凄い、敬意を表する。長い時間培われてきた価値観・信仰、その場面にカメラを向けるわけだけれど、他の場面では見られない、自分への問いかけ、陶酔であったり、祈りの場面であったりする。そこに踏み込んでゆきたいとこの仕事を選んだ。
「人々が息をして、深くものごとを考えたり、内省的になっていたりする。」
それを見てきただけ、面白さ・好奇心・宗教や人間の深さ・一番深いところに足を入れさてもらっている。

「聖地巡礼」(ローマ市立現代美術館、2014年5月4日まで)

  1. 2014/01/17(金) 22:02:17|
  2. 『日記』
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『日記』「正月のテレビから」その2「池上彰2014世界を見に行く」②2014.1.13

『日記』「正月のテレビから」その2「池上彰2014世界を見に行く」② 「中東を行く」続き


DSC_1269タイトル池上2014世界を見にゆく1

C、何故ユダヤ教とイスラム教は対立するのか?
ユダヤ人は何故迫害を受けたのか?
・ユダヤの歴史
 紀元前2000年、アブラハムがカナン=イスラエルの地を与えられる。
 紀元前1300年、エジプトに住んでいたユダヤ人がモーセに連れられて脱出
       (出エジプト)シナイ山で十戒を授けられた。
紀元前1000年、イスラエル王国に神殿があった。紀元前の時代この地にユダヤ王国があった。
紀元前 600年、ユダヤ人バビロン(イラク)に幽閉される。
紀元前  70年、ユダヤ王国、ローマ帝国によって滅ぼされる。死海のマサダ(要塞)に900人のユダヤ人が逃げ込んで2年間立て籠もり、敗北して全員自殺する。*「マサダの誓い」(イスラエル国防軍の入隊式はここマサダで行う。2度とマサダの悲劇はくりかえさない、と。)
・ ユダヤ人は世界中に離散(ディアスポラ)、祖国を持たない民族に。
・ 跡地にアラブ人が住み着く。
・ エルサレム =ユダヤ・イスラム・キリストの3宗教の聖地がここにある。幾多のトラブルが発生した。  
嘆きの壁=ユダヤ教の祖国の地。離散の民となったユダヤ人が年に1度だけ壁の前で祈ることが赦された。
 聖墳墓教会=イエスの処刑・復活の地。「聖墳墓教会」という墓と教会を作った。キリスト教の聖地。
 岩のドーム=イスラム教の創始者ムハンマドが昇天を行った地で、イスラム教の聖地。メッカのカヤバ神殿からエルサレム神殿まで一夜のうちに旅をした伝説。岩のドームがある。
・ヨーロッパにおけるユダヤ人
  ヨーロッパに拡散したユダヤ人が何故迫害を受けたか?
  “ユダヤ人は金融業などの職業しか選べなかった。成功すると妬まれた。
“「マタイ伝」の言葉。イエスが処刑される時、周りのユダヤ人に「本当にいいのか?」と聞いた。答えは「その血の責任は、我々とその子孫にある」

  キリストの死の責任はユダヤ人にあり、ということでキリスト教のヨーロッパでは迫害・差別を受けた。
“ゲットー(ヨーロッパの古い街の中での隔離政策)
“最悪なのがナチスによる強制収容所・絶滅収容所におけるガス室による非人道的大量殺人。

D、ガザ地区に行く

イスラエルの戦後史

* 第2次大戦後のイスラエルとパレスチナ

 戦後ユダヤ人がヨルダン川西岸の地・今のイスラエルに自分たちの国を建てようとした。前から住むパレスチナ人と衝突、
・国連分割案(1947)国連がイスラエルとアラブ人の領土に分けた。
・第一次中東戦争後(1948)イスラエル国成立。ガザ地区(エジプト)・西地区(ヨルダン)に分けたが2つの地にパレスチナ難民が逃げ込んだ。
・オスロ合意 (1993)多くのパレスチナ人がいるからというので2つの地を「パレスチナ自治区」にした。米クリントン、PLOアラファト議長、イスラエルのラビン首相(95年、暗殺)の3者で合意。
・入植地問題、ユダヤ人が自分たちの土地だといってパレスナ自治区の中に入ってきて生活しだす。武装に守られての入植。

* パレスナ自治区(ヨルダン川西岸)を行く

分離壁

  イスラエルはパレスチナ自治区との間に「分離壁」という高さ8Mの遮断壁をつってしまった。テロを防ぐという名目で。国際社会は認めていない。パレスチナ人は壁の向こうにいけない。パレスチナ人の声、
 「自由も権利もない」「天井の無い刑務所に入れられているようだ」
 「この近くで弟がイスラエル兵に銃弾で撃たれた」その場所に案内される。生々しい弾痕の跡。
 ・へブロンを行く
  パレスチナ自治区の商店街を行く。「アラファトの肖像画」のポスターがはってある。商店街の上に網が張られていて、缶やビンやペットボトルなどのごみが散らばっている。その上はイスラエルの入植地なのだ。自動小銃を構えたイスラエル兵が見張っていた。イスラエルの国旗がはためく。
  パレスチナ自治区の人口
   アラブ人 17万、 ユダヤ人 八百人、
* ユダヤ人入植地へ

かつて賑やかなアラブ人の商店街だったがゴーストタウン化している。
通りに2種類のポスターが張ってあった。
(アラブ人)「ユダヤ人に盗られてしまった」 
(ユダヤ人)「この土地はアラブに盗まれた」
今なおとまらない憎しみの連鎖。人が誰も通らない道に自動小銃を構えたイスラエルの兵士が巡回している。

* ヘブロン(ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区にある聖地)
  ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地がヘブロンの丘にたっている。3つの宗教の共通の祖「アブラハム」の墓がある。
・ユダヤ教によってアブラハムの墓が建てられた。マクペラの洞穴(アブラハムの墓、エルサレムに次ぐ重要な聖地)地下にアブラハムと妻サラの墓がある。ユダヤ人がここに来てお祈りをする。祈りながら感極まって泣く信者がいるという。

・イスラムがやってきてその上にモスクを建てた。11世紀、この建物の下からアブラハムの遺骨が発見された。洞穴の下に2本のロウソクが灯っている。1994年、ユダヤ教徒が銃で乱射してパレスチナ人百数十人が死傷。

* ガザ地区に行く

ガザ地区へ行く

 イスラム原理主義者ハマスの拠点がある。イスラエルとパレスチナとの報復合戦を繰り拡げている。
 イスラエルからガザへ入る時も厳しい検問チェックがある。ガザに入る為の長い緩衝地帯を通る。右側は高い分離壁に囲まれている。1・5KM, 20分歩いてガザ側に到着。途中、いざ、という時閉鎖される鉄の遮断機があった。
 ・ここには国連のUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)が60年以上運営するパレスチナ難民キャンプがある。第一次中東戦争(1948年)でパレスチナ難民が発生して以来キャンプに住んでいる人がいた。
・ ガザの印象
イスラエルに比べて荒涼たる風景が広がっている。無人の建物が多い。ガソリン・スタンドが休業している。排水がだめ。インフラが不整備で少量の雨で下水が溢れ出し異臭を放つ。
 ・イスラエルの空爆の犠牲者を讃えるポスターが街中に目立つ。
 ・ヘルスセンター(着物姿の若い女の人のポスター、日本の援助で出来た。)
* 日本人の医師に聞く
  患者の特徴、慢性疾患、糖尿病、高血圧、癌、
  原因=食生活が悪い、運動する場所がないー肥満、塩分が高い食―高血圧
     ストレスー肥満。 薬代がキャンプで2000億も掛かる。

E、池上彰のニュース解説はわかりやすく問題の核心を突いている。よく勉強している。
  時の核心をよく見て現地に飛んでさすがにジャナーリズム出身であると感心した。
  ただ、あえて言うと、よく整理されて(これだけでも大変なことです)わかりやすくスピーチすることに
  感心するが、ではお前さんどう思うんだいと下世話に問われた時、何て答えるのだろう?


  1. 2014/01/13(月) 22:32:22|
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『日記』 「正月のテレビから」 その2「池上彰の2014世界を見に行く」 ① 1.12

『日記』「正月のテレビから」その 2  ② 「池上彰の2014 世界を見にゆく」2014.1.3
         司会、池上彰(ジャーナリスト、東工大教授)
         取材、大江麻里子(テレ東京・ニュースキャター)

タイトル
A 世界のニュースの現場はどこか?何か?
* 世界地図の中で取り出してみる。各国の問題点。
韓国・中国  =反日の動き
北朝鮮    =金正恩体制の行方
ロシア    =ソチオリンピック(2月)
イラン    =核問題。対米問題。
シリア    =内戦の行方
イスラエル  =パレスチナ和平交渉
ドイツ    =脱原発加速か?
イギリス   =スコットランド独立か?

* 日本の2014年の問題点
消費税8%時代に(4月)
特定秘密保護法施行(12月)
TTPへの参加
普天間基地移設

B 世界の火薬庫ともいうべき<中東>を行く 
* シリア
シリア内戦
 シリア難民が200万人周辺国に流れた。ヨルダンへ50万人の難民。
 ヨルダンのシリア国境近くのザータリ・シリア難民キャンプへ前年度(13年)に続く2年連続の訪問。キャンプの人口は3万2千人が10万人に膨れ上がり、面積も216ヘクタールが倍の511ヘクタールになっていた。
 内戦の長期化で巨大化する難民キャンプ。賑やかな商店街が出来ており、生活必需品がそろっていた。両替商も出現。キャンプが一つの町になっていた。
国連の対策責任者に聞く。(UNRWA国連パレスチナ難民救済事業機関)
・(難民は)人間としての物語を持っている。人間としての尊厳を尊重する。
・ 区画整理をして近所づきあいが出来てきた。顔を見て話すようになりより理解が深まった。
・ テントからプレハブの仮説住宅になった。生活の質の向上―噴水・家庭菜園―庭がきれいになった。
・ やることがないと人間として尊厳が失われてゆく。稼ぎたい・商売をしたいという要求に答えてあげる。
・ キャンプの電気は電柱からの盗電。電気代が日本円で月1億円。黙認している。
池上と大江はこの難民キャンプを2012年11月の訪問の時、出会った忘れられない二人の女性を探す。1年ぶりの再会。
DSC_1509キャンプで出会った女性A
Aさん(昨年の訪問の時、大江キャターがやさしいお母さんといって涙を流した人。一時アンマン(ヨルダンの首都)に出たが又帰ってきた。知っている人がいる方がいい。ここに娘3人と息子2人。あとはシリアで反政府軍として戦っている。大江は「どんな境遇にあっても人間の尊厳を忘れない方だ」と思ったという。シリアに残してきた子どもたちのことを思うと食欲が出ないという。涙の別れだった。
女性B
Bさん(今は難民キャンプを出て生活している。敬虔なイスラム教徒、ヴェールを覆いきれいな目だけが輝いていた。「主人は私と電話中に銃で殺された。政府軍の兵士はその電話で<元気かい>と聞いてきた!」主人は生まれてくる子どもを殺される寸前まで心配していた。元気な男の子を抱き上げる。どういう子どもに育って貰いたいか?「父親のように自由シリア軍の兵士になって、シリアを正しい国にして欲しい。」「あと1年が限界、1年したらシリアに帰る。殺されても故郷に帰りたい」(池上・大江、言葉が出ない。)「毎日人が殺される。今日いとこが殺された。シリアに帰って、アサドを倒して、アサドの遺体をこの目で見て、そして家族で静かに暮らしたい」
    23歳の女性だそうです。
<どうして、シリアに切迫した事情が起きたのか?>
* 中東(イスラムの宗教組織)=創始者ムハンマドの後継をめぐって分裂。
2つの派の勢力図
 シーア派 15%(イラン。シリア・イラク・レバノン・の1部)(創始者ムハンマド血筋がイスラム教を受け継ぐべき。)
 スンニ派 85%(サウジアラビア・トルコ・イラク・エジプト・ヨルダン)
        (イスラムの慣習・教えを大切にするから血筋に拘らない。
 ・シリア (アサド政権(アラウィ派―シーア派の一派)=シーア派のイランが支援。レバノンのシーア派組織ヒズボラが支援)
     (反体制派 (国民の74%がスンニ派、少数のシーア派が多数のスンニ派を押さえている。自由シリア軍・アルカイダ系武装組織。サウジなどが支援。内戦中、自由シリア軍にアルカイダが入り込んだと言われている。
  シリア内戦は、政府軍と反政府軍との争い。宗派(シーア派とスンニ派)の対立、隣国の支援グループでの対立と錯綜とした構造になっている。

* シーア派とはどういう国家か?――シーア派の大国イランに行く

 1979年2月、イラン革命。米の援助で王制を維持していたパーレビ国王の追放。最高指導者ホメイニ師が取って代わる。テヘラン米大使館人質事件、1980年米国と国交断絶、

 2013年9月、長年対立してきた米・イランの首脳同士の直接会話が行われた。(34年ぶり)
 2013年11月、イラン、米等6カ国と核を巡る協議で合意。
(長年対立してきたイランの米との急速な接近は長年の友好国イスラエルやサウジなどに不満をもたらす。今後どうなるか?)

 「コム」教義を深めるシーア派の中心都市で、大小260の神学校がある。
   祈りの現場を見る。多くの人が祈りをしている。白いターバンを頭に巻いている人が多い。(神学者)中に黒いターバンの人もいる。(預言者ムハンマドの血を引く者で尊敬を受けている)
 「首都、テヘラン」
   宗教グッズの店に行くとアリー(ムハンマドの従兄弟)の肖像画やポスターがある。
  街中、ホメイニやハメネイ(現代の最高指導者)のポスターが貼られている。
  スンニ派のサウジでは肖像画を掲げることは「偶像崇拝」だとして禁止。シーア派ではムハンマドの血筋が大切だとして掲げる。
  1. 2014/01/12(日) 11:45:43|
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『日記』 「正月のテレビから」その(1) 2014.1.8

『日記』「正月のテレビから」その(1) 2014.1.8

最近のテレビつまらない、とよく言われる。愚民政策の産物かと思われる。
そんな中で拾った番組を少し。


① 「いま日本を考える 2014」BS朝日 2014・1・1放送

いまの日本を考える2014 1
 司会、鳥越俊太郎、吉永みち子(作家)、藤井聡(京大)、小幡積(慶応)、飯田泰之(明大)、川村晃司(テレ朝コメンテーター)、鈴木邦男(一水会)

これは面白かったが途中から見たこと、経済学に疎いこと、録画を忘れたので
断片的な感想です。いや、メモ程度です。

* 2013年「アベノミクス」による株高円安が始まった。日銀による異次元の金融緩和によるという。2014年の景気はどうなるか?4月の消費増税を乗り越えられるか?
「金融緩和」か「構造改革」か、コメンテーターの論争。金融や経済の仕組みに関すること、ここから先が重要。こちらが疎くて明確なビジョンを描けない。アベノミククスは成功するか破綻するかわからない。

* 「TTP」ほとんど秘密交渉なので不安だ。どういう議論がなされどこまで話されているのかわからない。日本の産業・社会にとって成長につながるのか?破壊でしかないのか?
 米国は日本の開放されてない分野(保険、流通、医療、)に入り競争する。あと強い産業(米、自動車、精密機械)もそのままにしておかないでしょう。
 例えば「医療」、現在の国民皆保険制度が守られるかどうか。それも高水準の
 医療レベルでの。自由診療が導入され、高難度の医療は自由診療のみになる。高度の医療は保険の効かない診療が増える。――国民保険制度が崩れてゆく。
(皮肉なことにアメリカは日本の皆保険制度みたいなのを作りたくて、クリントンの時代から民主党が法案を出している。共和党の反対をどう封じるかが課題である。何で反対の方向にゆくのか。)

* 戦後経済の成長を支えた労働力――日本の中間層が二極化して消えてゆくのか?現代の若者の雇用形態――正規と非正規や派遣。年収規模からも大企業の正規と非正規や派遣等との格差が出来てしまった。日本の社会構造が二極化してしまったか?
 米国の自由主義経済が日本にやってきて、二極化を完成するのか。

* 「特定秘密法」について、コメンテーターが両極に分かれた。安倍政府を支持する人とそうでない者と。昔御用学者という言葉があったが、今は言いませんねえー。御用学者「日本人や機関はよく秘密を漏らすと外国から言われる。だから秘密保護法は必要なんです」と最もらしく言われる。「具体的にどういう場面ですか?」「経済の会議でよくあることです」さらに問い詰めると米国の方がリークしていたことがわかり、政府の宣伝文句の嘘が暴かれる。日常会話で精確な資料や判断をもっていないと宣伝文句に誑かされる。
「特定秘密法で安倍内閣は従来の自民党を超えた危険なものを感じた」という発言があった。同感!単なる保守を超えたトテモ・コワイ・ナチ的なものか?

今の日本を考える出演



  1. 2014/01/08(水) 18:41:50|
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2014年『映画』①「少女は自転車にのって」サウジアラビア、監督ハイファ・アル=マンスル。1/4

『2014年映画』①「少女は自転車にのって」サウジアラビア。1/4監督ハイファ・アル=
                   マンスール。出演、ワアド・ムハンマド。リーム・アブドゥラ。
                   アフドゥ。

DSC_0772少女は自転車にのって.ポスター

サウジアラビアでは映画館は禁止。女性が自動車を運転することも自転車に乗ることも禁止だ。女性差別が甚だしく保守的なイスラム社会を代表する国だ。そこで始めて映画がつくられた。サウジ映画1号の誕生。サウジ人の女性監督によって、サウジ人の俳優を使って、サウジを舞台にして映画がつくられた。中東世界も確実に動いている。

10歳の少女ワシダ(ワァド・ムハンマド)は男の友だちと競争したいので自転車が欲しくてたまらない。母親(リーム・アブドゥラ)に頼んでも女の子が自転車に乗ることはとんでもないと相手にしてもらえない。反対されても諦めずに、自転車を買うために小金を貯めたり、賞金目当てにコーランのコンクールに出場して優勝したり、(賞金は本人の意に反してパレスチナへ寄付させられるが)と純粋無垢で行動的な聡明な少女である。彼女の真っ直ぐな眼差しを通して、サウジの保守的な国家社会の女性差別の構造と欺瞞性を見事に浮かびあがらせてゆく。

ワシダが通う女子だけの学校では、戒律を重んじる女校長(アフドゥ)が目を光らせて、「静かに!」「男性に声が聞こえてしまいます」「女性の声は肌と同じです」と喧しい。ヴェールを被らず登校してくるお転婆なワシダはいつも叱られている。他の生徒たちが黒靴なのにワシダだけがスニーカー、反抗の象徴だ。

戒律を喧しく言う割りには美人の女校長は学校内でヴェールも被らず、スタイルもよく美女ぶりを発揮している。(ヴェールを被らなくても女学校は女だけの社会だから非難されない)校長の家に泥棒が入ったという噂があるが、実は恋人と密会?表面的に保守派の仮面を被っているが実情は享楽的な面をもつという、サウジ保守社会の一面を代表している。
ワシダの無垢な言動は女校長の欺瞞性に対峙している。

しかし、ワシダの母親に象徴されるような女性の苦悩が一番大きな問題としてある。母親は男児を生んでいない。一夫多妻制(4人まで婚姻が赦される)によって第2夫人との結婚問題に悩み苦しむのである。又、女性は車や自転車の運転が禁止されているので、交通手段に悩むのである。映画の中でタクシーを雇うことに苦労しているシーンがあるが大きな問題を孕んでいる。

サウジは世界最大の石油産出国であるが、その富が国民に充分に還元されなくなってきた。インフレ率も高く夫の収入だけでは生活が苦しくなってきた。女性のライフスタイルも変化してきた。それまでの「結婚と出産」が女性の最大の義務だったが、社会への進出でサウジ社会が変わってきた。
主人公ワシダの求める「自転車」の持つ意味に特別な意義があるのだ。ワシダが通りを自転車でスイスイ走る様子は格別な意味を持ってくるのだ。ラストシーンで思いがけない、、、


  1. 2014/01/04(土) 18:30:18|
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『日記』 「あけまして おめでとうございます」 2014.1.1

あけまして おめでとうございます。

昨年からの混迷の情況が続くと思います。
頭を明晰にして、問題の本質を見つめてゆこうではありませんか!

本年もよろしくお願いします。


  1. 2014/01/01(水) 00:24:55|
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