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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

「イタリア旅行」⑤ ローマ2010.6.6~6.8

「イタリア旅行」⑤ ローマ 2010.6.6~6.8

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  (ローマ・コロッセオ)

 ローマに夕方着いた。 このツアーに参加する時、フリータイムの過ごし方を考えた。どこへ行き、何処で食事をとるか。何回かイタリアに来ている者は行きたい所があるだろうし、初めての者はローマに来て「スペイン階段」や「トレヴィの泉」を見ないなんて考えられないだろし、午前に「ボルゲーゼ美術館」に行って午後又「カラヴァッジョ」や「システィーナ礼拝堂」では絵画に疲れてしまうだろう、とそんな事を考えていたが、そういう危惧は添乗員Sさんの「その名所で行かなければならない所は全部行く。」という方針で吹っ飛んでしまった。仕事に対する直向な情熱に驚嘆した。ただ、こちら側が靴ずれを起こし付いて行くに苦労する事になる。
DSC_3622ローマ・サンタンジェロ
    (サンタンジェロ城)

* ローマでのフリータイムの行動                                     6/6(日)ローマに早く着いた。その夕方から、 

DSC_3503フォロ・ロマーノ
(フォロ・ロマーノ)

*「トレヴィの泉」。(ローマを何度目の人は白けている)
*「パンテオン」。(古代ローマの神殿。天井に大きな円形の穴がなぜ空いているのか?太陽の光が直接降り注ぐのは良いとしても雨の日はどうするのか?)
*「ルイージ・フランチェージ教会」(ナヴォーナ広場の近く。「カラヴァッジョ」の3点(「聖マタイの召しだし」が印象に残った。)今回ローマの「カラヴァッジョ特別展」が目玉なのでここへも行った。
*「ナヴォーナ広場 」(ローマの下町の雰囲気があると云われている。) 
 ローマの距離感覚が掴めない。ホテルからスペイン階段までどのくらいの距離か、歩いて行けるのか、交通手段は何がよいか。ヴェネツィアやフィレンツェは歩いて行ける距離だが、ローマは大きい。京都より東京みたいだ。今までの古都はコンパクトで歩ける範囲にあった。ローマの大きさに勝手が違った。緊張感・集中力が抜けてしまった。目の前の古代遺跡に目を奪われてしまった。
 6/7(月) 古代ローマ史をもう少し調べてくるのだった。ローマは歴史が何層も重なっている大都市だからだ。歴史を知っていれば面白さも倍増する。京都のように。今まで美術に目を奪われて歴史・建築・彫刻をなおざりにしてしてきた。ローマは特にそれが外せないことを感じた。

DSC_3654パンテオン
   (パンテオン)
 午前は*「フォロ・ロマーノ」(古代ローマの都。遺跡の大規模の発掘)から「コロッセオ」(古代ローマ時代の競技場跡)「ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会」(ミケランジェロのモーゼ像)まで。途中、一行の1人がはぐれてしまった。フリータイムの行きたい者だけの参加とはいえ、Sさんの行動はすばやかった。その人と携帯で連絡がとれるや否やコロッセオまで迎えに行ったのである。教会で待っていた我々のタクシーを手配し、午後の観光の待ち合わせ場所にひょっこり現れた。まるで孫悟空のようだった。又、残留していた妻ら3人とヴィンコリ教会でばったり出会った。コロッセオまでタクシーで来たが、入場券を買う行列の人が余に多いので諦めて妻が以前来たことのあるヴィ
ンコリ教会のミケランジェロのモーゼ像を見に来たそうだ。
 古代ローマ遺跡の巨大さに改めて感心。石の文化について思いを馳せる。
 パンテオンの円形のクーポラ、頂上の真ん中の丸い穴、穴からの光は時刻表なのか、ラファエロの墓もあり、パン テオンの中でしばし昔を想う。
 DSC_3758スペイン階段
  (スペイン階段) 
6/8(火)帰国日の午前のフリータイム。我々4人はタクシーで「スペイン階段」まで行った。添乗員のSさんは例によって希望者を引っ張っていった。彼女たちとスペイン階段で出会った。スペイン階段は意外に小さく感じた。もっと大きいと思っていた。
スペイン階段の上の*「トリニタ・モンティ教会」(フランス人の教会)に10年前と同じ様に入った。教会の前からローマの町が展望できる。「サン・ピエトロ」が遠くに見えた。

 スペイン階段でツアーの一行が揃った。皆で写真を撮った。
 スペイン広場を下りてくると日本人の売り子が店の宣伝をしていた。ああ、そうだ。10年前その店の背の高い女性店員に近くの手袋屋と眼鏡店を教わった、ことを思い出した。その店のその人は存在していた。20年働いているそうだ。背の高い美人だった。店員は皆日本人だ。ここで少し買い物をした。 
 DSC_3476ローマ・ヴァチカン美術館
  (ヴァチカン美術館)

  (ヴァチカン美術館に10数点の「モランディの絵画」が陳列してあった)
ヴァチカン美術館にあった、「モランディの静物画」
    
6/7(月)午後「カラヴァッジョ特別展」「ヴァチカン観光」
  2001年庭園美術館で行われた「カラヴァッジョ展」は見ている。「光と影の巨匠、バロック絵画の先駆者たち」という副題が付いていた。2000年の「イタリア年」の行事の一環だったのか?今、生誕400年でのローマでの特別展。映画も作られた。僕はまだカラヴァッジョのいい作品を見ていない。ボルゲーゼ美術館の「馬丁の聖母」「ゴリアテの頭を持つダヴィデ」や他の美術館の「ホロフエルネスの斬首」「エオマの晩餐」「マクダラのマリアの法悦(ほうえつ)」。凄い世界だという事は想像がつく。殺人という無頼の闇に首を突っ込みながら、美というもう一つの魔物にとり憑(つ)かれた男。今回せっかくの機会なのに何故かもうひとつ気が乗らない。彼の全体像を掴むには時間がかかりそうである。                         

DSC_3753ヴァチカン
    (ヴァチカン・サン・ピエトロ広場)

「システィーナ礼拝堂」
  ミケランジェロの「天井画」がうす暗かったのにはがっかりだった!側壁の「ボッティチェッリ」や「ギルランダイオ」もダメだった。前回は午前中に見て、修復が終ったばかりで最高によかったのに、今回は残念だった。
*ローマが舞台の映画 「ローマの休日」が1番。「甘い生活」(フェリーニの他の作品も)

6/8(火)帰国の途に~6/9(水)成田着。 解散。 
 今回のイタリアの旅は、楽しさと同時に体がきつかった。年という事か。靴擦れに悩んだし、帰国後、2・3日はボーとしていた。、後はフォトの整理と旅の記録のまとめに追われました。旅行中、殆どメモもせず、その夜にホテルでまとめる余裕も無かったので、添乗員が出す記録と私自身の記憶を頼りに書いてみました。独断と偏見をもっと大胆に打ち出したかったのですが、見聞録という形式に縛られて、中途半端な物で終わったかも知れません。     6/21 記
 

                       







     
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  1. 2012/08/21(火) 10:59:42|
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『イタリア旅行』 ④「オルチャ渓谷ーアッシジースベッツローオルビエート」

『イタリア旅行』④ 「オルチャ渓谷―アッシジースペッローオルビェート」
DSC_2937アッシジ.サンフランチェスコ教会
    (アッシジ。サン・フランチェスコ教会)

 *「ミケランジェロ広場」
 いつもはここからのフィレンツェ全体像を見せて入るのだ。右側からサンタ・クロチェ教会、ドゥオーモ、ヴェッキオ宮、アルノ川、ヴェッキオ橋、さらに上流のアーチ型のいくつかの橋。フィレンツェ展望台として格好の場所なのだ。去る時に見せられてもという思いも、、、

*「ピエンツァ」(オルチャ渓谷)
  絵葉書にあるような情景は残念ながら季節的に遅すぎた。春の4月か秋の紅葉の頃が最高だろう。初夏では緑が濃すぎる。これは贅沢な話かもしれない。5月のローマにいることの幸せをいう人もいるくらいなのだから。オルチャ渓谷は丘。なだらかな何ともいえない曲線の丘の起伏。表現することの難しい丘の曲線。高い糸杉の林立。 
 10年前ローマ在住の知人の画家夫妻にトスカーナの小さな村の教会を案内された。ロシアの映画監督タルコフスキーの映画「ノスタルジア」の撮影現場だった、ロマネスク様式の素朴な教会だった。映画では地下室の蝋燭が何本も灯されるシーンの舞台として使われた。そこはトスカーナの丘が続く小さな村で、その教会の近くには地震で崩れたままの教会があった。村の小さな広場(誰もいなかった)からは独特の曲線を描くトスカーナの丘が見えた。遥か遠くにさっき見た教会や地震で壊れたままの教会などがあった。季節は4月の初めだった。今回オルチャ渓谷にそのイメージを重ねていた。現地での風景や売っている絵葉書を見て、季節が合えば素晴らしい風景に出会えると確信した。その時、断片的に「神々」と出会っていたからである。 
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  (サン・フランチェスコ教会へ歩いてゆく「裸足の修道僧」)                   
*「アッシジ」
 バスの車窓から、遠くの山の上に横に長く続く教会が見えた。「あっ、アッシジだ!」見上げると *「サン・フランチェスコ聖堂」は古代ローマの大きな宮殿みたいだった。聖堂への上り道で、裸足の修道僧に出会った。ヴェージュ色のそれとわかる姿で腰に紐を巻いている。裸足にびっくりした。ここも人、人である。聖堂のファサード(正面)は3層で下部はロマネスク、上部はゴシックである。装飾など一切ない。端正な佇まいに感動した。真ん中の大きな薔薇窓が心の中にくっきりと入ってきた。
DSC_2960アッシジ
   (サンタ・キアーラ教会)

  ガイドは日本人の谷口神父であった。50代くらいかな?やさしい口調で解説された。「サン・フランチェスコ」の精神は「清貧」「貞潔」「神への従順」の3つ。ここで「ジョット」の「聖フランシスコの生涯」の28画面を見ることになる。有名な「小鳥への説教」「聖痕」「クララ修道女たちの嘆き」など。パドヴァーのスクロヴェーニ礼拝堂の38場面を我々はすでに見てきた。同じような精神性を感じた。スクロヴェーニ は静寂の中にあり、厳重な管理の下にあるが、アッシジは喧騒の中にある。(世界中から集まる信者・観光客のため) 絵は千年持つのかな? 心配になってきた。フランチェスコの精神だろうか?自由にしてある。もっと保護しなければと感じた。
  谷口神父さんはフランチェスコの精神を体現している様な謙虚な方で、何年ここにいらっしゃるのですかという質問に、「まだ、X年です。私のような新参者で、すいません。」の答えにびっくりした。お別れの時の「いい顔の人になって下さい。」「笑顔のいい人になって下さい。」の言葉が忘れられない。
 サン・フランチェスコ通りを歩いて  *「サンタ・キアーラ教会」に行った。白と薔薇色の石灰岩の、ロマネスク調のこれも又素朴なシンプルな教会。うっとりする様な雰囲気がいい。眼下の緑の平野を眺めていると、ああ、サン・フランチェスコとキアラの聖地に居るのだ、と自分に言い聞かせた。
DSC_3018アッシジ
    (聖地の落日・外に散歩に出て偶然に出合った。)
 夜、8時過ぎに外に出て聖堂の方に上ってゆくと、ちょうど西方の山に太陽が沈んでゆくところだった。「聖地の落日」である。山全体に向かってシャッターを切ったが沈み行く太陽は捉えられなかった。今度は望遠を最大限に広げて太陽を直接撮った。見事に捕まえた。夢中になって撮り続けた。山に沈むまでそれほど時間がかからなかった。聖堂は夕闇に包まれてゆく。眼下の平野にゆっくりと黄昏が漂って、まもなく明かり点灯しだした。この時間は30分もかからなかった。ああ、ここまでよく来たものだ。この風景に出会いたかった。不思議な感動に包まれて胸が一杯になった。聖地にいるのだ、という実感が湧いて来た。信仰にはゆかないけれど、不思議な心の状態―何かに包まれている、そんな感じだ。心が鎮(しず)まってゆく。聖地は夜になった。(今でも不思議な体験だった。聖地というものがあるのだということ。訪れる人々が多く混雑の中にあっても聖地なんだということが。)

6/6(日) アッシジ――スペッロ――オルビエート――ローマ(泊)
*{スペッロ}                            
DSC_3082スペッロの花祭り
   (スペッロという町の花祭り)

  5~6月にイタリアの各地で行われるインフィオラータ(花祭り)。キリスト教の聖体祭に合わせて毎年行われる。スペッロでは旧市街の坂の道をフラワーカーペットで飾る。坂道をぎっしりと千切り花で飾ってゆく。図案は各自が考えたもの。この上を神父が踏んでゆくという。 恐らく、花祭りという民俗的な行事とキリスト教の祭りが結びついたものか?早朝花を飾っている所を見学。

*{オルビエート}

DSC_3241オルビエートのドゥオモ
   (オルビエートの「ドゥオモ」)

  10年前に来たことがある。ケーブルカーで上る大きな山上都市。ローマからフィレンツェへ行く幹線道路上にあるためか、観光地としても発展した。法王の隠れ里。13世紀末、近くのボルセーナという町の教会でミサをあげていたら、パンからキリストの血が滴り聖餐布(せいさんふ・最後の晩餐を記念する礼典の布)を血で染めたことから、オルビエートにいた法王が聖餐布を納めるドゥオーモ建設を命じた。3世紀も建設に掛かったドゥオーモはシェナ派の強い影響下、ゴシック建築の傑作として完成。シエナ大聖堂とよく似ている。ファサードの薔薇窓のすばらしさにため息が出てくる。イタリアの大聖堂や教会の大理石の美しさに躍らなくなった。
 *「聖体祭」
DSC_3355オルビエートの「聖体祭」
 ( オルビエートの「聖体祭」)

 ドゥオーモに収められている聖餐布(せいさんふ)をご開帳し、中世の衣装をまとった人々が行進する「時代祭り」みたいなもの。 *「ドゥオーモ」の前に陣取って行列を見るためにしばらく時間を費やした。女声の聖歌をマイクで流している。いい音楽だ。このままでは時間が勿体無いので、旧市街に行こうと思い、妻と相談した。「ドゥオーモ」に入れないかしら、と妻。右の扉から覗くと咎める者もいなかったので奥の聖歌隊の後ろまで行ってしまった。司教が儀式の真っ最中である。外で聞こえた聖歌は彼女たち6名の合唱だったのだ。スタンダールの小説の主人公になった気分で、ドキドキしながら見て回った。右側は扉が閉まっていて鉄柵から覗くしかなかった。絵画がぼんやり見えた。左側は空いていて人が出入りしていた。「聖遺物」を納める見事な「聖遺物箱」を、前に来た時見た記憶があった。貴金属・七宝で散りばめられた、この世のものと思われぬ宝石箱であった。妻が皆を呼んでこようと外に出て行った。
 ここは白ワイン「オルビエート・クラシコ」が有名だが、すでに3本買ってまだ2本残っており、荷物が一杯でスーツケースに納まりそうも無さそうなので日本に持って帰る自信がなくなりつい買いそびれてしまった。惜しいことした。
   
  1. 2012/08/20(月) 22:44:08|
  2. 2010年『イタリア旅行』
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『イタリア旅行』③ 「ウフィツィーピサーサンジミニャーノーシエナ」2010.6.3~4

『イタリア旅行』 ③「ウフィツィーピサーサンジミニャーノーシエナ」2010.6.3~4

<DSC_2539フィレンツェ
    (ミケランジェロ広場からのフィレンツェ・ドゥオモ)

6/3(木) フィレンツェ終日観光 (泊)
 今回の旅は天気に恵まれた。晴天を追っかけている様なものだった。今日は雨に捕まったかな、と思ったが一行に晴女か晴男がいるのだろう、途中でやんでしまった。
 ホテルは最先端の現代建築のモダンさはいいが、使い勝手が悪い。フィレンツェ中央駅の脇を通ってサン・マルコ美術館まで歩く。駅周辺は騒々しく、活気があるといえばそうだが、前回と比べて汚く騒々しいフィレンツェの入り方だ。現地ガイドが日本人の女性。かなり優秀なんだろう?イタリアでは観光には公認の現地ガイドを付けなければならない。ガイドという職業を保護したものだろう。最近ガイドの試験が難しく、日本人は簡単に受からないのに合格したのだから。

DSC_1915ヴェッきょ橋
 ( アルノ川に架かるヴェッキオ橋)
       
*「サン・マルコ美術館」
フラ・アンジェリコの美術館だ。ガイドの詳しい説明があったが、階段を上がって目の前の「受胎告知」の前に立った時、眼鏡が曇ってきた。これだけでいい。理屈は虚しい。感動に言葉は虚しい。清楚とか敬虔とかよく言われるが、その通りだ。心の中にしみ通って来た。又、ここは修道院。賢者にして最高の権力者コジモ・メデチがしばしば引きこもった専用房がある。あんな狭い空間にコジモは篭って何を考えたか?いろいろと想像が膨らんできて面白かった。

華麗な鐘楼とドゥオモ
   (ドゥオモとジョットの鐘楼)

ヴェッキオ宮の入口
    (ヴェッキオ宮の入口・ダビデ像
*「ドゥオーモ」(100m)「洗礼堂」「ジョットの鐘楼」(85m)
 雨に濡れたドゥオーモや洗礼堂は寂しさが伝わってくる。「花の聖母寺」と言われているのにね。雨は人の心を感傷的にする。横から見たドゥオーモの大きな赤いクーポラと白磁や緑や薄赤の大理石の壁はやはりすごい。この優美な気品は大理石という素材のよさか?ルネサンスという時代か、イタリア人のセンス・才能の問題か。
 鐘楼かドゥオーモに上るのだ、と必死の決意で来たのに今回も駄目だった。疲れるから無理だ、と止められた。妻も2人の子供(兄や妹)夫婦も此処に来た時上がったのに、ああ、僕だけが。頭が上がらなくなる。古都は一番高い所に上がると眺望がすばらしい。百mのドゥオモは特にだ、と皆云う。
DSC_1901ウフィッツィ
*(「ウッフィツィ美術館」)
 
世界で1番好きな美術館だった。ボッティチェッリ。昔、「春」「ヴィーナスの誕生」の前で、呆然として見惚れていた。どうしたらこんな美しい女性や、優美な空間を描けるのだろう。「受胎告知」を近くにあったダ・ヴィンチのそれと比較して何度も部屋を往復した。ダ・ヴィンチが精緻にして計算され尽して描いているのに対して、彼は夢のように、美の天使が描いた様にやさしく優美に描いているのだ。その思いは今も変わらないが、他にも見たい作品がでてきた。フィリッポ・リッピ、ピエロ・デッ・フランチェスカ、チマブーエ、シモーネ・マルティーニ、ティツィアーノなどの作品だ。ここでフリータイムになったので、もう一度引き返して始めから見た。ウッフィツィは云うまでも無くルネサンス絵画の宝庫だ。説明を受ければ受けるほど、見れば見るほど傑作が一杯ある。
 ウッフィツィの3階の窓からのアルノ川の眺め。風格のあるヴェッキオ橋。上流の橋が何層にも重なったアルノ川の景色はいいものだ。橋の上は高級宝石店の行列だ。ヴェッキオ橋の上をヴァザーリの回廊と呼ばれる2階だての回廊(両側には多くの肖像が掛かっている)が、ウッフィツィ美術館から川向こうのピッティ宮まで続く。メデチ家の当主たちが何度も行き来した事だろう。ヴェッキオ宮殿からウフィッツィ、ヴェッキオ橋を通ってピッティ宮まで続いている。パラティーナ美術館のある、ピッティ宮殿の前の広場は広く、多くの人が地面に腰を降ろして休んでいる。半身裸の人もいる。又、広場の前は1856年創業の文具屋さんとか、100年以上つづく店がたくさん並んでいたが、10年前と比べて店が減っているのはどうしたことか?            
 孫のへのお土産を買いにドゥオーモの方に戻った。「ZARA」でお土産を買う。
 
DSC_1971フィレンツェ・小さなメリーゴーランド
   (小さなメリーゴーランド)

帰りに共和国広場のカフェの椅子に座り込んだ。小さなメリーゴーランドが回転して親が子供を乗せて遊ばせていた。日本の孫たちのことを思い出した。                                  
                                   
6/4(金) ピサ――サン・ジミニャーノ――シエナ――フィレンツェ(泊)
DSC_2103ピサの斜塔
   (ピサ・斜塔とドゥオモ)

{ピサ}
 *「ドゥオーモ」「斜塔」「洗礼堂」
 「奇跡の広場」と言われる「ドゥオーモ広場」は確かに美しい広場だ。緑の芝生を敷き詰めた広い公園に、ドゥオーモ、斜塔、洗礼堂は建っている。一般にロマネスクというと素朴な作風が多いはずだが、このピサ様式のロマネスク建築は本当に優美で豪華だ。「斜塔」は確かに傾いていて登るのは恐わそうだ。崩壊の危険のために上るのは禁止。「ドゥオーモ」の中の説教壇はイタリアンゴシックの傑作。屋根の部分の飾りが凄い。しかし、こんな絢爛豪華な雰囲気は寺院にふさわしい物だったろうか?とだんだん思ってきた。12世紀、ヴェネツィアやジェノバと地中海の覇権を競っていたピサは交易の戦利品を売ってこれらの建築物を建てた、たそうだ。海賊の匂いがする?
DSC_2015ピサ 2
  (ピサ・ドゥオモ)

(ピサの美術について勉強不足)

  * 「オルチャ渓谷」
DSC_7749オルチャ渓谷

*{サン・ジミニャーノ}
DSC_2276サンジミニャーノ
 ( 塔の町・サンジミニャーノ)

アグリツーリズモの昼食。キノコのフィットチーネ、チキンのヴェルナチャソース、サラダ、ヴィサントとカントゥチのデザート。久しぶりに食べた、という感じ。
 アグリツーリズモで昼食
   (アグリツーリズモで昼食)  

 フィレンツェからシエナやコルトーナにかけてトスカーナの丘が続く。草原に糸杉が立つのどかな風景。その中に遠くの山の頂上に幾つもの塔がそそり立つ町が見える。 *山上都市サン・ジミニャーノだ。フレスコ画を勉強しにイタリアに行っていた年下の友人がこの山上都市のすばらしさを言っていた。10年前イタリアに初めて来た時、バスの車窓から遠くの緑青々とした山上都市、春の風景が見えた。遠く山上に緑のかたまりが燦然と輝いている、といった風景に「アッ」と驚き羨望の記憶として残った。それらが合わさって、僕の内部で楽園郷のイメージが出来上がっていた。今は初夏である。緑が濃すぎる。贅沢なことを考えながら城砦で囲まれた城の中に入っていった。煉瓦色や白茶けた石の家が続き中世の街に迷い込んだ錯覚に陥った。公園の中から女性の澄んだ子守唄みたいな声が聞こえてきた。13・4世紀貴族たちが競って塔を建て72本にもなったが、今は14本だけに。塔は富の象徴だという。城砦は敵からの備えとして最強だったろう。後で知ったことだが、フィレンツェとシエナ戦争でシエナの出城として何年も落ちなかったという歴史を持つ。

  * 「シエナ」ー「ドゥオモ」
DSC_2400シエナ.大聖堂
  (シエナの大聖堂・言葉で言い尽くせない華麗さにビックリ)

DSC_2469大聖堂の内部
   (大聖堂の内部)
                              
  ああ、何て優美な教会なんだろう!イタリアンゴシックの傑作。ミラノのドゥオーモよりヴェネツィアのサン・マルコ寺院に似たビサンチンの香りがする。ファザード(建物の正面)が豪華で黒と白の縞模様の大理石の柱が美しい。白と思えばピンクの大理石もあり、上部には3つのキリスト教伝説の絵が描かれており、内部がまた凄い。奥の主宰壇へ向かって白と黒の縞模様の柱が何本も続く。天井の装飾。壁の美しい色彩のフレスコ画。ステンドグラスの窓のあざやさ。象嵌(ぞうがん)を身廊(しんろう・教会の中央の床の部分をいう)へ嵌(は)め込んだ絵模様のこの世ならぬ感覚!(1部のみ公開)見れば見るほど手が込んでいる。こんな美の体験は初めてだ。奥にある8角形の説教壇も見事だ。凄い!これらの製作者に「ベルニーニ」や「ドナテッロ」や「ピサーノ」や「ミケランジェロ」らが関わり合っている。内部にあるピッコローミニ家の図書館の羊皮の大型の本。聖歌の楽譜のページが開かれてあった。ここがあまりに凄いので時間をとり過ぎた。シエナのもう1つの目玉「カンポ広場」を忘れるところだった。
シエナは1日日程をとるべきだ。

 *「カンポ広場」
DSC_2486カンポ

 自然の傾斜を利用した扇型の広場。 *プブリッコ宮・ *マンジャの塔に囲まれている。世界で最も美しいといわれている。シエナと言えばカンポ広場だ、と思ってきた。ここの何処かに1時間くらい坐っている予定だった。座って時間の流れに身を任せ、思いに任せようと思った。旅の心を定めることが大切なのだ。旅人は流浪(日程)に身を任せている。(たった11日に過ぎないとしても。)一点に立ち止まって心の中を見つめる事が大切なのだ。でなければ、ただ、流れてゆくに過ぎず、感動の深化もない。出来ればここに泊まればいい。フィレンツェへ帰るのは時間のムダである。フィレンツェ3連泊に拘(こだわ)ることはないのだ。シエナでの慌しさは後日後悔と羨望の念を残すことになる。

(シエナへの忘れがたい思いは執念みたいに僕の心を貫き、「列伝の旅」で果たすことになる。想像を超えた燦然 と輝くシエナであった!)
  1. 2012/08/20(月) 22:02:42|
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『イタリア旅行』 ② パドヴァーミラノーラヴェンナ2010.6月1日

『イタリア旅行』 パドヴァ――ヴェローナ――ミラノ(泊)6/1(火)   

ヴェネッィアのサンタ・ルチア駅からパドヴァまで列車。昔は皆この駅からヴェネツィアに入ったのだ。映画「旅情」のキャサリン・ヘップバーンを思い出す。この駅から映画は始まる。アメリカのオフィスレディが長年貯めた貯金で憧れのベニスを訪れる物語。ミイハーの心情が良く出ていた。
  & ヴェネツィアが舞台の映画は「旅情」と「ベニスに死す」
{パドヴァ}

DSC_2084 スクロヴェーニ礼拝堂(ジョット)
  (パドヴァ・スクロヴェニー礼拝堂のジョット)

  若者が街中に多くいた。イタリア第2の、パドヴァ大学があるからだ、という。ボローニャ大学を飛び出した連中が大学を作った。(有名な教授にコペルニクス、ガレリオ、ダンテ、ペトラルカ)
 *「エレミターニ修道院」ジョットの絵と素朴なマリア像があった。
DSC_1462パドヴァ②
 (エレミターニ修道院の素朴なマリア像)
 
*「スクロヴェーニ礼拝堂」のジョットは今回のこのツアーの目玉のひとつ。
 これだけのジョットを見たのは初めてだ。(後でアッシジに行くが)「マリアの生涯」と「イエスの生涯」に別れている。「エジプトへの逃避」「カナの饗宴」「ユダの裏切り」「磔刑」「哀悼」有名な作品が保存状態が良い形で残っているのは驚異である。ジョットの絵は深い精神性にある。美術において宗教はそれだけでは精神性を獲得出来ない。画家の深い精神性と表現力によって始めて獲得するのだ。ジョットによって美術史上初めて精神性の深い絵画が登場したとも言える。ジョットは「目」がポイントか。予約制の時間制、これぐらいの管理をしなければ維持が難しい。あとでアッシジに行って解かった。

*{ヴェローナのアリーナ}(古代ローマ時代の競技場の遺跡)ヴェルディの歌劇「アイーダ」の上演の準備しているのか?古代ローマ人の衣装を着た人を見かける。

DSC_1573 ミラノ・ドゥォモ
  (ミラノ・華麗な大聖堂)
  
{ミラノ}
   ミラノはトラム(路面電車)が発達している。孫が喜びそうだ。「サンタ・マリア・デッレ・グラッツィエ教会・食堂」の *「最後の晩餐」を見る。ダ・ヴィンチの有名な作品。こういう有名な超大作は批評する気になれない。ただ、美術館側のご大層な態度(見せてやる)にカチン、とくる。15分でどうしろ、というんだ!

ミラノ
    (ミラノの旧市街)
                                4
 スカラ座の前を通ったが表面の玄関は何と言うこともない建物。しかし、中を覗きたかった。
*「エマヌエール2世のガレリア」ミラノの歴史的繁華街。ガラスと鉄のドーム型丸天
井があり、その下の床に雄牛のモザイク絵がある。女性が雄牛の局部にかかとを置いて一回転すると幸福が訪れると言われているが、さて、さて、。                                
*「ドゥオーモ」が完全に修復されてその雄姿が現れた。何と言う美しさだ!何と言う優美さだ!ゴシックの最高傑作と言われるが、北方のゴシックが男性的でそそり立つ感じに比べて、これは女性的、やさしく華麗な美しさなのだ。百合の花束というそうだが、美しさに言葉を失う。妻はこの上に登ると、もっとゴシックの素晴らしさがわかると言う。(ミラノ一望。モンテ・ローザはじめアルプスの山々も見えるらしい)修復が終って優美な姿を眺められたことを至上の喜びとしょう!
                                   
6/2(水) ミラノ――ラヴェンナ――フィレンツェ(泊)
ラヴェンナに行く途中、街道沿いの「LE MUSE」の昼食が美味しかった。(生クリームとグリンピースのスパゲティ。にんじんとグリンピースとポテトのソテーのティラミス)味付けがよかった。旅行中一番かな?
DSC_1754テオドラ妃
   (ラヴェンナ・ヌヴォー教会のテオドラ妃)
{ラヴェンナ}
5世紀、ホノリウス帝により西ローマ帝国の首都がここに置かれた。帝の妹ガラの協力によって繁栄の基礎が築かれた。西ローマ帝国滅亡後、6世紀東ローマ帝国の総督府も置かれて中世ヨーロッパに置けるビサンチン文化との融合の地としての重要な地点になる。又、地中海交易の海港として重要な位置を占めた。5世紀から10世紀にかけて、ヴェネツィアが勃興する前までの繁栄。キリスト教も国教となって東ローマ帝国のビサンチン文化が栄えた。
*「クラッセ聖堂」6世紀初期キリスト教の最大の教会。ビサンチン教会建築。

DSC_1683ラヴェンナ・ヌォーヴォ教会のモザイク画
   (ヌォーヴォ教会の3人のマギー)

*「ヌォーヴォ教会」東ゴード王テオドリクスによって6世紀に建てられ、キリスト教に捧げられた。天井、壁に聖  者、聖女の立像のモザイク画がずらりと並んでいる。「3人のマギ」ビサンチン風のマントを着た従者が貢物を差し 出す絵は鮮やかな色彩。

DSC_1720ガッラ廟
  (ラヴェンナ・ガッラ廟のモザイク画)
*「サン・ヴィターレ聖堂」6世紀、8角形の建物。ここのモザイク画はラヴェンナ繁栄に貢献した、東ローマ皇帝ユ スティニアヌスが主人公。彼が「宮廷人を従えた図」とその妃「テオドラ妃と随臣・侍女たちの図」。この2つのモ ザイク画が天井の下の側壁を埋めている。傑作である。素晴らしい。伝説の娼婦上がりの傑女テオドラ妃、反乱軍 によって東ローマ帝国が危うくなった時、逃げ出そうとした皇帝に「帝布こそ最高の死装束よ」と励まして帝国を 救った!左右に若い侍女や廷臣を従えた美しく凛々しいテオドラ妃の肖像!
『旅行』「イタリア旅行」ラヴェンナのガッラ廟
  (ガッラ廟のモザイク画の鮮やかな絵模様)

*「ガラ・プラチディア廟」ラヴェンナ・モザイクの最高傑作。テオドシウス帝の娘で兄ホノリウス帝を助けて、ラ ヴェンナ繁栄に貢献したガラの廟。謎の伝説が異様な雰囲気を作り出す。テオドシウス帝の一族はローマに埋葬さ れたが、なぜ、ここにガラの墓があるのか?うす暗い小さな廟の、3つの大理石の石棺は不気味であった。しかし、 天井、壁のモザイクの何と美しいことか! 濃紺の、深い青色の満天に、星を思わせる金片を散らし、窓から差し 込む柔らかな光によって、この世のものとは思えぬ世界に人々を誘う。東方のビサンチン風のモザイク画が、ここ ラヴェンナの小さな廟の中に、宝石箱の様に埋もれている。いろいろな夢をかき立てる。「ガラ」という伝説の中 の王女はどういう女性だったか?「ガラ」という名前が醸し出すイメージは?又、ラヴェンナだけにこれだけのモ ザイク画の傑作が集中し、かつ残ったのは何故か?
 世紀を超えた謎の廟、内部の何と美しく神秘であったことか!
  1. 2012/08/20(月) 15:49:39|
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』「イタリア旅行」 ① ヴェネッィア 2010.5.30

『イタリア旅行』① ヴェネッィア 2010年5月30日

グランド・カナル
(グランド・カナル)

2010年と2011年と2度にわたってイタリアを旅行した。3・11があったのにも関わらず常軌を逸した行動と思われるかもしれない。10年の旅行の反省で、ツアーはいつも同じ所ばかり行く。これでは本当に見たいものを見ない内に人生終ってしまう。焦った。そこで今本当に見たいものを洗い出した。イタリアではルネサンス絵画であった。ピエロ・フランチェスカ、マザッチョ、シエナ芸術、ぞろぞろ出てきた。調べていると、Y社の「ヴァザリー生誕5百年」の企画を目にした。調べている対象が皆入っていた。驚喜した。そのあと3・11である。迷いに迷った。1ヶ月2ヶ月して現地の様子がつかめてきて、私1人くよくよ思い煩っていてもしょうがないと、決断し思い切って参加した。2度とも帰ってきてから記録をまとめて知り合いにメールで送っていた。今回ブログを覚えたので載せたいと思う。勝手な独断ですが読んで頂きたい。写真はデジカメで千枚以上撮ったが、現時点でブログに載せ方がわからない。
DSC_1218.jpg
    (サン・マルコ寺院のロビーから海辺を見る)
5/30(日) 成田――ローマ――ヴェネツィア (泊)
  午後、成田を立って、(時差7時間)19時ローマ着。21時20分ローマ発、23時10分ヴェネツィア・マルコポーロ空港着。ホテルに着いて部屋に落ち着いた時は翌日になっていた。ホテルはサン・マルコ広場から海に向かって左方、スキアヴォーニ河岸沿いにある「ガブリエリ・サンドワース」。対岸がサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会。妻はこの宿は2回目。ヴェネツィアの宿として、僕にとっては最高の場所である。近くに青いカバーを掛けたゴンドラ。その先の運河を走る汽船。遠くにマッジョーレ教会。これは絵になる風景だからである。

 我々夫婦はY社のイタリア・ツアー11日間に参加した。総勢20名。添乗員のSさんが凄い行動力の女性なのだ。挨拶の時「何でもやります。」と宣言したのには驚いた。道中、度々のトラブルを見事な判断力と行動力で、我々の旅を無事に導いてくれた。

5/31(月) ヴェネツィア観光
 3時間程寝て6時起床。昨日も機中でほとんど睡眠が取れていないのに、興奮の坩堝(るつぼ)にいる。カメラを持って1人外に出た。朝のマッジョーレ教会が静かにくっきりと対岸にあった。サン・マルコ広場まで行くと、サルーテ教会の雄姿が目の前にあるではないか! 10年ぶりのイタリア再訪の旅が始まったのだ。人がまるでいないサン・マルコ広場。有名なカフェ・フローリアン(1720年創業)やクアードリ(1638年創業)の前にテーブルが並んでいる。(17世紀にトルコから初めてヨーロッパにコーヒーが入って来た。カフェに多くの文人・芸術家が集まった。バイロン、ディッケンズ、プルーストなど。)サン・マルコ寺院を振り向いて眺める。寺院の左半分が修復のため覆いがかかっていた。右の鐘楼の下が工事のためか大きく鉄柵がかかっていた。期待は裏切られたのか!10年前にサン・マルコを初めて見た時の感動はどこへいったか。この世にこんな美しい建築があっていいものか、と思ったのに。金色のモザイク、幾つものクーポラ(楕円形の大きな屋根)、モスク風の5つのドームと絵画の全景は東方の香り漂うきらびやかなものだ。しかし、これだけ覆いがかかっていると魅力が半減してしまう。
「旅行」 
    (素敵なカップル)

  午前の観光が始まった。
 *「ドゥカーレ宮」13世紀・十字軍の海上輸送の任から発展した共和国時代、総督の住居と政庁・裁判所が置かれた権力の象徴。「大会議場の間」の広さに目を見張る。ベルサイュに次ぐ世界で2番目の大きさとか。各広間にティツィアーノやティントレットやヴェネローゼらヴェネツィア派の絵画の大作が飾られている。襖の屏風絵といった感じ。2008年にクロアチアの、アドリア海のドブロヴニクを旅した時、中世の東地中海の交易を長年ヴェネツィアが独占していた事を知った。ここがその権力の中心だったのだ。    
 *「ため息の橋」は修復中。死刑囚がこの世の見納めに外の世界を見る最期の場所。
DSC_0975ゴンドラ


  昼食は *「リアルト橋」の近くのレストランでイカ墨のリゾットと魚のグリル。美味しかった。イタリアは食事の時、水かワイン等の飲み物を個々に取らなければならない。食事の度にワインを飲むことになる。太ることを心配しなければならない。レストランを出て、リアルト橋に向かう。ここも人、人だ。橋の上はぎっしりだ。中学生ぐらいの集団。観光客は圧倒的に欧米人が多い。アジア系は少数だ。9世紀から発展した、屋根付のアーチのリアルト橋。大理石の豪華な美しい橋である。リアルト橋は若い頃から僕の夢を膨らませて来た。若い時に見た中世の絵本や歴史書に、人や船で溢れかえるリアルト橋や「グランド・カナル」(大運河)の風景があった。10年前初めてここに立った時、その夢を裏切るものではない、と思った。きれいな曲線を描くグランド・カナルにゴンドラや船が浮かび、その両岸に5・6階建てのルネサンスやバロック様式の建物が並ぶ風景。わくわくする情景だ。この、人と船のごちゃごちゃした賑やかさがたまらなく好きだった。世界で此処にしかない風景!何時間でも眺めていたい!

DSC_1263ヴェネッイア本島の玄関

  *「サン・マルコ寺院」に戻った。正面入口のバルコニー(5・6階の高さ)の横からの、小広場とその先の海、もっと遠くのサン・マッジョーレ島の風景。海風が心地よく吹いてきて心の中をさわやかに通り過ぎてゆく。やがて嵐のような風も吹き,波も出て、大きな入道雲も張り出してきて、アドリア海独特の、絵画的な世界になって来た。寺院の高いベランダからの前のサンマルコ広場の風景、横の海からの正面玄関の眺めは最高だ!
 フリータイムだが、添乗員のSさんが対岸のマッジョーレ島へ渡し船で行くと言う。普通ツァーでは対岸には行かない。皆も初めてだ、という。望外の喜び!島に渡って、「マッジョーレ教会」の高い鐘楼から見た、ヴェネツィア本島の風景はすばらしかった。海側から見たドゥカーレ宮やサン・マルコの大鐘楼の姿よ!中世、東方からの交易船はサン・マルコの玄関口に、このような眺めの中、来訪するのだ。夢が膨らんでゆく。ラグーナ(干潟)やヴェネツィア全体が見渡せた。これは格別のサービスだ。

 本島に帰って夕方、今度は *「アカデミア橋」に行こう、と言う。サン・マルコ広場から賑やかな小道を通って途中オペラで有名な「フェニーチェ劇場」の前に出た。何回かの火災に遭いながら不死身のように蘇った「フェニーチェ劇場」。イタリアオペラ史では欠かせられない劇場。一行の誰かが今夜の演奏会に行くらしい。
 アカデミア橋からの *「サルーテ教会」の眺めも僕の好きな風景なのだ。家内が、「ここまで来たなら、サルーテ教会に入りたい。いつも外から見るだけだから。」と、言って引っ張ってゆく。17世紀、ぺストの終焉をマリアに感謝して造られたそうだ。丸く大きなクーポラ、白の大理石がきらめくサルーテ教会は、いつもその雄姿を誇っていた。画家がよくこの風景を描く。グランド・カナルに浮かぶ風景は、アカデミア橋からも遠くのサン・マルコ広場からも眺められた。 
                            
  あと、リアルト橋の先の「魚市場」や「か・ドーロ」も見たかった。「ゲットー」にも行きたかった。2006年にポーランドを旅した時の、「アウシュビッツ」を見た衝撃は今でも忘れられない。ユダヤ人ゲットーなるものがここヴェネツィアから始まった事を知った。前から見たいと思っていたのに、体力の限界と時間の制約でストップ。見たい物がたくさんあるのに残念。夢のような1日が終った。

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  1. 2012/08/19(日) 21:47:06|
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