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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『日記』 2012年、有難うございました。2012.12.31

『日記』「2012年、有難うございました。」2012.12.31

2012年も過ぎ去ろうとしています。
年末に孫のTくんを連れて、久振りに鉄道博物館に行ってきました。
最近は「5レンジャー」に趣味が移った、かっての「鉄児」Tくん。
同じ年代のRくんと意気投合、1日中遊びまわりました。
DSC_4169鉄道博物館

母が96歳で亡くなったので、今年は年賀状の心配をしなくて済みます。
口から食べ物を受付なくなって、20日間、子や孫・曾孫と別れをして
あの世へ旅立っていった。大往生ですね。20日間の看取りは、私ども
子にとって、「母や先に逝った父と過ごした日々」の回顧の日々でもあ
りました。

世の中、大変物騒になった。強力な軍隊だ!戦争だ!憲法改正だ!果
ては核武装だ!?
目をパチクリ!違った世界に行ったみたいだ。

戦後60年余、僕たちは戦争のない時代に育ち・生きた。
戦場で殺したり・殺されたりの経験をしなくて済んだ。稀有な時代だったんだ!

孫のTくんの時代は、放射能・軍隊もしかして戦争・遺伝子組み換え食物
の恐怖と不安の時代なのだろうか?
そうでないことを祈ります。

ともあれ、2012年が終ります。

夏に人に教わりながら、ブログを始めました。過去の外国旅行と美術、映画
の感想を書きました。つたないものをご覧頂きありがとうございました。
2013年もよろしくお願い申しあげます。

2012・12・31
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  1. 2012/12/31(月) 19:28:03|
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『映画』「はちみつ色のユン」(監督、脚色。ユン。ローラン・ボアロー)仏・ベルギー・韓国合作12.12.25

『映画』「はちみつ色のユン」(監督・脚本ユン。ローラン・ボアロー)2012.12.25
はちみつ色のユン

内容的にはウニー監督の「冬の小鳥」の続編に当たる。「国際養子」となっていった先で、どのように成長したか?という問題である。

韓国系ベルギーのマンガ作家ユンの自伝的なマンガ作品「肌の色:はちみつ色のユン」をベースにドキュメンタリー作家ローラン・ボアローが加わり、ドキュメント+アニメの特異な作品が出来上がった。ユン作のマンガのアニメ化はすばらしく、特異なアニメの世界である。

朝鮮戦争後の韓国では多くの戦災孤児が問題になり、20万もの孤児が「国際養子」として海外に貰われていった。主人公ユンの行き先はベルギーのある家庭で、4人の兄妹がいた。肌色の違いや血縁でもない家庭の中で、子どもはどう育ってゆくか?

子どもの頃の養子先のベルギーの家庭の様子や学校風景をアニメと実写で撮り、40年後祖国を始めて訪れた現代のユンを実写で撮ったり、かつての朝鮮戦争時代の事を、当時のニュース映画やCGと言われるコンピュータグラフィックスを駆使して描いたり、映画技法の世界でも新たな挑戦が試みられたようです!

腹一杯にご飯を食べ、悪戯やワルさをし、自由に玩具で遊びまわる様子が描かれている。屈託の無い遊び延長で、妹の頭の上にりんごを置いて弓を射ると妹の目に当たってしまう!その後どうなったか?!、、、他の子どもが置き忘れた物を盗んで、母から「腐ったりんご」と罵られムチで追い回されるシーン。そういう危うさの奥に、見ている小生は「捨てられる」のではないか、という不安を嗅ぎとってしまう。20万人の「海外養子」の中には家庭にうまく適応出来なくて、自死したり行方不明になったり病死した者もいたと聞くからである。
フランス語を覚え画才に目ざめてゆくユン、路上生活や孤児院を忘れることが出来ただろうか?
そんな時、韓国から新たに養女がやってきた。彼女を見たユンは心の中で何かが起り始めた。自分が家族の中で異質の存在だという事に気がつく。自分のあり場所を探し始める。アイデンティを求める「心の旅」は好きな「絵の世界」で救われたことであろう。やさしい家族の支えがあったことであろうと想像するのである。旅は今も続いているのである。しかし、マンガ・アニメの世界で一躍躍り出た彼は自己の存在証明のひとつを刻んだのではないか。
  1. 2012/12/25(火) 16:54:00|
  2. 2012年『映画』
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『映画』 「冬の小鳥」(監督ウニー・ルコント。制作イ・チャンドン09年韓・仏合作

『映画』「冬の小鳥」(監督ウニー・ルコント。制作イ・チャンドン。09年
韓・仏合作。岩波ホール。
冬の小鳥3

 
 「冬の小鳥」は09年に岩波ホールで公開された。女性監督・脚本のウニー・ルコントの実体験に基づくものである。海外養子として9歳の時、フランスに渡った。当時ベトナム戦争に派兵していた韓国の、多くの戦争孤児を救済する目的の「海外養子」であった。今回12年のユン・ローラン・ボアロー監督・脚本の「はちみつ色のユン」は朝鮮戦争で生まれた戦争孤児から20万人の子どもたちが「海外養子」として祖国を後にした。この映画もユン監督の実体験に基づく作品である。
 09年、「冬の小鳥」の「ジニ」(9歳の女児)はフランスへ「海外養子」として遠い旅立ちをしたが、12年の「はちみつ色のユン」「ユン」は異国で成長して祖国に帰ってくる。「はちみつ色のユン」は内容的には「ジニ」はその後どうなったか?を描いたものと言える。

「冬の小鳥」

父の自転車の前に乗り、口を大きく開け空気を一杯に吸い込むように、嬉しそうに辺りを見回している主人公。9歳の女の子ジニの天真爛漫な表情。大好きな父との突然の別れがやって来る。後で分かるのだが再婚の連れ子の赤ん坊を誤って傷つけてしまった。その為に児童養護施設に入れられてしまう。愛する父から捨てられたのだ。
父との最後の旅で素敵な洋服やエナメルの靴を買って貰い、美味しそうな食事をしているのが、父の肩越しに映る。父のお酒をおねだりして一気に飲み干す。ジニが歌う。    
「あなたは 知らないでしょうね / どれだけ愛していたか
時が流れれば きっと後悔するわ 」
「あなたは 知らないでしょうね」(1975年にヒットした流行歌)
まるで、男女の別れのシーンみたいであり、この歌はジニのこれからの運命を暗示するかのようである。父と娘の情感流れる旅であり哀感が漂う。旅の風景は70年代の韓国の田園、山、村である。カメラワークが良いんだろ。父親を胸から下しか映さず、主人公ジニだけを撮っている。ジニ役のキム・セロンの澄んだ黒い瞳が印象的で、無表情で非ドラマテックな演じ方が強烈に心に残る。よけいに哀れを誘う。
父のすぐ迎えに来るという言葉を信じて、周囲と打解けず、必死に反抗する、ジニの頑なな振る舞いを描いてゆく。彼女を受け入れる児童養護施設側の人々はみんなやさしい。施設内の場面の描き方がいい。登場する子供たちがカメラを意識せず自然に演じていた。
イ・チャンドン監督(「ペパーミント・キャンディー」「オアシス」)が制作に参加。作品に多大の影響を与えたと思われる。
父役にソル・ギョング。寮母役パク・ミョンシン。みなチャンドン一家の名優ぞろい。
ジニがどうしょうもない怒りから、プレゼントされた人形をずたずたに引き裂いた時、寮母は彼女を布団干し場に連れてゆき、思い切り布団を叩かせた。そうする事で心のうっ憤を晴らす術を教える。一見厳しそうだが心の深いところで愛がある。
施設には、養子に貰いたいという夫婦が次々に訪れる。やっと親しくなりいつまでも一緒にいようと誓った年上の少女がアメリカ人夫婦の養子となって去った。裏切られたと思ったジニは自分で自分を埋葬しょうとするのだ。自死である。いったん、土をかぶるが、土を払って一生懸命に瞬きするジニ。空をじっと見つめる。新しい一歩に向って歩み出すジニ。一度死んだつもりで生きる、ということだ。
フランス人の元に養子に行く途中の飛行機の中、ジニの回想シーンに心が震えた。父の背中に掴まって自転車の荷台に乗っているジニ。トンネルのような夜道を大きくカーブして走ってゆくシーン。父の背中につかまる夢幻のようなシーンがあったかと思うと、光輝く大空港の出迎えの人々の群れ、で映画は終る。
*監督のウニー・ルコント自身の実体験だという。ベトナム戦争終結時の75年の韓国には戦災孤児が多く、欧米に養子に貰われていったケースが多く存在した。
 女性監督ウニー・ルコント。(1966年、韓国ソール生まれ。9歳の時、フランスの牧師の家に引き取られた。パリの服飾専門学校を出た。デザイナー、女優、映画監督。


  1. 2012/12/24(月) 23:30:11|
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『映画』 「最初の人間」12.21(原作,アルベール・カミュ監督、ジャンニ・アメリオ。出演J・ガンブラン。カトリーヌ・ソラ

『最初の人間」
『映画』「最初の人間」(原作、アルベール・カミュ。監督、ジャンニ・アメリオ
        出演、ジャック・ガンブラン。カトリーヌ・ソラ。マヤ・サンサ)

 「異邦人」「ペスト」などの名作で知られる、ノーベル賞作家アルベール・カミユ(1913~1960)の最後の作品「最初の人間」の映画化である。交通事故で亡くなったカミュの、未完の作品。34年後の1,994年に出版されて、自伝的な内容が大きな反響を呼んだ。生誕100年を記念して、イタリア人監督・ジャンニ・アメリオが映画化した。

 映画はカミュらしい作家がアルジェリアを訪ねる1957年の夏と、子ども時代の1924年を巧みに交差させて、自己史の中から自己の原像を探り出そうとする。次元の深いところで、生まれ育ったアルジェリアを愛しているフランス人の姿を表現している。

 フランスの有名な作家コルムリ(J・ガンブラン)が1957年の夏、生まれ故郷アルジェリアを訪れる。生まれた家に1人で暮らす老いた母親(カトリーヌ・ソラ)に逢うためである。時は独立闘争最中のアルジェリア。独立を願うアラブ人とフランス人との間で激しい衝突がくりかえされていた。街中のあっちこっちで、テロの犠牲者が出て兵士の捜索が続く騒然たるアルジェリア。

 生まれ育った地で今も一人で暮らしている母を訪ねてゆく。主人公の父は第一次大戦で若くして死に、母方の祖母の家で育った。フランスからの入植者で貧しい地区に家はあった。厳格な祖母、母方の気のいい叔父、黙々と働く母、皆貧しい故に文盲であった。貧しく慎ましい母子家庭の少年時代を子どもの目を通して捉えている。アラブ人の同級生からフランス人ゆえに「おとこおんな」と罵られ、喧嘩をうられたこと。アラブ人の気骨さと喧嘩すれば双方が傷つくことを感じとった。才気溢れる少年であったがゆえに、小学校の担任の先生が家まで出向いて進学を勧めた。そこから、現在の姿-世界的な作家―になっていった。そんな少年時代の思い出のⅠコマⅠコマが眩いばかりに、アルジェの海と太陽と共に写しだされる。

 監督、ジャンニ・アメリオの演出はどこに表れているか?
 57年のコルムリは学生たちに依頼されて大学で講演。彼の「アラブ人とフランス人との友好的共存」論は保守派からブーイングを受け講演は荒れた。アルジェリアに育ち、又、故郷を愛する彼は、フランス人でもあるゆえ苦脳するのだった。
昔喧嘩したアラブ人同級生の子息が、爆弾テロ関係者として死刑判決された、救済に乗り出す。しかし、その子息は父親の懇願にも拘らず、名誉だといって死んでゆく。アラブ青年の民族への熱い殉教。
アルジェリア出身のフランスの作家であると同時に生まれ故郷への深い思い。カミュは苦脳の末「アラブとフランスとの共存」論を打ち立ててゆく。フランスでもなければアラブでもない、両者から自立したアルジェリア人だという宣言・「異邦人」的立場を打ち立てた。
 それは「最初の人間」と題名にあるように、この地で「最初に生きた人間たち」カミュの父祖たち、厳しい現実から自らの人生を切り開いた自分たちを語っているように思える。それは、今、ヨーロッパ中で問題となっている『移民』の問題でもある。カミュの父祖たちもアルジェへの「移民」だったのだ。「移民」も生きる権利がある。先住民族のアラブもヨーロッパ系移植者も共に生きる権利がある。友好的に共存すればいいではないか、言っているのではないか?
 
 主役の「ジャック・ガンブラン」が瞑想し行動する知的なカミュを演じていた。又、カトリーヌ・ソラの気品溢れる美しい老いたる母親役がいい。若い時の母親役のマヤ・サンサはイタリア映画界を代表する女優。
  1. 2012/12/21(金) 17:33:30|
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『映画』 「愛について、ある土曜日の面会室」12.18

『映画』「愛について、ある土曜日の面会室」12.18

  (仏映画。28歳の新鋭女性監督・レア・フェネール。出演、ファリダ・ラウアッジ。ボーリン・エチエヌ。レダ・カテブ。デルフィース・シュイヨー。マルク・バルベ。ヴァンサン・ロティエ)

IMG_0004ある土曜日の面会室

* 「ある朝夫が突然警察に引っ張られた、助けてー」となりふり構わず大声
でわめく女。人々は構わず刑務所の面会室に入ってゆく。なぜなら、面会室に
入って行く人々もそれ以上の不幸を背負って叫びたいのを我慢しているからなのだ。
マルセイユ刑務所の面会室の朝の情景である。シリアスな深刻なドラマなのか?
映画はそういうシーンで始まる。
 
* 移民や貧しい人々で溢れている。訴える服役者、抱擁し合っている者、涙を流し
てうつむく面会者、子どもの泣き叫ぶ声、言い争い、カメラはざわめく面会風景を写して
ゆく。カメラワークはとても新人監督の作品とは思えない程のうまさだ。
 刑務所の面会室とは、「自由な外の世界との狭間、離れ離れになった家族や男
女のドラマなど激しい感情がぶつかる場所だ」と、監督のフェネールは言う。
 
 映画は面会室で展開する3人の物語を軸にして互いに交差してゆく。

* サッカーに熱中する少女ロール(ボーリン・エチエヌ)は、初恋の恋人ロシア移民のアレキサンドル(ヴァンサン・ロティエ)が警官に暴力を振るって逮捕されたが、少女は未成年の為に面会を許可されない。ふとした事で知り合った医者について来てもらって、やっと面会を果たす。面会所に来て過酷な現実に茫然とする。獄中のアレキサンドルは性的な愛撫を迫る。しかし、彼女は妊娠していた。微妙に揺れ動く少女の心理。

* ステファン(レダ・カテブ)は不器用なためか、仕事も恋人とも母とも、何事もうまくゆかない。ある日暴漢から彼女を守ってくれた男(マルク・バルベ)が一目みるなり、「獄中にいる親友にそっくりだ。1年間だけ身代わりになってくれ」と多額の報酬をちらつかせて奇妙な依頼を持ちかける。惨めな生活を変えようと引き受けようか迷うステファン。(後の展開だが、似た男との2役を演じたレダ・カテブは熱演だ)

* アルジェリアに住むゾラ(ファリダ・ラウアッジ)はフランスに住む息子が殺され、その真相を探りにフランスに来た。加害者が自殺を図ったこと、自首するまで姉(デルフィース・シュイヨー)が匿った事を知る。故意に姉に接触し親交を深めてゆく。息子の意外な側面を知ってゆくことになる。息子は同性愛のもつれで死んだらしい。弟を愛している姉は悲しみで刑務所に面会に行けない事を嘆く。ゾラは代わりに面会に行こうと言い出す。

* 緊張感あふれるサスペンスな最終シーン。3人3様な展開をする。
見るからに少女という感じのロール、子どもをどうするのか?獄中の恋人との関係は今後どうなる?
ステファンは身代わりを引き受けるのか?又、成功するのか?
ゾラは息子の相手の男(今では単純な加害者と思えなく)になぜ会いにゆくのか?会ってどうするのか?
3人がそれぞれの運命を担い、決断し行動してゆく。
激しい感情は押さえられ、クールな描き方である。甘い結末ではない。最後に刑務所の晩秋の風景が写され、ピアノの乾いたメロディが流れる。哀愁を帯びた不思議な感動に包まれる。

* ルイ・デリュック新人監督賞に輝いた28歳の女性監督レア・フェネールのデビュー作。自由と束縛との境界線である刑務所の面会室を舞台にした優れたドラマである。アルジェリアから来た母親役のラウアッジは、夏に岩波で見た「ジョルダーニ家の人々」で、行方不明の娘を探しにイタリアへやって来たイラク難民の母親役でお馴染みである。ここでも殺された息子の真相を探りにフランスへやって来た母親役。内面の心の流れの表現を見事に演じられる俳優である。


  1. 2012/12/18(火) 17:06:11|
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『日記』 「選挙に行く」 12.16

『日記』 「選挙に行く」 12.16
ビル⑥

最近物騒な言葉が飛びかっている。夢を見ているのか?
100年後の世界にジャンプしたのか?
ボクは昔が恋しい。あの、貧しくても自由だった時代を!戦争がなかった時代を!
取り戻そうとして、ボクは 「選挙にいった」
  1. 2012/12/17(月) 23:53:56|
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美術/展覧会/舞台「韓国舞踊/舞天」を見る 12.14

美術/展覧会/舞台「韓国舞踊/舞天」を見る 12.14

舞天.太平舞(舞天/太平舞。トサルプリ舞。チン舞)

草月ホールで韓国舞踊を見た。現代韓国舞踊界の最高水準の舞踊家による「舞天」(祝祭の大地)である。2011年ソウルで金順子、卞仁子、趙寿玉の3人による「韓日パンクッ」と名の舞台が熱狂的な成功を収めた。それを日本でも再現したいという、夢の競演の出現である。出演者は韓国無形文化財クラスの人々。
舞天.サルプリ舞( 舞天/チェサン小鼓舞。サルプリ舞。長鼓舞。トッペギ舞。演戯団八山台のパンクッ)

* 金順子の「太平舞」
 舞踊団の華であり、女王的存在。王と王妃が太平を祈る踊り、とあるように王者の舞踊。足さばきが難しく、美しい。
* 趙寿玉の「サルプリ舞」
 白いスゴン(手ぬぐい)が自由自在に舞台にはためく。白い衣装の踊り手と一体化した様は清浄無垢な白鳥のようだ。
* 李潤石の「トッぺギ舞」
 農夫の舞、力が抜け、静かな手や足の動きの削ぎ落としたシンプルさは、年輪の深さを感じた。
(まだ、触れるべき踊り手はいるでしょうが、こちら側の無知をお許し下さい。)

 花やかな「八山台のパンクッ」。舞台狭しと踊る群舞、白く長いテープみたいな紐を縦横自在に操り、舞台は狂乱の”宴”と化した。

 同じアジアの隣国だが、朝鮮半島の文化は余り知られていない。映画やこうした舞台で少しずつ我々の前に現れる。喜怒哀楽を表現した多彩な芸能に感動する。悲しみや憂い、喜びの表現において、想像以上の深さや拡がりを持っているのかも知れない。
  1. 2012/12/15(土) 13:51:31|
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2006年『ポーランド・チェコ旅行』⑥「プラハ」9/30

2006年『ポーランド・チェコ旅行』⑥ 「プラハ」 9/30

DSC_0769プラハ城からカレル橋を(プラハ城からヴァルタルヴァ川を望む)

* プラハは夢の都市だ。美しい町並み、国際的な有数の観光地となった「プラハ」。
  14世紀のボヘミア王国の首都に始まって、幾多の歴史を歩んできた。他の中欧
  諸国と同様に、他の強国の侵略を受け、自由を奪われた受難の歴史に苦しんだ。
  
「1」プラハ城
ヴィート教会(聖ヴィート教会)
プラハ市街にそびえる歴代王の居城。現在は大統領府がある。
14世紀のカレル4世の時代に現在の威容が整う。
* 聖ヴィート大聖堂
 10世紀にロマネスクの素朴な教会として始まったが、14世紀のカレル4世の時代から
 ゴシックに改修、19世紀に造られたステンドグラスにはムハ(ミュシャ)の作品もある。
 DSC_0718ヴィート教会ムハのステンドガラス(ムハの制作の? ステンドグラス)
* 聖イジー教会
 初期バロックの華やかな教会。
イジー教会(聖イジー教会)
* 黄金小路
 坂を下ってゆくと、昔、錬金術師たちの住まいの一角がある。1916年に作家のカフカ
 が住んでいた家がある。カフカの家①(青い家がカフカが一時住んでいた家)プラハ城の展望台の人々(遠くにヴルタヴァ川と橋を望む)

「2」カレル橋
 カレル4世の時代に造られた全長520mのゴシックの美しい橋。
混雑するカレル橋(観光客で賑やかなカレル橋)
音楽家(カレル橋の上の音楽家たち)
丘の上のプラハ城(丘の上に聳え立つプラハ城)
旧市街橋塔(橋の入口に建つ旧市街側「橋塔」)

「3」 旧市街
プラハの心臓部といえる広場。商業的繁栄によって広場に面して多くの建物が建ったが、政治的には重要な事件の舞台となったことである。

* 旧市街広場 (数々の事件の処刑場になった)
旧市街広場(人々で賑ぎ合う旧市街広場)
* 旧市庁舎(天文時計)
 旧市庁舎(天文時計)
下の時計(黄道12宮?と農村の四季の作業を描いた暦)
当時の宇宙観(天動説)に基ずいた天体の動きと時間を表す。毎正時に仕掛けの人形が動きだす。12使徒が次から次へと現れては消えてゆく。下のは黄道12宮と農村の四季の作業描いた暦。世界最大の大きい天文時計を見に人々は集まる。
* 聖ミクラーシュ教会(華麗なバロックな教会)
ミクラーシュ教会の通り(ミクラーシュ通り)
* ヤン・フス像
ヤン.フス像
 プラハ大学の総長だったフスはローマ教会の腐敗堕落を激しく批判したため、1415年異端として火あぶりの刑に処せられた。フスの死は民衆を目覚めさせ、フス派としてカトリックと激しく戦うことになる。
* ティーン教会(市庁舎と向き合う)
* 国立美術館の企画展会場
* 装飾の面白い建物
広場に面する建物
* プラハの街中の風景
DSC_0871プラハの街中
カフカの看板(カフカの写真のある掲示板)
* カレル通り (旧市街広場からカレル橋までの曲がりくねった道。素敵な店が並び人々で一杯だ。
* 「旧ユダヤ人街」シナゴークの跡がある。
シナゴーグ跡(シナゴーク跡)

「4」新市街
*「ヴァーツラフ広場」
 今でこそプラハ随一の繁華街となって、高級ホテルやレストラン、デパート、銀行などで
 賑わっているが、政治的に忘れられない広場なのだ。
 1968年「プラハの春」で改革派のドゥブチェク第一書記などをソ連の戦車で押しつぶした
 ところ。学生や支持者が死をもって抗議した。
 1989年「ビロード革命」改革派のハベルを大統領にして、無血で革命に成功した広場。
 チェコ民主革命のシンボルなのだ。
*「国民劇場」
 ドイツ語を強制された時代、「チェコ語によるチェコ人のための舞台を」というスローガン
 で集められた国民の寄付で造られた劇場。設計・内装の彫刻・絵も全部チェコ人の手に よった。
*チェコの音楽家=ドヴォジャーク(ドヴォルザーク)、スメタナ、ヤナーチェク。
*チェコの文学 =カフカ、カレル・チャペック、ミラン・クンデラ
*ムハ美術館(ミュシャ) アールヌーヴォーを代表する画家。パリ時代の作品が有名だ
 が、大作「プラハ叙事詩」は傑作!
* チェコの「人形劇」とアニメ
 プラハの裏通りの広場で「魔女のお婆さん」の人形を買った。触ると「ケラケラ、、、」と笑
 う。チェコ語を禁止された時代、人形劇にチェコ人は思いを込めた。政治的な物語、笑いと皮肉な話にオーストリアの圧制に対する痛烈な批判を込めたのである。
 人形劇の伝統にのってチェコの「人形アニメ」が発達して、すぐれた作品を生んだ。
* チェコの「切手」も面白い。
* チェコの「ビール」
 「スタロプラメン」「ピルスナー」「バドバイザー」「ブドヴァイザー・ブドヴァル」
 チェコに来てビールの美味しさを教えてもらった。

チェコのレンガ色の屋根と白い壁の家並みの美しいこと!夢のような童話的世界はいいですよ!
  1. 2012/12/12(水) 10:16:18|
  2. 2006年『ポーランド・チェコ旅行』
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2006年『ポーランド・チェコ旅行』⑤「チェスキー・クルムロフ~フルボカ城」9/28

2006年『ポーランド・チェコ旅行』⑤「チェスキー・クルムロフ~フルボカ城」9/28
展望台 (クルムロフ城をバックに)

① 「チェスキークルムロフ」
 チェコの「チェスキー・クルムコフ」は童話の世界だ。城とその下の城下町。モルダワ川が町を廻って蛇行して流れる。
 13世紀に建設されてから、城主がチェコ系、オーストリア系、ドイツ系と何代も代わった。
城から見た街の景色は絶妙な美しさだった。
城からの眺め①(クルムロフ城から城下町を見る)
DSC_0416クルムロフ①(クルムロフ城下町)
DSC_0583観光客で混む
  (観光客の多い通り)
ヴルタヴァ川②
  (町中を流れるモルダワ川)
クルムロフ②
  (クルムロフの街通り)
村②
   (城から見た町)

② 「チェスケー・ブジヂェョヴィツェ」
 13世紀にボヘミア王オタカル2世がライバルに対抗して造らせた王立都市。
 又、世界的に有名なビール「ヴァドバイーザー」の発祥の地。米国と商標戦争中。
 町の建物が美しい。中世の童話的な物語の世界だ。チェコの地方都市にはこのような童話の世界のような夢の街が多い。ボヘミア・モラモラヴィア独特のセンスのよさに感動した。
オタカル広場①(ブジヂェョヴィツェの町)
市庁舎(市庁舎)
上からの眺め①(聖ミクラーシュ大聖堂の隣の黒塔の頂上からの眺め)

③ 「フルボカー城」
ブディェョヴィツェを建てたオタカル2世が所有していた記録がある。歴代のボヘミア王の所有を経てドイツの貴族の所有となった時、英国のウインザー城を真似て造らせた。
フル ②
フルボカ城 ①
   (上の2枚はフルボカー城)

④ 「カルロヴィ・バリ」
「チェスキー・ブデイェヨヴイツェ」の近くの「ホラショヴィツェ」に寄る。素朴なバロックの農家20軒。16世紀にオーストリアやドイツから移り住んだ農民たちが、19世紀にバロックに建て替えた。世界文化遺産。
DSC_0596ホラショビツェ 村 ①
DSC_0600ホラ  ②
⑤ 「ピルセン」
ピルゼンビールで有名な町をバスで通る。チェコのビールがこんなにも美味しいとは!

* 「カルロヴィ・バリ」へ行く途中、「マリアーンスケー・ラーズニェ」を通った。ドイツ名
  をマリエンバートという。映画「去年マリアンバートで」のモデルになったところ。懐かし
  みながら、しばし映画の回想に耽った。

⑥ 「カルロヴィ・バリ」(ヨーロッパ中に知れ渡った有名な温泉地)
 19世紀に入ると各国の王侯貴族や有名人が保養にやってきた。ここは飲むのである。
カルロヴィ・ヴァリ ①
原泉が湧いているところ(ヴジーデルニー・コロナーダという地下2500mの所から毎分2千ℓの温泉が吹き上げている。)
DSC_0674 カルロヴィ ③(「トルジニー・コロナーダ」という白いレースのような装飾の美しい建物)
  1. 2012/12/10(月) 00:17:29|
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『映画』 「サイエンティスト」独・デンクマルフィルム/監督B・フェアハーク

ドキュメンタリー映画「サイエンティスト」2012.12.8 

 (監督B・フェアハーク。制作デンクマルク・フィルム(独))


先日、衝撃的なドキュメンタリー映画を見た。「サイエンティスト」である。
遺伝子組み換え(GM食品又はGMという)の恐ろしさについての科学者からの告発であった。
映画「サイエンティスト」12.6


① 攻撃された2人の科学者 
 A・プシュタイ教授(ハンガリー/1956渡英。生化学者。ローウェット研究所
(英)に35年在職。)は「GMのポテト」をラットへの実験を行い、脳や臓器の発達異常、免疫システムの異常を発見した。1998年にTVインタビューで発表したが、ヨーロッパ中に衝撃を与えた。2日後、解雇され終身停職処分を受ける。研究所もマスコミも「彼の発表は間違いで、老齢でボケている」と攻撃した。しかし、世界の23人の科学者が彼の実験の正しさを表明した。

 I・チャペラ教授(米。カリフォルニア大学バークレー校。微生物学者。)
GMコーンの栽培が禁止されているメキシコでGMコーンを発見。2001年「
ネイチャー」誌に発表したが、産業界から激しい攻撃を受ける。
 バークレー校が産業界(バイオの多国籍企業)から数百万ドルの出資を受ける事に反対し、2002年大学から終身在職権を拒否された。彼は異議申し立てを行い、2005年回復させた。

 映画はこの2人の受難した科学者を基に構成されている。GM(遺伝子組み換え食品)について、日々食べている食品について考えさせられた。GM食品は安全なのか?どのような健康への安全テストをしたのか?日々食べている食品の中にどのくらいのGMが入っているのか。真相を知りたいところである。

②安田節子さん(食政策センタービジョン21.GM食品について詳しい)
  の解説を参考にしながらまとめてみる。
 GM食品の安全性の実験データは、「組み換え体」を直接与えた実験ではない。98年のプシュタイ教授の実験は「組み換え体」そのものを与えた初めての実験。貴重な試みであった。
実験によって、すい臓、睾丸に重量の増加、胃の粘膜の厚みが増大、腸の柔突起の細胞の増大、リンパ球の増加=自己防衛機能が、GMのジャガイモを与える事によって増加した。(この異常現象は体に様々な変調をきたす。)

 政府、バイテク産業は、GMのヒトや動物に対する健康悪影響の研究を発表した科学者は、大企業の利益に影響を及ぼす、の見解の基に排除した。95%のバイオ学者が企業の援助を受けている。安田さんは「核」と「遺伝子組み換え」は同じようなものだ、と言う。「原発ムラ」と同じ構造の「GMムラ」。安全神話の合唱!

③ 世界の<安全性に関する研究>の事例(安田さんのレジメによる)

* GMのカリフラワーが肺がんや大腸がんのリスクを高める。
* 日本、大豆の除草剤「ラウンドアップ」残留基準値の緩和(6ppm→20ppm)
  食卓に登場するGM作物によってラウンドアップ摂取量の急増。
* GM作物花粉によってアレルギー性疾患。フイリピン ミンダナオ島
* 米国で殺虫GMコーン(スターリンク)により劇症型アナフラキシーショックで栽培禁止に。日本の飼料  からも検出。
* ロシア科学アカデミーのエルマコヴァによるGM大豆の次世代影響実験で、
  子ラットの死亡率51.6%(通常の大豆10%)ラットの内部器官(肝臓、腎臓、睾丸)に深刻な損傷、妊娠する  胎児の数、子ラットの死亡率、攻撃性と母性喪失の増加に影響。
* モンサントの秘蜜研究が露見。GM殺虫性トウモロコシ、ラットの血液と腎臓に異常。独の裁判所が情報  公開命令。仏で生データ検証、肝臓、腎臓、
  骨髄細胞に悪影響。
* 仏の研究、モンサントのGMコーン3品種に臓器毒性。
国際生物科学ジャーナル、3種のGMトウモロコシをラットに90日間与えた実験。腎臓や肝臓への悪影響、心臓、副腎、脾臓、造血系に悪影響。
 (* 「モンサント」<米の多国籍バイオメイカー>
  2008年売上高110億ドル。遺伝子組み換え作物の種の世界シェア90%
  自社製の除草剤ラウンドアップに耐性を持つ、遺伝子組み換え作物をセットで販売している。ベトナム戦争
  での枯葉剤の製造メーカーとして話題に。
  農業分野における米国の世界支配を支える企業である。)
  
④ 日本における「遺伝子組み換え」作物の歴史

* 1996年モンサントが「除草剤耐性」「害虫抵抗性の遺伝子組み換え作物」を
 商品化。日本で始めて「遺伝子組み換え作物」が認可される。190種類。「安
 全だ」と政府・専門家は言う。日本は食物自給率が低い為、最大の食物輸入
 国。
* 2003年組み換え大豆を使った食品の販売が日本でも始まった。
* 2012年5月現在、認可GMは大豆、とうもろこし、菜種、綿、じゃがいも、
 てんさい、アルファルファ、パパイアの8作物。
* 日本は原材料に表示義務がある。(米国はない)

A, 油・餌(えさ)はない。
B, 表示義務がある食品、全原料のうち重量の割合が上から3番目まで。原材料に占める重量が5%以上の物。消費 者が知ることが出来る食品は限界がある。
C, 表示義務の抜け道。牛・豚・鳥の家畜の飼料は表示義務はない。肉、卵、食料油、しょうゅ、清涼飲料水に含 まれる異性化糖、果糖ブドウ糖液糖(トウモロコシを糖化して出来た安価な糖分)、コーンスターチ、大豆レシ チなどは原材料は表示していない。
* 家畜の餌がGM=食卓の肉類にGMが入っている。日本はトウモロコシの世界最大の輸入国。輸入先の9割が米。 米で生産されるトウモロコシの88%はGM、大豆は94%。
* 政府、専門家は安全だといってGM食品、解明が不十分な除草剤・殺中剤を被ったGM食品を認可しているが、真 相を知ると震えてくる。
* 米国製の除草剤や殺中剤で育った食物を食べている。微量の毒性が残留している食物を食べ続けることの不   安。何代にも渡って食べ続けることの不安。次世代に及ぼす影響?

⑤ 多国籍企業の世界制覇
 なぜ真実を解明した科学者が攻撃・迫害を受けるのか?企業の利益を損ねるという危機感から攻撃をかける。
米の経済政策の世界戦略の一端を担っている。、今までの産業では国際競争に勝てない。「知的所有権」―ITとかバイオで世界制覇に向うという戦略がある。OECD(経済開発機構)にも組み込まれている。バイオには多国籍企業がバックにいる。
 世界の穀物・作物の種の特許を多国籍企業が持ってしまった。彼らは
イ、 種代 ロ、技術・資料代 ハ、特許料侵害というビジネス
を振り回して個々の事例に介入している。
 「TPP」についても多国籍企業の狙いは「自由貿易」による企業の利益追求である。各国の原材料の「表示制度」ジャマである。撤廃もしくは抜け道を迫ってくるだろう。 

* 前から不安を感じた「遺伝子組み換え」食品について、少し考えた。まだ不十分だろう。映画、
 安田節子さんの解説に大分お世話になった。しかし、しかし、どうなって行くのだろう?次世代、
 その次の世代の食はどうなってしまうのか?皆さんに問いたい!
  1. 2012/12/08(土) 16:33:19|
  2. 2012年『映画』
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2006年『ポーランド・チェコ旅行』④「チェコのブルノ」9・27(水)

2006年『ポーランド・チェコ旅行』④ 「チェコのブルノ」 9・27 (水)

ブルノ市内
   (モラヴィアの中心「ブルノ」)

(1)チェコ/ブルノ
* ポーランドのクラコフから国境を越えてチェコに入った。チェコはボヘミアとモラヴィアの2つの地域
 に分けられる。モラヴィアの中心が「ブルノ」。現在は商業都市。丘の上の「シュピルベルク城」。
町の中心に「自由広場」ー聖ヤコブ教会ー旧市庁舎ー緑の広場(野菜の市場がある)-聖ペテロ聖パウロ大聖堂。そのコースで見て回った。
「自由広場」の周りの建物は中世に建てられた。

* 「ヤナーチェク」モラヴィア出身の世界的な音楽家。現代音楽の作曲家、曲は難解である。 

ブルの「ぺガ<br />ス」
* 昼食をとったホテル・「ぺガス」

  ここの自家製のビールが美味しかった!ビールがこんなにも美味しいものだということを再認識させるほどだった。料理は忘れたが、やっと美味しい食事にありついた気持ちがした。ポーランドの料理が塩からかったである。

ヤコブ教会②
  (ヤコブ教会)
ヤコブ教会「お尻ペロン」
 (ばかやろー魂の「お尻ペロン」)
13世紀に創られその後改装、90mのゴシックの尖塔を持つ「ヤコブ教会」。完成したのに賃金を全部払ってもらえなかったので、しっぺ返しに「お尻ペロン!」職人魂!

 市庁舎
  (旧市庁舎)
市庁舎面白い飾り
   (旧市庁舎独特の飾り)
聖ペテロ教会
(聖ペテロ聖パウロ大聖堂)
 
1092年にロマネスクの教会があった。14世紀に現在のゴッシック様式の教会になった。なかなかの荘厳さ!

緑の市場
   (緑の広場ー野菜・花を売っていた)

2
  1. 2012/12/06(木) 17:20:17|
  2. 2006年『ポーランド・チェコ旅行』
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2006年『ポーランド・チェコ旅行』③「クラコフ市内」9/26

2006年『ポーランド・チェコ旅行』③ 「クラコフ市内観光」9/26(火)

DSC_0307ヴァヴェル城⑤
   (ヴァヴェル城)
クラコフ市内⑥
   (クラコフ市街)

* 9月26日(火)午後 「クラコフ旧市内観光」
DSC_0287ヴァヴェル城①
   (大聖堂)
「1」ヴァヴェル城
 ポーランド・リトアニア連合の「ヤギェウオ朝」(1385~1569)のポーランド王国の首都であった。
 旧王宮と大聖堂が残っている。
 旧王宮では「タベストリー」の展示が行われていた。「タベストリー」は装飾だけではなく、防寒
 の意味もあった。

「2」ユダヤ人街ー「シンドラーのリスト」のロケ地
 DSC_0301ユダヤ人街③

ユダヤ人街④
ユダヤ人地区の看板
  (以上、クラコフのユダヤ人住居)

「3」 ヴィスワ川
ヴィスワ川
 
「4」中央広場周辺
* ヤギェウォ大学
ヤギェウォ大学
* コペルニクス像
DSC_0313ヤギェウォ大学内コペルニクス像

* 1364年創立、ポーランド最初・中央ヨーロッパではプラハのカレル大学に次ぐ歴史を持つ。
 コペルニクスやローマ法王ヨハネ・パウロ2世がここで学んだ。

* 織物会館
  DSC_0321旧市庁舎
  (旧市庁舎)

広場
中央市場広場
  (中央広場)

* 聖マリア教会の「ラッパ吹きの悲しい伝説」
 13世紀、タタール軍の襲撃を知らせていたラッパ吹きの兵士が、途中で敵に矢で射抜かれて死んでしまった。この事を悼んで「聖マリア教会」の窓から1時間毎にラッパを吹く。兵士が吹いている途中で射抜かれて死んだ時のように、ラッパの音は途中で終る。
 タタール軍の来襲は恐ろしいものであった。人口の半分が殺され、後にヨーロッパ中の嫌われ者(複雑な歴史的経緯がある)だったユダヤ人を受け入れることになった。
 
ラッパ吹き
DSC_0325聖マリア教会

* ツアーの限界だろうか、クラコフにもっと滞在したかった。「チャルトリスキ美術館」「聖フロリアン教会」「バルバカン」にも行きたかった。ユダヤ人地区、ヤギェウォ大学も散策したかった。
* 一番困ったことは、食事の塩分が多いことである。寒いからあれだけの塩を必要とするのだろうか?
  1. 2012/12/04(火) 15:36:54|
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