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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『美術・展覧会』「ルーベンス」(栄光のアントワープ工房と原点のイタリア)3.28

『美術・展覧会』「ルーベンス」(栄光のアントワープ工房と原点のイタリア)
         3.9~4.21         2013.3.28
ルーベンス

ピーテル・パウエル・ルーベンス(1577~1640.バロック期のフランドル画家。
外交官。現在のドイツに生まれた。父は早く死去、母は彼を貴族の小姓に
出す。アントワープ(ベルギー)で画家としての修行をする。
17世紀の初頭、イタリアでの8年間の滞在で、ヴェネツィア派(ヴェロネ
ーゼ、ティントレット、ティッアーノ)に学び、次いでローマへとイタリ
ア中を旅し、ヘレニズム、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、
カラヴァッジォの影響を受け、ヨーロッパ絵画の本質を会得した。
1609年、スペイン領ネーデルランドの王アルブレヒト7世・スペイン王女
イザベル宮廷に迎えられ、アントワープに工房を開いた。ヴァン・ダイク
をはじめとして何人もの優れた弟子を抱え、又、親友で共同制作者にヤン・
ブリューゲルがいた。ヨーロッパ中からの注文を受け果敢に制作した。

17世紀バロック最大の巨匠といわれ、膨大な作品を制作した。作品に自筆
を求めるのは無理がある。工房での制作(ヴァン・ダイクなど優れた弟子)
親友との共同制作者など(ヤン・ブリューゲル(父))制作形態が現代と異な
る。
ルーベンス②
パンフレットの作品、
① 「毛皮をまとった婦人像」② 兄の子どもを描いたとされる「眠る二人の子どもたち」
③ヴァン・ダイク「懺悔のマクダラのマリア」④「キリスト降架」(版画。元は大聖堂の大祭壇画の1つ。原画は油 彩
ヴァン・ダイクの初期の作品、みずみずしい!他のルーベンス、さすがに巨匠!
 
祭壇画、肖像画、風景画、歴史画、ジャンルも多く同一題名の多くの作品
もあり、あれこれいうことは馴染まない。ただ、作品が大味であり、こち
らを捕まえて離さないものはない、と見た。ルーベンスの人物は男も女も
子どもも筋肉隆々たる肉体美を誇る世界。
スペイン王フェリペ4世から信頼をおかれ、スペイン絵画がルーベンスな
しで考えられないという説があるほどだ。

「栄光のアントワープ工房と原点のイタリア」という副題がつく展覧会、
副題通りの出来栄えだった!?
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  1. 2013/03/28(木) 21:48:31|
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『日記』 「桜について」 3.24

『日記』 「桜について」  3.24
DSC_6944御苑③
<今年の桜は寒い冬の内から、バタバタしたかと思うと一気に咲いた。芽吹いたと思ったら一気に咲いた。

落ち着かない。これは業平の有名な

「世の中に絶えて桜のなかりせば  春の心はのどけからまし」

とわけが違う。今か今かと芽吹きを期待する心や、又、西行の、

「春風の花を散らすと見る夢は  さめても胸のさわぐなりけり」

とも違う。バタバタ感である。小生、花粉症に罹って10年古の春の桜心情とは無縁の身に

なってしまった。しかも、東京の「染井吉野」は花が汚い。山桜や八重桜の夢の様な抒情

がない。20~30年で1人前になるので染井吉野を植えてしまったからだ。

花粉が治まったら何処の古木を見に行こうか?

  1. 2013/03/24(日) 10:59:24|
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2013年『映画』 「ある海辺の詩人ー小さなヴェニスでー」イタリア映画。3.23

2013年『映画』「ある海辺の詩人ー小さなヴェニスでー」 イタリア映画。3.23
監督アンドレア・セグレ。
出演、チャオ・タオ。ラデ・シェルべッジア)
IMGある海辺の詩人

ヴェネツィアを取り巻くアドリア海に浮かぶ島々をラグーナ(潟)というが、この映画の舞台はヴェネツィアの近くのラグーナの漁師町である。観光地の派手さとは無縁な、中世の田舎の漁師町。運河を船で行き来し、人々は日々働き夜行きつけの町の酒場に集う。

故郷中国に最愛の1人息子を残してきた中国人移民の女性シュン・リーがその酒場で働いている。いつか息子を呼び寄せたいと願っている。(中国系の大きな組織―縫製工場・店舗・酒場・中華料理店―彼女は旅費、生活費などの借金があり、働いて返し将来は息子を呼び寄せたいと思っている。)

30年も前に故郷旧ユーゴースラビアから流れてきて、皆から「詩人」と呼ばれている初老の漁師ベービはリーと、いつしか、互いの家族や故郷のことを話すようになった。中国の昔の詩人「屈原」が好きなリーは、屈原に託して己の孤独感を歌い、異郷での孤独な寂しさを心の奥に持っていたベービも共感していった。ベービは息子と離れてこの港町に1人で暮らしており、息子は心配しているが彼はここを離れようとはしない。2人のそれぞれの孤独感は年の差、祖国を越えて共感し合う。

しかし、2人が親しくしているのを酒場の仲間たちは快く思わず、嫉妬から「移民」への悪感情が吹きだす。又、中国人の組織も危機感を抱き、リーに違う働き場所を、、、。

ボケた画面がだんだん焦点が合ってきて、揺らめく水面に、赤いハスに見立てた紙の燈明とほのかに写った炎。いくつもいくつも流れてゆく、と思ったらバスタブの中の風景だった。叙情性たっぷりのイメージが映画全体を覆い尽くす。港町の素朴な日常風景、冬に道路が潮で水浸しになるラグーナの情景、運河の上に建つ家々の洗濯物を干す風景、どこかで見た風景だ。
屈原なら端午の節句だが、ほのかな赤い燈明がゆらめくイメージは美しい。映画は人と人との出会い・別れに感動を与える。ラグーナ(潟)から北の、「詩人」ベービの故郷の方角、300km離れた雪で覆われたアルプスの山並みの風景はすばらしい。

中国人の女を演じるのは「長江哀歌」のチャオ・タオ。初老のベービは「ビフォア・ザ・レイン」のラデ・シェルベッジアである。

背景に最近イタリアでも問題になっている「移民・不法移民」の問題がある。叙情性で処理しているので前面に出てこないが、いずれこの問題は避けては通れないであろう。
ある
  1. 2013/03/23(土) 23:53:47|
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2013年『映画』「愛、アムール」(仏映画。監督ミヒャエル・ハネケ)3.19

2013年『映画』「愛、アムール」(監督ミヒャエル・ハネケ)3.19

愛・アムール

これは、老後の残酷さや介護の大変さを語る映画ではない。終末期にきた老夫婦の、愛の物語なのだ。

パリのアパート。高級なアパートに住む老夫婦ジョルジュとアンナ、音楽家夫婦なのだ。アンナの弟子の若手の有望なピアニスト(アレクサンドル・タロー)の演奏会にゆき、満ち足りた感動に浸ってきたのだった。身の回りのことは2人で出来るし、何不自由のない充実した老後を送っている。

アンヌに異変がおこる。アンヌは難病に罹り半身不随の後遺症を抱えてしまう。退院したアンナは車椅子生活、「2度と入院させないで」とジョルジュに約束させる。

妻アンナを愛する夫ジョルジュの、自宅での介護が始まる。かつてピアニストであり、誇り高く美しかったアンナ。日々容態が悪化するアンヌの無残な「老い」を、監督ハネケは容赦なく描いてゆく。それは見方によっては残酷な「老醜」ともいえる。と同時に、介護するジョルジュの老化の進行でもあった。老老介護の実態は日本の我々にとっても目新しいものでないかも知れない。

夫ジョルジュをかつてのフランスの名男優81歳のジャン=ルイ・トランティニャン。妻アンナを85歳の日本人には馴染みの「24時間の情事」のエマニュエル・リヴァ。

エマニュエル・リヴァが凄い!体の不自由さ、寝ている間に尿を漏らした時などの、自分に対する「怒り」とも「悲しみ」ともいえない感情。老いの屈辱・誇り・悲しみ・を全身で演ずるリヴァがすごい!

映画のはじめのシーンで、花に飾られたアンナのベットに横たわっている姿がある。崇高な神々しいシーン。そこにすべてがある。2人の名優を使ってハネケ監督が作り上げた、人間の終末期の、崇高な愛の物語である。アンナの意識の崩壊・人間の崩壊。ジャンにとって耐え難いことだったのであろう。しかし、どうすることが出来るだろうか?在宅介護につきまとう最後の場面は、、、。何事をすれば犯罪の領域になる。

2羽の鳩は何を意味するのか?
  1. 2013/03/19(火) 20:31:04|
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『日記』 「3・11を迎える」

『日記』「3・11を迎える」

はやくも2年が経ってしまった。いろんなことがあった。その時その時、さまざまな思いを

抱いた。しかし、克明に記録しなかった。それを悔やんでいる。なぜなら時の流れと共に

人々は都合の悪いことを忘れてゆく。ひとつの例として、あの時あんなにも懲りたはずの

原発を再稼動してしまった、、

東京にとって、背後の東北の存在は大きい。息子一家が被害を受ける。友人・知人で被

災地の出身が何人かいた。その方の親戚の誰々さんがまだ行方不明、そんな事をいく

つか聞く。

20年前に、西で大きな地震があった。今度は東の番だ。さあーどうするか。

不安定な地盤の上に成り立つ「ヤマトノクニ」  何処へ行くか?何をするか?


  1. 2013/03/12(火) 18:06:11|
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『日記』 「憂鬱なハル」 3.10

『日記』 「憂鬱なハル」 3.10

このやっかいなモノに罹らなければ、春は待ち遠しくせつなく待ち望んでいたものなのに。

いにしえのの歌人たちが歌った「桜待ち」の歌の数々を、ひっくり返してお返ししょう。

花粉症、3月2日(土)春・・番の突風が吹き、横殴りにアッパーを食わせて行った。

花粉症をしってから、あの春爛漫にうきうきする待望感はどこへいったか?

本日、午後をまわった頃、所要で中央線を乗っていたら、新宿から左側は真っ青な快晴!

右側は、東の方から暗雲が攻めてくるではありませんか!まさに、今悪者の「黄砂」です!

花粉だけではなく、PM2・5も含まれているらしい。ますます憂鬱になってゆきました。
  1. 2013/03/10(日) 18:53:19|
  2. 『日記』
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『美術/展覧会』「初めての女性戦場写真家ーゲルダ・タロー」その2 

『美術/展覧会』「初めての女性戦場写真家ーゲルダ・タロー」その2 3.7

ゲルダ③ (ゲルダ・タロー)

戦場報道写真家といえば、ロバート・キャパである。なぜゲルダ・タローは忘れられたのか?というか、ゲルダの存在を知らなかった。ちょっと詳しい人でも、キャパの公私にわたるパートナー程度である。今回、調べてみて貴重な発見をした。横浜美術館での開催の「2人の写真家ーロバート・キャパ/ゲルダ・タロー」に多くのことを教わった。特にイルマ・シャーバーのキャパ・ゲルダの伝記、リチャード・ウェーランのゲルダの写真をキャパのそれから固定すること(恐らく2人の作品と、あいまいにされているものからゲルダの作品を特定すること)
の文章、この2人の文章に教えられた。以上、先達からの抜書きを提供する。
ゲルダ4(ゲルダ・タロー)
1933年、ゲルダ・タロー、ユダヤ人追放・反ナチ思想からドイツから、パリに亡命。
1934年、後のキャパとパリで出会う。キャパもユダヤ系ハンガリー人でパリに亡命
     している写真家であった。
1935年、夏、仏のサント・マグリット島へ出かけた後、同棲する。
1936年、春、「ロバート・キャパ」「ゲルダ・タロー」の名前で米の写真家として売り出す。
1936年、7月、スペイン内戦 始まる。
1936年、8月、2人で取材のためにスペインに渡る。バルセロナーアラゴン戦線ー
         マドリード、ートレドーアルカサルーコルドバ戦線
3人の兵士(共和国軍兵士たち。アラゴン戦線、1936年8月)
共和国軍兵士はいわゆる軍隊ではない。一番根幹の「階級性」がないのだ。兵、下士官、将校、隊長、司令官などの「階級性」を廃止しているのだ。勿論、リーダー、作戦の場合の指揮系統はあるが。上のアラゴン戦線の3人の兵士の強烈な意志・逞しさはどうであろうか?兵士1人1人が、命令で動く階級性の軍隊の百倍に匹敵するではないか!
3人の女性兵士②
女性兵士の何と明るく健康的なこと!服装も思い思いに個性をこらしている。
女性兵士①
砂浜で銃の訓練している女性のカッコ良さ。
これらは皆、ゲルダの作品である。
(2人がスペイン内戦のこの時、使ったカメラがキャパが長方形のライカ35ミリ。ゲルダが正方形のローライフレックスだった。リチャード・ウェーランが、キャパの弟夫妻の所有のプリントから区分けした。)

恐れを知らない男性兵士や明るく溌剌とした女性兵士の自由な軍隊は、無政府主義者の民兵組織に多くあった。スペインが新しく変わる姿を全世界に向かって発信したのだった。
(スペイン人民戦線革命に様々な夢を託してきたが、ここでいわれている「戦争・軍隊」の意味を根源から問い直していることが重要だ。ソ連の武器援助と引き換えに旧来の軍隊組織を求められ、女性は軍事訓練から追いやられ、裁縫の仕事に戻っているのだった。)
ゲルダは女性らしい目で戦場や町の様子、子どもたちの様子をカメラに収めている。
兵士と少年たち(共和国軍兵士と少年たち、アラゴン戦線。1936年8月)
1936年9月、キャパとコルトバ戦線を取材。キャパが「崩れ落ちる兵士」を撮ったシーンの、ゲルダのフイルム。崩れゆく兵士②
崩れゆく兵士③
 (キャパの「崩れ落ちる兵士」)

1937年2月、キャパと共にスペインに取材。アルメリアでマラガからの難民を撮る難民①
同じ頃、戦艦ハイメ1世で陽気な海兵たちを撮る。戦艦ハイメ1世の海兵
1937年5月、キャパと落ち合ってセゴビアのナバセラダ峠へゆく。ここはへミングウエ
         イの「誰がために鐘は鳴る」の舞台だ。
       バレンシアで空爆の犠牲者、遺体の写真を撮る。
2人の遺体
(カップルの遺体。足と組み合わさった手でカップルであることを表現している。)
1937年6月、マドリード隣接カラバンチチェルでダイナマイト兵の戦闘を撮る。
ダイナマイト兵
1937年7月、4日、キャパと共に「第2回文化擁護のための国際作家会議」を取材する。
       DSC_4857ブルネテの戦闘(ブルネテの戦闘シーン) 
        6日、ブルネテの戦いを撮る。
        14日、パリに帰り、キャパとパリ祭を祝う。タローはマドリードに戻り、
            国際旅団のテッド・アランとブルネテの戦闘を撮る。
        25日、パリに戻るつもりだったが、撤退する軍の大混乱に巻き込まれる。
           2人は走っている車に飛び乗ったところを共和国軍の戦車に追突。
        26日、早朝、タローはエル・エスコリアルの野戦病院で戦死。戦場で
           取材中、戦死した初めての女性写真家となる。
        以降、共和国政府公式の弔意。パリで仏共産党により人民葬。
        ペール・ラシェーズ墓地に埋葬。
最後に、私の好きな写真。ゲルダが兵士に寄り添って、ふと空を見上げている。ゲルダは何を見ているのだろうか?何を思っているのだろうか?
 ゲルダと兵士
  (「共和国軍兵士に寄り添うゲルダ。1936年コルドバ戦線。ロバート・キャパ)

スケールが大きいけれど、忙しい男は内戦の後、ヨーロッパ戦線の各場面ー特にノルマンディー上陸作戦、日中戦争、第一次インドネシア戦争など走りまわって地雷を踏んで死んだ。ゲルダをどう思っていたか?彼は何事についても語らなかった。

ゲルダとスペイン内戦に戻ろう。
ゲルダ・タローはまさしく初の戦場写真家だ。復元された写真を見ても、写真は語っている。すばらしい!ゲルダの「戦場写真家」の立ち居地はどんなものか?兵士たちの中へどのようにして入っていったか?スペイン内戦は自分の戦争だったんではないか?客観的な戦争ではなく、反ファシズムの、自由を守るための、自分の戦争だったのだ。
だから兵士たちは自分の仲間と思って受け入れたんだ。
スペイン内戦は70余年前の話でボロも一杯出てきているのだけれど、夢みるにはいい題材なのです。
  1. 2013/03/07(木) 10:41:30|
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『美術 / 展覧会』 「初めての女性戦場写真家―ゲルダ・タロー」その① 2013.03.06

『美術/展覧会』「初めての女性・戦場写真家―ゲルダ・タロー」 その① 3/6
 
(ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー=2人の写真家。横浜美術館 1/26~3/24)3.6

第2次大戦後、「戦場写真/報道写真」といえば「ロバート・キャパ」から始まった、とされる。キャパは1930年代の「スペイン内戦」で登場した。「スペイン内戦」といっても、知られていないでしょう。又、戦後史の舞台を飾ったこともなかった。崩れゆく兵士③
上の写真は1936年スペイン内戦でキャパが撮った「崩れ落ちる兵士」。これでキャパは時代の寵児となる。*(この作品の信憑性については後に問題となる。)
1936年、スペインに左翼社会主義の政府が生まれた。共和主義左派、POUM(非ソ連系社会主義)、共産党、無政府主義、農民、労働者、知識人らによる「人民戦線」であった。これに反対する軍部、右翼、地主、カトリック教会がフランコ将軍を中心に反乱を起こす。「スペイン内戦」であった。DSC_4873共和国軍兵士たち(共和国軍の兵士たち)
英、仏、は不干渉の中立。反乱軍はナチスの独、伊、が支援にまわり、政府軍はソ連と「国際旅団」といわれた各国の知識人たちが支援に駆け付けた。

スペイン人民戦線政府軍の反ファシズムの戦いは、ヨーロッパの行動的な知識人の魂をゆさぶった。労働者と知識人との連帯、異なる階級との統一戦線、また、己の内なる革命・自己解放を賭けた戦いであった。

国際旅団には多くの作家・文化人が参加した。ヘミングウエイ、アンドレ・マルロー、ジョージ・オーエル、などが知られている。特にここで問題にしたいのが「スペイン内戦」と報道である。戦場の報道写真が空前のブームを呼び、最初のメデイア戦争となった。
キャパ②(キャパ)
DSC_4841ゲルダ・タロー③(ゲルダ)

1934年、パリでユダヤ系ハンガリー人の亡命者=フリードマン・アンドレとユダヤ系ドイツ人=ゲルタ・ホリフレは出会いたちまち恋に陥った。フリードマンの仕事は写真家。しかし、ナチからの亡命者でなかなか満足な収入を得られず、彼らは一計を思いついた。「ロバート・キャパ」というアメリカの写真家で売り出そうとした。ともかくこの作戦が成功し、フリードマンはロバート・キャパに、ゲルタ・ホリフレはゲルダ・タローになった。(当時の反ユダヤ主義や外国人への反感、亡命者に付きまとう負のイメージを払拭したいと思ったのである。国際的スター、フランク・キャプラとグレタ・ガルボの、知り合いのオカモト・タローの言葉の響き・イメージ)
1936年7月17日、スペイン内戦が始まる。
2人はさっそくスペインへ行った。2人はスペインの戦場から撮った写真をパリやロンドン、ニューヨークへ送った。生々しい戦場写真は話題を呼び、特にロバート・キャパは一躍スターになった。

内戦は1936年7月16日から1939年4月1日まで続く。反乱軍にナチスのドイツ、イタリアが支援した。それも近代兵器で空軍、武器で共和国軍を圧倒した。共和国政府は社会党左派、反スタリーン主義の労働者党、無政府主義党などが主力だったが、ソ連が支援の見返りに共産党の勢力拡大を図り、共和国軍内部での激烈な「ウチゲバ」を繰り返した。英、仏の中立と、せいふぐん内部の対立、独、伊の支援で反乱軍の勝利に終わる。
スペインはフランコの独裁政治で第2次大戦を終わり、戦後も続いた。フランコの死後、立憲君主制をとり各国に開かれた国になった。
  1. 2013/03/06(水) 16:01:18|
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『日記』「風邪をひく」3.3

『日記』「風邪をひく」3.3

2月中旬、風邪をひいてしまい、昨年と同じように長引きました。年を取りたくないもので
耳鼻科にかかって、それですまなくて内科に行く、というパターン。
風邪よ引くな!と気をつけマスクをつけて寝たのですが(音楽家などが咽喉を保護するためによくやるというので)だめでした。

やっと治ったと思ったら昨日の強風で花粉症!
特製の眼鏡とマスクでちょと外に出ただけなのに、目が痛む、思わずこすったらマスマス痛くなり、、、。
冬の寒さから春のきざしが現れたと思ったら、花粉症の心配、それも今年はPM2・5の心配も加わり、憂鬱なこの頃です。

「2人のキャパ」展を横浜に見に行く気持ちになれません。ただ、スペイン旅行の準備をしています。
  1. 2013/03/03(日) 11:38:52|
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