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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『2017年映画』「IT/イット”それが見えたら、終わり。」(原スティーヴン・キング。監アンディ・ムスクエティ)12/2

『2017年映画』「IT/イット“それ”が見えたら、終わり。」 12/2
(原作スティーヴン・キング)  
                  監督アンディ・ムスキエティ。脚本キャリー・フクナガ他
                 撮影チョン・ジョンフン音ベンジャミン・ウオルフィッシュ
      出演ジェイデン・リーベラー。ビル・スカルスガルド。フィン・ウルフハード。

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 スティーヴン・キングと言えば、「スタンド・バイ・ミー」(1986年)によってアメリカの青春小説・映画の代表作のように思っていた。しかし、「キャリー」(1976年)から始まるホラー作品の第一人者なのだ。キングのホラーはアメリカの平凡な町で起る殺人事件で、日常生活をしっかり描く「モダン・ホラー」といわれる作品である。単なるホラーではなく、言わば少年成長物語の傑作なのだ。1986年の「IT/イット」を2017年リメーク映画化、少年たちの冒険譚(スタンド・バイ・ミー)と「キャリー」の合作ともいうべき奇怪な傑作に仕上がった。
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 1980年代の末、アメリカの田舎町でビルは弟のジョージと紙船を作って遊んでいた。弟は「外で遊んでくる」といって、黄色のレインコートを着て雨の中紙船を流しに行った。そ、して、おびただしい血痕(けっこん)を残して、そのまま行方不明になった。弟のジョージが行方不明になった後、町では次々と子どもの同様な事件が起きる。不気味な暗雲が町に漂う。ビルは弟が何か不気味な恐ろしい事件に巻き込まれたのではないかと恐怖にとり付かれる。或る日弟の幻影と共に恐ろしいピエロを目撃する。町には恐ろしいピエロ=ペニー・ワイズが30年毎に出現して子どもたちを襲うという恐怖伝説の風評がある。少年たちの間にそれが広まって彼らは恐怖に慄(おのの)いている。
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 ビルは「虐められっ子」の「負け犬クラブ」に属する少年で、「スタンド・バイ・ミー」と同じように町の不良群団にいつも虐められていた。アメリカではどこも街を支配する年上の不良群団と、彼らにいつも虐められている「負け犬クラブ」との対立が街の支配構造だ。ビルは仲良しの「負け犬クラブ」の仲間―ひょうきん者のリッチー・ユダヤ人のスタンリー・喘息持ちのエディと共に、夏休みを迎えるが弟の失踪事件を探ろうと提案する。クラブには転校生のベン・色々噂のある少女ベバリーが加わって探検の開始だ!なぜ下水道探検か?弟が下水溝に消えたので下水道が怪しい!それは町外れの古い井戸の家に繋がっていた。ビルたちのグループは古井戸の中の探検に乗り出した。
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 古井戸の中の下水道で、恐ろしいピエロ(ペニー・ワイズ)との闘いが始まるのだが、ペニー・ワイズとは何だろうか?ペニー・ワイズは恐ろしい罠や恐怖体験を次々と仲間たちへ仕掛ける!仲間の少女ベバリーは性的虐待を繰り返す父親を耐え切れずに便器で殴り殺し、虐めの不良群団のリーダーのヘンリーは威圧的な警官の父親を我慢出来ずにナイフで殺した。ビルはとうとう弟のジョージに出合う。黄色のレインコートの弟は「お兄ちゃん、お家に帰りたいよ」と兄に泣く。ビルは思わず泣くが、「お前は偽物だ!」といって弟の頭を撃ち抜く。すると、たちまちベニー・ワイズの姿になって逃げてゆく。

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 「ベニー・ワイズ」とは少年たちの心の底に棲む<恐怖・慢心・怠惰>だったんだ。<恐怖>を克服した「負け犬クラブ」の仲間たちは、今や恐れることなくベニー・ワイズに立ち向かっていった。

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  1. 2017/12/02(土) 18:02:35|
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『2017年映画』「はじまりの街」(伊映画、監イヴァーノ・デ・マッテォ、主マリゲータ・ブイ他)11/23

『2017年映画』「はじまりの街」(イタリア映画、監督イヴァ―ノ・デ・マッテォ。 11/23
                             出演マルゲリータ・ブイ。ヴァレリア・ゴリーノ。
                                アンドレア・ピットリーノ 
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夫のDVに耐えかねて母親アンナは(マルゲリータ・ブイ)13歳の息子ヴァレリオ(アンドレア・ピットリーノ)を連れてローマを出奔する。トリノにいる学生時代の親友カルラを頼ろうとする。演劇をやっている独身のカルラは(ヴァレリア・ゴリーノ)快く母子を迎え入れ、空いている一室を提供する。が、ダブルベットひとつがあるだけで、ヴァレリオにはくつろぐ空間がないのが不満だった。

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映画は冒頭母親が夫からDVされるシーン、それを脅えるように見ているヴァレリオの不安定な表情が印象的であり、在るべき父親像と暴力の相反するイメージに揺れる13歳の思春期のヴァレリオが今後どうように成長するかがこの映画の鍵となると予想した。与えられた母親と同室のベッド。思春期のヴァレリオにとってこの住環境はどのような影響を与えるか?
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アンナは新天地トリノで0から出発であり、まず職探しだが中年の女性には適当な職が無い。幾つか廻ってその深刻さにアンナは焦りだす。ヴァレリオ少年は知り合いもなし、友だちもいない見知らぬ街で、自転車で街中を乗り回すしかやることがない。街にはサッカーで遊ぶ少年たちがいるが簡単には仲間に入れてもらえず、暴力で脅された。路上の娼婦に恋をして密かにストカー行為をしたりして時間をつぶす。ヴァレリオは空回りする日常に苛立って母親にうっ憤をぶつける。「友達も、父親もいない!」「引き籠る部屋もない!」と母親に投げつけて街に飛び出してゆく。母親たちは必死でヴァレリオを探す。
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映画は孤独なヴァレリオ少年を心配し苦悩する母親アンナ、母子を支援する親友カルラ。(伊の2大名女優だという)近所のビストロのオーナーが叔父のように見守る姿とか、秋のトリノ美しい風景を背景に展開するヒューマンドラマはいい。一人の少年の成長を見守る大人たちの人間性溢れた態度、これもイタリア的な風景だなあーと感じた。

ヴァレリオを演じるアンドレア・ピットリーの、思春期のガラスのような感性がいい。二人のイタリアを代表する名女優もいい。
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  1. 2017/11/23(木) 20:01:38|
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[ 2017年映画』「人生はシネマティック」(監督ロネ・シェルフィグ、出演ジェマ・アータ―トンビル・ナイ11/15

『2017年映画』「人生はシネマティック!」(監督ロネ・シェルフィグ、 出演ジェマ・アータートン、11/15
サム・クリフリン、ビル・ナイ、ジャック・ヒューストン

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1940年、ドイツ軍の空爆が激化するロンドン。女秘書として働いていた主人公カトリンは、たまたま書いた広告コピーが情報省映画局の目に留まり、製作する国策映画の脚本家に採用される。当時の国策宣伝映画は子供騙しの単純な「戦意高揚」映画だった。カトリンが担当することになったのが、同年6月に起きた*「ダンケルクの戦い」。独軍に包囲された英仏軍の救出作戦に、市民有志として加わった勇敢な姉妹のドラマの映画化であった。

(ダンケルクの戦場)
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*「ダンケルクの奇跡」第2次大戦の初期、1940年6月火力と機動力の独軍80万が英仏連合軍40万をフランスの港町ダンケルクまで追い詰めた。英首相チャーチルは「闘い」ではなく真逆の「撤退」で全員を救おうとした。その命令をうけ、ドーバー海峡に浮かぶ軍艦・民間船・はしけに至る900艘ものの船が緊急徴用された。それも強制ではなく今でいうボランティア活動だった。敵の攻撃に脅えながらの史上最大の撤退作戦を決行。33万の兵士を救い、後の「ノルマンディー上陸作戦」につながったという。
 但し、これは英軍のこと。仏軍にとっては負の遺産。助かった兵士もいるが、撤退を擁護するために犠牲になった兵士もいる。仏軍の殆どは敗退して捕虜になってしまう事態になってしまう。連合軍でも英仏によって「ダンケルク」に対する感情が違うという。

カトリンは実際に映画製作に関係してみると、姉妹の救出船が故障するのは英国の威信を傷つけるとか、米国の参戦を促すためにダンケルクにいるはずのない米国人を登場させろとか、政府や軍の横ヤリがいちいち入る。

(ジェマとビル・ナイ)
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アイドル的な人気役者役の(ビル・ナイ、名演)ヒリアードは姉妹の酔いどれ叔父役だったが出演を嫌だと言い出す。無声映画しか出たことがない役者を出演させなければならなかった。そのたびに脚本の書き直しやセットの組み換えや説得で映画の進行が遅れる様子をユーモラスに皮肉に描く。
 
 映画の撮影が遅れ、カトリンは夫の個展に遅れたが、浮気の現場を目撃する。夫と別れた彼女を慰めたのが、脚本家のバクリーだった。彼との共同執筆が進行するなかで愛を悟る。彼に愛を告白したが、そんな中バクリーは爆撃で死んでしまう。

(ロンドンの空襲)
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 カトリンのアイデアが生かされ映画は成功を収めたが、彼女はショックで完成された映画を見ようとしない。悲しみの余り映画から身を引こうとする。人気役者のヒリアードが訪ねてきて、「二枚目俳優だけではダメだと悟った。」と彼女に脚本を書いてくれと言うのだった。映画製作で苦労した仲間たちに勧められて、製作した映画を見る。映画のシーン・シーンがバクリーとの想い出を誘った。涙を流しながら、再び映画を撮ろうと決意するのだった。

*映画の冒頭で戦中の戦意高揚映画、俗悪なプロパガンダ映画から始まり、映画に素人の女性の登場で、どれだけ心を打つ映画が作られるだろうかと見ていたら、だんだんそれらしく引きこまれていった。ドタバタ感があるが、映画製作の舞台裏が面白く展開していった。監督のロネ・シェルフィグが女性監督、映画は女性の視点が貫かれている。カトリンの登場も戦争によって男性が戦地に取られ、後を継いだ女性も空襲で死に、彼女はその穴埋めで採用という登場なのだ。この映画の縦糸は一人の女性の自立・成長物語なのだ。

(撮影現場)
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*監督―ロネ・シェルフィグ(デンマーク出身の女性監督。1959年~
           「幸せになるためのイタリア語講座」2000年ベルリン映画祭銀熊賞、
           「17歳の肖像」2009年 サンダス映画祭観客賞




  1. 2017/11/15(水) 14:10:24|
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『2017年映画』「三度目の殺人」(監是枝裕和、出福山雅治、別所広司、広瀬すず 9/17

『2017年映画』「三度目の殺人」(○監是枝裕和、○出福山雅治、役所広司、広瀬すず、
                吉田鋼太郎、斎藤由貴、満島真之介)9/17

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 事件の概要は被告人三隅高司(58)(役所広司)、容疑は強盗殺人と遺体損壊。被害者は三隅を解雇した食品会社の社長山中、河川敷で頭をスパナで打たれ絞殺され死亡。数十万円が入った財布が盗まれガソリンで死体は焼かれた。三隅はギャンブルで借金を作り金に困っていた。三隅は三十年前、故郷の北海道で借金取り二人を殺し無期懲役を受け三十年服役して仮釈放の身、今度は間違いなく死刑だろう。
 弁護を引き受けたのがやり手の弁護士重森(48)(福山雅治)、死刑を回避して無期懲役を狙う。真実はどうであれ法廷で減刑を勝ち取ればいいという冷徹クールな仕事人間。ところが三隅の証言が接見の度に二転三転して翻弄されてゆく。恐るべき役所広司の怪優振り!弁護士(福山雅治)対犯人(役所広司)との対決が、まるで怪優役所広司の掌(たなごころ)の上で玩(もてあそ)ばれるような錯覚を感じるのだ。いや、福山だけでなく監督も他の演技者も作品全体が巻き込まれてゆく感じなのだ。

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この殺人事件の裁判劇のキーポイントは法廷ではなく、接見室である。福山雅治と役所広司との人間対決である。7回の接見室のシーンの中で3回目の時、三隅が重森に「手を見せて下さい」という。福山が嫌そうな顔になるような不気味な雰囲気で迫る役所広司。ガラス越しの手合わせシーンによって役所広司なる存在がドラマ全体の守護神のような位置になるのだ。犯人は重森をのみ込む。重森は悩み惑い揺らいでゆく。「本当に殺したのか?どんな気持ちで殺したのか?」事件の根本的なところが揺らいでいく。作品を見ている我々もこいつは本当にやったのか?彼は死刑に値するのか?と半信半疑になってゆく。最後の接見の時、犯人と弁護士のふたりの顔がガラスの反射で重なって見えるのは何の象徴か?

 犯人が週刊誌のインタビューで「保険金目当てで命を奪った。社長の妻美津江(斉藤由貴)から頼まれた」という衝撃的なリークが告げられる。妻との男女関係も匂わせている。もしそれが事実なら主犯は妻山中美津江(斉藤由貴)という事になり、彼の罪は軽くなるかもしれない。問題はその証拠だ。事実関係の調査のために犯人のアパートに重森弁護士は行く。大家の証言が衝撃的だった。「足に障害のある女子高校生咲江(広瀬すず)がよく遊びに来ていた。」足に障害のある女子高校生といえば映画に登場している者では被害者の娘が考えられる。これはどういうことか?

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 公判に入った時、咲江が弁護士を訪ねてきた。「三隅が父を殺したのは自分のためだ」それを法廷で証言したいという衝撃的な発言!しかも、咲江は実の父親から性的暴行を受けていた!もしそれが事実なら、三隅は咲江を救うために山中を殺したのか?「金目当て」という動機を怪しんでいた重森は、本当の動機のように思えてきた。しかも三隅には犯行当時六歳の娘がいたのだ。咲江に自分の娘を重ねて義憤にかられたのかも知れない。 「裁いたのか、救ったのか、、、」 同時に重森は「咲江が本当の真犯人かも知れない」という可能性を思い浮かべた。咲江の気持ちを忖度して犯行に及んだのか?

 弁護側でもうひとつ問題になっていたことは、解雇した人間の呼び出しで山中が何故夜間河川敷に行ったのか?という問題。(自分の娘からの連絡ならば可能だが)呼び出しに何故山中が応じたのかの追求に三隅は「食品偽装」の問題をいう。会社が赤字続きであり、経営維持のために安い食品の「偽造」をやった。その連絡のためだという。保険金目当ての殺人ではないことになる?話しは二転三転する。重森に閃くものがあった。「裁こうとしたのですか?あの母親を。夫と娘の事を見て見ないふりをしていたから。」、、、長い沈黙の末、三隅は口を開いた。
「重森さん」
「いや、どうせ信じてもらえない」
「話して下さいよ、何なのですか?」
「嘘だったんですよ」
「嘘?」
「私は河川敷には行っていません。本当は私、殺していないんです。
きっぱりと断言する三隅。
「いや、どうして今頃。何故最初に言わなかったのですか」
「言いましたよ。刑事さんにも検事さんにも前の弁護士さんにも」
「でも嘘をつくなって。認めれば死刑にならないって」

 重森はパニックになった。何が真実で、何が嘘なのか?三隅に強い意志みたいなものを感じた。咲江を守ろうとしている。咲江が疑われないように、咲江が法廷で暴行されたことを暴かれて傷つかないように、三隅は全力尽している。自分のせいで不幸になった娘のことを想い守れなかった娘の代わりに咲江を守ろうとしているんだ。同じく娘を持つ重森にもわかる気がした。もし、自白を覆して犯人であることを否認すれば死刑になる。恐ろしく重大な決断を三隅はしているのだ。身体が震える。「いいんですね?本当に」「はい」と三隅はうなずいて笑みを浮かべた。

 三隅は犯人ではないという証拠はない。仲間の弁護士たちは皆反対したが、重森は三隅の主張を押し通した。「真実はどうであれ裁判に勝てればいい」というかつての信条の姿はどこにもなかった。
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 是枝裕和監督が福山雅治を主演にした映画では、福山がエリートの仕事人間として登場する。最も女性にもてるイケメンの外観の影に隠れたエゴイズムや非人間性が映画で暴かれ、ひとりの人間として成長する姿に観客は感動する。「そして父になる」(13)この度の「三度目の殺人」(17)がそうだ。是枝作品を見て作品創造の核となっていると思った。
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 「三度目」とは何か?難しい。作品が回答を出さず、いかようにも解釈出来るようになっている。「三度目の殺人」とは誤審や冤罪の司法システムのことだというのも一つの回答ではないか。



  1. 2017/09/17(日) 21:53:48|
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『2017年映画』「幼子われらに生まれ」(原、重松清。脚、荒井晴彦。監、三島有紀子。出、浅野忠信

『2017年映画』「幼な子われらに生まれ」 9/7
                         原作、重松清。脚本、荒井晴彦、監督、三島有紀子。
             出演、浅野忠信、田中麗奈、宮藤官九郎、寺島しのぶ、南沙良、鎌田らい樹、

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*「パッチワークファミリィー」又は「ステップファミリー」という言葉がある。「子連れ再婚家庭」をさすようだ。それに同居してなくても過去の離婚で別れたパートナーの元にいる子との面会交流がある場合も含めるという。日本の結婚の4組に1組が再婚。120万世帯を超えるひとり親の再婚は皆ステップファミリーの予備軍である。この家族の抱える問題点に世間の関心が低く認知も低いという。

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*<幼な子われらに生まれ>
はステップファミリーの問題をテーマにした映画である。主人公は子持ちのバツイチと四年前に再婚した田中信(浅野忠信)40歳。妻の奈苗(田中麗奈)は前夫沢田(宮藤官九郎)の間の子薫(南沙良)10歳、恵理子(新井美羽)5歳を連れての再婚だった。信も別れた妻友佳(寺島しのぶ)との間に娘沙織(鎌田らい樹)がいて、年4回の面会を楽しみにしている。沙織は最愛の娘だ。

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*、大学準教授としてキャリア志向の寺島しのぶ演じる友佳と、大企業のエリート信とは若い男女のギリギリの確執の果てに一人娘をもうけながらも離婚。研究の邪魔だと友佳が独断で中絶したことが別れの契機になった。信はエリートコースを外れ、奈苗との再婚生活では妻の連れ子に気を使った生活をしている。同僚と飲みに行くわけではなく、誕生日にはケーキを買って帰るホームパパになっていた。友佳はその後再婚したが、今や再婚相手の教授は末期ガン。娘の沙織は義父の事を心から心配出来なくて悩んでいた。

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 *妻奈苗が妊娠したことから物語は始まる。新しい子が生まれることで家庭にどのようなことが起こるか?幼い5歳の恵理子は無邪気に姉になることを喜んでいたが、10歳の長女薫は露骨な反抗的態度を取るようになった。長女の反抗は実父のイメージがあって、田中は「父親ではなく」「赤の他人」なのだろう。又、思春期特有の深層心理で男親の匂いがするだけで身震いがして反撥する心理状態なのかも知れない。又、子どもが出来たら自分は捨てられるという深層心理に根ざした不安から来たものか?家庭内にギスギスした空気が漂うようになってきた。妻奈苗の前夫はDVであり、薫の幼い頃のDVの記憶が田中を受けつけない理由だったかも知れない。
 薫の反抗はますます激しくなり、追い詰められた信イライラしながらも人口中絶を考えていった。が、奈苗は「産むもんだ」と決め込んでいる。
 家族とは血縁の繋がりという頑固な固定観念がある。「パッチワークファミリー」とはその固定観念に縛られていては始まらない。血縁を超えた何かで結ばれなくてはならないか?大いなる実験である。

*大雨の降る嵐の夜、沙織が義父の事で相談に来ていた。沙織の携帯に義父の危篤の知らせがあった。豪雨で電車は止まっていた。信は妻奈苗に連絡して車を持って来させ沙織を病院へ送った。車中で幼い恵理子と沙織は仲良しになり、「恵理ちゃんのパパと私はお友達なの」と沙織は言う。
病院に着いた。沙織が降りると「一緒に行ってあげなさいよ」と奈苗が下を向いたまま言う。信「、、、え?」奈苗「友達なんでしょ、いいから早く。ここで待っているから。」そして、「赤ちゃん、絶対に産むからね」信は振りむいて、小さくうなずいた。足早に追いつくと、沙織が「みんな仲良しなんだよね。ウチもそうだし、パパのところもそうだよね。本当の親子じゃなくても好きになれるよね。」「なれるよ」と信は言った。

*病院の廊下で今かと待っている信たち。しばらくして赤ん坊の元気な泣き声!元気な男の子の誕生、この家族の絆となるか。

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*主演の浅野忠信がいい。マーティン・スコセッシ監督と映画「沈黙」での出会いなどで俳優として一段上を登ったように思う。血のつながらない家族に新たな子が生まれる。物心ついた長女薫の反抗が、家族の繋がりとは何かを問いかける。大事なのは「血縁か、愛か」。
ドラマの組み立てが巧い。さすが荒井晴彦の脚色。

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以下の無機質なシーン――電車の線路のカーブの曲線、駅から家のマンションを繋ぐ斜行エレベーター、遠くの薄明りのマンションが立ち並ぶシーン。作品の内容の表出でもあるが、豪雨のシーンでの転換でマンションの灯りが明るくなる。ポジティブへの希望なのか。




  1. 2017/09/07(木) 17:39:51|
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