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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

2006年『ポーランド・チェコ旅行』⑥「プラハ」9/30

2006年『ポーランド・チェコ旅行』⑥ 「プラハ」 9/30

DSC_0769プラハ城からカレル橋を(プラハ城からヴァルタルヴァ川を望む)

* プラハは夢の都市だ。美しい町並み、国際的な有数の観光地となった「プラハ」。
  14世紀のボヘミア王国の首都に始まって、幾多の歴史を歩んできた。他の中欧
  諸国と同様に、他の強国の侵略を受け、自由を奪われた受難の歴史に苦しんだ。
  
「1」プラハ城
ヴィート教会(聖ヴィート教会)
プラハ市街にそびえる歴代王の居城。現在は大統領府がある。
14世紀のカレル4世の時代に現在の威容が整う。
* 聖ヴィート大聖堂
 10世紀にロマネスクの素朴な教会として始まったが、14世紀のカレル4世の時代から
 ゴシックに改修、19世紀に造られたステンドグラスにはムハ(ミュシャ)の作品もある。
 DSC_0718ヴィート教会ムハのステンドガラス(ムハの制作の? ステンドグラス)
* 聖イジー教会
 初期バロックの華やかな教会。
イジー教会(聖イジー教会)
* 黄金小路
 坂を下ってゆくと、昔、錬金術師たちの住まいの一角がある。1916年に作家のカフカ
 が住んでいた家がある。カフカの家①(青い家がカフカが一時住んでいた家)プラハ城の展望台の人々(遠くにヴルタヴァ川と橋を望む)

「2」カレル橋
 カレル4世の時代に造られた全長520mのゴシックの美しい橋。
混雑するカレル橋(観光客で賑やかなカレル橋)
音楽家(カレル橋の上の音楽家たち)
丘の上のプラハ城(丘の上に聳え立つプラハ城)
旧市街橋塔(橋の入口に建つ旧市街側「橋塔」)

「3」 旧市街
プラハの心臓部といえる広場。商業的繁栄によって広場に面して多くの建物が建ったが、政治的には重要な事件の舞台となったことである。

* 旧市街広場 (数々の事件の処刑場になった)
旧市街広場(人々で賑ぎ合う旧市街広場)
* 旧市庁舎(天文時計)
 旧市庁舎(天文時計)
下の時計(黄道12宮?と農村の四季の作業を描いた暦)
当時の宇宙観(天動説)に基ずいた天体の動きと時間を表す。毎正時に仕掛けの人形が動きだす。12使徒が次から次へと現れては消えてゆく。下のは黄道12宮と農村の四季の作業描いた暦。世界最大の大きい天文時計を見に人々は集まる。
* 聖ミクラーシュ教会(華麗なバロックな教会)
ミクラーシュ教会の通り(ミクラーシュ通り)
* ヤン・フス像
ヤン.フス像
 プラハ大学の総長だったフスはローマ教会の腐敗堕落を激しく批判したため、1415年異端として火あぶりの刑に処せられた。フスの死は民衆を目覚めさせ、フス派としてカトリックと激しく戦うことになる。
* ティーン教会(市庁舎と向き合う)
* 国立美術館の企画展会場
* 装飾の面白い建物
広場に面する建物
* プラハの街中の風景
DSC_0871プラハの街中
カフカの看板(カフカの写真のある掲示板)
* カレル通り (旧市街広場からカレル橋までの曲がりくねった道。素敵な店が並び人々で一杯だ。
* 「旧ユダヤ人街」シナゴークの跡がある。
シナゴーグ跡(シナゴーク跡)

「4」新市街
*「ヴァーツラフ広場」
 今でこそプラハ随一の繁華街となって、高級ホテルやレストラン、デパート、銀行などで
 賑わっているが、政治的に忘れられない広場なのだ。
 1968年「プラハの春」で改革派のドゥブチェク第一書記などをソ連の戦車で押しつぶした
 ところ。学生や支持者が死をもって抗議した。
 1989年「ビロード革命」改革派のハベルを大統領にして、無血で革命に成功した広場。
 チェコ民主革命のシンボルなのだ。
*「国民劇場」
 ドイツ語を強制された時代、「チェコ語によるチェコ人のための舞台を」というスローガン
 で集められた国民の寄付で造られた劇場。設計・内装の彫刻・絵も全部チェコ人の手に よった。
*チェコの音楽家=ドヴォジャーク(ドヴォルザーク)、スメタナ、ヤナーチェク。
*チェコの文学 =カフカ、カレル・チャペック、ミラン・クンデラ
*ムハ美術館(ミュシャ) アールヌーヴォーを代表する画家。パリ時代の作品が有名だ
 が、大作「プラハ叙事詩」は傑作!
* チェコの「人形劇」とアニメ
 プラハの裏通りの広場で「魔女のお婆さん」の人形を買った。触ると「ケラケラ、、、」と笑
 う。チェコ語を禁止された時代、人形劇にチェコ人は思いを込めた。政治的な物語、笑いと皮肉な話にオーストリアの圧制に対する痛烈な批判を込めたのである。
 人形劇の伝統にのってチェコの「人形アニメ」が発達して、すぐれた作品を生んだ。
* チェコの「切手」も面白い。
* チェコの「ビール」
 「スタロプラメン」「ピルスナー」「バドバイザー」「ブドヴァイザー・ブドヴァル」
 チェコに来てビールの美味しさを教えてもらった。

チェコのレンガ色の屋根と白い壁の家並みの美しいこと!夢のような童話的世界はいいですよ!
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  1. 2012/12/12(水) 10:16:18|
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2006年『ポーランド・チェコ旅行』⑤「チェスキー・クルムロフ~フルボカ城」9/28

2006年『ポーランド・チェコ旅行』⑤「チェスキー・クルムロフ~フルボカ城」9/28
展望台 (クルムロフ城をバックに)

① 「チェスキークルムロフ」
 チェコの「チェスキー・クルムコフ」は童話の世界だ。城とその下の城下町。モルダワ川が町を廻って蛇行して流れる。
 13世紀に建設されてから、城主がチェコ系、オーストリア系、ドイツ系と何代も代わった。
城から見た街の景色は絶妙な美しさだった。
城からの眺め①(クルムロフ城から城下町を見る)
DSC_0416クルムロフ①(クルムロフ城下町)
DSC_0583観光客で混む
  (観光客の多い通り)
ヴルタヴァ川②
  (町中を流れるモルダワ川)
クルムロフ②
  (クルムロフの街通り)
村②
   (城から見た町)

② 「チェスケー・ブジヂェョヴィツェ」
 13世紀にボヘミア王オタカル2世がライバルに対抗して造らせた王立都市。
 又、世界的に有名なビール「ヴァドバイーザー」の発祥の地。米国と商標戦争中。
 町の建物が美しい。中世の童話的な物語の世界だ。チェコの地方都市にはこのような童話の世界のような夢の街が多い。ボヘミア・モラモラヴィア独特のセンスのよさに感動した。
オタカル広場①(ブジヂェョヴィツェの町)
市庁舎(市庁舎)
上からの眺め①(聖ミクラーシュ大聖堂の隣の黒塔の頂上からの眺め)

③ 「フルボカー城」
ブディェョヴィツェを建てたオタカル2世が所有していた記録がある。歴代のボヘミア王の所有を経てドイツの貴族の所有となった時、英国のウインザー城を真似て造らせた。
フル ②
フルボカ城 ①
   (上の2枚はフルボカー城)

④ 「カルロヴィ・バリ」
「チェスキー・ブデイェヨヴイツェ」の近くの「ホラショヴィツェ」に寄る。素朴なバロックの農家20軒。16世紀にオーストリアやドイツから移り住んだ農民たちが、19世紀にバロックに建て替えた。世界文化遺産。
DSC_0596ホラショビツェ 村 ①
DSC_0600ホラ  ②
⑤ 「ピルセン」
ピルゼンビールで有名な町をバスで通る。チェコのビールがこんなにも美味しいとは!

* 「カルロヴィ・バリ」へ行く途中、「マリアーンスケー・ラーズニェ」を通った。ドイツ名
  をマリエンバートという。映画「去年マリアンバートで」のモデルになったところ。懐かし
  みながら、しばし映画の回想に耽った。

⑥ 「カルロヴィ・バリ」(ヨーロッパ中に知れ渡った有名な温泉地)
 19世紀に入ると各国の王侯貴族や有名人が保養にやってきた。ここは飲むのである。
カルロヴィ・ヴァリ ①
原泉が湧いているところ(ヴジーデルニー・コロナーダという地下2500mの所から毎分2千ℓの温泉が吹き上げている。)
DSC_0674 カルロヴィ ③(「トルジニー・コロナーダ」という白いレースのような装飾の美しい建物)
  1. 2012/12/10(月) 00:17:29|
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2006年『ポーランド・チェコ旅行』④「チェコのブルノ」9・27(水)

2006年『ポーランド・チェコ旅行』④ 「チェコのブルノ」 9・27 (水)

ブルノ市内
   (モラヴィアの中心「ブルノ」)

(1)チェコ/ブルノ
* ポーランドのクラコフから国境を越えてチェコに入った。チェコはボヘミアとモラヴィアの2つの地域
 に分けられる。モラヴィアの中心が「ブルノ」。現在は商業都市。丘の上の「シュピルベルク城」。
町の中心に「自由広場」ー聖ヤコブ教会ー旧市庁舎ー緑の広場(野菜の市場がある)-聖ペテロ聖パウロ大聖堂。そのコースで見て回った。
「自由広場」の周りの建物は中世に建てられた。

* 「ヤナーチェク」モラヴィア出身の世界的な音楽家。現代音楽の作曲家、曲は難解である。 

ブルの「ぺガ<br />ス」
* 昼食をとったホテル・「ぺガス」

  ここの自家製のビールが美味しかった!ビールがこんなにも美味しいものだということを再認識させるほどだった。料理は忘れたが、やっと美味しい食事にありついた気持ちがした。ポーランドの料理が塩からかったである。

ヤコブ教会②
  (ヤコブ教会)
ヤコブ教会「お尻ペロン」
 (ばかやろー魂の「お尻ペロン」)
13世紀に創られその後改装、90mのゴシックの尖塔を持つ「ヤコブ教会」。完成したのに賃金を全部払ってもらえなかったので、しっぺ返しに「お尻ペロン!」職人魂!

 市庁舎
  (旧市庁舎)
市庁舎面白い飾り
   (旧市庁舎独特の飾り)
聖ペテロ教会
(聖ペテロ聖パウロ大聖堂)
 
1092年にロマネスクの教会があった。14世紀に現在のゴッシック様式の教会になった。なかなかの荘厳さ!

緑の市場
   (緑の広場ー野菜・花を売っていた)

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  1. 2012/12/06(木) 17:20:17|
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2006年『ポーランド・チェコ旅行』③「クラコフ市内」9/26

2006年『ポーランド・チェコ旅行』③ 「クラコフ市内観光」9/26(火)

DSC_0307ヴァヴェル城⑤
   (ヴァヴェル城)
クラコフ市内⑥
   (クラコフ市街)

* 9月26日(火)午後 「クラコフ旧市内観光」
DSC_0287ヴァヴェル城①
   (大聖堂)
「1」ヴァヴェル城
 ポーランド・リトアニア連合の「ヤギェウオ朝」(1385~1569)のポーランド王国の首都であった。
 旧王宮と大聖堂が残っている。
 旧王宮では「タベストリー」の展示が行われていた。「タベストリー」は装飾だけではなく、防寒
 の意味もあった。

「2」ユダヤ人街ー「シンドラーのリスト」のロケ地
 DSC_0301ユダヤ人街③

ユダヤ人街④
ユダヤ人地区の看板
  (以上、クラコフのユダヤ人住居)

「3」 ヴィスワ川
ヴィスワ川
 
「4」中央広場周辺
* ヤギェウォ大学
ヤギェウォ大学
* コペルニクス像
DSC_0313ヤギェウォ大学内コペルニクス像

* 1364年創立、ポーランド最初・中央ヨーロッパではプラハのカレル大学に次ぐ歴史を持つ。
 コペルニクスやローマ法王ヨハネ・パウロ2世がここで学んだ。

* 織物会館
  DSC_0321旧市庁舎
  (旧市庁舎)

広場
中央市場広場
  (中央広場)

* 聖マリア教会の「ラッパ吹きの悲しい伝説」
 13世紀、タタール軍の襲撃を知らせていたラッパ吹きの兵士が、途中で敵に矢で射抜かれて死んでしまった。この事を悼んで「聖マリア教会」の窓から1時間毎にラッパを吹く。兵士が吹いている途中で射抜かれて死んだ時のように、ラッパの音は途中で終る。
 タタール軍の来襲は恐ろしいものであった。人口の半分が殺され、後にヨーロッパ中の嫌われ者(複雑な歴史的経緯がある)だったユダヤ人を受け入れることになった。
 
ラッパ吹き
DSC_0325聖マリア教会

* ツアーの限界だろうか、クラコフにもっと滞在したかった。「チャルトリスキ美術館」「聖フロリアン教会」「バルバカン」にも行きたかった。ユダヤ人地区、ヤギェウォ大学も散策したかった。
* 一番困ったことは、食事の塩分が多いことである。寒いからあれだけの塩を必要とするのだろうか?
  1. 2012/12/04(火) 15:36:54|
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2006年『ポーランド・チェコの旅』②「アウシュビッツ」

2006年『ポーランド・チェコの旅』②「アウシュビッツ」2006年9/25.26

「ハ」 ヴィエリチカ岩塩採掘場  9/25

午前中をかけてワルシャワから旧都クラコフへバスで移動。バスの窓からどこまでも続くポーランドの平原を眺めて、大国に挟まれて外敵からの侵入を受けやすかった事が想像出来た。
「ヴィエリチカ岩塩採掘場」は世界有数の規模を誇る。13世紀から近代までポーランド経済を支えた。
 ヴィエリチカの町
  (ヴィエリチカの町)
ヴィエリチカ地下岩塩採掘場
   (ヴィエリチカ岩塩採掘場)


「ニ」「アウシュビッツ」と「ビルケナウ」9/26 午前

① 「アウシュビッツ強制収容所」(第一収容所)
 撮った写真を見て頂く。
 以下「アウシュビッツ」の中の写真
アウシュビッツ①
   
アウシュ④

アウシュ⑤
  (「死の壁」多くのユダヤ人がこの壁の前で銃殺された。)

アウ⑧
   (初代所長へスがここに首を吊るされた)

ガス室
  (ガス 室)

アウシュ⑨
( 鉄条網には高圧電流が流れていた。自ら当たって自殺する者もいた)

* アウシュビッツでどのくらいのユダヤ人が殺されたのか?正確なところはわからないが、400万とも150万とも  言われている。少なくても100万単位の殺戮があった。1945年1月ソ連が解放した時、骨と皮ばかりの人間が97人いただけだった。
* アウシュビッツに着いて初めは感情が動かなかった。眼鏡の山を見た時だった。突然まわりが曇ってきた。映  画や本での記憶と目の前の眼鏡の山とが合体した。体が震えどうしょうもない感情になった。


② 「ビルケナウ強制収用所」(第二収容所)

 アウシュビッツが一杯になったために隣に第二を造った。それが「ビルケナウ}
ビルケナウ
   (列車の終着地点)
* 映画によく使われたシーン。ここでユダヤ人は貨車から降ろされ収容所へ駆り立てられた。
ビル ②
(ビルケナウ収容所の跡)

ビル③
ビル④
ビル⑥

* 戦後の思想・文学において「アウシュビッツ」は重い課題だった。映画などの映像で何度も見て、
  ある程度の想像をしていたが、やはり実際に現地に立つとずっしりと重いのである。ここで大量
  虐殺が行われたのである。
* なぜ、ユダヤ人か?直接的にはナチスの地獄の人種観に基づく「劣等民族抹殺主義」。
  歴史にさかのぼって、ヨーロッパ人の中にユダヤ人を差別する何かがあるように思う。
  ユダヤ人を受け入れたのはポーランドなど少数だった。(モンゴルとの戦争で人口が半減した
  ポーランドがユダヤ人を受け入れた歴史的経緯がある。)
* ナチスはドイツやポーランド等の占領地に70余の強制収用所を造り、ユダヤ人、ロマ、政治犯、
  捕虜を収容、虐殺した。
  1. 2012/11/30(金) 15:14:51|
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