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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

2013年『スペイン旅行』⑫「バルセロナー<モンセラート>」4.26.27

2013年『スペイン旅行』⑫「バルセロナー<モンセラート>」4・26.27

1、フラメンコ・ショウ 「パラシオ・デル・フラメンコ」

コルトバで1度見ているが、ツアーの最初からプログラム化さていたバルセロナのフラメンコ。
(「パラシオ・デル・フラメンコ」のポスーター)
DSC_7686ポスター
(「パラシオの入り口)
DSC_7685フラメンコ「パラシオ」
(男女のフラメンコの舞台)
ダンス①
(白い衣装で男女ペアのフラメンコ)
ダンス④
* 写真は撮れなかったが、親方らしい貫禄の男のダンサーのフラメンコが良かった。縦横に手馴れて舞台を創っているといった感じ。その彼の舞台の何番目かに、「歌い手」の「歌」が切々と響いてきた。歌の意味はわからない。しかし、感じから失恋や人生の苦しみを切々と歌いあげたものだと感じた。ジーンと心の底に響いてきた。今までに無い感動である。次の女性たちの群舞が軽薄でつまらないものに感じた。
東京に帰ったらもっとフラメンコを見たり聞いたりしてみょうと思った。

2、夕食、アラゴン通りの「ムソル」で
  ツアー客一同揃っての食事はこれが最後になる。
(ムソル)
アラゴン通りの「ムソル」で夕食
(カタランサラダ)=オリーブ油と塩で食べる
カタランサラダ
セット
(ソーセージと白インゲン)
ソーセージとインゲン豆
(プディン)
DSC_7718プディン

3、モンセラート
 
今回の旅で初めて雨であった。ここまで全部快晴に恵まれて良い旅でした。初めての雨であるが山がガスで視界が利かなく、ならないことを祈った。
(モンセラート修道院)
DSC_7721モンセラート

* 「モンセラート修道院」

9世紀に起源をもち、11世紀に建てられ、15世紀頃が最盛期であるらしい。ベネディクト会の修道院。19世紀、ナポレオンによって破壊され、1996年再建された。ゲーテは奇岩を「魔の山」と呼んだ。ガウディがここで「サグラダ・ファミリア」の構想を得たという。
(黒いマリア)
黒いマリア①

「黒いマリア」(ラ・モレネータ<黒い女の子>)は地元カタルーニャの守護聖母。マリアが黒いこともあって異教的なムード。妙で不思議な感じを持った。
「黒いマリア」はヨーロッパの中にあって、特にケルト人の地域に400体もあるという。ここら一帯ーフランス国境に近くー大昔はケルトの聖地でなかったか?
カトリックは「黒いマリア」を無視。
キリスト教以前の地母信仰が聖母マリアと一体化したものではないか。(あらゆる生き物を生み出す大地と、子を産み育てる母とを一体化した「地母神」信仰が、キリスト教時代に弾圧されて「黒いマリア」として再生した。)
フランコの独裁時代、禁止されていたカタルーニャ語でここだけがミサを行った。カタルーニャ人の信仰と民族意識の故郷になった。

(奇岩の山ーゲーテは「魔の山」と呼んだ)
DSC_7725奇岩
(修道院の背後の奇岩)
DSC_7759修道院の上の奇岩
(イエスと12人の弟子たち)
DSC_7756修道院の正面

(礼拝堂の中に入る)
DSC_7737礼拝堂①
(モザイク画ー使徒の像)
DSC_7740モザイク
(修道院の中)
修道院の中①

(修道女の肖像画)
修道女
(大理石の天使)
大理石の天使
(天井画)
天井画
(礼拝堂)
礼拝堂②
(礼拝堂)
礼拝堂③
* 巡礼者たちによって供えられたロウソクの灯火。
(祈りのろうそく)
祈りの蝋燭

* 14世紀に出来たという「エスコラにア少年合唱団」。9歳~15歳までのカタルーニャの少年50人で結成さ  れている。各地の音楽会で演奏する。
(聖歌隊ポスター)
少年聖歌隊のポスター
(楽譜)
楽譜

* 霧が出ていないので頂上までケーブルで行くことになった。
  晴れていればフランス国境のピレネー山脈が見えるというが残念でした。

(頂上から修道院を眺める)
DSC_7768頂上より修道院を見る①
(修道院を眺める)
DSC_7782頂上より修道院②

4、バルセロナでの最後の夕食

お土産などを見にデパートや「ZARA]を覗いてホテルに帰った。Sさんは7時~8時までロビーで待機、一行の相談に乗っていた。スペイン最後の晩の食事をSさんと食べた。
地図の下の右側、2階のレストラン「シトルス」に落ち着いた。ここは角地で通りに面して大きなガラス張りである。
(グラシア大通りのレストランやバル)
バルセロナのかさ

ワインを1本とって、僕は、温かい前菜「ラビリオのスープ」とメインを最上等の「牛のステーキ」をとった。
スープを1口吸った時何ともいえないいい味が全身に広がっていった。ステーキ、スペインの牛肉は日本のより固め、でも美味だった。ワインもまずまず、かくてスペインの旅は終わったのである。

ここまで私の「スペイン旅行」記に付き合って下さって有難うございます。感謝します。
                           2013年 5月16日

『スペイン旅行の反省』4.16

① 旅行当初の「マドリード」、その殆どが「プラド美術館」だったが、ここに燃え尽きた感がある。1日中いた。目が疲れて足も棒のようになり限界状況に陥った。ここに居ても仕方がないと思って外に出たのである。「ソフィア」で「ゲルニカ」でも見て帰ろうとしたが、ふらふらして地図の方向を逆さに見ていたこともあって、人に何度か尋ねたが言葉がわからず、諦めてタクシーでホテルに帰った。
② 「プラド」で見たことは今後に大きな財産を貰ったようなものだ。知らない画家、知っている画家でも知らない作品がぞくぞくとあるんだな、と思い知らせてくれた。
③ 「モンセラート」の<黒いマリア>は何だったか?黒いこともあって異郷的なムードがする。カトリックでは(ベネディクト派の修道会)「黒い」ことを無視する。大昔ここらは古いケルトの聖地。キリスト教以前の「地母神」信仰(穀物を産み出す大地と子を産み育てる母と一体化させた「地母神」)がキリスト教の弾圧で、「黒いマリア」として再生した、という解釈。
④ トレドのグレコの「オルガス伯爵の埋葬」は凄い。東京で「グレコ展」を見て宗教画か肖像ばかりだったので「ツマラナイ」と思わず言ってしまった。
宗教・信仰に無縁な多くの日本人にとって、ヨーロッパの一般的な宗教画に
本当の感動はしない。優れた作品のみに感動する。トレドのサント・トメの「オルガス」を見てガタガタ体が震えたのだ。本物を直に見ることの大切さ。
⑤ 闘牛、フラメンコ(これについてはもっと深いものがある)について、カッコイズムだと思った。歌舞伎で見得を切る、と同じではないか?闘牛は男(マハ)のダンディイズム!闘牛士と強い牛が揃わないとダメとは。
⑥ フラメンコ、2回見たのはよかった。ダンサーのかかととつま先での強烈なリズム、見ている側にもそのパッションが伝わってくると「オーレ」となる。
 バルセロナでの親方みたいな男の踊りの時、若い歌い手の歌は哀切があって聞いている側の心の底深く響いていった。
⑦ 「アルハンブラ宮殿」評判通りの美しさでした。イベリア半島に残したムスリムの優れた美学なんだ、と思いました。カトリックは到底かなわないと思いましたね。宮殿や聖堂などの建築ではムスリムの美学にかなわない。プラドの絵画のみが拮抗できるのかな。
⑦ 添乗員のSさんに本当にお世話になりました。特に夜の食事です。ツアー旅行で初めて地元らしい食事をしました。地元の珍味、ワイン(ロンダ)は絶妙でした。ありがとう!
⑧ 「セビーリャ」はスペイン南部アンダルシアの港湾都市。闘牛やフラメンコの本場でもある。ドン・ファン伝説の舞台であり、オペラ「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」「セビリアの理髪師」「カルメン」の舞台でもあった。ドラマが生まれる根拠はどこにあるのかと探したが、何しろここに泊まらないので空振りでした。
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  1. 2013/05/16(木) 17:49:07|
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2013年『スペイン旅行』⑪「バルセロナ」4.26

2013年『スペイン旅行』⑪「バルセロナ」<その1.> 4.26

1、昼食
マラガからバルセロナまで空路で飛び、いよいよ最後の宿泊地バルセロナに来た。
「べりャ・タパ」というレストランで昼食。
(べりャ・タパ)
DSC_7474ベらら
(サラダ)
サラダ
(「フィデウアーパスタのパエリャ)
フィデウア(パスタのパエリャ)
DSC_7482盛り付け
(アイスクリーム)
アイスクリーム

2、市内を回って「グエル公園」へ

* 「カサ・ミラ」「カサ・バトリョ」「サクラダ・ファミリア」「サン・パウ病院」と回って「グエル公園」へ。
ガウディ独特なデザインの建築だ。トンボやバッタ・昆虫や蛾のイメージが、当時のバルセロナ市民は理解したか?

* アントニ・ガウディ(1852~1926)たぐい稀で特異な建築家を理解したのは、大富豪で第一線に立つ企業家たちであった。ガウディやグエルらの19世紀から20世紀にかけてのスペイン建築が進んでいたのだ。建築に夢があり、ロマンがあり物語性もあるのだ。機能性やメカニズムと対極に位置する。ガウディ建築の奥にイスラムや東洋性を感じるのは、やはりイスラム文化が700年もあったということか。
(カサ・ミラ)
カサ・ミラ
(カサ・バトリョ)
カサ・バトリョ
(聖家族)
聖家族②
(グラシア通り)
グラシア通り
(デザインが面白いビル)
デザインが面白い
(サン・パウ病院)
DSC_7514サン・パウ病院

3、「グエル公園」

 ガウディのスポンサー・グエルが住宅街を造ろうとしたが、本人たち以外に1戸しか売れず、今は公園になっている。

(グエル公園)
DSC_7542グエル公園②
(洞窟のような)
石やぐらの
(中央広場から大階段へ)
正面階段
(モザイクのワニやトカゲをイメージする)
DSC_7598ワニのモデルに幼児
(守衛小屋)
守衛小屋
(天井のモザイクの絵がいい)
天井のモザイク絵
(犬のモザイク)
犬のモザイク
(大階段でモデルを撮っていた。それにしても観光客で溢れかえっていた)
DSC_7593モデルの写真を撮って
(守衛小屋の屋根が面白い)
DSC_7610守衛小屋の屋根

4、サクラダ・ファミリア聖堂

完成したならば18本の塔がそびえ、1万4千人を収容する大聖堂になる予定だという。いまだ、未完である。
(聖堂の正面入り口)
DSC_7636聖C
(池を前にしている)
聖と池
(聖堂の中、天井からの光は天国の輝きか?)
聖堂内③
(ステンドグラスが明るさを)
ステンド②
(模型)
模型 ②
模型①
(出口)
出入り口①
(彫刻が施されて)
DSC_7653彫刻①
(後方から眺めて)
出口の全体
  1. 2013/05/15(水) 23:12:20|
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2013年『スペイン旅行』⑩「ロンダ・ミハス・トレモリーノス」4./24・25

2013年『スペイン旅行』⑩「ロンダ・ミハス・トレモリーノス」4.25

Ⅰ、ロンダ 4月24・25日

(崖の上の町、ロンダ)
崖の上のロンダ

ロンダは谷底を流れるグアダレビン川の浸食によって出来た、深い峡谷の上に広がる町である。町からは彼方へ原野が続き、深い谷と崖の景観の町である。又、近代闘牛の創設者フランシスコ・ロメロが生まれた町で、由緒ある闘牛場が残っている。

(近代闘牛の創設者フランシスコ・ロメロの銅像)
DSC_7123近代闘牛の創設者
(記念の闘牛場)
闘牛場
場内

* ここの「パラドール・デル・ロンダ」に宿泊した。パラドールとは国営のホテルで、修道院とか古城や宮殿を  ホテルに改装した高級ホテルをさす。
(崖の上のパラドール・デル・ロンダ)
崖の上に建つパラドール
(ロビー)
ロビー
(有名人のポスターが張ってあるロビー)
ロービー②
(フラメンコの衣装が飾ってあった)
フラメンコの衣装
(ホテルの部屋の中)
DSC_7127パラドールの室内

* 夕食までロンダの町を散策

(グアダレビン川の浸食によって出来た町)
崖の上の ロンダ②
(深い谷)
深い谷

* メイン・ストリートを歩いてみる。都会センス抜群の店が並ぶ。キッズの店が何軒かありバギーを押した若き ママが買い物やおしゃべりしていた。
(メイン・ストリート)
メイン・ストリート
(広場)
広場
(酒屋―ー後でワインを買うことになる)
酒屋
* ここで買ったロンダも赤ワイン「アルホンソ」は東京に土産として持って帰り、1本は子どもたちが会った時 空けて好評だった。1本は家でたちまち飲んでしまった。コルクを空けた時の微妙な香りと味わいは忘れ難いも のであった。日に日に味わいが変わって、不思議な飲み物に幻惑された。東京では絶対に買うことが出来ない。
 生産したものは地元で消費されてしまうそうです!
( ロンダの赤ワイン「アルフォンソ」 )
DSC_8210ロンダの赤

* 夕食会
 パラドールのレストランで。ツアーの一行でこの旅行期間中に誕生日を迎えた人が3名もいた。今夜はお祝いだ。シェリー酒で乾杯。
夕食会③
(シーフードの包み揚げ)
DSC_7186シーフードの包み揚げ
(牛ヒレ肉のキノコソース掛け)
DSC_7188ケーキ
(フルーツソース掛けケーキ)
お誕生のケーキ

* 料理が最高に上手かった!

2、4月25日 ロンダ

* 朝からロンダ観光が始まった。
(朝日が射す高原)
DSC_7214朝日の
(ヌエボ橋を見上げる)
DSC_7280ヌエボ橋を見上げる
(グアダレビン川の流れが見える)
川が下に
(ビエホ橋を渡る)
ビエホ橋
(フリリペ5世時代のアーチ)
イスラム時代のロンダ
(三角点の家)
3角点の道
(白の家のロンダ)
白い家のロンダ
(サンタ・マリア・ラ・マヨール教会)
サンタ・マヨール
(活気を取り戻したメイン・ストリート)
活気を戻したメインストリート

3、ミハス 4月25日

* 「白い村」で観光的に有名だそうだが、ちっとも面白くない。自分で作り出したもの何一つないのに、集めた
  お土産を売らんかな、は顰蹙を買った。人工的な、余りにもこせこせした!

(山の斜面に白い家)
斜面の白い家
(地中海・町・坂)
坂・白い家・地中海
(初めて地中海が見えた)
地中海が見えた
(ミハスの町に着いた)
ミハスの町
(ブルーの花壷を皆ぶら下げて)
ブルーの壷を壁に吊るして
(花一杯飾って)
花で埋め尽くす

* トレモリーノス(太陽海岸=コスタ・デル・ソル)の「ホテル・メリア・コスタ・デル・ソル」に宿泊。

(ホテル・メリア・コスタ・デル・ソル)
コスタ・ソルのホテル
(ホテルの前は地中海の海岸、展望が利くとアフリカのモロッコが見えるそうだ。)
海岸②
海岸に
(夕日の海岸=この辺一帯はスペイン有数のリゾート地)
海岸の夕日

* 夕食は各自。添乗員のSさんの配慮で地図が配られた。
ソルの見取り図
① 「CHACHA](獲れたての海老、貝が並んでいて、注文すると1つから焼いてくれる。飲みものは奥の別  の店で買う。立ち食い、立ち飲み。大きな車海老、マテ貝、帆立、美味い!道中一番忘れ難い夜になった。
② 「CA BODEGA]魚貝類
  ここの味は余り覚えていない。一行は中年の二組と私とSさん。ワインを飲みながら美味を味わい、大いに議  論した。楽しかった。
③ 「CASA FLORE?]国道沿いの店、店の外のテーブルに座った。シーフード(キノコが美味いとい   う)土台に何のキノコか?その上に生ハムがのっていたことを覚えている。何しろ美味いのだ!!

 かくて、美味を堪能した夜は更け行く。

翌、4月26日、マラガ発バルセロナ行きの機上に我々はあった。

(国内線で空路バルセロナに向かう)
国内線の空の旅
  1. 2013/05/14(火) 13:49:30|
  2. 2013年『スペイン旅行』
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2013 年『スペイン旅行』⑨「セビーリャ」 4.24

2013年『スペイン旅行』⑨ 「セビーリャ」4.24

アンダルシアの州都として、新世界交易・貿易の良港として、ジブラルタルを渡ってきたイスラム文化繁栄の舞台として発展した。温暖な気候とイスラム文化との混合したヨーロッパの最南端の都市セビージャには異国情緒溢れる不思議な雰囲気がある。フラメンコや闘牛の発祥の地であり、『カルメン」「セビリアの理髪師」「フィガロの結婚」「ドン・ファン」などの舞台でもある。イメージが先行し過ぎるか?街中からぜひともそのイメージを拾いたいものだ。
(スペイン広場)
スペイン広場①

A,スペイン広場
 1929年の「イベロ・アメリカ博覧会」の会場となった。
(スペイン広場)
スパイン広場②

* 半円形の建物の下には58県の特徴が描かれたタイルが張ってある。
(タイルで描かれた58の県の特徴―ーここでは「ドン・キホーテ」とか。)
タイル画
B,サンタ・クルス街
かって、ユダヤ人街だったが、1492年の追放から貴族などが住みついた。迷路のような狭い小路が続く。狭い小路にみやげ物店とかバールとかひしめいていた。
DSC_6951サンタ・クルス街の小路
クルス街の狭い小路
お父さんお母さんと3姉妹、皆フラメンコの衣装を着て通りすがった。私のカメラを見てすぐポーズしたのが3姉妹の真ん中の少女。ご両親ニコニコ、南国の陽気さか!
(フラメンコの衣装を着た可愛い少女)
フラメンコの衣装を着た少女①
(かってユダヤ人の家)
DSC_6958ある家の中庭
(タイルの張った家)
タイルのある家

(有名なホテル= へミングウエイが泊まっていた?)
有名なホテル・バール
(ベネラブレ広場=ここでしばしの自由行動になった。)
ベネラブレ広場
(カテドラルに隣接している<インディアス古文書館>)
DSC_6994古文書館
(円形の4階建の店)1階はレストラン、2階以上は住宅か?
円形の4階建
* フラメンコのポスター=エル・アレナル、有名なタブラオ(フラメンコのショーの店)ここで泊まるのであれ  ば行くのだけれど、、、
フラメンコのポスター
(1920年代の写真のポスター。大群衆、黒旗を掲げているのも見える。)
黒旗が見える群集
(ヒラルダの塔とカテドラル)
ヒラルダとカテドラル

C、カテドラルとヒラルダの塔
1401年、「正気の沙汰でないと思うような巨大な大聖堂を建てる」と宣言して1519年に完成。スペイン最大・世界3位の大聖堂。隣接する「ヒラルダの塔」はモスクの尖塔だった。
・(カテドラル)
カテドラル
(カテドラル=王室礼拝堂)
カテドラル・礼拝堂
(キリストの十字架像とマリア)
十字架とマリア
(王冠ー王と女王の)
カテドラル・王冠


* ここにコロンブスの墓がある。当時のスペインを構成したレオン、カスティーリャ、ナバラ、アラゴンの4人の王が棺をかついでいる。ノーシャッターなら写真は自由、暗くて失敗した。残念!
* ムリーリョの絵等があった。
ムリーリョ「サン・アントニオの礼拝」「無原罪の聖マリア」スルバランの「無原罪のお宿り」
(無原罪のマリア)
無原罪の
* 97mのヒラルダの塔へ登った。上からはセビージャの町が一望出来た。
(下の風景が何か、地図でも見ながら説明を受けないとわからない)
(今通ってきたクルス街か?)
上から狭い小路
(遠くに闘牛場が見える)
上から闘牛場が
DSC_7005上から②

* クルス街の中だったと思う。「ベラスケス美術館」があったので私1人だけで入った。セビージャ出身なのに1枚も彼の絵が無いことを残念に思った実業家?がやっと手に入れて美術館を創った。ベラスケスはいいものは1枚何百億円もするのだから!殆どプラドにある。
(ベラスケス美術館)
DSC_8182セビージャのベラスケス美術館
(コップを持つ少年)1629~1632
DSC_8194コップをもつ少年
(セビージャ・河口の港)1660
ベラスケス・セビージャの港
(マリア像)1618
ベラスケス・マリア像
* 少年の像とグアダルキビル川の河口に停泊する帆船の様子の絵は良かった。

(路面電車の線路がある大通り)
路面電車・大通り

(マエストランサ闘牛場)
闘牛場

* セビージャの昼食
(マカレーナ門近くの「ドン・ファドリーケ」で)
DSC_7095昼食「ドン・ファドリーケ」
(スープ・「ガスパーチョ」)
ガスパーチョ
(チキンのミートボールにジャガイモ添え)
チキンのミートボールにジャガイモ添え
(アイスクリーム)
アイスクリーム
* この昼食に出た「ガスパーチョ」を後にスーパや食料品店で探したけれど見つけられなかったと、話に出た。
  缶詰などにあるのでしょうか?

* (後の追記)「ガスパッチョ」はトマト,ニンニク、キュウリ、玉ねぎ等とパン粉ですリ潰して混ぜた冷たい  スープであることが判った。

* 1920~30年代のポスターや写真を街中によく飾ってある。特にアンダルシャに来て目に付くようになった。
(1927年の写真集。)
1927年の写真集

この日はロンダのパラドール泊まり。旅も佳境に入った。
  1. 2013/05/13(月) 16:26:08|
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2013年『スペイン旅行』⑧「コルドバ」4月23日

2013年『スペイン旅行』⑧「コルドバ」 4.23

「コルドバ」
(グァダルキビ川が流れるコルドバ)
DSC_6664グァダガルキビ川・コルトバ
* グラナダで午前、「アルハンブラ宮殿」を見てバスで移動、午後コルドバに着いた。
  水量豊富なグアダルキビル川が流れているアンダルシアの町であった。

Ⅰ、メスキータ

(水量豊かなグアダルキビル川とメスキータのコルドバ)
川とメスキータ
(ローマ橋)
ローマ橋
(ローマ橋の上の銅像と赤いろうそくー誰に捧げる?)
ローマ橋の赤い蝋燭

(カラオーラの塔ーローマ橋を守るため)
カラオーラの塔
* 「メスキータ」(聖マリア大聖堂のこと)
785年に、イスラム寺院として建設が始まった。
10世紀、 大拡張工事で、数万人のモスクになる。
13世紀、 レコンキスタでカトリック教会になる。
16世紀、 カール5世=カルロス5世はモスク中央部にゴシックとルネサンスの折衷の教会をつくる。
イスラムが造った大モスクをカトリックが割り込み破壊した奇妙なものとなった。

(メスキータの入り口=イスラム時代のもの)
メスキータの入り口
(850本の円柱の柱)
850本の「円柱の森」
DSC_6770円柱
(聖体)
聖具

* 「聖体顕示台」メッカの方向を向いている、という。モスクの時数万のムスリムが集まってメッカの方向に向かって礼拝をしたんだ。
(聖体顕示台をみている)
皆見ている

* モスクの権力の象徴?だという。ムスリムにとって大事なもの?
(ミフラーブ)
ミフラーブ

(マヨール礼拝堂<カトリック>の天井)
天井

(メスキータの<ミナレット>と呼ばれる尖塔)
ミナレット

2、ユダヤ人街、花の小道

(花の小道)
花の小道
(旧ユダヤ人の家)
ユダヤ人の家
(花で飾った中庭)
花で飾った家

* 老舗の皮革店「メリヤン」
 大学の卒業証書や優等賞を革で作る皮革の老舗。記念にベルト(22€)を買った。「コウトウバン」コルトバの 革といった意味か。ここからきているのか。
皮革の大学卒業証書

* 1930年代のポスターが2枚張ってあった。スペイン内戦時代のだ。内戦の生き残りは殆どいないが、その空気を知るものはある違いないと思っている。なぜ張り出すのか?
1930年代のポスター

3、フランメンコ

夕食後、部屋に帰ってから何気なくロビーに下りていったら、レストランにまだ飲んでいるのがいた。ごちゃごちゃしている内に、フラメンコに行くことになった。予約を取ってタクシーで駆けつけた。メスキータの近くだった。
(歌、ギターなどの伴奏楽器)
DSC_6857歌・ギター
(男のダンサー)
DSC_6856男のダンサー②
(女のダンサー)
DSC_6859女のダンサー②
(女のダンサー)
女③

(女のダンサー=真打)
女⑤

* フラメンコ
 ロマ(ジプシー)起源説が有力である。激しいリズムと踊りは情熱と哀愁の世界に連れ出す。
 アントニオ・ガデスやクリスティーナ・オヨスが来日した時見に行って、たちまち熱烈なファンになった。
 ガデスの場合は「カルメン」や「恋の魔術師」「血の婚礼」などの舞踏化でドラマティックであったが、フラメンコ独自の歌や舞踏があれば見たいと思っていた。今回、ツアーにもバルセロナでフラメンコディナーショウが組み込まれているので期待している。

ダンサーのつま先やかかとでの床鳴らしの激しいリズムに興奮して「オーレ」とかけ声をかけてしまった。歌舞伎のつもりだったか!
  1. 2013/05/12(日) 16:25:46|
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