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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

2011年②『イタリア列伝の旅』第3日アレッツォ2011.5.14 /2012.9.30記

2011年②『イタリア列伝の旅』 第3日 アレッツォ2011.5.14
 (Ⅰ.)「サン・フランチェスコ教会」 『聖十字架物語』2012/9.30記
「イ」始めに
 アレッツォはエトルリア時代に起源を持ち、中世は自治都市として栄え、ルネサンス文化の中心地でもあった。詩人ペトラルカ、万能の芸術家ヴァザーリ、我がピエロ・デッラ・フランチェスカの「聖十字架物語」、中世の音階を再編成したG・モナコ(今でもその名を冠した国際合唱コンクールも毎年開催されている。)などが輩出した多才の文化の町である。伝統産業に貴金属や宝石の加工があって、ここで作られ貴金属品はフィレンツェのアルノ川のヴェッキオ橋の高級貴金属店で売られているそうだ。
DSC_7369アレッツォ.サン.フランチェスコ教会
  (サン・フランチェスコ教会)
9.00出発。徒歩にて駅前モナコ通りを旧市街へ向ってゆっくり上ってゆく。近代化された町並みの中に薄茶色の砂岩がむき出しの未完のファサード(建物の正面、デザインのこと。)が「サン・フランチェスコ教会」だった。質素な外見で時代に取り残された様子で建っていた。教会の一番奥に「主礼拝堂」が有り、ピエロ・デッラ・フランチェスカの描く『聖十字架物語』がある。
DSC_2338聖十字架物語(壁画連作)
   (聖十字架伝・壁画連作)
 ここまで辿り着くのにかなりの年月を要した。昨年の「反省」に書いたように、当時新鋭の画家有元利夫によってピエロ・D・フランチェスカを知ったのは(85年の夭折後の)87年の展覧会だった気がする。有元は71年にここを訪
有元利夫.卒業制作
   (有元利夫/女性像十選)
れ、72年卒業制作「私にとってのピエロ・デッラ・フランチェスカ」連作を描いて世に出た。有元の天空の風が吹いているような作品に魅かれると同時に、彼の創作のもとになったピエロ・D・フランチェスカが頭に刻みつけられた。
厳格なカノン
    (有元利夫/ 厳格なカノン)
その後30年近くピエロは私の心の中で発酵し続けた。71年有元が立った聖堂に40年後の今、私もいる。体がかすかに震えた。今回の目玉の一つ。
「聖十字架物語」の前に立ってみての私の感動は静かなそれでいて、こんこんと湧き起こってくる感動であった。ピエロの描く世界を受け止めるには私自身が余りにも小さ過ぎた。
モメンタルとよくいわれる。大作を前に集中力と研ぎ澄まされた感性が必要ではないかと思った。何しろ大作であった。私は茫然とただ見ていた。
夕方もう一度見に行った。
「ロ」作品の内容
* 制作年代は1452~58年 殆どはピエロの作だが弟子も少し参加している。
 壮大な画面の展開である。画面の展開、配置図は以下の様である。
右側 上段・①アダムの死 中段・②シバの女王の聖木礼拝。ソロモン王とシバの女王との会見 下段・⑥コンスタンティヌス帝のマクセンティウスに対する勝利
真ん中  窓の右 上段・③聖木の運搬 中段・⑤コンスタン帝の夢
 〃   窓の左 上段・⑦ユダの拷問 中段・④受胎告知
左側 上段・⑩聖十字架の賞賛 中段・⑧聖十字架の発見と検証 下段・⑨ヘラクリウス
    帝のペルシャ王ホスローに対する勝利  (数字の番号が物語の順番。)
 13世紀の「黄金伝説」(伊・ジェノヴァの大司教ヤコボスによって集められたキリスト教
の聖者・殉教者の伝記)によった。「聖十字架物語」はイエスが磔刑に処せられた「十字架」
の「聖なる木」にまつわる物語で、旧約のアダムとイヴの<楽園追放>から7世紀の東ローマ帝国時代までの壮大な物語である。
「ハ」物語・場面の要約
・1つの画面に幾つかの場面を描く場合が多い。
アダムの死
① (「アダムの死」)の3場面。
右、年老いた重い病気のアダムを、4人の人間が囲んでいる。老残のイヴ、白髪の息子セツと他の2人はセツの子供である。
 画面の奥、遠近法で小さく描かれているのが大天使ミカエルと話す息子のセツ。父の病を治す「憐れみの木の油」を懇頼している。ミカエルは「小枝」を渡しレバノンの山に植えなさいという。(この「木」は原罪のもとになった「林檎の木」の木だと言う)
 セツが帰るとすでにアダムは亡くなっていた。
  左、アダムの死を嘆き悲しむ人々。セツはアダムの口に小枝を植える。小枝は成長し、画面中央の大木となり、ソロモン王の時代まで生き続けた。
DSC_2345シバの女王
 (シバの女王)
DSC_2347ソロモン王に対面するシバの女王
   (ソロモン王と会見するシバの女王)
② 左に「シバの女王の聖木拝礼」右に「ソロモン王とシバの女王の会見」
  ソロモン王は(紀元前10世紀、ダビデの子でイスラエル3代の王。繁栄を築き、ソロモン王の知恵は有名)その木を宮殿の前の橋にしておいた。
高名なソロモン王をシバの女王が大勢の随員を伴い、大量の金、宝石、乳香を持ってやってきた。女王が橋を渡ろうとすると、世界の救済者がいつかこの木に架けられる、と霊感を受けたのでその場に跪(ひざまず)いて拝礼した。女王は濃い緑のドレス。跪く女王の後に立つ流麗な6・7人の女官。皆巻き上げた様な帽子をかぶっている。貴婦人たちの長いドレスがそれぞれ肩からゆったりと流れる様な曲線を描いている。
  画面の真ん中をコリント風の太い円柱で仕切り、右は太い梁と円柱のソロモン王の宮殿で王と会見するシバの女王一行。ソロモン王の羽織っているコートが燦然たる金糸で、これが描かれた当時はどんなにか輝いていたか。エキゾチックな夢とロマンを誘う。
③ 「聖木の運搬」一説に女王が王に、その「木」に吊るされる人がユダヤの国を滅ぼすとお告げを聞いた、と話したので、王はその木を地中深く埋めた、とある。
コンスタンティヌス帝の夢と受胎告知
 (「コンスタンティヌス帝の夢」と「受胎告知」)
④ 「受胎告知」 真ん中のコリント様式の優美な円柱と梁で画面を4つに区切り、堂々たる貫禄の聖母マリア。左上から神が手を差し伸べるように光をそそいでいる。
* 長い歳月が流れ、木が埋められた場所に神殿の犠牲を洗う池が掘られたが、イエスの受難が近づくと水面に木が浮かび上がった。ユダヤ人たちは主の十字架を作った。この十字架はイエスの受難後2世紀地中に埋もれていたが、聖女へレナによって発見される。

⑤ 「コンスタンティヌスの夢」 コンスタンティヌス帝がドナウ川をはさんで蛮族の大軍と対峙した夜、帝の夢に天使が現れて「十字架を持って戦うべし」と告げられた。夜の場面が面白い。闇夜を設定し左上から天使が光=色彩をテントの寝ている帝に降り注ぐという画面、絵画での夜の場面を本格的に描いたのはあまり無い。光と闇の明暗効果は後のカラヴァッチョの先駆的作品となる。
ヘラクリウス
  ( ヘラクリウス帝 対 ホスローの戦闘 )
⑥ 「コンスタンティヌス帝の勝利」画面の中央、大勢の騎馬や兵士を引き連れコンスタンティヌス帝が十字架をかざして進軍する。川を隔てて逃げるマクセンティウス。鷲の軍旗が逃げるマクセンティウスの軍旗ドラゴンを追う。槍が林立している。同時代のパオロ・ウッチェロの「サン・ロマーノ戦い」の槍の林立を思い起こす。華麗な軍事パレードみたいだと言った誰かの言を思い出す。
⑦ 「ユダの拷問」 戦いに勝利し313年にキリスト教を承認したコンスタンティヌス帝の母ヘレナがエルサレムに巡礼し聖十字架を探した。ユダが知っているとの情報で拷問に架け白状させる。
⑧ 「聖十字架の発見と検証」画面の左の部分で十字架を地中から取り出す場面に立ち会う聖へレナ。アレッツォの町並みの風景を上部の遠景として描いている。右の部分では、発見された3本の十字架の内どれが本物か検証する場面に立ち会う聖へレナ。裸の死者に十字架をかざす役人。膝まずく聖へレナの一行。(シバの女王の一行の描き方と同じ)背景に大きな聖堂と4・5階建ての建築物が並ぶ重厚な町もアレッツォであろうが? 

⑨ 「ヘラクリウス帝のペルシャ王ホスローとの戦闘と勝利」 戦闘場面。全体の2割程の右画面を除いて激しい戦闘場面。幾つもの色々な軍旗がはためき騎士や兵士が槍・刀での殺し合いの戦争。兵士の切迫した表情、興奮して後足で立ち上がる軍馬。先ほどのコンスタンティヌス帝の場面とは大違いだ。戦闘場面としては凄いリアリティがある。
 右端、戦いに敗れ今や首をはねられる寸前のホスロー王。その上段はかって「父なる神」と豪語したホスロー王の天蓋と主なき玉座が虚しく置かれている。
(トルコ戦争の暗示。15世紀はオスマン・トルコの侵攻の脅威に曝されていた。)
* 細部を観察すると粗く大雑把な描写も目につく。弟子たちの筆も入っているのか?
⑩ 「聖十字架の凱旋」 ヘラクリウス帝は聖十字架を手に、飾り立てて凱旋したが門が崩壊したりして中に入れてくれない。天使のお告げがあって、帝は靴や衣装を脱いで謙遜の意を表して、聖十字架を賛美する言葉を述べて門に入っていった。人々は賞賛した。

「ニ」 物語のテーマ= ピエロは何を描きたかったか 
  
 14世紀中頃、サン・フランシスコ教会がエルサレムの聖墳墓聖堂(キリストの墓やゴルゴダの丘があるとされた地に立つ教会)管理に積極的にのりだす。イエスが磔に合う「聖木」の物語は教会の壁画を飾る絵画として格好の題材だった。各サン・フランチェスコ教会に「聖十字架物語」の壁画を描かせた。サンタ・クローチェ教会(フィレンツェ)のアニョ・ガッディの「聖十字架物語」が代表例だろう。教会のバックに神学者たちがいて「神話伝説」を練っただろう。アレッツォのそれもその一環だった。ピエロの「聖十字架物語」はどうだったのか?

 「楽園追放」でエデンの園から追われたアダムとイヴ(人類・人間)の救済を描こうとした。人間の堕落の象徴である、林檎の木の物語は変転し、南方の地の果てからシバの女王が来訪しソロモン王と会見するというエキゾティックなエピソードで彩る。神の子キリストの生誕に関係する「受胎告知」を描き、キリスト教の普及に貢献したコンスタンティヌ帝が十字架を掲げる事によって戦いに勝利し、母のへレナが聖地整理をしたことを賞賛した。異教のペルシャ王を破り幾多の戦争を経て、神の子キリストによって人類は救済される、と。
  ピエロは人類救済史の一大叙事詩を画期的なドラマとして描いた。マザッチョたちの切り開いた遠近法、フレスコ画の方法を駆使してルネサンス絵画の最高峰を完成させた。
  しかしこの連作がすごいのは人間救済の物語を、聖地を舞台にして一大叙事詩の壁画連作として描いたことなのだ。20世紀でも評価されるほど画期的な絵画を描いたことなのである。
ピエロの「聖十字架物語」にあって多の「十字架物語」に無いのは、「コンスタン帝の戦い」(軍事パレードみたい)「帝の夢」(王が寝ているシーンと夢の中で十字架が出てくる、夜の幻想的シーン)「シバの女王とソロモン王との会見」(エキゾティツク夢のあるエピソード)以上芸術的な豊かなふくらみをもつ作品となった。又、「受胎告知」を入れた事はキリストの生誕によって人類の苦脳が救済されると、キリスト教への賞賛である。
では、教会賛美・キリスト教賞賛の絵画を(ヨーロッパの絵画の殆ど)信者ではない我々がどうして感動するか?ピエロ・D・フランチェスカ絵画の魅力・深さ・芸術の力によるのです。ルネサンス美術の王道=ドナッテロ・ブルネレスキ・マザッチョらによって切り開かれた「遠近法」による単純明快な構図、中世の装飾性を否定した透明な明るい色彩空間、リアルな人物表現など抜きん出た絵画である。
DSC_2369キリストの降誕(女神の合唱)
   (「キリストの降誕」の『女性の合唱』部分)

「ホ」ピエロ・デッラ・フランチェスカ(1415-20~~1492)の年表
1415-20  ボルゴ・サンセポルクロに、商人・職人の子として生まれる。
1430 故郷で画家として活躍。
1439 フィレンツェでドメニコ・ヴェネツィアーノと共に活躍
1440   「キリストの洗礼」(ロンドン・ナショナル・ギャラリー)
1445   「聖セバスティヌスと洗礼者聖ヨハネス」(ミゼリコルディア同信会との契約)
1445-48  「聖ヒエロニムスと帰依者」(ヴェネツィア・アカデミア美術館)
1449    フェラーラの壁画 (逸失)
1450   「苦行する聖ヒエロニスム」(ベルリン・ダーレム美術館)
1451   「シジスモンド・マラテスタの肖像」(パリ・ルーブル美術館)
1452    ウルビーノの「キリストの鞭打ち」
1452-55  「聖十字架伝」の内、「アダムの死」「十字架の賞賛」「預言者」(アレッツォ)
      モンテルキの「出産の聖母」。サンセポルクロの「聖ユリアヌス」
1455-58  「聖十字架伝」の内、「ソロモン王とシバの女王の会見」「十字架の発見と検証」
      「聖木の運搬」「ユダの拷問」
      サンセポルクロの「キリストの復活」
1458-59  ヴァチカンの壁画 (逸失)
1460-62  「ミゼリコルディ祭壇画」の内、「慈悲の聖母」。「聖十字架伝」の内、「受胎告知」「コンスタン
ティヌスの夢」「コンスタンティヌスの勝利」「ヘラクリウスの勝利」。ペルージアの「サンタン
      トニオ祭壇画」の内、「主画面」
1462-64  アレッツォの「聖十字架伝」の終了。ペルージアの「サンタントニオ祭壇画」プレデッラ。アレッツォ      大聖堂の「マクダラのマリア」
1465   「ウルビーノ公夫妻の肖像画」(バッティスタとフェデリコ)
1465-70  ペルージアの「祭壇画」の内、「受胎告知」。サンセポルクロの「サンタゴスティーノ祭壇画」。ボス       トンの「ヘラクレス」
1470-72  ウルビーノの「セニガッリアの聖母」
1472-74  「聖母子と聖人たち」(ミラノ・ブレラ美術館)
1475    「キリストの降誕」(ロンドン・ナショナル・ギャラリー)
       画家である共に数学・幾何学の研究者としても知られている。
1492    死す。
DSC_2361聖モニカと聖ニコラ・ダ・トレンティーノ
  (「聖モニカ」と「聖ニコラ・ダ・トレンティーノ」)
聖母子と聖人たち
   (「聖母子と聖人たち」ミラノ/ブレア美術館。右手前にウルビーノ公)


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  1. 2012/09/30(日) 23:25:26|
  2. 2011年『イタリア 列伝の旅』
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2011年①『イタリア列伝の旅』  ウルビーノ 2011.5.13

2011年①『イタリア列伝の旅』 ウルビーノ・サンセポルクロ 2011・5/12~5/22 2012/9.26 記

はじめに
2010年春の「イタリアの旅」の後、様々の検証をしてきた。元気に海外旅行があとどれだけ行けるか?ツアーは何回行ってもその場所で行く所が決まっていて全部は見られないことに気が付いた。少々危機感を持った。関心の強いイタリア・ルネサンス美術を検証してみた。外見の華々しさに気を捕らわれて本質を見過ごしている事に気が付いた。具体的にはアレッオの「聖十字架物語」(ピエロ・デッラ・フランチェスカ)、シエナのカンポ広場と市庁舎の絵画、いやシエナの町全体、フレンツェのブランカッチ礼拝堂のマザッチョの連作壁画、ウルビーノやコルトーナやペルージャなど中部の古都、それらが眩い宝石のように輝いてどうしても行って見てみたいと恋焦がれるようになった。10年の秋はこの調査に没頭し、いつか本当に訪れたいと思うようになった。
DSC_2338聖十字架物語(壁画連作)
(アレッツォ/サン・フランチェスコ教会の「聖十字架物語」壁画連作)

10年の晩秋に、Y社がヴァザーリ生誕500年に引っ掛けて「列伝の旅」の企画を発表した。それを見て驚喜した。ピエロもマザッチョもシエナも入っているではないか!「我が企画盗まれたり!」と勝手に興奮した。ともあれ、ヴァザーリの列伝の書に関連したルネサンスの代表作家を訪ねる旅は心憎い企画であった。
ところが、11年の3・11の大震災である。一時外国旅行どころではなかった。天と地が引くリ返るような状態になった。1ヵ月・2ヵ月が過ぎ少し落ち着いてきた。自分だけがくよくよ悩んでいても仕方がないと思い切って参加した。

絵画館屋上からのカンポ広場
    (シエナ・絵画館の屋上から見た「カンポ広場」)
ドゥオモ
     (シエナ・「ドゥオモ」)

『列伝の旅』(イタリア・ルネサンス美術の旅)2011.5.X~
第一日、5月X日、成田発ウイーン・フィレンツェ経由、アレッツォ深夜着。

第二日、(アレッツォ・ウルビーノ・サンセポルクロ・モンテルキー・アレ
      ッツォ泊)
DSC_7249丘の上のウルビーノ
(ウルビーノ/ドゥカーレ宮殿よりアペン山脈方向を見る)

 8時半アレッツォ発、主要道路が土砂崩れのため迂回路で行く。昨夜の就寝が深夜だったのと、時差ボケで調子が良くない。ただ、いつもの海外旅行と同じように興奮している。アペニン山脈を越えたアドリア海に近い山上に中世の都市が出現した。フェデリコ公が造ったウルビーノだ。11時にルネサンスの典型的な赤茶けた城塞「ドゥカーレ宮殿」の真下にバスは着く。いよいよ今回の旅の初日の観光が始まる。
DSC_7237ドゥカーレ宮殿
   (ドゥカーレ宮)
フェデリコ公夫妻の肖像画
(ピエロ・D・フランチェスカ作/「ウルビーノ公夫妻の肖像」フェデリコ公と妃のバッティスタ夫人)

(A)ウルビーノ
 ピエロ描く「ウルビーノ公夫妻の肖像」(ウフィツイ美術館)の、モンテフエルト家フェデリコ公(1422-1482)が「理想の宮殿」として築いたウルビーノである。鼻元がえぐれた横顔の(横顔しか描かせなかった)肖像画は一度見たら忘れないほど印象的で、傭兵隊長として不敗の将軍でありながら、文化・教養に優れここに理想の宮殿を創った。当時のイタリアは都市国家同士が競い合う状況、彼は傭兵隊長として不敗の将軍で、各地に転戦しその報酬を領地ウルビーノの善き政治のために使った。彼の蔵書は有名で、今それはヴァチカンの図書館になっている。ピエロはここで重要な宮廷画家として優遇された。ラファエロの父ジョバンニ・サンテやウッチエッロが活躍し優れたルネサンス文化が花開いた。ラファエロがここで生まれた。
 ウルビーノ公の宮廷を理想とした、カスティリオーネの著作「宮廷人」は全ヨーロッパ宮廷人・紳士の作法の手本となった。
バスが着いたメルカターレ広場から上を見上げると茶色レンガの巨大な中世の要塞が構えているといった感じだ。エレベータで上がると「ドゥカーレ宮殿」の前に出る。「ドゥカーレ宮殿」は15世紀フェデリコ公が築いた。宮殿内に「国立マルケ美術館」がある。

①「国立マルケ美術館」  
(イ)「フェデリコ公の居室・書斎・礼拝堂・ミューズの間・謁見の間」
DSC_2135無口な女
(ラファエロの「無口の女」)

(ロ) 「公妃の居室」
ウルビーノ宮廷の文化の質の高さを感じた。普通、王や貴族の居室というと調度品や装飾の豪華さや華麗さを競うがウルビーノ公の宮殿は気品があるのだ。又、「公妃の居室」にはラファエロの「貴婦人の肖像」(無口の女)があった。これが思いがけなく良いのだ。初めの印象は取っ付きの難しい良家のお嬢さんかと思ったが、どうしてどうしてなかなかの美形で気品があって、見れば見るほど奥が深い作品で後々忘れ難い思い出になった。

DSC_2335フランチェスカ・キリストの鞭打ち
 (ピエロ・D・フランチェスカの「キリストの鞭打ち」
(ハ) ピエロ・デッラ・フランチェスカの「キリストの鞭刑」。
 いよいよピエロ・D・フランチェスカと対面である。想像以上に構成・構図が凄い。色彩も外見の華やかさではなく、気品のある深い色合いである。作品の寓意は何かを考えさせられた。ピエロは何を描こうとしたのか?マザッチョ以来の「遠近法」がこの作品をもって完成したのではないか?
「キリストの鞭打ち」は謎多く、多くの解釈がある。これが想像していたよりかなり小さな作品なので意外だった。画面は左と右の2つに分かれ、遠近法で左側は奥の方に小さく描かれている。古代ローマの宮殿のような堅固な骨組み・コリント式の柱と梁で組まれた宮殿の中で、2人の男にキリストが鞭打たれている。それを見守るローマ総督ピラドと後ろ向きの男。画面右側、前面に3人の男が派手な衣装を着て立っている。
 画面右側前面の3人の男は今もって謎だそうだ。3人は誰か?何を話しているか?左後方のキリストの鞭打ちとどういう関係があるか?右端の男の豪奢な衣装が抜きんで目立つ。ユダの裏切りによりキリストが磔刑処せられて行く場面のⅠこまなのだが、右前の3人の男の謎に問題が帰ってくる。さて、作品の寓意は何か?何を表現しているか ?
 研究書をいくつか当たってみたが、これが描かれた状況1450年代に密着して紐解く捉え方が面白かった。トルコの侵攻と東西カトリック教会の危機と統合計画である。ほどなくコンスタンチノーブルが陥落してビザンチン帝国が滅ぶのだが、危機に対してトルコからいかにしてビサンチン及び東カトリック教会を守るかを協議した。前の3人の中にウルビーノ公の王子がいて協議に加わっている。当時の状況に深く根ざした解釈は面白い。ピエロも状況を深く見て考えて描いただろうから。それ以上の追求素人にはムリだ。
(ハ)「セニガッリアの聖母」(ピエロの作品)
貸し出し中で見られなかった。残念!
DSC_1908理想の都市
 (理想の都市)
(今では否定されているが、かってピエロ作といわれた「理想の都市」)
(ニ) 「理想の都市」
 ここにあったとは。昔はピエロの作品だといわれたが、現在否定されている。この作品も意外に小さかった。日本の展覧会でも見たことがある有名な作品。
(ホ) ティツィアーノ「最後の晩餐」。ウッチェッロ「オスティアの奇跡」
ウッチェロ・女の処刑・ウルビーノ・マルケ
( ウッチェッロ『冒涜された聖餅の奇跡』-「女の処刑と天使の降下」国立マルケ美術館)

② (ラファエロ通り)

DSC_7277ラファエッロ通り

ラファエッロの生家
DSC_7302ラファエロの生家
 (ラファエロの生家)
ラファエッロの父ジョバンニ・サンテもウルビーノ公の宮廷画家だった。ラファエッロが生まれた家は見かけは質素だったが、中に入ると、どうしてどうして幾つも部屋のある工房だったことがわかる。ここにはラファエロの絵はなく、父のサンテの絵がかかっていた。イケメンのラファエッロの自画像(誰かの偽作)イケメンの自画像にツアーの
女性たちが、きゃあきゃあ言っていた。
 ウルビーノには大学があり、若者たちが溢れ活気のある街である。ルネサンスの建物・雰囲気がそのまま残っているきれいな街だ。歩きながら見る横丁の路地やレンガの家が手入れや保存が行き届いていて、昔のムードが残っていて絵になっている。坂道が多く、坂の上から街をロングで撮ると面白い。ルネサンスの時代に誘われているようでワクワクしてきた。
DSC_7305ガリバルディ通り
 (ウルビーノの中心街/ガリバルディ通り)
アペニン山脈を越えてきた甲斐があった。もう少し行くとアドリア海なのだ。かって旅したクロアチアのドブロブニクやスプリットの、夢のような城塞や旧市街を思いだした。

DSC_7314森の中のレストラン「NENE
 (ウルビーノ/森の中のレストラン・「NENE])
<昼食>ウルビーノ郊外の森の中のレストラン「NENE」。そこへ行くまでの道が狭いので迎えの車が来た。山道の木々を何度もこすりながら行く。やっと着いたレストランは素敵な森の中にあった。
 「昼食のメニュー」
ハウスワイン/ ひよこ豆とパスタのスープ/ タリオーニ(卵の手打ちパスタ)/チキンと苦味の葉/ 生野菜のチコリサラダ/ 手作りのケーキ
 ここの食事が今回のツアーで一番美味しかった、と思う。料理のすべてに下味がついており、それが少しもくどくない。他の食事ではメインデッシュが肉で何日も続くと胃腸が受け付けなくなる。
白い泡雪のようなものがさらさらと舞っている。「あっ、柳絮だ!」(リュウジョ・柳のわたが春に飛び散る様子)初夏の札幌で見たことがある。後で一行の人が「アカシアの木」ではないか、と教えてくれた。レストランの周りにはアカシアが今を盛りと白い花びらを溢れんばかりに咲いている。アカシアの花粉症に罹ってしまった。東京で花粉症に悩んでいた私はイタリアで治そうと思っていたのに、又別なのにやられてしまった。


(B)サンセポルクロ 17時着。 
DSC_7335サンセポルクロの町
 (サンセポルクロの町)
 
 ピエロ・D・フランチェスカが生まれた町。メディチ家の統治時代に造られた要塞と城壁が残っている。この街も中世の町並みが残っているが、横丁の路地の家はレンガが崩れてやや風化している。華麗なウルビーノを見てきた目にはサンセポルクロが埃っぽく汚く見えた。田舎の町といった感じなのだ。ピエロが洗礼を受けたサン・フランチェスコ教会から丁度修道士が出てきた。何人かがお願いして一緒に記念写真を撮っていた。修道士は快く応じていた。
DSC_7354ピエロ・デッラ・フランチェスカの生家
  (ピエロ・D・フランチェスカの生家)
 ピエロの生家の掲示が出ている家、普通の街中の家。が、ピエロの父は商人・靴職人で成功した人といわれている。ピエロ自身も町の評議会の終身メンバーだったそうだ。3階の中央の窓枠がガラスになっていてピエロが少年時代を過ごした部屋だそうだ。
 ピエロが若い時絵の修業にフィレンツェに行ったが、生涯の多くを故郷の周辺で過ごした。(メデチ家に関係がなかった)この田舎町サンセポルクロを歩きながら考えた。田舎町の有力商人・職人の息子で、ルネサンス絵画の頂点を極めながらも,華々しい栄光の一生ではなかった。故郷のトスカーナの小都市で絵を描き、晩年は盲目になって死んだ。ピエロの絵をもう一度考え直さなければならない。
 「市立美術館」ピエロ・デッラ・フランチェスカの作品3点。
キリストの復活
  (ピエロ作/キリストの復活)
① 「キリストの復活」
 イエスは死後3日後死に勝利して復活を遂げる。その勝利者としての姿を高らかに強調する。今まで埋葬されていた棺桶に片足で膝立て、右手に旗を持ち正面をきっと見据えた勝利者としての表情。バックは小高い山、棺の下に眠りこける4人の兵士。左から2番目はピエロの自画像だと言う。友人の画家の言「凛とした佇まい」を感じるという。確かに殉教者キリストの覚悟みたいなものを感じる。ここでピエロはキリストに託して何を言いたいのか?キリストが持つ旗はサンセポルクロの旗だという。当時のどういう政治的意味合いがあるのか。戦争における町の勝利を祈念する意味だろうか?宗教的な復活を意味するだけだろうか?

② 「ミゼリコルディア祭壇画」
 絵の中央に左右4人の人々をマントで守る「慈悲の聖母」。上にキリストの磔刑図。慈悲の聖母の左右に4人の聖人が描かれている。聖母に向って左側端の、矢が体中刺さっている裸の聖人が「聖セバステアヌス」でペストを追い払った聖人として有名だそうだ。当時最大な災難ペストから人々を守る祈りとして描かれた。その周りに小さな絵が描かれている。弟子たちの手が入っている。これは多翼祭壇画(宗教的題材を描いた祭壇画が複数で構成する)であるが、今は散逸したがしかし傑作「慈悲の聖母」が残ったのは幸いだ。
慈母の聖母
  (ピエロ作/「慈母の聖母」
③ 「慈悲の聖母」
 マリアが大きくマントを広げて、その下に男も女も老いも若きも富者も貧者も皆祈っている。目を閉じたマリアはペストから守ろうと多くの人々をマントで抱えている。ペスト流行期のヨーロッパの各地でこういうマリアが多く描かれたという。黒い大きなマントの、鮮やかな赤いドレスを着たマリアが大きく描かれている。8人の男女がマリアを見上げて祈っている。目を閉じたマリアはペストに怯える人々を大きく包み込む。広い額のフランチェスカの絵画に共通する女の表情より凛としている。
出産の聖母
   (「出産の聖母」)
(C)・モンテルキ 着18.50 マドンナ・デラ・パルト美術館。「出産の聖母」
 郊外の墓地のチャペルよりここに移して展示している。ピエロ・デッラ・フランチェスカの「出産の聖母」1点のみの展示。村の若者が1人で管理・運営をしていた。素朴な律儀そうな青年だった。
「出産の聖母」うーんとうなってしまった。こんな大きなおなかの聖母は見たことがない。太い首、いからせた肩、大きな手、まさに田舎の小母さんなのだ。青いドレス前の真ん中のボタンの縫い目がまくれて下着が見えている。それに較べて顔の表情が端整で凛々しい。艶やかな肌の質感、やさしさ、この聖母の前に立つと不思議な安心感が出てくる。
 この近郊の女性たちは妊娠するとこのマリアへお参りに来るそうだ。外部の展覧会に持ち出そうとした時、村中で反対して外部への持ち出しを中止した。今でも近隣の妊婦の信仰を得ている。村のマンマたち(女達)が「出産の聖母」を600年守った。
20.10 アレッツォ・ホテル着。 








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  1. 2012/09/26(水) 15:17:58|
  2. 2011年『イタリア 列伝の旅』
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『映画』 「鍵泥棒のメソッド」(監・脚、内田けんじ。主、堺雅人。香川照之。広末涼子9/22

『鍵泥棒のメソッド』(監督・脚本、内田けんじ。主演、堺雅人。香川照之。
            広末涼子。荒川良々。森口瑤子。  9/22
IMG鍵泥棒


事故で記憶喪失になってしまう男が、あるさえない男に入れ替わり、冴えない男がやけにはぶりのいい男に入れ替わってしまう。その男は闇の世界の伝説の殺し屋、それに生真面目な婚活中の女性(広末涼子)がからむラブコメディー。面白い!噴出す場面の連続、映画館中笑いで何回と無くざわめく!脚本が練りに練ってある。細部に拘って、伏線は後での展開にからんでくる。エンターティメントの傑作!

堺雅人・演じるもう若くはない無職の男=桜井、役者を目指すが挫折し女に振られて金も無く自殺しょうかと考えていた。ふと入った銭湯で羽振りのよさそうな男(香川照之)が滑って転倒し失神した。出来心で鍵をすり替えて、その男になり代わってしまう。その男、闇の世界の伝説の殺し屋コンドウ。堺雅人の頼りないひょうひょうとしたキャラクターが絵物語のように殺し屋を演じられるか?彼の高級車、スーツ、財布の中の大金、秘密の隠れ家=高級なマンション、ビクビクしながらコンドウに成りすます。彼の金で借金や滞納していた家賃や税金を払ってゆく。その行為を通して、プータローである堺雅人がどういう生活をし、どうしょうとしていたかを分からせる仕掛けになっている。
コンドウの電話に出てしまった事から、ヤクザがらみの事件に巻き込まれ命を狙われることになる、、、
 
記憶喪失の男は自分が売れない3文役者であることに茫然とするが、病院で出会った香苗(広末涼子)に助けられて生活を立て直してゆく。ノートに自分に関する事を正確に記録したり、エキストラのバイトに行ってチンピラ役として採用されたり、演劇の本を買ってきて勉強しょうとしたり、果ては堺雅人に演技とは何かを講義したり、、過去の記憶を無くしてもただでは起きない逞しい生活力の持ち主である。

出版社のバリバリの編集長の香苗は父が癌で余命幾ばくもないと知って、自分のウエディングドレスを生前の父に見せたいと結婚を決意する。相手もいないのに日取りを決めるような、周りの空気や常識に関係なく、こうだと決めたら突っ走る思い込みの強い女。せっぱ詰まったような表情が不思議な存在感を持つ。監督の演出であろうか、女の可愛さを消した無機質な女性は記憶喪失の男に関わってゆく。

恐いコンドウと素朴な桜井を演じ分ける香川照之に対して、頼りなさそうな桜井とコンドウを演じる堺雅人、無機質だがせっぱ詰まったような不思議な存在感を持つ広末涼子の3人のドラマは本当に面白かった!香苗が姉に言われた「若い時は人を好きになると『胸がキューン、と痛くなる』が年をとると壊れてしまう」という台詞、ドラマの展開で香苗がコンドウを本当に胸がキューンとなって、ドラマの終りの定番みたいな抱き合うシーン。桜井が隣室の女の猫を「可愛い」と抱くと、隣室の猫なしに生きられないという女が、桜井に対して「胸がキューン」となるのは余りリアリティがないが、、、抱腹絶倒、娯楽映画の醍醐味を久しぶりに味わった。
  1. 2012/09/22(土) 21:35:15|
  2. 2012年『映画』
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『日記 』 「牛島神社」大祭にゆく 12・9・15

『日記』「牛島神社」の神幸祭を見に行く。  12・9・15
DSC_2170業平1丁目から見たスカイツリー

「牛島神社」の古式豊かな神幸祭  9/15
華麗な神輿

向島の「牛島神社」の大祭、神幸祭は5年に1度の大祭で牛がご神体(神輿)を引っ張って氏子の町内を練り、最後は「牛島神社」に宮入りするのだそうだ。牛車といえば平安の貴族の乗り物、牛を祭った神社も珍しい。浅草の川向こう向島にそんなものがあったとは?

DSC_2204立派な和牛

浅草に降りた時、観光客の多さにびっくり!皆、スカイツリー見物だとは。東武伊勢崎線で一駅、スカイの真下に降りた。氏子の町内を散策していると人々がゆかたを着て集まっている。路上に大きな神輿と子ども用が2つ。神輿の華麗で美しいことにビックリ!町内の人々祭りの準備で忙しそう。
DSC_2183錫杖の使い方を教える

長老の人が若い2人の娘に錫枝の鳴らし方教えていた。まだ10代らしい娘さん素直に教わっていた。ほのぼのとしてきた!
牛島神社に行く途中、大通りで店の前に等身大の鏡が置いてあった。鏡にスカイと自分自身を写せる!隣にミラーも!クリーニング屋サンの若主人の粋な計らい、下町の人情をちょっと垣間見たのです!
DSC_2233バックミラーに写ったスカイ
DSC_2220牛車が神輿を引く

夕方になり神幸祭の山車は町内を練り歩き牛島神社に宮入りである。先頭に神主が道端の人々をお祓い清めてゆく。その後に錫枝、牛に曳かれた神輿(鳳れん)、稚児、天狗の面をかぶった猿田彦、牛島講の人々、町内の氏
子、と続く。大勢の人で賑わった。
牛島神社に到着した行列
DSC_2255鳶の後ろ姿とスカイ

牛島神社での宮入り。神内びっしりの人、人、人。神楽殿でお囃子、神前に勢ぞろい、鳶の衣装の牛島講による「木遣り」の掛け声と歌、ジーンときた!江戸前の粋!心のなかの血が騒ぐ。少年時の記憶に浸っていった。
夕闇迫る隅田川を言問橋から吾妻橋まで川沿いを雷門まで歩いた。
DSC_2290夕暮れの隅田川と遊覧船
DSC_2314夕闇のスカイ・アサヒビャホール

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  1. 2012/09/16(日) 20:59:25|
  2. 『日記』
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『映画』 「夢売るふたり」(監・脚、西川美和。主、松たか子。阿部サダヲ2012.9.14

「夢売るふたり」(監督・脚本=西川美和。出演=松たか子、阿部サダヲ、田中麗奈、鈴木砂羽、木村多江、

DSC_3590夢見る2人

 西川美和は大胆なフィクションを設定して、そこでどのような人間ドラマが生まれ、人間の深層心理をどれほど抉(えぐ)れるかを、追求する映画を撮ってきた。ここでのテーマはコン・ゲーム、結婚詐欺である。

 東京の下町で料理屋を営む男(阿部サダヲ)と妻(松たか子)は、小さいながら繁盛していたが調理場からの出火で総てを失ってしまう。男は絶望し酒浸りの日々。ある日常連客だった玲子(鈴木砂羽)と酔って関係を持ち、玲子からX百万円を持たされてしまう。死んだ不倫相手からの手切れ金だった。夫に浮気された妻は怒りの心情と同時に大金を目の前にある事を思いつく。夫による結婚詐欺で出直しの資金を稼ごうというのだ。いわゆる結婚詐欺と違うのは、妻の筋書きによる夫の行動ということである。

 詐欺の対象になるのは結婚願望の強いOL(田中麗奈)、巨人ゆえ男がいない重量上げ選手(江原由夏)、男運の悪い風俗嬢(安藤玉恵)、幼い子供を抱えるシングルマザー(木村多江)。皆、男運に恵まれず、心の底では寂しさに耐えながら都会の片隅で生きていた。男は彼女たちに夢を与え(夢を売る)多額の金を受け取る。女たちは結婚願望や男への優しさから金を工面する。相手を破滅させるようなあくどいものではなく、あくまで「借りる」意識だ。詐欺の対象となった女たちの境遇と演じる女優の個性がマッチしている。

 夫役の阿部サダオ、女にやさしくマメな男だが狂気じみた底知れぬ人間を演じている。妻役の松たか子、梨園のお嬢さん!殻を破ろうと捨て身の演技―-夫の浮気を知った時の嫉妬の凄まじさ。西川監督は女の深層を深く抉りとろう、松たか子の悪の側面を出すために、松の形相の恐さ――眼力という、を何度か画面で展開する。

 女心を知り尽くした妻の筋書きだから、自分の仮病(子宮がん)もネタに使い、惚れた女が金をくれるというのを「断れ!」と指示したり、かかってきた電話の傍で妻が答える筋書きのシナリオを書いて夫に渡しているシーンなど吹き出してしまった。

男が他の女に身を尽くせば尽くすほど、(筋書きは妻が書いているのだけど)2人の夫婦関係がおかしくなってゆく。これは当然の流れだ。夫は相手を本当に可愛そうに思ったり、愛おしくなってゆく。子どもを抱える木村多江のシングルマザーにはとうとう入り浸りになる。

妻は夫が他の女の所に行っているのだから当然寂しい。性的な衝動を満たすオナニーシーンなどの展開があった。松たか子にそれをやらせたのだから話題になろうがあまり面白くない。夫婦関係の瓦解をもっとショッキングな展開で終らせられなかったか?テレビドラマのよくある終り方に似ていた。監督も終らせ方に悩んだか?ただ、後半の妻の心理えぐり方が今ひとつわからなかった。
ただ、新しく開店する店の 設計図を小脇に抱えて走りまくってゆく松たか子のシーンになぜかひかれるものを感じた。

  1. 2012/09/14(金) 19:05:37|
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