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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

2008年『スロベニア・クロアチア旅行』⑦モスタル

2008年『スロベニア・クロアチア旅行』⑦ モスタル
モスタル④
⑦「モスタル」ー(ボスニア・ヘレツェゴビナ)
ボスニア・へルツェゴヴィナのアドリア海に突き出た僅か9kの「ネウム」より内陸に入った、ネレトヴァ川の渓谷の町「モスタル」。緑乳色のネレトヴァ川の上にアーチの石橋が1566年オスマン・トルコによって架けられた。
スタリ・モスト
スタリ・モスト(古い橋)と呼ばれ、内陸とアドレア海をつなぐ交易で栄えた町。
石橋の両岸にイスラム人とクロアチア人が共存していたが、1993年のボスニア内戦で橋は破壊された。相応で戦った傷跡は今でも残っている。
内戦の痕
1995年、NATOの介入で、人々に傷跡を残して終結。橋の修復はユネスコ、世界銀行、募金などによって、200
93年を忘れるな
橋②
4年復元された。現在、橋の袂には「DOH’T FORGET’93」(93年を忘れるな)小さな石碑が建っている。
モスタルの通り②
オリエンタルな風情漂うモスタルの町、ここはゆったりとした悠久の時間が流れている。職人の街=オールド・バザールにはオスマン・トルコ時代の伝統的な生活様式が残り、時が止まっている。
オリエンタルな旧市街
ネレトヴァ川
旧市街④
橋④
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  1. 2013/01/31(木) 15:37:40|
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2008年『スロベニア・クロアチア旅行』⑥ダルマチア海岸


2008年『スロヴェニア・クロアチア旅行』⑥ダルマチア海岸
港

クロアチアのアドリア海沿岸「ダルマチア」という。犬のダルメシアンの名前の由来とか。僕にとって前にも触れたが、アドリア海、ダルマチア海岸は憧れの夢の王国なのだ。代表的なスプリット、トロぎール、最後にドブロブニクに行く。
DSC_1232スプリットの市街地②
スプリットの市街地

イ、スプリット
スプリットはアドリア海沿岸で20万人の人口を持つ最大の町である。海岸通りに面した古代ローマ帝国の宮殿が近代のスプリットになっている。それは古代ローマ皇帝ディオクレティアヌスの隠居所跡であるからだ。その後廃墟に人々が住み着いて都市になった。世界遺産。古代宮殿に人々が住み着いて町を作ってしまったのだ。
地下の宮殿跡
古代ローマ時<br />代の遺跡

遺跡①

ここを創った皇帝の名はディオクレティアヌス。エジプト遠征の際に持ち帰ったスフィンクス像。
宮殿跡の市街地は古代ローマの遺跡を留め、アドリア海沿岸の最大の20万の都市としてのおしゃれの街を創った。
DSC_1311.jpg
DSC_1317ナロドニ広場のヴェネチア風建物
長い間、ヴェネツィアの支配下のためか、ヴェネツィア風の建物も目にする。
カフェ
グルグール司教像
クロアチアのロダンといわれた「メシュトロヴリッチ」の「グルグール司教像。左足の親指を触ると幸運が訪れるといわれている。
大聖堂(トロぎール・聖ロヴロ大聖堂)
ロ、トロぎール
DSC_1380トロギールの守護聖人
時計塔

トロギールの旧市街は周りを城壁で囲まれ、橋で渡る小さな島で、起源はギリシャ時代に遡るほど古い。ここの「聖ロヴロ大聖堂」はクロアチアを代表する教会。アダムとイヴの像が両端に彫られたロマネスクの門は13世紀クロアチア美術の傑作。正面入り口のロマネスク様式の門が有名。町の守護聖人イヴァン・ウルスィニの大きな像が
建っている。
海岸通り・トロぎールの

「聖ニコラ修道院」ベネディクト派の女子修道院。紀元前3世紀のカイロスのレリーフが展示されている。
「カメルレンゴの砦」15世紀に支配者ヴェネツィア人によって改修された。しばしばトロぎール人は反乱を起こした。
帆船
(大きな帆船が泊まっていた)
  1. 2013/01/29(火) 21:29:29|
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2008年『スロヴェニア・クロアチア旅行』⑤プリトヴィツェ国立公園

2008年『スロヴェニア・クロアチア旅行』⑤プリトヴィツェ国立公園

イ、「内戦の痕」
ザグレブからプリトヴィツェへバスで移動する途中、ある村に戦争の傷跡が放置されているのを見た。
壁に残る弾痕の痕
戦車
内戦の痕/ビルの残骸
1990年代の旧ユーゴスラビアの内戦か15.6年経つた。こういう無残なものを見ると、表面の繕いの下に不可解な渦を感じる。
ロ、 「プリトヴィツェ国立公園」
公園の手前で滝の中に家があるような壮観な風景を見た。
川の上に覆いかぶさるように家が建っている
プリトヴィツェ国立公園はすばらしい滝・川・湖・草木・木々・野鳥・魚・などの王国であった。
公園内の清楚なゆったりとしたホテル「JEZERO](イェゼロ)に泊まった。
プリトヴィツェ国立公園入り口
DSC_1035プリト②
プリト④
記念撮影向き
早春のプリト
ハ、翌朝撮ったもの
連絡船みたいなものに乗った時、同船したフランスの合唱サークルの人々と一緒に合唱した。というか、フランス人のほうが積極的に誘ってきたのだ。ラテン系の陽気さを感じた。ジャパンはもじもじしていてダメですね。
DSC_1106湖の向こう岸に渡る船中で一緒になったフランス人の合唱団
DSC_1159絶景
DSC_1123植物の群生
  (植物の群生)
DSC_1168花
DSC_1163プリト①
絶景②
息を呑まれる絶景①
DSC_1162つけたし
内戦の時、このプリトヴィツェの大自然も戦場になった!という。
  1. 2013/01/29(火) 18:13:15|
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2008年『スロヴェニア・クロアチア旅行』④ザグレブ

2008年『スロヴェニア・クロアチア旅行』④ザグレブ

大聖堂を眺める(聖母被昇天大聖堂・サグレブのシンボル)
クロアチアの首都。ザグレブ中央駅から北に新市街、イリツァ通り、共和国広場から丘に登ると旧市街である。
繁華街
イ、「イエラチッチ広場」(共和国広場ともいう)
 ザグレブの臍ともいえる中心部のかなり広い広場。旧市街カプトル地区の玄関口。カフェ、レストラン、ショップが並ぶ。イリツァ通りから丘の上の東のカプトル地区、西のゴルニィ・グラード地区に分かれる。
被昇天大聖堂
ロ、「聖母被昇天大聖堂」
 13~18世紀にかけて建てられたザグレブのシンボルともいうべき大聖堂。高さ100m以上の塔が2つあり、市街のどこからでも見ることが出来る。現在の外観は1880年の地震後の再建、ネオゴシック様式を取り入れられた。ルネッサンスやバロックの祭壇や説教壇があり、16世紀にオスマンの軍隊と戦った勇者の墓もある。
DSC_0919マルコ教会

ハ、「聖マルコ教会」
 屋根がモザイクの印象的な教会。群青と赤茶のタイルを使い、2つの紋章がデザインされている。左はクロアチア王国、ダルマチア地方、スラヴォ二ア地方を表す紋章、右がザグレブ市の紋章。
石の門①
ホ、「石の門」
 聖マルコ広場の東に、「石の門」という中世の門が残る。18世紀の半ば火災で木製の門は焼けたが、くすぶる灰の中から『聖母子のイコン」が見つかった。人々は礼拝堂をもうけ、奇跡のイコンを信仰した。今でも、民衆の奥の根に信仰がある。
DSC_0911人々で賑やか
へ、 「ラディッチ通り」
 石の門を出て坂道の広場に抜ける繁華街の通り。20世紀の初頭クロアチア農民党を率いて南スラブの統一王国の
建設に立ち上がったラディッチの名がついている。
旧市街の道
ト、「トカルチチェヴァ通り」
 ラディッチ通りを中ほどで左に曲がると古い民家の通りがある。
チ、カフェで語る若者たち
DSC_0949皆語らう
若者が語らう
ヌ、ザグレブの繁華街
 クロアチアの首都だけあって大きな都市だ。エネルギーに溢れている。
新市街の電車通り
  1. 2013/01/29(火) 16:43:05|
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2008年『スロヴェニア・クロアチア旅行』③ピラン

2008年『スロヴェニア・クロアチア旅行』③ピラン
③ ピラン
ピラン港
 ピランはスロヴェニアがアドリア海に持つ小さな港町。ピランの裏側が(スロヴェニア側から見た場合)トリエステ湾でイタリアとの国境に接している。
トリエステ湾を臨む
皆が眺めている先に「トリエステ」がある。イタリアの最北東の町、第1次大戦までハプスブルグ家の軍港。或る時は軍事、又貿易、とヨーロッパからアドリア海への入り口として重要性を持っていた。
ジョイスやU・サバなど芸術香る『国際都市」としても有名である。この地の詩人U・サバの事を須賀敦子の文章で知り、一度は訪れて見たいと思っている。
ヴァイオニストタルティーニの像.タルティーニ広場
イ、 タルティーニ広場
 ピランが生んだ作曲家ジュゼッペ・タルティーニの銅像が立つ。
 ピランは13~18世紀にかけてヴェネツィア共和国の支配を受けた。広場周辺の建物がゴシック、ルネサンス、バロックの様式が多いのはその為である。
灯台へ続くプレシェルノヴォ通り
ロ、 プレシェルノヴォ通り
 広場から半島の先端にある灯台に向かってピラン湾に面した坂道。しゃれた店が軒を連ねる。
DSC_0831聖ユーリ教会が見える
ハ、 聖ユーリ教会
 14世紀に建てられた「聖ユーリ教会」は半島の高台に立ち、4つの鐘を持っ『聖ユーリの鐘楼』があり、てっぺんからの眺めは眼下のピラン、トリエステ、アドリア海のすばらしい情景である。
マリーナ
* ピラン湾にヨットのマリーナがある。沢山のヨットが停泊していた。

* イストラ半島のロヴィニ、プーラ、ブリユニ諸島は案内書によると夢のような港町だ。そして、クロアチアの グヴァルネル地方といわれるリエカ、オパティア、ロヴラン。ダルマチア海岸のザダール、コルナテティ諸島、 シベニック、トロギール、スプリット、最後にドブロブニクとアドレア海の宝石のような港の街々が続く。


③の補遺「きらめく海のトリエステ」
 
 ウンベルト・サバの詩に「地中海」の「ユリシーズ」

若いころ/わたしはダルマツィの/岸辺をわたりあるいた

餌を狙う鳥が/たまさか止まるだけの岩礁は/ぬめる海におおわれ/

波間に見えかくれ/太陽にかがやいた

エメラルドのように/うつくしく潮が満ち、夜が岩を隠すと/

風下の帆船たちは、沖合いに出た/夜の仕掛けた罠にかからぬように

今日、わたしの王国はあのノーマンズ・ランド/

港はだれか 他人のために灯りをともし、わたしはひとり沖にでる

まだ逸る精神と、人生へのいたましい愛に、流され

トリエステからギリシアにかけて海の透明度の高いアドリア海がある。美しいクロアチアの海岸線を「ダルマチア」と呼ぶ。犬の「ダルメシアン」の語源となったといわれている。サバの詩にあるような、宝石のような硬質な叙情がダルマシアの海岸にあるものと思い込み、旅に出たモチーフのひとつだった。果たして、、、
  1. 2013/01/27(日) 17:18:29|
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『日記』「りんごジャムを作る」2013.1.26

年下の友人が難病?にかかった、という知らせが届いた。
お見舞い?
でも、相手の気持ちは?お見舞いにいっても何をどう話せばいいの?
いろいろと心の中をいろいろな思いが駆け巡る。

雑念を取り去るように、ちょっと大きな果物店に走った。あるわ!あるわ!果物の品評会だ!
イチゴでは早すぎる、大振りの紅玉があったので、棚の商品全部を買ったつもりで、大量に買って帰った。
午後「紅玉」に向かった。ひとつは特製の「焼きりんご」。(蜂蜜とオリーブ・オイルの健康食)
DSC_4519焼きりんご
もうひとつは、りんごジャム。(これも紅玉ならではの酸味!)
DSC_4517りんごジャム
終わったのが夕食時間を過ぎたいた。これを持って後日、会いに行こうか?
  1. 2013/01/27(日) 00:14:54|
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2013年『映画』「アルバート氏の人生」(脚本・製作・主演グレン・クローズ)

2013年『映画』「アルバート氏の人生」2013.01.22
監督、ロドリゴ・ガルシア。共同脚本・製作・主演、グレン・クローズ。
共演、ジャネット・マクティア。ミア・ワシコウスカ。アーロン・ジョンソン

IMGアルバート氏の人生

ハリウッドの大女優グレン・クローズが30年前に舞台で主演を演じ、映画化を夢見て版権の獲得、資金集め、たびたびチャレンジの末やっと実現した「アルバート氏の人生」。監督はグレンお馴染みの「彼女を見ればわかること」「美しい人」のロドリコ・ガルシア。ガルシアは優れた女性映画を撮ってきた。
グレンの並々ならぬ執念は何か?この映画には女性の人間としての行き方、そのアイデンティを根底から問う問題があるからだ。

19世紀のアイルランド。高級ホテルでウェイターとして働くアルバート(グレン・クローズ)には人に言えない秘密があった。実は彼は女だったのだ。女が何故男装して生きてきたのか?
14歳の時、孤児だった彼女は数人の男によって性的暴行を受け、それ以来、彼女は男として生きてきた。継母は実母を「上流階級の人」だけ告げて、実母の写真を1枚残し、他に何も語らず死んでしまった。少女は孤児になり孤児院で育てられる。

19世紀のアイルランドでは貧しい女性が結婚せずに1人で生きてゆく職業はなかった。昨年の初夏に取り上げたシャーロット・ブロンディの名作「ジェーン・エアー」においても、19世紀の英国ではインテリ女性の唯一の職業が家庭教師だった。19世紀のヨーロッパにおいては女性の地位が低く、貧困・孤児・非知識階級の女性にとって真に生きる術は考えられなかった。ゆえに女性が男装して働くというショッキングな話はインパクトがあったのである。そして、女性の存在価値・人間としての生きる価値を問う問題でもあったのである。

グレン演じるアルバート氏はタキシード姿で背筋をピーンと伸ばし、信頼厚いホテルマンとして毎日を送っていた。楽しみは1日が終わり自室に戻り、その日に貰ったチップを勘定して、床下に隠した金庫にしまうことであった。

アルバート氏が変わったのは、ホテルの仕事にやってきたペンキ職人のヒューバート(ジャネット・マクティア)の凛とした生き方を見てからだ。実は彼も女だったのだ。最愛の女性と結婚し、互いに仕事を持ち自立してハッピーな家庭を築いている、とヒューバートから聞かされたからだ。
アルバート氏は変わってゆく。夢を持つようになった。最愛のパートナーを得て、パートナーと自分の店を持って幸せになりたい、という夢である。偽りの人生ではなく本当の人生を生きようという夢である。果たしてアルバート氏は本当の人生を切り開くことができるだろうか?

ホテルの若いメイドのヘレン(ミワ・ワシコウスカ)に好意を抱いてゆく。ヘレンはボイラー職人のジョー(アーロン・ジョンソン)と恋仲になっていた。アメリカへ行く希望を持っているジョーは、ヘレンを唆しアルバート氏から金を貢がせアメリカ行きの資金にしようと考えた、、、

初めて恋をしたアルバート氏の無邪気なしぐさのおかしさ、ヘレンを思う純情さ、グレン・クローズは男装のメイキャップでその微妙な表情を出していた。しかし、男装のメイキャップのグレン自体が何となくおかしい。女でも男でもない不思議な存在!

ペンキ職人になったジャネット・マクティアは存在感のある怪優で、男装の2人がジャネットの妻の残した女性服を着て街に出てゆく。その抱腹絶倒の可笑しさは、男装のパロディであろうか?

ヘレンの妊娠によって事態は思わぬ展開になってゆくが、、、

画面の映像がいい。19世紀のアイルランドの首都ダブリンの街並み、海辺の情景、流れてゆく音楽、予想通り捨てられたヘレンのこれからにかすかな希望を灯して映画は終わる。

* 監督、ロドリゴ・ガルシア。ノーベル賞作家ガブリエル・ガルシアの息子。「彼女を見ればわかること」(99)
   「美しい人」(05)でファンになった。アメリカの都会の女性たちの孤独を描いて定評がある。その2つの    作品に出ている、グレン・クローズやホリー・ハンター、キャシー・ベイカーは忘れられない女優になっ    た。   
  1. 2013/01/24(木) 10:42:08|
  2. 2013年『映画』
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2008年『スロヴェニア・クロアチア旅行』② 「リュブリャーナ」

2008年『スロヴェニア・クロアチア旅行』②「リュブリャーナ」

ユリアン.アルプス
スロヴェニアはトリグラフ山(2864m)を主峰とするユリアン・アルプスの峰々で、イタリアやオースとリアと隔てている。北西は山地でクロアチアと接し、南西のイストラ半島はアドリア海に面し、イタリア文化の影響を強く受けた。15世紀からオーストリア国境を通して、ドイツ文化(ハプスブルク家支配)の影響も受けた。旧ユーゴ解体と同時に1991年、10日間の戦闘で平穏の内に独立を勝ち取った。旧ユーゴ紛争では比較的軽傷ですんだ。
城から川と橋広場を眺める

② 「リュブリャーナ」
スロヴェニア27万の首都「リュブリヤーナ」。500年にわたる神聖ローマ帝国の支配とその後のハプスブルグ家の下で発展を遂げた。リュブリャーナ城とその下をリュブリャニツァ川が蛇行し、赤レンガの美しい旧市街の街並みが形成されている。
城
A, 「リュブリャーナ城」1114年創建。城主の変遷はリャブリャーナの支配をめぐる変遷であった、という。長い間、封建領主の支配だったが、1335年からハプスブルク家に継承された。現在市に買収され、公園、結婚式場、青果市場がある。城からは眼下に美しい街並みの首都が見渡せる。
大聖堂の鉄の門扉

 * 「大聖堂」
大聖堂の鉄扉の彫刻に歴史が刻まれている。13世紀のタタール人の来襲、それに向かえ撃つローマ法王、スロヴェニアの領主たち。ガイドの説明によると何層もの歴史が詰まっているという。
DSC_0666市街地の通り

銅像

民族楽器
B, 「プレシェーレン広場」
 市の中心の広場。リュブリャニツァ川に面しており、19世紀の詩人F・プレシェーレンの銅像が建つ。彼の詩「日が昇るところ、争いはこの世から消え、誰も自由な同胞となり~」は1991年の独立後はスロヴェニアの国歌になった。
広場に面して「フランシスコ教会」が建つ。
DSC_07553本橋
C, 「3本橋トロモストウイエ」
 新市街と旧市街を結ぶ小さな三本の橋。最も人が行き交う。旧市街がルネサンスやバロック様式の家並みに彩られるのに対して、新市街はギリシャからイスラムなどを取り込んだY・プレチニックが設計した建築物が多い。近くの「竜の橋」(4匹の竜に守られる橋=竜は市のシンボル)
4匹の竜に守られた橋

サンフランチェスコ教会

D、 「フランシスコ教会」(スロヴェニアはカトリックが多い)
 イタリアの影響を受けたピンク色の教会。1646~1660年に建立。
 日曜日の午前中、ミサに多くのカトリック信者が集まる。
スロヴェニア国境を接するオーストリアの影響が強く、90%がスロヴェニア人で95%がカトリック、言語はスロヴェニア語と他の旧ユーゴの国と違って内戦の暗闇をあまり受けなかった。国全体がスマートで小奇麗な印象を受けた。
  1. 2013/01/21(月) 22:30:01|
  2. 2008年『スロベニア・クロアチア旅行』
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2008年『スロベニア・クロアチア旅行』①ブレッド湖6.6

2008年『スロベニアとクロアチア旅行』①ブレッド湖6/6~


ヨーロッパのオーストリアからアドリア海を臨みながらギリシアまでの「旧ユーゴスラビア」、他民族国家が割拠するバルカン半島の国々は、歴史的には古代からローマ帝国、オスマン帝国、オーストリア・ハンガリー帝国の支配が長かった。近代に入って「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれ、第1次大戦の発火点がバルカン半島の民族問題であった。
第二次大戦ではナチスドイツ・イタリアに支配されていたが、戦後パルチザンの指導者チトーによって「ユーゴスラビア連邦共和国」がつくられ独自の道を歩んだ。この国は「7つの国境、6つ共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」の多様性を内包していた。この地域はカトリックと東方正教会とイスラムが競合する文明の十字路であった。また、ボスニアなどでは、ムスリム人が44%セルビア人が33%クロアチア人が17%と異なる民族が混在していた。統一のシンボルが不在となると各民族が己の覇権をめぐって暗躍する。
1990年代、ソ連の民主化、東欧の民主化が進むと、「旧ユーゴ」の各国ではそれぞれ独立の動きを始める。各国とも民族主義が台頭し、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘレツェゴヴィナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアなどの国が独立した。
その過程で、恐るべき「民族浄化」の大量虐殺が行われた。特に「民族浄化」という名の下に、「集団レイプ」「子ども虐殺」が行われた。女性は子どもを生み、その子は将来兵士になる、という論理で女性や子どもが「民族浄化」のターゲットになった。戦争から20年も経ていない国の一端を巡る2008年の旅である。

島の教会(断崖に立つ「ブレッド城」
① スロベニアの「ブレッド湖」4/6
霧雨のブレッド湖。墨色の世界、ユリアンアルプスの最高峰トリグラ山(2864m)は残念ながら霞の世界。ブレッド湖は周囲6k、現在ではリゾート地になっている。
大変残念なことにブレッド湖は雨だった。海外旅行はいつも天気に恵まれていた。もし、晴天なればユリアン・アルプスの絶景が見られたのにと残念がる。ブレット湖の風景も変わっていたことだろうと思う。
聖母被昇天教会
ブレッド湖①

イ、聖マリア教会(聖母被昇天教会)(8世紀創建、17世紀に現在の白い塔のバロックの教会になった。)ブレッド湖の中の小島にある教会。亡くなった夫の蘇生を願って、小さな鐘を湖中に投じたが願いは叶わず、女は修道女として一生を送った。それを聞いたローマ法王が鐘を贈った。「願いが叶う鐘」として、誰でも鳴らせる。
 DSC_0598教会の中

ロ、 ブレッド城(湖を見渡せる断崖の上に立つ。)レストランで「鱒料理」を食べた。
DSC_0629ブレッド城のレストラン
地元ではご馳走の「鱒料理」は、第2次大戦の時ブレッド湖に駐屯したナチが食べたことに由来するという。
  1. 2013/01/19(土) 18:18:25|
  2. 2008年『スロベニア・クロアチア旅行』
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2013年『映画』「駆ける少年」(イラン映画1985年・監督アミール・ナデリ)2013.1.12

『映画』 「駆ける少年」(イラン映画1985年)2013.1.12

(監督・脚本:アミール・ナデリ。撮影:フィールーズ・マレクザデエ
(主演:アミル少年=マジッド・ニルマンド)
駆ける少年

1970年代初頭のイスラム革命(1979年)前のイラン、海辺の町でストリートチュルドレンの群れが元気に生きていた。その中の一人11歳の孤児の少年アミルは、海辺に置き去りにされた廃船をねぐらにして一人で暮らしていた。ビン集めや靴磨き、水の販売などで何とか稼いで生きていた。

アミル少年、陽気でよく走るのだ。仲間の孤児たちも元気でよく駆けるのだ。
はじけるように少年の肉体が画面いっぱいに繰り広げられる。
海岸に打ち寄せられたビンを集めている孤児たち、年長の少年に「俺のだ」といって横取りされたり、ビン拾いに熱中している海に鮫が接近して、大人たちに助けられたり。
氷水の代金を払わなかった大人を追いかけて、やっと捕まえる。大人はしつこさに呆れ顔。お金を貰った後のニッターと笑うなんともいえないアルミの笑顔。
稼ぎもいつも順調というわけではないけれど、底抜けの明るさで全身全霊走りまわっている。
彼らは遊ぶ時もいつも一緒だ。自転車を乗り回したり、サッカーしたり、かけっこの競争をしたり、少しも寂しくなんかなかった。
アミルが好きで憧れるものは、大きな白い客船、どこか遠くに連れて行ってくれそうな飛行機、外国のきれいな写真の雑誌、チャプリン、友だち、、、そして走ること。

ある日、アミルは自分が文字を知らないことに気がついた。学校に行って先生に「教えてください」と相談した。それから、アルミは夢中になって勉強した。

「火の競争」、少年たちは天然ガスの炎がとどろく中で、前方の氷の塊めがけて競争するのだった。互いにぶっかったり転んだりしながら少年たちは走った。1番になった者がまず冷たい氷にかぶりつきになる。そして順番に仲間たちに渡してゆく。
まっすぐなまなざし、自らの足で走る爽快感、陽気で元気な、はじけるような肉体の躍動感!

1979年イスラム革命でイランは変わる。(ホメイニーさんの登場)「イスラム原理主義」なんて言葉がはやったけ。映画に流れてくる、ルイ・アームストロングやナット・キング・コールの歌など米の歌など禁止なる。(映画では音楽・音響は一切使われていない。自然の音を拾っている)
映画の設定時期は1970年代のイスラム革命以前のイランということになっている。1980~1988年イラン・イラク戦争。この映画はその戦争中1980年代にイランでつくられ、1985年に発表された。ナデリ監督の自伝的作品であった。
走るアルミ少年に監督ナデリの、目的に向かってまっしぐらに突き進む姿を投影している。又、これはいわば戦場で作られたのであり、ある日撮影して、翌日行くともう爆撃でなくなっていることが度々であった。緊迫感の中でどうしても創りたいという情熱が映画を作らせた。
1985年ナント三大陸映画祭でいきなりグランプリ、世界的に有名になった。
ナデル監督はその後出国してイランには帰っていない。今でもアッバス・キアロスタミ(「友だちのうちはどこ?」87年)と並んでイランを代表する映画監督。

DSC_4400ナデリ監督

しばらく日本で映画を撮っていた。(「CUT」西島秀俊主演・2011年)3・11の東日本大震災に出会った。被災地に何度か行った。27年前の「駆ける少年」を震災後の我々になぜ提示したか、おわかりでしょう!
ファンがいっぱい!
、ある映画館
  1. 2013/01/13(日) 16:34:47|
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2013年『映画』 「おだやかな日常」(監督内田伸輝。製作・主演杉野希妃。篠原友希子

2013年『映画』「おだやかな日常」2013.1.7

(監督、内田伸輝。製作、杉野希妃。出演、杉野希妃。篠原友希子。
   山本剛史。渡辺杏実。渡辺真紀子。寺島進。)

おだやかな日常

3・11の東日本大震災の時の東京はどうだったか?
現地の悲惨さはよく伝わっているが、福島から250kという微妙な距離の東京では、人々はどう過ごしたか?人々の心はどう漂流していったか? 
「おだやかな日常」で内田伸輝監督は、東京に生きている者の心の闇に刃を突きつけることで、日本人全体に問題を投げかけたといえる。

<映画の前半>
マグニチュード「9」という観測史上初の大地震・巨大津波・それに加えて原発事故が日本列島を襲った。

サエコ(杉野希妃)は夫からの連絡も途絶え、娘の清美を抱えて不安の夜を過ごした。やっと帰ってきた夫からは他にもっと大事な人がいることがわかった、と言って離婚を突きつけられる。(*震災離婚)1人で育てなければならなくなったサエコは必死に娘を守ろうとする。原発の放射能への恐怖で頭がいっぱいになる。マスクをつける/外で遊ばない/幼稚園の庭の線量の測定/などの・愛する娘を心配しての行動は他の母親たちからノイローゼと思われて対立してゆく。幼稚園の対立する母親と言い争って喧嘩になる有様。
(この喧嘩のシーンが実際の喧嘩のように迫力があった。双方が自分の子ども
を守ろうとの必死さがよく出ていた。)

マンションの隣に住むフリーライターのユカコ(篠原友希子)は、会社員の夫タツヤ(山本剛史)と2人だけの生活。ユカコはインターネットでチェルノブイリの事を調べ、放射能への被害の危機感を持っていた。仕事も手につかずいらいらした彼女は夫に東京から引っ越すべきだと言い出す。タツヤの会社では放射能の危機感なんかは無く、むしろ「明るく行こう!」と社員慰安のためのバーベキューを公園でしょうと提案されていた。タツヤは会社と妻との間で板ばさみになる。

マンションの隣り合わせといっても挨拶を交わす程度のサエコとユカコ、思いがけぬ事で2人の人生が交差してゆく。

<後半は、問題点の後>

監督内田伸輝は、脚本を出演者に読ませ、現場では出演者の即興芝居をワンシーンの長回しで撮影したという。監督と出演者とのディスカッション、台本は10稿に及んだという。作家・写真家はみんな被災地に行った。被災地で何が出来るか。また、何を撮るか。だが内田監督は東京に留まった。この作品の衝撃は足元の東京で浮遊した心にメスを入れたことだ。問題のど真ん中から勝負しょうとする監督の問題意識を高く評価する。
プロデューサー兼主演女優の杉野希妃の渾身の演技とこの作品を世に送り出した情熱に敬意を表する。

<問題点>
* 3・11は、生まれて始めての大揺れ体験だったし、大津波が町を飲み込む様子(現地の人は実際に体験した)を、こんなことがあるものか!とテレビで見ていた。東京では家路に帰る「帰宅難民」が発生した。JR(駅)が「難民」を締め出しシャッタ・アウトしたのに比べて幾つかのホテル・デパート・宗教団体・学校が施設を開放して「難民」の世話をした。
* 原発事故について、政府の「直ちに健康に害を及びません」のアナウンスとネットでの見解(例えば原子力資料室)との落差、どちらを信じればいいのか?ネットに飛び交う放射能の怖さ、風に乗って福島から太平洋、北上して東北太平洋沿岸、北海道、樺太、又南下して関東と放射能が飛び散った。ドイツ気象局のホームページ。風の流れが雲の流れのような映像がネットに流れ、ますます不安・恐怖感が高まる。
* 3月13日(日)福島第Ⅰ原発で「炉心溶解」(メルトダウン・原子炉の中の核燃料が爆発して、最悪の場合は原子炉容器や建屋といった原子炉を覆っている建造物を破壊して、外部に放射能を大量に放出する。)
* 3月14日(月)東京からの脱出組で新幹線の関西方面は満員!3号機も「水素爆発」東京のスーパーから商品が消える。各国、80k退避・東京退避、果ては日本退避の指示。計画停電。しかし、逃げるに逃げられない人はどうするか?
* 政府のアナウンスを信じられなくなり、ネットで飛び交う危険信号も、外に出てみれば人々は平和を謳歌しており、マスクもつけないで公園を飛び回っている子どもたち。どっち、なんだ?
* どこからとも無く危険を叫ぶ人を非難するようになり、非難されるのが怖い人は、怖いから心配や不安を声に出さないようになる。
* 「風評被害」という言葉が怪物のように這いずりまわる。魔女狩りのように批判する人を叩きのめしてゆく。映画の場面にあるように福島ナンバーの車に罵声の紙が張られる。福島産の食品が売れなくなる。食品の産地・汚染度が気になる。
* 東電のいい加減さ、原子力の委員会や機関の学者・官僚の愚劣さ、東大教授という肩書きの欺瞞さがこれほど露呈したことは無い。そして、「ゲンシリョクムラ」という原発推進勢力が政権が長かった党によって組織されていたことを知った。東電の高額な金が出ていた。原発誘致地には税金で高額の補助金が出ていたことも知った。

<映画の後半>
サエコは幼稚園で孤立し、無言電話・匿名の手紙・「出てゆけ!」果ては匿名の電話で「死ね!」など隠微なバッシングを受け、夫から離婚届を突きつけられた。鼻血を流す清美を見て衝動的にガス自殺を図る。

隣室のユカコが救う。
退院したサエコがユカコに「なぜ死なせてくれなかった!」と泣きじゃくりながら訴える。泣くサエコをユカコが全身で受け止める。
「大丈夫、大丈夫よ」

タツヤの心には或るわだかまりがあった。ユカコが流産した時会社が忙しくて傍に寄り添ってあげなかったことだ。外から長電話でその事を謝り、きっと君の希望を叶えると伝える。

バッハの無伴奏チェロソナタの曲が流れてきて,
映画は終わる。
  1. 2013/01/10(木) 21:41:24|
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2013年『映画』「もうひとりのシェイクスピア」2013.1.5

2013年『映画』「もうひとりのシェイクスピア」2013.1.5

(監督ローランド・エメリッヒ。脚本・製作ジョン・オーロフ。衣装デザイン
(リージ・クリストル。ナレーション、デレク・ジャコビ。SFX・VFX
(撮マーク・ワイガート 出演リス・エヴアンス。ヴァネッサ・レッドグレイ
(ヴ。デヴィッド・シューリス。デレク・ジャコビ。
もうひとりのシェイクスピア


英国の16世紀後半、華やかな独身女王エリザベス朝の時代は、政治的にも安定し、スペイン無敵艦隊を破るなど黄金時代と呼ばれた。芸術文化も栄え、演劇はその中心でありシェイクスピアの名作がロンドンの劇場を賑わせた。

しかし、シェイクスピアの諸作品は直筆台本がなく、本当の作者は誰だったか?人間への深い洞察や古典や歴史への教養を持った人物でないとあのような名作は書けないのではないか?そういう問いが昔から出されていたが、決定的な真相は証明されていない。

監督ローランド・エメリッヒは、エリザベス朝の優雅で、かつ陰謀渦巻く宮廷と、シェイクスピア劇が華やかに繰り広げられる16世紀のロンドンの舞台での一大ドラマを作った。歴史の事実を巧みに駆使した夢物語である。

英国の名門貴族オックスフォード伯エドワード(リス・エヴァンス)を、真のシェイクスピアの作者だとし、エリザベスⅠ世(ヴァネッサ・レッドグレイヴ)の愛人関係にあったとする。女王の後継をめぐっての権力抗争、宮廷の権力者セシル卿父子(デイヴィッド・シューリスとエドワード・ホック)の陰謀で、女王の寵臣エセックス伯が謀反の罪で獄中に。エセックス伯は女王とエドワード伯との若き日の愛の結晶であった。歴史改変の、虚実入り混ぜてのドラマは想像の世界を駆け巡る。

エドワードはなぜ戯曲を書いたか?何を書いたか?

エドワードは芝居が社会を変える力があると思っていた。セシル卿の悪事を劇の世界で暴き陰謀を阻止しょうとした。セシル卿の子は脊椎湾曲症、「リチャード3世」(狡猾・残忍なせむし王としてシェクスピアは戯曲に書く)
の作品世界に投入されてゆく。セシル卿はこれを見てどう思ったか!権力者セシル卿父子に対抗するには劇で大衆を扇動し、悪事を暴き立てるしかなかった。ドラマの中で書斎にこもったエドワードが「言葉だ!」といって台本を書いている姿には感動した。

エドワードはベン・ジョンソン=史実の劇作者(セバスチャン・アルメストロ)
に台本を託す。ジョンソンの劇は上演のたびに当たった。

VFXを駆使した16~17世紀のロンドンの街の再現。あの”グローブ座“の見事な復元!しかも、映画のドラマの中でのセシル卿の陰謀によって焼き尽くされる!

エリザベスⅠ世役のヴァネッサ・レッドグレイヴは小生、長年ご贔屓の女優。「ジュリア」(1,977年米映画。ジェーン・フォンダと共演)は生涯忘れられない。自立する女の生き方・ファシズムに対する怒りを表現していた。あの鳶色の目だ。70代半ばでありながらエリザベス1世役を見事に演じきっているとは!

  1. 2013/01/08(火) 17:15:17|
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2013年『映画』 「レ・ミゼラブル」 2013.1.4

2013年『映画』「レ・ミゼラブル」 2013・1・3

(原作ビクトル・ユーゴー。舞台製作キャメロン・マッキントッシュ他。
(脚本・作曲クロード=ミッシェル・シェーンベルク。監督トム・フーパー
(出演ヒュー・ジャックマン。ラッセル・クロウ。アン・ハッサウェイ。
(アマンダ・サイフリッド。サマンサ・バークス。エディ・レッドメイン。

『映画』「レ・ミゼラルブル」

誰しも少年時代に読んだ、ビクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」。1980年代にミュージカル化されて、パリでもロンドンでも米のブロードウェイでも大ヒットの映画化。

傑作である!歌い出したくなったり、拍手したくなったり、目が熱くなったり。
お正月にピッタリノ映画なのだ。

民衆が差別と貧困に苦しめられていた19世紀のフランス。
一片のパンを盗んだことにより19年間投獄され、釈放後も又物を盗まなければ生きられないバルジャン。彼を執拗に追うシャベール警視。しかし、教会の神父の慈悲の心に接し、人間として生まれ変わろうと決心するバルジャン。(神父の慈悲はバルジャンの人間を変える)必死に働き、工場を経営し市長までになった彼。孤児コゼットを美しい娘に育てあげる。コゼットが彼の「心の太陽」になる。(前半)

後半の舞台は、自由のために立ち上がろうとする学生たち。革命に生きる青年と恋をした娘コゼット。学生たちはバリケードに立て篭もり、その中にコゼットが愛したマリウスがいた。軍隊が押し寄せてきた、、、。

ミュージカルやオペラというと、劇中突然歌いだす不自然さを感じる者にとって(そうでない愛好家は別にして)、これはドラマの中で流れるように歌っていた。曲もよかった。

「英国王のスピーチ」のトム・フーパー監督が映画化。製作にミュージカルからキャメロン・マッキントッシュと脚本・作曲にクロード=ミッシェル・シェーンベルクが加わった。ミュージカルの臨場感をよく出したのではないか。

バルジャン役のヒュー・ジャックマンが優れている!暴れん坊の力持ちというタイプではなく、過酷な運命に抗して己の人生を切り開いたヒューマンな苦悩がよく出ていた。よかった!それに抗するジャベール警視(ラッセル・クロウ=人間の内面の心の動きなど良き表現者として好きな俳優だが)、ジャベールの苛烈な警視ぶりにはミスキャストではないかしら、、、
娘の身を案じる切なさを歌ったアン・ハサウェイのフォンテーヌ。極限の演技でした。片思いの絶望を歌ったエポニーヌのサマンサ・バークス。報われぬ恋の哀切さを切々と歌う。コゼット(アマンダ・サイフリッド)とマリウスが共に愛を告白しあう“心は愛に溢れて”は素直に聞ける。

後半、学生たちは立ち上がったが、民衆はどうしたか?
、、、、、

現代世界の状況がよく捉えられている?


  1. 2013/01/04(金) 20:59:47|
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『日記』「2013年が皆様にとってよき年でありますように!」2013.1.1

『日記』 2013年1月1日

2013年が皆様にとってよき年でありますように!

DSC_1263ヴェネッイア本島の玄関

夢は、遠く はるか遠くに

心の底から湧き出る 思いを

歌えあげろ!
  1. 2013/01/02(水) 20:25:42|
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