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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

2006年『ポーランド・チェコの旅』②「アウシュビッツ」

2006年『ポーランド・チェコの旅』②「アウシュビッツ」2006年9/25.26

「ハ」 ヴィエリチカ岩塩採掘場  9/25

午前中をかけてワルシャワから旧都クラコフへバスで移動。バスの窓からどこまでも続くポーランドの平原を眺めて、大国に挟まれて外敵からの侵入を受けやすかった事が想像出来た。
「ヴィエリチカ岩塩採掘場」は世界有数の規模を誇る。13世紀から近代までポーランド経済を支えた。
 ヴィエリチカの町
  (ヴィエリチカの町)
ヴィエリチカ地下岩塩採掘場
   (ヴィエリチカ岩塩採掘場)


「ニ」「アウシュビッツ」と「ビルケナウ」9/26 午前

① 「アウシュビッツ強制収容所」(第一収容所)
 撮った写真を見て頂く。
 以下「アウシュビッツ」の中の写真
アウシュビッツ①
   
アウシュ④

アウシュ⑤
  (「死の壁」多くのユダヤ人がこの壁の前で銃殺された。)

アウ⑧
   (初代所長へスがここに首を吊るされた)

ガス室
  (ガス 室)

アウシュ⑨
( 鉄条網には高圧電流が流れていた。自ら当たって自殺する者もいた)

* アウシュビッツでどのくらいのユダヤ人が殺されたのか?正確なところはわからないが、400万とも150万とも  言われている。少なくても100万単位の殺戮があった。1945年1月ソ連が解放した時、骨と皮ばかりの人間が97人いただけだった。
* アウシュビッツに着いて初めは感情が動かなかった。眼鏡の山を見た時だった。突然まわりが曇ってきた。映  画や本での記憶と目の前の眼鏡の山とが合体した。体が震えどうしょうもない感情になった。


② 「ビルケナウ強制収用所」(第二収容所)

 アウシュビッツが一杯になったために隣に第二を造った。それが「ビルケナウ}
ビルケナウ
   (列車の終着地点)
* 映画によく使われたシーン。ここでユダヤ人は貨車から降ろされ収容所へ駆り立てられた。
ビル ②
(ビルケナウ収容所の跡)

ビル③
ビル④
ビル⑥

* 戦後の思想・文学において「アウシュビッツ」は重い課題だった。映画などの映像で何度も見て、
  ある程度の想像をしていたが、やはり実際に現地に立つとずっしりと重いのである。ここで大量
  虐殺が行われたのである。
* なぜ、ユダヤ人か?直接的にはナチスの地獄の人種観に基づく「劣等民族抹殺主義」。
  歴史にさかのぼって、ヨーロッパ人の中にユダヤ人を差別する何かがあるように思う。
  ユダヤ人を受け入れたのはポーランドなど少数だった。(モンゴルとの戦争で人口が半減した
  ポーランドがユダヤ人を受け入れた歴史的経緯がある。)
* ナチスはドイツやポーランド等の占領地に70余の強制収用所を造り、ユダヤ人、ロマ、政治犯、
  捕虜を収容、虐殺した。
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  1. 2012/11/30(金) 15:14:51|
  2. 2006年『ポーランド・チェコ旅行』
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2006年『ポーランド・チェコ旅行』 ① ワルシャワ2006年9/23~10/02

2006年『ポーランド・チェコの旅』① ワルシャワ 9/23(土)~10/02(月)
 
かねてから待望していたポーランド・チェコの旅が始まった。西欧への興味も、大国の露と独にはさまって幾多の運命に遭遇したポーランド・チェコ・ハンガリーや旧ユーゴスラビアなどの小国の方に関心があった。それぞれの国の文化と20世紀―特に戦中・戦後史を考える上で小国の運命は欠かせない位置にあったと思えるからである。小国の歴史から全ヨーロッパ史・現代世界史が俯瞰できるからである。

最近のイタリア旅行と違って、旅の記録を残していない為に東欧の2回の旅
2006年の「ポーランド・チェコの旅」と2008年の「旧ユーゴの旅」は写真中心である事をお断りしておく。

[ 1} 第1日(9/23土)(成田―(スイス航空)チューリッヒーワルシャワ)
それまでの経験に較べて、機内が狭く汚い。食事も悪い。
旧王宮前広場
(旧市街旧王宮前広場)
「2」 第2日(9/24日) ポーランド・ワルシャワ
午前。「ジェラゾバ・ボーラ」(ワルシャワ郊外のショパンの生家)
  ポーランドの「魂の詩人ショパン」の生家。緑あふれる森の中にあり、世界各地から花が贈られている。日本からの桜は春になれば咲き競うという。
  ここはスカルベク伯爵家の別邸、母は伯爵家の遠縁に当たり、父は伯爵家の家庭教師。生後7ヵ月でワルシャワに引っ越した。後にショパン協会がこの一帯の土地を買い記念博物館と公園をつくった。今では年何10万の人々が訪れている。

(ショパン生家。ジェラゾヴァ・ヴォラ)
DSC_0015ショパンの生家

ショパン生家
  
「3」 午後。ワルシャワ市内観光。

*「旧市街」 旧王宮の前の広場―旧市街市場広場―人魚像
旧市街市場広場
 (旧市街市場広場)

* 1944年ワルシャワ蜂起に対してナチスは市街を壊滅させた。戦後、市民は瓦礫の山から戦前と変らない市街の町を復元させてしまった。驚異の、市民の行動力!情熱!作業に当たっては、レンガのひとつもおろそかにせず、生き残った市民の記憶も総動員した。
 「市場広場」は市民、観光客で一杯であった。17.18世紀の建物が並ぶ、しかも奇妙に明るく新しい雰囲気の中で不思議な感覚にいた。映画「地下水道」の舞台が旧市街の地下だった。蜂起した市民たちが、追い詰められて地上に出ると、ナチスによって射殺される。主人公たちがヴィスワ川に辿り着くと、川の向う岸にソ連軍が待機している。映画を見た我が若き日、そのシーンの意味を深く考えなかった。考えが甘かった。監督アンジェイ・ワイダの意図をもっと受け止めるべきだった。1950年代末、世界はそのレベルだった。


バルバカン
   (バルバカン)
*「バルバカン」(15~16世紀に建てられたレンガの砦)
ワルシャワ蜂起記念碑
    (ワルシャワ蜂起記念碑)
*「ワルシャワ蜂起記念碑」1944年ソ連がナチを破りワルシャワ近郊まで迫ったので、解放近しと思った市民が蜂起した。一時的に市街の中心部を解放区にしたが、蜂起軍の中に反ソ的部分(国民軍派)を見たソ軍はヴィスワ川の対岸で停止、ナチは徹底的に市街を破壊し20万人を殺害した。
(ポーランド映画、アンジェイ・ワイダの「地下水道」で主題になり、ワイダのその他の映画で、戦中・戦後ポーランド史が常に出てくる。)

* 「ワジェンキ公園」
 美しい公園。18世紀ポーランド最後の王ポニャトフスキが建てたワジェンスキ宮殿。王国が消滅するとロシアに売られ、1918年ポーランド独立時に返還されたが、第2次大戦でナチ・ドイツに占領されると宮殿の美術品はドイツに持ち去られ、1944年の放火で壊滅した。戦後復興された。ポーランド悲劇の歴史の象徴?ではないか!
ショパン像
  (公園の中のショパン像)

* 「ヴィラヌフ宮殿」
17世紀末、「夏の離宮」として当時の王によって建てられた。フランス式の庭園に囲まれたバロック様式の宮殿。ここも何度も所有者が変った。

 DSC_0039和ジェンスキ公園.ヴィラヌフ宮殿
 (ヴィラヌフ宮殿)      

* 「キュリー夫人博物館」ー「ショパンの部屋ー3階ー」-ワルシャワ大学ー「聖十字架教会」
 
 キュリー夫人博物館
 (キュリー夫人博物館)

*「聖十字架教会」ではミサの最中だったので、忍び足で「ショパンの心臓」を見にいった。
当然ながら写真はだめであった。多くの信者が祈りをしていた。ポーランドの人々の
ショパンに対する深い敬愛とキリスト教への信仰を感じた。

「4」 夜 ショパン・コンサート
   ( ワジェスキ公園内マイセルワイス宮殿) ピアノ=マリア・スクリャト・シルベ
 *ノクターン(Op27の2)。幻想即興曲(Op66)。ワルツ嬰ハ短調(Op64の2)
 *エチュード・革命(Op10の12)。プレリュード(28の15)。
 * マズルカ(17の1,6の2) ポロネーズ(53)
 
 シルベさんは「ショパン・コンクール」1位に輝いたピアニストで抒情性豊かな演奏。
 長年憧れていたポーランドに来たことと、ショパンを聴くことが出来た幸せにうっとり!

 * 「ポー」は「平坦・平ら」「ランド」は「土地」の意味だそうで「ポーランド」と名付けられた様に
   平原と森の国である。ロシアとドイツの大国にはさまって侵略と併合の歴史だった。一時国が
   消滅する悲劇に見舞われる。しかし、今、ポーランドは独立国として健在である。
  
  1. 2012/11/28(水) 15:36:47|
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『日記』 秋の新国立から外苑前まで歩く12.11.25(日)

『日記』 「秋の新国立から外苑前まで歩く」12.11.25(日)

DSC_3986.jpg

秋の快晴の日である。新国立で「リヒテンシュタイン展」を見てから、外苑前まで歩いた。

ウエスト
「ウエスト」青山店。銀座、目黒に喫茶店がある。銀座店は学生時代によく行った。

青山ガーデン
  「青山 ガーデン ウエスト」2階3階は何かしら?

DSC_4001公園
 変哲もない唯の公園だが、なぜか空間の広がりに惹かれた。

 青山通りに出ると、途端に人が多く、しゃれた店に出会う。
キャンドルサービス

 もう一軒
素敵なショップ

 外苑前、ここから絵画館までは銀杏の黄葉でお祭りだ!

外苑前の銀杏並木の

銀杏の

外苑の黄葉の銀杏
  1. 2012/11/26(月) 19:15:43|
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『美術』 「リヒテンシュタイン」展。新国立 12.11.25

2012.11.25   新国立美術館

DSC_3986.jpg
『美術』「リヒテンシュタイン展」2012.11.25新国立。


「リヒテンシュタイン侯国」はオーストリアとスイス国境にある、日本の小豆島位の領土の独立国。ハプスブルク家の寵臣、1608年世襲の「侯」を認められ、1719年「リヒテンシュタイン侯国」として誕生。優れた美術品のコレクションで有名である。
DSC_3991リヒテンシュタイン展

3万点のコレクションの中から139点の展示。特にルーベンスの10点、バロックの作品、豪華な家具調度品は
目を奪う。

①30点のルーベンス(1577~1640)・コレクションの中から10点の展示。

 イ、「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」1616
  5歳の自分の娘を描いた。注文ではなく自家用に、工房ではなく自身で全部描いた。愛娘は12歳で亡くなって  しまう。
 ロ、「果物籠を持つサテュロスと召使いの娘」1615
  作品の真ん中の果物―葡萄の描き方がカラヴァッジョの「果物籠を持つ少年」の葡萄の描き方にそっくりであ   る。「カラヴァッジェスキ」といわれる追従者を出したほどバロックに多くの影響を与えた。
 ハ、「占いの結果を問うデキウス・ムス」-「デキウス・ムス」連作より
  294×412cm 1616-17
 ニ、「マルスとレア・シルヴィア」208×272cm 1616-17
  2作共、3×4mと2×2.7mの大作である。ルーベンスの大作は工房の優れた弟子たち(ヴァン・ダイク等)の協力  によっている。ヨーロッパ中の貴族社会からの注文を受け、歴史画、宗教画、肖像画、風景画を残した。

② 侯爵家の名画コレクション。
イ、ラファエッロ 「男の肖像」1502-04
  典型的なルネサンス絵画。画面、上半分の背景に遠近法の風景をバックに男の肖像。

DSC_4062クラナッハ

ロ、クラナッハ(父)「聖エウスタキス」1515~20
  面白い画風、構成が奇抜で動物の描き方が面白い。
ハ、ピーテル・ブリューゲル(子)「ベッレヘムの人口調査」1607
  細密画か?と思わせる繊細で細かい描写。父のグロテスクさとは対極
  的に美しい。他にブルリューゲル一族の絵画が数点。」

DSC_4048マリア・デ・タシスの肖像

ニ、ヴァン・ダイク「マリア・デ・タシスの肖像」1626
  衣装の描き方の見事さ!真珠、首にかけたレース等、当時高価なもの。
  ヴァン・ダイクはきれいな手を描く、と。(誰かが言っていた)
ホ、レンブラント「キューピッドとしゃぼん玉」1634
  初期の作品で後期の破産した頃の重厚な作風を想像できない。
 
③ 「ビーダーマイヤー様式」
 ウイーン会議(1815)~3月革命(1848)の間にドイツで流行った「小市民的な家具、文学、服装、絵画を指  す。ドイツの質素な感じをいう。
イ、ルブラン「虹の女神イリス・リヒテンシュタイン侯爵夫人」1793
 虹の女神としてきれいな素足を描いて問題になった。侯爵夫人が素足になるのは特別な場合によるから、下に靴 を置いて展示した!
ロ、ヴァルトミュラー「幼きオーストリア皇帝、ヨーゼフ1世・おもちゃの兵隊を従えた肖像」  1832
ハ、アメリング「麦わら帽子の少女」1835
 今でもドイツで絵画代名詞として言われるそうだ。
ニ、アメリング「マリー・リヒテンシュタイン侯女2歳の肖像」
 あどけない幼児の寝姿!

④ 「クンストカンマー」
 豪華で細密な工芸品

海外の美術館の展覧会は有名な何点かを目玉にした(後は失望が多い)ものだが、この「リヒテンシュタイン」展は作品の質がよかった。良質の感動が残った。
  1. 2012/11/26(月) 17:34:40|
  2. 美術/ 音楽/舞台/読書/文学
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『映画』 「ミステリーズ・運命のリスボン」(監督、ラウル・ルイス。出演、アンドリアヌ・ルーシュ。11.19

『映画』「ミステリーズ/運命のリスボン」(ポルトガル・フランス映画)

  監督、ラウル・ルイス。原作、カミロ・カステロ・ブランコ。
出演、アドリアヌ・ルーシュ。(デニィス神父)マリア・ジュアン・バストウシ
ュ。(アンジェラ伯爵夫人)

DSC_3829運命のリスボン


R・ルイスはチリ出身の亡命映画監督で、フランスを拠点に活動、2,011年70
歳で死去。100本近くの作品があるのだが、「クリムト」(06年)「見出された時
『失われた時を求めて』より」(98年)など僅かしか日本では公開されなかった。
これは2010年製作の彼の最後の作品で4時間半の長編映画。パリで1年以上の
ロングランの記録を持った。2011年70歳で客死。
原作は19世紀ポルトガルのロマン主義の作家、K・K・ブランコの長編小説。
(邦訳はない)ある家族の数奇な運命を何代かに渡って繰り広げ、ポルトガ
ル・フランス・イタリアを舞台に展開する一大ロマン。舞踏会、決闘などや女優たちのコスチュームの見事さ、室内装飾や部屋の壁面の絵画などで18・9世紀の社会を幻想的に造形している。R・ルイスはリアリズムをベースに超現実的な手法を使って幻想的な世界を展開する。

19世紀の前半のポルトガルが舞台。リスボンの修道院の「ジョアン」という
名の孤児と、彼を常に庇護するディニス神父(アンドリアヌ・ルーシュ)を廻る数奇な物語。軟禁される美しい孤児の母アンジェラ伯爵夫人(マリア・バシュトウシュ)、アンジェラの父モンテゼロス侯爵の陰謀、謎の成金のアルベルト(貴族に替わる新興勢力でもある)、老修道士バルタザルなど次から次へと登場する。政略結婚、虚栄と嫉妬の舞踏会、没落する貴族と成り上がる貿易商人、彼自らの出生の秘密を語り、人間関係も複雑に絡んで交差して、目くるめくロマンの世界が展開される。

 現代映画のテンポの速い展開に慣れている目には4時間半の長尺は眠気の誘惑に襲われるだろ。だが、男女の葛藤、親子の相克と憎悪、欲望や怨みや嫉妬や復讐の渦巻く物語は18世紀のロマン小説を読んでいるような興奮を覚える。過去と現在が交差し、主人公が物語の展開に連れてどんどん入れ替わる。ゆがんだような画面、夢かと思わせるシーン、物語の展開を暗示させるようなシーン。「紙芝居」のような「劇中劇」が何回も挿入され、夢の世界は果てしなく展開するのである。
  1. 2012/11/19(月) 15:02:12|
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『映画 』 「終の信託」(監督、周防正行。出演、草刈民代.役所広司。大沢たかお。11.17

『映画』「終の信託」  11/17

(原作、朔立木。監督、周防正行。出演、草刈民代。役所広司。大沢たかお)

DSC_3824終の信託11.17


弁護士である朔立木の小説の原作を基に、命の尊厳と安楽死を巡る問題、終末
医療と司法の関わり、人間の愛、法と正義などについて考えさせられる映画。

映画は2つのパートに分かれる。
① 女医・綾乃と喘息患者・江木の出会い
呼吸器内科のエリート女医・折井綾乃(草刈民代)は長く不倫関係にあった
同僚の医師との失恋に、精神のバランスを崩し眠れずにウィスキーで睡眠薬を飲み、自殺未遂騒ぎを起こしてしまう。(その時の、蘇生措置として鼻に管を
通して胃洗浄のつらさの体験は、後の患者の病状への理解につながる)
そんな彼女の心を癒したのは、重度の喘息患者江木(役所広司)の優しさであっ
た。江木から渡されたプッチーニのオペラのCDを聴いて涙を流した綾乃だったが、それが実は「喜劇」だった、と語る江木。(何を意味する?本質は良く調べなければわからない、の意味)特に江木の語る幼い頃・戦中の満洲での妹の死の強烈な体験。そこで語られる、「人間は最期にも『聴覚』が残る。母親が臨死の妹に子守唄を歌い続けた話」女医・綾乃の心を揺さ振った。江木から、最期の「子守唄を歌って欲しい、と「延命措置」の鍵を託される。(江木の家族の事情もあって)綾乃は引き受けてしまう。

* 「延命措置」の選択を引き受けるシーンは医師としての「甘さ」を感じるが(手続きとか)、綾乃の医師的立場や男女の「愛」より、人間としての「愛情」レベルを監督は表現したかったのだろう。
* 不倫のシーン・人間の描き方が、その後の綾乃と較べて軽く・通俗的。

 壮絶な臨終シーン。

② 検察官の尋問
 3年も経って、検察から呼び出しを受ける綾乃。検察官(大沢たかお)の尋問
シーン。ここ数年の検察のグロテスクな部分の暴露によって我々は恐怖の部分
を知ることになったが、検察官役の大沢たかおの名演技によって「恐さ」を充
分に味合った。検察の狙った意思の基に、事実を積み重ねて調書を作る。検察
官の質問のみの答えしか受け付けない。誰でも逃れられない。かくして犯罪は
創られてゆく!

* テンポの速い展開、画面の切り替えの巧さ、乾いたシャープなカットはさすが現代日本を代表する映画監督なんだと思わせた。
* 尊厳死・安楽死について考えた。延命措置の問題は医療現場では厳密に決まっている。しかし、司法は本当に裁くことが出来るのだろうか、「?」が残る。医療とは、司法とは、、何か。本質的に考えることを突きつけられた。
* 映画の後半、検察官の尋問に暗くやり切れない思いで席を立ちたくなった。
ラストに字幕で裁判の結果を知らせる。検察官の尋問のシーンの中で一工夫があってしかるべきではないか?優れた韓国映画にあるような、魂を鷲つかみするような、、、ドラマ・映画の本質論になってくるが。


  1. 2012/11/17(土) 15:01:12|
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『映画』 「危険なメソッド」(原・脚、K・ハンプトン。監督、D・クローネンバーグ。出演、キーラ・ナイトレイ。V・モーテンセン。M・ファスベンダー。

『映画』「危険なメソッド」

(原作・脚本、クリストファー・ハンプトン。監督、D・クローネンバーグ。出演、キーラ・ナイトレイ。V・モーテンセン。M・ファスベンダー。V・カッセル) 11/11

危険なメソッド

「精神分析」の礎を築いたフロイトとユング、彼らの運命に関わりあった1人の女性ザビーナの物語。

 20世紀初頭、性がタブーとされた時代、当時の社会・医学会にとってフロイトの「精神分析」の理論はショッキングな存在だった。精神に関わる病気―例えば、ヒステリーは幼児期の性的抑圧に由来する、といった考え方は第一次大戦前の、秩序が解体する前のヨーロッパ社会では受け入れられなかった。
フロイトは「精神分析」は有効な治療方法と確信して、社会に立ち向かっていた。若き精神科医ユングはフロイトの「精神分析」の斬新な方法を実践して、ザビーナの回復に成功した。

① 映画はフロイドとユングの友情、「精神分析」を巡る考え方の違い、宗教観などからくる確執と決別の物語。
② 若きユングの、美しく魅力的な患者ザビーナに対する、医師と患者の一線を越えた愛と葛藤。
 この2つが微妙に絡まった展開をする。

 1904年、チューリッヒの病院の若き精神科医ユングは(マイケル・フランスベンダー)「精神分析」の先達フロイト(ヴィゴ・モーテンセン)の提唱する斬新な方法を取り入れて、ユダヤ系ロシア人の美しき女性患者ザビーナ(キーラ・ナイトレイ=熱演です)の治療に実践していた。ザビーナの幼少期の記憶を辿り、抱えている性的なトラウマの原因を突き止め治療に成功した。
 しかし、2人は互いに愛しあい、医師と患者の一線を越えてしまった。精神分析で起る「転移」(患者が幼児期に親などに向けられていた感情を治療者に向ける事)である。(昔、小生もそういう事実を聞いた事がある。)
裕福な資産家出身の聡明な妻とザビーナの間で苦脳するユング。世間の非難、師フロイトとの確執にまで発展する。

 映画ではユングがフロイトに初めて会いに行って、感動して10時間も熱中して話して、気が付いたら夜中の2時過ぎだったというエピソード。会話に夢中になっているフロイトの部屋には多くの蔵書と多数の美術品のオブジェに囲まれていた。彼らは何回も手紙で意見の交換していた。(達筆で華麗な手紙が画面に出てくる)

 映画の中での彼らの精神分析に関するやり取りは、一般的には興味の対象にならないが、映画の面白さはユダヤ系ロシア人の女主人公ザビーナの奔放な生き方だ。
 ヒステリーを起こして暴れまわっている彼女は強制的に病院に連れて来られるところから映画は始まる。ユングによる「談話療法」(患者に自由に話させる)治療の成功、そして、2人の恋と展開してゆく。

 女優キーラ・ナイトレイの捨て身の演技に感動したこともあるが、ザビーナの行き方に興味を持った。
彼女は病気を快復してチューリヒ大学医学部に入り、ユングの指導の下、「総合失調症」の研究を進めた。ユングの子どもを産みたいという要求をユングが撥ねつけた為、2人の愛は破局を迎えた。又、フロイトの弟子になり精神分析医になった。
 後に、ロシア系ユダヤ人医師と結婚して1923年ソ連に帰り、「ロシア精神分析学協会」に参加、モスクワに幼稚園を造った。「子どもは早い時期から自由人として育てるべきだ」という理念に基づく幼稚園だった。スターリンが息子を偽名で入園させていたが、3年後児童への性的虐待の冤罪を掛けられて閉鎖。背景に精神分析学に対するスタリーン政権の弾圧があった。1936年、大粛清の中で夫は病死、1942年侵攻してきたナチによって故郷ロストフで娘たちと共に虐殺された。

 精神分析学の創成期にフロイトとユングに関わりを持ち、後、精神分析学の故にスターリンに粛清され、ユダヤ人があるが為にナチに虐殺された女性。たまらなく興味を引かれた。




  1. 2012/11/11(日) 17:07:18|
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