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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『日記』 「11月30日(土)昨日に続く」 11.30

『日記』「11月30日(土)昨日に続く」11.30

① 「女ざかりのがんと性」(NHK 11/27 <あさいち>で放送。

 出演者、高橋都さん(国立ガン研、がんサバイバーシップ支援研究部長)
     河村裕美さん(女性特有のがんサポートグループ「オレンジティ」代表)
 ゲスト、樹木希林さん、室井佑月さん、六角精児さん

* 性の問題は隠してしまう。表面社会ではタブーとされて、皆黙っている。言うことが恥ずかしいとされる。勇気のある<あさいち>が取り組んでくれた。「女ざかりのガンと性」
 これは男も女もなく「癌と性」である。しかし、女性特有の「子宮がん、卵巣がん、乳がん等と性」は一般化できない。

* ガンについて「命が助かっただけでもいいじゃないか」「性生活なんて二の次だ」
 これはネガティブな捉え方。
  ガンになっても「女性が自分らしく生きるためには、性の問題は大切だ」とポジティブに捉えて、これまで語られることがなかった「女ざかりのガンと性の問題」を浮き彫りにしょうとした。

* ガン治療(手術、抗がん剤、放射線)は様々な性機能障害を引き起こす。
   {ガン治療による性機能への影響}
  @「子宮頸ガン」
    手術・・膣の短縮、潤いの低下
    放射線・・照射部の炎症
    抗ガン剤・・膣の潤いの低下
  @「乳ガン」
    手術・・傷跡のしびれ
    放射線・・照射部の炎症
    抗ガン剤・・膣の潤いの低下

* 女性特有の問題だけどテレビの画面に登場したことに意義があります。これからも
 勇気を持って今まで隠されていた問題を取り上げてもらいたい。

* 女性のガン経験者同士の「おしゃべりルーム」=「NPO法人オレンジティ」
  :HTTP://O-TEA.ORG/
関心のある方は上記のホームページを訪問下さい。

② 「ハンナ・アーレント」

ハンナ.アーレント

岩波ホールで上映中の「ハンナ・アーレント」は連日盛況が続いているようです。アーレント現象がドイツ・米国に続いて日本でもちょっとしたブームになっています。
新聞に載っていました。映画が盛況の上にアーレントの著作が何千部と増刷されたということです。哲学の専門書には稀有なことらしい。

私は台風の来た上映の初日に見ました。ブログに書いたとおり、台風の去った当日の2回目は1時間前にキップは売り切れ、これは尋常ではないぞ、と思いました。帰宅してブログに書くために私なりに調べていって、雑誌「みすず」の野口雅弘さんの記事を発見したのです。トロッタ監督の「ハンナ・アーレント」がドイツでブームになっていること、若い女性の研究者が最近「イェルサレムのアイヒマン」は仮面劇を演じた、筋金入りの殺戮者だと実証したというのです。

「アイヒマン評価」
アイヒマン裁判(61年)の後、98年に資料が出てきて筋金入りの殺戮者・アイヒマン像が学会に定着します。アーレントが記事を書いた当時にその資料が無かったわけです。映画ではトロッタ監督はアイヒマンを俳優の演技ではなく、裁判の実録フィルムを用いています。ブログで私はみなさんに映画を見て判定してください、と言いました。アイヒマンが「陳腐な小役人」か?「仮面を被った殺戮者」か?
これは判定しょうがないですね。映画の場面だけでは判定出来ないのです。

* 私はアーレントの業績を評価します。(学者ではないので実証出来ません)問題は次のことです。
① 「考えることが人間を強くする。よく戦える。」考えない=理性を失った感情的な行動が恐ろしい。ヒットラーの演説に感動して戦争に駆り立てられる大衆。これからの何処かの国の大衆もそうなるのか?
② 「全体主義にとり付かれるのが、特別な存在ではなくて、あなたであり私かも知れない」大衆内部に全体主義の根っこがあるという指摘。
③ ユダヤ人協会の内部に、ナチ通報者がいた。そうでなければあれほどの大量犠牲者が出るはずがないという点です。(この論点を譲らなかったため、アーレントがイスラエルを敵に廻し多くの友人を失った)

映画は12月13日(金)まで。
トロッタ監督に敬意を表します。主演のバルバラ・スコヴァにも同じく、、、。


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  1. 2013/11/30(土) 22:27:46|
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『日記』 「11月29日 、認知症に関する2つのテレビ番組」11.29

「日記」「11月29日 認知症に関する2つのテレビ番組」 11.29
① NHKで「認知症」に関する衝撃的な放送を2夜連続でやっていた。

翌11月25日(月)にある会合に参加した。高齢者ばかりということなのだろうか、このNHKの「認知症」の放送を皆見て、ショックを受け会の話題の中心になった。若い人には実感がないかも知れないが、、、。

(1) 11/23(土)、「母の認知症を3000日記録した元ディレクターの「奮闘記録」
それを見ながら専門家が日本の認知症介護の現実と課題を語る。」

母と息子の3000日の介護記録 1

厚労省は認知症高齢者を推定462万人、予備軍を含めると800万人と発表。認知症施策の5ヵ年計画「オレンジプラン」をスタート、施設ではなく、住み慣れた自宅など「在宅型」に切り替えようと舵を切った。

(施設には金がかかるから、老人介護の膨大な増加に対応できないから、安上がりの在宅・地域で済ませようと言う考えがミエミエです)

認知症の家族を家で介護したらどうなるか?それを考える画期的な記録!

DSC_0917 記録2

記録したのは元NHKディレクターのAさん。母親の認知症発見から最期を看取るまで、在宅介護の一部始終を3000日に渡り撮影し続けた。これは貴重な記録である。初めて介護の実態を知った人はショックを受けた。認知症の母(96)を施設で看取った私も衝撃と感動を受けた。
なお、その記録を見ながら、司会、三宅民夫、専門家(医師、訪問看護師、介護福祉士、訪問看護ステーション所長)たちを交えて討論も面白かった。

記録4

* 記録者、Aさんのヒューマンな人間性に救われた。ネガティブにならず一見乱暴に見えるが涙が出てくるような温かさにじーんときた。
* 私の場合、より身近に上の妹が世話していたし、施設での介護だった。排泄の問題は直接にはなかった。在宅で介護するAさんとは違う。ただ、Aさんが最後に言った「人間がこうやって死んでゆくことを全部見せてくれた。最大のプレゼントだ。」同じようなことを私も母の死に感じた。
* ビデオの中で、Aさんのお母さんが便の不始末をするシーンがあった。その時のお母さんの科白「何も覚えていないよ」。認知症が意識の崩壊であり、ぶっ壊れてゆく場面である。見ていた専門家たちも険しい顔で見ていた。私は涙が出て仕方がなかった。
* Aさんのお母さんの場合、認知症が進むというより、脳血管性の認知症による嚥下障害、誤えん性肺炎。百一歳の天寿を全うした。
* 「小規模多機型居宅介護」というサービス。働きながら在宅で介護が出来る。ただ、採算が合わず参入する業者が少ない。利用者は在宅介護者の3%しかいない。今後の課題。

(2) 11/24(日)「独り暮らしの「認知症」を患う高齢者。地域包括支援センターに密着、高齢者が「漂流」してゆく実態を追う。」

全国で800万人の認知症患者がいるが、80代の4割が認知症で年をとるに連れて罹る率は増える。今、独り暮らしの高齢者で認知症に罹っている人が増えている。独り暮らしの人で介護サービスを拒否して家に閉じこもり、孤立を深めている人が多い。
<キーワードは>
高齢―女性―認知―独り暮らしー介護拒否
A) Kさん(女性、76歳)の例。 家に閉じ篭って、他人を拒否、すぐ忘れる、感情の起伏が激しい、被害妄想で攻撃的。片付けられない、掃除ができない、食事を取っていないー栄養がとれていない。薬を飲み忘れる。(病気の悪化―命に関わる)
* NHKのカメラマンとは人が変わったように親しげに心を開く。ドイツ語講座を聞いていたからだ。30年前に離婚した夫がギターを教えてくれた。
  ギターを取り出して昔夫から習った歌を歌いだす。新婚時代が人生で一番よかったと言う。別の場面では攻撃的な態度に戻っていた。
* 地域包括支援センターや行政の支援を拒否しているので困っている。

B) 高齢の夫婦2人の場合でも、どちらかが認知症に罹ると孤立を深める。
* Aさん夫婦(70代後半)の例。妻が認知症に罹っているがその自覚がない。妻は徘回で何度か警察に保護された。家事を一切しなくなった。カメラの前で、夫は介護のサービスを受けさせたいが、妻は、独りがいい、大勢は嫌だ、家がいい、夫と一緒にいたいと拒否。
夫は妻の気持ちを思いやるばかりに逆に孤立を深めた。
* 夫は過労で入院してから限界だと感じている。妻を誰かに任せられない。
  内臓が丈夫な妻は私より長生きするだろう。どうしたらいいか?と泣きながら訴える夫。

 C 「成年後見人」制度  Bさん(男性、82歳)日常の行動は大丈夫だが、
   判断力が衰えている。成年後見人(財産の管理、介護保険の手続きなどを行う)と行政が月2回年金を届けにくる。一度に受け取ると全部使ってしまうので。ビルの管理会社に40年勤めて貯めた5千万円の金を、振込み詐欺や株で摩ってしまった。今でも証券会社から勧誘の電話がある。
   最近、薬の飲み忘れがひどい。妻と両親が亡くなってから守ってきた家から離れられない。身内は遠隔地に弟がいる。これからどうするかわからない。
   Bさんは番組制作中に心臓発作で亡くなった。
   
番組では、次のように呼びかけて終わる。
 誰でも老いる。いつか、独りになる。自分で自分の老後を守れない。
 誰を頼りにしますか?
 誰に自分の老後を託しますか?



* 「特定秘密保護法案」について
 60年安保の少し前、「警職法」という警察官の権限を強化する法案が突然提出された。「デモでもパクられ  る!」と反対運動が盛り上がり、アベックもデモに参加法案をつぶした。そのことを思い出す。
 「治安維持法」にすぐ変えられる、恐ろしい国家権力の治安対策の法、何とかつぶしたい!
 それにしても、「みんな・維新・公明」そんなに強権政治にしたいのか!

  1. 2013/11/29(金) 23:04:07|
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『2013年映画』「ある愛へと続く旅」(伊・西映画。ペネロペ・クルス主演)11.24

『2013年映画』「ある愛へと続く旅」(伊・西映画、ペネロペ・クルス主演)11.24
           セルジオ・カステリット監督、原作マルガレート・マッアンティーニ
           主演、ペネロペ・クルス。エミール・ハッシュ、サーデット・ハクソイ、
              アドナン・ハスコヴィッチ、ジェーン・バーキン

今やスペインを代表する女優となったペネロペ・クルスが主演する映画。しかも、バルカン半島のサラエボが舞台、どんな物語が展開するか?

DSC_0761ある愛へと続く旅

ローマで息子と住むジェンマ(ペネロペ・クルス)のもとに、サラエボに住む古い友人のゴイゴ(アドナン・ハスコヴィチ)から電話がかかってきた。息子を連れて訪ねて欲しいというのだった。
16歳になった1人息子に思い出の地・吾が青春の地サラエボを見せたいという思いで訪れることにした。

イタリア人のジェンマは学生時代の1980年代に、旧ユーゴのサラエボに留学し、愉快な若者たちの群像と知り合いアメリカ人の写真家ディエゴ(エミール・ハッシュ)と恋に陥る。やがてローマで結婚し楽しい生活を送る。子どもを熱望するが無残にもその夢は砕かれてしまう。彼女は産めない体だったのだ。
旧ユーゴ紛争が始まると写真家のディエゴは紛争地に飛ぶ。後を追って彼女も行くが、前とは全然違うサラエボであった。かつての友人たちと再会し人道支援活動に参加するのであった。
どうしても子どもが欲しいジェンマは代理妻を承諾するアスカ(サーデット・ハクソイ)という女性と会う。ミュージシャンを目指し意志の強さと熱情の瞳を持つ女性で意気投合した。彼女に夫との子どもを託す。
サラエボは戦況が悪化し爆撃や銃撃戦の街と化した。ジェンマは代理妻アスカが産んだ赤子を抱いて必死の思いでサラエボを脱出するが、夫は現地に取り残され、命を落としてしまう。

それから16年。若者に成長した息子を伴ってのサラエボ再訪。懐かしい旧友の詩人ゴイゴとの再会。共に白髪交じりの年齢になった2人は亡きディエゴの思い出を語り合った。
旅の最後にゴイゴはアドリア海のある島へ誘う。そこで思いがけない深い愛の事実が、、、。

ボスニアのサラエボは不思議に人を引き付けてやまない。2008年の旧ユーゴ旅行の時、ボスニアのモスタルに行きながらサラエボに行けなかったことを悔やんだ。サラエボの街の映像が出るたびに何故か複雑な郷愁みたいな思いがしてくるのだ。「スナイバー通り」という物騒な通りにあるように、サラエボは1990年代にヨーロッパで起こったボスニア紛争の、いや旧ユーゴ紛争の象徴みたいな街なのだ。第2次大戦の「アウシュビッツ」に近いイメージと変なロマンみたいなものがある。

映画でペネロペ・クルス演ずるジェンマにとっても、青春の地であり戦争と虐殺の地であり、掛け替えのないところなのだ。80年代・90年代の、又、現在のサラエボのシーンがでてくると様々な思いを重ね合わせて胸迫るものを感じる。

映画はラストシーンの思わぬ逆転で魂がゆさぶられる感動を覚える。

* 追記
 11月14日にお知らせした「椿姫ができるまで」のソプラノ歌手<ナタリー・デセイ>が来日します。
 デュオ・リサイタルで、2014・4・14(月)19.00開演、サントリーホール。発売ジャパン・アーツ11.30
 プログラム
 シューマン。ブラームス。R・シュトラウス。フォーレ。ドビュッシーらの歌曲を歌います。
 ドイツ・リートとフランス歌曲です。ピアノはフィリップ・カサールです。ドビュッシーの歌
 曲集の演奏家としてフランスでは有名とか。ピアノ専門のラジオ番組の司会者として
 人気者とか。
 
  1. 2013/11/24(日) 15:00:57|
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2013年『映画』「眠れる美女」(伊映画、監督、マルコ・ベロッキオ)11.19

2013年映画「眠れる美女」(伊映画。監督・脚本、マルコ・ベロッキオ)
      出演、イザベル・ユベール。トニ・セルビッロ。マヤ・サンサ。
アルバ・ロルバケル。ピエール・ジョルジョ・ベロッキオ

2009年、イタリアで交通事故で植物人間の状態にあった女性が、延命措置の停止を求める家族の強い要望により、水分・栄養の補給を断たれ死亡した。
この措置に対するイタリアの世論は賛否が2分し、終末期医療や尊厳死に係わる課題の認識が叫ばれるようになった。

眠れる美女
イタリア映画界の奇才ベロッキオ監督はこの事件に触発されて、尊厳死問題の映画を作った。3つの物語からなる。
① かつて妻の延命措置を停止させた過去を持ち、ベルルスコーニ首相の延命 
 を続行さる法案に賛成票を投じるか悩んでいる国会議員(トニ・セルビッロ)と、その父に不信感を抱く娘(アルバ・ロルヴァケル)の話。
② 大女優の地位を捨て、植物人間状態の娘のために介護に専心する元女優(イザベル・ユベール)と俳優志望の息子の葛藤の物語。
③ 麻薬中毒で自殺願望に取り憑かれた女(マヤ・サンサ)と医者(ピエール・ジョルジュ・ベロッキオ)との話。

映画は3話が同時並行的に展開してゆく。

第一話で名優セルビッロが演じる与党の国会議員ウリアーノの苦悩、尊厳死反対の保守層を代弁する与党(ベルコニーニ首相を暗示)の圧力で党の意向に従うかどうかで悩む。実は最愛の妻が難病に苦しみ、妻の必死の願いにより延命装置を外した過去があった。母を死なせた父に娘(アルバ・ロルヴァケル)は不信を抱き、エルグラーナの延命措置のためにデモにゆく。そこで尊厳死を支持する若者に出会い恋に陥り、大切なものを失う痛みを知る。父親は法案(尊厳死反対)に賛成せよとの圧力に悩み考えた末、自分の信念を曲げるくらいなら議員を辞職して、娘と心を開いて話し合おうと決心するのであった。

第二話、伝説的な大女優(イザベル・ユベール)は輝かしいキャリアを捨て、植物人間になった娘の看病に専念している。エルグラーナ事件が娘と重なって
涙を流していた。彼女は「聖女になりたい。」自ら清らかでないと娘の回復を願えないと思っていた。俳優志望の息子は盲目的に大女優の母を愛し、女優を辞めたことが不満だった。そして、ある日、、、

第三話、医師バリッド(ピエール・ジュルジョ・ベロッキオ)は同僚たちが話題のエルグラーナの死の時期を賭け事にしたり、患者たちの医者への不満がある病院に違和感を抱いていた。
麻薬中毒で自殺願望の女ロッサ(マヤ・サンサ)は看護師たちに抱えられてきて、バリッドの目の前で手首を切る。一命を取り留めたが、窓から自殺を図ろうとする。必死に抱きとめて阻止しようとするバリッド。
ロッサとバリッドとの言い合い
ロッサ=「人生が破滅して生きていても無駄なの!こんな人生おさらばしたい!」
バリッド=彼女の横面をひっぱたく。「まだ痛みを感じるだろ」
ロッサはっとしてバリッドを見つめる。

映画全体の背景に、エルグラーナの尊厳死事件がある。3話の登場人物たちはこの事件下で起きたことなのだ。
最愛の人が死の苦しみから「楽にして!」と訴えた時どうしたらいいのか?
植物人間を17年間延命してただ生かすだけ、これでいいのか?
人生に絶望して自殺願望のとりこになった女にどういう治療があるのか?
尊厳死問題が、生と死のぎりぎりの葛藤であり、どういう行為が本当に愛することなのか、人間の生命と死の重み・尊厳を問う倫理的問題でもあった。

第3話で、見守っていたバリッドが居眠りしている隙に、ロッサは窓に近づき自殺しようとする。ふとベットの横のバリッドを見て死ぬのをやめて帰ってくる。孤独な女と不毛の日常に埋没している医師との、根源的な痛みを知っての出会い。

イタリアのT・セルビッロ、フランスのイザベル・ユベール、マヤ・サンサなどヨーロッパの名優たちの熱烈な演技が素晴らしい。

* エルグラーナ・エングラーロの尊厳死問題。
 17年前の21歳の時に植物状態に陥ったまま、まったく回復の見込みがないエルグラーナに対して、家族が延命措置の停止を求めて裁判をしてきた。カトリックの影響が大きいイタリアでは尊厳死・安楽死には抵抗が強かった。2008年、ミラノ提訴裁、続いて最高裁でやっと認める判決が出た。
 しかし、延命措置の停止を実行する病院がなかなかあらわれなかったが、2009年、北東の町ウディネの病院が受け入れを表明した。その病院へ搬送される経緯の中、イタリア中が賛否を巡って世論が2分した。
 こうした中、尊厳死反対の立場をとる保守層を支持基盤とするベルルスコーニ首相は、延命措置停止を中止の公布を目論んだ。ナポリターノ大統領は司法の決定を政府が覆すことに反対して署名を拒んだため、暫定措置令は発効せず、首相は同じ内容の法案を命令として議会の提出し可決させようとした。
 水分・栄養の管を外されたエルグラーナは3日後息を引き取った。折りしも法案を審議していた上院は、その知らせに「エルグラーナは殺された!」「大統領が殺した!」などの怒号や、それに対する野次が飛び交い議場は騒然となった。法案はその対象者の死によりその目的を果たせぬまま廃案になった。

  1. 2013/11/19(火) 16:35:41|
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2013年『映画』「椿姫ができるまで」(演出、J・F・シヴァディエ。椿姫ナタリー・デセイ)11.14

2013年映画「椿姫ができるまで」(「椿姫」原曲ヴェルディ。演出、ジャン・フランソワ・
                シヴァディエ。ヴィオレッタ=ナタリー・デセイ。音楽監督、
                ルイ・ラングレ。監督、フィリップ・べジア
                ロンドン交響楽団。エストニア・フィル室内合唱団。 11.14

ポスター

* 「椿姫」ヴィオレッタ演ずるフランスのソプラノ歌手・ナタリー・デセイのリリカルな美声に酔いしれました!

* ヴェルディの有名なオペラ「椿姫」が2011年夏、南仏のエクサン・プロヴァンス音楽祭で上演された。
それに先立つ11年春、世界最高のオペラ歌手ナタリー・デセイ(仏)と気鋭の演出家ジャン=フランソワ・シヴァディエが「椿姫」のリハーサルに臨んだ。
「ニーベルングの指輪」や「ホフマン物語」などオペラの映画化を手がけてきたフィリップ・べジアが、「椿姫」のリハーサルの映像化を託された。90時間カメラを廻し、編集したのが映画「椿姫ができるまで」である。


* 現代オペラ「椿姫」を創り上げてゆくプロセスをカメラは追ってゆく。
何故「現代」と私が名付けるかというと、派手な衣装や舞台装置の古典的なオペラとは対極的な舞台を志向しているからである。エクサン・プロヴァンスの会場が半屋外のシンプルなセットであることを前提としている。

舞台3

* 映画はソプラノ歌手ナタリー・デセイ演じる、現代の「ヴィオレッタ」を如何にして創り上げてゆくか、ヴェルディの意図=「生身の人間の、人間ドラマ」を如何にして創り上げるか、演出家と主役との作品創造への「格闘」だ。
リハーサルの進行、舞台が出来上がってゆく様子とオペラのストーリーが重なっていたので、物語性を感じられて「椿姫」を様々に描くことが出来た。

* <椿姫>とは
薄幸の高級娼婦ヴィオレッタとアルフレードとの純粋な恋と、彼女の難病による死の悲劇。ヴェルディの名曲によってオペラの名作――オペラで最も上演の多い作品となっている。

* 古典的なオペラの世界を現代の生身の人間ドラマにいかにしてゆくか?
物語の場面で、様々なヴィオレッタ像が浮かぶ。
「驕慢で気位の高い高級娼婦像、社交界の女王として、若いアルフレードの純愛に応えてゆく女として、義理と愛との相克に悩む女、死の病の中でアルフレードに恋焦がれる女、」

どのようなヴィオレッタ像を作ってゆくか?

絶唱4

ヴィオレッタはスリップ姿で、「乾杯の歌」を歌って愛の告白をするアルフレードとの「恋の戦い」をする。2人ともヴェルディの名曲によって甘くセクシーなラブシーンを作り上げる。お高く留まった従来の「高級娼婦」のイメージを覆し、誰しも共感しえる新しいヴィオレッタ像を創り上げた。
不幸な主人公の傷つきやすい心を、有名な「ああ、そはかの人か」や「花から花へ」の純粋でリリックな歌唱にのせて、観客は自分を重ねて、ヴィオレッタに感情を寄せ、涙を流す。

* それにしても、舞台がピナ・バウシュの舞台と似ているではないか!
舞台に雑然と置いてある机や椅子、野原の写真をプリントした大きな立て看板が3枚。遠景のカフェで寛ぐ男や女。雰囲気には場違いな豪華なシャンデリア。
古典的なオペラの装飾性の削ぎ落とし・シンプル化である。

* ナタリー・デセイのリリックなソプラノが素晴らしい!神から与えられた声という言葉があるけれど、久しぶりにいい歌唱に出会った。

稽古3

歌は歌として、演出家との言葉・身振り手振りでのやり取りで、ナタリーが演技を深め、歌い方を変えてゆくのにびっくりした。
「ヴィオレッタが死ぬ場面にカタルシスを出したい」という演出家の提案に、ナタリーが何度も試行錯誤を繰り返し舞台を作っていた。

デセイ 1

* ナタリー・デセイ (1965~)
国際的に活躍しているソプラノ歌手。リヨン生まれ。ボルドー国立音楽院で声楽を学ぶ。90年、ウィーン歌劇場のモーツアルト国際コンクールで優勝、パリ・オペラ・コミック座でオペラ・デビュー。92年、ロマン・ポランスキー演出「ホフマン物語」のオランピア役で脚光を浴びる。94年、エクサン・プロヴァンス音楽祭で、<魔笛>の「夜の女王」役でさらなる喝采を浴びた。
演技に対する貪欲な姿勢は並々ではなく、役の大小に関わらず積極的に挑み続け、レパートリーを次々と開拓している。
09年にはオペラ歌手人生の目標であった<椿姫>をサンタフェ音楽祭で好演し、翌10年には、トリノ王立歌劇場のツアーで日本での公演も果たした。本作で撮影されているJ・F・シヴァディエ演出、エクサン・プロヴァンス音楽祭での公演に続き、11年にはヴィリー・デッカー演出のメトロポリタン歌劇場でもヴィオレッタを演じ、新たな当たり役になりつつある。
08年には、ペリ演出<連隊の娘>でローレンス・オリヴィエ賞を受賞。

* ジャン=フランソワ・シヴァディエ(1963~)
演劇の名門・ストラスブール国立劇場高等演劇学校の出身。著名な演出家の舞台に俳優として立つ傍ら演出家としても名を馳せる。2000年、ブルターニュ国立劇場の客員アーティストに就任。P・O・K・ボーマルシェの「フィガロの結婚」ブレヒトの「ガリレイの生涯」などの演出作はフランス国内を巡回した。
05年、「ダントンの死」の演出でモリエール賞。プッチーニの「蝶々夫人」(04)モーツルトアルトの「フィガロの結婚」(08)ビゼーの「カルメン」(10)などオペラ作品も数多く演出し、本作はウィーン国立オペラ座の演目となった。

* 1950年代に映画監督ルキノ・ヴィスコンティと稀代のソプラノ・マリア・カラスが組んだスカラ座の<椿姫>が現代オペラの幕を開けたという。それから半世紀、様々な展開をしてきたそうです。

* 小生のCDは
 カルロス・クライバー指揮、バイエルン国立管弦・合唱団
  ヴィオレッタ=イレアナ・コトルバシュ。
  アルフレード=プラシド・ドミンゴ
  ジェロモン =シェリル・ミルンズ

 若きドミンゴの美声にびっくりした!
 コトルバシュの悲壮感漂う純情な声もいい!

  1. 2013/11/14(木) 15:33:05|
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2013年映画「セイフ へイヴン」(米映画、ニコラス・スパーク原作。R・ハルストレム。

2013年映画「セイフ ヘイヴン」(ニコラス・スパーク原作、R・ハルストレム監督。米映画。
                  出演、ジュリアン・ハフ。ジョシュ・デュアメル) 11・8

「きみに読む物語」「メッセージ・イン・ア・ボトル」の作者で、ラブ・ストーリーの神様と言われているニコラス・スパークの原作の映画化。現代アメリカの上品な青春恋愛映画の見本みたいな作品といわれているが。

DSC_0751セイフヘイブン

夜のボストンの町、ある家から血に染まった若い女性が飛び出してくる。警察の非常線が張られ、短くした髪をブロンドに染めて(変装?)必死に逃げる緊迫した女。警察陣で1人の刑事が尋常でない様子で彼女を追っている。彼女が乗った長距離バスが警察の非常線をやっと突破した。サスペンス調の緊迫した逃亡シーンが続く。
彼女は人を殺したのか?
なぜ必死に逃げてゆくのか?

長距離バスの休憩地である小さな港町で彼女は降りた。素朴な美しい港町。彼女はケイティ(ジュリアン・ハフ)と名乗り、海辺のレストランでウエイトレスの職を得、森の中の荒屋を借りて生活を始めた。追われている女にとって格好の隠れ家になるか?

ミステリアスな女、どういう過去を持ち、なぜこの町にやって来たのか、身構えて隙を見せない。謎の女である。

森の中の荒屋の隣家に住む、ジョーという女性と知り合いになる。彼女も不思議な存在、何処からか来て途中休憩しているような感じ。
 
最愛の妻を癌で亡くし、幼い子ども2人を育てている雑貨店を営むアレックス(ジョシュ・デュアメル)がケイティと出会う。

(いよいよメロドラマの始まりです)

二人の子ども――兄は亡き母を知っていることと、難しい年齢、父に反抗的。妹は天真爛漫のおませな少女で、映画では二人の子どもを巧く使っていた。

ある事で急速に親しくなってゆくアレックスとケイティ。カヌーで巡った森の中の湖。アメリカの素朴な自然の中をデートする。その映像が美しい。

以前に取り上げた「死ぬまでにしたい10のこと」(主演サラー・ポーリー)で、余命幾ばくも無い主人公が書き付けたノートがありましたね。アレックスの妻は同じようなことをした。二人の子どもの人生の節目に贈るメッセージの数々。その中のひとつ、「二人の子どもの新しいママとなる人へ」をアレックスはケイティに贈る。心のこもったメッセージでした。胸がジーンときました。

しかし、つかの間の休息だった。あの刑事が追ってきた。

ケイティは夫の酒乱でドメスティックバイオレンスに晒され、必死に逃げ出してきた。物語は思わぬ展開へ。

題名の「セイフ ヘイヴン(安住の地)」。ケイティにとって「セイフ ヘイヴン」を求めての旅だった。壮絶な暴力を受けた者にとって「安心できるところ」は心の底から求めているものですね。主人公ほどでないにしても、誰しもそれを求めているのです。普遍的な課題を求めて旅をする。それが人生ですね。
ケイティも隣の謎の女性も「セイフ ヘイヴン」を求めての旅をしている。それゆえ甘美なラブストーリーだけで終わらない秀作にしている。

* 前回触れました「ハンナ・アーレント」は今でも満員の盛況だそうです。ラストの講義のシーンに琴線が震えたと言います。考えることの大事さ、過酷な情況を生き抜くすぐれた生き方に感動と励ましを貰うのでしょう。
  1. 2013/11/08(金) 23:03:42|
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2013年『映画』「ハンナ・アーレント」独映画、マルガレーテ・トロッタ監督。岩波映画 11.01

2013年映画『ハンナ・アーレント』(監督・脚本マルガレーテ・フォン・トロッタ) 
                 岩波ホール 11.01
     ハンナ・アーレント(バルバラ・スコヴァ)。ハインリヒ(夫)(アクセル・ミルベルク)。
     メアリー・マッカーシー(作家・親友)(ジャネット・マクティア)。ロッテ(友人・
     協力者)(ユリア・イェンチ)。ハンス・ヨナス(旧友)(ウルリッヒ・ノエテン)。クルト
     (シオニスト・父のように慕う)(ミヒャエル・デーゲン)。

「もうひとりの息子」に続いて、映画は秀作が続きます。ユダヤ人女性の哲学者「ハンナ・アーレント」の物語です。

ハンナ.アーレント

<A> 「イスラエルのアイヒマン」
ユダヤ人600万の虐殺の責任者・ナチのアイヒマンが逃亡先で捕まり、1960年イスラエルで裁判が行われた。裁判を傍聴していた高名なユダヤ人女性哲学者ハンナ・アーレントが63年「ニューヨーカー誌」にレポートを書いた。その衝撃的な内容がセンセーションを巻き起こす。映画はその事実を中心にハンナ・アーレントの優れた思考と情熱的で戦闘的な行動を描いた。

世界的女性監督として有名なニュー・ジャーマン・シネマの旗手マルガレーテ・フォン・トロッタが10年の構想を経て完成させた。主役のアーレントにはトロッタ監督の「ローザ・ルクセンブルク」(86年)でカンヌ・主演女優賞に輝いたバルバラ・スコヴァが見事に演じた。

岩波ホールでの初日、台風をものともせず満員、2回目も1時間前に売り切れの大盛況だった。雑誌や書評新聞でも取り上げられ、ドイツ・アメリカでもトロント監督の映画の評判はよく、ちょっとしたアーレント、ブームか?

<B> ハンナ・アーレントの論点は
イ> アイヒマンは「極道非道の悪魔」ではなく、ナチス権力機構の小役人にすぎない。それを「陳腐で凡庸な悪」と名づけた。彼の「考えることを止めて上からの命令に従うこと」が人類史上類をみない犯罪を引き起こした。「善悪の判断停止」が悪や殺人・大量殺戮を引き起こした。それが20世紀の根本問題だ、というのがアーレントの主張。

*(世間はユダヤ人であり自ら収容所体験のある彼女に、アイヒマンが極悪非道の人間だと断罪することを期待したので裏切られたと思った。)

ロ> 裁判を通じて明らかにされた事実――
ユダヤ人組織の上層部がナチスに協力していた。同胞の破滅に指導者が手を貸した
ことはユダヤ人にとって暗黒部分だ。その事実をアーレントはレポートでも暴露した。

*(世界のユダヤ人組織から非難を受ける。イスラエル政府から出版取りやめの脅迫を受ける。多くの友人を失い大学から追放を勧告される)

だが、彼女は負けなかった。夫と残された僅かな友人に支えられて真実のために戦った。

<C> 圧巻のスピーチ
彼女は孤立しながら、学生たちへの講義で、魂を賭けた反論を行なう。アイヒマン裁判は、ニュルンベルク裁判と同じ歴史上始めての法典にない裁判,人間を否定した者の罪を問うた。
 * 自分の意志は介在しない、上の命令に従っただけだとアイヒマンは言う。
 * 私はアイヒマンの平凡さと残虐行為を結びつけて考えました。
   人間であることの放棄は人間の大切な質の放棄である。「思考する能力」の放棄だ。その結果、モラルまで   判断不能になった。考えることを止めると平凡な人間は残虐行為に走る。ナチの行った世界最大な悪は平凡   な人間が行う悪で、邪悪な悪魔的な悪ではなくて「凡庸な悪」だった。
  (平凡な人間が考えることを止めて全体主義の亡霊に撮り付かれると、とんでもないことを仕出かす。特別の   存在ではない、私でもあり、あなたでもやりかねないという――重要な指摘。このあなたもファシストになり   かねないという挑発的な問題提起は民衆から理解されない、いや大変な反発を食らう。)

 * 裁判で発覚した、ユダヤ人指導者のナチへの協力で犠牲者が増えた問題。
   当時のユダヤ人は非力でやむをえない部分もあったが、しかし抵抗と協力の中間に位置する何かはあったは   ずとアーレントは言う。
   ここから見えてくる問題は、モラルの崩壊、迫害者だけではなく被迫害者のモラルも崩壊したのだと言う。

   最後に彼女は「考えることは人間が強くなることだ。危機的状況にあっても、考え抜くことで脱出でき     る」と力強く学生たちに言い放った!
   迫力のある10分近くの講義は感動的だ!考えることが人間を強くする、危機的な情況にあっても脱出でき    る」という彼女の指摘は、201X年代の日本の情況にいる私の心に響きわたることばでもあった。胸が熱く   なった! 危機的情況!今もそうではないか?

アーレントは、人間に残虐な行為がどうして可能なのか? 政治現象としての「全体主義」が何故おきるのか?
世界大戦・ファシズム・スータリン主義を人々が積極的に担った原因は何処から来るのか? それらの20世紀最
大の課題を生涯かけて考えるのである。

アーレントのよく煙草を吸うこと!映画のシーンでは常に煙草を放さない。朝コーヒーを何杯も飲むこと、常に煙草を吸うことに勿論彼女がいつも考えていることを表現しているのだが、嫌煙の現代では果たしてイメージが伝わるだろうか?

トロッタ監督は、思考する女性をいかに描くかに挑戦した。「ローザ・ルクセンブルク」ほどのドラマ性が無いかもしれないが、活動の大半を思考が占めているハンナ・アーレントを映像でどう見せるかは難しい課題だったという。トロッタ監督は「ローザ・ルクセンブルク」のバルバラ・スコヴァを起用した。彼女は「思考する女性・よく闘う女性」を見事に演じた。映画ラストの講義する熱きアーレントの姿は感動的だ。今まで映画の中で10分近く熱弁を振るった女性のシーンがあったろうか?20世紀最大で難問の思想的課題に熱く挑戦する姿は素晴らしい!

* ハンナ・アーレント(1906~1975)
  ドイツ・ハノーファー(ハノーバー)の社会民主主義者のユダヤ人家庭に生まれる。14歳の時、カントやヤス  パースを読み哲学を学ぶことを決意。マールブルク大学でハイデガーに師事、一時ハイデガーと不倫関係にあ  った。その後、フッサールやヤスパースに師事。
  1929年、ギュンター・シュテルンと初婚。33年、ゲシュタポに短期間拘束された後パリに亡命。ユダヤ人青少  年のパレスチナ移住支援に携わる。37年、マルクス主義者ハインリヒ・ブリュッヒャーと出会い、シュテルン  と離婚後40年ブリュッヒャーと再婚。同年、フランスのグール強制収容所に連行されるが脱出。41年、母と夫  とで米国に亡命。ユダヤ系の新聞や機関で生計を立てた。作家メアリー・マッカーシーと親交を深めた。
  49年、ドイツに帰国ハイデカーと再会。51年、米国籍を取得。同年、「全体主義の起原」がセンセーションを  巻き起こす。59年、プリンストン大学専任教授になる。61年、アイヒマン裁判傍聴のためにイスラエルに。63  年、裁判のレポートを「ニューヨーカー誌」に連載、激しい論争を巻き起こす。「イェルサレムのアイヒマン―  ―悪の陳腐さについて」として出版され、ホロコースト研究の重要文献になった。63年、シカゴ大学教授、68  年、ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチ教授に就任。最晩年まで政治哲学の第一人者として精  力的な活動を続けた。
  「人間の条件](58年)「革命について」(63年)「暗い時代の人々」(68年)「暴力について](70年)7  5年、心臓麻痺により死去。享年69歳。

* マルガレーテ・フォン・トロッタ
  1942年ドイツ・ベルリン生まれ。60年代パリでヌーヴェル・ヴァークやベルイマンの影響を受けた。ドイツに  戻って映画やテレビに女優として多数出演。
  81年、監督した「鉛の時代」でヴェネチア国際映画祭グランプリ。86年「ローザ・ルクセンブルク」(主演女  優バルバラ・スコヴァ)がカンヌ主演女優賞。ニュー・ジャーマン・シネマを代表する世界で有名な女性監督  の1人。現代の女性の生き方の問題をテーマにした作品を画くことを己の使命にしている。

* バルバラ・スコヴァ
  1950年、ドイツ・ブレーメン生まれ。71年舞台レビュー。「鉛の時代」(81年)「ローザ・ルクセンブル   ク」(86年・カンヌ主演女優賞)「ハンナ・アーレント」(12年)トロッタ監督の主演女優を務める。
  マイケル・チミノ監督の「シシりアン」(87年)、クローネンバーグ監督の「エム・バタフライ」(93年)   1990年代からは歌手として活躍、特にシェーンベルクの歌唱に定評があり、カーネギーホールを始め各国で公  演素など幅広い活躍を続けている。
 
<後日談>
「みすず」という雑誌の8・9月号にある学者さんが「イェルサレムのアイヒマン」について文章を書いていた。この映画がドイツでも評判がよく話題になっていたと紹介があった。ところが続けて、ベッティーナ・シュタングネトという女性の研究者が、アイヒマンは「筋金入りの反ユダヤのナチだった」「官僚的というより積極的な殺戮者」といい、イェルサレムで見せたのは「仮面劇」だったと言った。それも膨大な資料を検証しての提言だと言う。最近のドイツの学会ではこの説の方が有力という。

 さあーどうなんだ!!  困ったぞ!

 映画「ハンナ・アーレント」ではアイヒマンを役者が演じたのではなく、裁判の実録のフィルムを用いている。

 みなさん!ぜひ、映画をご覧んになって判定をしてもらいたい!
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  1. 2013/11/01(金) 22:42:57|
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