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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

美術 /音楽 /舞台 「2つの公演」8/31と9/27①「冨山妙子の絵と高橋悠治のピアノ9/27

「2つの公演」8・31と9・27 
      「<男文化>よ、さらば―植民地・戦争・原発を語る―」
             辛 淑玉。 富山妙子。 鎌田 慧。
          上記の出版記念のトークショウが本番。
      
 ①  「富山妙子の絵と高橋悠治のピアノのコラボレーション」
        ―3・11への「絵とピアノ曲」のコラボレーション―

私にとってトークショウより「3・11の絵とピアノのコラボレーションの方が面白かった。
亡き母に近い92歳の富山妙子が、寝る間も惜しんで描いたという、「3・11への、絵によるメッセージ」舞台のスクリーンに映像化された作品が映し出された。

富山.プログラム

風神
 高橋悠治のピアノによる、自身作曲の「3・11へ」の演奏。
氏の現代音楽の作曲家としての活動は有名だが、彼自身の作曲を自身での演奏を聴くのは始めてだ。ほぼ完成だという。後半の「風」辺りから良かった!ドビッシー風の叙情あふれた曲の展開。
3・11への鎮魂としての富山妙子の絵がスクリーンに映し出される。富山さんの絵に圧倒されて心が高鳴る。高橋悠治の暗くうねるようなピアノ曲が流れている。

私自身の3・11を思い起こす。その時どこにいて、何を思ったか。生まれて初めての強烈な体験に震撼されていた。彼女の絵が強く見るものを圧倒する。3・11という大災害に拮抗しうるにはあれほどの大きく力強さが必要なんだと思い知った。宗達の「風神雷神」、荒れ狂う海にそそり立つ佛像たち。怒り狂う海や自然に何が拮抗しえるのかといえば、見慣れた伝統の佛像や風神雷神たちだった!

高橋悠治のピアノは3・11に対して、己にインスパイアーされた印象で組み立ててゆく。決して伴奏ではない。3・11に対する高橋さんの鎮魂歌だろうか?後半がよかった。高橋さんの抒情性が自然に紡がれるところがいい。涙が出てきた。

ピアノ小曲「まわれまわれ糸車」もいい。

絵とピアノ!思いがけない一夜になった。

海の仏像
富山妙子の絵と高橋悠治のピアノという2つの芸術に出会い、自身の3・11をもう一度振り返ることになる。上面の心を鎮めてより深いところを探ってゆきたい。

冨山妙子(1921年神戸市生まれ。画家。大連・ハルピンで少女時代を過す。女子美中退。戦後、炭鉱、慰安婦,光州事件、自身の戦争体験をテーマにした作品を発表。
1970年代、韓国の詩人金芝河(キム・ジハ)の詩をテーマとした、絵と詩と音楽のスライド作品を制作するため、「火種工房」を作る。作曲家高橋悠治らとのコラボレションが始まる。
 3・11では福島に行き、果敢に創作に打ち込む。

高橋悠治(1938年、東京の生まれ。)ピアニストの高橋アキは実妹。
 1962年ドイツ・ヤニス・クセナキスに師事。66年、ニューヨークに渡りコンピュータによる作曲を行い、各地を 演奏旅行をした。72年帰国。一柳慧、柴田南雄、武満徹、林光らと「トラソニック」を結成。76年から画家の富山妙子とスライドで絵と音楽による物語作品を制作する。78年にタイの抵抗歌を日本に紹介するために「水牛楽団」を組織。文学・科学・思想の分野にまで活動を広げ、対談・執筆を精力的に行う。
朝日ホールで確かバッハの「ゴールドベルク変奏曲」を聴いたことがある。抒情性豊かな華麗な演奏に意外感、もっと前衛的な演奏かと思ったからだ。あるいはこちらの耳が間違っていたか?

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  1. 2013/09/29(日) 20:50:01|
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美術/音楽/舞台「ミケランジェロ展」国立西洋美術館~11.17 929

美術/音楽/舞台『ミケランジェロ』展 国立西洋美術館 ~11.17 9.29

ミケランジェロ展看板
ミケランジェロ展と聞いた時、どうやって展覧会をやるの?と疑問が湧いた。小品はともかく国宝級の有名な作品を国外に運びだせるものかと思った。
展覧会はフィレンツェにある彼の旧居であり、甥の子孫が引き継いた「カーサ・ブオナローティ」のコレクションが中心だ。「カーサ・ブオナローティ」とは、ミケランジェロ・ブオナローティが1516年から25年まで実際に住んだフィレンツェの邸宅で、甥が跡を継いだブオナローティ家の本拠地。素描・書簡・彫刻を始めとする膨大なコレクションはミケランジェロ研究の拠点だそうだ。素描・書簡の展覧会になるのか?

① 伝説と真実 ―
 89歳という長寿の生涯、イタリア・ルネサンス盛期の後半生を活躍した大芸術家、生きているうちからミケランジェロ伝説は築かれていた。
 贅沢を嫌い、生活の華美に関心がなかった。孤独を愛し人付き合いを嫌った。
 反骨精神旺盛な芸術家。彼の描くキリストや神々の裸体の局部に覆うものは一切無かったが、後世反対論がおこり全部覆われた。

( 本展覧会で出品されている作品)
DSC_0110ミケランジェロ像(ミケランジェロの肖像)

『ミケランジェロの肖像』(1535年~油彩)
  彼は肖像画を描かれることを嫌った。が、いくつかの原型が模写され本作
  は16世紀の模作。  
DSC_9882レダの頭部.ポスター

『レダの頭部習作』(1530年、紙、赤石墨。)
  テンペラ画「レダと白鳥」(紛失)のレダの顔の素描。
② ミケランジェロとシスティーナ礼拝堂
  システィーナには生涯2回関わり合っている。
  そのための下絵・素描の展示。
  イ、1508~1512年 「創世記」の天井画。
  ロ、1536~1541年 祭壇正面壁面の「最後の審判」
③ 建築家 ミケランジェロ
 ヴァチカンの「サン・ピエトロ大聖堂」の建築監督。フィレンツェの聖ロレンツォ聖堂など。素描で彼の構想を思い描く。設計図
③ 人体表現
 ミケランジェロ芸術は一貫して人体表現であった。彼自身を彫刻家と思っており、人体表現の本質に迫る。
 『階段の聖母』(15才頃の作品。1490年頃。大理石での彫刻。)
 『クレオパトラ』(1,535年、黒石墨。紙。素描の傑作とされた。
 『キリストの磔刑』(1563年、木彫)死の直前の作品。甥に残すために彫った小型木彫。

『ミケランジェロ・ブオナローティ』(1475~1564年、イタリア・ルネサンスの大芸術家。彼が制作した彫刻・絵画・建築は現存するものいずれも有名な国宝級の作品。それ以外に素描・下絵・書簡・スケッチ・回想録が残っている。

* 簡単な年表と代表的な作品
 # 1475年、トスカーナ・アレツォ近郊生まれ。父は大理石採石場と小さ
な農園を持っていた。母6歳の時死亡。13歳の時、ギルランダイオに入門。1490年代メデチ家の人文主義の文化サークルに参加している。
階段の聖母
・ 『階段の聖母』(1491年)・「ケンタロウスの戦い」(1491~92年)
# 1490年代、メデチ・ロレンツォの死去とフィレンツェの政治の変転により各地を転々とする。

ミケ.キリストの磔刑

・ 「木彫のキリストの磔刑像」(1492年。サント・スプリット修道院)
# 1497年、ローマ・ヴァチカン「ピエタ像」
# 1504年、フィレンツェに帰国。「ダビデ像」(アカデミア美術館)
      絵画「聖家族」
# 1505年、教皇ユリウス2世にローマへ呼び戻され、霊廟制作を命じられる。システィーナ礼拝堂の天井画も命じられる。
  ・「システィ礼拝堂の天井画―<創世記>」(1508~1512)
     アダムの創造。人類追放、ノアの箱舟
  # フィレンツェのメデチ家の教会・サン・ロレンツォ聖堂のファザート再建と彫刻による装飾。ロレンツォ聖堂付属「ラウレンツィアーナ図書館」ミケランジェロの建築は別人が手がけたものを引き付いたものが多い。
  # 「システィーナ礼拝堂の祭壇壁画<最後の審判>」(1537~1541年)

* 2011年の「イタリア列伝の旅」フィレンツェのブランカッチ礼拝堂の「マザッチョ」を見た帰りに、サント・スピリット教会に寄った。そこにあった若き(18歳)ミケランジェロの木彫の「キリストの磔刑像」に衝撃を受けた。若鮎のような清楚な木彫! 後の筋肉リユウリュウたる肉体美ではなかった。鮮やかな思い出として僕のなかに残っている。

 * 研究者ならまだしも、私みたいな一般の美術愛好者にとって有名な優れた作品が見たい。ミケランジェロの展覧会をやること自体無理があるのではないか。
  1. 2013/09/29(日) 14:28:32|
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2013年『映画』「ジンジャーの朝」(サリー・ポッター監督。エル・ファニング主演)9.25

2,013年『映画』「ジンジャーの朝」英映画(サリー・ポッター監督。エル・ファニング主演)
         ジンジャー(エル・ファニング)ローザ(アリス・イングラート)父ローランド
        (アレッサンドロ・ニヴォラ)母ナタリー(クリスティーナ・ヘンドリックス)
            渋谷、「イメージ・フォーラム」で上映中。  9.25
ジンジャーの朝ポスター

母親同士が親友、幼馴染として共に成長した、一少女の成長・青春のドラマである。映画は二人の成長過程を丁寧に綴ってゆく。一少女の成長と共に、さなぎが蝶に脱皮する瞬間を捉えようとするかのようである。

キューバ危機の、1960年代=冷戦時代のロンドンが舞台。

映画は広島の原爆投下の映像で始まる。2人の女性の親友が揃って妊娠、互いに手を取り合って出産。2人の子ども(ジンジャー<エル・ファニグ>とローザ<アリス・イングラート>)は幼なじみとして成長してゆく。少しコミカルに捉えている。

成長してゆくにつれ、彼女たちは学校をサボって政治・宗教ファッションについて語り合い、多感な思春期を迎えていった。親の世代に対する反発、ヒッチハイクで男の子と遊んだり、煙草やアルコールと青春を謳歌してゆく。
ジンジャーとローザ

自由奔放的なローザに比べて内向的なジンジャーは、詩を書いたり内にこもって本を読んだりと少しずつ溝が出てくる。

時はキューバ危機。ソ連の原爆に対抗する米英の核、戦争になれば人類は破滅するとの危機感から、反核の集会・デモに参加してゆく。
(この時の核の危機感は時代の実感であり、居なかった人に伝えるのは難しいものがある。)

父親のいないローザはジンジャーの父の思想や自由な生き方に引かれやがて恋に変わってゆく。奔放に生きる自由主義者の父とローザとの恋はジンジャーにとって到底受け入れられず、やがて自分の家族の崩壊・母の自傷につながってゆくことになる。合わせてキューバ危機、核によって人類が崩壊するかも知れないという危機感!ジンジャーの世界は爆発寸前に!

さなぎが蝶になる少女の微妙な心の成長の映画である。

『サリー・ポッター』
英国の女性映画監督。脚本家。作曲家。ダンサー(英国のコンテンポラリーダンスの出身)でもある。ヴァージ二ア・ウルフの原作を映画化した「オルランド」で有名になった。女性監督らしい繊細な感覚は有名な子役エル・ファニングによって思春期の繊細な神経、美しさを充分に引き出した。



  1. 2013/09/25(水) 18:28:49|
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2013年『映画』「オン・ザ・ロード/路上」(原作ジャック・ケルアック。監督ウォルター・サレス)9.24

2013年『映画「オン・ザ・ロード/路上」(原作ジャック・ケルアック。監督ウォルター・
                     サレス。脚本ホセ・リベーラ。総指揮F・コッポラ
                    TOHOシネマズ・シャンテで上映中。 9.24       
       
       ギャレット・へドランド(ディーン)=ニール・キャサディ)
       サム・ライリー(サル・パラダイス=ジャック・ケルアック=原作者
       クリステン・スチュワート(メリールウ=ルアンヌ・ヘンダーソン)
       エイミー・アダムス(ジェーン=ジョーン・ヴォルマ)
       トム・スターリッジ(カーロ・マルクス=アレン・ギンズバーク・詩人
DSC_9829オン.ザ.ロード①
1957年にジャック・ケルアックが発表した「路上/オン・ザ・ロード」は、50年代アメリカのビート・ジェネレーション文学の代表となり、50年代、60年代のヒッピーの聖典になった。
ボブ・ディラン、ジョン・レノン、ニール・ヤングなどのミュージシャン、デニス・ホッパー、ジョニー・デップなどの映画人にも大きな影響を与えた。

東部育ちの若き作家サル(サム・ライリー=原作者ケルアック)にとって、西部からやって来たディーン・モリアーティー(ギャレット・へドライン)は桁外れの男だった。社会の常識やルールにまったく囚われず、セックス・ドラッグを奔放に楽しむ男だった。フランス系カナダ人の(仏語が原語)アメリカ人に成ろうと悩む内向的なサルは、アメリカン・カーボイで少年院出のディーンの火を噴くような行動にたちまち引き付けられてゆく。

広大なアメリカ大陸の横断。彼らのあてのない旅。目的の無い旅。路上を歩き車で走るだけなのだが、それを意味付けたのだ。「ロード」に青春の一切がある。普遍性を獲得した記念すべき作品なのだ。

55年も前の伝説的な小説は1970年代末にF・コッポラが映画権を獲得・映画化を狙っていたがなかなか実現しなかった。04年のチェ・ゲバラの青春放浪を描いたブラジルのウォルター・サレス監督「モーターサイクル・ダイアリーズ」が出現するに当って、彼に白羽の矢が当った。
オン.ザ.ロードパンフ

登場人物のほとんどにモデルがいる。サルすなわち作者のケルアック、映画のなかでも克明に記録している。彼らの行動を記録するルポがビート・ジェネレーションの文学の聖典になったのだ。

サレス監督の手法はロマンテック過ぎるかも知れない。どうしても「モーターサイクル・ダイアリーズ」のゲバラの旅・青春像と重なってしまう。ディーンの描き方が甘過ぎるかも知れない。もっとむき出しの荒わらしい青春だったのではないか?
僕にビート・ジェネレーションがわかっていないのかも知れない。あるいは剥き出しの青春がわからぬ年令になってしまったか。
  1. 2013/09/24(火) 10:28:30|
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2013年『映画』「モンタナの風に抱かれて」(1998年、ロバート・レッドフォード監督・主演)9.22

2013年『映画』「モンタナの風に抱かれて」(1998年、米映画、ロバート・レッドフォード監督9.22
  出演、ロバート・レッドフォード。クリステイン・スコット・トーマス。スカーレット・ヨハンソ 
    ン。サム・ニール。ダイアン・ウイースト。クリス・クーパー。
モンタナ 2

テレビのBSを録画していたのを最近見た。十数年前の映画ながら気品のある感動的な映画だった。ロバート・レッドフォード監督・主演の映画。モンタナの自然の風景の映像もいい。
病気に罹った馬を癒す「ホース・ウィスパラー」の活躍がドラマのポイント。

ニューヨークで暮す弁護士の父ロバート(サム・ニール)、雑誌編集長の母アニー(クリスティン・スコット・トーマス)の13歳の1人娘グレース(スカーレット・ヨハンソン)の一家が幸せに、且つ、忙しく暮らしていた。
DSC_0025ビヨンセン( スカーレット・ヨハンソン)
雪深い朝、グレースが親友と乗馬していて大事故。親友は死に自身も片足を失い、愛馬も怪我と事故のショックで人間を寄せ付けない暴れ馬になった。愛馬は周囲に安楽死を進められるが、愛馬の死は娘の死、娘を救うには愛馬を救うしかないと感じたアニーは、「ホース・ウィスパラー」(傷ついた馬を癒す)というカウボーイのトム(ロバート・レットフォード)に救いを求めた。
夫人(クリスティン・スコット・トーマス)
絶望に陥った娘と傷ついた愛馬を乗せたトレーラーを引っ張って、アニーのモンタナへの旅が始まる。

突然のアニーたちの訪問と強引さに驚いたトムは娘や馬の様子を見て、娘グレースの協力が得られれば、といって引き受ける。
DSC_0026レットフォード(ロバート・レッドフォード)
傷つき何らかのショックでボロボロになった馬の病気を治してゆく、「ホース・ウィスパラー」という治療が素晴らしい。本来臆病の馬が事故か虐待で深い傷を負うと手がつけられない。トムは自然に逆らわず「待ち」の姿勢で臨む。馬に寄り添い一歩一歩回復させてゆく。モンタナの風光明媚な大自然の中に病馬を解き放ち、安心と癒しを与えてゆく。それを見ている母アニーと娘グレースも馬の回復と共に変わってゆく。グレースの人間的な成長が重なっている。彼女は馬小屋の掃除や初めての車の運転、そして、、、、
モンタナ 1
モンタナの大自然の風景の中での、少女と馬の再生、男女のせつない恋の行方が美しい映像で語られている。十数年前はこういう良質な映画がつくられていたのだ。






  1. 2013/09/22(日) 16:57:21|
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美術/音楽/舞台「ルーブル美術館ー地中海4千年の物語」都美術館~9.23  9.18

美術/音楽/舞台「ルーブル美術館―地中海4千年のものがたりー」
        都美術館 ~9/23  9.18記 
 
ルーブル展.看板
少年時代から「地中海」は憧れの対象だった。
(少年のような甘い夢を語ろう)

第一に海の色。瑠璃色というのか深く濃い青色の海。ラピスラズリやウルトラマリンの心ときめく青の色。
僕はラウル・デュフィやド・スタールの絵のような海の風景のイメージから空想に耽り、牧歌的な南欧の海岸や、鋭角的で鮮明なブルーの海に思いを馳せた。

略図西洋と東洋が地中海を舞台に出会う、花開いた古代の文明・文化の数々―
オリエント、ペルシア、ギリシア、ローマの各文明・文化は人間の叡智と感性の宝庫であった。詳しく歴史を調べることなく、ただ憧れた。

フランス映画の主人公たちが(ジュールとジム?) 地中海の旅で見つけた、古代彫刻の女性の欠けた頭部に憧れ、パリでそのイメージの女性を追い求め、出会いたちまち恋に陥るというストーリィ。地中海の島々には様々な古代彫刻が埋もれているだろうか?
  
ルーブル美術館から全8美術部門(古代ギリシア・エトルリア・ローマ美術、古代オリエント美術、イスラム美術、絵画、彫刻、美術工芸品、素描・版画)から、地中海4千年の歴史をピックアップ。

ギャビーのディアナ1
<ギャビーのディアナ>
序-― 地中海世界
① 古代彫刻の傑作「アルテミス―通称ギャビーのディアナ」(100年、ローマ)
 典型的な清楚なギリシア的美貌、肩に手をやる自然ななすがたが美しい。完璧な美しさを見てしまうと後世は何が出来るのか?と思ってしまう。18世紀英国の画家ハミルトンがローマ近郊ギャビーで発掘。1808年ルーブルに収蔵されてから初めての館外出品。今展覧会の目玉。

 古代文明の揺籃の地であり各民族の戦いの舞台であったあった地中海は、地中海性気候という温暖な自然状態に恵まれ、小麦、ワイン、オリーブといった共通の文化圏を構成した。
② 「オリーブを入れるアンフォラと呼ばれる壷」(ギリシア・アテネ前323年)
 アテネの守護神を祝う競技で勝利者に、オリーブを入れて贈られる。 壷に描かれた槍と盾を持つ女神アテネの凛々しい姿は美しい。土色の美しい壷は生活の道具として沢山作られた。オリエンタル風の夢のような壷・土器。アンフォラ.壷女神アテナ

③ 「黒像式杯:帆を広げる2艘の戦艦」(ギリシア・アテネで活躍した陶工ニコステネス。前525~520年)
 この大きな杯は大きく帆を広げて航海する2艘の戦艦が描かれている。

第一章 地中海の始まり ― 前2,000年~前1000年 ―
 前2,000年頃から古代オリエントの世界では交流が行われた。特に言語・文字の普及は重要だ。
フェニキア人のアルファベットからギリシア文字。ギリシア文字からラテン文字が生まれて現代のヨーロッパの諸言語が生まれていった。
ロゼッタ・ストーンのレプリカ
① 「ロゼッタ・ストーン」(大英博物館蔵・前196年)の石膏のレプリカ。
 この石碑にエジプト文字とギリシア文字で刻まれた法令の研究により、1824
 年にJ・F・シャンポリオンがヒエログリフ(古代エジプトの象形文字)の解読に成功。古代文字の初めての解読、レプリカだけどそれを前にして胸がわくわくして不思議な感動を覚えた。古代文字の解読により古代人の世界が開かれたのだから。

ソース入れ② 「ソース入れ」柄と注ぎ口のついた黄金の容器(ギリシア・前2200年)
 ああ!何てシンプルで美しいのだ。

スープン③ 「受け皿を持つ女性の形の奉納用スプーン」(エジプト、前700~)
 泳ぐ少女が両腕を伸ばして受け皿を持つ木の匙。コンパクトで美しい。エジプトの土俗的なスプーンは神に捧げる祭祀用であるという。デザインが面白い。
④ 「赤像式クラテル(壷):牡牛に変身したゼウスによる王女エウロペの略奪」
  (イタリア・アブリア地方。前360年)
 エウロペは牡牛に変身したゼウス神に連れ去られ、後にクレタ王を生むフェニキアの王女。東西の融合を象徴する存在とされる。

第二章 統合された地中海――ギリシア、カルタゴ、ローマ―
 前4世紀に起こったマケドニアのアレクサンドロス大王の東征によって、オリエントの国々にギリシア化が進み、地中海の覇権を巡ってローマとカルタゴのポエニ戦争が勃発。ローマは勝利して巨大なローマ帝国を築く。

ローマの石棺.プロメテウス伝説① 「ローマの石棺」(240年頃。南仏で発見。)
 ギリシア神話のプロメテウスの物語をあらわしたもの。女神アテネや伝令神ヘルメス・運命の三女神など精緻な表現は見事。

ヘロドスの胸像② 「ヘロドス・アッティクス(100-177)の胸像」(162年、ギリシア、アテネ)
 ギリシアの有名な哲学者、力強い表現はローマ時代の代表的な彫刻。

ひげ男のペンダント③「ひげのある男の頭の形をしたペンダント」(前350~カルタゴ=チュニジア
 愛嬌のあるガラス工芸のペンダントは、ポエニ戦争でローマに敗退し歴史の舞台から姿を消したカルタゴの魔除けのお守り。古代の戦争は残酷だ。敗者は処刑か奴隷、カルタゴはことごとく破壊された。

第三章 中世の地中海―十字軍からレコンキスタへ(1090-1492年)
 地中海はキリスト教とイスラム教との交差する舞台でもあった。聖地エルサレム奪還を旗印に始まった十字軍は、西欧キリスト教徒の東方遠征や巡礼を起す。それに伴って交易が活発になり、東方の珍しい品物(絨毯、絹、コーヒー、香料、砂糖、)工芸品が西欧社会に入ってくる。

恋人2人の絵皿
① 「恋する男女が描かれた杯」(1300-1400年、キプロス)
 剣を持つ騎士と優美な女性が仲良く寄り添う図柄の杯。フランスの十字軍がキプロスに建国した記念の杯。

聖骸布
② 「聖ジョスの骸布」(950年、トルクメニスタン&イラン)(1134年以降、フランスの修道院に保管されていた。)
 2頭の向かい合う象で装飾され、トルコ人総督の名前がアラビア語で記された布。象やらくだなどのペルシアの伝統柄を織った絹織物。十字軍によって西欧にもたらされた。

第四章 地中海の近代―ルネサンスから啓蒙主義へ(1490-1750年)
 十字軍後の地中海でヴェネツィアが覇権を握った。その後ビサンティン帝国を滅ぼしたオスマン帝国が地中海一帯を支配した。西欧の芸術家たちはトルコ趣味の絵画や豪華な工芸品を作り出した。

トルコ風の衣装を着た2人
① 「トルコ風衣装の英国商人レヴェット氏とクリミアの領事の娘グラヴァーニ嬢」(1740年、J・E・リオタール・スイスの画家)
  西洋のトルコ趣味を代表する作品。楽器や衣装の精緻な描き方は見事です。
② 「煙草入れ」(1738年、G・ガロワ。金銀細工師・仏)
  トルコ人の「西洋趣味」を示す豪華な煙草入れ。エナメルと金の装飾にダイヤモンドをふんだんに使った作品。 

第五章 地中海紀行― (1750-1850年)
 18世紀の西欧では、ポンペイの遺跡の発掘によるイタリアブームがおき、南国や東方への旅行ブームが起こった。憧れの地に立った芸術家たちは西欧にはないエキゾチズムや古代ローマ帝国の壮大な建築物の風景を幻想風に描いた。

DSC_9986トロイの王子パリス
① 「トロイの王子パリス」(130年、ティヴォリ、伊)
 ハドリアヌス帝の別荘から発見。古代ギリシア彫刻の、ローマ時代の模刻の名品。パリスはギリシア神話のトロイアの王子。絶妙なバランスの身体、若々しい男性の若者を表現している。若鮎のような精緻な男性の肉体の健全さ。

② 「バルコニーのアルジェのユダヤ女性たち」(1849年、T・シャセリオー)
 仏のオリエンタリズム代表の画家。1840年代にアルジェやモロッコを旅し、
エキゾチックな絵を描いた画家。



  1. 2013/09/18(水) 21:39:02|
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『2013年映画』 「陸軍登戸研究所」(監督、楠山忠之。日本映画学校9/14

『陸軍登戸研究所』(監督、楠山忠之。原案、日本映画学校「人間研究」9/14
世の中にはこういうヤバくて恐い話がある。戦争とか政治での暗黒面のスパイ、テロ、細菌・毒ガス、などの余り論じたくないことだ。しかし、ベトナム戦争における米軍の枯葉剤、オームのサリン事件、最近ではシリアの化学兵器が問題になっていること、きわめて現代的な問題なのだ。
第一次世界大戦で、それまでの武力戦だけの戦争の概念を変えた。飛行機、戦車、機関銃、さらにパンドラの箱を開けた「毒ガス」兵器の使用。20世紀の戦争は総力戦となり無差別大量殺戮の時代になった。

第一次大戦後、日本でも「毒ガス」の研究に入り、1930年代には陸軍参謀本部の中に、殺人光線、毒物や爆薬の開発、風船爆弾、偽札製造などを研究開発する機関が出来た。「登戸研究所」と呼ばれた。敗戦時には所員が千名に及んだ。
(別に陸軍中野学校(スパイ・ゲリラ)。731部隊(関東軍の細菌部隊)があり、登戸との関連があるが、小生詳しく知らず、ここでは触れない。)
登戸

戦前は「登戸研究所」は「極秘」扱いで憲兵の監視の目が厳しく、敗戦と同時に破棄・証拠隠滅、また一部の秘密部門は米軍による課ごとの接収、米軍基地内・米本土の基地に消えていったそうだ。
「登戸」を知る者も、戦後貝になって口を閉ざし生存者も少なく年々亡くなっていった。

「登戸」の研究は高校の平和ゼミナールなどの取り組み(1991)、関係者=伴繁雄「陸軍登戸研究所の真実」(芙蓉書房出版01年)などの著作はあったが、数少ない。2,000年代に入るまでの研究状況はわからない。それだけ「超極秘」事項だったのか?資料・証言が無くて研究が進まなかったか?

2000年代に入って、「登戸」を歴史の闇に葬ってはならないと、日本映画学校の「人間研究」の授業で、数少ない生存者の聞き書きを始った。これは大変な作業だった。生存者は少なくなってゆくし、秘密は地獄まで持ってゆく人が多かった。それでも2006年から40数名の関係者の重い口から証言を拾った。

「陸軍中野学校」は市川雷蔵主演(私は雷蔵ファン)の映画で見たことはあったが、この「登戸」は知らなかった。映画を見て「映画・小説」のような話が現実にあったか、と! ちょっと驚いた。戦争には表面のドンパチだけではなくて、裏面の「怖くヤバイ部分」が本当にあるのかとゾーとした。スパイ映画を見ているような緊張感を持った。

映画は証言が取れた中から次の2つを中心に構成されている。
① 風船爆弾
  風船気球に爆弾を吊るして飛ばして、ジェット気流に乗せて地球の反対側の米本土を爆撃するという発想。和紙とこんにゃく糊で作った。風船気球の製造に従事した作業員は2850人、動員された女学校の女子生徒が主な担い手。1025個造っている。 女学生たちは2交代12時間労働をさせるために、ビタミン剤と言って覚せい剤を飲まされたという話が伝わっている。
* 一説に9000個放たれ361個アメリカ・カナダに到着したという説もあり。
風船爆弾による米国での被害はオレゴン州の牧師一家と子どもを入れて6人が死亡している。
米軍は初めどこから来たのかわからずショックだった。米国本土で敵によって初めての被害者だった。米軍が恐れたのは「生物兵器」や「毒ガス」の攻撃だった。米軍に心理的なショックを与えた。
  日本軍が生物兵器を使わなかったのは何故か?使えなかったのか?

② 偽札作り、偽造パスポート、偽証明書。
「本物の偽札か偽札の本物か」と言われているくらい登戸の「偽札」は精巧に出来ていたという。5円、10円札を45億円分も製造し、その三分の一が実際中国で使われた。
* なぜ精巧な偽札が作れたかは、中国(蒋介石政府)から印刷機を盗んできたとの証言があるがどうだろうか? 技術が優れていたのか?
 偽札の実際の使用に当たっては中国の秘密結社・ギャングが仲介していた。ギャングは日本のギャング(松機関)と密接な関係があった?闇の機関の仲介なしには事は進まないらしい。映画の世界みたいだ。
 
 偽札、偽造パスポート、などスパイ小説の世界かと思わせるが、現地の物資調達、現地経済のかく乱、現地駐屯軍や傀儡政権軍(汪兆銘政権)の給与にも使われた。日本軍の補給・現地調達・略奪とまだまだ話は広がり、この話はいろいろな問題に広がってゆく。
 こうなると、中国を舞台に幾つもの魔物が暗闘していたことになる。恐い話だ。

登戸研究所は日本の敗戦と同時に消滅したが、戦後紛争・戦争が起こると化学兵器の使用の可能性がいわれる。現に今シリアで問題になっている。従って登戸問題は現代性を持った危険な問題だと思う。
  1. 2013/09/14(土) 22:33:32|
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2013年『映画』「夏の終わり」(原作、瀬戸内寂聴。監督熊切和嘉。主演、満島ひかり。9.11

「夏の終わり」(原作、瀬戸内寂聴。監督、熊切和嘉。出演、満島ひかり。 9.11
                             小林薫。綾野剛

瀬戸内寂聴原作の「夏の終わり」は瀬戸内の体験に依拠した作品。1963年、「女流文学賞」を受賞。50年後の平成の今日映画化された。
DSC_9821夏の終わり.パンフ年上の妻子持ちの男性と年下の男との間で揺れ動く女の心理が主題。

妻子持ちの売れない年上の作家(慎吾=小林薫)と同棲している知子(満島ひかり)。慎吾は鎌倉に家庭があり東京の知子のところへ週何回か通ってくる。鎌倉の妻は黙認している。こういう関係になって8年が経った。

染色作家の彼女は過去に結婚し子どもがありながら、年下の男(涼太=綾野剛)を熱愛の後駆け落ちして結婚生活を破綻させた過去を持つ。その涼太との関係が又、復活した。三角関係での彼女の行動と揺れ動く心理が主題。
年上の慎吾に対する思慕と癒しと多少の苛立ちの入り交じった感情。
年下の涼太への情熱と欲望。

優柔不断でだらしなくて、情けなくてズルイ男。しかし、なぜか女にもてる。小林薫の独壇場だ! 昔見た映画・「浮雲」の森雅之を思い出す。
細野剛はなぜか役柄がはっきりしなく存在感が薄い。彼のパーソナリティが「静」で若者の情熱の表現に適さないからか?
満島ひかりは? 二人の男の間で揺れ動く女というと、ドロドロした官能性や欲望にギラギラした女をイメージしてしまう。原作もどちらかというとそのイメージに近い。映画で「ひかりちゃん」は若く美しく透明性のある女として演じている。古い昭和の町並みに現代の平成の女が生きているようだ。
夏の終わり.3人シナリオで時間の自由な組み合わせにより、現在・過去が入り組んでいる。終幕に出てくる小田原駅前のシーンは、時間の流れではドラマのラストではない。
美術がいい。美しいシーンがいくつかあった。

結局、シナリオ・演出のミス・マッチ。主人公知子の「人物像」がほりさげられていない。主人公は慎吾に何を求めているのか、若い涼太には何を?
知子が何を求めどう生きているかがはっきりしない。彼女の心の中は男でいっぱいなのか?性的欲望に突き動かされる女を描こうとしたのか?それにしては、満島が透明すぎる。50年の落差が問題になってしまうのか?

満島ひかりは、シングルマザーを描いたテレビドラマ「WOMAN」で好演している。その延長線で映画を見たようなものだ。

もっと満島の底知れぬ魅力を引き出した映画が欲しい。

  1. 2013/09/11(水) 21:15:45|
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2013年『映画』 「最愛の大地」(米映画。アンジェリーナ・ジョリー監督)8.14 9/8記

『最愛の大地』(米映画。アンジェリーナ・ジョリー監督。)8014. 9/8記
        アイラ=ザーナ・マリアノビッチ。ダニエル=ゴラン・コスティック。

旧ユーゴ内戦は戦後ヨーロッパで大量難民・大量虐殺を出した戦争として記憶に新しい。人々は痛ましい傷として振り返る。

最愛の大地パンフ

1,940年代のナチス=その象徴としてのアウシュヴィッツ。1990年代の旧ユーゴ内戦例えばボスニア内戦。私は現代史の裏面に追い被さる暗黒の妖怪として、
まず見てみょうと旅に出かけた。2006年と2008年の2つの旅行であった。そこから現代ヨーロッパを考えてみたいと思ったのであった。

米女優アンジェリーナ・ジョリーの監督第一作である。メッセージ性の強い作品となった。
1990年代のボスニア内戦が舞台。敵同士となった恋人たちの悲劇がテーマ。
セルビア系ボスニア軍はムスリム人を攻撃し、男は殺害し女性を捕虜にする。女性は性的暴力の対象、銃撃戦においてムスリム攻撃の時、捕虜のムスリム女性を人間の楯として使う、という残虐性。
DSC_9439最愛の大地アンジェリーナ

戦争の前、ムスリム人のアイラとセルビア人のダニエルは愛し合っていた。ボスニア・ヘルツゴビナの紛争が2人の仲を引き裂く。
ダニエルは父がセルビアの軍司令官で本人も隊長として戦線の第一線に立ってムスリム人を攻撃していた。ムスリムの恋人アイラがセルビア軍の捕虜になる。
アイラの身を心配したダニエルはアイラに画家として肖像画を書かせ身近に置いた。一時的にアイラの身は安全となったが、戦況がますます厳しいものとなってゆく。

映画は戦争において、男が女性を性的暴行の対象として凌駕したり、又戦闘において楯として女性を使う等、女性を道具として扱う残酷な問題が告発されている。戦争が暴力が支配する情況なので女性差別が極限まで達する。
アンジェリーナらしいアクションの強い告発物である。

但し、後半の展開に疑問が出てくる。敵地から脱出したアイラがムスリム軍の戦士として戦うところだ。それまでやられっ放しのムスリム軍が反撃に出る。攻撃に復讐の繰り返し、報復の連鎖が続く。旧ユーゴの内戦全体が攻撃―報復―又報復のドロ沼の連鎖だったが、なぜかすっきりしない結末になったと感じがした。むしろ、その復讐劇の連鎖を断ち切る方策の可能性を示すことが映画の使命ではなかったか。

2008年の「旧ユーゴ旅行」の時思ったこと。

橋④<ボスニアの古都・モスタル。スタリ・モスト(古い橋)内戦時爆破された>
* 数百年にわたって異なる民族・宗教の違いがあっても守ってきた人間の絆も橋と共に93年の内戦で砕かれた。橋の両岸に分かれて殺し合った。オリエンタルな美しい街も橋も破壊された。15年たった当時でも戦禍は残っていた。
モスタル④<ネレトヴァ川が滔々と流れるオリエンタルなモスタルの町>

「ユーゴ内戦」は考えるだけでも、問題のおぞましさに僻易する。しかし現代の問題として避けられない。

旧ユーゴスラビアの内戦は、ナチスのユダヤ人絶滅作戦以来、戦後ヨーロッパで起きた最大のジェノサイド(特定の集団の抹殺)だった。それまで1つの町で異なった民族が共存していたのが、内戦になると互いに殺し合い果ては大量虐殺という信じられない惨事が起きてくる。
内戦の痕<今も残る弾劾の痕>(若く美しいガイドさん、幼くよくわからなかったが、恐かったという。)

旧ユーゴス・ラヴィアはセルビア、クロアチア、ムスリムの3民族7ヵ国で構成され、ボスニアはその3つの民族で作られた国である。ユーゴという統一された社会主義の連邦の崩壊は、悲劇的なボスニア内戦を生み出した。
残虐行為はセルビア人もクロアチア人もボスニア人(ムスリム)も皆やった。(個々の大量虐殺・残虐行為の当事者は弾劾されるべき。)

旧ユーゴ内戦のおぞましさは「民族浄化」という方法の惨事である。女性に対する戦時性暴力は男性のむきだしの性暴行に止まらず、敵対する民族の絶滅のために、成人男子を全員殺すこと(敵対民族の種を絶滅する)、女性を強姦して子どもを産ませ(敵対民族の純血を減らす)敵対民族の絶滅という目的。
強姦が(被害者の妻は家族の元に帰れない)敵対民族の男性の誇りを傷つけ、戦意を喪失させることが目的。

ボスニアは旧ユーゴの中で最も複雑な民族構成、イスラム45%セルビア30%
クロアチア20%です。内戦が始まると各民族が互いに村=土地=勢力範囲の取り合いが始まる。

ツアー旅行で感じたことは、(観光旅行のレベルで浅薄だが)未だに悪いのは自分の民族ではない、相手が悪いと思っていること。迫害・虐殺の記憶が残っていること。「ウスタシャ」(クロアチア民族主義)「チェトニク」(セルビア民族主義)という第2次大戦時の蛮行の記憶が残っていること。相手に対する憎悪感から開放されない限り、過去の悪しき記憶は消えず復活の幻影におびえることになる。もし再び蛮行に手を染める場合、その「記憶」が何らかの影響を与える。

世界は本当に解放されていないんだと強く感じた。

93年を忘れるな2004年、修復された記念に「93年を忘れるな」という石碑がたてられた。
93年の悲惨な戦争の教訓を忘れるな!と全世界に向けて発信している。
  1. 2013/09/08(日) 11:40:33|
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2013年『映画』「楽園からの旅人」(伊映画。エルマンノ・オルミ監督)岩波ホール9.5

『楽園からの旅人』(伊映画。「木靴の樹」のエルマンノ・オルミ監督)岩波ホール9.5

前作「ポー川のひかり」(06)で最後の劇映画作品と語って沈黙を守っていたイタリアの巨匠エルマンノ・オルミ監督は、5年後の2011年に「楽園からの旅人」を発表した。世界が混迷を深める中でのオルミ監督のメッセージである。

楽園からの旅人

演劇の舞台を見ているようだ。取り壊される寸前の古い教会の中で総てが進行する。登場するアフリカの難民たちも、気高く崇高な民であるかのようだ。

イタリアのある町の小さな教会が取り壊されようとしている。半世紀の間、人々が集ってきたがその役割を終えたとされた。老司祭が抵抗するが解体作業は進んでゆく。
キリストの十字架像が高い祭壇の上からロープで吊り降ろされるシーンは何処かで見たシーンを思い出させた。フェリーニの「甘い生活」の冒頭シーン=大きなキリスト像がヘリコプターで吊るされローマの街の上空を運ぶというシーンだ。これらは何を意味するか?キリスト教の凋落?

十字架像の降下と同時に鐘が高らかに鳴り響く。管理人があわてて電源を切って音を止める。(電動仕掛けの鐘だったのだ!そのこと自体も違和感を覚える)
教会はキリストの十字架像をはじめ、教会たらしめているものが一切剥がされて廃屋となった。悲嘆にくれた老司祭は教会の現状を、司祭としての「信仰」の問題として考え悩んでいる。人々の心の中での信仰・宗教の役割など。

夜が更けて、十数人の黒人が忍び込んで来て、黙って段ボールの寝床をつくる。アフリカから海を渡ってきた不法難民だという。中には過激派のテロリストもいるらしい。ロウソクの束でお湯を沸かし、妊娠している女性のお産を行ってしまう。

管理者や保安隊が来て、不法難民だから退去させようとするが、老司祭が命懸けでかばう。老司祭には次の言葉がある。
「教会は信者にも不信者にも開かれている」
「愛の業をなすのが危険なら、その時こそ愛の業をなすことだ」
「善いことを行うのに、信仰は必要ない」

監督エルマンノ・オルミは「不法難民」の概念を一歩超えたように思う。そして、教会・信仰の概念も創世記の原点に戻ったのではないか?
半世紀に渡って人々が信仰のため集い・祈ってきた教会も今では誰も来なくなって廃止となった。教会はみんなのためにある。アフリカから苦難の旅をしてきた彼らがここを使いたいというなら、教会は真に使いたい人のためにある。
この人たちこそ教会を蘇らせる使命がある。

難民というと、貧しく憐れな人というイメージが一般的。オルミ監督は気高く崇高な使命をもっている人というイメージを作りあげている。

キリスト教のことはわからないが、聖書の創世記の世界にオルミ監督は依拠して思想を展開しているのではないか?
創世記では古代イスラエルの族長アブラハムから総てがはじまった。そこからユダヤ、キリスト、イスラムの各宗教が派生する。
神は他の神と競わない。(キリストとイスラムの争いへの批判)
キリスト教とイスラム教との真の和解を、と言っているのではないか。

教会で生まれた幼児に「神の御子」の誕生を見、老司祭はかつて祭壇のあったところの小さな十字架像に祈り聖歌を歌う。

楽園を求めてこの世を彷徨う「難民」たちは、2日間教会に留まり法の番人に追われて、又さすらいの旅に立つ。

ここを出て行って、どこへ辿りつくのか?
我々はどこから来て、どこへ行くのか?
  1. 2013/09/05(木) 11:51:20|
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2013年『映画』 テレビ「ヒトラー・チルドレイン」8.22 9/2記

「ヒトラー・チルドレイン」 ~ナチスの罪を背負って~ 8/22 9/2記 
               イスラエル・ドイツ制作 2,011年

題名

ナチスの大幹部の子孫は戦後どう生きたか?子孫は関係ないとされたか?それとも、、、
BSのテレビで8月22日深夜「ヒトラー・チルドレイン」(ナチスの罪を背負って)というテレビをやっていた。深く考えさせられた。内容を復元してみる。

① ベッティーナ・ゲーリング
ゲーリング元帥
ヒトラーの後継者とされたゲーリング元帥の兄弟の孫ベッティーナは(ゲーリングが大叔父)元帥の実の娘より似ていた。彼女は「彼の残虐性を受け継いでいるかもしれない、ゲーリング家の子孫を増やしてはいけない、と苦悩の末、血筋を断絶したいと兄と私は不妊治療を受けた。」
べッティーナ・ゲーリング

② カトリン・ヒムラー
ヒムラーの兄弟の孫の娘カトリンは「親族にああいう人がいることは大きな重荷です」家ではヒムラーのことはタブーだったが、罪悪感を綴った本を出し、今はユダヤ人と結婚している。
ヒムラー
* ヒムラーはユダヤ人強制収容所を造り数百万人を殺した。
カトリン・ヒムラー
カトリンの悩み
「ナチの戦争犯罪人の子どもたちは、殆どが自分の人生を生きるためにバランスをとるのに苦しんでいる。親との義絶か無条件の忠誠かを選択しなければならない。」

③ ライネル・ヘス
<ルドルフ・ヘスの孫 ライネル・ヘス> 
DSC_9554へスの孫
ルドルフ・ヘス
アウシュヴィッツ収容所所長ヘスの孫ライネル、父が収容所内の邸宅で育った。初めてアウシュヴィッツを訪れ、邸宅の壁ひとつ隔ててガス室があったことを知りショックを受ける。アウシュヴィッ内でイスラエルから訪れていた学生たちから厳しい質問を浴びせられる。
アウシュヴィッツの学生たち
DSC_9582ホロコーストと出会う
ホロコーストの証言
DSC_9584抱き合う2人
その場面にいたホロコーストの生存者ツヴィカさんが、ライネルに握手を求め「私はここにいたんだよ。君たちはそこにいたわけではない。きみたちがやったわけではない」とハグをする。

④ 二クラス・フランク
ハンス・フランク二クラスの父、ハンス・クランクはヒトラーの腹心で占領したポーランド総督、ゲットと強制収容所を管轄した。ニュルンベルク裁判で有罪、処刑された。
二クラス・フランク<ハンス・フランクの息子ニクラス・フランク>
息子の二クラスは父の評伝を書き、父がポーランドでやった行為を赤裸々に描いて話題になった。
「たとえ自分の親でも、ああいうことは非難しなければならない。」
「私はあなた方を誰1人として信用してはいない。経済状況が悪化したら、又あの当時と同じような考えを持ち、強い指導者に従い、少数民族を排除し投獄するかも知れない。強制収用所は作られなくても、あちらこちらで殺人が起こるでしょう。そうやってドイツ人の雇用を守ろうとするのです。」
彼は要請があればどこへでも出かけて行き、ナチの犯罪の糾弾の公演を行っている。
DSC_9573姉の自殺「姉は父さんより長生きしたくない、と言っていました。父の処刑は46歳。姉はもっと生きられるのに46歳で自殺してしまった。

ヘスの孫のライネルは「この罪の意識を背負って苦しむために私の人生はある。祖父がしなかったことを私がやる。償いではなく、祖父がすべきことを私がやるということ」

⑤ ジャーナリスト=エルダド・ベック
エルダド・ベック(ジャーナリスト。ホロコースト生存者の孫)

ジャナーリストの総括1
ヘスの孫ライネルとコンタクトを取り、彼をアウシュヴィッツへ案内する。
彼は言う。(このドキュメンタリーのまとめになっている。)
総括 4
「ホロコーストは、戦後の和解のプロセスを、寛容にも受け入れたのです。
ホロコーストは想像を絶するほど恐ろしく今日でも私たち一人一人を脅かしているという事実があります。私たちはみんなこの物語にハッピーエンドを見つけたいのです。つながりを見出そうとしました。そうすることでこの先の人生を生きてゆけるのです。
彼らは(アウシュヴィッツにきたイスラエルの学生たち)ライネルに会ってハッピーエンドでした。しかし、これは数少ない例です。ホロコーストに終わりはないのです。」


戦後のドイツはナチスの戦争犯罪の補償に誠意を尽くしたたと聞く。今も続いている。

ナチスの有名な幹部の子孫の戦後の生き方を見て、(ここに登場したのはきわめて人間的に優れた人たちであろう。)ヨーロッパ社会の厳しい現実を見た。また、ファシズムの恐ろしさを再認識した。再びファシズムを許さないという強い意志を感じた。
翻って、日本はどうだろうか、、、?
暗い気持ちになってしまった。



  1. 2013/09/02(月) 11:00:32|
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