私の見た映画・美術・

映画・美術・イタリア旅行の紀行文の紹介です。

『日記』「欧州難民の危機ー欧州はどこへゆくか?」 4/21

『日記』「欧州難民の危機―欧州はどこへゆくか?」4/21

たどり着いたDSC_0359

① ヨーロッパ映画に見る移民・難民危機
ダルデンヌ兄弟の「午後8時の訪問者」を取り上げ、改めて欧州にとって「難民問題」が重くのしかかっていることを感じた。英国のEU離脱の国民投票や、移民排斥の自国第1主義のトランプ米大統領の出現などで、ポピュリズム旋風によって欧州の民主主義が揺らいでいる。2017年度は3月オランダ総選挙、4月フランス大統領、秋ドイツ連邦議会と2017年度は選挙年だ。極右の自国主義の台頭で難民排斥の声が欧州を席巻した。オランダは極右も勝てなかったが、中道も勝てなかった。むしろ中道左派が減少している。フランス大統領選は中道と極右が拮抗、それに急進左派が急速に追い上げているという。先が読めない。
「欧州難民危機」といわれた問題点をおさらいしておきたい。今後も難民問題は全世界にのしかかる重いテーマなのだ。問題はそれまでの「移民」と「難民」とは様相が違うということ。ドイツは旧ユーゴやトルコから自国の労働力として「移民」を受け入れてきた。映画でも暫(しば)しテーマになっていた。15年以降の「難民」は単なる「移民」ではない。量的にも質的にも異なるのである。

② 欧州難民危機―(UNHCR難民高等弁務官事務所による)
2015年、中東やアフリカ諸国から多くの難民が欧州に押しかけ、難民高等弁務官事務所は15年末に欧州に到達した難民は100万人を越えるだろうと発表した。主な出身地は、中東(シリア・イラク)南アジア(アフガニスタン・パキスタン)アフリカ(エリトリア・ナイジェリア・ソマリア・スーダン)バルカン半島西部(コソボ・アルバニア)であった。
「欧州難民危機」と言われたのは2015年4月、2000人の移民を乗せた5隻の船が地中海に沈み1200人の犠牲を出した頃からである。
その結果、う余曲折があったがEUが予算を3倍に増やして、地中海沿岸の難民対策に当たることになる。(アムネスティーなどの批判があったが)難民は独裁政治から国を追われること、戦場と化して国から命を守るために逃げてくること。しかも半端でない数なのだ。

③ 欧州の難民・移民に関する協定の歴史
#<シェンゲン協定> EUでは加盟国域内を自由に往来できる協定を作ってそれを保障してきた。<シェンゲン協定>という。
1985年6月、ベルギー・オランダ・ルクセンブルク・フランス・西ドイツの間で「国境検査」を撤廃する協定が結ばれ、2008年までにヨーロッパ25ヵ国に広がった。「ヒトの出入れの管理を共通化し、域内の自由な移動を保障するもの」。自由移動の対象には日本人も含む外国人の短期滞在者も含まれる。シェンゲン協定と言われている。欧州の「ヒトの交流」に関する協約になっていた。

④ <シェンゲン協定>の危機=EU の危機?
ところが、シェンゲン協定が崩壊の危機にさらされる。シリア難民の大量な流入である。シリア難民は2015年末までに460万人、その内90万人が欧州を目指した。当初EU各国は難民を受け入れた。徐々に受け入れを消極的に転換。それは、以下の要因による。
*難民の数がこれまでと違って異常に多いこと。
*欧州の各国は自国の経済が停滞しており、自国民の社会保障の削減に迫られていたこと。
*外国人排斥を叫ぶ極右政党が伸びてきたこと。
*難民による犯罪が目立ち始めたこと。
*2015年11月パリ連続テロ事件にシリア難民が含まれていたように、難民に紛れて過激派組織「イスラム国(IS)」のメンバーが流入する警戒が強まったこと。

*シェンゲン協定では、難民が「最初に到着した国が「難民認定」に責任を負う」ことになっている。地中海に面するギリシャやイタリアの負担が大きくなった。そこでEUでは加盟国に経済規模に応じた難民負担を提案したが、反対する国が続出した。特に2000年代に加入した中・東欧では反対が顕著だ。特に与党が移民反対のハンガリーでは国境を封鎖した。
ヒトの移動への制限が欧州各国に広がっているが、ヒトの移動自由の制限はEUの理念に反すことであり、求心力の低下につながってゆく。EU創設の意味が問われている。今回いろいろと考えてみたが、難民の問題は難しい。14年20万人、15年50万人弱、16年50万人弱と百万人を越えたドイツでも今難しくなっている。ヨーロッパ各国の選挙がどうなるかが鍵でもある。しかし、我々が「難民」を考える時に参考とすべき見本としてドイツの「難民政策」を忘れてはならないと思う。以下概略を載せる。

*ドイツにみる「難民政策」の可能性
反ナチス・反ファシズムで出発した戦後ドイツは、今までに旧ユーゴスラヴィアやトルコからの移民・難民を受け入れた経験を持っている。難民に対するメッセージが欧州の他の国より抜きん出て優れていることがわかる。

① 憲法に「政治的迫害を受けた難民を保護する規定を設けている」こと。戦後ドイツは、戦争中に労働力として連行され故国に帰らなかった元捕虜や元強制労働者などの戦争難民、海外のドイツ系植民の子孫など約1650万人を受け入れたこと。
② 難民受け入れは「恩恵」ではなく「投資」。
難民にドイツ語を習得させ、職業訓練の技能を受けさせる、教育を受けさせるなどはドイツの将来の労働力として有効である。日本と同じように少子高齢化・人口減少に悩むドイツにとっては、未来の「投資」と捉える。
③ 市民の強い「意思」と「包容力」がある。
ドイツ政治社会は「保守」と「リベラル」との「せめぎ合い」だった。その「せめぎ合い」の中で「移民労働者」をどう受け入れるかを練ってきた。社会の中で練れている。
④ ボランティア活動
ドイツはかつて徴兵制だったが、徴兵拒否者はボランティア活動で代替えする制度があった。そのボランティア活動の伝統が「難民受け入れ」を支えた。
⑤ 80年代~90年代の大量難民流入時代に、共に学び地域で交流のあった世代がドイツ社会を支える中核になっている。難民の人との共有体験の多いことが「受け入れの」核となっている。



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  1. 2017/04/21(金) 13:50:21|
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『2017年の映画』「午後8時の訪問者」(ダルデンヌ兄弟監督、アデル・エネル出演)4/14

『2017年映画』「午後8時の訪問者」(カンヌパルムドール大賞2度目の受賞ダルデンヌ兄弟監督
                     セザール賞受賞のアデル・エネル主演)


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今やカンヌ映画祭入賞常連のベルギーのダルデンヌ兄弟監督(1951年~と1954年生まれ)の作品は、現代ヨーロッパ問題を考察する時彼らを外しては考えられない。映画は深いところで情況を反映し交差している。現代ヨーロッパの難民・移民問題、貧困・差別問題、また、女性差別からの自立、己の医師としての自立、、などの問題点を浮き彫りにする。
彼らは08年「ロルナの祈り」でアルバニアからの移民問題を取り上げ、11年「少年と自転車」で育児放棄と里親問題や少年の自立を描き、14年の「サンドラの週末」では女性労働者の復職への闘いと同僚との団結を描いた。「午後8時の訪問者」では今ヨーロッパを覆い尽くす移民排斥のうねりに果敢に挑戦した問題作!

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<物語>
小さな診療所。若い女医ジェニーがてきぱきと働いている。まもなく大きな病院の好待遇の職が待っている。今は老医者(父姓的役割)の代わりに小さな診療所で働いている。診察時間も終わり、医科大学から来た若い男性の研修医にカルテの作成や大学病院へ送る診断書について指示。今度、勤める病院からの歓迎パーティーに出かける用意をしている時に、突然に鳴るドアーホンのベル。診察時間はとっくに過ぎていた。研修医が出ようとすると、それを制して「あなた、患者に寄り添い過ぎよ」と高圧的な態度で注意する。
翌日、警察が来て、診療所の近くで身元不明の黒人少女の遺体が発見されたという。午後8時過ぎにドアーホンを押している姿の監視カメラの少女こそ、遺体の彼女だった。少女の身元は不明。恐らく不法難民?このままでは墓に記す名さえ分からぬ。責任を感じた女医ジェニーは少女の顔写真を自分の携帯に残し、少女の名前を聞いてまわる。

「彼女の名前は?何故ドアーホンを押したのか?両親や家族は?どこから来たのか?何故殺されたのか?、、、」

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ジェニーは死体現場に行ってみた。往診先で写真を見せて訪ねるが手掛かりがつかめない。ある時、患者の一人が診察中に写真を見せると心拍数が上がったので疑問をもって問い詰めてゆく。患者は誰にも内緒にして欲しいと言ってある事実を告げる。そこから綻(ほころ)びがほどけるように展開してゆくが、ジェニーは襲われて「余り嗅ぎまわるな!」と脅迫される。
警察から少女の名がわかった、危ない事をするなと注意される。少女は不法難民だった。ヨーロッパに流れついて家族もわからないという。
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<ジェニーの行動の意味?>
少女を探し求めるジェニーの行動は医者としての責任感を超えた殉教者のようだ。何故そのような行動をするのか?その問いこそ意味を持つと映画は言っている。多くの者が無関心になっている難民の問題、現在の風潮に逆らって、彼女は関わっていく。医者としての自立を賭けて。人間としての尊厳をかけてだろう。映画のラストシーンで亡き黒人少女の姉との抱擁は感動的だ。

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「小さな診療所」はどのような意味を持つのか?世界におけるー欧州における難民への窓口の象徴である。ドアーを開けなかったことは、難民・移民に対して現代の欧州の態度を寓意的に問題提起している。フランスやベルギーで起きたテロ事件は衝撃を与えた。「テロリストは海外からやって来るのではない。自国の中から生まれる。」英国のEU離脱、トランプ米大統領のオルタナ右翼は反・移民、米国第一主義などは、自国さえよければいいという考えを広め、欧州を弱体化している。
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二度の世界大戦から、欧州は再び戦争を起さないためにはどうすればいいのか、という基本的な合意のもとに一つの国=EUを作ったはずです。自由・平等・女性の権利など欧州の守ってきた基本的理念が今、揺らいでいる。良心的な映画作家たちは危機感を募らせている。

<ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ兄弟>1951・1954~ベルギーの映画監督
1999年「ロゼッタ」でカンヌ・パルムドール大賞。02年「息子のまなざし」、05年「ある子ども」で2度目のパルムドール大賞。
08年「ロルナの祈り」で脚本賞。11年「少年と自転車」でカンヌ大賞。
カンヌ映画祭の常連で常に入賞。ヨーロッパ映画界の大御所。欧州の問題点に常に切り込んでいる。
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  1. 2017/04/14(金) 17:20:24|
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『2017年映画』「わたしは、ダニエル・ブレイク」(監督ケン・ローチ) 4/9

『2017年映画』「わたしは、ダニエル・ブレイク」(ケン・ローチ監督、
                        出演デイヴ・ジョ―ンズ)

ダニエル.ブレイク

英国の北東部のある町に住むダニエル・ブレイクは大工仕事に誇りを持ち、最愛の妻を亡くしてからも規則正しい生活を送っていた。しかし、彼は突然の心臓病で医者から仕事を止められてしまう。国の援助を受けようとするが、理不尽で入り組んだ制度が立ちふさがってダニエルは必要な援助を受けることが出来ない。英国は「ゆりかごから墓場まで」のスローガンの福祉国家を目指していたのではないか?と疑問が出て調べてみると、財政赤字削減を掲げた保守党キャメロン内閣が2010年から、緊縮財政政策(福祉・住宅・社会保障の大幅な削減)によって、英国は弱者にとって最も過酷な国になってしまったという。

ダニエル➁

ダニエルは休職手当を貰うとするが、申請をオンラインでしなければならず、パソコンを使えない彼は困ってしまう。一事が万事というわけだ。彼は「お役所仕事」の冷淡さ・非道さによって経済的にも精神的にも追い詰められてゆく。
悪戦苦闘するダニエルは、身寄りもなく2人の子どもを抱えて失業したケイティと出会う。

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ケイティは夫違いの2人の子どもを抱えたシングルマザー。家賃を払えず追い出され、ホームレスの保護施設に入っていたが、子どもが精神的にまいって紹介されたのが現在の交通不便な所。そこは空き部屋があり、*寝室税として生活保護費が減額されて生活は一層苦しくなった。生活保護の再申請のために行った行政で約束した時間に遅れた為に減額処分をかけると言われる。引っ越したばかりで道に迷ったと言っても行政は取り合わない。見かねたダニエルが抗議するが警備に一緒に追い出されてしまう。
*寝室税(福祉予算を減額するために空き部屋に税金をかけ、低所得向け住宅手当を減額する制度。貧困層からの反発が強い)

貧しい中での互いに慰めあい支え合うダニエルとケイティたち。しかし、厳しい現実が彼らを追い詰めてゆく。ケイティはあまりの空腹に耐えきれず貰ったばかりの缶詰を開けてスープを吸ってしまう。惨めになって泣いている彼女をダニエルは優しく慰める。
ケイティはスーパーで万引きを咎められる。生理用品をカバンに隠したのを見つかった。(フードサービスに生理用品がないかと尋ねて必要なのに寄付がないと言われたのだ。)
盗んだのが生理用品なのを見て支配人は見逃し、困ったことがあったらと電話番号を渡される。子どもが虐められるのが破れた靴のせいだとわかって、ケイティは決心して電話(売春)をかける。ダニエルが電話番号の紙切れを見て、店に乗り込んでケイティを説得するが他に金の入る当てがなく、彼女は拒絶する。

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ダニエルは「尊厳を失ったら終わりだ」といって、職業安定所の壁にペンキで「わたしは、ダニエル・ブレイク。犬ではない、、、」と書き込む。ダニエルの爆発だ!胸が締め付けられる。

これは英国だけの物語ではない。ムダの削減と効率化を求めて慇懃(いんぎん)無礼な排除へと行き着いた、高度の資本主義国の実体だ!貧困を救済する目的の機構が冷酷な切り捨て機関になっている現実!英国も日本も同じとは!引退宣言を撤回してのケン・ローチ監督怒りの映像!主人公ダニエルの強烈な尊厳の主張!隣人への優しさに感動した!

*≪ケン・ローチ≫(1936年~英国の映画監督。脚本家。)
50年にわたる監督人生、一貫として反権力、政治状況へのアクチャルな視点を貫く。労働者階級に焦点を当てた映画を多く作ってきた。前作「ジミー、野を駆ける伝説」(2014年)で引退を表明していたケン・ローチが英国の過酷な格差や貧困に黙っていられなくてこの作品を撮った。
私にとってケン・ローチ監督は、スペイン人民戦線革命を描いた「大地と自由」で忘れられない映画監督になった。
スペイン人民戦線は、1930年代の「知識人と労働者」との連帯の可能性を問う、知識人にとって優れて歴史的な事件であり、生き方を問われる問題提起であった。思想と自由の息吹きを感じさせ、スペイン独特の風情があった。思想的にも「急進的労働者運動」(サンジカリスム)・「無政府主義」「労働者統一党(トロッキズム)」「スターリンの共産党」などが割拠し互いにしのぎを削ったが、共産党が人民戦線の主導権を握った。
若き日のヘミングウェイやジョージ・オーウェル、ロバート・キャパが国際旅団に参加したが無惨にも敗退した。三者三様の戦後の生き方が意味を持つ。戦後に映画化された作品ではローチの「大地と自由」以外に、「誰が為に鐘は鳴る」「日曜日には鼠を殺せ」がある。


  1. 2017/04/09(日) 18:49:58|
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『日記』 「孫と奈良・京都に遊ぶ」 4/4

『日記』 「孫と奈良・京都に遊ぶ」 4/4


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# 3/29
9歳の孫T君(男児)を学期末毎に、鉄道博物館(大宮)や科学博物館に連れて行った。この春休み、寸暇を盗んで奈良・京都の小旅行をすることになった。早朝の新幹線で京都に行き、奈良を回って京都に泊まり東京に帰って来る計画である。T君は鉄博・科博・動物園が好きであったが、この辺で文化方面にも視野を広げさせたいという願いが当方にあった。日本文化入門(仏像)である。日本の古典文化に触れさせることと、鉄道好きのため京都の梅小路鉄博との2つの見学を計画した。但し9歳の児童なので無理なスケジュールは控える。

* 「阿修羅像」

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半日の奈良から選んだのは、興福寺の「阿修羅像」と東大寺の大仏である。本人は奈良公園の鹿に興味を持っていたが、、、奈良には正午に着いた。昼食を取ってから行動開始、まずは興福寺の「阿修羅像」から。
やはり「阿修羅像」には興味を示した。天平の少年の優しい像には感動する。君の「<心の魂>、心の原像として心に刻みつけておいて欲しい」。の願いはどのくらい?

* 現在、興福寺伽藍の中核である「中金堂」の再建工事が進められて、2018年に完成。
国宝館に置かれていた「八部衆」(阿修羅像を含む)「十大弟子」は「仮講堂」で展示。
*「国宝館」時代は横に並べられていたが、今回の「仮講堂」では全体3列、中央に本尊阿弥陀如来、その左右に梵(ぼん)天と帝釈(たいしゃく)天。その左右に金剛力士の阿(あ)業と吽(うん)形(「あ」と「うん」)、さらに外側の左右に多聞天と広目天、これが奥の一列目。中の列は「十大弟子像」など12の仏像。前列は6体。右から持国天、ヒバカラ像、サカラ像、華原磬(かげんけい)(唐代の楽器)左へ阿修羅像,五部浄像、増長天。本尊の阿弥陀如来を囲んだ立体的な並べ方、仏像が生きている!
並べ方によって阿修羅像が生き生きとしてきた。
全部で26体の内国宝17体。国宝のラッシュだ!これは凄いことなのだ。
阿修羅を筆頭に八部衆像の4体が少年だ。発願者の光明皇后の意志が反映されている。我が子を幼くして亡くした母親の思いが込められた、優しい阿修羅像は時を超えて現代人の魂を撃つのである。T君は感動したようである。今回の旅で一番良かったものに「阿修羅像」を挙げた。(後での感想)

* 「奈良の大仏」
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東大寺の前は多くの人で一杯である。それも、ほとんどの人が外国人だ。日本人は少ない。中国、韓国、台湾、ベトナム、豪州、米国、、、噂に聞いていたがこれ程とは思わなかった。鹿が煎餅を求めて寄ってくる。T君は外国人の子どもと一緒になって鹿と戯れていた。

大仏の巨大さにはT君はビックリした。大仏の横の柱に穴が開いており人々が並んで騒いでいた。柱の穴(大仏の鼻と同じ大きさ)を潜ると「無病息災」と言われ、子どもだけでなく太ったおばさんが無理して潜るものだから大騒ぎだ!T君も騒ぎに乗って潜ってみる。

* 「二月堂・三月堂」
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二月堂へぜひ行ってみたいと大仏殿の横の山を登ってゆく。石段を登ってゆくと舞台作りの二月堂が一瞬見えた。他の寺とは一線を画す風貌である。美しく古びく奥床しい舞台作りの寺が又も我が心を捉えてしまった。旧暦の二月「お水取り」が行われて奈良は春を迎える。若狭から「お水」を運び、夜、松明を掲げた僧侶がお堂駆け巡る。何千人の見物客で賑わう。何度か見に来た。回廊から奈良の町が見渡せる。大仏殿の金の鴟(し)尾(び)が見えた。奈良の町が広がっている。山に囲まれた盆地の町だ。昔はここから万葉人のことを偲んだ。

三月堂の仏像は16体、荒々しいのが多い。本尊が「不空羂索(ふくうけんさく)観音」像、何本もの棒のようなものと装飾を絢爛豪華に背に飾っている。梵天、帝釈天など男性的仏像で個性的な仏像が本尊を守っているかのようだ。寺の僧が言う、「<執(しゅ)金剛(こんごう)神(じん)>(秘仏開扉2/16)は創建以来の鮮やかな色彩を見せている」、と。国宝が12体、4体が重文。奈良・京都は国宝・重文のラッシュだ。
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三月堂の前の「4月堂」、あまり知られていない。本尊の「千手観音菩薩」、ごってりとした装飾の豪華な仏である。顔がいい。それと暗くてよく見えなかったが「普賢菩薩像」、象に乗った精巧な作りの仏で、普段展示していないという。これも良かった。仏像が優しい顔をしている。

(私は体調不調でなぜか歩けなかった。初めてのこと? T君は元気!大仏前から近鉄奈良駅までバスに乗り、夕方京都のホテルに入った。)

# 3/30
新都ホテルの朝食が美味かった。10余年の外国旅行―特にイタリアー朝食のヴァイキングより美味しかった。T君が部屋のキーカードを拾ってあげた。落とし主(ご婦人2名の一行)とは後に「イノダコーヒー」で席が隣合わせになる。先方もキーカードを拾った子どもと気づいたそうだ。(私は気が付かず後で知った)ホテルは満員、しかも外国人が多い。き
ホテルから15分の「東寺」、日本一の高さを誇る木造五重塔。昔高いビルが無かった時代の京都のシンボルだった。最近京都に泊まると必ず東寺の仏像を見に行く。
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*「講堂」国宝の仏像が詰まっている!3部に分かれる。
①如来部=中央・大日如来を本尊として4体の如来で守る。全部・重文
➁菩薩部=中央の大日如来に対面して右側に、金剛波(こんごうは)羅(ら)蜜(みつ)多菩薩(たぼさつ)を中心に4体の金剛菩薩で守る。全菩薩5体=国宝
③明王部=中央の大日如来に対面して左側に、不動明王を中心に4体(金剛夜叉・降三世・大威徳・軍茶利)で守る。全明王5体=国宝
さらにその外側に
右=多聞天、梵天、持国天。左=広目天、帝釈天、増長天などが守っている。(6体=国宝)
国宝が16体。重文が5体と講堂の建物も重文。21体の仏像が面白い。一つ一つ個性があり、見ていて厭きない。様々に想像を掻き立てる。
16の国宝は空海講堂創建当時―820~830年代に創られ、火の炎にお堂が焼かれた時も僧の手によって保護されて現存されている。
講堂の仏の配置図だが、興福寺の阿修羅像などの今回の配置図と比較してどうなのか?

*「金堂」国宝 本尊=薬師如来と日光・月光の両菩薩。本尊薬師如来を支える十二神将。
  仏像は金箔=重文。空海創建当時に建立されたが何回かの火災で消失。現存は豊臣秀頼の寄進による。仏像は桃山時代の傑作とされるが美学的に面白さはどうか?

* 「京都鉄道博物館」
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昨年4月に新しきリフレッシュした梅の小路公園にある京都鉄道博物館。大阪の鉄博も統合して大きくなった。春休みで小学生・幼稚園児などで一杯だ。東京・名古屋を見てきたT君、目を輝かして観てまわる。
・保存車両
多くの蒸気機関車。ディーゼル機関車。SLスチーム号客車。過去の車両。0系新幹線。
特急車両。貨物列車。西日本の電車。

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・特に他の鉄博にないもの、
① 扇形車庫と転車台=こんなに規模が大きいものを初めて見た。凄い!

② 本物の「SLスチーム号」の毎日運行。梅小路公園内を運行。市内での蒸気機関車の運行はここだけ!

*  「イノダコーヒーでくつろぐ」
イノダコーヒー①

私は野暮な東京人でありながら、いにしえの古都に憧れ学生時代から京阪に遊んだ。「イノダ」の本店で町衆の旦那が朝ここで一杯のコーヒーを飲み仕事に取りかかる、という伝説を知った。町衆ではないが私はここをこよなく愛した。大広間は喫煙フリーで残念ながら今は禁煙席に案内される。朝の新都ホテルの「キーカードのお方」ではないが、「イノダ族」ともいえるファンが定着したのではないか?(冗談半分のお話)美味しいハムサンドと珈琲を飲みながら旅心を味わった。T君はここの「アイスメロンソーダ」が気に入ったようだ。
さあーT君、旅は面白かっただろうか?奈良や京都の日本の古い文化を関心を持っただろうか?

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  1. 2017/04/04(火) 20:34:12|
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『美術/音楽/舞台/読書』「カーネーション」(ピナ・バウシュ:ヴッパタール舞踊団)3/21

『美術/音楽/舞台/読書』「カーネーション」(ピナ・バウシュ:ヴッパタール舞踊団)3/21
                              3/16~彩の国さいたま芸術劇場)

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ピナ・バウシュという現代舞踊の第一者が率いていたドイツの「ヴッパタール舞踊団」の公演を久しぶりに見た。ピナ・バウシュは2009年にガンの宣告を受けて5日後に68歳で死去という運命に世界のファンは衝撃を受けた。ピナは1973年ドイツの「ヴッパタール舞踊団」の芸術監督に就任し、表現主義ダンスの伝統を受け継ぎ、新たにダンスと演劇との融合を図る「タンツ・テアター」というコンテンポラリーダンスを創造した。ピナは33年間の監督時代に40余の作品、日本でも1986年から11回来日、20作品の公演を行った。
私は1993年の3回目の来日から彼女の「追っかけ」をやった。*演劇評論家・渡辺保ではないが、嫌いだと言いながら「ピナ・バウシュが東京へ来るたびに欠かさず見に行った」

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*渡辺保がピナの舞踊を玉三郎や歌右衛門の舞踊とは異なるものとして、日本的舞踊概念の枠外と批判していたからである。その著「日本の舞踊」で、「舞踊とは踊り手の身体から発するー深いところからくる動きに感動するものだ」とカンニングハムなどに触れながら言っている。そうなんだ。玉三郎の「鷺娘」の感動は、彼の身体から発する一種官能的な「匂い」に魅惑されるのだ。ところが、ピナ・バウシュの舞踊は違うのだ。暴力的であり、美を壊すのだ。それまでの舞踊にあった抒情性・型・物語性を壊そうとする、、、新しい現代舞踊―コンテンポラリーダンスの創造だったのだ。戦後ニューヨークで展開したマーサ・グレアムやアルヴィン・エイリーやマース・カニングハムなどのモダンダンス。ヨーロッパのプティやベジャールなどのコリオグラファーなどの芸術の、ピナはその頂点に立つ。

ピナが亡くなった翌2010年、弟子たちによって「私と踊って」の来日公演、私は見に行った。満員だった。弟子たちが志を引き継ぐと宣言していたが、今回7年ぶりの「カーネーション」を引っ提げての来日公演、全席満員、キャンセルチケットを求めて客が押し寄せた。

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「カーネーション」(1982年初演、89年来日公演)
舞台全面にカーネーションが咲揃う。一人の男性ダンサーが現れ、ガーシュウィンの名曲「私の愛する人」を手話で語る。「何故ダンサーになったのか」とか「愛について」とかのピナの問いかけに導かれ、紡がれるダンサーたちの数々のシーン。驚いたのは高いところからダイヴィングするスタントマンたちと舞台の動きをじっと見ている何匹かのシェパード。驚愕と恐れのシーンだった。やたらにパスポートを求められるシーン。行動と監視、調査管理される現代世界の象徴。
又、ネガティヴなシーン。暴力・威嚇・命令・強要などのシーン。いずれも舞台でのパァフォーマンスかタンツテアター(独特なダンスによる表現方法)が交互に展開される。春夏秋冬のシーン、春が来て草が芽生え、、、と春夏秋冬と季節が巡る様子が繰り返される。シューベルトの<死と乙女>の音楽が流れ、ダンサーたちが椅子を掲げながら舞台を狭しと全速力で走りぬく。最後の呼吸、死を前にした最後の望み、ダンサーたちは客席に向かって走っていって「愛」について叫ぶ。美しく咲き競っていたカーネーションの園はすっかり荒らされ、庭園の荒廃は世界の荒廃の象徴か!
ピナが生きていた時のように舞台は展開した。
しかし、、、

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ピナは言う。
「私たちは何を感じるか、/何が大切か、/何を伝えたいか、/何を表現したいか、」

「ピナは踊るために/ 絶望的だと思われるような努力を続けている/
踊りには身体的な意識が必要であり/ 何かを形づくるにはどのようにするか/
何かを表現しなくてはならないと感じ/ 以前と同じではない新しいものを/
作り上げようと/ 奇妙なことに/ それ以上進むことが出来るのか/ いつも自分自身に問いかけている/
新しいものを作り始めることは/ 噴出のようなものであり/ 流れていく水のようなもの
何を表現するかは/ 概念から生まれるものだはなく/ 内なるものであり/
ピナ・バウシュはそれを求め続けている」

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やはり舞台は立派だが、感動が薄い、と。私の方に問題があるのかも知れない。私の感性が鈍って感じ取れないのかも知れない。が、ピナのみずみずしさが懐かしいのだ。

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*『ピナ・バウシュ』(1940~2009年)ドイツのコンテポラリー・ダンスの振付家。

1973年からヴッパタール舞踊団の芸術監督に就任。33年間の活動期間に40余の作品を世に問う。2009年ガンの宣告後5日で死去。
<主な作品>、
「春の祭典」「7つの大罪」「私と踊って」「カフェ・ミュラー」「バンドネオン」「カーネーション」
「ヴィクトール」「パレルモ、パレルモ」「船と共に」「ダンソン」「炎のマズルカ」「緑の大地」
「過去と現在と未来の子共たちのために」「ネフェス」「天地」「フルムーン」



  1. 2017/03/21(火) 18:15:13|
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