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私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

「少女は夜明けに夢をみる」イラン映画、監督オスコウイ

『2019年映画』「少女は夜明けに夢をみる」イラン映画、(監督メヘルダ―ド・オスコウイ岩波映画。 11/19

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黒いインクで指紋を取られる指先。不安そうに見つめている少女ハーテレ。カメラで写真を撮られ、「隔離施設」と書かれた部屋に入れられる。監督との対話で少女たちの情況が分かってくる。母と彼女自身がうつ病を病んでいて薬を飲んでいる。母から虐待―監禁・火傷―を受けた。母に学校を辞めさせられたという。少女の反抗のきっかけはおじの彼女への性虐待だった。

高い塀に囲まれたイランの少女更生施設。ここには強盗、殺人、薬物、売春といった罪で捕らえられた少女たちが収容されている。貧困や虐待といった過酷な境遇を生き抜いた少女たち。家族に裏切られ、社会に絶望しても家族の愛を求め、社会で生きていかざるを得ない少女たち。

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撮影許可に7年もの歳月をかけ、少女たちの抑圧された状況に光をあてたのは、イランの代表的なドキュメンタリー作家のメヘルダ―ド・オスコウイである。監督は少女たちに深い愛情と信頼を築いた。だから、彼女たちは胸襟を開いて、自らの犯罪、悲惨な過去を率直に語るのである。

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 ガザ―ルはなぜここに来たか?クスリだ。年少の頃からクスリを始めた。理由は「母が薬物依存症で私も興味が沸いた」という。義父に性的虐待を受けた。彼女は14歳の時結婚してすぐに子どもを生んだ。指に手術したような痕がある。自傷の傷だ。結婚してすぐにクスリを渡され売人をやれと強要された。つらい人生よとつぶやく。

 「名なし」と名乗っている少女。オスコウイ監督との対話「何の罪でここに?」「盗みよ」「何を盗むの?」「車よ」「銃は持っていた?」「うん」「銃は恐くない?」「初めてじゃないし」「よく使ったの?」「何度も。2年前から持ち始めた」「誰かに銃口を向けたことはある?」「脅しに使うの。撃ったことはない。人を刺したことはあるけれどね。本当に憎い人しか撃てないわ。簡単に人は殺せない。叔父ならいいかも」「どうして家を出たの?」「おじが性的虐待を」「何歳の時?」「12歳よ」
監督「僕に16歳の娘がいると君に伝えたら、悲しそうにしたね」名なし「聞きたくなかった。私はゴミの中で育てられ、その子は愛情を注がれてる」「名なし」と名乗っている少女は、この時自分の生きてきた人生と対極の人生があることを思い、どのような思考を巡らしたか。
監督「出所する手立ては?おばあさんに聞いたら、君を引き取るのは難しいと言った」名なし「引き取れるかもと言っていた。でもどうせウソよ」

 ここにどのような救いがあるのか?少女たちの救済の道はあるのか?
更生施設の中では、テレビもスマホもない中世的暗黒の世界だ。だが、施設の外は欧米と変わらない都会的なハイテクの世界だ。イランは中東の先進国だ。

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映画を見ていて幾つかの落差を感じた。施設の少女たちの過酷な体験も世界的に特別なものではないという。日本でもあるという。世界の構造が幾層も重なった複雑な様相を持っているという。そこから逃げてはだめだといっている。

*映画館はガラガラだった。かって満員であふれた時を思い出しながら、寒々した思いをした。
 
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  1. 2019/11/19(火) 10:24:11|
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『2019年映画』 「天気の子」(新海誠監督・アニメーション映画)

『2019年映画』 「天気の子」(新海誠監督・長編アニメ映画)2019年8月26日
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《キャッチ・コピー 》
<あの夏の日、あの空の上で僕たちは、世界の形を変えてしまった>


<これは、僕と彼女だけが知っている、世界の秘密についての物語>

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≪スート―リ≫
離島に暮らす高1の帆(ほ)高(だか)は家出して東京へ、新宿歌舞伎町へとやって来る。道中、フェリーの上に降る半端でない雨。少年は笑顔で駆け巡り転げ廻る。やっと少年は離島から自由になれた。

お金が尽きかけた頃、小さな編集プロの社長・須賀(すが)に拾われた。事務所の先輩・大学生の夏(なつ)美(み)と共に、「100%の晴れ女」という都市伝説の取材を始める。
東京は異常気象に見舞われ、毎日雨が降っていた。ゲリラ豪雨と言われた暴力的な雨は、穏やかな四季の情緒を破壊し尽くした。
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帆高は或ることで少女・陽(ひ)菜(な)と知り合う。

少女は廃ビルの屋上にある祠(ほこら)の前の鳥居をくぐると、はるか上空の積乱雲の中を舞う少女・陽菜! 雨の女神か、天空の女神か?
それが陽菜だった。「ねえ、今から晴れるよ」。祈ることで天気を晴れにする不思議な能力を陽菜は持っていた。

帆高は弟の凪(なぎ)と2人で暮らす陽菜の生活を助けるため、「晴れ女ビジネス」を立ち上げる。ウェブサイトでオファーを受け、希望の日を晴れにする。初め消極的だった陽菜は、生活のためと割り切り仕事を引き受けた。雨が晴れになると、連日の雨で鬱屈した人々のもやもやした心も晴れ、「晴れ女ビジネス」の仕事が順調に進んだが、花火大会の依頼の時、テレビのカメラに写ってしまい、客が殺到、ビジネスはしばらく休業に。

陽菜の誕生日が近いことを知った帆高は、プレゼントに指輪を求めた。公園で帆高は陽菜に指輪を渡そうとした瞬間、突然突風が吹き、目の前の陽菜が居なくなった、、、頭上で雫(しずく)が陽菜の周りをぐるぐる回っていて、やがて陽菜は地上に戻ってきた。陽菜の体半分が透明に見えた。

 捜索願いが出されていた帆高を追って警察が、幼児の凪(なぎ)と陽菜兄弟を探して児童相談所の人が迫ってきた。帆高と陽菜と凪は逃げ出す。
指輪をプレゼントされた陽菜は喜び、あることを打ち分ける。

≪陽菜の独白≫
「自分は人柱になる運命なの。犠牲になることで、本来の天候を戻すの。穏やかな四季の抒情を取り戻す約束なの。運命に逆らうと世界は闇のまま続くのよ」
陽菜の話を信じたくない帆高は必死に彼女を抱きしめる。帆高は運命に逆らって陽菜との逃避行を続けようとした、、、

≪帆高の告白≫
 「僕は島の孤独な息苦しさから脱出しょうとして、あの光の世界に入ろうとして、必死に走った。その果てに君がいたのだ。君はかけがえのないものだ!青空より陽菜がいい!
(若い二人は晴れより曇天を選んだ。人柱による犠牲より二人の愛を選んだ。「人柱という犠牲」より、個の幸福を選んだ。ここに新海誠の新しさがある。

三年の間、雨は降り続き、東京は低地ではほとんど水没してしまった。帆高と陽菜はどこへ行ったか?水没の東京は、まだ陽菜の犠牲が行われていないことを示している。そうだ!二人は人柱より、愛を選んだ。晴れより雨を・東京の水没を選んだ!陽菜は犠牲となって人柱になることを拒否した。帆高と陽菜は世界のどこかで生きているだろう。

≪ボーイ・ミーツ・ガール≫
「少年はある少女と出逢い、恋に陥り」陽菜と離ればなれになって陽菜を探すところは観客の感情を鷲掴みにする。

*  色彩と構図が素晴らしいアニメ作品。特に、雨・雲・光の映像が素晴らしい。

*  主人公の少年・少女の悩み・思い・行動性がよく描けていた。

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  1. 2019/08/26(月) 14:28:32|
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『2019年映画』「COLD WAR あの歌、2つの心」ポーランド映画 監督パヴリコフスキ 7/8

『COLD WAR (冷戦)』-あの歌、2つの心― (ポーランド映画)
                   
 監督:パヴェウ・パヴリコフスキ、
 撮影:ウカシュ・ジャル
 出演:(ズーラ)ヨアンナ・クーリク、(ヴィクトル)トマシュ・コット、
     (カチマレク)ボリス・シィツ、(イレーナ)アガタ・クレシャ、
      (ジュリエット)ジャンヌ・バリバール、                  
 音楽:ジャズ・クインテット(ピアノ=マルチン・マセツキ。
     サクソフォンやベースやトランペットやドラム奏者)
     バッハ作曲ゴールドベルク変奏曲の「アリア」


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映画は、主人公の15年に亘る宿命的なラブストーリーと、ポーランド民俗音楽及びジャズ&クラシックの音楽総体、特に民俗音楽が素晴らしい。俗悪な社会主義リアリズムに対してポーランドの民俗音楽の素晴らしさ。COLD WAR(冷戦)、15年に亘る歴史状況のなかで繰り広げられるドラマ。主人公たちの人生、ポーランド音楽、冷戦情況に覆われる東欧社会。白黒の映像が不思議な効果をあげた、オペラ的要素たっぷりの作品である。映画はシンプルなモノクロームの映像の中での、夜のパリの佇まいの、何という美しさ!

1949年、ポーランド。民族の音楽を収集するため村から村へと訪ね歩いていた男女がいた。
彼らの使命は、民族音楽を集め、歌とダンスの才能に恵まれた少年少女を探し、マズレク舞踊団を立ち上げることだった。管理部長のカチマレク、ピアニストのヴィクトル、ダンスのイレーナが中心となって団員を選抜して舞踊団を作りあげていった。

ピアニストのヴィクトルの心を奪ったズーラという少女がいた。ダンスのイレーナが「問題児なのよね」と指摘する。「父殺しで執行猶予中」と聞いて驚いたヴィクトルは、「お父さんと何か?」と尋ねるが、ズーラは平然と「母の代わりをしょうとしたから、だけど死んでない」「私に興味?それとも私の才能に?」直情的なズーラと内省的なヴィクトルとの宿命的な出会いであり、冷戦という過酷な状況に翻弄され、別離と再会の15年のラブストーリーを生きるのである。

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1951年、ワルシャワで初舞台の幕が開く。ひときわ輝く光を放つズーラ!公演は大成功!ヴィクトルたちは大臣に呼び出され、最高指導者の賛歌を歌えば支援は惜しまないと、もちかけられが、「私たちは純粋な民俗芸能に拘っている」とイレーナは断るが、カチマレクは引き受ける。

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(40年代末から冷戦に入って行き、ソ連を中心とするスタリーン主義が東欧諸国を襲った。文化・芸術において<社会主義リアリズム>の支配である。演目の中に露骨に個人崇拝・スタリーン賛美が入ってくる。西欧音楽を捨て切れないヴィクトルはパリへ亡命する。その時、ズーラを誘うが、彼女は来なかった。)

1954年、パリでヴィクトルは編曲や作曲しながら、ジャズバンドのピアニストとして活躍していた。舞踊団のツアーがやってきてズーラと再会する。「未熟だから未来が不安だったというズーラ。二人は強く抱き合った。ヴィクトルは一緒に暮らしていた恋人ジャンヌに「大切な女に会った」とうちわける。

1955年、ヴィクトルは舞踊団の公演を見るためにユーゴスラヴィアを訪れるが、保安局の男たちに連行され、パリへ送り返されてしまう。ズーラは空席に向かって悲しく歌うのであった。

1957年、シチリア人と結婚して合法的にポーランドを出たズーラは、夫と別れてヴィクトルと暮らし始める。ヴィクトルのプロデュースでレコードデビューを果たしたズーラだが、パリの華やかな浮ついた日々が馴染めず、次第に心を閉ざしてゆく。
 
そんな中、何も言わずにズーラはポーランドに帰ってしまう。ヴィクトルが舞踊団に電話をかけても、「行方不明」だと言われてしまう。ヴィクトルはズーラを追ってポーランドに戻り、懲役15年の刑を受け刑務所に入れられた。やがて、ズーラがやってきてヴィクトルを出す為に政府高官と結婚し男の子の母親になっていた。

愛の民謡「2つの心」、「オョョ―ィ」は舞踊団の中心的な歌で心に迫る切ない歌だ。ズーラに何度か異なった歌い方をさせている。素朴な農民の歌のような、、、哀愁を帯びた切ない歌であるかのように、、、亡命先のパリでのやるせなさが忍び寄るようなアンニューな「オョョーィ」。

ラスト・クレジットに流れるグレン・グールドの弾く「ゴールドベルク変奏曲」の「アリア」が人々の心を癒し続けるのである。


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  1. 2019/07/06(土) 16:00:08|
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『2019年映画』「僕たちは希望という名の列車に乗った」ドイツ映画

2019年映画』「僕たちは希望という名の列車に乗った」(監督ラース・クラウメ
               出演レオナルド・シャイヒャー。トムグラメンツ
               ロナルト・ツェアフェアフェルト 6/1

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 1950年代は僕らにとって文学に目覚め、西欧の思想や共産主義というものにも出会った、色々なものに出合った覚醒期だった。ソ連とか共産主義がバラ色の布で覆われた時代であった。(その後失速するが)戦争が終わり日常に平和が訪れた、60年の安保闘争までの、全世界がまだぼやけた霞みがかかった時代であった。

 共産主義がバラ色に思える一方、ハンガリー動乱、ポーランドの民主化、ワレサの連帯、プラハの春、東欧ではソ連型一党独裁政権の強圧に抗して、民主化を求めて民衆が立ち上がった。それに対して必ずソ連の戦車が出てきて民主化を弾圧。デモと戦車、戦車と市民のデモの対立という構図が戦後東欧史の僕のイメージに強く残っている。

 映画は1950年代の東ドイツのエリート校の高校生たち。第2次大戦が終わり社会主義国として踏み出した、青春の真っただ中にいた彼ら。ドイツ映画「僕たちは希望という名の列車に乗った」は、一九五六年の「ハンガリー動乱」が関係して、東ドイツの高校生が主人公だ。ある時、二人の高校生が西ベルリンに行き、映画館に入った。(ベルリンの壁が出来たのは1961年、それまで東西の交通は可能だった)ニュース映画が付いて、ハンガリー動乱が、ハンガリー国民の自由を求める運動であると報道されているのを見て、二人は衝撃を受けた。当時の東ドイツ国家権力は「ハンガリー動乱」を「反革命」と断罪した。しかし、若者たちは納得しない。ソ連の支配の息苦しさに抵抗して抗議の声を上げたのではないか。僕たちも自由を求める彼らに連帯すべきではないか。二人は学校でクラスに訴えて、動乱の死者たちへ「二分間の黙とう」を捧げた。ここに戦後の東ドイツ社会主義の若々しさを見る。

 「2分間の黙とう」がソ連圏の東ドイツでは、「国家への重大な犯罪」になってゆく。校長を越え、共産党の幹部が乗り出してくる。女性でナチのゲシュタポのように怖い共産党の幹部、ケスラー。「首謀者は誰か?何を狙っているのか?黙とうしたのは誰と誰だ?」犯人捜しが始まった。クラスの生徒一人一人、呼び出して追求する。言わないと退学だと脅迫する。犯人捜しの手法は隠微で過酷なものだった。

 彼らが通う高校の進学コースは、将来を約束されたエリートへの道だった。彼らに退学という脅しは将来を左右する決定的な揺さぶりだった。だが、ナチばりの脅しによく耐えた高校生たち。また、彼らの祖父や父親に暗い影として付きまとうナチイズムの過去。ナチと社会主義が彼らの家族の歴史に深く反映されている。
共産党幹部ケスラーの巧妙で隠微な追求は、西ドイツに行って卒業試験を受けようと決心するまでに追い詰めた。彼らの家庭の事情によって「西行き」は家族を引き裂くこともあった。果たして、彼らの運命は、、、どうなるか?西へ行って卒業試験を受けられるだろうか?

映画の最後に字幕で東ドイツに残った4名を除いて全員が西ドイツに行き卒業試験を受けたとある。映画の舞台は1950年代で戦争の傷跡が残っていた。作中人物の家族関係で表現される。父親がナチ党員だったので夫に引け目を感じて服従している母親。社会主義者として命を賭けたとされた父親の隠された秘密。ナチスに付けられたという共産党幹部ランゲの首の切り傷。
しかし、高校生たちは古い戦争の傷跡を越えて生きてゆくのです。高校生たちの生き方・行動力に新しい息吹を感じます。
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2019年公開 (ドイツ映画)
監督     ラース・クラウメ
  1. 2019/06/01(土) 10:40:42|
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『2019年映画』「希望の灯り」(ベルリン映画祭受賞。監督トーマス・ステューバー)5/3

『2019年映画』「希望の灯り」(ベルリン映画祭入賞。監督トーマス・ステューバー
                             出演フランツ・ロゴフスキ。サンドラ・ヒユラー。
                                ぺーター・クルト。   5/3
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 ドイツ映画はナチイズムに関連した作品が多いが、この作品は平凡な市民―落ちこぼれた階層の人々が主人公だ。東ドイツの大型スーパーマーケット、深夜の巨大倉庫が舞台だ。深夜、商品の補充や破棄をしている労働者たち。先輩労働者たちは悪態をつくがみんな人が良い。仕事が終わると、みんなが帰るのを責任者が一人一人握手して送り出す。(東独時代の残りか?)小さなチョコ・クッキーにろうそくを立てて誕生祝いをしている。クリスマスイヴには集まってイヴを祝う。これは日本にも米国にもない、ドイツしかも旧東ドイツだけに残っている職場の情景ではないか?ソ連支配下の旧東ドイツの悪評とは異なる一面だ。スーパーマーケットの深夜、倉庫管理専門の労働者たちのホットな庶民たちの話である。

映画のファーストシーンで「美しき青きドナウ」や「G線上のアリア」などの名曲を巧く使って、映画全体に名の知らない曲が流れていた。

こういう職場に首、腕、背中に刺青を入れた無口な若者クリスティアンが、試用期間付きで採用される。管理責任者ブルーノの監督を受けることになる。冷戦時代の東ドイツでトラックの運転手をしていたブルーノは労働者仲間から慕われている。ブルーノはクリスティアンにフォークリフトの動かし方とかいろいろと仕事を教える。無口の変わり者の彼もだんだん溶け込んでゆく。
DSC_2896.JPGマリオンとクリスティアン

クリスティアンは棚越しに見た年上の女性マリオンに恋する。店内の休憩所で二人はデートするようになる。だが、職場の中年女性から、マリオンは既婚者であること、傷つけないで欲しいと忠告される。落ち込む彼をブルーノは慰める。或る日、ブルーノから東ドイツ時代のスーパーについて聞かされる。ここはトラック輸送会社で今いる従業員はトラックの運転手だった。東ドイツが無くなって会社も無くなって、そのままスーパーマーケットで働き始めた。そこで、従業員みんなの独特な雰囲気が理解できた。
マリオンが仕事に来なくなり寂しいクリスティアン。ブルーノは見かねてマリオンの家庭―夫が暴力を振るうーのことを話す。クリスティアンは花束を持ってマリオンを訪ねる。入浴中のマリオンにビックリして逃げ出してしまう。
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或る日、ブルーノはクリスティアンを自宅に呼ぶ。ブルーノは妻を亡くし、一人暮らしだった。旧ドイツ時代を「楽しい時代」と呼び郷愁を語る。その郷愁に生きているようだ。クリスティアンを「お前いい奴だ。皆もそう思っている」と励ますのだった。やがてマリオンも仕事に復帰し工場も以前のような明るさを取り戻していった。ところがある日、ブルーノが自殺してしまう。

ブルーノの自殺の場面でやっとこの映画の秘密が分かった。映画の意味を。ブルーノはなぜ自殺したかの訳は明らかにされない。旧東ドイツ時代の郷愁をしきりに語る彼の姿が全てだ。妻も死に喪失に耐え切れなくなったのだろう。又、この工場のベテラン従業員全員がブルーノである。彼らは旧ドイツの崩壊によって喪失した。ベルリンの壁崩壊によって解放された人もいるけれど、人生を喪失した人もいる。この工場のベテラン従業員のように。喪失した人は残りの人生をどう生きるか。耐えて生きるしかないと映画は言っているかのようだ。喪失と悲哀、耐える人生、人生にはそう一面もあるよと言っている。
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マリオンはブルーノに教わったフォークリフトによって波の音を発生させ、憧れの波の音・海の音を聞く。(海から遠い内陸部の人にとって海は憧れである。)

ブルーノに代わって職場管理責任者となったクリスティアンは、今や一人前の従業員となって働いている。

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  1. 2019/05/03(金) 10:07:01|
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