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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

2013年『映画』 「天使の分け前」(英国映画、監督ケン・ローチ)5.27

2013年『映画』「天使の分け前」(英国映画、監督、ケン・ローチ)5.27

さよなら 「、、、映画館」
この映画館が今月でなくなるという。ファンの名残を惜しんでの寄せ書きが一杯書かれていました。映画館が心の成長の場、夢を膨らませた空間だった者にとって感無量です。ありがとう!

DSC_8307有難う③
DSC_8306有難う②

「天使の分け前」(英国映画。監督ケン・ローチ)5.27

DSC_8293天使の分け前

英国映画界の巨匠、ケン・ローチ監督の作品といえばスペイン内戦が舞台の「大地と自由」(95)やアイルランド紛争が主題の「麦の穂をゆらす風」(06)。歴史や社会問題に真正面に向き合った作品が多かったので(又、それを期待して)、今回の「天使の分け前」は初め意外な感じがした。笑いとユーモアたっぷりな映画だったからだ。抱腹絶倒とまではゆかないまでも、愛と人情とユーモアに溢れた、英国独特のヒューモアに満ちた作品で大いに笑わされた。

主人公のロビーは幼い頃から暴力沙汰や喧嘩の中で育った。暴力沙汰で判決の時、恋人が妊娠してもうすぐ親になるというので社会奉仕活動を命じられる。

奉仕活動の仲間5人は皆同じように子どもの頃から社会の除け者として育ち、今英国の若年失業者100万人の中の一人だ。(ケン・ローチ監督はここをしっかり押さえている。仕事もなく住むところも無い若者がどう生きるか?)

日本でいえば「保護司」、奉仕活動の責任者のハリーと出会い始めて親らしい愛情を掛けられ、恋人と幼子と3人の生活を築こうとするが、彼を執拗に狙う一味との衝突、恋人の男親の引き離しと嫌がらせ、仕事も住まいもなく少年院帰りのレッテルを張られた彼の現実は厳しい。

「天使の分け前」とは、ウィスキーを樽で熟成させる内に毎年2%が蒸発してしまうことをいうそうだ。責任者のハリーはウィスキーが大好物、ある時皆をティスティング(試飲会)に連れ出す。そこでロビ―はキャスティングの天分があることがわかる。「天使の分け前」を狙った人生逆転の勝負を賭けて仲間たちとスコッチの蒸類所の北スコットランドに出かけてゆく。1樽100万ポンド(1億4000万)を狙っての、、、

今まで見てきたケン・ローチと違った愛とユーモア溢れる作品、さわやかな爽快感が残った。
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  1. 2013/05/29(水) 10:07:00|
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2013年『映画』 「海と大陸」岩波ホール5.24

2013年『映画』「海と大陸」イタリア映画、監督E・クリアレーゼ5.24

IMG海と大陸5.24

旅行の準備等で時間がなくて久しぶりの映画。映画が始まり海のシーンが続き、ああきれいだなーと思った。青々とした地中海の海の色は汚れていない純粋さの象徴か?

イタリアの地中海の孤島リノーサ島の漁師一家、主人公のフィリッポは島の外の事は何一つわからない無鉄砲の一面を持つ20歳の青年。だが、この世の汚れを知らない純粋でもあるのだ。漁師の父は海で亡くなっている。
今は昔ほど魚が獲れず漁業も衰退の一途。夏場のリゾート以外に産業がない島の生活は不安である。。それでも頑固に漁師を続けようとする祖父、漁師に見切りをつけ観光業に転じた叔父、島を抜け出して新しい生活をしたい母、主人公は戸惑っている。

祖父と海で漁をしていた時、アフリカからの難民が海を漂って来て救助を求める。その中に子どもを連れた妊婦がいた。妊婦サラはこの一家の家で出産をする。

政府・EUの方針は「不法難民は本国に送り返す」で匿うことは罪になる。しかし、海の掟を重んじる祖父は法を無視し母子を匿う。

官憲の嫌がらせにより、船の営業許可証がないとの口実で、船を差し押さえられてしまう。
このことで島民が一同に会して議論になってゆく。年寄りの漁師たちは海の掟を言って抗議すべきだという。難民のことが話題になり、観光で食っている者が「難民は島のイメージ・ダンだ」といって意見はまとまらない。

当時、「アラブの春」といわれた北アフリカからの、圧政を逃れた難民が決死の覚悟でイタリアの海岸に流れついた。この映画はその事を衝いている。夏のリゾート、イタリア中から太陽と海辺を求めてくる「観光客」にとって「不法難民」は邪魔か?一方、テレビ・新聞で「アラブの春」に沸きかえりながら、、、

島の海のように純粋な主人公が、アフリカ難民親子を救うために、行動を起こす。

ヨーロッパ映画はこの10年、難民・移民の問題を重要なテーマとしてきた。この映画はも一度原点に返って考え直そう、という問題提起をした。

  1. 2013/05/24(金) 21:33:42|
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美術/展覧会/舞台「マリア・パヘス舞踊団<ユートピア>」5.18

美術/展覧会/舞台「マリア・パヘス舞踊団」<ユートピア>5.18


マリア・パヘス①

つい最近の新聞記事で彼女の舞踊団の公演が5月の18・19の両日行われると知った。「アントニオ・ロペス」展に行ったついでにチケットセンターに寄ってみると、席がまだあったので購入。心はスペインにあったのか?

「マリア・パヘス舞踊団」、結成23年の世界的的に最高峰のフラメンコだそうだ。15歳からアントニオ・ガデス舞踊団に入団、様々のカンパニーを経て1990年自身の舞踊団を結成、1994年の「リバーダンス」の主演で世界的名声を獲得、フラメンコの枠を超えたトップダンサーとしての地位を築いた。

経済危機で今のスペインが寛容さを失っている。ブラジルの建築家ニーマイヤーの「平等・寛容・連帯」を基本にすえた建築物に触発されて「ユートピア」を創った。テーマは「寛容さ・連帯」。国境を越えた理念を歌う宮沢賢治の詩に驚いた。東日本大震災に衝撃を受けた。当初の予定になかった岩手県の北上市での公演を盛り込んだという。

マドリードで15日間満員だった「ユートピア」のプログラム
パヘス②

1、プロローグ。
 マリアが黒のパンツ姿でチェロの伴奏で踊る。グレイの衣装のダンサーたちの群舞。舞台装置が流れるように寄せてはかえす波のようなシンプルなもの。
2、会話。
 男女同権とバランスがテーマ。マリアは黒の総タイツ姿で踊る。
3、壊れた時。
「人生のはかなさ」がテーマ。カンタオーラ(女性の歌い手)が抜群にいい!その歌声は劇場を駆け巡り私の心を揺さぶった。今回、女性の歌い手の声がよく、切々と私の心の中に響いてきた。バルセロナでは若い男の歌がよかったが、マリアの舞踊団では中年の女性だ。フラメンコは、カンテ(歌)、トーケ(ギター)、バイレ(踊り)の3要素で成り立つという。カンテは大事なのだ。
* 私はスペイン語はわらないので意味は不明。ここで問題にしているのは「声の質」である。だいたいの場面でどういう歌か想像する。声の色合いが私の求めているものと一体化した時感動する。因みに、男の方は引っかかってだめだった。
薄明かりの舞台、舞踊団の群舞もよかった。
詞にパブロ・ネルーダの「亡命」セルバンティスの「ドン・キホーテ」カタルーニャ民謡の「鳥の歌」。
4、「意識と欲望」
マリアの真っ赤なドレスでのソロ。これが抜群!2枚重ねその上に1枚マントのように使った。それを見事に裁きながら、同じ位置を動かず、腕と上体の動きだけの舞踊。彼女の18番オハコだそうだ!いよいよ佳境である。
マリアの踊りは自身の心奥深く入っていって、自己の内面の暗黒な部分、それとの格闘を表現しようとするかのようだ。
オペラグラスで彼女のソロを追った。言葉が出ないとはこういう時を言うのだろう。興奮してきて、この場面の終わりに「オーラ」と大声で歓声をあげてしまった。
5、一緒に行こう。
テーマは連帯。テンポの速い群舞。
6、赤い道
マリアは赤と黒の衣装。
テーマは歩みながら作り上げて行く人生の各時代。
7、そこが住みたいところ
イロニーと歓喜による未来への期待。
バイラオーラ(女性のダンサー)がアバ二コ(扇)をもって踊る。マリアの大きなアバ二コの踊りは素晴らしい!
8、「飛翔」
DSC_8288白と墨

マリアは白と墨の絵のパタ・デ・コーラ(後の裾が長く引きずるようなスカート)で踊る。
テーマは道の終着点。喜びもあれもば悲しみもある。悲しみの場面であの素晴らしいカンタオーラ(女性の歌手)の切々たる絶唱のもとで、マリアの「瀕死の白鳥」を思わせる苦悩の表現に、私は涙ボロボロ。感動的なスペイン旅行がまだ続いているかの幻想の中にいた。
マリア・パへスのドラマチック・フラメンコに幻惑された一夜であった。
  1. 2013/05/19(日) 15:15:34|
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美術/展覧会 「神尾和由・牧野邦夫・アントニオ.ロペス」各展覧会.2013年5月18日

美術/展覧会 「神尾和由、牧野邦夫、アントニオ・ロベス」各展覧会 2013年5月18日

1、「神尾和由(国画会員。87回展覧会。)新国立美術館5.1~5.13

神尾さん2013国画会
* 旧知の画家。イタリアに30年近く?在住して絵に取り組んでいたが、近年帰国、国画会会員。毎年個展を開いている。
 抽象から近年具象に移ってきた。それに連れて画風が固まってきた。この絵を見れば一目で「神尾和由」とわかる絵を創り上げた。国画会に行っていつも思うのだが、他の、何を描いているのか判らぬもの(失礼)の中で孤高の存在感を示している。
 イタリアの風土や人間を感じ、絵からは懐かしさ、永遠の時、癒しを感じる。今回のは温かみを感じる。

2、国立新美術館の帰りに青山の「ウエスト」に寄った。
ウエスト②
ウエスト③
* 東京に喫茶店がたくさんあった頃この店の銀座店には時々通った。この青山へはその頃2・3回来た程度だった。先日、目黒店が閉じたという。寂しいものだ。少なくてもその当時、こういう所でヨーロッパの面影を夢みていたのだから。

3、「牧野邦夫」展 練馬区立美術館 4.14~6.2

牧野邦夫展①
牧野邦夫 ・戒壇院

* 彼が亡くなって少したった回想展(80年代末)で知った。根幹は具象、レンブラントを崇拝し「俺は日本のレンブラントになるのだ!」と叫びながら制作していた。根幹をリアルに描いてその上から自由自在の幻想世界を展開する。プラドを見た目には再発見になった。ここに引用させてもらった「戒壇院」は面白く好きな作品です。練馬美術館で6月2日までやっています。

4、「アントニオ・ロペス」展 ザ・ミュージアム 4.27~6.16

ロペス展①
ロペス展②

* 写真展だと思っていたら絵画・彫刻だという。現代スペイン・リアリズムの巨匠だそうだ。

 少女の全身像は自分の愛娘だという。感受性がきらきらした何にも反応しそうな少女像を描いている。一度この絵を見たら忘れないだろうなー。

 マドリードの繁華街の中心・「グラン・ビア」の早朝の風景。初めこれを見ててっきり写真だと思った。絵筆でこれほどの実在感を出すのは大変なことである。

 ここに写真はないけれど、「ティオ・ピオの丘からのマドリード」と「マドリード南部」はスペイン伝統絵画。ベラスケスもゴヤも描いた、広々とした平野と街並みを広大な画面に描いた風景画である。グレコにもあった。自分たちの町を大きな構図で描くのはスペインの伝統なの?

  1. 2013/05/18(土) 13:18:55|
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2013年『スペイン旅行』⑫「バルセロナー<モンセラート>」4.26.27

2013年『スペイン旅行』⑫「バルセロナー<モンセラート>」4・26.27

1、フラメンコ・ショウ 「パラシオ・デル・フラメンコ」

コルトバで1度見ているが、ツアーの最初からプログラム化さていたバルセロナのフラメンコ。
(「パラシオ・デル・フラメンコ」のポスーター)
DSC_7686ポスター
(「パラシオの入り口)
DSC_7685フラメンコ「パラシオ」
(男女のフラメンコの舞台)
ダンス①
(白い衣装で男女ペアのフラメンコ)
ダンス④
* 写真は撮れなかったが、親方らしい貫禄の男のダンサーのフラメンコが良かった。縦横に手馴れて舞台を創っているといった感じ。その彼の舞台の何番目かに、「歌い手」の「歌」が切々と響いてきた。歌の意味はわからない。しかし、感じから失恋や人生の苦しみを切々と歌いあげたものだと感じた。ジーンと心の底に響いてきた。今までに無い感動である。次の女性たちの群舞が軽薄でつまらないものに感じた。
東京に帰ったらもっとフラメンコを見たり聞いたりしてみょうと思った。

2、夕食、アラゴン通りの「ムソル」で
  ツアー客一同揃っての食事はこれが最後になる。
(ムソル)
アラゴン通りの「ムソル」で夕食
(カタランサラダ)=オリーブ油と塩で食べる
カタランサラダ
セット
(ソーセージと白インゲン)
ソーセージとインゲン豆
(プディン)
DSC_7718プディン

3、モンセラート
 
今回の旅で初めて雨であった。ここまで全部快晴に恵まれて良い旅でした。初めての雨であるが山がガスで視界が利かなく、ならないことを祈った。
(モンセラート修道院)
DSC_7721モンセラート

* 「モンセラート修道院」

9世紀に起源をもち、11世紀に建てられ、15世紀頃が最盛期であるらしい。ベネディクト会の修道院。19世紀、ナポレオンによって破壊され、1996年再建された。ゲーテは奇岩を「魔の山」と呼んだ。ガウディがここで「サグラダ・ファミリア」の構想を得たという。
(黒いマリア)
黒いマリア①

「黒いマリア」(ラ・モレネータ<黒い女の子>)は地元カタルーニャの守護聖母。マリアが黒いこともあって異教的なムード。妙で不思議な感じを持った。
「黒いマリア」はヨーロッパの中にあって、特にケルト人の地域に400体もあるという。ここら一帯ーフランス国境に近くー大昔はケルトの聖地でなかったか?
カトリックは「黒いマリア」を無視。
キリスト教以前の地母信仰が聖母マリアと一体化したものではないか。(あらゆる生き物を生み出す大地と、子を産み育てる母とを一体化した「地母神」信仰が、キリスト教時代に弾圧されて「黒いマリア」として再生した。)
フランコの独裁時代、禁止されていたカタルーニャ語でここだけがミサを行った。カタルーニャ人の信仰と民族意識の故郷になった。

(奇岩の山ーゲーテは「魔の山」と呼んだ)
DSC_7725奇岩
(修道院の背後の奇岩)
DSC_7759修道院の上の奇岩
(イエスと12人の弟子たち)
DSC_7756修道院の正面

(礼拝堂の中に入る)
DSC_7737礼拝堂①
(モザイク画ー使徒の像)
DSC_7740モザイク
(修道院の中)
修道院の中①

(修道女の肖像画)
修道女
(大理石の天使)
大理石の天使
(天井画)
天井画
(礼拝堂)
礼拝堂②
(礼拝堂)
礼拝堂③
* 巡礼者たちによって供えられたロウソクの灯火。
(祈りのろうそく)
祈りの蝋燭

* 14世紀に出来たという「エスコラにア少年合唱団」。9歳~15歳までのカタルーニャの少年50人で結成さ  れている。各地の音楽会で演奏する。
(聖歌隊ポスター)
少年聖歌隊のポスター
(楽譜)
楽譜

* 霧が出ていないので頂上までケーブルで行くことになった。
  晴れていればフランス国境のピレネー山脈が見えるというが残念でした。

(頂上から修道院を眺める)
DSC_7768頂上より修道院を見る①
(修道院を眺める)
DSC_7782頂上より修道院②

4、バルセロナでの最後の夕食

お土産などを見にデパートや「ZARA]を覗いてホテルに帰った。Sさんは7時~8時までロビーで待機、一行の相談に乗っていた。スペイン最後の晩の食事をSさんと食べた。
地図の下の右側、2階のレストラン「シトルス」に落ち着いた。ここは角地で通りに面して大きなガラス張りである。
(グラシア大通りのレストランやバル)
バルセロナのかさ

ワインを1本とって、僕は、温かい前菜「ラビリオのスープ」とメインを最上等の「牛のステーキ」をとった。
スープを1口吸った時何ともいえないいい味が全身に広がっていった。ステーキ、スペインの牛肉は日本のより固め、でも美味だった。ワインもまずまず、かくてスペインの旅は終わったのである。

ここまで私の「スペイン旅行」記に付き合って下さって有難うございます。感謝します。
                           2013年 5月16日

『スペイン旅行の反省』4.16

① 旅行当初の「マドリード」、その殆どが「プラド美術館」だったが、ここに燃え尽きた感がある。1日中いた。目が疲れて足も棒のようになり限界状況に陥った。ここに居ても仕方がないと思って外に出たのである。「ソフィア」で「ゲルニカ」でも見て帰ろうとしたが、ふらふらして地図の方向を逆さに見ていたこともあって、人に何度か尋ねたが言葉がわからず、諦めてタクシーでホテルに帰った。
② 「プラド」で見たことは今後に大きな財産を貰ったようなものだ。知らない画家、知っている画家でも知らない作品がぞくぞくとあるんだな、と思い知らせてくれた。
③ 「モンセラート」の<黒いマリア>は何だったか?黒いこともあって異郷的なムードがする。カトリックでは(ベネディクト派の修道会)「黒い」ことを無視する。大昔ここらは古いケルトの聖地。キリスト教以前の「地母神」信仰(穀物を産み出す大地と子を産み育てる母と一体化させた「地母神」)がキリスト教の弾圧で、「黒いマリア」として再生した、という解釈。
④ トレドのグレコの「オルガス伯爵の埋葬」は凄い。東京で「グレコ展」を見て宗教画か肖像ばかりだったので「ツマラナイ」と思わず言ってしまった。
宗教・信仰に無縁な多くの日本人にとって、ヨーロッパの一般的な宗教画に
本当の感動はしない。優れた作品のみに感動する。トレドのサント・トメの「オルガス」を見てガタガタ体が震えたのだ。本物を直に見ることの大切さ。
⑤ 闘牛、フラメンコ(これについてはもっと深いものがある)について、カッコイズムだと思った。歌舞伎で見得を切る、と同じではないか?闘牛は男(マハ)のダンディイズム!闘牛士と強い牛が揃わないとダメとは。
⑥ フラメンコ、2回見たのはよかった。ダンサーのかかととつま先での強烈なリズム、見ている側にもそのパッションが伝わってくると「オーレ」となる。
 バルセロナでの親方みたいな男の踊りの時、若い歌い手の歌は哀切があって聞いている側の心の底深く響いていった。
⑦ 「アルハンブラ宮殿」評判通りの美しさでした。イベリア半島に残したムスリムの優れた美学なんだ、と思いました。カトリックは到底かなわないと思いましたね。宮殿や聖堂などの建築ではムスリムの美学にかなわない。プラドの絵画のみが拮抗できるのかな。
⑦ 添乗員のSさんに本当にお世話になりました。特に夜の食事です。ツアー旅行で初めて地元らしい食事をしました。地元の珍味、ワイン(ロンダ)は絶妙でした。ありがとう!
⑧ 「セビーリャ」はスペイン南部アンダルシアの港湾都市。闘牛やフラメンコの本場でもある。ドン・ファン伝説の舞台であり、オペラ「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「セビリアの理髪師」「カルメン」の舞台でもあった。ドラマが生まれる根拠はどこにあるのかと探したが、何しろここに泊まらないので空振りでした。
  1. 2013/05/16(木) 17:49:07|
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2013年『スペイン旅行』⑪「バルセロナ」4.26

2013年『スペイン旅行』⑪「バルセロナ」<その1.> 4.26

1、昼食
マラガからバルセロナまで空路で飛び、いよいよ最後の宿泊地バルセロナに来た。
「べりャ・タパ」というレストランで昼食。
(べりャ・タパ)
DSC_7474ベらら
(サラダ)
サラダ
(「フィデウアーパスタのパエリャ)
フィデウア(パスタのパエリャ)
DSC_7482盛り付け
(アイスクリーム)
アイスクリーム

2、市内を回って「グエル公園」へ

* 「カサ・ミラ」「カサ・バトリョ」「サクラダ・ファミリア」「サン・パウ病院」と回って「グエル公園」へ。
ガウディ独特なデザインの建築だ。トンボやバッタ・昆虫や蛾のイメージが、当時のバルセロナ市民は理解したか?

* アントニ・ガウディ(1852~1926)たぐい稀で特異な建築家を理解したのは、大富豪で第一線に立つ企業家たちであった。ガウディやグエルらの19世紀から20世紀にかけてのスペイン建築が進んでいたのだ。建築に夢があり、ロマンがあり物語性もあるのだ。機能性やメカニズムと対極に位置する。ガウディ建築の奥にイスラムや東洋性を感じるのは、やはりイスラム文化が700年もあったということか。
(カサ・ミラ)
カサ・ミラ
(カサ・バトリョ)
カサ・バトリョ
(聖家族)
聖家族②
(グラシア通り)
グラシア通り
(デザインが面白いビル)
デザインが面白い
(サン・パウ病院)
DSC_7514サン・パウ病院

3、「グエル公園」

 ガウディのスポンサー・グエルが住宅街を造ろうとしたが、本人たち以外に1戸しか売れず、今は公園になっている。

(グエル公園)
DSC_7542グエル公園②
(洞窟のような)
石やぐらの
(中央広場から大階段へ)
正面階段
(モザイクのワニやトカゲをイメージする)
DSC_7598ワニのモデルに幼児
(守衛小屋)
守衛小屋
(天井のモザイクの絵がいい)
天井のモザイク絵
(犬のモザイク)
犬のモザイク
(大階段でモデルを撮っていた。それにしても観光客で溢れかえっていた)
DSC_7593モデルの写真を撮って
(守衛小屋の屋根が面白い)
DSC_7610守衛小屋の屋根

4、サクラダ・ファミリア聖堂

完成したならば18本の塔がそびえ、1万4千人を収容する大聖堂になる予定だという。いまだ、未完である。
(聖堂の正面入り口)
DSC_7636聖C
(池を前にしている)
聖と池
(聖堂の中、天井からの光は天国の輝きか?)
聖堂内③
(ステンドグラスが明るさを)
ステンド②
(模型)
模型 ②
模型①
(出口)
出入り口①
(彫刻が施されて)
DSC_7653彫刻①
(後方から眺めて)
出口の全体
  1. 2013/05/15(水) 23:12:20|
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2013年『スペイン旅行』⑩「ロンダ・ミハス・トレモリーノス」4./24・25

2013年『スペイン旅行』⑩「ロンダ・ミハス・トレモリーノス」4.25

Ⅰ、ロンダ 4月24・25日

(崖の上の町、ロンダ)
崖の上のロンダ

ロンダは谷底を流れるグアダレビン川の浸食によって出来た、深い峡谷の上に広がる町である。町からは彼方へ原野が続き、深い谷と崖の景観の町である。又、近代闘牛の創設者フランシスコ・ロメロが生まれた町で、由緒ある闘牛場が残っている。

(近代闘牛の創設者フランシスコ・ロメロの銅像)
DSC_7123近代闘牛の創設者
(記念の闘牛場)
闘牛場
場内

* ここの「パラドール・デル・ロンダ」に宿泊した。パラドールとは国営のホテルで、修道院とか古城や宮殿を  ホテルに改装した高級ホテルをさす。
(崖の上のパラドール・デル・ロンダ)
崖の上に建つパラドール
(ロビー)
ロビー
(有名人のポスターが張ってあるロビー)
ロービー②
(フラメンコの衣装が飾ってあった)
フラメンコの衣装
(ホテルの部屋の中)
DSC_7127パラドールの室内

* 夕食までロンダの町を散策

(グアダレビン川の浸食によって出来た町)
崖の上の ロンダ②
(深い谷)
深い谷

* メイン・ストリートを歩いてみる。都会センス抜群の店が並ぶ。キッズの店が何軒かありバギーを押した若き ママが買い物やおしゃべりしていた。
(メイン・ストリート)
メイン・ストリート
(広場)
広場
(酒屋―ー後でワインを買うことになる)
酒屋
* ここで買ったロンダも赤ワイン「アルホンソ」は東京に土産として持って帰り、1本は子どもたちが会った時 空けて好評だった。1本は家でたちまち飲んでしまった。コルクを空けた時の微妙な香りと味わいは忘れ難いも のであった。日に日に味わいが変わって、不思議な飲み物に幻惑された。東京では絶対に買うことが出来ない。
 生産したものは地元で消費されてしまうそうです!
( ロンダの赤ワイン「アルフォンソ」 )
DSC_8210ロンダの赤

* 夕食会
 パラドールのレストランで。ツアーの一行でこの旅行期間中に誕生日を迎えた人が3名もいた。今夜はお祝いだ。シェリー酒で乾杯。
夕食会③
(シーフードの包み揚げ)
DSC_7186シーフードの包み揚げ
(牛ヒレ肉のキノコソース掛け)
DSC_7188ケーキ
(フルーツソース掛けケーキ)
お誕生のケーキ

* 料理が最高に上手かった!

2、4月25日 ロンダ

* 朝からロンダ観光が始まった。
(朝日が射す高原)
DSC_7214朝日の
(ヌエボ橋を見上げる)
DSC_7280ヌエボ橋を見上げる
(グアダレビン川の流れが見える)
川が下に
(ビエホ橋を渡る)
ビエホ橋
(フリリペ5世時代のアーチ)
イスラム時代のロンダ
(三角点の家)
3角点の道
(白の家のロンダ)
白い家のロンダ
(サンタ・マリア・ラ・マヨール教会)
サンタ・マヨール
(活気を取り戻したメイン・ストリート)
活気を戻したメインストリート

3、ミハス 4月25日

* 「白い村」で観光的に有名だそうだが、ちっとも面白くない。自分で作り出したもの何一つないのに、集めた
  お土産を売らんかな、は顰蹙を買った。人工的な、余りにもこせこせした!

(山の斜面に白い家)
斜面の白い家
(地中海・町・坂)
坂・白い家・地中海
(初めて地中海が見えた)
地中海が見えた
(ミハスの町に着いた)
ミハスの町
(ブルーの花壷を皆ぶら下げて)
ブルーの壷を壁に吊るして
(花一杯飾って)
花で埋め尽くす

* トレモリーノス(太陽海岸=コスタ・デル・ソル)の「ホテル・メリア・コスタ・デル・ソル」に宿泊。

(ホテル・メリア・コスタ・デル・ソル)
コスタ・ソルのホテル
(ホテルの前は地中海の海岸、展望が利くとアフリカのモロッコが見えるそうだ。)
海岸②
海岸に
(夕日の海岸=この辺一帯はスペイン有数のリゾート地)
海岸の夕日

* 夕食は各自。添乗員のSさんの配慮で地図が配られた。
ソルの見取り図
① 「CHACHA](獲れたての海老、貝が並んでいて、注文すると1つから焼いてくれる。飲みものは奥の別  の店で買う。立ち食い、立ち飲み。大きな車海老、マテ貝、帆立、美味い!道中一番忘れ難い夜になった。
② 「CA BODEGA]魚貝類
  ここの味は余り覚えていない。一行は中年の二組と私とSさん。ワインを飲みながら美味を味わい、大いに議  論した。楽しかった。
③ 「CASA FLORE?]国道沿いの店、店の外のテーブルに座った。シーフード(キノコが美味いとい   う)土台に何のキノコか?その上に生ハムがのっていたことを覚えている。何しろ美味いのだ!!

 かくて、美味を堪能した夜は更け行く。

翌、4月26日、マラガ発バルセロナ行きの機上に我々はあった。

(国内線で空路バルセロナに向かう)
国内線の空の旅
  1. 2013/05/14(火) 13:49:30|
  2. 2013年『スペイン旅行』
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2013 年『スペイン旅行』⑨「セビーリャ」 4.24

2013年『スペイン旅行』⑨ 「セビーリャ」4.24

アンダルシアの州都として、新世界交易・貿易の良港として、ジブラルタルを渡ってきたイスラム文化繁栄の舞台として発展した。温暖な気候とイスラム文化との混合したヨーロッパの最南端の都市セビージャには異国情緒溢れる不思議な雰囲気がある。フラメンコや闘牛の発祥の地であり、『カルメン」「セビリアの理髪師」「フィガロの結婚」「ドン・ファン」などの舞台でもある。イメージが先行し過ぎるか?街中からぜひともそのイメージを拾いたいものだ。
(スペイン広場)
スペイン広場①

A,スペイン広場
 1929年の「イベロ・アメリカ博覧会」の会場となった。
(スペイン広場)
スパイン広場②

* 半円形の建物の下には58県の特徴が描かれたタイルが張ってある。
(タイルで描かれた58の県の特徴―ーここでは「ドン・キホーテ」とか。)
タイル画
B,サンタ・クルス街
かって、ユダヤ人街だったが、1492年の追放から貴族などが住みついた。迷路のような狭い小路が続く。狭い小路にみやげ物店とかバールとかひしめいていた。
DSC_6951サンタ・クルス街の小路
クルス街の狭い小路
お父さんお母さんと3姉妹、皆フラメンコの衣装を着て通りすがった。私のカメラを見てすぐポーズしたのが3姉妹の真ん中の少女。ご両親ニコニコ、南国の陽気さか!
(フラメンコの衣装を着た可愛い少女)
フラメンコの衣装を着た少女①
(かってユダヤ人の家)
DSC_6958ある家の中庭
(タイルの張った家)
タイルのある家

(有名なホテル= へミングウエイが泊まっていた?)
有名なホテル・バール
(ベネラブレ広場=ここでしばしの自由行動になった。)
ベネラブレ広場
(カテドラルに隣接している<インディアス古文書館>)
DSC_6994古文書館
(円形の4階建の店)1階はレストラン、2階以上は住宅か?
円形の4階建
* フラメンコのポスター=エル・アレナル、有名なタブラオ(フラメンコのショーの店)ここで泊まるのであれ  ば行くのだけれど、、、
フラメンコのポスター
(1920年代の写真のポスター。大群衆、黒旗を掲げているのも見える。)
黒旗が見える群集
(ヒラルダの塔とカテドラル)
ヒラルダとカテドラル

C、カテドラルとヒラルダの塔
1401年、「正気の沙汰でないと思うような巨大な大聖堂を建てる」と宣言して1519年に完成。スペイン最大・世界3位の大聖堂。隣接する「ヒラルダの塔」はモスクの尖塔だった。
・(カテドラル)
カテドラル
(カテドラル=王室礼拝堂)
カテドラル・礼拝堂
(キリストの十字架像とマリア)
十字架とマリア
(王冠ー王と女王の)
カテドラル・王冠


* ここにコロンブスの墓がある。当時のスペインを構成したレオン、カスティーリャ、ナバラ、アラゴンの4人の王が棺をかついでいる。ノーシャッターなら写真は自由、暗くて失敗した。残念!
* ムリーリョの絵等があった。
ムリーリョ「サン・アントニオの礼拝」「無原罪の聖マリア」スルバランの「無原罪のお宿り」
(無原罪のマリア)
無原罪の
* 97mのヒラルダの塔へ登った。上からはセビージャの町が一望出来た。
(下の風景が何か、地図でも見ながら説明を受けないとわからない)
(今通ってきたクルス街か?)
上から狭い小路
(遠くに闘牛場が見える)
上から闘牛場が
DSC_7005上から②

* クルス街の中だったと思う。「ベラスケス美術館」があったので私1人だけで入った。セビージャ出身なのに1枚も彼の絵が無いことを残念に思った実業家?がやっと手に入れて美術館を創った。ベラスケスはいいものは1枚何百億円もするのだから!殆どプラドにある。
(ベラスケス美術館)
DSC_8182セビージャのベラスケス美術館
(コップを持つ少年)1629~1632
DSC_8194コップをもつ少年
(セビージャ・河口の港)1660
ベラスケス・セビージャの港
(マリア像)1618
ベラスケス・マリア像
* 少年の像とグアダルキビル川の河口に停泊する帆船の様子の絵は良かった。

(路面電車の線路がある大通り)
路面電車・大通り

(マエストランサ闘牛場)
闘牛場

* セビージャの昼食
(マカレーナ門近くの「ドン・ファドリーケ」で)
DSC_7095昼食「ドン・ファドリーケ」
(スープ・「ガスパーチョ」)
ガスパーチョ
(チキンのミートボールにジャガイモ添え)
チキンのミートボールにジャガイモ添え
(アイスクリーム)
アイスクリーム
* この昼食に出た「ガスパーチョ」を後にスーパや食料品店で探したけれど見つけられなかったと、話に出た。
  缶詰などにあるのでしょうか?

* (後の追記)「ガスパッチョ」はトマト,ニンニク、キュウリ、玉ねぎ等とパン粉ですリ潰して混ぜた冷たい  スープであることが判った。

* 1920~30年代のポスターや写真を街中によく飾ってある。特にアンダルシャに来て目に付くようになった。
(1927年の写真集。)
1927年の写真集

この日はロンダのパラドール泊まり。旅も佳境に入った。
  1. 2013/05/13(月) 16:26:08|
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2013年『スペイン旅行』⑧「コルドバ」4月23日

2013年『スペイン旅行』⑧「コルドバ」 4.23

「コルドバ」
(グァダルキビ川が流れるコルドバ)
DSC_6664グァダガルキビ川・コルトバ
* グラナダで午前、「アルハンブラ宮殿」を見てバスで移動、午後コルドバに着いた。
  水量豊富なグアダルキビル川が流れているアンダルシアの町であった。

Ⅰ、メスキータ

(水量豊かなグアダルキビル川とメスキータのコルドバ)
川とメスキータ
(ローマ橋)
ローマ橋
(ローマ橋の上の銅像と赤いろうそくー誰に捧げる?)
ローマ橋の赤い蝋燭

(カラオーラの塔ーローマ橋を守るため)
カラオーラの塔
* 「メスキータ」(聖マリア大聖堂のこと)
785年に、イスラム寺院として建設が始まった。
10世紀、 大拡張工事で、数万人のモスクになる。
13世紀、 レコンキスタでカトリック教会になる。
16世紀、 カール5世=カルロス5世はモスク中央部にゴシックとルネサンスの折衷の教会をつくる。
イスラムが造った大モスクをカトリックが割り込み破壊した奇妙なものとなった。

(メスキータの入り口=イスラム時代のもの)
メスキータの入り口
(850本の円柱の柱)
850本の「円柱の森」
DSC_6770円柱
(聖体)
聖具

* 「聖体顕示台」メッカの方向を向いている、という。モスクの時数万のムスリムが集まってメッカの方向に向かって礼拝をしたんだ。
(聖体顕示台をみている)
皆見ている

* モスクの権力の象徴?だという。ムスリムにとって大事なもの?
(ミフラーブ)
ミフラーブ

(マヨール礼拝堂<カトリック>の天井)
天井

(メスキータの<ミナレット>と呼ばれる尖塔)
ミナレット

2、ユダヤ人街、花の小道

(花の小道)
花の小道
(旧ユダヤ人の家)
ユダヤ人の家
(花で飾った中庭)
花で飾った家

* 老舗の皮革店「メリヤン」
 大学の卒業証書や優等賞を革で作る皮革の老舗。記念にベルト(22€)を買った。「コウトウバン」コルトバの 革といった意味か。ここからきているのか。
皮革の大学卒業証書

* 1930年代のポスターが2枚張ってあった。スペイン内戦時代のだ。内戦の生き残りは殆どいないが、その空気を知るものはある違いないと思っている。なぜ張り出すのか?
1930年代のポスター

3、フランメンコ

夕食後、部屋に帰ってから何気なくロビーに下りていったら、レストランにまだ飲んでいるのがいた。ごちゃごちゃしている内に、フラメンコに行くことになった。予約を取ってタクシーで駆けつけた。メスキータの近くだった。
(歌、ギターなどの伴奏楽器)
DSC_6857歌・ギター
(男のダンサー)
DSC_6856男のダンサー②
(女のダンサー)
DSC_6859女のダンサー②
(女のダンサー)
女③

(女のダンサー=真打)
女⑤

* フラメンコ
 ロマ(ジプシー)起源説が有力である。激しいリズムと踊りは情熱と哀愁の世界に連れ出す。
 アントニオ・ガデスやクリスティーナ・オヨスが来日した時見に行って、たちまち熱烈なファンになった。
 ガデスの場合は「カルメン」や「恋の魔術師」「血の婚礼」などの舞踏化でドラマティックであったが、フラメンコ独自の歌や舞踏があれば見たいと思っていた。今回、ツアーにもバルセロナでフラメンコディナーショウが組み込まれているので期待している。

ダンサーのつま先やかかとでの床鳴らしの激しいリズムに興奮して「オーレ」とかけ声をかけてしまった。歌舞伎のつもりだったか!
  1. 2013/05/12(日) 16:25:46|
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2013年『スペイン旅行』⑦「アルハンブラ宮殿」4.23

2013年『スペイン旅行』⑦「アルハンブラ宮殿」4.23

(ヘネラリーフェの噴水)
DSC_6585ヘネラリーフェの噴水①

いよいよ夢幻の世界に誘われる「アルハンブラ宮殿」である。

(二姉妹の間)
天井からアーチまで

* レコンキスタが完成しつつある1230年代、イスラムのナスル朝初代王アル・アフ
  マールは弱い国家基盤を整える為に仇敵カスティーリャ王国に服従、外交を安定、
  政治・経済を発展させると、アルハンブラ城内に王宮の建設に取り掛かる。7代王
  ユースフ1世の時ようやく完成する。城内にはモーロ人貴族を中心に2千人以上の
  人々が暮らし、市場、モスク、住宅が整備された。地味な外見と裏腹に宮殿は煌く
  幻想世界であった。
  その終焉は1492年、最後のナスル朝の王はカトリック女王イサベラに城を明け渡し
  北アフリカに逃れた。その後アルハンブラは荒れ果てた。19世紀に米国人作家W・
  アービングの「アルハンブラ物語」によって世界の注目を浴び、現代ではスペイン
  有数の観光地になった。

* 城を登ってゆく途中花が一杯に咲いている。誰かが「マロニエだ」といった。’
(マロニエの花)
DSC_6471

* 「アルカサーバ」8世紀にイスラムが入植して軍事要塞アルカサーバを造る。一番古い。
(アルカサーバ)
DSC_6492アルカサンカ・ベラの塔

* 宮殿が造られた後、16世紀にカトリックのカルロス5世がグラナダをスペインの首都
  にするつもりで建設を決めて造らせた。
(カルロス5世の円形パティオ)
カルロス5世の円形のパティオ

* アーチの窓から麓のアルバシンの町が見える。
(アーチの窓から)
DSC_6499アーチの天窓からのアルバシンの眺め

* ナスル朝宮殿の始めは「メスアールの間」(裁きの間ー司法と行政を執り行っていた

* 有名な「アラヤネスの中庭」です。アルハンブラは水を上手く使っている。イスラムの美学、ナカナカ!
(アラヤネスの庭)
 アラヤネスの庭②

* 「コマレス宮」ー宮殿の中心部
(コマレスの中庭)
DSC_6505アラヤネスの中庭
* 漆喰の浮き彫り装飾の素晴らしさに言葉も出ない!
(コマレス宮のファサード)
コマレス宮ファサード
(アラベスクのアーチ)
アラベスク模様のアーチ
(浮き彫りのモザイク模様のアーチ)
モザイクの模様②
(コマレスの入り口に定型化された図案の「カモシカ」の絵)
コマレスへの入り口のカモシカの図

(大使の間ー外国の使者が通された部屋)
大使の間

* 「ライオンの間」は王族の私的な空間で装飾がより繊細・絢爛になる。
 以下「ライオンの間」の絢爛たる浮き彫りの装飾の数々。
ライオンの間①
ライオン②
ライオン・天井①
DSC_6534ライオン・回廊
(ライオンの噴水)
ライオンの噴水
(ライオンの中庭)
ライオンの中庭①
(鮮やかなライオンの間の天井)
鮮やかなライオンンの間の天井
(二姉妹の間)
二姉妹の間

(リンダラハの中庭)
リンダラハの中庭
リンダラハの中庭

アーチが幾重にも重なる)
何層のアーチ

(アルハンブラ・下の庭園)
下の庭園
(下の庭園の回廊)
下の庭園.の回廊

* パルタル庭園(イスラム時代は貴族の宮殿・住宅・モスク等が立ち並ぶ緑地だった。
(貴婦人の塔―ー池)
貴婦人の塔①
(貴婦人の間)
貴婦人の塔②
(貴婦人の塔の庭)
貴婦人の塔の花

* 夏の別荘ーヘネラリフェの様子を表す。
      シエラ・ネバダ山脈の雪解け水を利用した水路や噴水が設けられ、「水の宮殿」と呼ばれた。

へネラリーフレを見上げる
ヘネラリーフェの庭②
ヘネラリーフェの庭③
庭園

(アルハンブラの城壁)
アルハンブラの城壁

(見事に咲く黄色の薔薇)ー- アルハンブラ全体にいろいろな季節の花が咲き競っていました。
黄色いバラ
(糸杉)
糸杉
(グラナダの町の眺望9
DSC_6607グラナダの町

* 13世紀頃のイスラム文化には驚き敬服した。同時代にインスタンブルのトプカプ宮殿などがすでにあったかと思うと夢のようなことです。
  1. 2013/05/11(土) 18:33:35|
  2. 2013年『スペイン旅行』
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美術/展覧会「マリオ・ジャコメッリ写真展」5.10

美術/展覧会 「マリオ・ジャコメッリ写真展」5.10

マリオ・ジャコメッリ写真展

一度見たら、心に焼き付いて忘れられない「映像」がある。

イタリア・マルケの写真家「マリオ・ジャコメッリ」(1925~2000)です。白黒のモノクロで

「黒」造形が焼きついて離れません。

黒いマントを着た老婆が立っている写真。黒い衣装の後姿の女性たちの群像。

ホスピタルの老人、老婆の存在。もうすぐあの世かと思えばなかなか逝けない老婆。

もう乳房の片鱗もなくなった老婆の顔は尊厳に満ちている。と同時に若かりし時の

乳児がムシャぶりつような豊かな乳房を想像させ、遠く流れてきた年輪を思わせる。

愛撫から、しっかりと抱き合い、濃厚なキスに至る、男と女の愛の姿。

部屋の大きな窓から、見える風景は、古びた中世の家と通り。

そんな風景を撮りたかったが、どう、逆立ちしても私のカメラには写らない。

あのような、見る者の心にずっしりと入ってくる写真は、どうやったら撮れるのでしょうか?
  1. 2013/05/10(金) 22:09:25|
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2013年『スペイン旅行』⑥「トレド」「ラ・マンチャ。コンスグェラ」4.22

2013年『スペイン旅行』⑥「トレド」「風車とコンスグェラ」4.22

今日も快晴だ。最後のバルセロナの「モンセラート」の半日だけが小雨で後は全部晴れていた。一行に晴れ男・晴れ女がいるのだろう。

Ⅰ、トレド

「16世紀で歩みを止めた町」(マドリードに首都が移る1561年まで政治・経済の拠点だった)560年に西ゴート王国の首都、711年から400年にわたってイスラムの支配が続き、1492年にスペインを追放されるまで、トレドはキリスト、イスラム、この地に残っていたユダヤの3つの文化が共存した有意義の町であった。

実際の観光ではスペインカトリックの総本山大聖堂=カテドラルの見学とサント・トメのグレコの「オルガス伯の埋葬」を見ることで時間を使った。カトリックの絢爛豪華さを誇るの見てもー金銀財宝を仰山捧げることが信仰の証とは?

(トレドの大聖堂)
大聖堂③
(大聖堂の先端が見えるトレドの小路)
DSC_6128トレドの小路
(大聖堂内大礼拝堂)
DSC_6196大礼拝堂
(マリア像)
DSC_6209大聖堂のマリア像

*「トランスパレンテ」
 聖堂の後方部分の天井に光を入れた。その光に聖堂内のきらびやかな彫刻・装飾が鮮明に見えた。本来これが本 当なのだ。ゴシック?ロココ?の鮮やかな、ロマンを感じさせる。
(後方からの差し込む光で鮮やかに聖堂内が見える「トランスパンテ」)
DSC_6207エル・トランス・パレンテ
(その部屋ー聖具室ーは写真がOK,唯一成功したグレコの肖像画)
DSC_6220グレコの作品

* モサラベ礼拝堂
 キリスト教支配下のイスラム教徒を「ムデハル」、イスラム支配下のキリスト教徒を「モサラベ」という。この礼拝堂の天井がイスラム風を指してはいないか?
(モサラベ礼拝堂)
モサラベ礼拝堂の天井

* 7世紀にアラビアで興ったイスラム教は北アフリカを西進し、ジブラルタルを渡ってイベリア半島を支配し   た。イスラムは他宗教に寛容で税金を納めれば共存できた。(イスラム支配下のキリスト教徒がモサベラ)
  722年からのレコンキスタでは、トレドを支配したカスティーリャ王国は又異教徒に寛容で(キリスト教支配下のイスラムを「ムデハル」)

* 我々は訪れていないけれど、「トランシト教会」(ムデハルのユダヤ教会)がある。

* ローマ時代からトレドの「ユダヤ教徒」はイベリア半島の「ユダヤ社会」の中心となっていた。しかし、カトリックの迫害が始まったが、8世紀のイスラム教徒の支配によって救われた。他宗教に対する寛容さによって1492年の異教徒追放まで平和的な共存をしていた。

* 「サント・トメ教会」
(サント・トメ教会)
サント・トメ教会

* ここでエル・グレコの最大の傑作「オルガス伯の埋葬」を見る。
オルガス伯爵の埋葬
 これを直に見るまではグレコはつまらない、といった。画集では判らない。ここ、トレドのサント・トメに来て(門外不出なので)直接、生の絵を見なければ大傑作だということが判らないのではないか。せめてグレコがあと5個ぐらいこのような絵画を描いていたならば、、、

* トレド全景
(サン・マルティン橋)
サン・マルティン橋
(タホ川に囲まれたトレドの町)
DSC_6297タホ川とトレド
(トレド全景)
トレド全景<br />(トレド全景)<br />②
src="http://blog-imgs-50.fc2.com/s/i/n/sinema652/20130510185352141.jpg" alt="トレド全景①" border="0" width="775" height="519" />
(トレド全景)
DSC_6307トレド全景④

2、ラ・マンチャの風車の村
「コンスエグラ」はブドウ畑の広がる平原の丘の麓の小さな村。11基の風車と城跡が並んでいる。勿論、ドン・キホーテの世界だ。
(風車)
DSC_6350風車とコンスエグラ②
(風車と城跡)
コンスエグラ
(風車)
風車②
(大平野と天空)
天空と大平野

* 今夜はグラナダ泊まり
 途中に寄った「ドン・キホーテの宿屋」のワイン蔵、山岳と雲が面白かった。
DSC_6380ワインの酒蔵
雲と山
雲と山
大きな山
  1. 2013/05/10(金) 16:36:10|
  2. 2013年『スペイン旅行』
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2013年『スペイン旅行』⑤「アビラ」~「セゴビア」~「闘牛観戦」

2013年『スペイン旅行』⑤ 「アビラ」~「セゴビア」~「闘牛観戦」

1、アビラ
(中世の城壁都市アビラの全景)
展望台からの城壁都市アビラ①
マドリードから北西にバスで1時間半、グレドス山脈の北にある「アビラ」の町は城壁都市である。旧市街を城壁で囲み、「石の町」といわれている。もうひとつは「聖女サンタ・テレサ」が育ち、「裸足のカルメル会」を設立にゆかりの町でもある。
(サン・ビセンテ門)
DSC_5458アビラ・サン・ビセント門
(カテドラルを見上げる)
DSC_5473カテドラルを見上げる
* 簡単にスペイン史に触れる。
① 紀元前2世紀頃から古代ローマ帝国の支配下。
② 南下してきた西ゴート王国(今のフランスから興った)が411~711イベリア半島(スペイン)を支配。
③ イスラムのウマイヤ朝が711~1031支配。
④ 小国に分裂、北部よりキリスト教が台頭、1085トレド(西方イスラムの中心)がカスティーリャ王国に敗れ、  1212カトリック連合軍にイスラムが敗れる。「アビラ城」が出来たのはこの時代。造ったのはカトリック、攻  めるのがイスラムです。
⑤ カトリックとイスラムとの抗争が続き、1479スペイン王国の成立、1492のレコンキスタ完成で現在のカトリ  ックのスペインは出来上がるのだそうです。
(メル・カール・ド・チコ広場)
メル・カード・チコ広場

(アビラの小路)
アビラの街・小路

* サンタ・テレサについては戒律の厳しい教団だとしか知りません。

(サンタ・テレサ修道院)
サンタ・テレサ
(テレサの銅像)
テレサの像
(修道院内のマリアの人形の像ー表現が適切でないかも知れない)
DSC_5518マリア像
(クアトロ・ポステス-4本柱ーという展望台よりの撮影)
城壁③

2、セゴビア

(セゴビアの町)
DSC_5598セゴビアの町

*「セゴビア」
 標高1千の高地にある城壁都市。15世紀にはカスティーリャ王国(カトリック)の中心地。ディズニー映画   「白雪姫』のモデルになったアルカサルがある。古代ローマ人が築いた「水道橋」1884年まで役割を果たし  ていた。ローマはえらい!壮大な土木建築の創設、しかも千年ももつようなものを造る偉大さ。
(水道橋)
水道橋
(少年少女の近代5種みたいな競技)
DSC_5608少年少女の近代5種みたいな競技
(水道橋)
DSC_5623水道橋③

* オリエントが混じったセゴビアの街の風景。
(セゴビアの街路)
DSC_5669街路②

* 立派なお城のようなカテドラル
(カテドラル)
DSC_5659カテドラル

* スペインの都市にはどこでも中心に「マヨール広場」がある。
(マヨール広場)
DSC_5664セゴビアのマヨール広場

* ここが『白雪姫』伝説?を生んだアルカサル!
(アルカサル)
アルカサル

(アルカサルの眺望)
アルカサルの眺望

* 1474年、イサベラ・ラ・カトリカはこの城でカスティーリャ王国の女王として即位することを宣言。後の  スペイン王国の女王となり、偉大な建国神話を創った。
(ここで結婚式を挙げたイサベル女王)
DSC_5726イサベル女王
(中世の絵図)
中世の絵図

* アルカサルから見下ろされた小さな中世の教会=「ラ・ベラ・クルス教会」
(ラ・ベラ・クルス教会)
DSC_5691クルス教会
(お土産物屋さん)
お土産物屋さん
* 昼食はご当地名物の「仔豚の丸焼き」、皆の前で切ってくれた。
(昼食で食べた、ご当地名物「仔豚の丸焼き」)
子豚の丸焼き
(溢れかえる小路)
溢れかえる街路
(街路地)
* 時は今新緑の真っ盛り!空は快晴、緑燃え盛る只中にいる幸せ!
(新緑のアルサカル)
新緑のアルカサル

3、闘牛観戦
(ラス・ベンダス闘牛場)
DSC_5802闘牛場
(グランドみたいな闘牛場)
闘牛場②

マドリードに帰って「ラス・ベンタス闘牛場」で「闘牛」を見た。
闘牛士たちは派手で格好いい。フラメンコと対をなすと思った。
近年、動物愛護運動から批判された事と、サッカーなどの他の娯楽が増えたことで観客が激減している。

闘牛は闘牛士の「演技」の上手さ・カッコ良さを競うショーである。牛は殺される運命にある。牛の殺されるシーンや死体をみることは残酷である。スペイン人は囃したてる。ゴヤは好きだった。その心情・死生観本当のところはわからない。


(闘牛士の入場)
闘牛士の入場
(歓声に挨拶する)
DSC_5844観客に答える
(出場する牛の紹介)
出場する牛の紹介
(牛の入場)
牛の入場

(闘牛士と牛との闘い)
DSC_5903闘牛士と牛②
(同)
闘牛士と牛④
(止めを刺す)
止めを刺す瞬間②

* 闘牛士の上手さだけでなく、牛の勇敢さも問題になるという。牛が弱いと観客が「牛を代えろ!」と野次る。  この日も2回目時がそうだった。声の通る常連の「通」がしきりに野次を飛ばしていた。闘牛場全体によく響  いていた。闘牛士と牛と観客が揃ってのショー、会場全体に「オーレ」の掛け声がかかって一体化するのが最  高だという。
(野次る観客)
DSC_6046野次る
8刺されて殺された牛)
刺されて殺された牛
(殺した牛をロバで運ぶ)
殺した牛を運ぶロバ

(歓声を受ける)
喝采を受ける闘牛士

(歓声に応える)
アッピールする
(歓声に応える)
歓声に応える
  1. 2013/05/08(水) 23:25:57|
  2. 2013年『スペイン旅行』
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2013年『スペイン旅行』④「マドリード」<プラド美術館>その4フランドル絵画

2013年『スペイン旅行』④「マドリード」<プラド美術館>その4、フランドル絵画

スペイン語がわかるともっと楽なのだがへとへとになった。しかし、フランドル絵画に傑作があるのでなんとしても、という気持ちでがんばった。何しろボスの「悦楽の園」があるのだ。これを見ずに死ねるか(笑)

3、フランドル絵画

(ロヒール・ファン・デル・ウェィデン「十字架降下」)
DSC_8095十字架降下
* ガーン、と参ってしまった。信仰の原初の形というか、宗教の真髄を示された、ショックで動けなかった。沈静化された表現ながら、躍動する生命感!重厚な作品である。華麗な衣服も素晴らしい。思いがけなくとんでもないものを見てしまって、いいんでしょか・しかし、作品の崇高さに打たれるべきか?

(フランク・ファン・デル・ストック「贖罪の三連祭壇画」)
DSC_8096贖罪の三連祭壇画
* 「十字架降下」と同じく15世紀中期のフランドルで制作された。

* いよいよ、ヒエロニムス・ボス(1450~1516)の登場。制作は1510年頃、ボス最大の傑作!もっとも宗  教改革で殆どの作品が破壊されて残ったのは僅かで、「悦楽の園」がプラドにあるとは!左側は天国で神がア  ダムにイヴを娶わせている。右が地獄。さて、真ん中は、、、?肉欲の罪?いろいろと解釈できます。
  
  何回かここに戻ってきてしばらく見ていた。観客が少なくなって少女と2人だけになった。自分は思わず「イ  マジネーション!」と叫んでしまった。すると、少女はにっこり笑って肯いてくれた。言葉が通じた。うれし  かった。本当の話です。

(ボス、「悦楽の園」)
DSC_8106悦楽の園
(「悦楽の園」右半分)
悦楽・右
(「悦楽の園」左半分)
悦楽・左

(ボス、「マギの礼拝」)
DSC_8102マギの礼拝・ボス

* 「乾し草の車」もいろいろと解釈できそうである。左が「放蕩息子の帰還」で、真ん中に愛欲、物欲、貪欲、  と描かれ、右の地獄へ向かってゆく。が、「悦楽」と違ってサイズが小さな作品なのでよく読み取れない。
(ボス、「乾し草の車」)
乾し草の車.・全体
(ボス、「7つの大罪」)
7つの大罪

* ヨアヒム・パティニール「冥府の川~」
 奇抜な発想、冥土の川なんて洒落ている!カロンなんて一体どのような?
(パティニール 「冥府の川の渡し守カロン」)
冥府の川の渡し守カロン

(パティニール「エジプト逃避途上の休息」)
エジプト逃避行

(レイメルスワール「両替商とその妻」)
DSC_8028両替商とその妻
* モロが描くフェリペ2世と結婚するイギリスの王女メアリの肖像画。決断力がありながら残酷な一面も。性格  をよく捕らえている。後の肖像画の定番になったそうです。
(アントニオ・モロ「メアリ・テューダー」)  
メアリー・テューダー

ブリューゲルの登場。
* ピーテル・ブリューゲル(父) (1525~1569)「農民の画家」
     同       (子) (1564~1638)「地獄のブリューゲル」
  ヤン・ブリューゲル  (父)    (1568~1625)「花のブリューゲル」

(ピーテル「死の勝利」 大作。ボスといいブリューゲルといい、フランドルから奇妙な不思議な発想が生まれた のだろう。人間の心の闇の、想像力の果て知れぬ巨大さに唸るばかり!貪欲、大食、怠惰などのシンボル化が凄 まじい。
死の勝利
(ヤン「視覚の寓意」)
視覚の寓意
(ヤン「4大元素」)
4大元素

* ヤンが描く人物がイキイキとしていて、モンペールの全体の構図の素晴らしさと瑞々しい色彩感覚がいい!
(モンペールとヤン・ブリューゲルの合作。「フランドルの洗濯場」
フランドルの洗濯場

(アルスロート「氷上の仮面舞踏会」)
水上の仮面舞踏会

* ルーベンス(1577~1640)の登場である。フェリペ4世の時代、彼の來西によってその後のスペイン絵画が変わったといわれている。彼の天才ぶりにびっくりした。いろいろな絵を描いている。日本にいてはその多才ぶりが判らなかった。何しろ、彼の描く肉体の男も女も筋肉隆々であること、大作を描くと思うとすてきな小品も描くのだから。

(ルーベンス「マギの礼拝」)大作!
DSC_8039マギの礼拝
(ルーベンス「三美神」)これも有名!
DSC_8045三美神
(ルーベンス「マリー・ド・メディシス」)これも、、、
マリー・ド・メディシス
(ルーベンス「竜と戦う聖ゲオルギウス」)
竜と戦うゲオルギウス
(ルーベンス「村人の踊り」)こういう作品が好きだなー。
村人の踊り
(ルーベンス「パリスの審判」)
パリスの勝利

(ルーベンス「サテュロスに驚くディアナとニンフたち」)
サテュロスに驚く

* ヴァン・ダイクは有名だが、殆どが肖像画ですか?
(ヴァン・ダイク「桂冠のキリスト」)
桂冠のキリスト

(ヴァン・ダイク「ポーター卿と画家」)
エンディミオン・ポーター卿

* 当時の(17世紀のフランドル)ブルジョワ階級の「理想の家庭」とは何かを描いているのかな?
(ヤコブ・ヨルダーンス「画家とその家族」
画家とその家族

(パウル・デ・ホス「食物庫での猫の喧嘩」)
猫の喧嘩

(ユトレヒト「食物庫」)ここまでくると醜悪ではないですか?
食物庫

* 17世紀のフランドルでは王侯や貴族のコレクションを描いて見せる「画廊画」あったとさ。この大公すごい コレクションだな。こういうコレクションを土台に現在の美術館があるのか。
大公の

テニールス・村の祭り

* やっとレンブラントの登場、この1枚限りです。レンブラントの多くの作品の中でも傑作の1つとされる。
 すごい光の当て方、堂々たる豊満なアルテミシア、夫の古代オリエントの太守の死に際し、遺灰の入った飲み物
 を飲もう(死のうと)としている。
アルテミシア

4、ドイツ絵画
 少しだけ。勿論、デュラーさんです。


* デューラーの自画像は何枚あるのだろう。「自画像」というカテゴリを創った人だから。北方絵画の勉強はこ れからだ。東京で昨年だったか、版画の凄いのを見た。「黙示録」凄かった。ここにあるのは若い時の自画像  だ。なぜ自画像を生涯に何度も描いたのか?恐らく「自我」の探求だろう。自分は何者か?何処からきて何処へ ゆくのか?永遠のテーマだ。

(アルブレヒト・デューラー<1471~1528>「自画像」1498年)
DSC_8062自画像
(デューラー「アダム」「エヴァ」)1507年
アダムとエヴァ
(デューラー「ある男の肖像」1524年
ある男の肖像

(ハンス・バルドゥング・グリーン(1484~1545)「人生の三段階」)1539年
人生の3段階

(クラナッハ(「トルガウ城での狩猟」)
DSC_8070トルガウ城での
 ルーカス・クラナッハ(父) 1472~1553
  同        (子) 1515~1586

4、ホテルに帰って、休憩後夕食に出る。

体力的に限界にきていた。絵を見ても心に入ってこない。もういい、と思った。
ミュージアムで来年のカレンダーを3部買った。パンフレットや本は重いので避けた。
ティッセン・ボルネミッサ(近代絵画の膨大なコレクション)は行く気になれず、せめて
ソフィア王妃芸術センターのピカソの「ゲルニカ」だけでも見ようととぼとぼ歩きだした。地図の見方が反対になっていた。地図ではすぐ近くなのに2度ほど人に聞いたけれどスペイン語はわからず、さまよって疲れてタクシーでホテルに帰った。(ホテルの名前と住所をスペイン語で書いた紙を見せた。)

9時過ぎに部屋の窓からきれいな落日が見えた。一行で私だけが単身者なので添乗員のSさんが気を使って部屋に電話がかかって夕食を誘われた。(夕食は各自の日だった)
それが貴重な体験をすることになる。体は疲労困憊であったが、何も食べていないので空腹だった。

地下鉄で「サン・ミゲル市場」へ行った。夜9時を過ぎているのに客で溢れかえつている。喧騒に呑まれて呆然と見ていた。1日中プラドを歩き回ったので消耗している。今にして思えばかき分けてでもそこで食べるのだった。うなぎの稚魚(名前があったのに出てこない)を売っていたのを見て、ほとんど蒲鉾が入っているでしょう、とSさん。何しろ人人である。
座って食べるところがいい、というので有名な「マヨール広場」に連れていってくれた。4階建の建物に四方を囲まれた広場。各店が外に席を作ってボーイが客寄せをしている。Sさん、一軒一軒冷やしてゆく。というかメニュを説明させてゆく。ぺらぺらのスペイン語で。やっとその内の一軒に腰を下ろした。
美味しかったかどうか忘れた。ワインを2人で1本空けて食べて1人20€?(手帳に書いてある)少しだったと思う。スペインは安いのだ。地下鉄に乗ったのが始めてなのだ。イタリアで危険だからと止めろといわれていた。初体験!又、地下鉄で帰った。

  1. 2013/05/06(月) 20:56:56|
  2. 2013年『スペイン旅行』
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2013年『スペイン旅行』③「マドリード」<プラド美術館>その3、イタリア・フランドル絵画

2013年『スペイン旅行』③「マドリード」<プラド美術館>その3、イタリア絵画

この日は「プラド」を見尽くすという意気込みでいた。(笑い)前もっていいという作品をピックアップしていたが、いい作品があまりに多いこと、それにこちらの消耗度が激しくなってきたので、最後の方は作品を確認するだけか、それも怪しくなった。

2、イタリア絵画

(フラ・アンジェリコ「受胎告知」
フラ・受胎告知
* 2011年のイタリア旅行の時、コルトーナの教区博物館でこの世のものとは思われない優美華麗なアンゼリコの「受胎告知」を見た。夕食の時、ツアーの中で論争が沸き起こった。フィレンツェかコルトーナか?参考に以下にあげておきますから、皆さんどれを取りますか?
(コルトーナの「受胎告知」)
コルトーナの受胎告知
(フィレンツェ・サン・マルコの「受胎告知」)
サン・マルコ修 2F廊下 受胎告知 2

(メッシーナ・「天使に支えられる死せるキリスト」)
メッシーナ

(ボッティチェリと弟子・「オネスティの物語」
ボッティチェリ
* 弟子にやらせたもの、ボッティツェリの華麗さこんなものではない!

(ベリーニ・「聖母子とカタリナ・ウルスラ」
ベリーニ
* さすが、ヴェネツィア派の巨匠、さすがです。

(ラファエロ「ある枢機卿の肖像」)
枢機卿

(ラファエロ・「魚の聖母」)
魚の
* ラファエロは4点あるそうです。ここで1番の「子羊のいる聖家族」は日本に行っている。スペインに来る前に 見てきました。やさしくいい作品でした。

(サルト「若い婦人の肖像」)
サルト・若い婦人の肖像
* サルトの若いお嬢さん像、いいです。

(コレッジオ・『聖母子と聖ヨハネ」)
コレッジオ・聖母子と聖ヨハネ

(パルミジャニーノ・「サンセコンド伯爵夫人と3人の子ども」)
サンセコンド伯爵夫人と3人の子ども

(ブロンツィーノ「ガルチア・デ・メディチの肖像」)
メディチの肖像
* 以上の2点は個性を見事に捕まえていると思う。


(ティツィアーノ「ヴィーナスとオルガン奏者とクビト」)
ヴィーナスとオルガン奏者
* いよいよ、ヴェネツィア派にきました。ティツィアーノにいたっては30点、それもいい作品ばかりだそうで  す。さて、ヌードの有名な作品!ここにあったのです。ヌードご禁制のスペインにね。オルガン奏者はどこを見 ているのですか!
* 「カール5世騎馬像」「ダナエ」「自画像」「ナイル川から救われるモーセ」一連の作品 「弟子たちの足を洗  うキリスト」以上重要な作品ですが略します。

(ヴェロネーゼ「ヴィーナスとアドニス」)
DSC_7993ヴィーナスとアドニス
* ベラスケスがイタリア旅行の時、フェリペ4世のために買ったもののひとつだそうです。ベラスケスが選びそう  な確かな構図です。

(カラッチ「ヴィーナスとアドニス」)
カラッチ・ヴィナースとアドニス
* どう見てもヴィーナスの官能性が目に入ってくる。

(バロッチ「イエスの降誕」)
DSC_7996パロッチ・イエスの降誕

(カラヴァッジオ「ゴリアテの首を持つダヴィデ」)
DSC_7997カラヴァッジオ
* カラヴァッジオの登場。ドラマの迫真性!

(グイド・レーニ「アタランテとヒッポメネス」)
レーニ・アタランテとヒッポメネス
* レーニの有名な作品。2体のヌードの姿勢はダンスかバレーのような動きを連想させる。後世マチスあたりに  盗まれそうだ。

(レーニ「クレオパトラの自殺」)
クレオパトラの自殺

(マラッタ「アンドレア・サッキの肖像」)
サッキの肖像
 * サッキはマラッタの工房の師匠らしいが、修行を終える時に感謝の印に描いたらしい。この肖像画は17世  紀後半の規範とされたという。感情の表現、心理、簡潔な構図、色彩などだそうです。

* ジョルダーノの「メッシーナの寓意」などの傑作が続くのですが絵がごちゃごちゃして疲れた目には煩い。
* コルトーナもイタリア絵画をあさっていた時お目にかかった気がするのですが、、、

(バッタリオーリ「アラフェンス庭園のフェルナンド6世とブランカーサ」)
アランフェス庭園の
* バッタリオーリという画家はよくわかっていないらしいがこういう絵は好きです。フェルナンド6世の18世  紀がアラフェンス宮殿が舞台です。


(アントニオ・ヨーリ「ナポリ湾で乗船するカルロス3世」)
ナポリ湾のカルロス3世
* 18世紀中頃フェルナンド6世が亡くなって新王カルロス3世がスペインに行くためにナポリ湾から出港し   た。それだけですが壮大な絵にすると面白い。

(ティエポロ「無原罪のお宿り」)
ティェポロ・無原罪のお宿り
 *イタリアの最後は有名なティエポロです。18世紀後半、この作品は「無原罪」の完成された作品だといわれ  ています。
  (イタリア編は終わり)
  1. 2013/05/06(月) 15:56:27|
  2. 2013年『スペイン旅行』
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2013年『スペイン旅行』②「マドリード」<プラド美術館>その2、昼食後又プラドへ

2013年『スペイン旅行』②「マドリード」<プラド美術館>その2、 昼食後又プラドへ

セルバンテス

マドリードの中心にあるグラン・ビアとスペイン広場。セルバンテスと「ドン・キホーテとサンチョ・パンサ」の像が建つスペイン広場を眺める。のどかな風薫る春の息吹が匂ってくる。
賑やかな大通り

スペインの大通りは近代のパリやニューヨークを真似たらしいが表面の賑やかさだけは負けないか?
街中でトランペットの華やかで悲しいメロディが聞こえてきた。いいなー。
トランペット弾き
街中を歩いていたら仮装のお姉さんを見つけた。何のお祭り?
DSC_5420仮装する人

再び、プラドへ。

③ エル・グレコ他スペイン絵画

午後のプラドは相変わらず混んでいた。午前のチケット(判を押してもらっている)で再入場。あらかじめ1人で見る時の方針を決めていたが、机上プランだと思い知った。言葉・文字がわからないとどうしょうもないのだ。

常設1400点、①、スペイン ② イタリア ③ フランドル ④ ドイツ
さてどこまで行けるか?時間は午後8時まで。体力が持つか?

1、スペイン絵画

A,エル・グレコ (1541~1614)

たびたび触れるように今回のスペイン旅行のきっかけになったのが東京で「グレコ展」を見たことからだ。宗教画ばかりでつまらなかった。そう言った手前責任があると思い少し調べた。グレコはギリシャ人でイタリアで(ヴェネツィア派に)修行を積んでスペインにやってきた。しかし、フェリペ2世に受け入れられず宮廷画家の道は諦め、教会・修道院の依頼に答えた。知識層、教会関係者に圧倒的に支持された。
(エル・グレコ、 「羊飼いの礼拝」
DSC_7882羊飼いの礼拝

(エル・グレコ、 「聖霊降臨」 )
DSC_7888聖霊降臨
(エル・グレコ、 「胸に手を置く騎士」 )
グレコ・胸に
* うーんと唸ってしまった。オレは間違っていたか?「羊飼いの礼拝」の構成力、赤と青と緑の色の使い方がなんとも言えないほどいいのだ。
「胸に手を置く騎士」の精神性の深さ!午前に見たベラスケスの「十字架の上のキリスト」と並んで肖像画(ベラスケスは違うって?私には同じに見えたのです)の傑作ではないか!

B、スルバラン (1598~1664)
(スルバラン、「無原罪のお宿り」)
スル・無原罪
(スルバラン、「カディス防衛」 )
スルバランカディス防衛
* 「無原罪のお宿り」何人の画家が描いているがスルバランもいい。清純さ、可憐さでしょう。
  「カデス防衛」もスペイン絵画には歴史的場面を描いた名画があるのですね。

C,リベーラ (1591~1652)
(リベーラ、 「ヤコブの夢」 )
DSC_7903リベーラ・ヤコブの夢
(リベーラ、 「改悛するマグダラのマリア」 )
マグダラのマリア
* 「ヤコブの夢」は聖書の中のお話でしょうが、ヤコブは何を夢みているのでしょうか?あなたの夢に現われる のは誰ですか?

D,マーソ、(17世紀後半)

(マーソ、「サラゴーサの眺望」)
サラゴーサの眺望
(マーソ、 「桟敷での狩猟」)
桟敷での

* 「サラゴーサの眺望」こういう風景画は好きです。特に川とか丘が出てくるのはいいですね。
  「桟敷での狩猟」実際の歴史上の人物が出ているそうです。フェリペ4世が出てくる宮廷風景だそうです。

E、ムリリョ (1618~1682) 

(ムリリョ 「よき羊飼い」 )
よき羊飼い
(ムリリョ 「小鳥のいる聖家族」)
ムリリョ・小鳥の
(ムリリョ 「無原罪のお宿り」)
無原罪・ムリリョ
(ムリリョ、「貝殻の子どもたち」)
貝殻の
* 近代になってベラスケスが評価されるまでスペイン最大の画家だった。子どもを描くことに定評がある。そうか、大家なんだ。どうりで上手いと思った。「聖家族」のいかにも穏やかな家庭像だし、「羊飼い」の幼児キリストの可愛いさ!

F,アルカーサル (1746~1799)

(アルカーサル、「王室のカップル」)
王室のカップルたち
(アルカーサル、「仮面舞踏会」)
仮面舞踏会
(アルカーサル、「廷臣の前で食事をするカルロス3世」)
DSC_7939食事・カルロス3世

* アルカーサル
 詳しいことは判らない。ただ、絵が面白い。ロココぽいがここまで宮廷風景を描くとなると凄いことです。
 
 足が棒のようになり、目がかすんできた。まだまだこれからだぞ!

テーマ:海外旅行記 - ジャンル:旅行

  1. 2013/05/04(土) 15:38:47|
  2. 2013年『スペイン旅行』
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2013年『スペイン旅行』① 「マドリード」<プラド美術館>その1ベラスケス・ゴヤ

2013年『スペイン旅行』4/19~4/29 ①「マドリード」<プラド美術館>その1 ベラスケス・ゴヤ

はじめに
プラド美術館、写真は禁止。携帯みたいなものまで看視の目を光らせていた。教会も撮影禁止の所とノーフラッシュならOKだが、教会は祈る所だから撮影は歓迎されない。又、暗い教会での撮影は今まで成功していない。従って一番撮りたい所がダメなので残念でした。
ツアーの旅行会社の名前も一行方々もここには出しません。遠景に写っていたら風景の一部と思って下さい。
マドリードーアビラーセゴビアートレドーコンスエグェラーグラナダ(アルハンブラ)-コルトバーセビージヤーロンダーミハスーコスタ・デ・ソルーバルセロナの各地を回りました。11日間では出来すぎたプログラムだと思います。ただ、その中味はツアーや個人の好みで変わります。
ツアーで単身は私1人でしたので添乗員のSさんには大変お世話になりました。

Ⅰ日目 4/19(金)
フランクフルト経由でマドリード着。市内のKホテルに宿泊。

2日目 4/20(土)午前、マドリード、プラド美術館。スペイン広場。
午後、自由行動。
いよいよ待望のプラドだ!天気快晴、マドリードの太陽はまぶしい!
朝の寒さも感じないほど心は高揚している。
9時半、プラド美術館に直行、添乗員Sさん、現地ガイドAさん(在住30数年現地ガイドの日本人男性)主要の作品を解説してくれる。
入り口は多くの団体で一杯である。美術館近くでギターを弾いている男、(名物らしい)耳に慣れた曲が流れてきた。「アランフェス協奏曲」「禁じられた遊び」

(ゴヤ像の建つプラド美術館)
DSC_5292ゴヤ像とプラド美術館

① ティエゴ・ベラスケス(1599~1660)
プラド美術舘に入ってベラスケスの「ラス・メニーナス」に直行、幸い誰もいなかった。すぐ、ここは一杯になるという。途中から他の集団が入ってきてその通りになった。午後行った時も団体で一杯だった。
(ラス・メニーナス)
ラス・メニナース
「ラス・メニーナス」(女官たち又はフェリペ4世の家族)1656
ベラスケスいやスペイン絵画最高の傑作!やっと本物の前に立った。皇女マルガリータを中心に侍女・女官たち、仕えていたコビトの侍女・小姓、鏡に映る国王夫妻、ベラスケス自身が見事な遠近法で描かれている。展示室の真ん中まで下がってみると、絵の中の遠近がよくわかる。7層ぐらいに描き分けている。だからこの部屋に人がいてはダメなのだ。
これは凄い!肖像画の群団だろうか?各人物の描き方、衣装、構成力といい「神の領域」の世界だ。これは凄い、と心の中で呟きながら見ていた。
「フェリペ4世」1623~27の寵愛をベラスケスは一身に受ける。

(バッカスの勝利ー酔っ払いたち)
DSC_7861バッカス
「酔っ払いたち(バッカスの勝利)」 1627~28 諧謔性!しかし、題名は誰がつけたのでしょうか?

「ウルカヌスの鍛冶場」1631

(十字架のキリスト)
DSC_7811十字架
「十字架のキリスト」1632 漆黒の背景に十字架のキリスト。何と精神性の深い作品か!心の底に響いていった。

*私のいつも癖だが、優れた絵を見ても、いい音楽を聴いてもすぐには心の底をえぐっては来ない。何かの折に心の扉を開け、感動が心の中に広がるのだ。他界と断絶した心の運動に熱中する。いわば、芭蕉の「旅心定まりぬ」の状態になるといえる。「十字架のキリスト」がこの日はそうだった。ベラスケスの巨大で深い世界に入っていった。ベラさんの作品がみなうまいのだ。こういう人がいるのね、と呆れてて見ていた。

(槍ーブレダ開城)
DSC_7813鍵
「槍(ブレダ開城)」1634 307×367 大きな作品だが内容も巨大。構成力の凄さに見とれる。歴史の決定的場面を見事に描いた。集団の構成、人物、槍、武器、馬、兵士、遠景、見事としか言いようがない。「ラス・メニーナス」と同じだ。

「道化パブロ・デ・リャドリード」1635 優れた役者のようだ。いろいろな人生を渡ってきたような人物を想像さ  せる。
「小人ディエゴ・デ・アセ―ド」
「フェリペ4世騎馬像」1631~36
「バルタサール・カルロス王子騎馬像」1635 少年が颯爽と騎馬で走る。
「イソップ」1638 あのイソップの作者。古代ギリシア寓話作家。個性的な風貌。
「フランシスコ・レスハ-ノ」1640 宮廷の小人。悲痛な威厳と損なわれない人間性を描いているという。次も同 じ。
「道化師セバスティアン・デ・モーラ」1646
「王妃マリアナ・デ・アウストリア」1652~53王妃や皇女を描くときの衣装の立派さ、見事さ。ロングスカートの 柄と色合いの見事さ。

(アラクネの寓話ー織女たち)
DSC_7866織女

「アラクネの寓話(織女たち)」1657 構成力といい人物像といい凄いとしか言い様がない。ギリシャ神話アテネ は戦いと技芸(芸術)を司る神。弟子の娘アラクネとの織物勝負を描いたもの、らしい。前面の老女と若い女が 糸 車を廻して糸を紡いでいる。画面は2段になっていて、奥に部屋があってギリシヤの兵士みたいな者がいる この勝負どちらが勝ったか?

『メルクリウスとアルゴス』1659

「マルガリータ王女像」1660

* 他の美術館に「セビーリャの水売り」(1623ウエリトン美術館)「イノケンウス10世の肖像」(1650ドーリア・パンフィーリ美術館)「鏡を見るヴィナース」(1648ロンドン・ナショナルギャラリー)名作がある。だがベラスケスの作品はプラドに集中していて散逸していないのは驚異!

* ティエゴ・ベラスケスは 17世紀スペインを代表する画家。南部暖かいセビーリヤに生まれた。少年時代の師パーチェコ(有力な画家)に見込まれ、後に師の娘と結婚し、宮廷画家に成るべくしてなった感がある。フェリペ4世の側近に取り立てられる。画家という低い身分から貴族に引き上げられた。ルーベンスと親交があり、イタリアへ2度も行きルネサンス絵画も学ぶ。フェリペ4世が寂しくて早く帰れ、と催促したそうだ。

② フランシスコ・ゴヤ(1746~1828)
代表的名作は
(カルロス4世の家族)
DSC_7847国王一家
当然ベラスケスの「ラス・メニナース」を意識して「カルロス4世の家族」1800~01を挙げる。ゴヤが宮廷画家になった翌年の制作。中央に宮廷の実質的な支配者王妃マリア・テレサ。愚鈍と揶揄された国王カルロス4世の凛々しい姿、国王一家の集団肖像画を描いたもの。首席宮廷画家まで登りつめるゴヤだから多くの肖像画を描くわけだが、対象の人物の性格・くせを見抜いて描いてもしかも相手に嫌がられないという稀有な才能の持ち主なのだ。王カルロス4世、狩にしか興味を示さない愚鈍の楽天家。王妃マリア・テレサ、宮廷の実権を握り荒淫な生活が顔に出ている。左右の幼子の父親は王ではない。

*フランシスコ・ゴヤ(1746~1828)
ゴヤはスペイン北部のサラゴサ近郊フェンデトドスという寒村で生まれた。そこへ3度行った作家堀田善衛は、「こういう所で生まれ育った人間は何を思い考え生きて行くだろうか」とアラゴンの荒涼たる貧しく過酷な自然を前にして言っている。
14歳の時からサラゴーサで絵画の修行を始め、兄弟子のバエウ兄弟(バエウの妹とゴヤは後に結婚)がいた。王立アカデミーに2度落選、24歳の時大画家を目指してイタリアへ行く。イタリアでルネサンスの傑作に出会い、フラスコ画の技法を学ぶ。翌年帰国、27歳の時バエウの妹ホセーファと結婚。翌年バエウの紹介で王立タペストリー工場で下絵描きの仕事に10数年携わる。
40歳の時、国王カルロス3世付きの画家になり、43歳の時新王カルロス4世の宮廷画家になった。40代になって不治の病で聴力を失う。代表作の「カルロス4世の家族」両マヤ」「5月3日」「巨人」などみなこの時期の作品である。
61歳の時、ナポレオンの侵攻に対してスペイン独立戦争になり、「5月3日」「巨人」版画集「戦争の惨禍」がこの時期の作品。69歳のゴヤは40歳も年下のレオカデイア・バイスと同棲。(妻は3年前に死亡)73の時、マドリード郊外に別邸を購入、その家の壁に掛けていた14枚の壁画が「黒い絵」である。
自由主義者弾圧を避けて78歳の時、フランスのボルドーに亡命、82年の波乱の生涯を終えた。

* 主要な作品

(日傘)
DSC_7834パラソル
「日傘」1777 タペストリーの下絵であったとされる。通俗的だが気品と若〃しさにみちている。

(オスナ公爵夫妻とその子どもたち)
DSC_7838公爵一家
「オスナ公爵夫妻とその子供たち」1789  慈愛に満ちたオスナ公爵、聡明で美しい公爵夫人、愛くるしい子供た ち。素晴らしいの一言に尽きる!ゴヤの目は対象のあらゆるものを見逃さない。それがどうですか?オスナ公一 家、本当に人柄がよかったんですね。

1789年、宮廷画家に任命。
「アルバ公夫人」1797 ニューヨーク・スペイン協会 画集で見るとあの噂どおりのカッコいい・洒落たマハ(洒 落た小気味いい女)ですよ。

(着衣のマハ)
DSC_7844着衣の

(裸のマハ」1800
DSC_7841裸

「裸のマハ」1800 ヌードがご禁制だとは知らなかった。イタリアでは美の対象でもあるのだが、カトリックの専 制の国ではヌードがお下劣になる!教会が恐いのだ。異端審問審査会、という現代 の「CIA」が目を光らせ ていた。ベラスケスの「鏡を見るビーナス」(ロンドン・ナショナルギャラリー)この「裸のマヤ」の2点のみ しか、中世から近代までスペインではヌードは描かれなかった?スペインという御国はどういうお国でしょう。

「チンチョン伯夫人の肖像」1800
「巨人」1811
「バルコニーのマハたち」1811 メトロポリタン
「1808年5月2日、マドリードにて」1814

(1808年5月3日、ビオ山での銃殺)
銃殺
「1808年5月3日、マドリードにてープリシペ・ピオ山での銃殺」1814
 ナポレオン侵攻に対するスペイン独立戦争にかかる悲劇。右の銃剣の兵隊はナポレオン側、犠牲になっているの がスペインの市民たち。左の黒いのがマリアだと言われている。

「悪魔の宴」1821

(ミルク売り)
DSC_7855ミルク売り
「ボルドのミルク売りの娘」1827 死ぬ1年前の81歳の時の作品。こんな瑞々しい作品が描けるとは素晴らし  い。

* ゴヤとベラスケス、生まれ在所は両極端、だが共に良き先輩に恵まれ彼らの引き立てによって大成した。ベラさん神の領域の世界に在るという感じが否めないが、ゴヤさん一歩一歩登りつめた感じ。ゴヤさんの凄い所はこれと思った課題は全部こなしてしまうことです。
  ゴヤは聴覚が失われたあたりから自分の内部の暗闇部分の洞察とその表現に向かってゆく。ゴヤの近代性だし凄いところ。ベラさんと百年違うところか。ベラさん職人・宮廷・神の領域といった標語が浮かぶが、ゴヤさん市民・内面の精神に苦闘する芸術家・人生の裏表に通じた苦労人といった感じ。
  1. 2013/05/03(金) 17:37:55|
  2. 2013年『スペイン旅行』
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