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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『日記』「<旅のチカラ>あの歌が生まれた瞬間を探して」(加藤登紀子)06.29

『日記』「<旅のチカラ>あの歌が生まれた瞬間を探して」(加藤登紀子) 06.29

歌とは「今日は帰れない」です。加藤さんを知らなければわからないと思います。「一人寝の子守唄」は比較的有名ですが、この歌は?

「今日は帰れない」は、1,940年代ポーランド「ワルシャワ蜂起」の時に作られた、作者不明の反戦歌です。加藤さんは80年代頃からこの歌を人伝に聞いて歌ってきた。歌の背景を知りたいと、ポーランドへの旅に出た。
DSC_8749ワルシャワを歩く加藤

第2次大戦のポーランドは、西からナチス・ドイツ・東からソ連と挟み撃ちに合った。1944年、ドイツ軍のソ連戦線からの撤退を見て、ソ連軍の呼びかけに応じてポーランド国内軍・ワルシャワ市民が一斉に蜂起した。その時、蜂起のパルチザンの中から「今日は帰れない」は生まれた。
パルチザンの兵士①

「ワルシャワ蜂起」僕は学生時代にアンジェイ・ワイダ監督の映画「地下水道」「灰とダイヤモンド」で知ったがよく分からなかった。当時日本の誰が知っていただろうか?
女も子供も

ナチの猛攻から地下水道を逃げていった先にヴィスダ河、対岸にソ連の軍艦が待機している。パルチザンたちの呆然とした表情!蜂起の首脳が民族主義者だったゆえの見殺しか?思い通りの政権を望むソ連の思惑。戦後のヨーロッパ地図の中での主導権争いが始まっていた。いや、「カチンの森事件」(ワイダ監督の父も犠牲者)のようにポーランド軍何万の将校の抹殺さえも・・・
焦土化

ワルシャワ蜂起は圧倒的な重火器・戦車・火炎放射器でドイツ軍の懲罰的な攻撃で、市民22万人が戦死・処刑され、ワルシャワは焦土と化した。
DSC_8643ワルシャワで歌う

加藤登紀子は戦後市民の手で復元された、ワルシャワの旧市街で「明日は帰れない」を歌う。多くの老人たちが知っており、泣いて歌ってくれた老人もいた。歌がワルシャワから15km離れた「ルブリン」のパルチザン<ネルヴァ部隊>のものだと言うことがわかる。当時最年少の「ヤン・ブシェヴィッチ」さん(86歳)が健在なので訪ねて行く。
ヒットラーの切手

1943年、父が連行され「マイダネク絶滅収容所」に入れられた。父から届いた荷物の受け取り書(ヒットラーの切手が張ってある)にメリー・クリスマスと書かれてあった。それを父の遺言(立ち上がれ!)だと思って17歳の彼はパルチザンに身を投じた、という。ヤン・ブシェヴィッチさんの歌。

「今日は帰れない」

今日は君のところには行けない
すぐに夜の闇の中を行かなくちゃ
窓から僕を見ないで その眼差しは霧の中に沈む

愛する人よ 僕が森へ寝に行くのを知ってどうするの
これ以上ここに居られないんだ 森の仲間が待っているから
これ以上ここに居られないんだ 森の仲間が待っているから

もし春までに僕が帰らなければ
僕の兄弟が畑に種を蒔くよ
僕の骨に苔が生え 広い土地を肥やす

或る朝 畑に出て麦の穂に手を添え
恋人のようにキスをしておくれ
僕は麦の穂の中で生きるだろう

戦いの中、森や畑で歌った。歌いながら家族や恋人を思った。(パルチザンを鼓舞する歌から哀愁を帯びた心に響く歌に変わっていった)
加藤登紀子の「ひとり寝の子守唄」(1969年)が画面に流れる。
マイダネク

ヤンさんに連れられて「マイダネ絶滅収容所」を訪れる。

歌の作者がわかる。スタニスラス・マギエルスキ。
マギエルスキ

その息子ヤンさん(77歳)に会う。
薬問屋をやっていてパルチザンの援助をしていた。ピアノはプロ並みで繊細な詩人のような人。友人の息子に頼まれて1943年12月に創った。」作曲している父は芸術家みたいだった。
DSC_8796庶民の生活
DSC_8798市民の日常

父は愛用のドイツ製のカメラで写真を撮った。当時の市民の何気ない日常生活を撮った。その写真の中に「強制収容所」の解放直後の写真があった。ナチス残虐性の証拠写真となった。
DSC_8814マキエルスキの仲間

ソ連寄りの政権に変わった時、父は投獄。パルチザンの仲間も投獄。パルチザンは弾圧の対象であった。2年後帰って来た時ピアノやカメラから何も生み出せない人になっていた。

加藤登紀子は日本への帰国の途中、パリである人と再会する。アンナ・プルクナルさん、24年ぶりの再会。1974年ポーランド民主化を訴えて国外追放・亡命先のパリで「今日は帰れない」を歌った歌手である。アンナさんからこの歌を教わったのだった。アンナさんは作者を知らない。
2人の24年振りの会話。
「あの歌を歌うと涙が止まらなくなっちゃう、歌詞は忘れてもうめちゃくちゃ」
「どの国でも市民が立ち上がる時、そこから美しい歌が生まれる。弾圧に対する反発のようなもの」
アンナと登紀子

加藤登紀子は
「深いところであの歌に出会えたように思う。歌には<あの日、あの夜>があるのだと思う。」

* 「旅のチカラ」は好きな番組で時々見る。今回の「今日は帰れない」はワルシャワ蜂起・戦中戦後ポーランド  史が舞台なので身を乗り出して見ていた。この歌の背景、どう歌われたか、誰が作ったか、パルチザンの関係  者に会って話しを聞く、それらがうまく実現していったので面白かった。

* 映像に写った老人たちは涙をためて聞いたり歌っていた。この歌はポーランドの、ワルシャワの戦中・戦後に  かけて忘れられない歌なのだ、ということがよく解った。聞けば聞くほど胸に染み込んでくる歌だ。歌手が歌  うより、街中の老人がそれぞれの思いを込めて歌ったのがジーンときた。 
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  1. 2013/06/29(土) 15:55:43|
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美術の検証 「ブリューゲルの絵」 06.24

美術の検証 「ブリューゲルの絵」06.24

プラド美術館でボスに驚き深い衝撃を受けたことは前に触れた。続いて、多くのイタリア、フランドルの傑作があるのに驚嘆した。それが本家本元のスペイン美術の巨匠ーゴヤやベラスケスは云うまでもないーたちの傑作が揃っていての話だから「ウーン」と唸ってしまう。
ただ、後で分かったことは、当時フランドルがスペインの領地で、総督が置かれ密接の関係だったことは想像できる。カトリックのスペイン王とフランドルのプロテスタントとの衝突、カトリックの「異端審問」による弾圧など過酷な植民地支配の歴史があった。(今はそのことに触れない)

ボスと共に見たのがブリューゲルの「死の勝利」であった。

ブリューゲルと言えば、ヨーロッパの農村の田園風景や農民や子供たちを描いた作品だと思っていた。牧歌的な雰囲気さえ期待した。農村や農民の生活実態に密着したー他に無い稀有な画家だと思っていた。
(「狩人の帰還」)
狩人の帰還
(「子供の遊び」)
IMG_0006子供の遊び

ところが「死の勝利」(1562年頃)は骸骨(ガイコツ)の軍隊が人間を襲う。海沿いの荒涼たる海岸での戦場場面.骸骨の軍隊が人間を片っ端から捕まえ殺戮している場面の羅列だ。ボス的な絵にショックを受けたが、ブリューゲルは何故こんな絵を描いたのだろうか?
死の勝利

ヨーロッパ農村の、農民の生活実態・牧歌的な雰囲気?
この認識が何と甘いか、思い知らされることになる。そんな甘い解釈ではこの絵が理解できない。ブリューゲルは何故この絵を描いたか?ブリューゲル像を根底から問い直さねばならない。人間の終末・骸骨による人類の滅亡を描くことで、ブリューゲルは一体何を訴えているか?
(未完)



  1. 2013/06/24(月) 17:53:43|
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2013年『映画』 「嘆きのピエタ」2013.06.18ヴェネチア国際映画祭グランプリ

2013年『映画』 「嘆きのピエタ」 2013.06.18 ヴェネチア国際映画祭グランプリ

 監督、キム・ギドク。主演、イ・ジョンジン。チョ・ミンス。

IMG_0002嘆きのピエタ

(若干、改稿しました。6/22)

天蓋孤独の孤児で親の顔を知らずに生きてきた主人公ガンド(イ・ジョンソ
ン)は、血も涙もない高利貸しの取立て屋だった。
遠くに聳える高層の近代的なビルの下、小さな町工場がひしめくソウルの下
町の寂れた一角が舞台。昔は近代産業の発展を支えたこの町も今では時代から
取り残された風景が広がる。切り裂くような機械の音、借金に追われるの町
工場の家族たち。主人公ガンドは高利で金を貸し、重傷を負わせ国からの保
険金で借金を返済させるという冷酷無残なな取り立て。債務者家族の恨みの
的になっていた。凶暴な「暴力」しか表現方法がないのか?

或る日、ガンドの前に母親と名乗る女(チョ・ミンス)が現れ、母としての許しを
請う。何度も追い払うが、女は執拗に彼から離れない。ガンドの凶暴性の奥に、
母性を求める少年のようなイノセント(純真な)があったのだろうか?ガンドは
徐徐に母親を受け入れてゆく。母親と名乗る女は一体、誰なのか?

母親を受け入れることでガンドの心の変化、母親と名乗る謎の女の献身的な行為と
彼女の心の中ではどういう葛藤があったか、謎である?、映画はガンドの母性への
思慕、彼女の謎の心の中、といったドラマが展開してゆく。ある日、突然母親と
名乗る女は姿を消す。探し求めるガンド、息詰まるようなサスペンスな展開。

ピエタ像

キム監督はこの映画をローマ・ヴァチカンの「ピエタ像」から発想したそうだ。
子が殺された時の母親の嘆き苦しみ、母親の子への愛と、慈悲の心がテーマ。
映画は一方のテーマである復讐劇を超えて、ガンドにさえ母性の慈悲をそそぐか?、
「愛と贖罪」のドラマに成り得るか?

最後のパンソリの唄(詳しくは知りません)は心に染み渡ってよかった。

キム・キドク(1960年~韓国出身の映画監督・脚本家・プロデューサー。
 17歳で工場で働き、20歳で海兵隊に志願。5年間軍隊生活。
 96年、「鰐ーワニ」で監督デビュー。2000年、「魚と練る女」01年、「受取人不明」
 02年、「悪い男」はヒット。同年、「コースト・ガード」
 03年、「春夏秋冬そして春」韓国最高の賞を取る。
 04年、「サマリア」でベルリン銀熊賞。「うつせみ」でヴェネチア銀獅子賞。
 11年、「アリラン」でカンヌ「ある視点賞」
 12年、「嘆きのピエタ」でヴェネチアグランプリに輝く。

* キム・キドクの作品は他を見ていない。
 韓国の映画・ドラマは脚本がしっかりしていて、起床転結も目を配り面白い。特に優れ
 ていると思うのは、作品の中で見る者の心を鷲掴みにする場面・展開があることだ。
 これは凄いことだ。映画学校でそのコツをしっかり学んでいるに違いない。
 「嘆きのピエタ」では、復讐劇より魂の救済劇にもっと絞ってよかったと思う。
最近発見した私の「ピエタ像」(「十字架降下」ロヒール・ファン・デル・ウェイデン。プラド美術館。
 DSC_8095十字架降下
 キリストを十字架から降ろした時の聖母マリア。嘆きの悲しみで体が崩れてしまった。マリアの青の衣装が鮮烈である。悲しみの絵画表現としての完成度が深い。
  1. 2013/06/18(火) 18:02:53|
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2013年『映画』「そしてAKIKOは・・・あるダンサーの肖像」(監督羽田澄子)

2013年『映画』「そしてAKIKOは・・・あるダンサーの肖像」(監督羽田澄子)2013.06.14

初めに2013年2月14日逝去された「高野悦子」さんの銘に服します。
高野悦子さんの「岩波ホール」抜きに、わが映画史は語れません。有難うございました。

DSC_8579高野悦子

映画「そしてSKIKOは・・・あるダンサーの肖像」2013.06.14
DSC_8590ポスター

前作「AKIKO-あるダンサーの肖像」(85年監督羽田澄子)を見ていない。
モダンダンスに興味を持ったのが90年代にはいってから、ピナ・バウシュの舞台を1993年から、
アキコの師マーサ・グラハムの舞台は1995年に新宿文化センターに見にいった。
(M/グラハム生誕100年来日公演 1995年)
IMG_0004グラハム3
(来日公演・「エル・ぺ二テンテ」より)
IMG_0001舞踊団 2

ピナは2009年の彼女の突然の死まで来日公演の度に付き合うことになる。
なぜ、それほどピナ・バウシュに付き合ったかは、(コンテンポラリーダンスに)以前ピナの映画のところで触れた。簡単に言えば演劇的なもの・舞台表現の究極の姿・根源を求めて、ピナの舞台表現にその探求があったから、というべきか?

80年代はモダンダンスに関心が及ばなかった。自分の中で変わっていったのは90年代に入ってからである。

羽田監督の映画も前作85年の作品と現作品とが当然ダブっている。前作はアキコ全盛の時代。現作品は結果的に死に至る・・・
DSC_8583アキコ 踊る2
師マーサ・グラハムの教え
「手や足は肩や付け根から出ていると考えるのは舞踊的ではない。手や足は人体の中心から出ている。体の中心からすべてがつながっている、そういう手や足の動きにー舞踊的な身体ーならなければならない。」
アキコ・カンダはここから独自のメソードを作り上げた。
DSC_8576アキコ・カンダ肖像

<アキコ・カンダの作品>
「フオーシーズン」(69)「智恵子抄」(71)「コンシェエルジュリ」(74)
「万葉の女」(76、共演、観世栄夫)「小町」(78、共演、米倉斉加年)
「ブルタースの妻」(81)「妖かし」(82)「マグダラのマリア」(84)
「ピアソラを超えて」(86)「黒い太陽」(96)「哀より愛へ」(98)「マーサへ」(02)
* アキコの舞台で使われた音楽はポピュラーの名曲であった。

いつまでもあの頃とは違う。前作の充満した肉体と現状は歴然たる状態。
DSC_8589踊る3
監督の羽田はアキコに問う。
 「誰にも訪れる(肉体の老化)状態に、今後の表現の課題は?」
アキコ
 「舞台に立ったら、総てはアキコのためにある、という状態で踊りたい。自分の中からホ
  トバシル舞台でありたい。だけど、肉体の老化現象は避けて通れない。、、、自分の
  ラインってある。アキコが考えているイメージを通して踊れたらいい。ラインにならな
  かったら、辞めなければならない。4ヶ月も入院していて生きているって凄いこと!」
  感謝しなければならないと思った。

アキコは肺癌が見つかり、入院ー退院を繰り返していた。しかも内密に。
9月に公演を予定してカンパニーも舞台稽古に入った。アキコは新作の創作に入る。
7月再入院、気管支にガンが転移。病室でもアキコは稽古。唇を噛んで大きなヘルペス
 が出来る。
8月退院したアキコを監督は訪ねている。9月公演の新作「生命のこだま」の稽古。
 屋久杉の古木で作った背の大きな椅子が目立っている。
9月公演プログラム
 「生命のこだま」(アキコ)
DSC_8593踊るアキコ

「木漏れ日の中で」(カンパニーの群舞)
群舞1
群舞2
 
「黒いワシ」 (アキコ)
公演には病院から劇場にタクシーで通った。タクシーから降りるフラフラのアキコ。おぼつかない足取りで劇場に入る。しかし、化粧をし、衣装を着ると別人のように変わる。
<本公演>
或る評論家の批評
「<生命のこだま>「虚空に身を委ねるがごとく、儚く(はかな)、しかも凄絶に踊った。」
         「あるがままの自分を受け入れつつ、生への飽くなき意志をほのみせる。」

本公演、舞台で踊るアキコ。満場の観客の拍手。何度ものカーテンコール。

公演・12日後にアキコはあの世に旅立った。

アキコは舞台で燃え尽きたままあの世に旅立った。彼女の言うラインを落とすことなく、
壮絶な舞台であり、人生であった。
  1. 2013/06/16(日) 12:04:55|
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美術/音楽/舞台「ルドン展」 2013..6.11

美術/音楽/舞台「ルドン展」 2013.06.11


ルドンといえば「目を閉じて」を思い出す。夢の中の幻想的世界がどのように展開しているか?想像するだけでも楽しい。
目を閉じて
(目を閉じて)1898~1890
 
新宿で「オディロン・ルドンー夢の起源ー」を見てきました。ルドンの生い立ちや生涯がわかりました。
DSC_8549ルドン展

「オディロン・ルドン」(1840~1616)19世紀~20世紀のフランスの画家。
  南仏のボルドーの裕福な家庭に生まれた。病弱のためか11歳まで里子に出された。
  病弱で孤独な内向的な幼少期を送る。親の希望の建築試験に不合格、美術を志望
  するも官制的な美術学校に合わず、不遇の青年時代を送る。
  普仏戦争に従軍、戦争の悲惨さを知見する。

ルドンの成長に寄与した、3人の人。
① ゴランという海洋画家からデッサンを習う。海洋画の世界を知る。
② クラヴォーという植物学者と知り合いになり、彼から動物と植物の境界線の生物の
  存在や顕微鏡下の世界を教わる。青年期のルドンの「黒の世界」はこの世界の探検。
③ ロドルフ・ブレスダンというさすらいの銅板画家に銅板を習う。怪奇的なイメージの世
  界を教わる。

生い立ちの幼少期の孤独さ、内向的で心の中の世界での夢の展開、「黒の世界」といわれているルドンの世界が深まってゆく。

リトグラフや木炭で、次の作品集を制作。
「夢のなかで」1879年。「エドガー・ポーに」1882年。「起源」1883年。「ゴヤ頌」1885年。「夜」1886年。「悪の華」1886年。「夢想・わが友アルマン・クラヴォーの思い出のために」1891年。
孤独な夢想の世界の構築を行っていた。
* ゴヤについてはゴヤがボルドーに亡命したこと、彼の「黒い絵」とも関連があってゴヤに思いを馳せた。

<ゴヤ頌「胚芽のごとき存在もあった」1885年>
胚芽のような
<蜘蛛 1887年、リトグラフ>
蜘蛛

1890年代に入って色彩の絵を発表、名声を得る。
「目を閉じて」1890年、
「キュプロクス」1898~1900年
ピリュス

「青い花瓶の花々」1904年
青い花瓶の花
「花」1905~10年
花 と花瓶
色彩のルドンは黒の時代と正反対の絢爛豪華?な色の祭典だ。晩年になって一気に開花したととるか、ネガティヴな「黒の時代」をよしとするか、どちらを選びますか?
  1. 2013/06/13(木) 10:38:17|
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美術の検証 「ヒエロニムス・ボス<悦楽の園>」 ②2013. 06.06

美術の検証「ヒエロニムス・ボス<悦楽の園>」 ② 2013.06.06

こういう作品は前代未門だ。後にも先にもない。ボスの後継者は聞いたことがない。現代のシュールや抽象の作品でもこういうものはない。
ボス論の定説も存在しないようだし、図像学上でも解明されないイメージが多いのではないか。
だけど、通説はある。「悦楽の園」では、神によって天国で安楽に暮らしていた人類は、堕落し性的悦楽に耽り地獄に陥る。7つの大罪の一つ「淫欲」を慎むべし、という警告の画。
しかし、絵からは「堕落した性的悦楽に耽った画」とはとても感じられない。肉感的な生々しいドロドロしたものとは無縁な、無機質な遊戯的な世界、神話的な太古の、人類が地球に姿を見せた当初の幼時的な、懐かしい世界さえイメージさせるのだ。
悦楽 真ん中

当時のキリスト教絶対の世界では異端的なもの・性的に猥雑なものは徹底的に排除された。ボスが一部に熱狂的に支持された所以は、作品の完全な抽象性と森羅万象を徹底的に見つめたことだ。俗世間的な既成教会の罠をすり抜けた。

*「悦楽の園」を見て

<中央パネル>
大きく3部に分けられる。

① 遠景
中・上・空を魚が飛ぶ

4つの方向から流れてくる川、そこに浮かぶ5つの奇妙なオブジェのような大きな建造物。突起が出ていたり、多くの裸の人間がたむろしている。川には魚や人間、ドラゴンが戯れている。空には人間、鳥、魚、ドラゴンが浮遊している。まるで現代の遊園地の風景を思わせる造形性は面白い。

② 中景
DSC_8338中・中壇円形に・乗馬、鹿などの行列

真ん中に池があり、若い女たちが戯れている。
池の周りを、男たちが馬、(よく見ると馬だけでなく鹿、猪、駱駝、ユニコン、グリフォンなどに)乗って大挙して駆け巡っている。池で戯れる若い女たちは、大挙して疾風する男たちの当然性的欲望を刺激している。
* クラナハの「回春の泉」(1546)では、左側から老婆が大勢プールに入って右側に上がってくると皆若返るという仕掛けの絵がある。50年前のボスの「悦楽の園」から発想されたのであろうか?

③ 前景
DSC_8328中・貝に食われている
 5~6人の裸の男女群れの様々のドラマ。
A,男が巨大なムール貝を担ぎ、貝から男女の足が出ている。性的な象徴だろうことは想像がつく。ムール貝は何の寓意か?
DSC_8333前
B,裸の男女の様々な肢体。手を空中にかざして語たり合ったり、大地に両手を広げて寝転んだり。又、Aの字やYの字のような動作、透明なガラス球のような愛の棲家での語らい、外界からの避難所みたいな空間-いくつもあるーに男女が逃げ込んで愛を囁いたり、窓から覗いて愛を囁くとか、、、
前4

(ここでの男女の営みは、それがどういう意味・寓意・象徴を持つのか解明されていない。
* ボスの絵の図像学的、寓意解明のための「百科事典」があって然るべき)

 しかし、「悦楽の園」は無機質な透明な世界である。ドロドロした肉感的なものは無く、猥雑感とは無縁の世界だ。猥雑だと絡め捕まえることが出来ない。
梟の下背中合わせの2人が踊っている

C,右と左に梟が2羽描かれている。右側は二人の裸の男女が背合わせに踊って、頭に梟が被っている。サクランボウのような果物(快楽を意味するという)が体中に巻きついている。左側は梟に人間が抱きついている。右側はどういう意味を持っているのか?
* 「梟のイメージ」を考えてみる。
イ、梟には悪徳のイメージがあるという。
1、 夜を好む淫乱のイメージ
2、 空を飛ばない怠惰のイメージ
3、 油をなめる大食のイメージ
ロ,古代神話の「ミネルバ」=英知のイメージ
 ボスの他の絵でも人間の様々の行為を梟が見つめている場面がある。ダブルイメージ?ボスの不可解なところはダブルイメージを多用するらしい。梟の悪と英知の相反するイメージの一瞬の内に転換してしまうところ。
ここでの梟の寓意は?梟は「悦楽の園」の風景を見ており、ダブルイメージの梟とは、作者の心情を隠したといえる。作品に対する判断・ここで展開されている万象に対する判断の保留。

* ヒエロニムス・ボス(ボッシュとも) (1450~1516)
ネーデランドの画家。現オランダ、ベルギー国境近くのス・ヘルトヘンボスの画家一家に生まれた。裕福な名家の娘との結婚により名士として一生を終えた。
ヨーロッパ各地から注文を受けて多数制作したが、宗教改革の偶像破壊のあおりで減失、現在30点が確認される。スペイン国王フェリペ2世の愛好により、スペインのプラド美術館に10点もある。

代表作
「悦楽の園」(1480-1500) プラド美術館
「乾草車」 (1490-1500)  同
「東方三博士の来訪」(1510) 同
「聖アントニウスの誘惑」   リスボン国立古美術館
「いかさま師」(1475-80) サンジェルマン=アン=レー市立美術館
「放蕩息子」 (1480-90) ロッテルダム、ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館
「最後の審判」(1510)  ウィーン美術アカデミー付属美術館
「守銭奴の死」(1490) ワシントン・ナショナル・ギャラリー
「阿呆の船」(1490-1500) ルーブル美術館
「三連・祭壇画」(1500-05)プラド美術館
  <干し草車> <放蕩息子> <エデンの園> <地獄>
「十字架を担うキリスト」  ベルギー・ゲント市立美術館
「7つの大罪」      プラド美術館
「愚者の治療」      プラド美術館
  1. 2013/06/06(木) 19:09:22|
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『日記』「花を撮りに誘われて」6.4

『日記』 「花を撮りに誘われて」 6.4
DSC_8423仁王門

友人から「花菖蒲と紫陽花の寺があるよ」と誘われた。松戸の「本土寺」である。豪壮な山容はさぞ由緒ある歴史を誇るのでしょう。栄枯盛衰の歴史が伺えます。
DSC_8420本土寺参道
花菖蒲は盛りを過ぎた。紫陽花はこれから、、、と言われたが、さて。
DSC_8445花菖蒲園 2
確かに身頃は5月中旬、美人を探しましょう。
花菖蒲4
花菖蒲 3
花菖蒲7
ここの5重の塔が品がいい。室生寺までゆかなくても、、、
5重の塔と階段
紫陽花はこれからです。
紫陽花1
紫陽花7
紫陽花 2
池とお堂
境内の池にハスの花が咲いており、その向こうにお堂が見えました。

<折りに触れて>
わたしどもの 近くにいる すぐれた 人よ。
あなたが人生という船出をしょうとした時、
夢はふくらみ、抱えきれないほどの花束をもって
大海に漕ぎ出して行った。

永遠の塔を刻むがごとく たちまち伽藍を造ってしまった時
わたしどもは 驚異の眼差しで ただただ 見ていた。

旅の途中で 連れてってもらった
小さな村の 古びた教会の、小さな広場には 
人々の営みと夢がある、と語った。

わたしどもの 近くにいる すぐれた 人よ。 
あなた方の 輝かしい「ひかり」を褒めたたえよう
あなた方の たたかいを 見守ろう。
大丈夫だよ、明るい光の 射して来る方に。
安心して 歩いて 行こう。
  1. 2013/06/04(火) 17:03:39|
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美術の検証 「ヒエロニムス・ボス<悦楽の園>」 ①2013.06.02

美術の検証 「ヒエロニムス・ボス<悦楽の園>」① 2013.06.02

プラド美術館でボスの「悦楽の園」の前に立つ時何が何やら解らなかった。勿論ボスはこういう絵を描くことは知っていた。だが今まで私の心の中に入ってきて心の事件になる事はなかった。プラドで他の絵のところを廻っていても又、ボスの前に立ってしまう。
悦楽の園 全体図
東京に帰ってもボスは私を追いかけてきた。この不思議な魔力は何だろう。
ボスを見ようにも日本には実物はなく、図書館へ行っても大した資料はない。
大きな図書館や書店に入って、ボスの画集或いは世界美術全集の「フランドル絵画編」を眺めたりした。
又、この時期丁度やっていた「牧野邦夫展」を2度も見に行って確かめたりした。牧野の絵にもたくさんの魔物・化物・想像の動物・植物が、結構描き散らばせてあったからだ。ボスの影響というより、20世紀になると画家は自由に想像の翼を広げるようになったのだ。
「ヒエロニムス・ボス(ボッシュともいう)」
15世紀の中頃~16世紀初頭にかけて活躍したルネサンス・ネーデルランドの画家。
16世紀の宗教改革の騒動で殆どの作品が減失、現在世界に30点ばかり存在している。スペイン国王フェリペ2世が愛好、プラドに10点ある。
私がプラドで見た「悦楽の園」はたて2m、横4m、個人として眺めるには丁度良い大きさの3連祭壇画である。
画面は中央の大きな場面と左右の2つ、合わせて3面からなる。
左側は天国、イヴとエヴァを神が引き合わせている。多くの動物、鳥が仲良く暮らして牧歌的な雰囲気の天国の場面。
悦楽 左 天国全体

右側は地獄の風景、人間の顔(ボスの自画像という説も)、足は樹木、胴体が卵の中が空洞でカフェになっており人々は寛いでいる。耳を裂く大きな包丁とか、板に磔になった人間とか、人間の悲惨な状況が描かれている。
左右の天国と地獄は比較的わかりやすいが、問題は中央だ。
右 地獄

天国と地獄の橋渡しをする現世。無数の裸の男女が性に耽っている。色欲の罪を描いたもの、というのが一般的な通説。色欲の罪を犯して地獄へ堕ちるというのが一般的な解釈。
  1. 2013/06/02(日) 23:05:32|
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