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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

2013年映画「もうひとりの息子」(仏映画。ユダヤ系フランス人女性監督ロレーヌ・レヴィ)10.27

2013年映画「もうひとりの息子」(仏映画、ユダヤ系フランス人女性監督ロレーヌ・
                レヴィ。) 10.27
             撮影E・ソワイ。音楽ダフェール・ユーセフ。
             出演イスラエル側=母オリット(E・ドゥヴォス)父アロン(パスカル・
             エルベ。その息子ヨセフ(ジュール・シトリュク)            
             パレスチナ側=母ライラ(A・ウマリ)父サイード(H・ナトゥール)
             息子ヤシン(マハディ・ザハビ)

赤ん坊の取り違いを題材にした映画が今2つ上映されている。「そして父になる」(福山雅治主演)は10月2日に取り上げた。今回は「もうひとりの息子」(仏映画)である。

もう1人の息子

音楽と映像がいい!
ウード奏者・作曲家ダフェール・ユーセフの音楽だそうだが、オリエンタルな魂を揺さぶるような曲に心を震撼させられた。今まで出会ったことがないような不思議な音楽。
テルアビブの海岸だろうか?登場人物たちの苦悩が反映するかのように、海岸に打ち寄せる波、波、、、荒々しい大波のダイナミックな映像は何を物語るか?

子どもの取り違い事件が、パレスチナとイスラエルという、世界で最も敵対する宗教の2つの家族で起こった。家族の問題を越えて、異なる宗教観・国家をバックにどう展開するか?

テルアビブに暮らすユダヤ系イスラエル人のシルバーグ家、父アロンは国防軍の大佐、母オリットは医師で2人ともフランスの出身だった。ミュージシャン志望の息子ヨセフが兵役検査で両親の子ではないことがわかる。
18年前の湾岸戦争の時の出産で、新生児をミサイル攻撃から守るための避難の時に取り違えられたのだった。取り違いの相手がパレスチナ人。
イスラエルに占領される前からヨルダン川西岸に住んでいたアル・ベザズ家。父サイードはエンジニアだが、占領されて仕方なく車の修理をしている。母ライラ。息子のヤシンは幼い頃から優秀でパリに移住した姉夫婦のところで高等教育を受け、大学入学資格試験に合格して一時帰国してくる時だった。

混乱と苦悩の2家族。18年も育てた子が自分たちの子では無いなんて!しかも敵対する民族の子だなんて!
対面した2組の夫婦、父親どうしは激怒と口論、しかし、母どうしは互いの息子の写真を見ながら、違う場所で生きてきた本当の息子の姿に涙を流し互いの想いを気遣うように手をとりあった。二人の母は運命を受け入れ、もう一人息子が出来た、出来るだけ早く手を差し伸べるべきだと夫を説得してゆく。

当の二人の息子はどう受けとめたか?
パリ生活の経験(国際性)によって動揺しないヤシンに対して、ユダヤのヨセフはレゾンデートル(存在価値)の否定であり問題は深刻だ。ラビ(ユダヤ教の宗教指導者)に会いに行って相談するが、実母がユダヤ人で無ければユダヤ人で無い、と宣告されてしまう。ヨセフは実の母(パレスチナ)に会いたくなる。二人の母も実の息子に会いたい。やがて、2つの家族は交流するようになる。

イスラエルの占領とユダヤ人入植地拡大が問題のヨルダン川西岸地区。パレスチナ人がイスラエルに入るには特別な許可が必要で通常困難だという。2家族の交流は国防軍大佐のアロンが出した「通行証」によって行われてゆく。通行する度に恐怖心を締め付ける厳しい検問所や、分断の象徴のような大きな「分離壁」が襲いかかるように立っている。
(イスラエル側にとってはパレスチナのテロから身を守る<防御壁>、パレスチナには<分断と人種差別の壁>)
パレスチナにとって壁の向こうの風景は奪われたいとしい故郷であり、壁は苛立ちを募らせるものだ。

初めて西岸地区の実の両親の家を一人で探し出し訪れたヨセフ。突然訪ねてきた息子を戸惑い眩しそうに見つめる一家。食卓の気まずさを救ったのは、突然ヨセフが歌ったアラビア語の民謡だった。ためらいながらウードを弾く父のサイード。やがて皆の歌声が大きな合唱となっていった。このシーンが両者の和解のキー・ポイントになる。

イスラエルとパレスチナを見下ろす廃墟のビルのシーン。ヤシンが映り、カメラがパンして180度回るとヨセフが映る。2つの世界をつなぎ合わせると1つになる。2つの世界の未来像を提示した見事なシーンである。思わずウーンと唸ってしまった。

日本の「そして父になる」がいい意味でのホームドラマであるのに対して、「もうひとりの息子」は世界で最も敵対する宗教・国家間で起きた事件である。それだけに問題が重く簡単にはハッピーエンドはあり得ない。作品の問題性が深く重いといえる。しかしながら見事なエンディングシーンであった!

監督・脚本 ロレーヌ・レヴィ
ユダヤ系フランス人。2004年、「私が20歳であった最初の頃」で監督デビュー。第3作となる本作で東京国際映画祭グランプリと最優秀監督賞のダブル受賞。

キャストやスタッフも、フランス人・ユダヤ系アルジェリア人・パレスチナ人・イスラエル人・ベルギー人と多彩。はじめ口も聞かない人もあったが、映画製作過程で接近し親しくなっていたという。

本年、第一級の傑作!
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  1. 2013/10/27(日) 18:22:34|
  2. 2013年『映画』
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美術/音楽/舞台 「冬のパリとサーカスⅡ」(白山雅成作品展示室~12/6) 記10.24

美術/音楽/舞台『冬のパリとサーカス Ⅱ』(白山雅成作品展示室)~12.6 記10.24
            取手市戸頭7-4-5 0297-78-0274 休=火・水・、月末、土・日
                              開館時間、11.00~17.00 

ポスター

取手の「白山雅成作品展示室」では、オーナーの松永和子さんがリフレッシュを経て活動を再開しました。タイトルは「冬のパリとサーカスⅡ」である。

パリの風景と懐かしい下町のサーカスの絵で構成されている。展示されている作品を具体的に見てみよう。

& パリの風景
# 1970年に白山雅成先生が初めて渡仏、しばらくパリに滞在しモンマルトルや20区の古い建物や小路を描いた。
* 「ルスティック通り」(1970年、油絵)。はその時の懐かしい作品。

# 1973年、先生は27年間の教職を退き、画業に専念するためパリに渡り、20区のカフェの人々を描き始める。
* 「フルスタンプール通り」(1,973年、油絵)
* 「ヴィラン通り」(パリ20区、1,973年、油絵)
ヴィラン通り

昔のパリらしい古びた建物や小路。こげ茶色の家の壁に雑じってコバルト・ブルーの壁のカフェがあった。その取り合わせが面白く先生は何枚か描いているが、私はこの「ヴィラン通り」が一番気にいった。

# パリ20区の「ベルヴィル」は先生が行った1970年代は下町の庶民の町であった。ここでエディット・ピアフやジョルジュ・ルオーが生まれた。都市改造で今は無くなったベルヴィルの古い建物や小路と丘の街を先生は愛して描いた。
74年、この街でジャン(58歳)とアマガ(79歳)親子と出会う。2人が亡くなるまで彼らの日常生活をテーマとした作品を描いた。「ジャンとアマガの作品は先生の至宝である。取手ではいずれ企画展を予定していると聞く。

* 「パリ遠望―ベルヴィルの丘から」(1978年、油絵)
  ベルヴィルの丘から78年に眺めたパリの街。いい風景画である。
パリ遠望
* 「オルフェーブル河岸」(1990年、油絵)
  建物と木々との対象の妙、強風に吹かれて木々が曲がった感じが、冬の寒々とした
  様子を表している。
オルフェーブル河岸
* 「静物」(1990年、油絵)
* 「冬のユトリロ階段」(1991年、油絵)
今回の展示のポスト・カードに使われた。「ユトリロ階段」は何枚も描いている。観光絵葉書ではない、落ち着いたパリの風景。
* 「セーヌ河」(1992年、油絵)
  画面中央たっぷりと流れるセーヌ河のみずみずしさ。少し曇った大空。落ち着いた
  セーヌ河のしっとりとした風景である。
セーヌ河

* 他にもパリの風景画の油絵、水彩画、デッサンの展示あり。

& パリのサーカス
1980年代に入って、パリの下町に訪れる「サーカス」を描き始める。
* 「馬乗り」(1980年、油絵)
* 「虎のいるサーカス」(1981年、油絵)
サーカス 1
* 「ロマ(ジプシー)たちの演奏」(1995年、油絵)
* 「ピエロ」(年代不詳、油絵)
ピエロ
* 「馬乗り少女」(年代不詳、油絵)
馬に乗る少女
* 「テントを張ったサーカス小屋」(1987年、油絵)
サーカス 2
# 当時パリの下町にやって来るサーカスはそれ程の規模ではないが、子どもたちに夢を運んでくる。娯楽が無かった時代にサーカスは子どもたちの夢の祭典であった。
馬の速く走るスピード感! 虎・ピエロといった非日常の童話の世界!
展示作品「テントのサーカス小屋」のように、鮮やかな赤色!夢見るような幻想世界的な鮮やかな色は私たちの心に焼きついた。
  
& 白山雅成(1916年~2000年。)
 1,973年、教職を退きパリに渡り画業に専念する。70年代~80年代のモンマルトル・20区・ベルヴィルなど古く良きパリの、風景・カフェ・人々を描いた。1982年、ヴェネツィアを訪れ99年まで年2回17年間制作した。83年、パリで個展。89年、94年と日本で個展。2000年、パリのポンヌフ橋で制作中交通事故で亡くなった。享年83歳。

& 白山雅成作品展示室(1999年3月、取手市戸頭に開設。)
 ・ 白山雅成作品の常設展示室。
入り口 1
先生の教え子松永和子さんが夫の恒男さんの協力を得て1999年3月、白山先生と相談しながら自費を投じて自力で美術館を造り開設した。不幸にして先生は2000年に亡くなったが、2013年の今日まで白山先生の作品を常時展示してきた。
13年も美術館が続いてきた理由は、白山先生の絵の魅力と同時にオーナーの松永さんの人間的な魅力をあげなければならない。先生の絵を何より愛する彼女の童女のような魅力は、不思議と人々を引き付けた。空気の悪い都会に疲れると、取手に行って白山さんの絵を見て松永さんのお話を聞こうという気になってくるのである。
館内
螺旋と絵 2
カフェ

・ 収蔵作品として、
  パリの風景(多数)。ヴェネツィア(いい作品が多い)。モロッコ。ナザレ(ポルトガル)。
  女性の人物像  (これもいい、魅力あふれる女性像だ)静物。花。サーカス。ジャンと
  アマガ(何十枚か?先生は散逸を恐れて  一枚も売らなかった)  
・ 油絵。水彩画。版画。デッサン。
  
「ジャンとアマガ」は前に触れたように、渡仏して間も無く1974年パリの下町ベルヴィルで出会った親子。彼らは古きパリの象徴のような存在であった。先生と同年のジャンの風貌は何度描いても味があった。ヨーロッパを象徴する顔か?道で出会って一瞬の内に描いた。何枚描いたろうか?
松永さんは先生から託された「ジャンとアマガ」の企画展を構想している。

& 白山先生が亡くなる前(1999年?)、パリの先生のアトリエを訪問し、数日間絵を見せて貰いながら、様々なお話を伺った。私にとって初めての欧州旅行だった。
  先生の絵に対する基本的な考えは、印象派以降の近代西欧絵画である。モネ、ルノアール、セザンヌ、ゴッホなどから独自に学んだ具象画の完成である。先生の画業は良き人間性によって深化した27年間の在仏生活の労苦の結晶である。
  数日間のアトリエ滞在は午前から夜の10時過ぎまで、先生の絵を見せて貰いながら解説と近代絵画の談笑に、時間を経つのを忘れるほどだった。
  アトリエ(市立芸術家アパート)に、先生の絵がパート毎(収蔵作品で触れたとおり)に整理されてぎっしり詰まっていた。全部見るには1週間以上かかるだろうといっていた。

& パリの風景画を色々な画家が描いている。ユトリロ、佐伯祐三、荻須高徳等とも違う白山雅成のベルヴィルだ。佐伯は別にしてユトリロも荻須も観光絵葉書と皮肉られても仕方がない。きれいすぎていて、整いすぎている。パリの街を外側から描いている。白山先生は、松永さんが言うようにカフェの内側から描いている。ジャンとアマガの様な古きパリの象徴とも言うべき人、そこに住む人々の哀歓が滲むような作品を描いている。在仏27年の結晶である。
白山さんの絵はほっとさせる。人間的な温かみを感じさせる。 
  1. 2013/10/24(木) 14:31:10|
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美術/音楽/舞台「モローとルオー」(汐留ミュージアム~12/10) 10.20

美術/音楽/舞台 「モローとルオー展(汐留ミュージアム~12/10) 10.10
           ー聖なるものの継承と変容ー

モローとルオー

19世紀フランス象徴主義の巨匠ギュスターヴ・モローと、教え子だったジョルジュ・ルオーとの展覧会。
このパナソニック「汐留ミュージアム」はもともとジョルジュ・ルオーの美術館で、ルオーの作品を230点も所蔵する。今回の展覧会はルオーの師ギュスターヴ・モローとの交流にポイントを置いた構成である。

「ギュスターヴ・モロー」(1826~1898)
印象派と同時代に活躍した彼は聖書や神話を題材に幻想や想像の世界を描いた。
2回のイタリア旅行でイタリアルネサンスから多くのものを学び取り帰国後、
1864年サロン(官展)に出品した「オイディプスとスフィンクッス」は保守的なサロンの物議をかもしたが、スフィンクスを若い女で描き、神話の世界を男と女の葛藤として描いてモローの時代の到来を告げた。
1876年「出現」を中心とするサロメの作品は最も注目に価する。私の好きな作品だ。聖書やギリシャ神話に基づいた幻想的な世界は、19世紀の「世紀末」の文学者や芸術家たちに多くの影響を与えた。
サロメ 1
<サロメ>

1892年エコール・デ・ボザール(官立美術学校)の教授となり、弟子たちの個性と才能を伸ばすことに中心に、マティスやルオーやマルケを育てた。
DSC_0164モロー美術館<モロー美術館の中>
晩年、自宅に篭って黙々と制作を続けた。油彩800、水彩575、デッサン7000を残した。彼は自宅を自身の絵で飾る美術館にする構想があった。1898年の死後、モローの遺言によりルオーを「モロー美術館」初代館長に任命し後事を託した。


「モローとルオー展」ではテーマごとに2人の交流を物語る―油彩・水彩・デッサン・書簡を展示する。

展覧会の構成
* 「ギョスターヴ・モローのアトリエ」
* 「裸体表現」
* 「聖なる表現」
* 「マティエールと色彩」 
* 特別セクション 「幻想と夢」 

① 具体的な指導としてローマ賞に挑戦しているルオーに、同一テーマを自分だったらどう描くかと方眼線が引かれたデッサンを示したという実話。弟子への温かい思いやりなどが示されている往復書簡などが展示されている。
モローはルオーに「マティエールと内的ヴィジョンへの感覚を学ぶこと」「色彩についてイマジネールを磨くこと」を諭している。
* 「ローマ賞」(当時の仏画壇において美術の若手の登竜門。賞金はローマ留学。)
  
2000年私は初めてヨーロッパ旅行で、パリの知り合いの画家のアトリエを訪問した。午前から夜の10時過ぎまで(パリは夜8時過ぎてもまだ明るい)先生の描いた絵を見せてもらいながら、芸術談義に時を忘れた。
ある日、気分転換に「ギュスターヴ・モロー美術館」を訪れた。一行の4人で行ったわけだが、美術館がわからなくて街の人に聞いたが不明瞭だった。極端な言い方すれば、関心がなければ隣の人でもわからないということだ。フランス人の徹底的な個人主義によるのか?
螺旋階段<螺旋階段>

「モロー美術館」はモローの居住した邸宅を丸ごとミュージアムにした素晴らしいもの、建物の中央の螺旋階段が今でも忘れ難い印象として残っている。
3階、4階に大作がぎっしり詰まっていて息をのむ様に見ていた。余りに沢山あるので題名や何のどういう場面が描かれているのかわからない物も多かった。
作品の収納で我々が「パターンパターン」と名づけた回転扉みたいなものが会場に幾つもあり、開くとデッサンや下書きがぎっしり詰まっていた。

② 「モローとルオー展」で強く印象に残ったのは、「マティエールと色彩」であった。
モローが弟子たちに強調したのは、「色彩の解放」や「美しい材質感」だという。
モローは固定的な縛られた色使いからの脱却、絵の具の無限の可能性、イタリアルネサンスから学んだ豊富な色使いを主張した。アカデミズムが絵画を学ぶ者に「デッサン」を強くに対して、彼は「色の解放」を主張した。それはギリシャ神話や聖書を題材に「モロー的幻想世界」を大きく開花させた基調になっている。モローは晩年、マティエールの追求の果て、形態を壊して抽象の世界にいっている。
ルオーの油を厚く塗りたぐり、絵の具が画面からはみ出すような尋常でない描き方にモローの教えの延長線上を見ることができるか?
* 「汐留ミュージアム」がルオー美術館であるという特殊性から無理もないことであるけれど、モローの作品の完成品の展示が少ないことが物足らなかった。ルオーは優れた完成された作品をたくさん持っており、過日何回か見ることが出来たが、今回モローにおいて不満が残った。我々は専門家でなければ研究者でない。一般の愛好者にすぎないのであるから、完成された代表作の一部でいいから見せて欲しかった。


展覧会出品作品
モロー
一角獣
<一角獣>
「ユピテルとセメレ」「一角獣」
ルオー
聖顔 2
<我らがジャンヌ>

「聖顔」「我らがジャンヌ」
  1. 2013/10/20(日) 14:46:37|
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美術/音楽/舞台「ある個展」10.16

美術/音楽/舞台 「ある個展」2013年10月

① 「河瀬曻個展」せんびゃく堂画廊10/10~10/20
     タイトル ー 「流れる水と遠い光が与えられたとして」

旧知の画家の個展です。
芸大の洋画の大学院出の優秀な画家で、技術がしっかりしています。

<モチーフ・主張>
 人間の心の奥底に抱えている深い闇・流れ・光の動的で多様なありようを表現したい。
 写実によって捉えた「様々な相のコノテーション」を多層化・多重化し、その底流に潜むものを追究する。

  *コノテーションとティテーションとは何か?
 例えば「日の丸」を見て、ティテーションでは「国旗、日本の国旗」を意味する。
             コノテーションでは「右翼的、戦争、陸軍」などを連想する。

彼の創造物からどのくらいのコノティーションが想像できるか、ということになります。

河瀬.水辺の少年
2008年
「水辺の少年」
  海辺の河口に立ち海を見据えている少年。向かって左側壊れた大きな時計を遊具のように遊ぶ子どもたち。川を隔てて通勤ラッシュの大人たちせわしい風景。少年は何を見ているのか?無邪気に遊ぶ子どもたちは通勤ラッシュの大人たちになる。それとも、、、異次元の世界を夢みているのか?

地乾きの日に
2012年
 「地乾きの日に」
  北国の北風が吹く風景。雪の前ぶれに吹く冷たく乾いた北風を「地乾き」
  という。「地乾き」が吹きすさぶ中、人々が黙々と歩いてゆく。
  画面前の川の風景、一本の巨木が倒れて川を塞ぐかのようだ。豊富な水量
  の川の流れ、ダークグリーンの川と荒涼たる草原の対比。寒々とした風景から何を感じるか?北国の―昔から営んできた寒国の日常の暮らしではないか。だが、変に抒情的なんだ。
湖畔の
2013年
 「湖畔のシルエット」
   画家は「すべてが白黒に平面化されていく」たそがれ時と言っている。
   たそがれ時の面白い表現と思い、黒い地面に大きく流れる鮮やかな青色
   のうごめくものにハッとする。大地に「言い知れぬ蠢くもの」を感じている画家の優れた感性!
ダンス・2

2013年 
 「ダンス・ダンス 2 」
   WEB上からの発見だそうだが面白い。昔の、マティスの、マリオ・ジャコメッリの作品を思い出した。現代の・2013年の若者たちの何を表現しょうとしているのか。

奏・親爺

2011年 立体
 「奏」「座する親爺」
   娘が一心に笛を奏でる。親爺は来し方行く末に思いを馳せる。
   失礼だけど、物語を切断して「奏」「親爺」単独の作品にしては?
   例えば「奏」のヴァリエーションに無限の可能性を見る。

子鬼たち
2013年 立体
 「子鬼たち」
   作者は突然表れたというけれど、作者の心の奥底にある、原風景に蠢いているものではないの?遠い昔の寺や神社で出会った鬼さんではないの?

彼は昔、ベラスケスの素晴らしさを教えてくれた。久しぶりの再開、お話を聞いていて往年の日々を思い出した。
ここ数年の活動を踏まえて、これからどう発展するか楽しみです。

② 「山村國晶」個展 万画廊2013年10月10日~10月20日

山村国晶展 1

小生が始めたばかりのブログに時々訪問してくれます。温かい応援を感謝しています。
氏のことは何も知りません。それに、私自身抽象は余り見ていませんので不案内で、普段はパスしています。

会場に展示された、シンプルな図案のような「カタチ」というか「文様」。
鮮やかな、目が覚めるような色彩の饗宴。

山村国晶展 2コンポジション

私に何を喚起するか?心の底に響いて行くのは何か。

強烈な模様・文様の作品の世界。多彩な色彩の饗宴。
心の底にとぐろを巻き、表現しえぬもの。外界の天空にある、表現しえぬもの。それらの表現化か?

完成された磨きぬかれた表現かも知れない。シンプルがいい、謎の文様がいい。
心に残り、どこまでも追いかけてくるような強烈なイメージでした。
  1. 2013/10/16(水) 16:40:20|
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2013年『映画』「死ぬまでにしたい10のこと」(監督,E・コイシュ。主演、サラ・ポーリー)

2013年『映画』「死ぬまでにしたい10のこと」(総指揮ペドロ・アルモドバル。
            監督イザベル・コイシェ。主演、サラ・ポーリー。スコット・スピードマン。
            マーク・ラファロ。  2003年、カナダ・スペイン映画  10.10

10のこと ポスター

テレビのBSでやっていた。2003年のカナダ・スペイン映画。
余命が限られた人生をどう生きるか?最近のテレビドラマ「WOMAN」(7~9月)と同じく若い子持ちの女主人公が余命をどう生きるかが主題の映画。

スペインのアルモドバル監督が総指揮、同じスペインのコイシェが監督、ハリウッド嫌いのサラ・ポーリーが主演。地味だけど秀作である。

カナダのバンクーバーが舞台。アン(サラ・ポーリー)が雨に打たれているシーンから映画は始まる。
子持ちの貧しい生活を送る23歳の若き女性が主人公。ある日腹痛で病院に担ぎ込まれ検査の結果、余命2・3月という急性の癌に罹っていることを告げられる。

アンはどうするか?

ファスト・キスの夫(スコット・スピードマン)との間で17歳と19歳の時二人の娘を生んで、夜間に大学で清掃員をして辛うじて生活を支える。夫は失業中でアンの母親の家にトレラー・ハウスを持ち込んで住んでいる。貧しいながら二人の娘を愛しみ、朝の2人の娘を学校に送り出す様子なんか元気溌剌、健康な家庭の朝という感じだ。

彼女は深夜のレストランで考えた挙句、誰にも病気のことは秘密にして、「死ぬまでにしたい10のこと」をノートに書き付ける。

① 娘たちに毎日愛しているという。
② 娘たちの気に入る新しいママを見つける。
③ 娘たちが18歳になるまで毎年贈る誕生日のメッセージを録音する。
④ 家族とビーチに行く。
⑤ 好きなだけお酒と煙草を楽しむ。
⑥ 思っていることを話す。
⑦ 夫以外の男の人とつきあってみる。
⑧ 誰かが私と恋に陥るよう誘惑する。
⑨ 頬の感触と好きな曲だけしか覚えていない刑務所のパパに会いに行く。
⑩ 爪とヘアスタイルを変える。

10のこと

彼女は黙々とこれを実行して行く内に、生きる喜びを全身で感じてゆく。アンは自分がいなくなった後に子どもたちや夫の人生が最高のものになるようにと願い必死で生きてゆく。課題をこなしてゆく彼女の意志の強さ・行動力に感動する。

「誰かと恋愛する」「恋に陥るように誘惑する]「爪とヘアスタイル」の項目は、ファスト・キス、だけの恋以外に知らないアンが死と向き合って、本当の自分・女性自身に目覚めたのか? 課題の多は残してゆく娘たちの為へのものだが、これは若き女性固有のものだ。死と向き合ってそれまで隠れていた本当の自分(若き女性としての)が出て来たのではないか。人間として当然の要求。

彼女がレストランで課題を書いている後方にいたリー(マーク・ラファロ)との素敵な出会いは、余命幾ばくがなければ新たな人生が始まるのだが、彼に忘れがたい思い出を残すだろう。そういえば、アンの行為は残された者にどれだけの思い出を残すかが主題なのか、と思えてくる。

何でこんな運命に陥ったのか?とか死の恐れなどを並べないで、なすべき課題をノートに書きつけ実行してゆくところがこの映画のポイント。彼女の必死に行動する強さに目を見張る。

主演のサラ・ポーリーは、2,006年「アウェイ・フロム・ハー君を想う」で映画監督もやるという意欲的な生き方をしている。(長年連れ添った老夫婦の、妻の認知症をきっかけに始まった、人間のエゴとエゴの葛藤、人間としての赦しを描いた。)

テレビドラマ「WOMAN」(脚本、坂元祐二。出演、満島ひかり。田中裕子。小林薫。)

WOMAN 2

満島ひかり主演のテレビドラマ「WOMAN」(脚本、坂元祐二)は、この夏7~9月にかけて放映された。シングルマザーの貧しい彼女が、我が子の為に命を賭けて生きる物語。
「死ぬまでにしたい~」と違うのは愛する夫が不慮の事故で死に、孤軍奮闘・頼れる者が居ないところからの出発だった。自分を捨てた母とは絶縁状態で天蓋孤独の身、二人の子どもを抱えて難病になってしまう。

情況設定を見てこらからどうなってゆくのか?この母子の行方が気になった。
絶縁した母・サチ(田中裕子)とその夫・なまけものさん(小林薫)の登場。
芸達者の二人なのでドラマの展開のなかで助け人になるな、と思った。

DSC_0176WOMAN 1

「WOMAN」は好都合な展開、説明不十分のところがあるけれどシングルマザーの生き方を追求するドラマとして興味深く見た。

テレビで「シングルファーザー」の問題をやっていた。「母」だけではなく、「父」の場合も増えて来たという。情況はどんどん進んでゆく。妻の病死で残された3人の子を育てていた父が、5歳の男児を虐待死させてしまって「シングルファーザー」の問題がクローズアップされた。隠れていて問題化されないが、最近増えているという。

2003年と2013年の2つの物語、それに最近の「シングルファーザー」の問題。ペアーで子育てという伝統的なあり方から、やむを得ず「ひとりで子育て」が世界中で問題化されている。養育者の突然の死や児童への虐待というアンラッキーな事件やドラマとして問題を訴えている。問題の真相が隠されていて解明されていない。


 
  1. 2013/10/10(木) 20:44:31|
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2013年『映画』「そして父になる」(監督、是枝裕和。出演、福山雅治。尾野真千子。真木よう子リリー・フランキー

2013年『映画』「そして父になる」(監督、是枝裕和。出演、福山雅治。尾野真千子。真木
                    よう子.リリー・フランキー。 10.05

10月1日、映画館は超満員。親子、ジジ・ババと孫、アベック、中高生。大きな映画館に(特別な呼び方があるんでしょうね)家族で朝から押しかけて、夕方までのチケットを何本か買って1日中映画を見るそうだ。映画が唯一の娯楽だった時代に戻ったか?

そして父になる

「そして父になる」
野々宮良太(福山雅治)は一流大学を卒業し、大手建設会社のエリート・サラリーマン。妻・みどり(尾野真千子)と1人息子の慶多と共に都心の高級マンションで暮らしている。慶多は私立小学校を受験し順風満帆の生活、自分の望むものは何でも掴み取ってきた。自分を勝ち組だと思っている。
 
みどりが出産した群馬の病院から突然連絡が入り、出産時の取り違えが起こり6年間育てた慶多が自分の子ではないことがわかる。取り違えの相手は地元で電気屋を営む斎木夫婦(リリー・フランキー、真木よう子)の長男琉晴であった。

突然の衝撃を突きつけられた2家族、今までの6年間はなんだったのか!
それぞれ手放すことに悩むが、どうせなら早い方がいいと2家族は交流し、とうとう子どもの交換になってゆく。 

映画は血縁の子か育ての子かで悩み、父とは何か?家族とは何かを問いかけるヒューマン・ドラマである。

二人の家族が対照的だ。群馬に住む家族は賑やかで庶民的な5人家族(琉晴の下に妹と弟がいる)。子どもたちと父親がお風呂に入るシーンなど面白い。それに比べて絵に描いたような超エリートの福山雅治の一家、ホテルみたいな都心の高級マンションに住む。リリーの自然派と福山の一見知的だが人の心を理解できない人間性の欠けた人物像の対比、暮らしぶりや家族の日常の雰囲気の違い。
リリーのキャラクターが田舎の自然派の家族としてぴったりだ。リリーは不思議な俳優?だ。
福山はエゴイステックで上昇志向の人間を演じようとするけれど、やっぱり坂本竜馬の福山雅治が見えてしまう。

こんな発見をした。女は演じてなくても母親に自然になってゆく。ところが男は父親を演じなくてはならない。福山のぎこちない父親を見ていて自分はどうだったか?と自問してしまう。タイトル通り男は「父になる」のだ。

妻のみどりに責められる、取り違いの事実を突きつけられた時の「やっぱりそういうことか」、慶多が自分の思うような強い子に育っていないもどかしさ。何度ピアノを弾いてもたどたどしくしか弾けない。今までの心にあったもどかしさからつい出た言葉である。慶多の方でも父親に気に入られようと必死にやって来た。それは父には見えていない。
夫婦の間でも苦悩と葛藤が起こってゆく。

引き取った琉晴が「どうして、どうして」と執拗に食い下がってくる様子に、自分の血を見出して良太は唖然とする。
みどりも(一緒に生活することによって)「慶多にすまないと思いながらも琉晴が可愛くなってゆくの」泣きながら言う。

しかし、父良太は心がすっきりしないのだ。心の底で慶多のことが引っかかっている。慶多が撮ったであろう父親の自分自身の日常の1コマ1コマが写っているフォートを良太は見ている。このシーンは観ている者の心をギュッと締め付ける。

映画が始まってカメラの捉え方というか画面の作り方に、これは外国にもってゆくことを意識しているなと思った。カンヌで審査員賞に輝いた。

もう1人の息子

10月後半公開の「もうひとりの息子」(仏映画)は同じ赤ん坊の取り違えを主題にした映画である。舞台は中東のイスラエルとパレスチナ。それを観た上で比較してみたい。   

  1. 2013/10/05(土) 16:37:41|
  2. 2013年『映画』
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美術/音楽/舞台「2つの公演」②辺見庸「死刑と新しいファシズム」8.31 10.02記

美術/音楽/舞台「2つの公演」②「辺見庸―死刑と新しいファシズム」(8月31日、四谷区民ホール)10.02記

辺見庸1
講演会の切り出しは次のような話で始まった。確定死刑囚の俳人大道寺将司からの手紙のなかに、8行からの黒く塗りつぶされた部分があった。黒いマジックで執拗に塗り潰された手紙。

「これは何なんだ!」
黒塗りの手紙を受け取った時、「肉が割れて骨も見えるような、肉体の裂け目を見ているような」ただ事でない思いがした。

戦前・戦中特高なるものが存在して私信の塗り潰しをした事は知っている。小林多喜二が特高に虐殺されたことも知っている。何処かに特高がいるのか?かつての特高であるならば、<共産主義者>を言いがかりに塗りつぶしや抹消・差し押さえをやる。それとはどうも違うようだ。

辺見庸は確定死刑囚の大道寺将司と文通・交流がある。俳句を通しての交流らしい。 
大道寺将司(1948年~新左翼活動家、俳人、確定死刑囚、東アジア武装戦線“狼”部隊のリーダー。三菱重工爆破事件など9件の企業爆破事件で起訴された。
 確定死刑囚として38年獄中にいる。俳句という自己表現を獲得してからは
 事件への悔悟、謝罪、苦悩、慙愧のことばで溢れ全部自分に向けられている。
  * 棺(かん)一基(いっき)四顧(しこ)茫々(ぼうぼう)と霞けり

彼が昨年、俳句集[棺一基 大道寺将司全句集]を出し、第6回「一行詩大賞」を受賞した。(選考委員=角川春樹、福島泰樹、辻原登、後援、読売新聞)主催者からの要請を受けて、自選句を何句か書いた。それを当局が塗りつぶした。

確定死刑囚は面会・手紙が制限されていて、あらかじめ決めた相手としか許可されない。許可していない者だから抹消削除した。又、賞の主催者の「受賞のことば」依頼も不許可になった。昨日彼から手紙が来て、黒塗りの手紙を送って申し訳ないと謝っている。当局がやったことをやられた本人が謝ってくる。辺見さんはヒヤリとする。何かおかしい。

当然のことながら、憲法21条 [集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密]の条項があって保障されているはずだ。ところが例外規定があって、刑務所や拘置所などの刑事施設では検閲や塗りつぶしが認められているんだと!再犯や犯罪の指示の防止のためだと!この例外規定が黒塗りの犯人か?

大道寺将司に面会に行くとホッとする、気分が和む、と言う。彼には獄外に充満している「すさみ」が無いからだと言う。彼の表現には、38年前の罪を牢の中で日夜激しく悔いて恥じてわびている人間のたましいがあると言う。言葉が言葉として通用する。大きな齟齬をきたさないという。
獄外の我々は目に見えない腐乱、言葉が文字通り届かない無力感にさいなまれている。CMのような迫真の嘘。そうした言葉たちに包囲され、悪性腫瘍のように浸潤されているのが獄外の我々だという。

黒塗りの手紙の真犯人はわからぬが、死刑囚は勝手なことをするな、俳句や詩など詠むな、獄外の者は妙な協力をするなという脅しである。
 詩人辺見庸の感性は、死刑という観念と天皇制とが底で同じようなイメージで結ばれていると大胆な仮説を立てる。死刑執行場面は天皇制と同じくタブーであり、誰も公開せよと迫らない。

今、日本の毎日の一刻一刻が「歴史的な瞬間」だと感じている。
東電福島原発の汚染水拡大。日本史の教科書の問題、君が代、日の丸問題など
大きな問題がゴロゴロと転がっている。時代が大きく変わろうとしている。それに異議を唱え戦う人がいない。

最近職場で怒鳴り合いをしたか?と人々に問う?ヒーローもアンチ・ヒーローも敵もよくわから無くなっているのではないか。詩人石原吉郎が言ったように「自分の声は何処へも届かないのに、ひとの声ばかり聞こえる時代」だそうだ。辺見さんは声が届かない、言葉に見放されているというのは「原ファシズム」の特徴の一つだという。人間の内面への切実な関心を無くしてゆくこと、モノ・テクノロジー・金と引き換えに人の言葉への無関心、無感動が広がってゆくことは「原ファシズム」だという。我々の身近の情況はそうではないかと辺見庸は問う?

昨今あちこちで起きている在日韓国人いじめに怒りを禁じえない。在日の友人にその危害が迫ってきたら、必ず守る。力によって他人を従わせる耐え難い局面はすでに訪れている。個としても戦わざるを得ない時がきたのだ。
今問題なのは「これが歴史的瞬間ですよ!」という人間がいないだけではなく、歴史が崩壊している、転覆されているという実感が何者かに奪われている。我々の内面が崩れていることが一番怖い。

安倍が考えやろうとしている事は9・11以降のアメリカがやった法制度の改革に似ている。日本版愛国者法。法律に非常事態下の「例外事項」を作ってゆく。先ほどの黒塗りの手紙と同じですね。今問題となっている「秘密保全法」。思想弾圧が可能となり一気にファッショ化が進む。

安倍に自国の姿が他国にどう写っているかがわかっていない。平和的か好戦的か?中国や韓国にどう写っているか。彼らは歴史的経験があるから痛いほどわかっている。今の日本が怖い。復古主義・事大主義の安倍が「民族・国家の危難を除去するために」海兵隊的機動部隊をつくる恐れがある。彼には戦争を可能にする国家にしてゆこうという発想が歴然とある。それを中国、韓国は恐れている。

最後に彼は戦後の左翼、知識人に鋭く切り込む。
戦後の左翼・知識人に、民主主義とは何かと命を賭けて戦ったことがなかった。
戦うべき「敵」はいなかった。そこを彼は「天皇制と戦後左翼のエートスとの関わりがある」と指摘する。
戦後思想の代表者吉本隆明の言「昭和天皇に対する<絶対感情>」をあげる。吉本は共同幻想を言いながら、あの人自身は、自分の心のなかのヒロヒトを乗り越えることができなかった。
戦後の日本国家・社会は民主主義、天皇制、その延長線上の「死刑制度」も絡まり合って、「日本文化」を形成している。より正確に言えば「恥ずべき国民文化」を形成している。(*この民主主義、天皇制、死刑制度がひとつの環になって「恥ずべき国民文化」を形成している、との論はもっと説明あるべき)

惨憺たる敗戦を経験しながら、周辺諸国の人間を2千万以上も殺しながら、なぜまた、同じ道を歩もうとしているのか。ドイツのように、ナチの完全な否定、戦後補償の徹底、歴史の反省ということがどうして出来なかったのか。そして、今の歴史の転覆と全面的な塗り替えがすすんでいる現実をどうするのか。

どうしたら国家と国民の幻想から脱することが出来るか?彼は「個」の力の集合しかないという。

昭和天皇の「大喪の儀」の時、棺を殯の宮に移動する。1ヵ月灯りを1つ灯して誰かが付き添う。この殯の宮を誰も見ない。タブー。薄明かりの曖昧さ、日本文化のあらゆるところにこれがあるという。写真を撮らせてくれと欧米の記者ならありえても日本にはいない。彼はそれがファシズムとして培養され立ち上がってくるという。
 
知識人よ! 己の内部の、この「恥ずべき国民文化の環」に戦いを挑むべきだというのが、彼のミッションです。

吉本さんのような特攻世代には<絶対感情>がありえることは頷けるが、僕にとって昭和の天皇は直接の関係がない。戦中は幼く、戦後は視野に入っていなかったからだ。だが辺見さんが言う、ものをいう気がしない情況、敵が見えない情況は「恥ずべき国民文化の環」に取り込まれていることらしい。よくよく考えてみる必要があるだろう。

辺見庸(1944年、宮城県石巻市出身。早稲田大学出身、共同通信、中国特派員、外信
  部長、1991年「自動起床装置」で芥川賞。「もの食う人々」2004年、脳出血。2005年、
  大腸癌。2011年詩集「生首」中原中也賞。執筆・公演と精力的な活動を続けている。
吉本隆明(1924~2012年、東京都出身。日本を代表する思想家、詩人、評論家。
  60年安保で学生運動の精神的支えになり、その後戦後を代表する思想家となった。
  「芸術的抵抗と挫折」「共同幻想論」「言語にとって美とはなにか」他多数。
石原吉郎(1915~1,977年、詩人。シベリヤ抑留を文学的テーマにした詩を書いた。詩集
  「サンチョ・パンサの帰郷」評論集「望郷と海」





  1. 2013/10/02(水) 11:39:54|
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